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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十七年~十八年
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第二十八話 南太平洋の嵐

 ソロモン海の決戦に備えた日本海軍は、第三艦隊司令長官南雲忠一中将が指揮する第三艦隊本隊(第一航空戦隊・空母『翔鶴』『瑞鶴』『瑞鳳』、重巡『熊野』、駆逐艦『嵐』『舞風』『雪風』『時津風』『天津風』『初風』『浜風』『照月』)。

 第11戦隊司令官阿部弘毅少将が指揮する機動部隊前衛部隊(戦艦『比叡』『霧島』、重巡『筑摩』『利根』『鈴谷』、軽巡『長良』、駆逐艦『谷風』『浦風』『磯風』『秋雲』『風雲』『巻雲』『夕雲』)。

 本隊の後方に補給部隊(駆逐艦『野分』、油槽船六隻)。

 第二艦隊司令長官近藤信竹中将が指揮する前進部隊(重巡『愛宕』『高雄』『妙高』『摩耶』、戦艦『金剛』『榛名』、第二水雷戦隊、第二航空戦隊・空母『隼鷹』)。


 以上の四つの集団に分かれて行動を開始していた。


 艦隊は陸軍の総攻撃に策応して、航空部隊による空襲で敵飛行場を攻撃。陸軍の進攻を掩護するというものだった。

 この時、前進部隊と共にトラック泊地を出撃した機動部隊は、ソロモン群島東方海域を南下、北上を繰り返していた。

 『雪風』は旗艦『翔鶴』の直衛艦として、その右前方を固め、その後方に『時津風』。そして『翔鶴』の左舷側に『初風』と『天津風』が。数マイル後方に『瑞鶴』。左数マイルに『瑞鳳』という警戒航行体勢をとっていた。


 「陽炎型の四姉妹に守られるのは心強い事だ。頼んだぞ」

 「お任せください、翔鶴殿。必ずお守り致します!」

 

 ソロモン海の風に美しい長髪を揺らした空母『翔鶴』の艦魂が、同性も惚れ惚れとするような笑顔で雪風たちを激励した。雪風たち四人の頬が、心なしか赤く染まっているように見えた。

 

 「今回の作戦は陸軍の総攻撃に策応したものとなっているけど、敵空母を見つけたら、私達は全力でそっちを叩きに行くからそのつもりでね!」

 「はい!」


 雪風たちよりずっと背の低い――それはもう幼女と言っても差し障りのない程に小さな少女が、ビシッと指を立てて雪風たちに気合を入れた。彼女は『翔鶴』の妹、二番艦『瑞鶴』の艦魂であった。


 「私達の本当の敵はやっぱり空母だからね。赤城さんたちの仇も討たないといけないし……」


 新たに機動部隊の主力として加わった空母『瑞鳳』の艦魂がうんうんと頷きながら述べる。髪型は短髪で、どこか男の子っぽい雰囲気を持っていた。


 「だが、そのためにはより正確な索敵が必要だ。敵の所在がわからぬまま前進すると手痛い目に合うのは、ミッドウェーの敗北で散々思い知らされたからな」

 「姉上の言う通りです。また同じ過ちを繰り返す事になれば、我々は再び、惜しい空母を失くしてしまうのですから」

 

 ミッドウェーの教訓を口にするのは、一人だけ異様な雰囲気を放つ少女だった。彼女は他の日本軍艦の艦魂と違い、欧米人のような顔立ちと金髪をしていた。彼女こそが英国生まれの戦艦『金剛』の艦魂であった。首元には日の丸を描いたマフラーを巻いていた。

 そして姉に返しつつ、チラリと翔鶴たちの方を一瞥しながら言うのは金剛型三番艦『榛名』の艦魂だった。榛名の視線と言葉を受け止めた瑞鶴が、ムッとした表情を浮かべる。


 「姉さんたちの仰る通りです。だからこそ、私達は全力で空母の方々をお守りしないと」


 榛名と瑞鶴の間を割って入るように、長い黒髪が美しい『霧島』の艦魂が口を開く。

 そしてそれに続いたのは次女の『比叡』の艦魂だ。


 「そうそう。私達の役目は敵艦を撃破するだけじゃなくて、空母の皆さんを守る事なんだから」


 一瞬だけ張り詰めた緊張は、この一連の流れによってすぐに緩和された。

 そうだ、と。翔鶴が最後に締めくくる。


 「我々の役目は想像以上に大きい。この戦いに勝利する事は、敵空母を討ち取って飛行場を奪還するだけではない、ミッドウェー以降崩れつつあるこの戦争の優位性を再び獲得する事にあるのだ。皆、それを肝に銘じて戦ってもらいたい」


 翔鶴の発言に、その場にいた艦魂たちが同意するように頷き合った。

 雪風も時津風、初風、天津風たちと顔を見合わせる。雪風が微笑むと、三人もまた笑って頷き合った。

 この姉妹たちと、そして仲間たちと共に戦える。雪風は何よりそれが嬉しかった。




 

 その後、機動部隊は前進部隊を切り離し、陸軍支援の用意を整えた。だが、陸軍から総攻撃延長の連絡があり、機動部隊は北上した。

 しかしそれ以降も延期が重なったため、敵の哨戒機に発見される事も恐れた機動部隊は、南下を取り止めて北上し、二十三日に決戦を行えるよう行動を開始した。

 この予定変更電を『翔鶴』自らが発信するのは危険と判断した南雲司令部は、駆逐艦『嵐』を東方に派遣し、二十六日まで北方に待機する旨を連合艦隊司令部に報告させた。

 しかしこれを知った連合艦隊司令部は、この第三艦隊の行動を優柔不断にして独断的措置だと激怒し、前進部隊は二航戦の『隼鷹』だけで、孤立の危険があるとし、南下決戦せよという返信を与える。

 連合艦隊司令部の命令を受けた南雲司令部は、こうして南下する決意を固めた。

 一方、陸軍はどうしていたかと言えば、延期の末に決定された二十四日夜、予定通りに総攻撃を開始。午後十時三十分、敵飛行場の占領に成功した旨の無電を打ってきた。


 だが、二十五日午前二時三十分、この無電が誤りであったとの報告が入る。


 そして午前五時、南雲司令部は「飛行場未占領」の電を知ると、機動部隊を反転北上させた。このまま南下をしていれば、飛行場と何処にいるのか知らない敵空母から挟み撃ちにされかねないからだ。

 やがて十月二十五日の午前中に、米軍のPBYカタリナ飛行艇が南雲機動部隊を発見。

 その情報はすぐさま、猛将ハルゼー率いる米機動部隊に向けて打電された。

 日本側も自分達の情報が敵に知られた事を察し、南雲司令部は南下を続行していた前衛艦隊にも北上を命令した。

 二十六日午前零時三十分過ぎ、断雲の間から覗いた月が、南下を始めた空母三隻を照らしていた。

 突如、月面を背にPBY飛行艇が降下。爆弾を投下した。

 爆弾が落ち、『瑞鶴』の右舷正横三百メートル付近に四本の水柱が昇った。

 甲板上で海水の雨を浴びて、水浸しになった瑞鶴が吠える。


 「もーっ! 帰るなら大人しく帰りなさいよッ! 嫌がらせかーッ!」


 至近弾を受けた『瑞鶴』の様子を、雪風たちはハラハラした面持ちで眺めていたのだった。





 この襲撃以降、南雲機動部隊は一斉回頭。敵から距離を取り、奇襲を逃れるため、再び北上を始めた。

 そして遂に日本側艦隊からも偵察機が次々と発艦。敵機動部隊を捜し求め、索敵機がソロモン海中の空を飛び続けた。

 そして『翔鶴』の索敵機が期待に違わない報告を寄越した。日の出直後の事であった。


 「敵大部隊見ユ。敵空母サラトガ型一、他十五隻。針路北西」


 索敵機が発信した位置は、機動部隊から百二十五度、二百十マイルの地点だった。航空攻撃には十分すぎる距離だった。

 南雲中将は、直ちに攻撃隊発進を命じた。


 「攻撃隊発艦用意、搭乗員整列!」


 空母『翔鶴』の飛行甲板上に搭乗員たちが整列し、九七式艦上攻撃機二十機、零機四機が稼働した。

 更に『瑞鶴』でも稼働した艦載機が並べられる。次々とプロペラが回り出し、轟音が唸り始めた。

 そして二隻の空母から艦載機が続々と甲板を蹴っていく中、それぞれの甲板上では翔鶴、瑞鶴が手を振って見送っていた。

 

 「いっけー! 絶対に、敵をやっつけるんだー!」


 瑞鶴は甲板上を駆け抜けていく艦載機の轟音に負けじと、水天の彼方に飛んでいく鳥たちに向かって大声を上げるのだった。


 「……頼んだぞ」


 翔鶴は冷静に、静かに、帽子を振りながら上空で編隊を組む艦載機たちを見送った。

 都倉と雪風も、その光景を『雪風』の艦橋から眺めていた。


 「(このまま上手くいってくれ。頼むから、ミッドウェーのようにやられないでくれよ……)」


 都倉は密かにそんな事を願っていたが、隣にいた雪風は悠然と『翔鶴』たちの方を見詰めていた。





 午前五時二十五分、『翔鶴』『瑞鶴』『瑞鳳』の三隻から第一次攻撃隊六十二機が出撃した。

 そして午前七時過ぎ、敵空母を攻撃した第一次攻撃隊から戦果報告が入った。

 十分ほど前、一隻の空母を囲む輪形陣艦隊を発見した攻撃隊が、雷爆同時攻撃に突入したと言う。『雪風』の艦橋で、都倉は後輩の通信士が読み上げる内容を聞いた。


 「本攻撃ニヨッテ敵空母ニ二百五十キロ爆弾六発以上、魚雷二本以上ヲ命中セシメタリ。ナオ艦攻一機ハ艦首正面ニ体当タリセリ。敵空母ハ右二十八度傾斜シ炎上中!」

 「おお!」

 「やったか!」

 

 その報告を聞いた誰もが歓喜した。この時の雷爆同時攻撃の実際の命中弾は、それぞれが爆弾五発、至近弾が二発、魚雷が二本で、米空母『ホーネット』が炎に包まれた。

 だが、第一次攻撃隊が戦果を報告する前、こちら側も敵の攻撃を受けたばかりだった。上空を警戒していた直掩機の網をすり抜けた米軍のSBDドーントレス爆撃機二機が奇襲を仕掛け、『翔鶴』の後方で第二次攻撃隊の発進準備を行っていた『瑞鳳』に爆弾が直撃した。

 この攻撃により、飛行甲板後部に直撃を受けた『瑞鳳』は小破した。被弾箇所が最後部であり、第二次攻撃隊を艦内に蓄えていなかったため、誘爆などというミッドウェーの悪夢の再来は回避できたが、代わりに艦載機の発着艦能力を失った。

 空母としての機能を失った『瑞鳳』は戦線を離脱する事となり、護衛に駆逐艦『舞風』と『初風』が随伴した。


 「それじゃあ、後の事はよろしくね。雪風」

 「はい。初風姉さん、どうかご無事で」


 雪風は傷ついた『瑞鳳』と共に戦場を去る初風を見送った。

 雪風は姉の分も戦おうと、新たな決意を胸に抱いた。


 『瑞鳳』が離脱後、『翔鶴』『瑞鶴』の第二次攻撃隊が出撃した。この攻撃隊は『翔鶴』から艦爆十九、零戦五機が発進し、30分遅れた『瑞鶴』から艦攻十六、零戦四機が発進した。他に触接の艦攻二機(『翔鶴』機一、『瑞鶴』機一機)が発進。母艦上空直掩に零戦を配備したため、機動部隊は攻撃隊に十分な数の護衛機をつけられなかった。

 午前八時十五分、第二次攻撃隊が米空母の第二集団を発見。その空母は『エンタープライズ』だった。

 この前、第二次攻撃隊は進撃中に炎上漂流中の『ホーネット』を発見していたが、未だ健常なもう一隻の米空母を攻撃するために素通りした。

 先に到着した翔鶴艦爆隊は無傷の『エンタープライズ』に攻撃を集中し、二発の直撃弾を与えた。艦隊に飛び込んできた戦果には、「翔鶴隊ガ空母一隻爆撃六発命中シ瑞鶴隊雷撃ト協同デ撃沈、駆逐艦一隻大破炎上、撃墜一機」とあった。

 『エンタープライズ』は炎上し、エレベーターが作動できなくなったが、航行や発着艦には影響がなかった。

 一方、一航戦の左前方五十マイルを進んでいた二航戦の『隼鷹』も第一次攻撃隊を発進させていた。午前七時十四分、敵艦隊まで二百マイルという距離だった。

 『隼鷹』の第一次攻撃隊もまた『エンタープライズ』を攻撃し、至近弾一発を与えた。更に戦艦『サウスダコタ』、防空巡洋艦『サン・ファン』に各命中弾一発をせしめ、『サン・ファン』に至っては一時的に操舵不能の状態まで追い込んだ。

 しかし米空母二隻も日本側の攻撃を受ける前に、攻撃隊を次々と発進させていた。実際に『瑞鳳』が戦線離脱を余儀なくされる程の損害を受け、更に残った『翔鶴』『瑞鶴』にも遂に牙が剥かれた。



 昭和十七年十月二十六日

 午前六時四十分


 『翔鶴』の電探レーダーが百三十五度、距離百四十五に敵機群を発見した。午前七時十八分にSBDドーントレス爆撃機十五機を確認する。


 「敵ドーントレス爆撃機、十五機! 突っ込んでくる!」


 見張り兵が叫ぶ。都倉は上空を仰いだ。

 直掩の零戦が、接近してくるドーントレス群に向かって飛んでいく。その数は同じ、十五機だった。


 「対空戦闘用意!」

 「総員、配置に就け!」


 敵機群の発見に、『雪風』の艦上も一瞬にして騒々しくなった。警報が鳴り響く中、各員がそれぞれの配置に走る。『雪風』の12.7cm主砲や機銃が回り出し、仰角を調整する。それらの光景を艦橋から見下ろしていた都倉は、いよいよだと気を引き締めて空を睨んだ。

 その隣で、雪風が都倉に視線を向ける。


 「中尉……」

 「久しぶりの実戦だ。頑張れ」


 都倉が励ますように雪風の頭を撫でた。雪風は照れ臭そうに目を瞑ったが、次に開いた瞳には闘志が燃え上がっていた。

 雪風は都倉に一つ頷くと、光に包まれて消えた。

 都倉が視線を艦首に向けると、空に仰角を上げる主砲の前に、巫女服を着た少女の後頭部が見えた。


 対空戦闘の準備を整えた『雪風』が、厚い雲に覆われた空に向かってその砲を構える――


 そして、積乱雲の狭間から次々と敵機が姿を見せるようになった。ゴゥン、ゴゥンと轟音を轟かせ、虻の群れのような黒い豆粒が徐々に形を浮き彫りにさせ、こちらに真っ直ぐ突っ込んでくる。

 直掩の零戦がこれを迎え撃ち、一機、また一機とその機体に火を噴かせた。撃墜された敵機が、黒い尾を引いて海面へと落ちていく。

 しかし敵機群は依然として接近を続け、一列横隊で並び立ち整然と降下してきた。


 「撃ちー方、始めッ!」


 砲術長の号令により、『雪風』の12.7cm主砲が火を噴いた。

 更に続いて、各機銃も射撃を始める。

 他の駆逐艦も射撃を開始し、辺りは騒然となった。

 勿論、『時津風』などの姉妹たちも撃ちまくる。猛烈な弾幕が、前進する敵機群の周囲に散らばった。

 空母を護衛する駆逐艦たちの猛撃を浴びた敵機群は、一機、二機と、白煙を噴かせた機体から反転して離れていく。日本軍機なら弾が当たってもそのまま体当たりするが、米軍機は無茶をしないようだった。それでも尚、弾幕を潜り抜けた十一機が『翔鶴』の上空に到達した。


 「――!」


 甲板の上に立っていた翔鶴は、ハッと頭上を仰いだ。

 キラリキラリと、翼を翻した敵機が、一目散に日の丸が描かれた『翔鶴』の飛行甲板に向かって突っ込んでくる。

 

 「させるかぁッ!」


 それを見た雪風が、両手を『翔鶴』の上空に向かって掲げた。同時に、『雪風』の12.7cm主砲がぐるりと旋回、『翔鶴』に急降下を始める敵機群に対し、火を噴いた。

 他の駆逐艦も続くように、『翔鶴』の上空に向かって砲や機銃を撃ちまくった。『翔鶴』も回避行動をとるため、大きく左に舵を切る。その艦橋で直接指揮を執っていたのは南雲長官自身であった。

 25mm機銃の赤や青の曳光を引いた弾が、無数の束になって敵機群に吸い込まれていく。だが、その束をすり抜けて、敵機群は急降下し高度二百まで肉薄した。遂にその機体から黒々とした爆弾が切り離すと、金属を掻き切るようなキューンという音を上空に残しながら引き起こし、南の空へと去っていった。

 投弾された爆弾が、ヒューンと音を響かせながら『翔鶴』へと吸い込まれていく。

 最初の三発は、南雲長官が声を枯らしながら操艦を命じたため、なんとか回避する事ができた。

 『翔鶴』の周囲に三本の水柱が立ち昇る。

 しかし四発目が遂に『翔鶴』の飛行甲板――中部発着甲板に命中。続いて三発が、高角砲、飛行甲板、格納庫に相次いで命中し、『翔鶴』は火炎と白煙に身を包まれた。


 「糞! やられたか!」


 菅間艦長の悔し気な声が響いた。都倉は思わず目を見張った。

 白煙に包まれる『翔鶴』の姿は、何とも痛々しい光景であった。

 『雪風』は主砲を発砲したが、戦果を挙げられなかった。


 「姉さん!」


 火の粉と白煙に包まれた世界に、瑞鶴が躊躇なく飛び込んだのはそこに愛する姉が居たからだった。

 白煙に身を呑まれつつありながら、傷だらけの体で立ち続けているのは、翔鶴だ。

 本体の艦が被弾し、その化身の姿も血に塗れ、痛々しい。口端から血を滴らせた翔鶴は、倒れるように瑞鶴を迎えた。


 「……瑞、か……く……。良かった、貴様は無事のようだな……」

 「姉さん。しっかりして!」


 瞳に涙を浮かばせながら、瑞鶴が倒れそうになる翔鶴を支えるように受け止める。

 小柄な体がしっかりと根を張るように、身を寄せる姉を抱き止めていた。

 『翔鶴』が被弾した一方、『瑞鶴』は無傷だった。スコールの下に入っていたため、敵機が襲ってこなかったのだ。

 しかし姉のその姿は、自分が被弾するより苦しいものだった。


 「ごめんね、姉さん。私がもっと……」

 「貴様が謝る事など……何も、ない……。これは私自身が招いた不運だ……」

 「姉さん、きっと仇はとるから。飛行隊も皆、私が収容する。だから心配しないで、ここから退避して」

 「……ああ、了解だ。瑞鶴、後は頼んだぞ」


 翔鶴は半ば気を失うように、瑞鶴に身を全て任せた。

 涙を拭い去った瑞鶴は、意を決したような表情で、寄りかかる姉をそっと放す。

 振り返った瑞鶴は、キッと空を睨んだ。


 「よくも、姉さんを。このお礼は、必ずしてやるんだから!」


 瑞鶴は遠くにいる敵に向かって、決意を露にした声を放った。






 瑞鶴の言葉を聞いた敵が、受けて立つと言わんばかりに、残った無傷の二隻の空母に向かって攻撃を開始した。

 これを守るのが、避退した『翔鶴』から護衛対象を『瑞鶴』に移した『雪風』だった。


 「右舷回頭、最大戦速」

 「ヨーソロー」


 菅間艦長の操艦に、航海士の都倉が応じる。舵を握り、その動き一つで『雪風』の艦首もまた動き出した。

 波を切り、海上を駆ける『雪風』は、砲や機銃を旋回させて敵機を狙う。

 砲術長が、咆哮した。


 「撃ちー方始めッ! 主砲発射!」


 『雪風』の12.7cm主砲が火を噴いた。『瑞鶴』に向かっていたドーントレス爆撃機の機体を掠めるように、虚空へと小さくなっていく赤い玉。その周囲を避けるように、他の爆撃機群がバラバラと通過していった。


 「翔鶴さんのようには、させない!」


 例の如く艦首に立っていた雪風が、水飛沫で髪が濡れるのも厭わず、敵機をジッと見据えていた。

 そして一機の敵飛行機が、『瑞鶴』の上空に差し迫るのが見えた。

 その瞬間だった。雪風は咄嗟に手のひらを掲げ、声を上げた。


 「――瑞鶴さんに、近付くなぁッ!」


 雪風の雄叫びを表したかのような、強烈な主砲の砲撃音が響き渡った。

 ドン、と音を残して、虚空に飛んでいった砲弾が、真っ直ぐに敵機へと吸い込まれていく。

 そして――雪風は、その視界に花火が咲くのをしかと見届けた。

 ――ズドォンッ!と、破裂するような音が周囲に木霊し、『雪風』の目の前でパラパラとその火の玉は無数に海面へと落ちていった。分列した翼端が、円を描きながら空を切り、『雪風』の右前方にボチャンと落ちた。

 『雪風』が、敵機を撃墜した瞬間だった――


 『瑞鶴』『隼鷹』に襲い掛かった敵機群は護衛部隊、直掩機によって悉く迎撃された。白煙を噴かせた『翔鶴』の避退が無事に済んだ後、『瑞鶴』『隼鷹』などの機動部隊は敵空母に向かって前進を続けた。


 その後、被弾した『瑞鳳』に続き『翔鶴』も避退すると、『瑞鶴』が『隼鷹』と共に避退した二隻の飛行隊を吸収。そしてその攻撃隊を以て、米空母に追い打ちを断行した。

 この彼女たちの活躍により、大破した『ホーネット』の曳航を断念させ、集中的に爆撃を敢行した。後に『ホーネット』は漂流している所を日本艦隊に発見され、駆逐艦の雷撃によって撃沈された。

 

 攻撃から帰ってきた艦載機たちが、空母『瑞鶴』と『隼鷹』に着艦を始める。元は『翔鶴』『瑞鳳』の攻撃隊であった彼らは、『瑞鶴』『隼鷹』に吸収された後、共に米空母を追撃した。そして見事、米空母を航行不能の状態にせしめ、悠々と帰還を果たしたのである。

 だが、彼らもボロボロであった。エンジンから火を吐かせた機が、危なっかしい挙動で着艦を試みたり、機銃掃射などを浴びて翼を穴だらけにした機がいたり、操縦すらままならない機は着艦に失敗して海面に落水したりした。


 「大丈夫か? しっかりしろ!」

 「こっちだ! 頑張れ!」


 落水した機を拾いに行ったのは、『翔鶴』の避退後は『瑞鶴』を護衛していた『雪風』であった。海面に浸かった機から、搭乗員を『雪風』の乗員たちが救い出す光景が幾度も見られた。


 「瀬戸内海でのトンボ釣りが、こんな所で役に立つとはな」


 搭乗員の救出を目の当たりにした都倉が、感慨深げにそんな事を呟いていた。

 雪風はその隣で、ただ微笑むだけだった。

 こうして『雪風』はトンボ釣りのために忙しく『瑞鶴』の周りを動き回っていた。



 この戦いで日本側は空母二隻(『翔鶴』『瑞鳳』)、巡洋艦一隻(『筑摩』)を損傷。損失艦は皆無であった。

 対して米側の損害は空母一隻(『ホーネット』)、駆逐艦一隻(『ポーター』)沈没。空母一隻(『エンタープライズ』)、巡洋艦一隻(『サン・ファン』)中破。戦艦一隻(『サウスダコタ』)、駆逐艦二隻(『スミス』『ヒューズ』)小破という内容だった。


 かくしてこの戦いにおいて、艦艇被害の数字上では日本側の勝利を示すものになったが、航空機や搭乗員の損失が激しく、更に陸上では陸軍の総攻撃並びに輸送作戦、航空支援は失敗に終わった。

 大本営は久方ぶりに軍艦マーチを鳴り響かせ、意気揚々と戦果を報じ、一方の米側はこの日、アメリカの海軍記念日だったので、米側のラジオは「最大の不幸な海軍記念日であった」と放送した。


 しかし日本側は海戦には勝利したものの、陸軍の総攻撃や支援が失敗したように、本来の目的は果たせず、戦術的には勝っても戦略的には敗北を喫していた。何よりこの影響で、日本側の機動部隊はガ島周辺の海域から撤退する事となり、米側はガ島への補給を行えるようになり、その防備は強固なものとなった。


 かくてこの戦い――南太平洋海戦は終わり、十月三十一日に『雪風』はトラック泊地に帰還した。


 『雪風』はこの戦いにおいて、敵機一機を撃墜するなどこれまでの戦功を評価され、連合艦隊司令長官から感状を授与された。

 戦闘後、第16駆逐隊や第17駆逐隊の姉妹艦は損傷艦の護衛任務に従事して内地へ帰投、トラック泊地に残る第16駆逐隊は『雪風』と『天津風』の二隻となった。

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