第二十七話 激化するソロモン海の戦い
昭和十七年七月三十日
ラバウル
台湾から南方を目指していた『雪風』は、途中で第8艦隊旗艦である重巡洋艦『鳥海』と合流。カビエンに移動する『鳥海』の護衛任務を第9駆逐隊(『朝雲』『峯雲』)と交替し、ラバウルへ到着した。
ラバウルに入港すると、艦上にいた高砂族の作業員たちがホッとしたような表情で陸地を眺めていた。
これで船酔いに苦しむ事も無くなるのだから、当然と言える反応であった。
高砂族の作業員たちは陸地までに至る湾内に、海面から生えた林を見つけた。それは陸地に近付くごとに、その数を増やしていく。
それが何であるのか、都倉にはわかっていた。海面から露出しているのは、このラバウルの海に沈んだ沈没船のマスト。日本軍によって沈められた連合軍の船の亡骸である事を。
多くの沈没船がそのマストを海面上に露出させ、まるで海面に林が生えているかのような様を表している。ここも戦場だったのだと、都倉は強く思い知った。
上空からプロペラ音が聞こえ、都倉は仰ぐように空を見た。真っ青な空に、編隊を組んだ零戦が陸に向かって飛んでいた。彼らは悠々と、飛行場へと降りていった。
零戦を目撃した高砂族の作業員たちが、ざわざわと騒ぎ始める。
その顔は、どれも晴れやかであった。
一月から二月にかけて行われた戦いにおいて、ラバウルは日本の占領下となった。この地をニューギニア方面における拠点にしようと画策した日本は、損害を受けたラバウルの飛行場を即座に修復を試みていた。
高砂族は、そのためにここへ運ばれた。
一日も早く飛行場を復旧し、ラバウルをこの地域における最大の基地に仕立て上げなければならない。
彼らの役目は、大きい。
『雪風』はラバウルの地上に降り立つ高砂族を見送った。
「いやぁ、それにしても驚きましたね」
艦から降りていく高砂族の列を眺めながら、雪風は呟いた。
「私が見える人に出会ったのは、これで三人目ですよ」
「そうだな」
都倉は雪風の言葉に「ん? 三人……?」と違和感を覚えたが、雪風が余りにも自然だったので追求はしなかった。
雪風が言っているのは、航海中に出会った日景という青年の事である。
彼は都倉と同じ人間。つまり艦魂が見える人間だった。
肩透かしのような流れで明かされた事実に、雪風はひどく驚いたものだった。
都倉も同様であったが、不思議とは思わなかった。
いずれ、こういう日が来る事も予見できた。
艦魂が見える人間が少ないと言っても、いないわけではないのだ。都倉以外の人間と雪風が出会う事は、雪風と出会った時から予想できた事だった。
「あ。日景さんです」
高砂族の列の中に、噂の青年がいた。日景は地上に降り立つと、二人がいる方に向かって手を振っていた。
雪風も手を振り返す。その時、隣で見た彼女の笑顔は久しぶりに見る明るいものだった。
「でも、すぐにお別れなんて。寂しいですね」
「ああ、そうだな」
「中尉とは何だか正反対のような方でしたし、彼とはもっとお話ししてみたかったです」
「それはどういう意味だ?」
都倉の質問に、雪風はベッと舌を出すだけだった。
都倉は仕方のない奴だ、と微笑する。
日景や高砂族と別れを告げた『雪風』は、次の目的地であるトラック泊地へと向かった。
トラックに向かっていた『雪風』と『時津風』に、ある情報が次々と舞い込んできた。
米軍のガタルカナル島上陸と、日米豪海軍の間で勃発した第一次ソロモン海戦の結果であった。
ミッドウェーで勝利を得た米軍は対日反攻作戦の第一段階として、ウォッチタワー作戦を発動させた。この内に含まれていた米豪連絡線確保の予備行動として日本軍への戦略的反攻拠点を構築しようとし、フロリダ諸島、そしてガタルカナル島に上陸を開始した。
昭和十七年八月七日。ミッドウェー海戦で艦首を大破させた重巡『最上』と工作艦『明石』を護衛し、無事に呉へ送り届けるため、『雪風』と『時津風』はトラック泊地を出航した。
米軍の上陸はこの二日前、八月五日に起こった。米軍はガタルカナル島に奇襲上陸を敢行すると、ほぼ完成していた飛行場を奪い取ってしまった。
この米軍の所業を卑劣だと憤った将兵たちだったが、その後に続いて起こった第一次ソロモン海戦の大勝を聞いて、今度は歓喜に沸いたものだった。
この海戦は、連合軍の動きを知った日本海軍の三川中将率いる第八艦隊が反撃の一環として八月八日の夜、戦闘海域に到達し、そこで連合軍艦隊と遭遇。第一次ソロモン海戦が勃発した。
結果は敵重巡四隻撃沈、一隻大破という事で、日本側の大勝だった。
この海戦の旗艦は、『雪風』と『時津風』が先に護送した『鳥海』であり、他に第6戦隊の『青葉』『衣笠』『加古』『古鷹』、そして第18戦隊の軽巡『天龍』『夕張』、駆逐艦『夕凪』が参加し、連合軍艦隊を得意の夜戦を以て手痛い損害を与えたのであった。
しかし日本側も『加古』を失い、三隻に被害が生じて数十名の死傷者が出た。
敵にとってはガタルカナル上陸の美酒であっただろうが、日本海軍がそれを一夜にして敗北の苦杯へと変えさせたのだ。
更に日本海軍のお家芸である夜戦が、連合軍の新兵器『レーダー』を上回ったと信じ、将兵たちの喜びは最上であった(実際には採用したばかりのレーダーを、まだ不慣れな連合軍側は有効活用できなかった)。
雪風も、負けていられない、と意気込んだものだった。
八月十一日から十二日にかけて、『雪風』は佐世保、呉に相次いで寄港し、『最上』と『明石』を無事に内地へと送り届けた。
「今回は世話になったわね。有難う!」
「明石さん、またどこかでお会いしましょう!」
ダバオで過ごした『明石』と別れ、『雪風』は再会を約束し呉を出た。
八月中旬以降、『雪風』は単艦で空母『飛鷹』の随伴任務に就き、瀬戸内海で彼女の発着艦訓練の補助を行った。
この頃の『雪風』はトンボ釣りの役目を任されていた。空母の後ろに離れて続き、艦載機が発着艦に失敗したら、直ちにそれを拾い上げるという仕事である。
又、艦載機の搭乗員はこのトンボ釣りを行う駆逐艦の上空で第四旋回を終わらせ、空母の艦尾に軸線を合わせて着艦するという手法を用いている。こういうやり方をすれば、上手く着艦できるとなっている。
それでも尚、たまに未熟な搭乗員が軸線からブレて、海にダイブしてしまう事もあり、『雪風』は飛び込んだ彼らを拾いに何度も近付くのだった。
『飛鷹』の訓練に随伴した日々をおくっている内に、激闘続くソロモン海では、第二次ソロモン海戦が始まっていた。
二回目のソロモン海戦では、機動部隊が主役であった。この時の機動部隊は主隊と支隊に分れ、ソロモン海にいた米機動部隊と戦闘を繰り広げた。
主隊は空母『翔鶴』の艦爆隊が米空母『エンタープライズ』を爆撃し、これを大破せしめた。しかし代わりに支隊にいた『龍譲』が『サラトガ』の攻撃を一手に引き受けた事で、ソロモン海の海底へと沈んだ。
この支隊には『時津風』『天津風』が加わり、更に主隊には『初風』も参加していた。
一方、第16駆逐隊の中で唯一、『雪風』だけはまたしても海戦の報を瀬戸内海で聞かなければならなかった。
我が軍が敵空母二隻を大破せしめ、海戦にまた勝利した。と言う報告が各部隊に傍受され、歓喜に沸き立つ中、『雪風』だけは他の艦と比べて浮かなかった。
都倉は彼女の心中を察していた。これまでも、同じ経験を雪風はこの戦争で何度も味わってきた。
今回もそうだ。同じ16駆に所属する姉妹艦たちはソロモンの最前線で戦っていると言うのに、自分はどこも悪い所はないのに――何故、いつまでも瀬戸内海でトンボ釣りなどをしているのか。着任したばかりの若い士官や下士官の中には、そんな不満を吐き出す者も少なからず居た。
「中尉、どうして本艦はいつまで経っても出撃できないのですか」
先月着任したばかりの少尉が、都倉に問いかけてきた。兵学校を出たばかりの、都倉の後輩に当たる通信士だった。悔しさを滲ませる彼に、都倉は冷静な調子で返した。
「そう焦るな。ソロモンの戦いは今後も激しくなる。いずれ、『雪風』もその只中に突っ込む事になるだろうさ」
そう言う都倉であったが、都倉自身も穏やかな気持ちでいられるわけではなかった。
第一次ソロモン海戦の大勝に続き、第二次ソロモン海戦では空母たちや、『時津風』たち姉妹が戦っている。都倉が想像する以上に、雪風の焦燥は大きいはずだ。
だが、彼女は耐え続けている。待ち続けている。だから、都倉も共に倣った。
そして、遂にその時は来た――
九月、『雪風』は新造の空母である大鷹型航空母艦二番艦『雲鷹』を護衛して横須賀を出港、トラックへと赴いた。そこで『雪風』は再び、第16駆逐隊の司令駆逐艦となり、次の作戦に向かう機動部隊主隊と合流を果たした。
十月二十二日、『雪風』は『天津風』と共に奇襲隊としてヌデニ島のグラシオサ湾に着いた。ここにいる米軍の飛行艇母艦を攻撃しようとしたが、奇襲を察知されたのか知らないが、敵艦はどこにもいなかったので、二隻は偵察に留めた。
移動に二日がかりで行われたこの奇襲任務は、来るべき決戦に備えて、相手の機動部隊の戦力(索敵能力)を出来る限り削いでおこうという発想から生まれたものだった。
この時既にソロモン方面では早くもガ島に対する補給戦が苛烈を増し、奇襲前日に起こったサボ島沖海戦ではガ島を砲撃しようと接近した『古鷹』が敵艦に沈められ、更に旗艦『青葉』に直撃弾(不発弾)が艦橋に命中して司令官以下幹部陣が戦死した。
連合艦隊司令部はソロモン方面の戦いに対応するため、第二艦隊司令長官の近藤信竹中将を指揮官とする支援部隊を編制した。
遂にソロモンの戦闘に参加する事となった『雪風』は第三艦隊司令長官南雲忠一中将が指揮する第三艦隊本隊に加わり、来る決戦に備えるのだった――




