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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十七年~十八年
22/64

第二十二話 初めての敗戦

歴史の転回点となるミッドウェー海戦です。


――6分の間に、状況は絶望的にまで一変してしまった。


 目の前には、黒煙と炎を噴き上げる空母が三隻。駐機していた艦載機が散乱し、それすらも覆うように巨大な黒煙が立ち込める。兵たちが消火作業と負傷者の救助に当たるが、勢いを増す炎は嘲笑うかのように踊る。正に阿鼻叫喚の様であった。唯一その光景を傍観する立場に置かれた空母『飛龍』の艦魂――飛龍は、愕然となりながらもその光景を見続けていた。


 「この数分の間に、我が機動部隊が……」


 六月五日の朝、空母機動部隊から発艦した偵察機が敵空母部隊を発見。この報せが全てを狂わした。

 敵空母を発見する前に、既に第一次攻撃隊がミッドウェー島を空襲。迎撃に上がった敵機を片付けたものの、飛行場は空であった。これにより戦果不十分と判断し、第二次攻撃の要を打診された。

 島を攻撃した第一次攻撃隊から「第二次攻撃の要あり」と打電された空母部隊は、待機していた第二次攻撃隊に爆装の転換作業を行わせた。周囲に敵空母はいないと判断し、第二次攻撃隊を島への空襲に向かわせる方針だった。

 

 しかし午前五時半ごろ、『利根』四号機から「敵兵力は巡洋艦五隻、駆逐艦五隻」という報告が入る。


 この時点では、敵空母が存在するか否か不明であった。

 しかしその十分後、敵艦隊発見の報告に「敵空母一隻」の追加が打電される。

 敵艦隊の発見の報により、攻撃隊は爆装の転換を一時中止。ここで時間の空白が生じてしまった。

 この間、空母部隊上空にはミッドウェー島から飛来した敵機群が襲ってきたが、これを直掩機が迎撃し、撃退した。

 その後、ミッドウェー島を空襲した第一次攻撃隊が帰還し、空母部隊は敵は未だ遠いと判断して収容作業を優先的に行った。これと並行して、敵空母を攻撃するために雷装への転換作業も行われた。


 収容終了十分前、敵機来襲。


 この敵機は、米空母から出撃した雷撃隊であった。

 直掩の零戦がこれを次々と迎撃、撃墜。空母部隊に襲い掛かった雷撃機はほとんど撃ち落とした。

 その光景を見守っていた空母『加賀』の艦魂も、その表情に疲れが見えていた。汗が流れ、頬に髪が付いている程だ。度重なる兵装の転換。敵機への迎撃。それらの状況から生まれる部隊の混乱。兵たちの疲労が、艦魂である彼女にも伝染していたのだった。

 男のように短く切り揃えた髪を掻き上げる。こういう時、頭が涼しいのは良い事だった。

 

 「全く、次から次へと。やはり敵空母は、私達が思っているより近い……?」

 

 髪を掻き上げ、空戦の模様が視界の端に映り込んだ時、加賀は背筋が寒くなるような違和感を覚えた。

 魚雷を放つために低空で接近する雷撃機を迎え撃つために、全ての直掩機が低い高度を飛んでいた。

 いや、低すぎる。

 おかげで全方位から湧いてくる雷撃機を、直掩機が迅速に対応できているが、加賀は『空白』に気付いてしまった。

 その空白に向かって、視線を上げる。

 視界に入るのは、太陽の光。

 そして――


 旭日の中央に、黒く浮かび上がる幾つものシルエット。


 加賀は、叫んだ。


 「――敵、急降下!」


 同じ頃、『加賀』の見張り兵が、悲鳴のような声を上げる。

 誰もが視線を上空に向けた時、太陽から急降下してきた敵爆撃機が、空母部隊に向かって爆弾を投下した。

 対空砲を撃ち上げるが、空中に切り離された爆弾は、吸い込まれるように空母部隊へと落ちていく。

 そしてその爆弾の雨は、次々と、火柱を生み出した。


 鼓膜に響き渡る爆発音と、それに続く火柱。三隻の空母に、次々と炎が噴き上がった。

 飛龍は、相次ぐ仲間たちの悲鳴を、聞いた。

 

 「艦爆が、まだ残っていたのか。いや、雷撃機が囮だったという事か……?」


 飛龍の目の前で、三隻の空母が次々と爆撃機の餌食となった。『加賀』に四発、『蒼龍』に三発、『赤城』に一発が命中。敵爆撃機は十四機、撃墜した。

 どの艦も甚大な被害であった。最も命中した爆弾の数が多かった『加賀』は、艦橋が破壊されて瓦礫の山が甲板上に出来上がっていた。艦長以下指揮官陣の戦死は確実だろう。そして艦の頭とも言うべき艦橋が破壊され、艦魂である彼女の姿は痛々しすぎて想像にすら耐え難い。

 しかし姉の『蒼龍』が最も深刻だった。命中から二十分にして総員退去が発令されている。第二次攻撃隊の艦爆に搭載されていた爆弾や、帰還した第一次攻撃隊の艦攻のために用意されていた多数の魚雷などが誘爆を起こし、発電機も停止したために消火ポンプが作動せず、炎の勢いが衰える様子を見せなかった。

 炎に包まれる姉の次に目を向けたのは、同じく巨大な炎に包まれている旗艦であった。

 一発の命中弾を浴びた『赤城』は、この一発の爆弾によって、兵装転換時に無造作に置かれた多数の爆弾、魚雷、艦載機に引火して誘爆を起こし、大火災を生じさせていた。更に舵も壊れ、艦は停止していた。

 『赤城』から退艦した南雲司令部は軽巡『長良』に移動。『赤城』から譲り受けた将旗を掲げた。


 「……まだだ。まだ、私がいる!」


 空母三隻の被害を見届けた『飛龍』は、敵に一矢報いるために攻撃隊を発艦。山口多聞少将は「我今ヨリ航空戦ノ指揮ヲトル」と、敵空母への全力攻撃を開始する事を宣言した。

 『飛龍』攻撃隊は米空母『ヨークタウン』を攻撃。これを『赤城』たちと同じようにその身を炎に包ませる事に成功した。『ヨークタウン』は航行不能となった。

 しかし『飛龍』も運が尽き、飛来した敵爆撃機の攻撃を受け、四発の爆弾を受け炎上。


 「……畜生」


 その身を血だらけにし、火傷でただれた皮膚を晒した飛龍は、一筋の涙を流しながら黒煙に包まれた。

 これら一連の状況は後方にいた各部隊にも打電され、伝えられた。

 空母全四隻が、炎に包まれた――と。




 

 昭和十七年六月五日

 午後十一時過ぎ


 最初、灯台の灯りと思わせた『赤城』から昇る炎は、煌々と夜闇の中から赤く輝いていた。

 命中直後から生じていた大火災はようやく収まりを見せているが、まだまだ残火が辺りを赤く照らす。後部甲板から血を噴き出すように、ポツポツと炎が上がっていた。

 更に悲惨なのが、炎を噴く『赤城』の周囲を、護衛に就いていた四隻の駆逐艦が漂っていた事だ。彼女たちからは、守り切れなかったという悲痛の思いが充満しているように感じる。雪風はそんな彼女たちを、悲しげな瞳で見詰めていた。

 そして、悲劇はまだ終わらない。


 ――空母四隻に対し、雷撃処分の命が下る。


 総員退去を終えた『赤城』『加賀』『蒼龍』、そして後から漂流していた所を発見された『飛龍』に対し、連合艦隊司令部は四隻の処分を命じた。

 『加賀』、『蒼龍』が味方駆逐艦の雷撃によって、沈没。

 そして『雪風』が去った後、『赤城』もまた味方駆逐艦の雷撃を受け、その身を海底へと沈ませた。

 彼女に止めを刺したのは、先程まで周囲を悲壮のままに漂っていた駆逐艦たちであった。

 そして翌七日、最後に『飛龍』もまた雷撃処分により、沈没。


 虎の子の機動部隊であった主力の空母四隻が、こうして一挙に失われたのだった――


 空母四隻が帰らぬものとなった頃、『雪風』など16駆は連合艦隊の主力部隊と合流すべく西へと向かっていた。

 既に山本司令長官がMI作戦中止の旨を全艦に打電。ミッドウェー島に向かっていた各艦隊は反転していた。

 同じく反転した『雪風』含む二水戦は攻略部隊と合同し、主力部隊の直衛に当たるも、六月九日に分離して船団の護衛に戻り、十三日にトラック島泊地に泊まった後、内地への帰路に着いた。

 

 「……こんな所で、曳航給油とは。情けないなぁ」

 「………………」


 泊地を出航後、燃料不足に陥った『雪風』は船団の内にいたタンカーから曳航給油を受けた。洋上でタンカーから給油する『雪風』の艦上で、ポツリと呟いた飛田と黙って頷いた渋谷のやり取りに、都倉は心に虚しさを感じた。

 都倉は傍にいた雪風を一瞥する。彼女はあの日――夜闇に映る『赤城』の火災を見てから、一言も喋らなかった。

 都倉もまた、雪風に話しかけようと言う真似をしようとは思わなかった。都倉もまた、炎に包まれる『赤城』や傷付いた艦たちを見て、心を傷ませていたのだった。

 初めて得た敗戦の感触。まるで冬が到来したかのように、心が寒く、傷んだ。

 

 この戦争は苦しいものになる、と。開戦前後から抱いていた自身の予想は、最悪の形で的中した。


 そしてその予想は、今後も続く事になるかもしれないのだ。

 都倉の予想は、遥かに越えて日本に訪れる事になるのは、この時まだ都倉には知る由も無かった。

 後にミッドウェー海戦と呼ばれる事になるこの戦いで、日本海軍は機動部隊主力の空母四隻を失い、これまで日本側の優位に進んでいた大局を覆す程になるまで、その影響を及ぼす事になる。

 対して米海軍は伊号潜水艦に止めを刺され撃沈された米空母一隻(『ヨークタウン』)、駆逐艦一隻を失い……結果は明らかに、日本側の敗北であった。

 敗戦の緒を引いたまま、 『雪風』は内地へと向かった――



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