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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十七年~十八年
19/64

第十九話 雪風陸戦隊

 スラバヤ沖での戦いを経た『雪風』は、マカッサル基地にて補給と休養を行った。

 マカッサルはインドネシア中部にあるセレベス島の南部にある町で、二月九日に海軍陸戦隊が占領し、現在は日本軍の拠点として機能していた。

 『雪風』はその町の港に入り、乗員たちは上陸して休養を行った。休養し、それを終えたら出港して訓練、戻ったら休養、という繰り返しを二週間続けている内に、ジャワ島やスマトラは日本軍の占領下に落ち着いていた。

 『雪風』も参戦したスラバヤ沖での海戦で、日本艦隊を相手に奮戦した米重巡『ヒューストン』と豪軽巡『パース』は三月一日に発生したバタビア沖海戦で二隻とも撃沈、残余艦は後方に逃走、連合国軍の東洋艦隊は東南アジアから一掃された。

 

 「次は何処に行くのでしょうね」


 マカッサルの町で買ってきたお土産のジュースを飲んでいた雪風が尋ねるように呟いた。ちゅう、とストローで吸い、甘すぎたのか唇を窄ませる雪風の様子を傍で見学していた都倉が、仲間たちとの会話で聞いた噂を伝える。


 「東南アジアの東洋艦隊を一掃した今、帝国海軍の次の標的は豪州だという噂だ。軍令部は第二段階作戦を立てて、フィジー、サモア、ニューカレドニアを占領して米豪分断を図り、豪州を先に屈服させようというつもりらしい」

 「豪州に行くんですか? 私、次はてっきりハワイの方に行くのかと思っていました」


 雪風の言っている事は、都倉にも理解できた。


 「再びハワイ方面に進攻して、ミッドウェー島を占領し米本土攻撃の一歩を踏み出そうって話だろう? 確かに、そういう方針が司令部に出ていたとしてもおかしな話じゃない」


 実際、都倉や雪風などの現場の兵は知らない事だが、連合艦隊はこの時既にハワイ攻略を構想し、そのためのミッドウェーへの進攻作戦を主張していた。だが、都倉が噂で聞いた通り、軍令部は米豪分断の方針を固めていた事で連合艦隊と対立していた。

 都倉は「俺達は上の命令に従うだけだ」と至極当然の結論を下す事で、この話を締めくくった。雪風も特に異論はないようで、それ以上追及するような真似はせず、ただ甘すぎたジュースに慣れてきた舌で味わう事に没頭するだけだった。






 昭和十七年三月二十九日

 ニューギニア マノクワリ


 マカッサル基地を出撃した第16駆逐隊は、ニューギニア西部方面攻略作戦――ル作戦のため、輸送船団と共にニューギニア西部のマノクワリに入った。

 この方面には豪蘭軍の残敵が居るだけで、抵抗もほとんど無く差して懸念する点はあまりなかったが、陸軍を上陸させようと輸送船団が近付くと、思わぬ敵が彼らを襲った。


 「ありゃ、船が東に流されていく」


 飛田の声に、都倉は輸送船団の方に視線を向けた。陸地に向かっていた輸送船団が、徐々に沖へと流されていくのが見渡せた。

 マノクワリ周辺は赤道直下に当たり、黒潮の影響で潮の流れが早かった。おかげで輸送船団は中々陸地に近付けられなかった。

 これでは陸軍の上陸部隊を上げる事が出来ないと判断し、代わりに『雪風』を含めた16駆の駆逐艦四隻が各一個小隊ずつ陸戦隊を編成し、マノクワリを占領する方針となった。

 都倉は『雪風』から編成される一個小隊に加わる事となり、陸戦の準備を行った。

 自室で黄褐色に近い陸専用の第三種軍装に着替え、拳銃や軍刀などの武器を持った都倉は、他の兵と共に短艇カッターへと向かう。

 短艇に乗り込もうとする都倉を、雪風が心配そうな瞳で見送っていた。


 「少尉、お気をつけて……」

 「そんな顔をするな。無事に戻ってくるさ」


 本当に何も心配していないような顔で、都倉は雪風に言ってみせた。

 その自信はどこから来るのやら。雪風は呆れて、思わず笑みを零した。

 雪風が笑ったのを見て、都倉も白い歯を見せた。


 「じゃあ、行ってくる」


 手を一度だけ振って、都倉は陸戦兵で敷き詰められた短艇に乗り込む。

 そして都倉が乗り込んだ短艇が、艦から海上へと降ろされる。遠ざかっていく都倉の姿を、雪風はずっと視線で追い続けていた。





 16駆の各駆逐艦から編成された陸戦隊が、マノクワリに上陸を果たした。

 都倉は『雪風』小隊を指揮する小隊長として、陸地に上がった。

 上陸までの移動に使用した短艇を桟橋に繋げて置き去りにし、兵たちに列を形成させて、桟橋から町の方へと向かった。

 マノクワリはオランダの地方政庁があった町で、建物は西洋風の石造建築がずらりと並んでいた。その光景は椰子の木とジャングルというイメージだったニューギニアの姿を抱いていた都倉の先入観を改めさせた。

 敵の弾が飛んでくる事を警戒しながら進んだが、銃弾どころか敵の姿さえ見られなかった。

 陸戦隊が上陸する前、水上機母艦『千歳』の水偵が銃撃してくれたので、町にいた豪蘭軍の兵士たちは山中へと逃げてしまったらしい。

 おかげで助かったと、都倉は安堵しつつマノクワリの占領を見届けた。



 無事にマノクワリ中心部を占領した後、都倉は食堂を開いている現地の飲食店へと入った。

 店内には既に他の陸戦隊が入り浸っており、現地民よりも日本兵の客が多く、真に賑やかであった。

 色黒の肌をしたメラネシア人のボーイに席を案内され、都倉は部下たちと共に席へと着いた。


 「皆、不慣れな陸戦にも関わらずご苦労だったな。と言っても、敵と撃ち合う事は無かったのだが」


 都倉の労いに、部下たちの顔が笑顔になる。普段は艦隊勤務に勤しむ彼らにとって初めての陸戦は、都倉を含め全員が緊張したものであったが、こうして何事も無く任務を終えられた幸運に感謝していた。


 「ここは俺の奢りだ。飲んでくれ」


 都倉はボーイを呼んで話を聞くと、期待していなかったビールが品にあったので注文する。オランダ軍が残していったものらしい。有難く頂戴する事にするが、オランダのビールはお世辞にも美味いものではなかった。

 だが、無事に任務を達成し戦友たちで飲む酒は極上である事に変わりはなかった。ぬるいビールを、都倉はぺろりと飲み干してしまった。


 「都倉生徒……?」


 部下たちとビールを飲んでいると、都倉は声を掛けられ、視線を向けた。

 そこには防暑服を着た日本兵が立っていた。同じ海軍であった。

 そしてその人物に、都倉は思い当たりがあった。


 「もしかして、進藤か……?」

 「ご無沙汰しております、都倉生徒!」

 「久しぶりだなぁ、進藤!」


 懐かしくて思わず席を立ってしまった都倉は、部下たちの視線も顧みず、進藤と呼んだ男と手を握り合った。


 「海兵の卒業式以来か。貴様も遂に、戦場に来たんだな」

 「はい。都倉生徒や先輩方とご一緒に戦うため、遥々追いかけて参りました」

 「そうかそうか。だが、生徒はよしてくれ。俺は少尉だが、貴様より先任だぞ?」

 「は! 失礼致しました、都倉少尉!」


 ビシッと敬礼を掲げた進藤は、相変わらずであった。

 部下たちも相手が少尉だと知り、一斉に立ち上がる。

 都倉の部下たちとも敬礼を交わし、進藤は自己紹介を口にした。


 「自分は進藤一少尉と申します。都倉少尉には江田島で大変お世話になりました」


 まだ初々しい雰囲気を残した進藤は、都倉の海兵時代の後輩だった。彼は六十九期生であり、少尉に任官したのもつい最近の事だった。


 「今は『千歳』に乗っております」

 「そうだったのか。貴様の艦の零式水偵のおかげで、この町は無血占領だ」

 「少尉、実は『千歳』には小野大尉もおられます。大尉は水偵のパイロットです」

 「それじゃあ、まさか小野大尉が?」

 「はい。今回の作戦においても、『千歳』より堂々と飛び立たれました」


 小野は六十六期生。二人の先輩であった。小野は水上機母艦『千歳』の偵察機を操る搭乗員パイロットであり、今回のル作戦においても母艦から出撃した。


 「そうか。小野大尉は?」

 「大尉は艦におられます。おそらく、今頃は愛機の整備でもされているかと」

 「相変わらずだな、小野大尉も。自分でしなくても良い事までしたがる癖は」

 「大尉からも、都倉少尉の話は聞いておりますよ」

 「やめてくれよ」


 かつての後輩と会話を咲かせる都倉の顔は、部下たちが見た事のない表情をしていた。

 ふと、進藤が懐にそっと入り込むように話題を変えた。


 「……あの、少尉。前田生徒や、砂川生徒、中川生徒の事を覚えていらっしゃいますか」

 「当たり前だ。死んでも忘れるものか」


 前者は同期、後者は先輩であった。砂川と中川は六十七期で、一期先輩だった。前田はいくら訓練で鍛えても小太りの体型は変わらず、冗談が上手い面白い奴だった。砂川は先輩として都倉たちの班長に当たり、直接指導してくれた。鉄拳を何度もらったのかわからない。中川の拳もまた痛かったが、何事も丁寧に教えてくれる先輩だった。


 「実は、前田生徒……前田少尉、砂川中尉、中川中尉はお先に戦死されました。前田少尉はバリ島沖で、駆逐艦『満潮』にて……、砂川中尉はフィリピンで戦闘機を撃墜され、中川中尉はウェーク島で沈没した『如月』に乗っておられました」

 「……そうだったのか」


 都倉は初めて、同期と先輩の戦死を知った。

 初めて聞いた顔見知りたちの訃報に、都倉は心にぽっかりと穴が開いたような感覚を覚えた。それは初めて感じる感覚だった。

 戦争で死ぬ事は互いに覚悟していたつもりだったが、やはり仲間の死は悲しいものだった。

 江田島での思い出を振り返ると、彼らの死に都倉の心は傷んだ。何も知らなかった若輩者を根元から叩き直してくれた先輩たち。海軍軍人になれるよう厳しく鍛えてくれた先輩たちは、卒業間際、次は戦場で会おうと言ってくれた。その指導に数えきれない苦痛を感じても、憎んだ事は無く、先輩たちが江田島を去る時は涙を流したものだった。

 そして同期たちもまた大事な時を過ごした。一緒に肩を並べ、先輩に殴られた事が何度もあった。そして共に机を並べた身として、その死はやはり悲しみに尽きる。


 「(江田島に入った時から、この身は御国に捧げたつもりだった。だが、同期たちが先に逝くのを見ると、次は自分かもしれないという思いが過る……)」


 今まで様々な作戦に従事し、敵機や敵艦と交戦した事はあっても、さしたる被害はなかった。だが――


 「………………」


 明日は我が身、か。

 都倉は進藤の肩を優しく叩いた。


 「有難う。伝えてくれて」

 「いえ……、当然の事をしたまでです」

 「進藤、俺達も前田や先輩方に負けないよう頑張ろう」

 「はい、都倉少尉」


 その後、進藤も交えての飲み会は再開された。

 都倉はそこで、昔を知る者との一時を目一杯楽しんだ。

 マノクワリ占領後、ル作戦は無事に終了。第16駆逐隊は四月中旬、東部にあるアンボンに移動した。そこで補給を行うと、四月二十三日に同地を出航して内地に向かった。

 そして四月三十日、『雪風』は母港の呉へと帰投した。


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