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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十七年~十八年
17/64

第十七話 捕虜

 二十八日の零時過ぎに発生した第二次夜戦を完封勝利し、早朝には四水戦に護衛された輸送船団が上陸予定泊地に到達。三月一日に上陸が始まり、ジャワ島攻略の第一歩を踏み出した日の事。

 この日、泊地周辺の海域を哨戒中であった第5戦隊が敵艦隊と遭遇。新たに合流した『足柄』などの主隊と合同で攻撃し、敵駆逐艦二隻(『エクゼター』『エンカウンター』)を沈めた。

 その海戦の間、『雪風』などの二水戦は先の夜戦で逃走した米駆逐艦四隻を別海域で追跡中だったので、この海戦には参加できなかった。

 しかしその代わり、『雪風』は不思議なものと遭遇を果たした。




 昭和十七年二月二十八日

 クラガン泊地 東方海域


 深夜は戦場となっていた海域を哨戒していた『雪風』は、今まで見た事のない漂流物を見つけた。


 「前方、漂流物多数!」


 見張り兵の声に、都倉は海上へと視線を向けた。そして目を丸くした。

 驚いたのは飛田や渋谷、他の乗員たちも同じだった。


 「艦長、漂流物は敵兵のようです」


 緊張した面持ちの見張り兵が、飛田に報告する。

 飛田は、うん、と頷くだけだった。その視線はジッと、目の前を漂流する多くの敵兵を見詰めている。

 都倉は双眼鏡を抱え、漂流している敵兵の姿を観察する。残骸や漂流物に掴まった敵兵たちが、疲れた表情でこちらを見ている。どの兵も顔は重油で真っ黒で、数少ない救命ボートには怪我人なども確認できた。

 おそらく漂流する敵兵は先の海戦で沈んだ艦の乗員だろう。『雪風』は5戦隊が魚雷で撃沈した旗艦『デ・ロイテル』などの火柱を目撃していた。


 「艦長、如何されますか?」


 都倉の問いに、飛田は答えた。


 「救助だ。あいつらを拾い上げるぞ」


 飛田の判断に、『雪風』はすぐに動き出した。

 漂流する敵兵たちに接近する『雪風』。都倉は艦橋から外に出て、肉眼で敵兵たちを眺めた。皆、不安そうな眼差しで『雪風』を見ている。それはそうだ、無防備に漂流している所を敵に見つかったのだから。

 重油に汚れた彼らの目は、朝の陽にあてられた旭日旗を眩しそうに見詰めていた。


 「……沢山いますね」


 いつの間にか都倉の隣にいた雪風が、一緒に漂流する敵兵を眺めながら呟く。


 「ああ。ざっと四十人、って所だろう」


 見た所、敵兵の人種はイギリス人、オランダ人、インドネシア人と様々だった。乗員たちは飛田の命令により、漂流する連合軍兵四十余名を救助した。

 連合軍兵士たちは重油に汚れた体を乗員たちの手によって綺麗に拭かれ、水や食糧を支給された。

 長時間海上を漂流していたため、喉が渇いていた連合軍兵士たちは、喜んで水を飲んだ。

 そんな様子を微笑ましそうに見詰める雪風のそばにいた都倉は、背後から飛田に声を掛けられた。


 「航海士、ちょっと良いか?」


 都倉はアイコンタクトで雪風に告げると、飛田の方に呼ばれていった。


 「何でしょうか、艦長」

 「貴様に捕虜の尋問を頼みたい」


 都倉は驚いた。自分がですか?と訊ねる都倉に、飛田は明確に頷いた。


 「貴様は海軍兵学校では英語の成績が良かったそうじゃないか」


 誰から聞いたのか気になる部分だが、都倉は実際に事実であったので肯定を返す他なかった。


 「そんな貴様に、捕虜から情報を引き出してもらいたい」


 尋問して敵艦隊の情報を聞き出す。英語が話せる他の兵にも既に要請したらしい。これも立派な任務だと、都倉は了承した。


 「頼んだぞ」


 微笑みを浮かべ、都倉の肩をバンバンと叩くと、飛田は艦橋へと戻っていった。


 「少尉、尋問するんですか?」

 「みたいだな」


 他人事のように返す都倉だったが、雪風も冷たい事を言い出す。


 「少尉、敵だからと言ってあまり酷い事はしないでくださいね? 少尉は意地悪ですから」


 都倉は乾いた笑みを浮かべるだけだった。



 都倉が担当するのは、イギリス軍の中で一番階級の高い将校だった。先の海戦で沈没した駆逐艦『エレクトラ』の乗員だと聞いた。

 海軍兵学校時代、英語の成績はトップを誇っていた都倉だったが、実際に外国人と話した事はこれが初めてであった。

 下士官兵が見張る個室にて、椅子に座った彼と向かい合った都倉は、微かに緊張した調子で口を開いた。


 「Hello.What's your name?」


 まずは基本の挨拶言葉で話しかけてみる。

 すると、捕虜は自分の名前と階級を返した。通じた、という感覚を掴み、都倉は内心喜んでいた。

 捕虜はマイク・ベッカム大尉と名乗った。『エレクトラ』の航海長を務めていたと言う。


 「俺も航海士だ。そうだな、とりあえずこいつをやろう」


 自分の英語が通じた事、同じ畑の出身である事に嬉しくなってしまった都倉は、戦闘配食の握り飯を渡した。

 水を飲んで乾きを癒やしたベッカムは、今度は腹を空かせていた。都倉から進呈された握り飯を、ガツガツと頬張った。

 握り飯をぺろりと平らげた後、今度はベッカムの方から口を開いた。


 「煙草を一本くれないか」


 それを聞いた都倉は躊躇なく、懐から取り出した自分の煙草を一本差し出した。それを受け取り、ベッカムは煙草を咥えた。

 頃合いだと見計らい、都倉は尋問を開始する。


 「さて、俺はこれから君に聞きたい事が山ほどある。知っている限りの事を教えてほしい」


 都倉がそう切り出すと、ベッカムの目が変わった。

 そして同時に彼の口が固く閉ざされた事も、都倉は思い知らされた。

 どんなに聞き出そうとしても、ベッカムは絶対に口を割らなかった。艦隊の編制、行動など、軍事的な情報は一切教えてくれない。

 イギリス人にはジョンブル魂がある、という話を思い出し、都倉はさすがだなと思った。

 数時間に及ぶ尋問の末、さすがに疲れを感じ始めた頃、都倉の目の前でベッカムが驚くべき事を言い出した。


 「いくら聞いても、私は君の質問に答える事はない。何故なら我々は捕虜である以上、ジュネーブ条約によって軍事的な情報を教える義務は無く、人道的な扱いを受ける権利があるからだ」


 それを聞いた都倉は、「ジュネーブ条約?聞いた事があるようなないような……」などと口に出しそうになったがどうにか寸での所で堪える事が出来た。

 東條首相が出した戦陣訓は帝国海軍に公布されていなかったが、都倉たち海軍軍人にも、捕虜になる事は死ぬ事よりも恥ずかしいものであるという常識が根付いていたので、捕虜の身分を定めた国際条約の存在は関心の低いものだった。

 国際的に日本はこの時、ジュネーブ条約を批准していなかった。開戦直後、連合国から条約の相互適用を求められたが、陸海軍の反対に遭い調印のみに留めていた。

 日本側の回答は「準用する」であったが、連合国側はこの返答を「適用と同等」と解釈したため、連合軍兵士たちは日本も条約の批准国であると思い込んでいたのだ。

 そもそも大和魂がある帝国軍人は、虜囚りょしゅうはずかしめを受ける前に自決するのが常識であり、都倉も海軍兵学校で特にそう教育をされたわけではないが、このタブーは自然的に帝国軍人の根本に存在した。

 黙り込んだ都倉に、ベッカムが怪訝な色を浮かべた。


 「我が国はナチスドイツと一年半も前から戦っているが、戦争中であっても捕虜交換によって、捕虜は家族のもとに帰る事が出来る。だから君達の捕虜になった我々も、日本軍は我々をイギリスへ帰してくれるのだろう?」

 「………………」


 都倉はその問いに明確な答えを返す事は出来なかった。

 何故ならそのような約束は現実的に出来ないからだ。英独ではそれが普通なのかもしれないが、日本は異なる可能性の方がずっと高い。

 それに捕虜交換の話は、常に郷党のために戦う帝国軍人として信じ難いものだった。

 ベッカムは軍事的な情報は一切教えなかったが、故郷の話を都倉に聞かせた。ロンドンの大学を出た後、西イングランドのダートマスにある海軍兵学校に入り、軍人になったと言う話。同じ海兵出身で、捕虜になっても平然と身柄の保障を要求する様に、都倉は日英の相違を目の当たりにし驚いた。


 「(俺なら全く考えられないな……)」


 都倉に限らず、帝国軍人なら皆そうだろう。捕虜になるくらいなら、死を選ぶものだ。

 もし無様に敵の捕虜に下れば、自分だけではなく家族にまで糾弾の矛先が向かれるだろう。捕虜になる事は不名誉な意味もあるが、それ以上に自分だけの問題では済まされないのだ。

 例え自分が捕虜になるよりも死を選んだとしても、家族は喜んでくれるだろう。立派に戦ってくれたと母は誉めてくれるだろう。

 ……あいつも、きっとわかってくれる。

 だが――彼女は?

 そんな思いが、ふと都倉の頭に過った。

 何を馬鹿な、と。すぐにその想像を下らないと一蹴した。

 むしろ彼女こそ真の理解者だろう。同じ軍人として、軍艦の魂である彼女が、帝国軍人としての心を否定するわけがない。

 だが、もし自分が死んだら――彼女はどういう顔をするだろうか。

 彼女なら――と思考を巡らせた所で、自分が一番見たくない彼女の表情が浮かんだ。

 その想像を振り払い、内心で自分を罵る。

 都倉が自分に置き換えて考えていた時、ベッカムは続けてこんな事を言い出した。


 「故郷に帰ったら、俺は英雄としてもてなされるだろうな」

 「何?」


 都倉は彼が言っている事が、理解できなかった。


 「俺はドイツ野郎の『ビスマルク』を沈めた時も、そしてこの戦いにおいても日本軍に手痛い損害を与え、数々の手柄を立てた。『プリンス・オブ・ウェールズ』が沈んだ時は悔しい思いをしたが、あの時も俺は精一杯戦った。だから祖国に帰った俺に待っているのは、名誉の勲章と英雄としての称賛に違いない」


 自信に満ちた表情で語るベッカムに、都倉は違和感を覚えた。


 「……今、君は我が軍に手痛い損害を与えたと言ったが?」

 「そうだろう? 何故なら、我々は巡洋艦を一、二隻は沈めた」


 都倉は思った。一体何の話をしているのだ、と。


 「……悪いが、君の話は理解し難い」

 「現実から目を逸らすのはどうかと思うぞ」

 「いや、恐らく君が認識している現実と、こちら側の現実はどうも相違があるようだ」


 怪訝に目を細めるベッカムに、都倉は事実として艦隊の被害情報を説明してやった。


 「我が日本艦隊に、沈んだ艦は一隻もいない。しかも被弾し、破損した艦すら存在していない」

 「ファック! そんな馬鹿な!」


 ひどく驚いた様子を晒すベッカムだったが、都倉も内心驚いていた。こちらが確認している戦果と、敵側が認識している情報が余りに異なっている事に。


 「寧ろ我が艦隊は君の艦隊に対し大きな戦果を挙げている。君の艦隊では、巡洋艦が二隻沈み、一隻が大破、駆逐艦二隻が沈んでいる。さっきまで君達が海上に浮かんでいたのが、何よりの証拠だ」

 「そんな……。しかし……」


 都倉の口から真実を聞かされたベッカムは、力なく椅子の背もたれに沈みこんだ。

 海戦中、ABDA艦隊は、士気の高揚を目的に事実より過大な戦果を各艦の間に周知させていた。

 実は日本側も戦果を過大に報告していたので、何も一方に限った話というわけではなかったが。

 その後も尋問は続けられたが、結局、ベッカムは何も喋らなかった。

 ベッカムを収容用の個室に帰した都倉は、飛田のもとに報告に行った。


 「どうしても口を割らないか。大したもんだ」

 「申し訳ありません、艦長。しかし奴は相当しぶといです」


 あの時都倉から真実を告げられても、ベッカムは落ち込む気配は見せたものの、尚も口を割ろうとはしなかった。


 「次の尋問では、必ず奴の口を割らせます」

 「いや、その必要は無い」

 「は?」


 飛田はフッと、笑みを零した。


 「実は貴様がイギリス人を尋問している間、別の部屋でオランダの下士官も尋問していたんだ。ソイツが全部、洗いざらい話してくれたよ」

 「そ、そうでしたか……」

 「イギリス人は口は堅いが、オランダ人はそうでもなかったのが助かった」


 飛田が笑い、都倉もつられるように笑う。しかしその笑みは引き攣っていた。

 結局、国際交流を呑気にやっていただけに終わってしまった結果に、都倉は力が抜けるのを感じた。



 その後、『雪風』は救助した連合軍兵士たちを乗せたまま、哨戒任務を続ける傍ら他の漂流者もいないか捜索した。

 見張りが海上に漂っている人間を捜しやすいよう、速度を落とした『雪風』の周囲に、沈んだ艦の残骸や砲弾の薬莢が流れてきた。

 口径から見て、都倉はそれぞれの薬莢がどの艦のものか推理していた。あれがデ・ロイテル、あれがエンカウンター……と、正解を言う者がいない中、都倉は漂う薬莢の持ち主を想像する。

 その中に紛れて、ぷかぷかと浮かぶ黒ずんだ物体や、赤黒いものが視界に映った。それらの光景を見た瞬間、都倉の思考は一瞬空になった。


 「………………」


 水漬く敵兵の屍を、都倉はゆるりと眺める。うつ伏せになり、血だらけの背中を浮かばせた遺体や、千切れた腕などが浮いている。

 都倉はふと、近くにいた気配に気付いた。そこには、雪風がいた。

 雪風は都倉と同じように、自分の周囲に漂う遺体を見詰めていた。そしてその両手を合掌し、黙祷を捧げた。

 初めて彼女の恰好が様になっている、と都倉は呑気な感想を浮かべていた。

 雪風は悲しそうな瞳で、ずっと、自分の周囲に流れ、そして遠くへと去っていく多くの遺体を、合掌しながら見送った。


 「(敵も仏様だもんな)」


 都倉は彼女に続くように、両手を合した。



 その後、『雪風』は燃料を補給するためにボルネオのパンジェルマシンに入港した。

 そこで捕虜を日本管轄下の病院船に引き渡し、都倉はベッカムと別れを告げた。


 「元気でな、ベッカム。餞別に煙草を一箱やろう」

 「サンキュー、トクラ。これは最高だ」


 煙草を受け取ったベッカムは、嬉々と都倉の手を握った。


 「戦争が終わったら、故郷に遊びに来い。ロンドンを案内してやるよ」

 「いや、ロンドンには砲撃に行く。その時に会おう」

 「よせよ、トクラ」


 別れ際に談笑し、ベッカムと手を握り合う都倉。

 その後ろで、雪風は微笑んだ。


 「じゃあな、トクラ。死ぬなよ」

 「君もな、ベッカム」


 ベッカムはニッと笑い、手を放した。そしてその視線が、都倉の肩越しからその後ろに向けられる。


 「……?」


 雪風は、不思議な視線を感じて、首を傾げた。

 彼が、自分を見ているような気がした。


 「Thank you」


 雪風の驚いた表情をお土産に持ったかのように、ベッカムは満足げに病院船へと乗り込んでいった。

 都倉は自分の後ろで固まっていた雪風を見て、怪訝に問いかけた。


 「どうした?」


 目を丸くしたまま、雪風はゆっくりと都倉の方に顔を向けた。


 「……いえ、何でも」


 どう見ても何でも無さそうな雪風の様子に、都倉が不思議そうに見る中、出航を告げる病院船の汽笛が鳴った。


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