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駆逐艦『雪風』 ~小さき不沈艦~  作者: 伊東椋
昭和十四年~十六年
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第十二話 大切な一時

 先の戦闘によって傷を負った『雪風』だったが、重油タンクの損傷が予想以上に大きく、現場の手だけでは力不足だった。かと言って、近くにドックはないし工作艦もいない。どうしたものかと困り果てた乗員たちが悩んでいた所、飛田艦長がある命令を下した。


 「総員、左に寄れ。穴を塞いで、このまま出航するぞ」

 「どうやって穴を?」

 「穴は右舷側だ。二千トンの駆逐艦なら、全員が左に寄れば簡単に傾く。水面から出てきた右舷側に木栓を打ち込む」


 この飛田艦長の提案はすぐに実行された。六門の12.7cm砲が一斉に左へと旋回し、重量物が左舷側に集中的に置かれ、乗員たちも全員左側に寄った。すると艦長の言う通り、『雪風』は左舷側に傾いた。戦艦では絶対に出来ない芸当だ。水面上に露出した右舷には六つの穴が開いており、そこから重油が滲んでいた。

 乗員たちは早速、ロープで舷側に吊り下り、先端が尖った木栓をハンマーで打ち込んで穴を塞いだ。おかげで重油はすっかり漏れなくなった。


 「出航用意! 各員、配置に就け!」


 応急処置を済ませた『雪風』は、先に出航する『時津風』の後に続くように、ラモン湾の出口を目指した。

 水平に戻った『雪風』が白い航跡を刻む。その海面に黒い尾が滲む事は二度となかった。

 都倉は、雪風の嬉しそうな笑顔を見た。





 ラモン湾を出た『雪風』は、パラオに帰投する他の艦とは別れて南下し、ミンダナオ島のダバオに向かった。

 ダバオは一週間前の二十日、陸軍が第五急襲隊の掩護を受けて攻略を終えた所だった。第五急襲隊には、『初風』と『天津風』も参加していた。

 更にダバオには工作艦『明石』が居たので、『雪風』は『明石』の修理を受ける事となった。

 二日後の二十七日にダバオに入港した『雪風』は、重油タンクの修理を受けるために工作艦『明石』へと横付けした。

 雪風は都倉と共に、傷を治してくれる彼女と顔を合わせた。


 「こんにちは、私は明石。これからよろしくね」


 くすんだ緑色の防暑服の上に白衣という、不釣り合いな恰好をした少女はその名の通り、工作艦『明石』の艦魂だった。ゴムで頭髪を上に持ち上げるように結い、雪風たちと比べると化粧っ気がなく、どこはかとなく男らしかった。


 「はい! よろしくお願いします、明石殿!」

 「堅苦しいのはよしてよ。私の事は明石で良いわ」

 「い、いえ……。修理をお願いする立場ですし、そういうわけには」


 雪風が恐縮するのは、彼女が日本海軍随一の優れた工作艦である所以だった。彼女がいなければ、前線の艦艇は安心して傷を負う事すらできない。

 現在帝国海軍が保有する工作艦の数は少なく、彼女たちの存在は希少と同時に重要だ。開戦直後から彼女たちは前線各地に回り、傷を負った艦の修理を行っている。

 特にこの『明石』は工作艦として専従的に設計されたため、その設備は海軍工廠ですら凌ぐと言っても過言ではなかった。艦内に17ある工場設備と、世界最高の水準を誇るドイツ製の最新工作機械を有し、あらゆる修理工事が可能であった。

 彼女の存在は、ある意味大きいのだ。


 「ではせめて、明石さんとお呼びさせて頂きます……」

 「うん、よろしくね。雪風」


 折れた雪風に、都倉は同情の笑みを授けるしかない。


 「えーっと、燃料タンクの修理と聞いたけど……。うん、この程度なら酸素溶接で十分ね。すぐに全ての穴を塞いであげるわ」

 「よろしくお願いします」


 雪風は安堵するような表情を浮かべる。


 「……ところでー。そちらの方なんだけど」


 明石は面白そうな表情で、チラリと都倉の方を見た。雪風は明石が都倉に興味を持った事を知り、慌てて紹介する。


 「こ、この人は『雪風()』の乗員であります、都倉少尉です」


 雪風の紹介を介して、都倉は明石に挨拶する。


 「初めまして、都倉少尉だ。『雪風』の航海士を務めている」


 敬礼する都倉に、明石はふんふんと頷く。


 「よろしく。へぇ、艦魂が見える人に会ったのは久しぶりだわ」


 工作艦として色々な艦の修理を請け負う明石は、それだけの数の人間にも出会ってきていた。他の艦に乗っていた人間の話をする明石に、雪風は興味を示した。


 「そう言えば、私はまだ都倉少尉としか出会った事がありません」


 生まれてこの方、艦魂(自分達)が見える人間は都倉以外出会った事がない雪風。今まで同じ部隊にいた艦魂たちからも、都倉以外の人間の情報は聞いた事がなかった。


 「これは私達、艦にも言える事だけど、人間にも色々な人がいるわよ。出会いの数だけ、それは個の人格を持った私達にとっても良い経験になるわ」

 「おおー」


 ちょっと先輩風のようなものを吹かせる明石に、雪風は素直に感心する反応を見せていた。

 その傍らで、都倉はふと考えた。

 ――自分以外の人間。

 当然、自分以外にも艦魂が見える者は居る。もしその誰かが、雪風を目の前にしたら。そいつは彼女をどう見るだろう。そして彼女はどういう反応を示すのだろう。そんな事を、都倉は純粋に想像し、少しだけ興味を抱いた。

 明石と楽しそうに会話する雪風の横顔を見ながら、都倉は様々な雪風の顔を想像していた。



 被弾した穴を塞ぐため、『雪風』は工作艦『明石』による修理工事を受ける事となり、彼女に寄り添うように体を落ち着かせた。



 その日、入港した雪風を歓迎する意味も込めて、艦魂たちの間で祝賀会が開かれた。

 メインは昨今の戦勝を祝うものだったが、雪風の加入により、ほとんど彼女の歓迎会のようなものになっていた。


 「それでは、パラオより赴き、敵と果敢に交戦した雪風殿の功績を祝い、乾杯!」

 「乾杯!」


 色とりどりの少女たちが、盃を手に乾杯を掲げる。

 辺りは一瞬にして賑やかになった。


 「わ、私……功績と言っても、何も戦果をあげたわけではないのですが」

 「良いの良いの。立派に戦って名誉の負傷を負っただけでも、十分に褒められて然るべき事よ。今夜は遠慮せず飲みなさい」


 そう言って、既に頬をほのかに朱色に染めながら雪風の肩を引き寄せているのは、第二種軍装を身に纏った長髪の少女。彼女は妙高型重巡洋艦一番艦『妙高』の艦魂だった。


 「ちょっと妙高さん。一応怪我人なんだから、無茶はさせないでね?」


 雪風の隣で、明石が妙高に釘を刺すように言う。


 「何よぉ、無茶って。え?雪風、まさか私の酒が飲めないって言うの?」

 「い、いえ。そんな事は……」

 「そういうのを止めてって言ってるのよ」


 明石は警戒するように目を細めながら、妙高から雪風を引き剥がした。


 「姉さん、もう酔ってるのですか? 姉さんは本当に弱いんですから、程々に……」


 後輩に絡む酔っ払いを案じてきたのか、その妹の妙高型二番艦『那智』の艦魂がやって来た。姉に吠えられた瞬間、二つに結んだ髪が激しく揺れた。


 「何よぉ那智! アンタ、また私に意地悪する気ぃ!?」

 「そんな事ありませんよ」


 何事も無かったかのように、那智は冷静に乱れた髪を直す。


 「今夜はめでたい夜よ。こんな夜に飲まなくて、一体いつ飲むって言うのよ~」

 「飲む前に即行で飲まれている人が何を言っているのですか」

 「ちょ、何を……。あっ!」


 盃を取り上げた那智に、妙高が激しく抵抗する。


 「ちょっと! 返してよぉ!」

 「ほらほら、こっちですよ」

 「やっぱり意地悪するぅ。返せぇ~!」


 妹に盗られた盃を取り戻そうと、雪風の肩から妙高の手が放された。妙高はそのまま那智の後を追いかけて行き、雪風のもとから離れていった。


 「御免なさいね、ウチの姉が」


 入れ替わるように雪風のもとに訪れたのは、妙高型の四女である『羽黒』の艦魂だった。ポニーテールに結ったその髪を微かに揺らしながら、小首を傾げて溜息を吐く。


 「いえ、私を歓迎して下さって嬉しく思います」

 「そう言ってくれると、こちらとしても助かるわ」


 羽黒は優しげな笑みを向けた。

 ダバオの湾内には第5戦隊の重巡『妙高』『那智』『羽黒』など、他駆逐艦数隻が停泊していた。彼女たちは同型艦の『足柄』を旗艦とする比島攻略部隊(第三艦隊)に所属し、ダバオ攻略を支援した。


 「それにしても、皆さんの方がずっと活躍されているのに……。こんな私なんかが」

 「あまり自分を卑下にするものでもなくてよ、雪風ちゃん」


 新たに雪風のもとに声を掛けたのは、妙高型と同じく第二種軍装を身に纏った少女だった。だが、明らかに彼女たちより大人っぽい風格があり、少女と表現するには若干憚れる程であった。

 彼女に対し、羽黒、そして雪風が慌てて敬礼する。美麗な微笑みを浮かべ、彼女は答礼し、再びその口を開く。

 彼女は龍譲型航空母艦一番艦『龍譲』の艦魂だった。開戦当日、主力空母がほぼ全てハワイに向かったため、南方方面最前線唯一の空母として真珠湾攻撃と同じ日に自らの艦載機を以てダバオの敵飛行場を空襲。『雪風』と同じくフィリピン方面にも参加していた。


 「貴女は果敢に敵と戦い、その責務を果たしました。それは誇っても良い事です。よく頑張りましたね」

 「そ、そんな! 龍譲さん……じゃなくて、龍譲殿からそのようなお言葉、光栄です!」

 「ふふ、そんなに畏まらなくても良いのに」


 そして雪風が何故、彼女に対しこれ程までになるのか。それは龍譲が艦魂たちからも尊敬の念を集める歴戦の戦士だったからだ。

 空母『龍譲』は支那事変以前に建造され、事変勃発後も数々の作戦に参加、武勲を挙げた。

 更に明治天皇が乗艦した艦として、有史初の御召艦という、日本軍艦にとっては羨望と尊敬の象徴となっている。

 それに彼女の存在無くして、今や南雲機動部隊の主力として活躍している『赤城』や『加賀』は語れないとも言える。対米戦を前にして、空母搭乗員が不足していた海軍は、『鳳翔』や『龍譲』などの歴戦空母、水上機母艦から経験が豊富な搭乗員を引き抜き、第一、第二航空戦隊に配備するようにした。この経緯から機動部隊には『龍譲』出身の熟練搭乗員も多い。


 「それに、貴女の妹さんたちには世話になりました。改めてお礼を申し上げます」


 敵飛行場攻撃の際、空襲を遂行した『龍譲』航空隊の母艦帰投を支援したのは第二水雷戦隊であり、第16駆逐隊第二小隊として『初風』『天津風』も参加していた。


 「あら、噂をすれば……」


 龍譲と顔を向かい合わせていた雪風の横から、迫りくる気配があった。


 「雪姉ぇぇ~~~ッッ!!」


 雪風は、自分に飛びついてきたその存在に思わず声を上げた。


 「あ、天津風!?」

 「雪姉、御体は大丈夫ですか!? 私、雪姉が負傷したと聞いて、気が気じゃなくて……ッ!」


 それは久しぶりに見る天津風の泣き顔だった。その後から初風が続いて現れる。


 「久しぶり、雪風」

 「初風姉さんも。良かった、二人とも……」


 無事にまた会えた。その事実に雪風は安堵した。


 「それはこっちの台詞よ、雪風。貴女が被弾したって聞いて、本当に心配したんだから」

 「ご、ごめんなさい……」

 「謝らなくても良いわ。それに天津風の方が心配してたし……」

 「雪姉ぇ~」


 縋りつく天津風に、雪風は優しげな笑みを向ける。


 「よしよし。ごめんね、心配かけちゃって」


 雪風の手が、そっと天津風の頭に触れる。


 「私は大丈夫だから」

 「雪姉……」


 自分の胸元に顔を埋める妹を、雪風はぎゅっと抱き締める。そしてその頭を、優しく撫でるのだった。

 大好きな姉に撫でられ、天津風はここでようやく安心する。


 「良かった、雪姉……」

 「有難う、天津風」


 抱き合う仲睦まじい二人の妹を見詰め、初風は優しげな溜息を吐く。


 「本当に、世話が焼ける妹たちなんだから」

 「初風姉さんも、有難う。そして、お疲れ様です」

 「貴女もね、雪風。敵機と派手に撃ち合ったって聞いたわよ? よくやったわね」


 姉に褒められ、雪風は素直に顔を赤く染めた。


 「私だけの力ではありません。あの時、艦長や乗員の皆が……少尉が、頑張ってくれたから、私は……」


 雪風の言いたい事は、初風たちも理解していた。それは将兵たちと共に戦場を駆け巡る艦として存在する彼女たちだからこそ共通して抱く想い。

 だからこそ、その言葉に何も言わない。ただ、その想いを尊重するだけだ。


 「雪風ちゃん。ここにいる皆が等しく、陛下に命を捧げた戦友たちよ。だから上も下も無い、対等の立場なの。今夜は互いに奮闘を称え合って、この一時を楽しく味わいましょう」


 雪風の周りに、龍譲や初風たち、明石など他にも多くの艦魂たちが集まっていた。盃を取り戻し、息を切らした妙高と涼しい顔をした那智もいた。傍には自分に寄り添う天津風と、初風。

 そして、ここにはいない少尉を想い、雪風は暖かくなる自分の胸にそっと触れた。


 「(私には、これだけの素敵な仲間たちがいるんだ……)」


 その時、雪風はかけがえのない仲間という存在を、本当の意味で初めて理解したような気がした。

 雪風はその後、仲間たちと共に過ごす時間を目一杯楽しんだ。

 その夜は雪風にとって、確かに幸せな一時であった。

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