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 次に目覚めたとき、世界は薄闇に包まれていた。視線を向けると腹を撫でる小さな手があった。あたしの手がその手を捕える。逃げるように震えたあと、子どもがあたしを見つめた。恐れているくせに、どうしてあたしに近づいてきた。

 子どもは何も言わない。

 金色の瞳があたしを見つめている。

 この手は人を殺した。あたしのせいで殺させてしまった。失敗してしまった。そっと手を離そうとすると、子どもの手が握りしめてきた。

「……」

 言葉を、あげたいのに、あたしの唇は動かない。


 ――隊長

 ノイズ混じりの声にあたしは首だけ動かす。

 黒田の手には銃が握られ、グリドリーが苦虫を噛みつぶした顔をして睨んでいる。

 ――あなたを連れてこいと、ツクヨミの命令です

 あたしは目を細めた。

「隊長、だめです。安静にしないと、体に障ります。……ここのビル、フウマのビルにある医療器具には限界があるんだから」

 グリドリーの気遣う声にあたしは子どもの手を借りて、ゆっくりと起き上がった。鈍い吐き気と眩暈がする。深呼吸をして落ち着いて、そっと腹を撫でる。そうだ、いい子だな。

 ――そうですよ。このフウマのビルにある医療器具だとあなたを癒すには限界がある。だから我慢してください、隊長

 グリドリーが舌打ちした。

「裏切り者め、お前がセキレイに情報を売ったわけだ。その上、今度は俺たちを売るのか」

 ――セキレイについては反論しません。組織のあぶり出しが、ツクヨミの依頼でしたから……ただ今回のことは予想外でした、隊長

 あたしはじっと黒田を見つめた。

 ――ですから、早めに報酬をいただくことにしました。隊長

 黒い瞳が輝いている。

 ――俺は、いつも隊長、あなたが生き残る道を探していた。だから、こうすることにしました

 あたしは頷いたあと、パソコンを探した。子どもが差し出してくれたので受け取って文字を打つ。

「わかってる。許す、だからもう責めるな、自分を」

 ――すいません、隊長

「どういうことですか、隊長」

 グリドリーが怪訝な顔で問いかける。

「お前ほどの電脳使いだ。だいたいの情報、掴めていたんじゃないのか?」

 沈黙。そして、

 ――あなたの旦那様は生きています。

 安堵のため息が漏れた。

 生きてる。

 よかった。あたしの知らないところでも、あの人は生きてる。ようやく、呼吸の方法を思い出した。

「どうして言わなかったんだ」

 責めたてるグリドリーをあたしは視線で黙らせた。黒田は俯いて、息を吐いた。

 ――言えなかった。言ったら、隊長は危険でも、行ってしまうから……俺はそれを阻止したかった。あなたにこれ以上、傷ついてほしくなかった。護りたかった。

 それがどけだけ自己満足という行為でも、黒田が選らんだのはあたしのためだ。

 傲慢だと罵るのは容易いが、あたしにはそれが出来なかった。

 真実を知った黒田がどれだけ迷い、悩んで、その結論に達したのかは黒田だけのものであたしには理解できないからだ。

 ――あなたの、旦那様は本当にろくでもない方ですね。生存の情報は何重にもロックがかかっていましたよ。ナノマシンの情報を読み取ってようやくわかったくらいです。場所は試みましたが特定できなかった……こんな違法の裏ワザを使わなければいけないほどに隠し立てていたのは、忌まわしいことだからです。ツクヨミに会ったとき、俺は取引をしました。自分から持ちかけたんです。あの女の知る情報と俺の知る情報を合せて、そのうえで

 黒田は疲れたように項垂れた。

 ――ツクヨミと、会いますか?

 あたしは頷いた。


「怒ってますか?」

 可憐な声と笑顔。あたしを心の底から馬鹿にした女が、画面の前にいる。

 ツクヨミ。

「怒って、いますよね? だって、あなたを騙しましたもの。あなたが私にとって都合よく動くように仕向けました。実は、セキレイの裏切りははじめからわかっていたんです。誘拐されたときから……ただ、どうしても尻尾が掴めないし、私にはあの女を殺すことは出来ない。だから、利用させてもらいました」

 悪気のない笑顔。この女はこの笑顔でいろんな者を騙してきたのだろう。おっかない。

 なにが普通の女子高生だ。

「けど、ここまできたら嘘はつきません。あなたの旦那様の情報を知る者はハイブリットにいます」

 またそれか。

「本当ですよ。私は嘘は最小限しかつきません。あなたの旦那様の情報を知るのは、ナノマシンの開発者であるユーリィン博士でしたら出来ます」

 あたしは目を細めた。

「名前ぐらいはご存知ですね? あの博士は、恵一・アドルフの弟子にあたるんですよ?」

 恵一の名前が出てきたのにあたしは一瞬、動揺しそうなった。ツクヨミならばあたしがどういう生い立ちをしているのかすでに知っているはずだ。

「恵一さんは、日本に一時いた時期がありました。あの人が日本に提供したあるデータはナノマシン製造に大変に役立ったといいます。そして彼の残した遺産をユーリィン博士は受け継いだ、そして、その第一任者だそうですよ」

 恵一がなにを残したのかなんてあたしは知らないが、ろくでもないことだということぐらいはわかる。

「そして、今はテロに乗じて彼女をハイブリットは監禁している。まぁ、あの博士の頭のなかにはナノマシンのデータがすべて入っているんですから、当然といえば当然ですよね。

 戦争洗浄なんて馬鹿な言葉だと思いません? ナノマシンにより、戦場状況をすべて支配し、人間である兵たちも支配しようとする。ナノマシンによる感情コントロールとともに、武器にもナノマシンによるロックをかけたりとか」

 あたしは何も言わない。

「ハイブリットはその抜け穴がほしいんです。支配されることで得する者はいますが、損する人間も必ずいる」

 その戦争まっただ中にあたしはいるってことか。

「必ず博士を連れて帰ってきてくださいね」

 約束はしない、けれど、行くしかないわけだ。

「愛ってどうして、こんなにもくだらないのかしら」

 ツクヨミは悲しげに吐き捨てた。



 暗闇。

 音、音、音。

 冷たさ。

 嘲りの音。

 手足が動かない。拘束。耳だけを澄ませる。あたしはただひたすらに待った。そのときを。サイレンの音。終わった。

 手の拘束は骨さえどうにかすれば解くことはそこまで難しいことじゃない。多少の痛みを我慢かればな。そのあと足を解放して、ゆっくりと顔をあげる。

 黒田とクリドリーはうまくやってくれているらしい。

 あたしの前のドアが開いた。そこに子どもが立っていた。

 あたしは頭を撫でて立ち上がると、その手にある小型のチップを受けとり、自分の左手首から体内に埋め込んだ小型パソコンを取り出してセットしてモニターを出す。場所はもうわかっているから迷うことはない。


 ユーリィン博士を確保する作戦は単純だった。

 あたしが捕まればいいということだ。セキレイがハイブリットの手の者だとして、あの襲撃の意味を考えた。あの女の性格上、子どもなんて真っ先に殺そうとするはずなのにしなかった。

わざわざ危険を犯して子どもを欲しがったのか。

 この子にどれだけの価値があるかあたしは知らないが、クリドリーはたった一人で帰還し、あたしと子どもを依頼主に渡した。

 そのあとは目隠しされてああだこうだという愚痴を聞いていた気がするが、ほとんど眠らされていた。あたしがいないと子どもがちょうどいい具合にぐずったのに、向こうも手を焼いてくれたらしい。

 グリドリーたちは子どもの体内にあるナノマシンを追いかけて、アジトを襲撃。

 その乱れに乗じてあたしたちは必要なものだけ手にして逃げる。

単純な作戦だが、危険度は高い。それに子どもは異論を示さなかった。殺されるかもしれないし、ろくでもないことになるかもしれないのに、ただ黙ってここまでついてきた。皮膚を浅く切ってチップをいれるときも抵抗らしい抵抗を示さなかった。

 親というやつは、ただの呪だ。子どもの進む道を示してはやれないが、ひきずるように、引っ張る。

 あたしは子どもを連れて、黙々と歩いた。

 すでに黒田が随時更新する基地のマップのおかげでどこになにがあるのかわかっている。

「貴様、どうして!」

 画面から顔をあげると兵士がいたのに舌打ち。油断しすぎた。子どもを抱えて走り出す。銃声の唄う声がする。けれどもうあたしはそれに応えてやることは出来ない。残念だが、別の踊り手を見つけてくれることを祈るよ。

 マップの情報が正しければこの先を曲がれば武器庫にあたるはずだ。

 その部屋に子どもをまず投げ込むと、無造作に置いてある銃を取り出した。子どもがそれを欲しがるように手を伸ばした。

 あたしは睨みつける。

「僕が、殺すよ」

 はじめて、しゃべった。

「必要なら、殺す」

 あたしはじっと子どもを見て、頭を撫でた。

 怒声が聞こえたのに引き金を引いた。

「……だって、あなた、もう殺したくないんでしょ」

 真っ直ぐな黒い目があたしを見ている。あたしは敵の攻撃が止んだ隙に素早くパソコンを打つ。

「そうね。もう殺したくないし、殺しはこりごり。お前に人も殺させてしまったし」

「なのに」

「アタシは馬鹿だから、あんまり考えるのは得意じゃないの。ただ、お前にこれ以上人を殺させたくないの。これはあたしのエゴだけど」

「僕は、あなたを守りたい。あなたが救ってくれたから」

 あたしは首を傾げた。

「あたしはろくでなしだよ」

「知ってる」

 けど、と、子どもは続けた。

「僕の知るなかでは一番優しかったし、弱い人だ」

 子どもの眼が金色に染まった。

 迷いもなく、あたしの手から銃を取り出して、撃つ。耳に痛いほどの銃声とともに男の悲鳴。

「僕は、ここに来るまでいっぱい殺してきた。兄弟たちを、殺されないために弱いふりをしろと言われた。僕は生きるためにあなたを利用した」

「それでいいんだよ、子どもなんだ」

「……許すの」

「怒っていない。むしろ、あたしについてきてお前はろくでもないことに巻き込まれてるんだぞ」

「僕のなかにあるナノマシンが、あいつらを引き寄せてる。だから、僕は、……あなたは強いから、みんな殺してくれないかと期待したんだ」

「そうか」

「けど、あなたは、弱かった」

 あたしは肩を竦めて笑った。

「期待外れて悪かったな。ここからお前は自由に逃げていいんだぞ?」

 あたしが歩き出そうとするのに子どもがしがみついてきた。

「鼻は利くんだ。行こう」


 ドアを開けたとき、いきなり鞭のような叱咤が飛んできた。

「空気に触れるとコンピューターは弱いから死んでしまうのよ! デリケートなの、優しくしてよ。処女を抱くようにね! で、なぁに、くそったれ……あら、珍しいお客さん~」

 いくつものコンピューターにうんざりとするモニターの輝き。そこに笑っている女。これが捕まった奴の状態か?

「お前がユーリィン?」

「そうよ。おかえりなさい。ゼロ」

 ゼロと呼ばれた子どもがあたしの足に隠れる。

「ゼロって」

「ゼロ型のことよ。ちゃんとした呼び名は、忌眼のゼロタイプ【獣の眼】だけど」

 ユーリィンがにこにこと笑う。

 すぐに直観する、あたしはこの女のことが好きになれない、と。

「私のプログラムよりも、四時間はやくここまできた! 素晴らしいわ。実験は成功ね」

「実験?」

「ゼロタイプがどれだけやれるか。あなたがこの子の協力者? ふふ、あなた、目で支配されたの?」

 あたしは眉根を寄せた。

「忌眼には他者の精神を支配する事が出来るのよ。あなた、この子を見て保護欲をかきたてられたんじゃないの? それが忌眼の効果よ。獣の眼でこれだけなら、魅了眼はもって素晴らしいものになるわ」

 一人で興奮して、子どもみたいにわめきたてている女にあたしはちらりと足元の子どもを見た。怯えて、恐れている。こんなガキみたいな女を。

「忌眼っていうのはなんだ」

「ンン、凡人に言って理解できるかしら? まぁ、いいわ。教えてあげる。ご褒美よ。恵一・アドルフがつくった他生依存型蟲……人間の眼に住み、その人間の生命力を糧にして成長する蟲! ああ、私はようやくやったのね! 恵一!」

 子どもがぎゅうとあたしの手を握りしめてくる。

「恵一、恵一って、それ、あたしの育ての親のこと?」

「育ての親?」

 女がきょとんとあたしを見る。

「恵一・アドルフはあたしの育ての親よ。あたしが殺した」

「……う、うっそおおお! 恵一の最高傑作に会えるなんて、嬉しいわ。わぁ、すてき!」

 まるで子どものそれだ。嬉しくて、たまらなくて、あたしに近づくと、子どもの手を乱暴に振りほどいて、握りしめてくる。

「恵一はどんな死に方をしたの? ああ、すごい、すごい、ずこいわぁああ! 戦闘技術を教え込んだと聞いたけど、あの人の娘、最高傑作のニカ! ふーん、想像したよりもババアだけど、いいわぁ、その子が、あたし実験に協力しているなんてさいこうぉ!」

 あたしは思わず手を払った。

「あら、どうしてそんな顔するの? んふふふ、ああ、ちょっと興奮しすぎたわね。私、ついつい素直すぎる態度とっちゃうから」

 心の底からの嫌悪感。

 この女はおかしい。

 このおかしさをあたしは知っている。恵一だ。あの人は無邪気にあたしのことを育てた。けど、それは実験みたいなところがあった。

 違う。実験だ。

 この女を見て、確信した。

 恵一はあたしで実験したんだ。この女みたいに!

「あれ、どうして、震えるの? あははは、びっくりしたかなぁ? そうだよねぇ、恵一の意志を継ぐ者が、こんな小娘じゃあ、びっくりだよねぇ。っても、あたしも、二十代なんだけど。はじめまして。椿十六でぇす!」

「……椿、十六?」

「ちょっと特殊な家の名前だよ。椿っていうのはね。跡を継ぐものに椿って苗字と、数字をあげるのー。知らない? 恵一の本当の名前は椿十八だよー?」

 そんなこと、あたしは知らない。知りたくもないことだ。

「あたしはね、恵一に選ばれて、椿十六になったの」

 心の底から誇らしいことのように告げる女。完璧にいかれてる。

「まぁ、ちゃんと説明するわ。椿っていうのはね、蟲使いの一族なのよぉ。それで、最高の虫を作るの! 恵一はねぇ、人の体に依存する蟲を作ったの。っても、あの人、わりと放置主義者で、蟲の基礎データ作っていなくなっちゃったんだよねぇ。そのあとが大変! それを元にあれこれとみんな作るんだけどさぁ、失敗ばっかりで、あたしの代まで来ちゃってさー」

 けらけらと笑う。

 何が、楽しいんだ、こいつは!

 叫びたいのをぐっと耐える。

 この女の中には善悪なんてものはない。ただ自分のしたいという欲に突き動かされているんだ。

 恵一と同じだ。

 他人のことなど一切関係ない、ただ自分のしたいことだけをする。はた迷惑なやつ。

「私は頭だけはよかったのよぉ、だからね、他人を実験台に使うのをがんばったのぉ~。それがその子」

 指差された子どもがびくりと震えた。

「恵一の理論と、集めてくれた血肉を使って、作り上げた完璧な兵器。忌眼を持つ子ども。今回はねぇ、その実験だったの。どこまでできるか、どこまで成功したのかっていぅ」

 愕然とした。

 どくどくと心臓がいやな音をたてている。今までのすべて、この女の仕立てた計画通りだったのか?

 そんなバカなことのために何人死んだ? あたしは、どれだけ。

「テロは」

 あたしの問いに女はふふっと笑った。

「違うよ~。あれは、ナノマシン反対派の暴走。ぶっちゃけ、こうなったのはあたしも予想外だったんだよねぇ。けど、ちょうどいいかなぁって思って、ツクヨミちゃんにお願いしたの! 実験付き合ってって。あの子、ナノマシン反対派なんだよねぇ~。ほいほいと手を貸してくれたわ」

 パソコンを破壊してしまいそうなくらい震えていた。

 こいつらは自分たちの欲のために他人を犠牲にすることをなんとも思わないんだ。

 子どもを、子どもに人殺しをさせることを

「冗談じゃない。お前、殺す」

 一文字、一文字を震えながら打つ。

「子どもに人殺しをさせるな!」

 あたしは、あたしには選べなかった。そうして生きろと言われた。けど、だからって、あたしはこの子に人殺しをさせてしまった。

 その罪も罰もあたしは背負わなくちゃいけない。そして、あたしが死んだら、この子が

 女はきょとんとした顔をしている。

 わからないのだ。

 この女は自分の作品を作ることが第一で、それ以外はどうでもいいのだ。人の心がない、いいや、違う。

 こいつにとってあたしたちは実験動物と同じなんだ。

 人の心も、愛も、理性もある。けど、実験動物を――それがどんな姿をしていたとしても――哀れだと思わない――タチが悪い。

「自分の子ども、どう扱っても、母親の自由じゃん?」

 あたしは眼を見開いた。

「だって、この子は私を選んで生まれてきたサンプルなんだよぉ? あ、なに驚いての? サンプルが必要だらぁ、私が産んだの。恵一のさ、残してくれた遺伝子を元にして、一人で妊娠してぇ、産んだんだよ。十か月も腹に抱えて、赤ん坊のときはミルクを与えて、うぅうんと愛したんだよぉ?」

 けらけらと女は嗤う。

「私の最高のプレゼントが忌眼だよぉ。恵一の残した財産を受け継ぐ権利! 力と富を手に入れる権利をさ」

「……失敗したらどうするつもりだ! 死ぬかもしれないし、この子は殺してきたんだぞ」

「この子が死ぬわけないじゃん? 私が作り上げた最高傑作なんだかさぁ。私と恵一の子なんだよぉ? 私は信じてたね。この子のこと、母親として」

 吐き気がした。腹がひどく痛む気がする。

 あたしは、

「それに、恵一だって、同じことをしたはずだよ。あんた、気がつかなかったの? 恵一の娘だとしたら、あの人は、自分の最高傑作にプレゼントをあげたはずだよぉ」

 恐ろしくて考えたくないことをさらりと告げられる。

 恵一があたしになにかしたなんて、思いたくもない。じゃあ、あたしのなかにあるこの命はどうなる。

 下手したら私は化物じゃないか。化物の女が産む、バケモノの子ども

「どうしてそんな顔してるの? 愛せないの? 自分の子どもぉ、さいてーだな」

 あたしは吐き気を耐えて睨みつける。

「私は私の子なら、犬だろうが愛するね! だって恵一の子だもぉん。子ども産む覚悟足りないんじゃないの? それくらいなら、さっさと殺してやったほうがマシだね。母親が愛して、信じてやらなきゃ、子どもは。……と、まぁ、いろいろと語ったけどぉ。ふふふ、あんたの考えていることわかるわぁ。まぁね、私、人としては結構壊れてるよぅ。自覚してるぅ。けど、私は恵一の残した最高の蟲を見たとき、そりゃあ、すごいと震えたねぇ。あのときの感動を忘れたりはしない。あれが私の初恋だからねぇ」

 あたしはようやくこの女をまともに見ることかできた。

「いろんな奴が、恵一の残した蟲に魅了されて、壊れていったよ。みんな完璧なものに魅了されちゃうんだよねぇ。けど、私は恵一に魅了された。本物には会ったことないんだよぅ~。けど、何度か電話で話したよ、あの人の優しい声で紡ぐ蟲の話は子守唄みたいだった。顔だって知らないけどねぇ」

 あたしは下唇を噛みしめた。

 この女は、ただ恵一に恋い焦がれているだけ。彼の残したものを欲しがって、それでここまでしてしまった。

「アンタは、平気なの? 恵一のために、あの男が残したもののために、こんなことをしても」

「愛してるもん、恵一のこと」

 会ったこともない男を、どうしてそこまで。

「仕方ないわよぉ。愛って傲慢だもん。そういうおたくもそうでしょう? ツクヨミから聞いたよぉ、あんた、自分の旦那を探してここまで来たんでしょ? それこそ、私から言えば狂気の沙汰だねぇ」

 反論は、出来ない。

「狂った女同士、提案。あんたの旦那、どこいるのか見つけてあげる。ただし、私のこと見逃して。正確にはここから連れ出して、ツクヨミのところに連れていってほしいの。で、ナノマシンやら忌眼の完成を提供したりとかしたいんだよねぇ」

 気軽な提案にあたしは身を縮める。

 この女を生かすということは、この狂った行動をとり続けるということだ。

「そうだよ、あんたが思うように。私は生きていたら、忌眼を完璧なものへとするために大勢殺す、実験もする。利用できるものは自分だってする。どんなことだってする。だって恵一の、あの人と同じ景色を見たいから、思考を抱きたいから」

 あたしは黙りこむ。

「止めたいなら、殺していいよ。ただし、あんたは旦那に二度と会えないよ? ナノマシンや、その他諸々が出来るの私だけだもぉん」

 あたしは奥歯を噛みしめる。

「どうする?」

 ここでこの女を殺さなかったら、きっと、大勢が犠牲になって、とんでもないことになる。それくらいは、わかる。

 けど

 あたしは目を伏せた。その手を子どもが握りしめた。

「この子の、名前はなに」

「椿。椿十三。……恵一の遺伝子を使って作ったからねぇ~。可愛いでしょう?」

 こいつにとってのその台詞は実験動物に寄せた言葉だ。断じて母親のセリフだなんて思わない。

「この子をあたしにちょうだい」

「おや、大きく出たねぇ~。いいよ。ほしいなら、あげる。完成したデータはとれたしぃ、このあと、もっといろいろと出来るからさぁ」

 まるでお菓子を差し出す子どもみたいなセリフだ。

子どもがあたしの手を握りしめるのに、屈みこんで抱きしめた。

 あたしは選んだ。

 世界の平和や未来なんてどうでもいい。罪だろうが、罰だろうが、下したいやつが下せ。

 あの人に、ただ会いたかった。


 肌寒さに息を吐きながら、煉瓦作りの道を歩く。

 いくら服に服を重ねたところで、寒さが和らぐこともない。片方しかない手は素手のままだ。手袋をすると、どうしても動きが鈍る。と、その手を掴むくるふわふわがあった。横を見ると椿があたしを見上げている。ここに来る前に手袋やセーターやらマフラーを買い与えてつけたのだが、予想以上にもこもこしてしまっている。

 動きづらいかもしれないと思ったが、寒さには敵わない。

 視界いっぱいの白。

 あたしの白。

 この国は、なにもかも白い。空は遠く、灰色だ。憂鬱さを孕んだこの国は、ひどく静寂に満ちている。それでも、歩くたびにざくざくと雪が潰れる音がする。

 遠くで笑い声がする、どこかで店売りの声も。目を細めれば、人の姿が見える。

 この世界は、きっと美しい。

 何かを犠牲にし、どこかで人が殺し合い、泣き合っていても、どこかでは笑っていて、生まれている。

 あ、と吐息とともに吐き出した。見た瞬間にわかった。その人影に、あたしは立ち尽くす。一人じゃなかった。誰かと笑いあう姿に、一歩後ろに下がる。

 このまま立ち去ろうか。

 なにもかも壊してしまうそれが恐ろしい。

 それでも、椿の手の強さにあたしは救われた気がした。

「いって」

 背中を押す言葉にあたしは椿を見る。

「それでだけなら、諦める」

 諦める。

 そんなことが出来るならとっくに諦めている。あたしは笑いかけて、椿から手を離すと歩き出した。

 彼かあたしに気がついた。驚いた顔をしている。あたしはとびっきりの笑顔を浮かべて、よろよろと走り出した。こけそうになったとき、両腕で支えられた。あたしの、居場所。あたしの大切な場所。

 鼻先を押し当てる。冷たくて、あたたかい。懐かしい。愛しい。ずっと焦れていた場所。涙が溢れた。

 あたしは、強くない。一人ではどうしていいのかわからなくて、途方にくれた。つよくない。あなたがいないと生きていけない。もう戦いたくないし、戦わない。一人だと、何もできない。あたしは、

 あたしは、あなたがいないと生きていけない。

 泣きながらむしゃぶりつく。強くない、けど、強くなれというなら強くなる。いっぱい悩んだ。けど、ここしかないから。ここにしか帰れない。

 頭を撫でられて、耳元で囁かれる言葉を聞く。

 話したいことがいっぱいあるんだ。

 いいことも悪いことも、いっぱい、ここにくるまでに両手では余るほどの話があるんだよ。

 これからのことをふたりで、決めよう。ちゃんと話すから。あなたが聞いてくれると知っているから。


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