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 数時間の飛行機移動のあと、頭の痛みを抱えながらフウマの基地に案内され、そこで待機を命じられた。

 一緒に来ているセキレイはひどく歓迎されているようであれこれと周りに人が集まるがあたしと黒田と子どもは距離をとられた。まぁ、当然か。

 小さなビルを買いとて改造された要塞の一室に部屋を与えられてあたしは飛行機に酔った頭をしばらく落ちつけようと微睡んだあと外に出て、黒田たちを探した。聞くと、地下の訓練室にいると言うので行ってみると、黒田と子どもが殴り合いをしている。思わず見入るほどに二人はいい訓練をしていた。黒田は元々教えることがうまい。的確な指導の出来る男だ。それに子どもは必死について行っている。

 黒田があたしに気がついて手を止めようとしたが、あたしは首を横に振った。

 五分ほどやりとりを見ていた。黒田が手を止め、子どもがへろへろに崩れる。水のはいったペットボトルを投げると、必死に飲み始めた。

 ――筋がいいですね。覚えもいい

「いい戦士になりそうか」

 ――そうですね

 沈黙のあと、渋々と答える。

 ――自分を守る程度のことは覚えさせましたよ

「そうか」

 あたしは苦く笑う。

「最近、東の夢ばかり見るよ」

 ――隊長

「旦那がいたときには見なかったのにな」

 ――のろけですか

「ああ、そうだのろけだ。けど、それ以上に、この子を見ているとな」

 ――でしょうね

 黒田の文字は冷やかだ。

 ――二の舞になることが俺も怖いです

 素直な男だ。

 ――今度あんなことになったら俺はあなたを守ることは、きっとできません

 そしてなによりも忠義に厚い男だ。だからあたしは黒田を信用している。

 黒田が怯えているのは、この子が、また東のように裏切る可能性。より正確に言えば、黒田は子どもがどうなろうと知ったことじゃないのだ。ただ、今度裏切たとき、今の自分では命を差し出してもあたしを守れないと思っているのだ。

「お前は子どもが嫌いか」

 ――いいえ

「じゃあ、好きか」

 ――どっちでもないですね。たぶん、俺の時間はあのときから進んでないんです

 あのとき、というのがあたしの隊にいたときだということはわかる。

戦争に出た兵士が抱える闇。生きていると実感できる戦場。人を殺すしかない場所――異常だ。けれどそれが当たり前で、それを受け入れてきた。そのなかにいる仲間は決して裏切れないほどの信頼と絆で結ばれる。だからこそ、戦場から離れたらどうしていいのかわからなくなるのだ。

 特にあたしたちは、失うものが多すぎた。

 ――隊長が何を問題視しているのか、俺はなんとなくわかっています

「黒田」

 ――けど、俺は生憎とこの姿になって、もう人と縁は結べないと思いました。それを悲しいとか苦しいとかはもうとっくに乗り越えました。だから、ただ今は仲間だった人たちを大切にしたいんです。それに子どもや老人という概念はありません。敵であれば殺します。きっと、少し壊れてしまったのだと思いますが

 淡々とした言葉。

 ――自覚ある壊れ方をした分、自分はまだマシだと思います。問題は自覚のできないぶっ壊れた連中です

 あたしは奥歯を噛みしめた。

「なら、知ってるんだな」

 ――なにをですか

「あたしが、元仲間を殺したこと」

 ――知ってます

 黒田はぴしゃりとした言葉を叩き返す。

 ――俺にとってはみな大切な仲間です。ですが、そいつらがあなたを襲った。なら俺はたぶん隊長を選びます。

 言い訳は聞かないと宣言する言葉だったのであたしは言葉を失くした。元仲間たち。ひどい失い方をしてもまだ生き残っていた彼ら。あたしは東に殺されそうになりながら生き延びて、逃げた。

なにもかも捨てるようにして。自分の隊も、戦場からも。それでも、武器以外を持ったことがないあたしは人を殺す道しか選べなかった。宙ぶらりん。そんなあたしを追いかけてきた数名の狼。憎悪よりも、ずっと深い絶望を持って、あたしを殺そうとしてきた。だからあたしは彼らを殺した。歪んでしまったのだ。けど、歪んでいたのに気がつかないふりをしていたのはあたしかもしれない。

 あたしが作ったものはすべて歪んでいる。

 あたしが作った隊――壊れてしまって、ばらばらになって、そしてあたしを殺そうとした。

 あたしの育てた息子――笑いながらあたしを殺そうとした。

 あたしは、途方もなく壊れてしまっているんだ。だから、なにも作れない、なにも産み出せない。

 それぐらい、もうとうの昔に自覚している。


 びーと鼓膜をひっかく音にあたしと黒田は即座に、それがなんなのか悟った。

 ――襲撃ですね

「みたいだな」

 あたしはククリナイフを取り出すと黒田は銃を持って息を吐く。

 ――ここに来ますかね

「来るだろう。ここは武器が豊富にある。少尉、襲撃の一番の手は、いかに迅速に物事を断つかだよ」

 ――では迎え討ちましょう

 この男も、つくづく壊れている。

 あたしは笑った。


 あたしの腰に子どもがしがみついてきた。あたしはそれに肩を竦めて、視線を合わせた。唇だけ動かして、ここにいなさい、と伝える。子どもの眼が不安の色をたたえていた。あたしは笑い返すと額にキスを送った。

 ケ・セラセラ。歌いたくなる。殺気の匂いと火薬の音。ケ・セラセラ。視線だけで合図を送ると黒田が頷いて、子どもを抱えて奥に走る。何かが来たと理解して構える。身を低くして、それが来た瞬間、あたしのククリナイフが叩き下ろされる。がつんという音と声。床を軸回して蹴りを放つと、封じられた。やるじゃないか!

 床に着地して、相手を見たあたしは驚いた。それは向こうもだ。

「え、あ……隊長!」

 あたしは目を瞬かせた。

「どうして、ここにいるんですか?」

 面倒だが、あたしはパソコンを取り出した。

「そういうお前こそ、グリドリー」

 あたしの隊の生き残り。あたしが逃げてから会わなかった男だ。

 小麦みたいなくすんだ金髪に、青い目。鍛えられた肉体は今も健在のような逞しさ。それに不似合な、片方だけ鉄の細い足。あたしはそれを見て思わず眉間に皺が寄るのがわかった。

「俺は傭兵ですよ。まぁ、こういう仕事しか出来ないタチですからぁ」

 わははは、と呑気な笑い方をする。

 それでもあたしは警戒を解けない。いくら元部下だろうが、殺し合いをするときはするものだ。それがわかっているのか黒田もまだ姿を現さない。

「恨んでいるか」

「なにをですか」

「あたしを」

「……隊長を恨んだりはしませんよ」

 あっさりと言葉が返して、グリドリーが笑った。

「ま、東のやつは許しませんけどね」

「それなら、もう捨てておけ。あれはあたしが殺した」

「隊長がですか、へぇ! さすがですね。……一つお聞きします、隊長は今、この組織の奴らの仲間なんですか?」

「違う」

 そこは即答できる。

「ただ必要に応じているだけだ」

「必要って?」

「旦那を探してる」

 あたしの解答にグリドリーが硬直した。

「ええええええ、ニカ隊長、け、結婚したんですかぁああああ」

 絶叫。

 黒田といい、お前といい、てめぇら、あたしが結婚することはそんなにもおかしいかよ!


 あたしの憤慨を余所に、黒田が子どもを横抱きにしたままそろそろと出てきた。それを見て、グリドリーが破顔した。

「お、やっぱりいた」

 昔から、カンのいい男だ。どうせ、あたしたちの人数も、なんとなくはわかっていて仕掛けてきたのだろう。

 ――他にはいないんですか

「いないなー。ついてきても邪魔だって追っ払った。ま、俺が斬りこみ隊長ってことでさ」

 けらけらとグリドリーが笑う。ずいぶんと適当なことをしているんだな。

「いや、まぁ、今回の連中、みんな雇われで、連携もなにもないですよ。一応、腕は立ちますが、それだけです。適当に仕事してばっくれようかなぁと思ってましたし」

 煙草を取り出して吸おうとするのに、あたしは手を伸ばして、握りつぶした。

 グリドリーがお預けを喰らった犬の顔をしたので、あたしはかわりに鉄拳を与えた。

「ひでぇよ、隊長」

 ――自分の態度の悪さを棚にあげすぎですよ

「黒田いわれたくねぇ」

「とりあえず、敵は何人だ」

 あたしは馬鹿な話を切り上げる。

「無線でてきとーに誤魔化して、逃げますか? 付き合いますよ」

「それもいいが……お前ら、どうしてここがわかった。雇ったやつは誰だ」

 あたしの問いに、グリドリーは目を眇めた。この男のなかで一応のプロ意識が働いているのかと思ったが

「雇ったやつはハイブリット。ちなみに人数が、えーと、十人だった、かも」

 ――なんで覚えていんですか、あんた、バカですか

 黒田の舌鋒にグリドリーがちっと舌打ちする。ああ、黒田とグリドリーは昔から、こういうやりとりばかりしていた。

 どうせ今回も適当なことを口にして、黒田に責められることを恐れたのだろう。

「仕方ないだろう。本当に寄せ集めで、好きにしろ、みたいな……かなり雑だったかんしですね。雇った女も、愛想がないし。金がいいから参加しましたけど」

「前金、もらったのか」

「ばっちり」

 ――この馬鹿

 黒田の毒舌はとまらない。グリドリーが恨みがましい目で黒田を睨みつける。幼稚な喧嘩はやめろと、あたしは手をひらひらと振る。それでなくとも時間がないのだ。遠くで銃声がする。

「グリドリー、一つ聞く」

「はい」

「あたしのために裏切れるか?」

 これを言いだすのはなかなかに緊張する。グリドリーはプロの傭兵としての信頼がある。仕事を放棄するにもそれなりの理由と建前がいる。いくら敵が昔の上司だとして、放棄していい理由にならないかというとかなり微妙だ。

「わかりました。敵を殲滅したらいいんですか」

 意外なくらいあっさりと言われた。

 ――だめですよ、隊長、こいつ、本能で生きてますから

「黒田、お前、ひでぇにもほどがあるな。まぁ、先も言ったみたいにのり気ではない仕事だったし、なんーっかきな臭いんですよね。騙されて仕事っていうのは、マナーに反しますし」

 ――それ、今、考えただろう。お前にそんなものあるか

「うせぇーなぁ。まぁ、隊長を殺すなんて選択肢は俺にはないですし」

 グリドリーが肩を竦めて笑った。

「全部殺したら、仕事放棄の理由はでっちあげたらいいんですから」

 それもそうか。

 ――隊長、だめですよ。納得したら

 黒田のつっこみ。


「さぁ、あたしの愛しいライカたち、反撃しよう。黒田、メインをファックできるか?」

 ――コンピュータールームまで行ければ

「グリドリー、黒田を援護してくれ」

「了解しました」

「あたしは敵の殲滅に行く。さぁ、お行き、あたしのライカ」

「喜んで、私のクドリャフカ」

 ――私のクドリャフカ

 あたしのライカ。世界で一番幸せな犬。その反対側にいるクドリャフカ。

 あたしが作った兵たちとあたしだけがわかる皮肉な応酬の絆。そして呼び方。この呼び方をするとき、あたしはただの狼になる。あたしの部下はただの狼になる。


 砕ける/喰らう/引きちぎる/なにもかも、ばら、ばら。

 あたしはちらりと背後を見た。子どもは迷いもなく、あたしに付いてきた。出来れば、グリドリーたちに付いていってほしかったが、あたしから離れない。銃だけ渡しておいたが、あとは無視した。

 黒田が言うように、そして、グリドリーの微妙な表情を見るように、あたしに子どもは合わないのだ。

 なのに、あたしはここにいる。子どもの前を走って、人を殺している。

 苦い気持ちを奥歯で噛みしめていると、横からきた殺気に振り返った。男と目が合った。驚愕した顔で、目が何かを語る。

あたしは横目で背後にいるそいつを見た。瞬間。あたしの横をすり抜けて銃弾が男の額を貫いた。振り返ると、子どもが震えていた。

「大丈夫か」

 セキレイ

 あたしの唇が動く。

「まったく、襲撃とはついてないな。さっさと逃げるぞ」

 あたしは愛想よく笑うと歩み寄る。と、ぎりぎりの間合いでククリナイフを下から振り上げる。ち、避けられた。ナイフを捨てて、子どもを抱えて後ろに下がる。

「なにをする! 気でも狂ったか、雌狼!」

 牙を剥きだしに後ろに下がる。

「……貴様」

 パソコンをゆっくりと取り出す。

「昔から、鼻はいいほうなんだ。お前だな、この襲撃の犯人」

「なんだと、そんな証拠どこに」

「ないさ。けど、先の殺された男の顔に直観した、それにここに証人もいる」

 ――そいつです、隊長。俺に殺しを依頼したのは

 グリドリーの声。

 黒田の提案でパソコンの回線を繋いで無線にしていたのが功を成したな。

 別に間違えていてもあたしには痛くもかゆくもない。ただ馬鹿な女を一人殺しただけだ。当たっていたら、殺し得というところだ。

「隊長? ……その男は」

「あたしの元部下だ。雌ゴリラ」

 セキレイの顔が険しく歪んだ。ああ、わかった。こいつと初めて会ったときから、気に食わなかったんだ。この女が。

 いい気味。

「……そいつが騙しているとは思わないのか? 敵として来て、お前を見て騙すことを選んだとは……仲間うちで裏切りあうように」

「あたしの部下はあたしを裏切らない。貴様は、戦場兵士の絆を舐めすぎだ」

「くそ兵士どもめ。泥のなかでみんな死んじまえ! ろくでなしの蛆虫どもめ!」

 開き直って睨みつけてきた女にあたしは牙を剥いた。

「撤回しろ、貴様は今、戦場にいる兵をすべて侮辱した」

「断る。本当に金を出して、裏切る糞どもが。ああ、だから男って嫌いだ」

「あたしは貴様みたいなレズが嫌いだよ」

「武器もなく、勝つつもりか、雌狼」

 あたしとセキレイが睨みあいながら、距離をとる。狭い路地で、互いの間合いを意識しながら、ゆっくりと円を作る。子どもは後ろに下がらせたので、もう意識はしない。目の前の獲物をいかにかみ殺すことだけに集中する。

 確かに、今のあたしには武器がない。

 手から離れた武器はもう捨てるしかない。戦場のセオリー。

 セキレイが動いた。大きく迫ってくる。こいつ、あたしが手ぶらだと油断してやがる。腹の立つ女。こういう女は死ぬほど嫌いだ。

 真っ直ぐな蹴りが腹を狙てきたのに、体を低くして受け――くそ。片腕で受け止める、壁に追いやられて顔を殴られた。鼻から血が噴き出す。笑ったまま殴られる。片腕しかないから、こうなっては袋の鼠だと思っているのだろう。このクソアマが。

 あたしは片腕を払って転がす。よろめいたときに股間にキックを放つ。舐めるな。くそゴリラ。片足をとられて、ましても舌打ち。こいつ、接近戦に慣れてる。

 そのまま壁に叩き付けられて、悲鳴が零れた。蹴りがきそうになるのに、横に逸れてなんとか交わす。

「なんだ、お前、下腹部ばかり守って」

 心臓がいやな音がする。

「もしかして、お前」

 ゴリラが頭を抱えて笑い出した。

「雌狼が! 笑えるね! ぶち殺してやるよ!」

 頭から血の気が引く。逃げなくちゃ。ここから、この女から、絶対に逃げなくちゃ。殺される。

 牙を剥いて女の喉仏に噛みついた。

 セキレイが驚いて悲鳴をあげ、あたしの頭を殴るが、首の骨を叩き折る勢いで牙を突き立てて肉を抉る。血が、シャワーのように吹き出す。セキレイが倒れた。

 息を乱して、その場に崩れる。

 苦しい、怖い。震える。収まれ。ああ、くそ。逃げなくちゃ。生きなくちゃ。

 必死に立ち上がろうとすると、背後から髪の毛を掴まれた。結婚してから伸ばし始めたその長髪をリードのように引きずってセキレイが唸り声をあげる。拳が頬にあたる。痛みはたいしたことじゃない。息を吐いて、必死に逃げようと蹴るが、動かない。ちくしょう。逃げなきゃ、殺される。それはだめだ。それはさせない。させれない。あたしの、あたしの、

 ぱんと、弾ける音がした。

 セキレイが倒れた。

 わたしは視線をそこへと向けた。子どもが銃の引き金を引いている。出会ったときに見た金色の眼には確かに殺意があった。

 あたしはじっと子どもを見つめた。子どもは銃を降ろした。

 あたしは言葉もなく、子どもに近づいて、その身を抱きしめた。

 結局、あたしは守れないのか。


 ――隊長、そちらはどうですか

 ノイズ混じりのグリドリーの声。

 ――平気だ

 嘘ぐらいはつける程度には。

 本当はちっとも平気じゃなかった。くそ女には蹴られて、殴られて、血を浴びてぐちゃぐちゃだ。足が痛む。下手したら折れたかもしれない。

 あたしが抱える子どもは震えもせず、腕のなかにいる。

 ――殲滅完了。迎えにあがりますよ

 ――頼むよ、疲れた

 ――隊長、なにかありました?

 軽口。

 あたしは苦笑いする。

 ――あたしは、母親になれないと思っていたし、実際なれないんだが

 ――……どうしました

 ――けど、恐ろしいと思ったんだ。咄嗟に

 ――話が見えません。隊長

 ――あたしは馬鹿だな。もう戦えない

 ――隊長?

 ――もう戦えない

 通信を切って、息を吐く。

 腹が立つ。

 あたしは考えなしで、愚か者だ。だから、自分に教えてくれた恵一に従い、東は失敗した。今も、また失敗しようとしている。

 いいや、失敗したんだ。

 あたしは母親になれない。

 足から流れる血が、止まらない。

 激痛に眩暈がした。

 もう、意識を保っていられない。


 確信があったわけじゃない。ただ、なんとなく自分の肉体の変化は理解していた。その変化に恐怖した。あたしはずっと失敗してきた。そんな人間に、こんなものを与えられるのは罰なんじゃないかと思った。なにかの勘違いや手伝いであってもほしかった。それを一番伝えるべき相手は戻ってこない。その間もずっと不安と孤独は押し寄せてきた。これはあたしがしてきたことへの罰だ。

 寂しかった。

 気が狂いだしそうな無情な時間をただ黙って耐えたが結果、なにかが切れた。

 あたしは、上等の人間じゃない。学もない、考えもない。ただ本能で生きてきた。それでも生きれる世界にいた。けど、ちゃんとした人間の世界では、それじゃあ、だめなんだ。あたしは必死にそれに合わせようとしたが、もう限界だった。

 悪夢だ。

 こんな大事なことを一人で押し付けられるなんて絶対に許されない。だから、あたしは希望に縋った。

 あの人は生きている。あの人に絶対に会う。そうしたら、きっと救われる。

 そのことについて忘れて人を殺していった。死んでもいいとも思っていた。遠回しの自殺。けど、あたしはセキレイとの戦いで死ではなく、生きることを望んだ。浅ましく、本能的に死にたくないと思ってしまった。いいや、あたしは死んでもいい、けど、

 目が覚めた。

 まだぐらぐらする。

 白い天井に粗末なベッド。

「隊長」

 泣いたような声はグリドリー。

「どうして教えてくださらなかったんですか。俺たちは絶対にあなたを行かせなかった」

 言えるわけがないだろうとあたしは力なく笑う。

「どうして」

 だって

「あなたは、あなたは守られるべき人なんですよ」

 怖かったんだ。

 ただ怖かったんだ。闇を恐れる子どものように、自分が武器ではなくなってしまうことを望みながら、今まで培ってきたものを捨てることが想像出来なくて、それがあまりにも怖かった。

 なにかに縋って、守られて生きるのは想像以上に困難だ。

 あたしは、そこまで強くない。

「きっといっぱい考えたんですね」

 優しく手が抱擁される。

「あなたは、ずっと戦場で生きてきた。人を憎んで殺してきた。それが当たり前の生き方をしてきた。だから、あなたは、人を愛せない。信頼は出来るし、守ることも出来る、けど愛せない」

 なら、愛とはなんだ。

 お前たち人間がさも大切のように語る愛とはなんだ。どうしてあたしにはそれが理解できない。持つことが出来ない?

 理不尽だ。

「……あなたの不運は育ての親と、俺たちなんでしょうね。隊長」

 そうかもしれない。けれど、あたしはあたしの生き方を後悔していない。

「っ、隊長。いいんです。後悔してください。育ての親を憎んでください、俺たちを憎んでください。あなたを戦場に留めた。普通に生きることから遠のけた。俺たちは、俺たちの救いのためにあなたを利用した」

 あたしは、それでも利用されたとは思っていない。仕方なかったんだ、誰もが生きたかった。どんなことをしても。

「あなたは変わった」

 そうか?

「ええ。昔のあなたたなら、きっと俺たちを憎んだ。けど、あなたは俺たちを許してくれている。殺し合いのなかに身を置かせ、愛を教えなかった理不尽な世界を、あなたは許そうとしている。隊長、ニカ・アドルフ。それが、きっと愛ではないのでしょうか」

 あたしはぼんやりとグリドリーを見つめる。

 こんなものが?

「そうです。正しいものとは言えません。いびつで、歪んでる。けど、間違いだらけでも、それがあなたの持つ愛なのだと思います。俺は命を賭けても、それがあなたにとって迷惑でも、守りたいんです。隊長。私の愛しいライカ」

 涙が滴り落ちてくるのにあたしはただ受け止めるしか出来ない。

 あたしが憎まないのは、ただ憎むことに疲れたからだ。故郷がすべて灰となったのに、生き残ってしまった自分の愚かさに。人を殺すしか教えなかった恵一に、あたしを裏切った東に。

 なにもかも与えては奪っていく世界に。もう疲れてしまったんだ。

 あたしの手にキスを落としてグリドリーは笑いかける。

「間違ってもいいんです。それであなたが救われるなら、そして、あなたが正しいと思うなら。少し眠ってください、まだなにも始まってないですから」

 あたしは目を伏せた。

 ひどく疲れている。


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