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――申し訳ありません
黒田の落ち込んだ文字にあたしは肩を竦めた。
――そう落ち込むな。少尉、久しぶりだったんだ
――しかし、二分もかかりました
――まぁ、予想よりも骨がある男だったんだな
あたしは黒田の肩を叩いて慰めた。
よりいっそう、黒田が肩を落として、落ち込む。
結局、男の皮肉な笑みが一分で砕けて、泣きだすのをあたしはじっと見ていた。洗いざらい話しだすのも。
黒田のやり口はえぐいものだったが、決して致命傷は与えない。効率よく、痛みと恐怖を与える。お見事と褒めたいくらいだが、それでもかかった時間が黒田には重要だったようだ。
しょぼくれた黒田を連れて、あたしはその組織に向かった。
車の運転は黒田に任せる。黒田は運転席で、うなじにある間接線にケーブルを挿した。おかげで黒田は運転しながら快適に車の声を借りてあたしに会話している。
はっきりいうとゴミ溜めのような車だが、その実科学者ならよだれが出るほどの素晴らしい改良車なのだから、恐ろしい。
――電脳はいいですよ、隊長はしないんですか?
――しない。
脳のなかにコンピューターを埋め込み、限りなく機械化した脳。おかげでいくつもの面倒事が破棄され、電脳世界がリアル世界と同じレベルとなったが、あたしには関わりたくないことだ。
電脳を使うのは、今のところ一部の肉体的適用者だけだ。
とはいえ、ナノマシンによる戦場洗浄――クリーンな戦場を作ろうというバカバカしいことが行われているのだから厄介なものだ。戦場の兵士にナノマシンを埋め込み、その個人データをすべて把握する。
日本ではナノマシンによる個人判別が適用され――あたしはナノマシンは入れていないが――旦那はそれで死体だと判定されてしまった。便利だからこそ、穴があるって知らないのか、あいつら。
あたしはあたしの眼で見たものしか信じない。旦那の死も。
――あと五分で組織につきますが、どうしますか?
――殴りこむ
――本当にかりかりしてますね。もしかして、生理ですか?
――違う
デリカシーのない男だ。じろりと睨むと、くわばら、くわばらと謎の言葉とともに縮まった。
車が例の建物についた。
殺し屋が、表では警備会社か。
警備会社で名前はコロニー・ゼウス。裏では非合法殺し屋組織「フウマ」。
フウマという名前が出たんとたん、黒田が急いで情報を引っ張ってきた。
フウマは古くから日本にある組織で、最近は海外にもいくつかの支店を構えているそうだ。
組織のトップの名前はツクヨミ。
――ツクヨミの名前は、この百年ばかりかわってませんね
――百歳の老人が率いているのか?
――違います。フウマのトップの名前は、ずっとツクヨミか、アマテラス。彼らは神話の神の名前をネームにしているようです
おかしな風習もあったものだ。
それと、と黒田が説明したが、幹部は同じように神話の名前が呼ばれているそうだ。オロチ、セキレイ、ヤマト、クシナダ……世界でもトップクラスの殺し屋が所属しているそこの面白いところは、どれだけの金を詰まれてもすぐに動かないというところだ。依頼されたらその内容を吟味し、殺すに値すると決定してから動き出す――殺し屋が正義の真似事かと思うと怖気がくるものだ。
男がしゃべったのは、警備会社の子会社のひとつ。セキリティ警備会社。またしてもコンピューターか。
あたしの苦手な分野だ。
黒田がにやにやと笑っている。
――メインをハックしたら、あとはお任せください
――頼むよ。あたしはどんぱちは得意だが、そういうのは苦手なんだ
――隊長、いいストレス発散がありますよ。相手を撃ちまくる。そうしたら、すっきりしてます
――それはいい。ライフルで撃ち殺すか
――どうぞ。どうぞ。イヤホンをつけておきます。何かあればご連絡します
――頼んだよ
あたしは黒田の車から降りた。
こそこそと裏から向かうのはあたしの礼儀に反する。それに黒田の言葉もある。今日はちょっと素直にやってみよう。
細長い、五階建ての建物。
その入り口をあたしはくぐる。受付の女性があたしを見て微笑み、体を強張らせた。
いい反射神経だ。
迷いも、躊躇いもない。
撃つ。
ヒット。――潰す/砕く/腐る。
歌いたくなるのを我慢して、あたしは駆けだす。黒田から事前にこの組織は、すべて犯罪者によって運営されていることは聞いた。油断したらこちらが殺される。駆け出していくと銃弾が飛んだ。
ダンスに誘われているようだ。
けど、あたしは、いま、そんな暇はないんだ。
きれいに掃除されて輝く床を蹴って引き金をひく。二人仕留めて、駆け出す。とまったら死ぬ。それくらいわかっている。先に殺した受付の机を蹴って隠れると、太ももに銃を挟んで補充。よし。タイミングは耳で計る。音が聞こえる。それに飛び出して目につく者を撃ち殺す。
追いかけて来い。かかって来い。牙を剥いて来い。
机を蹴って宙に逃げる。不安定な空中でも狙いはわかる。あとは撃つだけ。
地面に着地。
フロアはクリアー。裏から侵入した黒田はメインコンピューターに向かっているはずだ。あとはいかに敵を引き寄せるか、だけだが。
ノイズ。
不愉快な音。
――隊長、奥の部屋が不明です。カメラも見えません。確認しますか
黒田の声。
あたしは黒田が指示する場所に向かって駆けだす。
あたしは狼だと口にしたのは誰だったたろう。きっと育ての親の恵一だ。彼は強くなれと口にした。誰にも負けない武器になれ、と。あたしはそのために彼の教えに従ってきた。それが良いも悪いもありはしない。ただ、目の前に敵がいて、あたしは生きたかった。それがいつの間にか、恵一に愛されたいという気持ちにすり替わった。強く在れば恵一とともにいられる、愛される。それがあたしにはすべてだった。
あたしにとって、すべてだった恵一は、あたしが殺した。
いやなことを思い出した。もう思い出したくもないことが、ときどき、ふっと頭をよぎる。歳をとったもんだ。何度目かのいやなため息をついて、長い廊下を歩ききって、その扉を開けると、目玉が落ちるかと思った。
裸で縛られた女と五歳くらいの子ども。
今日は最悪だ。旦那に死亡したと言われるし、殺しはするし、こんなやつらがいるんだから。
眩暈がしたし、出来ればドアはそっと閉めて黒田にはなにもなかったと嘘を言いたかったが、それをするにはあたしは誠実だった。
子どもの手にはナイフ。それがあたしに向かわないように祈った。向かったてきたらあたしはこの子どもを殺す必要がある。
縛られた女が、唸っている。すると、子どもが女を見たあと、あたしを見た。きれいな月色の瞳だ。
あたしは思わず微笑んだ。子どもがナイフをおろした。神様、ありがとう。どこにいるか知らないが、今だけお礼を言いたい。
あたしは子どもの手からナイフをとった。抵抗もなく、ぼんやりした子どもが床に転がる。薬でも盛られているのかもしれない。あたしはナイフで女の手足を拘束する縄を切った。すぐに女が猿轡を解いた。
「あなたは何者ですか、うちの殺し屋ではないですね」
女の言葉にあたしは自分の喉を指さした。
女はそれに目を見開く。意図は通じたらしい。あたしは懐からパソコンを取り出して、文字を打つ。
――旦那を探してる主婦です。
「嘘でしょう」
――本当
こんなことでいちいち嘘をついてたまるか。
「けど、あなた、どうして、ここに? 味方なんですか」
――あんた、誰
「名乗るのはあなたが先ではないですか」
肝が据わっている。そういう女は嫌いじゃない。
――ニカ
「……私はツクヨミ」
女の答えにあたしは唖然とした。黒田から聞いた情報が正しいとしたら、この女が、この建物の所有者になる。どうして、その女がこんな有様なんだ。混乱していて一瞬反応が遅れた。壁に叩き付けられる。痛み。怒り。目を向けると、スキンヘットの女が立っている。貴様か。あたしは床に手をついて飛び蹴りを放つ――女の顎に向けての一撃。と、女があたしの足を掴んだ。痛み。なんてことしてくれるんだ。今日は旦那のために勝負下着なんだぞ。もう片方の足で女の顎を蹴って、片方しかない手で床をついて、立ち上がる。今の一撃で沈んでない。ゴリラか。この女。怒りに満ちた目を向けられてあたしは歯を見せて唸った。下手に動いたら殴り殺されるかもしれない。だったらかみ殺してやる。
「やめなさい。セキレイ!」
女の声。
「この人は私を助けてくれたのよ。眼鏡をちょうだい、あと服……お前の上着をちょうだい」
「ボス!」
女ゴリラが人の言葉を話した。予想よりもずっと可愛らしい声だ。あわあわと慌てふためきながらもあたしを警戒しながら女ゴリラがツクヨミに上着をかけて、眼鏡をつける。まるで態度が違う。
「ふぅ。ようやくきちんと見えるわ。ありがとう。セキレイ。助けにきてくれたのね」
「むろんです。ボス。しかし、これは」
「私のミスです。敵は?」
「ほぼ殲滅されていましたが」
それをやったのはあたしだよ。
女ゴリラがツクヨミの肩を抱いて、それは、それは大切そうにしているのに呆れた視線を向けた。こいつらレズか。
不意に足に触れてくるぬくもりがあった。視線を向けると、子どもだ。この子も裸だったな。あたしはあげられる上着なんて生憎持ち合わせていない。
――隊長、どうしましたか
ノイズ混じりの黒田の声。
どうもこうも。助けてくれ。
厄介なもの拾っちまった。
あたしは昔から運はよくなかった。その悪運を克服するために必死になってしがみついて、はいずってきたといってもいい。だから、神様とか運命なんかは信じない。けれど、こんなことがあっていいのか? ジーザズ。あんたに祈りに行くことも、お祝いしたこともないがね!
頭を抱えたくなる状況でも、物事は進めなくちゃいけない。あたしには一分だって惜しい。
ツクヨミは裸に女ゴリラ――セキレイの上着。子どもは黒田のよれよれの汗の匂いのした上着を羽織って、車に乗り込んだ。
セキレイの乗ってきた最新型の車に黒田はよだれをたらしそうなほどに喜んだが、お前は自分の車だ。
あたしは、ツクヨミと同じ車に乗せられた。人質のつもりなのか。信用されているのか、はたまたあたしを掴んで離さない子どものおもりのためか。
車のなかでは沈黙。
あたしはパソコンを使って、無用な会話をしようとは思わなかった。苛々していたし、それよりも、なによりも、この状況をどうにかしてほしいかった。
「お話、ここでしましょうか」
ツクヨミが口を切った。
なにを語るの? あたしは視線だけ向けた。
「今の状況です。先ほどの敵はハイブリット。最近出てきた新手の殺し屋組織の末端です。私はどういう理由かは知りませんが、誘拐され、監禁されました。ちなみに誘拐されたのは、学校から下校直後の四時半」
「ですから、お迎えにあがりましたのに」
と運転席のセキレイ。
「普通の女子高生は一人で出歩くものですよ、セキレイ」
ツクヨミが笑った。
少し前にテロがあったのに、と思うが、時間が過ぎれば日常を取り戻していく。そうやって都合の悪いことはさっさと忘れて、取り繕うのが人間だ。
「私は殺し屋組織のトップですが、普通の、十六歳の小娘ですから」
普通の娘が殺し屋組織のトップはしないだろう。そんな言葉は野暮だな。
「テロがあったでしょう? おかげで駅が使えなくて通学も大変なんですけどね。それで近道にちょっと狭い路地を歩いていて誘拐されて、身ぐるみはがされました。ふふ。けどなにもされてませんから。ただ眼鏡がなくていろいろと見えなくて不自由しました」
余裕綽綽に語るツクヨミに。あたしは肩を竦めた。
「知らない人たちに、あの部屋に連れられて、ハイブリットのボスの雌猫がいました。しゃべってませんが、なにかの仕事をしている、みたいなことをほざいてましたわ。それでこの子どもが来て。そのあとあなたが飛び込んできたんです。協力しませんか? ニカさん」
どうしてそうなる。
「あなたがわざわざここにきた理由。聞かせてください。恩は恩で御返しします」
ふふっとツクヨミが笑うのにあたしは呆れた。目が獲物を見つけた猫みたいだ。
――あたし、結婚してるんだけど
「あら、不倫って素敵。女同士ですし」
――それよりも、状況を整理して、さっさと次にいきたい
「あら、つれない。私、いろいろとたまってるんです」
知るか。そんなこと。
思わず怒鳴りそうになったが、運転席のセキレイの視線を感じて黙る。ここでどんぱちをするむつもりはない。
頭のなかで計算するが、子どもがいることと、相手の車のなかにいること。圧倒的不利ではないが、出来れば戦いたくない。
後ろを大人しくついている黒田の車がいくら汚くて、うんざりしても、乗るべきだったと後悔した。今は、あの泥沼みたいな車がものすごく恋しい。胸のなかに子どもを抱いて息を詰めていると、ツクヨミの眼鏡越しの瞳と合う。ピンクの舌が物欲しそうに見つめている。
「しっかりとサービスしますわ」
――それなら、あたしの旦那を探して
キスされる前にパソコンを差し出した。
「あら、野暮なセリフ」
――いちいち言わせるな。あたしは旦那がいるんだ。そいつ以外としたくないし、するつもりはない
こういうとき、パソコン越しにしか会話できないのがつらい。両手があったときは手話なりして意志を伝えて、張ったおせばよかった。それができなくなったのは不自由で仕方ない。
「……あなた、処女で男と結婚したわけじゃないでしょう」
――しちゃわるいかよ
「うそ、かわいい!」
楽しそうな声をあげる。この小娘を殴りたい。
「ツクヨミ」
「なぁに、セキレイ」
「会社につきました。御戯れはその程度で」
「あら、残念。あなたがあとで覚悟してね」
ツクヨミの唄うような声に、あたしは心からセキレイに同情した。




