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 今日は人生で何度目かの最悪な日だ。

 あたしが怒りをこめて、目の前の鉄の扉を蹴り開けると、ひゃうああっと情けのない、どすのきいた低い声が耳の鼓膜をひっかいた。

 目を細めて、懐から小型のパソコンを取り出した。指くらいの細い形のそれは、スイッチを入れると透明なモニター画面が現れ、クリック一つで通信機能等のアプリが使える有能な機械だ。今はもっぱらしゃべれないあたしの声のかわりになっている。

 あたしの右腕しかない手は、器用に透明なボタンを押していくが、あたしのアイスブルーの瞳が警戒心を向きだしに、ちらりと仄暗い室内を見まわす。

 まるで死人のはらわたのような廃墟ビルに身を隠した元仲間を見つけるのは骨が折れた。

 ビルの地下。そこは要塞としては有能だ。いくつもの精密機械と、よく知らないアニメポスターとフィギュアがずらりと並び、プロテインと健康器具が見える。男の趣味というやつは本当に理解に苦しむ。

「久しぶりだな、黒田少尉」

 機械の声に黒田と呼ばれたこの部屋の主がびくりと震えた。安心すればいいという願いをこめて笑いかけてやる。

「に、に、に、に、に、に、」

 震え、怯えたような、声が響いた。

「にか、かかかかか、たいちょううううう、おひさし、ぶりでぇええす」

 あたしは小首を傾げた。

「ど、ど、ど」

「中尉、パソコンでの談話を許可する。使え」

 このままでは会話が進まない。あたしには無駄にできる時間は一分もない。

「申し訳ありません。助かります」

 とたんに、黒田が目の前のキーを叩いて、大画面にぱっと文字が浮かぶ。

「構わんよ。お前のそれはあたしのせいだからな」

 ルイ・黒田はあたしの部隊の兵だった男だ。あるとき、部隊が襲われ、大打撃を受けた。そのとき、黒田は爆弾でそこら一帯を焼野原にして仲間を逃がしたが、その代償に顔の半分と左脳に鉄パイプをくらった。

 言葉は理解出来ても、発音に苦労している。

「そのようなことはございません。して、今日はどうしてこのようなむさくるしいところに」

「旦那が消えた」

「は」

 パソコン画面に、文字が一つだけ浮かんでそれ以降の文字が続かない。あたしはじれったが、我慢した。

「は、は、は、」

「中尉、いつから、貴様は手にも麻痺が出来たんだ」

「め、めっそうもないで、え、結婚なさったんですか? 隊長」

「悪いか」

「ぜんぜん!」

 力いっぱいキーを打つ音がする。わかりやすい男だ。部隊にいたときから、こいつは素直だった。

「で、追いかけてる」

「は」

 また文字が止まる。

「だから、旦那が消えたから追いかけてる。手伝え」

「は、はぁ?」

 一文字だけではない分、ましな会話になってきた。

「指輪してませんよ」

「これしてるだろうが」

 左手につけたウェディングロープを見せる。腕の半分を覆うシンプルな花柄のこれがあたしにとっての指輪みたいなものだ。

「……すいません。隊長、情報を整理させてください。隊長は結婚なさりまして、その上、旦那様は消えた。それは、離婚とか、ぐぅ」

 文字が続かなかったのはあたしが黒田の首を軽く締めたからだ。この男は素直な上にいらんことをさらりと言いだすのだ。本当に昔と変わらない。愛しくて、ばかな部下だ。

「た、たたたた、たいちょう、くる、くる、くるく、くるくるし」

 潰れたかえるみたいな声で黒田が悲鳴をあげる。このまま締め上げてやっても全然かまわないのだが、それをすることのロスを考えてやめた。

 あたしはいちいち自分のパソコンを使うのが馬鹿らしくなり、黒田の横に押し込んでキーを叩いた。

「離婚はしていない。消えたんだ。物理的に」

「それは、また」

「生きてるのか、死んでるのかもわからん。探したいから、手を貸せ」

 間。

「一つお聞きしますが、その旦那様は、法律上はどうなってます」

「死んだと言われたな。今日、飯を作って帰りを待っていたら、旦那は死んだと言われて、挙句に空っぽの棺の前に引きずり出されたよ。笑えるだろう? 少尉。日本の警察は有能だというが、死体もないのにどうして死んだといえるんだ」

 あたしは白い歯を剥きだしに唸った。本当に思い出すと怒りがぶり返してくる。内臓が焼けるような激しい怒りだ。

「死体がない、ですか」

「うん。警察が言うには、一週間前にテロのせいでわからんとさ。ほら、駅での」

「ああ、日本の交通が断たれた、あれですねぇ。そのうち、どいつかがやるとは思ってましたけども、思ったよりも小規模でしたね」

 駅を五か所同時爆破した挙句に、いくつかの建物を吹っ飛ばした謎のテロ行為を小規模と言うのだから、こいつの感覚はどこかおかしい。

「それに、美しくない」

 爆弾のプロである黒田の語る美しさもあたしには理解できない。だが、そのいかれた謎の連中のおかげであたしの平和はぶち壊されたんだ。

 一週間前まで普通に話していた相手は死んだといわれるためだけに、何時間もかけて警察にいき、空っぽの棺を見て、お悔みを言われたわけだ。未だに収まない喧騒と人の泣く声が響いていた。頭がどうにかなりそうだった。

 日本人は大変に有能だ。死体を集め、瓦礫を片づけ、データして、知らせてくるのだから。だけど、どうしてそれだけで済まされる?

「まだ復興してないでしょう? 隊長、ここまでどうやってきたんですか」

「歩いて」

 さらりと告げる。見栄は張らない。

「大変だったぞ。警察にそんなバカなこと言われたあと、お前を探して裏の情報屋たちを虱潰しに捕まえて吐かせていったんだ。お前は定期的に居場所を変えるから探すのが大変だ。連絡しようにも、今地上の電波が壊れていてな。小型のパソコンだと役に立たない」

 怒りを抱えたまま放り出されていたので、いい気分転換になったが、あたしの言葉に黒田が渋い顔をした。

「それは、また、大変でしたね」

「こんなブラック・ジョーク。お前ぐらいしか対応できないと思ってな。頼むよ、黒田、手伝え」

「……侵入者を連れて言うことですか、それが」

 黒田の画面の言葉が恨みがましくあたしの目を楽しませた。左側に置いてあるモニターから流れる監視カメラの映像には数名の男の姿が見える。思ったよりもずっとはやいご到着だ。

「うん。そうだ。わざとやった。お前が逃げないようにな。交渉の基本だぞ。少尉、さぁ、敵を迎え撃とうか。戦争だ」

 黒田とは対照的にあたしの文字は明るく踊る。黒田がため息をついて、ううーと唸った。きっと、あなたはいつも無茶苦茶だとか、強引だとか言っているんだろう。そんなものは承知している。今更の文句だ。

 こうなることはわかっていて、シャツとロングスカートにしたんだ。右手につけたウェディングロープの紐を口でしっかりと結ぶ。

「この敵は、あなたが俺を探し出すために虱潰しにしめあげた情報屋の報復でしょうか?」

「どうだろうな。どっちでもいいさ。あたしは、いま、きれてんだ」

 素直な感想。

「楽しませてくれたら最高だ。で、あたしの武器はどこにある? 少尉」

 黒田が立ち上がって奥の棚からククリナイフを取り出した。よく尖れて、つやつやとして、輝いている。

 ハァイ、久しぶり。相棒。

 思わずキスしたくなるくらいに美しい。やはり黒田に預けてよかった。あたしの相棒。

「銃はS&WM39を用意してます。弾もあります。さすがに、この建物では接近戦が主となると思いますので、ご注意ください。あまり期待してませんが」

 あたしは頷いて、なくした左腕にホルスターをつけて、銃にキスをして左足にククリナイフをつけて踵返す。

「隊長、あまり派手に暴れないでくださいね」

 約束は出来ない、そういう意味をこめて肩を竦めた。


 刻む/音/潰す/音楽。

 口のなかでケセラセラと囁きながら通路を進む。ざっと通路は見てまわった。

 隠れることも出来ない狭い、人一人が通れる道。いくつかの仕掛けはあるが、それは必要なときに発動させるためにも奥の手にしておく。それくらい、黒田もわかっているだろう。待ち伏せも考えたが、それはあたしのやり口に反する。

 それに、時間が惜しい。

 怒りで内臓が燃えつきそうだ。

 通路を走っていく。

 刻む/音/潰す/――砕ける。

 通路の先に人影がいたのに発砲した。手ごたえはあった。思わず口笛をふきそうになったが我慢した。まだ終りじゃない。

 先に進むと、若い娘が男を盾にして立っていた。口から血を溢れさせた男を捨てて、女がかかってきた。

 手には大振りのガター。

 年齢は十代もそこそこ。服は、ひらひらのスカートに白いシャツ――学生の着る制服ってやつか。

 子どもに殺人をさせるのか、が第一感想。

 子どもが迫ってきた。

 せいやぁ、と気合いのこもった声とともに振り降ろされるガターの動きは、早い。いい筋だ。育てたら、いい戦士になる。そう思いながらあたしは足に隠してあったククリナイフを横に引き抜き、弾いた。風を切って、女の子の胸の部分――服が軽く切れて、ブラジャーが見えた。白か。怒りの遠吠えのような声とともにさらに斬りこんできた。それを受けながら背後にいる男を見た。スーツを着てあたしとそう変わらない――あ、こいつは殺しを何度もしている。見ただけでわかった。あたしは女の子の腹を蹴って退けると、男を狙った。

 狙うは危険個体。

 手に持つククリナイフを口にくわえて銃を構える。

 笑っている男の手に握られたワルサーが声をあげた。思わず横に逸れた。と、女の子が下から襲い掛かってきた。

 見事な、連携プレイ。

 しかし、甘い。

 足払いとともに女の子の体を転がせると、銃を捨てて、ククリナイフを持ちなおして首を一文字に切った。悲鳴とともに転がり、血がしたたる。

 すぐに襲い掛からず時間を与えてきたのは手を出しあぐねいているのか、何か話したいのか。あたしはククリナイフを口に咥えてパソコンを片手に持つ。

「女狼だねぇ、あんた。しかし、なかなかに不自由とみえる。声はないし、片腕もないのに、こりゃ強い」

「……お前、なんであたしを追いかけてきた?」

「さぁ、命令でね。そこまで深くは聞いてないよ」

「そう。なら、あとでじっくりと聞くわ。よくもあたしに子どもを殺させたわね。嫌いなのよ。子どもを殺すのが」

 死体を蹴って退ける。

 本当に、可愛そうなことをした。なんで苛々しているあたしのところに来るんだか。

「殺した奴の言う台詞じゃないねぇ。日本は、まぁまぁ平和だが、そういうやつらがいなくなりゃしない。そういう国なんだよ。ここは」

「腐ってる?」

「ほどほどには」

「そう。けど、あたしは、この国が好きだわ。腐っていようが、バカがいようが、お前みたいなろくでなしがいようとも、戦場よりは優しいからね」

 皮肉。

 男の纏う気配が変わった。と、ワルサーが笑い声をあげる。あたしは駆けだす。追いかけて来い、来い、追いついて来い。狭い通路を駆けて間合いまで来ると、男の懐に潜り込む。手が床を叩く。太ももに男の首を掴んでしめあげる。骨を砕こうとして一瞬、思いとどまる。

 男が倒れた。

 あたしはこの場がクリアーになったのを確認して、ククリナイフを口にくわえて、パソコンで黒田に連絡する。

 ――用意を頼む

 ――了解しました。クリアーまで三分ですね。腕は衰えていないようですね

 ――衰えたよ。むしろ、錆びついた

 男の首ねっこを掴んで歩き出す。

 錆びついてほしいんだけどね。そろそろ。


 水をかけると、男がひゃうあ、と声をあげて目覚めた。間抜けな声だ。あたしと黒田はそんなまの抜けた男を見下ろした。

「おはよう。殺し屋。で、あたしを追いかけてきた理由を聞かせてくれないか? お前の所属している組織や場所についても」

「……いやだと言ったら?」

「黒田、頼む。時間は三分。さっさと吐かせろ」

 あたしは会話を打ち切って退き、かわりに黒田が男に顔を寄せる。片方の顔が爛れた黒田はなかなかに迫力があるらしく、男が青白い顔で震えている。

「じ、じし、じ、じ、じぶんの、なまなまなまなま、なまにくは、なかなか、くさ、くさ、くさい、ですよ?」

 黒田の笑っている声が響いてくるのにあたしは興味なく、椅子に腰かけた。

「きり、きりってやるから、たべろ、よよよよ」

 黒田は医学知識がある拷問のプロだ。こいつの拷問で落ちなかったやつはいない。大抵は、一分で誰もが泣いて殺してくれと言いだす。

 この男は果たして、どれだけ持つかな。

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