炭酸少女と縁結び
じわじわじわじわ。
初夏。セミの声が響く。
がこん、といつものように学校脇の自動販売機で炭酸水を購入した青山凜は、一言も発することなくそれを半分ほど一気に飲み干すと、ペットボトルを手に歩き慣れた舗装道を歩く。照りつける日光は間もなく7月も半ばに入ろうとする時期に相応しく容赦なく凜を照らし、凜の額にはうっすらと汗が浮かぶ。
しかしその顔は暑さで上気するどころか、少し青ざめているくらいだった。
田んぼと畑の間を抜けて砂利道を暫く進むとようやく前方には小山のような木々が見えた。
凜はたまらず駆け出し、そしてふもとの石段をものも言わずに走り抜ける。
そうして登りきると、そこには大きな鳥居が立っていた。
しかし鳥居をくぐって本堂に続く参道を通るわけではなく、鳥居の横を進み、神社の裏手にある雑木林の中に入っていく。そして、その途中あたりで止まって大きく息を吸い込んだ。
何度か大きく深呼吸してから制服のスカートが汚れるのも厭わずにあたりの倒木に腰かけ、まだ冷たい炭酸水の残りを口に運ぶ。
周りには見渡す限り大小の木々が生い茂り、目を閉じれば水が流れる音が聞こえる。その空間の中で座り込み、木漏れ日を浴びながらぼんやりと葉の擦れあう様を見ていると、込み上げた吐き気が消えていく。
「あー。やっと、ましに、なった…。」
『凜、気分はよくなった?』
「うん、もう大丈夫。ありがと、もっくん。」
凜の周りには人っこ一人いない。人どころか生き物すらいない。ただ凜が身一つでいるだけだ。
ただ凜の右手に片手に収まる程度の大きさの木彫りのネズミの置物があるだけだ。
『凜は苦労するよなぁ、人の世界はこれだから煩くていけないね。』
「もっくんそんなこと言っちゃだめでしょ。もっくんは人がいなかったら今ここにいなかったんだから。」
『そーだけどさぁ。』
凛はただ手のひらに向かって話しかけている。この状況での話し相手は、この古ぼけたネズミの置物に相違なかった。
その姿をよく知らない人が見れば珍妙に見えただろう。ともすれば病院に行くことをおすすめされたはずだ。
『凜は物の声が聞こえすぎちゃうもんなー。』
「本当に。ただ耳を塞ぐことしかできないなんて、無力だよね。」
凜は変わった体質を持った少女だった。
物の声が聞こえるのだ。それも聞こうと思って頑張らずとも自然と聞こえてしまう。もちろん対象の物に触れている必要もない。だから彼女の周りでは常に声が飛び交っている状態だ。特に物に溢れた都会では何百、何千、何億という物の声に囲まれるもんだから、少し外を歩くだけで凜の耳にはライブばりの音声が入ってくる。その音量には凄まじいものがあった。
当然、凜はすぐに気分が悪くなり、頭痛がし、我慢していると猛烈な吐き気に襲われる。そんな凛は、とてもじゃないが都会では生きていけなかった。
凜のこの体質は生まれつきのものではない。小学校5年生までは東京の都心部に両親と暮らしていた。
その人生が大きく変わったのは小学校の社会科見学でごみ焼却所を見に行ったときのことだ。
『助けてよう!』
『熱いよう!』
『俺まだ使えるぜー!』
『なんで捨てるんだよ!!』
こんな声が辺りから一斉に聞こえてきた。
当然、凜は頭が割れるかと思うほどの頭痛と気持ち悪さでその場で昏倒した。
病院で目が覚めた時も周りからは声が聞こえた。
『俺のベッドに寝てるやつ汗っかきなんだよ!早くシーツ替えてくれ!』
『私のとこはちぃちゃな女の子よ!スプリングで跳ねないで!』
『うちは新入りさんだよ。8才くらいかね。どうやら今日倒れたそうなんだ。』
「10才だよ!」
『おや、お嬢さんは私たちの声が聞こえるのかい?』
『聞いておくれよ!』
『うちのも!早く!』
わぁわぁ、わぁわぁ。
思わず声に答えてしまった凜は返ってきた言葉の数々に驚いてベッドから落ちかけた。
このような不思議な体験を両親に語っても、見舞いに来てくれた友人に話しても、先生に説明しても信じてもらえなかった。
「凛ちゃんはおかしくなっちゃったんだ。」
「凛ちゃん気持ち悪い。」
「青山さんはしばらく入院して休んだ方がいいみたいね。」
病院には、色んな声、それも死んだ持ち主を思って泣く物たちの声が飛び交っていて、ずっと過ごすのは苦行だった。夜ごと、啜り泣きやせいせいした、などの物たちのおしゃべりの声が聞こえてきて凛は憔悴した。
入院しても様子の変わらない凛を見かねた両親が専門の病院で凜を診てもらおうか、と話していたのを聞く頃に、凜はようやく周りの人にはこの声が聞こえていないこと、これは物の声なのだということに気づいた。そして、それが周りには「頭のおかしいことだ」と思われることも分かった。
――それなら早くもっと静かなところにいきたい。
凜は医者や両親に「音が聞こえたというのはウソだけど、どうも気持ちが悪いのが抜けなくてここにいると吐きそうだ。だから田舎に行きたい。」と必死で訴えた。
両親は鬼気迫る様子で訴える娘のことを考え、凜を東京西部の自然豊かな奥多摩に住む祖父母のところに預けた。
それ以来、高校2年になる今年まで凜はここで暮らしている。
『今の世の中は物に溢れてるからなぁ。凜もおいらみたいにもっと昔に生まれてれば幸せだっただろうに。』
「そうだね。もっくんが生まれた鎌倉時代なら今よりもっと生きやすかったのかもね。…さて、そろそろ家に帰らないといけないかな。今日は宿題が多いんだ。」
『もう充電はいいのかー?』
「もっくん、もっと昔の言葉を使えばいいのに。」
『何言ってんだい。おいらはこの800年ほどながーく生きるえらーい神様だからこそ色んな言葉を知ってんだぞ!つまりおいらは現代っ子でもあるんだぞ!』
「はいはい。」
『こら、凜、あしらうなんて失礼なんだぞ!』
「分かった分かった。もっくんはこのネズミの置物に宿るえらーい付喪神様だもんね。」
『敬意がこもってないぞ、凜!』
手のひらのネズミの置物はあくまで置物だから表情が変わることはない。けれどもっくんの声の調子から、どんな表情で話してるんだろうということを想像すると、自然と凜の顔には笑みが浮かぶ。
凜は騒ぐ置物を制服のポケットに入れて、境内に戻ると手水舎に向かう。本当は境内に入ったときに最初にお詣りすべきなのだが、どうしても気分が悪いときは先に気を落ち着かせてからこうしていた。
凜が物からの声に酔った(彼女はこう表現している。)とき、解決方法は二つしかない。
一つは自然の多い神社に入ってそこで深呼吸すること。そこにいれば、音から解放されてそこで体内にたまった不純物が洗い流される。
だけど授業中にはこれは使えない。
学校にいる最中にはどうするか、というと、炭酸水を飲む。
甘い味がつくコーラやソーダではなく、無味の炭酸水。レモンの香りがついているやつだとなおいい。そしてこの炭酸水は冷えていなきゃいけない。
なぜかこの条件を満たす炭酸水を飲むと、凜の溜まった不快感が押し流されて解消されていく。一度に飲み過ぎると痛みが走るくらいの、喉の奥でしゅわっと弾ける感覚が自分を清めてくれてるんじゃないかと凜は思っている。
都心ではないこの場所で炭酸水を常備していれば日常生活はなんとか送れる。が、それでもこうやってたまに耐えられなくなるときがあって、そんなとき、凜はよくこの神社のお世話になっていた。
凜の体調の悪さを神社の施設は分かってくれていて、不敬を侘びればいつも許してくれた。だからこうして、耐えられないときは落ち着いてからお詣りする。
二拝二拍手一拝を済ませて戻る最中に、珍しく話しかけられた。
『凜、凜ちゃん、ちょっといいかい?』
それは神社の参道脇にある狐像から発せられていた。稲荷神社の系列であるこの神社は狛犬ではなく狐様が祀られている。田舎の慣れ親しんだ物たちは用がなければ滅多に凜に話しかけてこない。だから凜がこの狐像に呼ばれたのは初めてだった。
――わたしの名前を知っているのはもっくんと会話しているからだろうな。
「どうかしたんですか?」
『悪いんだが、私の足元のね、尻尾の近くに苔が生えていて気になって仕方ないんだ。そこの手水舎の水でいいから落としてくれないかい?』
「え、手水舎のお水、使っていいんですか?」
『大丈夫、そんなことで怒るようなケチな神様じゃないからね、うちの主は。ささ、ちょちょっとやっておくれよ。』
「分かりました。えーっとバケツ、は…。」
手水舎の近くには水を運べるような手頃なバケツはない。
『凜ちゃん、凜ちゃん。』
今度は柄杓に呼ばれた。
「はい、なんですか?」
『あっちに倉があってね、神主さんが使ってるたらいがあるわ。ほら、呼んでるの聞こえるでしょう?』
「あ、微かにおーいって。」
『たらいくんも協力してくれるっていうから、彼と私を使って?』
『あ、狐さんをぼくで擦っていいよ!』
言われた通りにたらいと柄杓を持ってきて透明な水を何度か汲み、そしてそれを狐の像にかけ、申し出てくれたたわしで擦る。
『あーいい気持ち。こういう暑い日には水が一番だね!そこそこ、いいね、痒いところに手が届くって感じさ!話せるっていいね!』
狐像の声を聞きながら「そうですね」と凜は返す。
正直に言えば、この体質のせいで慢性的に気持ち悪くなるからあまりありがたいと思ったことはない。でも、これがなければ、もっくんや狐像とも話が出来なかったんだよなーと思えば少しだけこの体質でよかったと思える。
「ここでいいですかー?」
『そこそこ!うまいうまい!凜ちゃん、うちに嫁に来ないかい?凜ちゃんなら話できて飽きないもんなぁ!』
「何言ってるんですか狐さん。大げさです。それに私まだ16歳ですよ。」
『昔の人はみんなそれくらいでお嫁に来たよ。』
「でも今は違うんですよー。それに、私はこの体質のせいで友達すらほとんどいないんですよ。」
『あぁ、よくうちに来てるもんねぇ。じゃあたまにこうやって洗っておくれよ。』
「私でよければ喜んで。神主さんに今度お話してみます。」
狐像を結局本狐 (?)の要求するままにピカピカに掃除して、凜はふぅ、と額を拭った。
日差しのせいでかなりの汗をかいている。
「狐さん、今日はこんなところでいいですか?私そろそろ帰りますね。柄杓さん、たらいくん、たわしくんもありがとう。」
『いえいえ!』
『また使っておくれよ!』
『また来てくださいね。』
『あ、ちょっと待って、凜ちゃん。うちの跡継ぎがそこに来たよ。挨拶してってやってよ。』
「狐さんにも代替わりがあるんですね。」
『何言ってんだい、凜ちゃんと同じ高校だろう?』
「え?」
凜が後ろを振り返ると、そこには凜と同じ高校の制服を着た男の子がいた。
人がいたとは知らなかった凜は驚いて柄杓を落としてしまい、「痛いですよっ!」と悲鳴をあげられた。
「ごめんなさい!」
柄杓に謝ってから、彼女ははっと気づく。
――この人は、私が物と話していたのを聞いていたんじゃ?たとえ違っていたとしても、独り言の妄想女だと思われた!
それは凜にとって一番辛いことだった。小学校時代の友達が彼女のことをそう呼んで以来、凜は人と話す際いつも緊張してうまく話せない。
「あ…え…と。き、きいて…。」
「うちの狐さんを綺麗にしてくれてありがとう。」
少年は凜が独り言を言っていたのを見ていたはずなのにそれについて何も言わずににこりと微笑んだ。
「すごく綺麗になった。僕も頑張っていたつもりだったけど、目が届いてなかったよ。」
そう言って、狐像の背中を撫でている。
『おーいいぞー初。そこが気持ちいい。』
狐像は嬉しそうな声をあげている。
『あ、凜ちゃん、こいつならそんなに怯えなくても大丈夫だよ、こいつも人としては変わっててさ。大主様と会話できるやつだからね。』
「大主様?」
凜の疑問には少年が答えてくれた。
「あぁ、うちでお祀りしているおきつね様だよ。僕たちは大主様って呼んでるんだ。」
それだけ言って、凜がその呼び方を知っていることは訊いてこない。
――なんでだろう、なんでこの人は訊いてこないんだろう?
今までだって、凜がうっかり物から教えてもらったことを本人の前で言ってしまうことはあった。そんなとき、大抵相手には「なぜ?」と問われ、そして上手い返事をできないものだから大層不気味そうな顔をされた。
なのに今、目の前の少年は何も訊かないし、不快そうにもしていない。それが凜にはひどく不思議だった。
「あの…き…きか、ないんですか?」
「何を?」
「私が…話してたこと…、誰と、とか、頭変なんじゃとか…なんで?とか…思わないんですか?」
凜の言葉に少年がにこりと微笑む。
「じゃあ僕も変人だね。」
「え?」
「僕も君と同じだよ、青山凜さん。」
「わ、わたしの名前…なんで知って…?」
「気持ち悪い?」
「そんなこと、ないです…。」
「そう。ならよかった。」
少年のゆったりとした話し方は流れる川のように涼やかで聞いていて心地がいい。
佇まいが落ち着いていたせいだろうか、凜は少年が少しだけ近づいてもいつものように逃げようとは思わなかった。
「…なんで…分かるんです、か?あ、ごめんなさい。」
もしかしたら、自分と同じなのかもしれない、と思えば凜は自然と尋ねてしまった。そしてそれは凜がさっき嫌がったことそのものだったと気づいて後ろめたくなる。
しかし少年は気にした風もなく神社の木を見上げた。
「僕は、みんなが見えないモノと話ができるから。」
それから静かにこちらにその目を戻した。
「青山さんが連れてる方に名前を教えてもらったんだ。」
――連れてる方…?
「あ、もしかして、もっくん?」
『おいら以外に誰が凜のこと教えるのさ?』
凜がポケットから出したネズミの置物は、きっと動けたら胸を張っただろうな、という声音で話した。
「その方…人じゃないけど、神様、だよね?こんにちは、はじめまして。僕はこの神社の涼宮初といいます。」
『うむ、いい挨拶だぞ少年。おいらにちゃんと語りかけるとはいい心がけだぞ!』
目を細めて凜の手元を見て、少年…初は挨拶する。そこで凜は初めて彼の名を知った。
「…もっくんと話…できるんですか?」
「あ、同級生だから丁寧語じゃなくていいよ。…その置物の中にいる間は話はできない。でもその方はたまに青山さんの周りをふわふわしているから。」
「もっくん、出てたの?」
『そんな遠くには行ってないぞ!おいらはあくまでこのネズミの置物の付喪神だかんな!でもたまに散歩はしてる。』
「もう、もっくんは!だからたまに返事ないんだ!」
「…青山さんは、霊体と話してるわけじゃないんだね。」
凛の様子をじっと見ていた初がそこで口を開いた。
「うん。わたしは…物と話せるの。もっくんがその霊体?とかいう時は、ここから出てるから、話せない。でもここにいるときはおしゃべりできるの。」
「物の声…そっかだから狐さんと話してたんだ。」
「狐さんだけじゃなくて、生き物じゃなければなんでも平気。向こうから話しかけてくるからいっつもざわざわしてるんだよ。」
そう言って少年を見上げれば、少年は目を細めてにこりとする。
それを見て、凜は彼の穏やかな語り口につい口が滑らかになっていることに気付き、はっとする。
「ご、ごめんなさい…。わたし、馴れ馴れしく…怖がらずに聞いてくれる人、初めてだから。」
「うん、分かるよ。」
さわ、と少し暖かい湿った風が少年の黒髪と凜の肩口で切り揃えた髪をさらう。初対面の人とこれほど近くにいて話しても疲れないのは始めてだった。
「…雨が降りそう。」
「そうだね、青山さん、引き留めてごめんね。また学校で。」
にこりと笑って手を振ってくれた少年に一度ぺこりとお辞儀をしてから凜は神社を出た。
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翌日、凜は自宅に常備してある炭酸水をいつものように保冷バッグに入れてもっくんと一緒に家を出る。今日は昨日と打って変わって曇天だった。空には厚い雲がかかり、灰色になっている。夜には嵐になるという予報が出ていた。
生徒たちはみな一様に傘を持って登校している。
「おはよー!」
「おはよう!」
校門に近づくほど、生徒たちの声が多くなり、そして物たちの声も多くなる。今日は特に傘の声が目立った。
『私新品なのよ?気づいて気づいて?』
『おれ、いけてるっしょ?新宿で買われたんだ!』
『あーそろそろわしも終わりかのぉ。』
『あの子、私と同じ!?自慢したからあの持ち主が買ったのね、やんなっちゃうわ。古いと負けちゃうじゃない!』
様々な声が入り乱れる。
物たちの声がこれだけ聞こえる生活にはかなり馴れた凜だ。だからただの声だけなら少しうるさいけれど、それでもまだ耐えられた。しかし物の声の中には持ち主の良くない感情を引き受けて話している物も多い。それらは凜に与える負担が重いのだ。
いつものように気分が悪くなりかけた凜はバッグから出した炭酸水をごくっごくっと飲み、そして体調を回復させる。
校門前で炭酸水を一気に三分の一まで飲み干す姿に周りの生徒たちは少し引き、凜を避ける中、ただ一人だけ凜に近づいた生徒がいた。
「りーん!」
「葵ちゃん。」
間宮葵は凜がこちらに転校してきた同日に転入した少女で、それ以来、凛は仲良くしている。人間で数えるなら唯一の友達と呼べる存在だった。
「凜は朝っぱらから豪快だねぇ!見かけは華奢で繊細そうなのに。」
「虚弱で顔色が悪いって言っていいよ。」
「みんなにもそんな感じで話してたら凜は友達増えると思うんだけどなぁ!」
そんな葵は、凛にとって唯一普通に会話できる女の子でもある。葵は快活で、人を見かけで判断しない。そんな葵の制服やバックは葵と同じでいつも元気よく凜に「おはよう!」と声をかけてくれる。
人に付着した持ち物はその人の気持ちに強く影響され、音として凜に持ち主の感情を伝える。だから凜は人の心が読めるわけではないのに人の感情に敏感だ。万年気分が悪そうで虚弱体質と噂される自分が奇異の目を向けられることを分かっているから凛は自ら人には近寄らない。
体調が悪そうで話しかけてもほとんど会話が成り立たない凜と、快活で美人で人気者の葵がどうして友達なのか、それは凜たちが通う高校の同級生たちの大いなる疑問だった。
「凛、今日の放課後さ、空いてる?」
「なんで?」
「あー…でも凛ってあんまり他の人と交流しないもんねぇ、どうしようかなー。やっぱいいや。」
「え、葵ちゃん、何の話?」
「うちのクラスの子がさ、凛がいると成功するんじゃないかって言って誘ってほしいって言ってたけど…でも凛をこういうのに巻き込むのは気が進まないからやめるわ。ごめん忘れて?」
葵がお願いポーズをとれば、凛としても気にはなるものの、無理に聞き出そうとは思わなかった。気分が悪くなる時にいつも何も訊かずに助けてくれる葵の気持ちを凛は尊重したかった。
「そうだ葵ちゃん、涼宮初くんって知ってる?同じ高校らしいんだけど。」
「涼宮?あー…うちのクラスの男子だよ。眼鏡かけててさ、目立たない、大人しい人でしょ?なんでいきなり涼宮?」
「えーと…。昨日たまたま会って会話したの。」
「会話?!凜が?」
「うん、どんな人なのかなぁって。」
凜を見て葵はにやりと意地悪く笑った。
「あらぁ、凜、涼宮が気になるの?」
「気になるって言われたらそうだけど…。」
「凜、あんたにもとうとう春が…!」
「違うよぅ。そういうのでなくて、話しててもね、疲れなかったんだ。」
「それは珍しいわね!」
そう言ってから葵は思い出したように付け加えた。
「あんまり意識したことなかったけど、確かに凜の雰囲気と涼宮の雰囲気って似てる気がするから、そのせいなのかもね。」
「雰囲気、似てる?」
「うん、なんかこーね?俗世とずれてるって感じ?」
「わたし、そんな感じなんだ…。」
「似た者同士でお似合いだよ?」
「ち、違うよ。本当にそんなんじゃないから、ね?」
「お、噂をすればあそこにいるの、涼宮っぽいよ?すずみやー!!」
「あ、葵ちゃん、やめてってば。」
凜が止めたときには遅く、既に校舎に入ろうとしていた初は葵の声を聞いてこちらを振り返って凜たちを確認すると、「間宮さん、青山さん、おはよう。」と律儀に挨拶を返してから階段を昇っていった。
――あ、本当に眼鏡かけてる…。目が悪いのかな?
「朝っぱらから大声出してどうした?さっきの涼宮だよな?」
「た、卓斗!!!」
ぼんやりと初の眼鏡について考えていた凜は、後ろからの声に葵が狼狽した声をあげたことで現実に帰った。
「おはよう、吉田くん。」
「おはよう、青山。」
「た、卓斗さぁ、いきなり声かけるのはやめてよね。驚くじゃん。」
「わりーわりー。珍しいって思ってさ。」
にやっと笑った少年の名は吉田卓斗という。葵や凜の中学時代からの同級生だ。スポーツもできて、勉強もそれなり、そして顔も整っているから女子の人気を一手に集めている。
そんな卓斗に葵はぶぅ、と頬を膨らませているが、心なしその頬は赤い。
『うわぁ、卓ちゃんだよ卓ちゃん。今日もかっこいい!』
『あおちゃん、頑張れっ!』
葵の持ち物たちは葵が毎日家で呟いているのか、その気持ちをお見通しらしかった。そんな制服や持ち物たちからの応援の声はどこまでも葵を思いやる気持ちに溢れていて、聞いていて心地がいい。応援に力が入りすぎて少しだけ騒がしくなったけれど、凜はこの声が嫌いではなかった。
『間宮だ。今日もいい匂いするなぁ!』
『女の子って感じだよなぁー。』
これは卓斗の方の持ち物の声で、吉田くんもそういうこと思うんだなーと凜は他人事のように考えながら、葵をそっと応援するために少しだけ距離をとって二人を見守りながら玄関で靴を履き替えたのだった。
その昼休みだった。
「青山、ちょっといい?」
葵の想い人で同じクラスの卓斗に凜は呼び出された。
その途端、クラスは人の声と物の声でわき返る。急激に耳に入る音が多くなって頭がガンガンした凜はすかさず保冷バッグから炭酸水を取り出したのだが、午前の授業でほぼ使いきられた炭酸水のペットボトルからはほんの少しの爽快感も得られなかった。
――どうしよう、ひとまずここから離れなきゃ…。
凜は顔面蒼白なまま立ち上がり、そして叱られる子供のようにとぼとぼと卓斗の元に向かう。
「…吉田くん、どうかした?」
「あーわり。ちょっと訊きたいことがあってさ。」
「訊きたいこと?」
「あー…。ここではちょっと訊きにくいから、屋上でいーか?」
「うん、いいよ。」
屋上は他に人がおらず、ただじめっとした空気と厚い雲が見えるだけだった。
卓斗は凜を連れてそこまででると、がしがしと頭をかいて「うーわーえーと、ちょっと待ってくれよな」などと言っている。
『聞きにくいよなー。』
『たくと困ってるなぁ!』
『これって卑怯かもしれないとか考えてるのか?』
『訊いてもし彼氏いたら救われないぜ?やめとこう。』
『学校一の人気者だぜ?手段選んでる場合じゃないだろ。がんばれ。たくと!』
卓斗が手で弄るスマホや制服のボタンの声を聞き咎めた凜は繰り返してしまう。
「彼氏…?彼氏いるかって…?」
「え、青山なんで俺が訊きたいこと分かったの?」
「あ、いやえっと、そんな感じがして…。」
「かーっ!俺、そんなに分かりやすいかぁ!」
卓斗が少し頬を染めて凜を見たとき、ドアの方から悲しげな叫びが聞こえた。
『そんな…!卓ちゃん…凜のことが…。』
『あおあお、救われないー!』
凜がその声に気づいた時にはもう遅く、声は遠のいていく。
「…葵ちゃん…?」
凜が振り替えってドアに向かいかけると、今度こそ、卓斗本人の声がした。
「なぁ。青山。」
「なに?」
「すげー前から思ってたけど、青山ってやっぱ霊感とかあんの?」
「え?」
「いや、前から俺の言葉先取りするようなこと多いから。」
「それは…その…。」
訝しげに見られて凜の背中からは冷や汗が吹き出す。
今まで卓斗は凛にこのような目を向けたことはなかった。不思議そうにはしていたけれど、気持ち悪いと思われたことはなかったはずだ。だから凛は、友達といえるほどは話さないものの、卓斗が話しかけてもそれほど違和感なく話せたのだ。
なのに、今卓斗の持ち物たちは卓斗の凛への不信感を受けて、話をしている。
『よう、こいつ俺たちの話盗み聞きしてんだろ?』
『なんだよー。変な女。』
それが凛の吐き気を増幅させていく。
「ち…違う。盗み聴きなんかしてない…。あんたたちが勝手にしゃべるから…!」
それだけ言って凛は屋上から逃げるように走り出す。
卓斗が凛を呼び止めた声は物たちの声に紛れて凛には届かなかった。
屋上から走り出て、階段をいくつか降りたところで階段を踏み外して落ちてしまい、強か腕と顔をぶつけた。
「…いった…。」
顔も痛いし、腕も痛いし、そして何より蓄積した不快感で吐きそうだった。
『待ってろ凛!おいらが助けてやるからな!』
「もっくん、もっくん…。辛いよ…。気持ち悪い…。吐きたい…。なんでわたしだけ、こんな体質なんだろう…。なんでこんなに嫌な思いばっかりするんだろう…?」
ネズミの置物を抱き締めて繰り返す凛には、立ち上がる気力すらなかった。ただ廊下に倒れたまま涙を流していた。
「青山さん!!」
唐突に走ってくるような足音が聞こえて、凛はどうにか体を起こさなければと気持ちを切り替える。
「青山さん、立てる?大丈夫?」
倒れた凛の腕を取って慎重に立たせてくれる人が纏う空気は、なぜか吐く寸前まで悪かった気分を急速に落ち着かせてくれる。そこに存在する空気はいつも炭酸水でも耐えられない時に凛がすがる最終手段の場所と同じものだった。
「す、すず…みや、くん…?」
「顔色も悪いね。大分打ったみたいだけど、歩ける?保健室まで行こう?」
支えてくれる少年のおかげで凛はどうにか保健室まで行ったが、保険医は不運なことに不在だった。
「はい、これ。」
保健室のベッドに座らせてくれた初が凛に渡してくれたのは冷たい炭酸水だった。
「え、なんでこれ…?」
「もっくん?だっけ。神様が教えてくれたんだ。」
『そーだぞ、凛。おいらの声が聞こえるのはそいつだけだからな!炭酸水を買うように言ったのもおいらだぞ!』
「ありがとう、もっくん…。」
ねずみの置物を膝に置いて撫で、炭酸水を一気に半分ほど飲み干せば、気持ちの悪さは雲散霧消していった。その間に初は自らのハンカチを濡らしてそれを凛の腕に当てると、棚を漁って湿布を取り出していた。静かに淡々と処置をしていってくれる。
「ありがとう、涼宮くん…。涼宮くんのおかげで助かった。」
凛がそう言うと、初は顔をあげ、にこりと微笑む。
「気分、よくなったみたいだね。」
「うん、もう気持ち悪いのもない。さっきまで酷かったのに。」
「炭酸水ってすごいんだね。」
「確かに炭酸水のおかげで助かっているけれど、今日はいつもより回復が早かった…。ううん、炭酸水飲む前にかなり楽になってた。…そうだ、涼宮くんの周りの空気がね、神社と同じだったからだ…。」
「同じ、かぁ。」
「うん、だからありがとう、本当に。」
初の纏う空気は昨日会ったときと変わらない。落ち着いていて、夏の雑木林に吹き抜ける涼しい風のように凛の重く濁った苦しさをなくしていく。
「あ、涼宮くん…普段眼鏡、なんだね。目が悪いの?」
話すことがなくなり、静かに初が行ってくれる処置を見守っていた凛が言うと、初は違うよ、と何とはなしに笑った。
「度は入ってないよ。」
「じゃあなんで眼鏡かけるの?」
「僕は見えすぎてしまうから。この眼鏡は僕が学校生活を送るときにすごく助けてくれているんだ。…これの声って聞こえるの?」
凛は初に言われて初の外した眼鏡の声に耳を澄ませるが、何も声は聞こえない。
それどころか、初の身に着ける物からはなぜか声が聞こえなかった。こんなの凛にとっては初めてだった。
――そっか…涼宮くんの纏う空気があの神社と同じってだけじゃなくて、きっと涼宮くんの周りは静かだから落ち着くんだ。
「涼宮くんの持ち物からはね、声が聞こえない。」
そう言うと、初は驚いたように目を丸くして、そっか。と呟く。
「でもね、もし聞こえてたら、こう言ってると思う『俺はすごいんだぞ!持ち主様のために毎日役に立ってる。本望だ―!』って。」
初はそれを聞いて驚いたように目を丸くしてからくすりと笑った。
「物って結構フランクなんだね。」
「うん、一人称も違うよ。私だったり、俺だったり、僕だったり、わしだったり。もっくんはおいら、だよね。」
『そうさ!おいらたちに性別はないから、好きなように名乗ってるのさ!』
「それからね、物は大切に使ってあげたら捨てる時も怒ったりしないんだよ。苦しんだりしない。大切に最後まで使ってあげれば、ありがとう、って言ってくれるの。私も使われてくれてありがとう、って思える。大事にされている物は幸せそうで、それを見てると少しだけ、気分がましになるんだ。その眼鏡は私と話せないけど、でも涼宮くんがそれを大事に使ってるのは伝わってくるの。嬉しそうで、きらきらしてる。」
夢中になって話す凛に、初が言った。
「…いいね。青山さんの能力。羨ましい。」
それは凛にとって驚きだった。凛がこの体質をいいと思えるのはもっくんたちと話すときだけでそれ以外の時は苦しいことばかりだったからだ。
「そんなことないよ。いつも聞きたくない声がいっぱい聞こえて、訊きたくない情報も勝手に入ってきて、気持ち悪いって思われる。友達も、できない。」
「そう?友達、いるじゃない?」
「そんなことない。葵ちゃんくらいしか、友達なんていない。ちょっと会話できる相手だって少ない。」
さっきその数少ない話せる同級生の一人である卓斗に不信に思われたことが頭をもたげて、つい凛は苛立った。
「昨日会ったばかりの涼宮くんには分からないのにいるって決めつけないで。」
つい発した言葉に初がふいに寂しそうに笑った。
「不快にさせたみたいで、ごめんね。…でも、物たちは、友達じゃないの?」
「あ…。も、もっくんは友達、だよ?」
「そうだよね。青山さんはその能力があるから、物を物と思うだけじゃなくて友達だと思えるんでしょう?今、僕に話してた青山さんは生き生きしてたよ。だから羨ましいって思ったんだ。」
叩き付けた言葉は自分勝手なものだったはずなのに、それでも落ち着いた様子で説明を続ける初の姿に凛ははっとした。
「僕も、昔から見たくないモノが見える。神様たちみたいに、綺麗で穏やかであったかいものばっかりじゃない。そして、僕の力はどちらかというとそんなモノと仲良くするためのものじゃないんだ。でも青山さんは、違う。もっくんもそうだし、友達がたくさんできる。その力をもっと自分が楽しい方向に使えるはずだよ。だからそんなに否定ばかりしないであげてほしいんだ。」
――涼宮くんもわたしと同じで他人にはない特別な体質があったのだとすれば、きっと周りから奇異の目で見られてきたのかも。
そんな初こそこの世界で唯一凛と共感しあえる相手かもしれなかった。
――なのにわたし…。
凛は弱音ばかり吐く自分に少し恥ずかしくなった。
「ごめん…。わたし、何も分かってないのに、自分のことばっかり。」
凛がしゅん、とすると、初はにこりと穏やかに微笑んだ。
「ううん、いいんだ。青山さん、今日は午後ちゃんと休んだ方がいいよ。授業始まりそうだから、僕は行くね。」
初はにこ、とほほ笑んで眼鏡をかけると、保健室を出ていった。
~~~~~~~~~~
結局凛は、午後の授業に遅れて参加することなく、午後一杯保健室で寝て過ごした。
「また授業に遅れちゃったなぁ。」
『凛は切羽詰まらないとやらないのんびり屋だからなぁ。おいらじゃ古典くらいしか教えてあげられないんだからちゃんと授業受けなきゃだめなんだぞ?』
「そうだよね…。ね、もっくん。涼宮くんの近くって、常に神様とかいるの?」
『いないぞそりゃあ!神様っていうのはそんなに身軽な存在じゃないさ。おいらは違うけどな!』
「…もっくん。わたしさ、涼宮くんに酷いこと言っちゃったよ。涼宮くんはさ、もっくんみたいに話してくれる相手もいなくて、わたしなんかよりもきっと長い間一人で過ごしてきたのに。」
『それは否定はしないけどなぁ。だけど昔からそんなもんだからあいつも分かってるんじゃないか?』
「昔からそんなもんって?」
『人間ってやつは特別な力を持ったやつを恐れるもんさ。おいらたちみたいに人と違う存在になってしまえば崇め奉られるけど、同じ人なのに自分と違う能力を持つ、ってだけで排除したがるんだよ。だから凛も昔嫌な目にあったんだろう?』
「うん。」
『でもそれはおいらたちから言わせたら、特別なんかじゃなくて、普通の人間と変わらないのさ。かけっこが速い、運動ができる、勉強ができる、顔がかっこいい、美人、友達が多い、おしゃれ…。そういうのって周りと違うけど、すごいって言われるのにな。なんでか凛やあの少年みたいにおいらたちと交流できる体質のやつは別扱いされちゃう。おいらたちにはよく分かんないねぇ。』
「涼宮くんは、寂しくないのかな?」
『どうだろうね。おいらには分からないことだよそれは。それより凛。葵のところにいかなくていいのか?』
「葵ちゃん?なんで?」
『葵って確か、さっき凛を呼び出した男のことが好きなんだろう?よく凛も話してたじゃないか。葵が好きな人なんだよーって。』
「あぁ、吉田くんね。でもどうして?」
『さっき葵、あの話聞いてたんじゃなかった?人間の思考回路はよく分からないけど、ああいう場面って、誤解しちゃうもんなんじゃないのか?』
「誤解?」
『一人の男が一人の女を呼び出して何か言おうと決意してる。その顔が少し赤くて、緊張してるって状況さ。昔から、人の色恋は変わんな…うわっいきなり持ち上げるなよ凛!びっくりするだろー?』
「ごめん、もっくん!早く葵ちゃんを探さなきゃ!」
先ほどとは違う意味で真っ青になった凜はもっくんを手に持ったまま、保健室のベッドからむくりと起き上がると上履きをつっかけて「ありがとうございました!」の声もそこそこに保健室から凛が飛び出す。
2年1組、凛たちの教室がある第1校舎まで一気に走ると、凛は息が上がって、へばってしまう。
「あ、葵ちゃんは…2組だから…。」
ふらふらしながら歩く凛の耳には今も色んな声が入ってくる。
『ねぇ、なんか生徒たちがしようとしているよ。』
『あれ、召喚術の一種かねぇ?』
『でもあんな中途半端で大丈夫かい?』
『ダセダセダセ…』
ぞくり、と肌が粟立ち、凛は無意識に「もっくん…」と手の中のネズミの置物を握りしめる。
「今、なんかいけない声が聞こえた。」
『凛、気を付けろ。よくないもんがいるぞ。』
「ねーこれでいいんだよねー?」
「うん、いいはず。」
『やめて、ぼくを使わないで!10円玉どけて!嫌だよー!』
『ハヤクダセ…ニンゲンニクイ…アバレテヤル…。』
「よし、じゃあいくよ。」
「「「「こっくりさんこっくりさんおいでください。」」」」
葵の声が2組の教室から聞こえて来る。
ドア窓から覗けば、どうやら机の上に紙が置いてあって、その上でに10円玉が置いてある。
――あ、あれ、こっくりさんだ。
こっくりさん。それは数人の生徒が集まって、紙に50音やはい、いいえ、それから男女と鳥居の絵を書いておき、「こっくりさんこっくりさんおいでください」とこっくりさんを呼び出して、訊きたいことを唱える遊びだ。
『凛、あれ、まずいものを引寄せようとしてる!止められるか?』
「うん!」
凛がドアを開けたときにちょうどその質問が凛の耳に入ってきた。
「吉田卓斗は好きな人がいますか?」
「葵ちゃん、だめ!!」
凛が教室に入った途端、参加者の指が置かれた10円玉がしゅっと「はい」の位置に動き、そして同時にぱりん!と鋭い音がして窓が割れる。
「きゃあ!!ガラスが割れた!!」
「痛いっ!!」
『ジユウダ!!!ニンゲン、キライ!!コワシテヤル!!』
――遅かった。
凛が止めたときには、もう遅くて、外から暴風と雨が割れた窓から入ってきている。
『やめてー!からだが勝手に持ち上がるー!!』
『うわぁあああ!』
『ニンゲンキライキライキライ…トジコメタ…!』
『ぶつかっちゃう!』
『オッカア…!』
怖がる女子生徒の周りを机やらノートやらが飛び交う。机たちは大事な生徒にぶつかりたくないと悲鳴をあげている。
「やめてやめて!もうやめてよ!!」
「青山さん!!!」
「涼宮くん!」
教室に飛び込んできた初は、様子を見て顔を蒼ざめさせて、それからきっと表情を変えた。眼鏡を外してポケットにしまうと、小さく印を結んだ。途端に、がたん!とすごい音がして机が落ちる。落ちた机が『いたたたっ!』と悲鳴を上げている。
「青山さん、今のうちに彼女たちを!早く!」
険しい初の顔には脂汗が浮いていて、余裕がないことが凛には分かった。
凛は急いで教室の隅で震える葵たち同級生女子4人に声をかける。
「葵ちゃん、急いで。早くここから出て。」
「凛、凛ごめん!私、どうしても気になっちゃって…!」
「あとで聞くね。わたし、全然怒ってないよ。それより早く!」
『凛、葵たち出したらそこ閉めろ!あいつが逃げる!』
葵たちを教室の外までおしやると、凛はもっくんの言葉通りドアの鍵を閉めた。
「凛は!?」
「大丈夫、わたし、…れ、霊感あるから。葵ちゃんは向こう行ってて。」
葵が外から悲痛そうな顔でどんどんとドアを叩くのを無視して凛は涼宮のところへ向かう。
「涼宮くん、…見えるの?」
「うん…。…そこに。今は僕が押さえてるけど、僕じゃあ押し切られそうだ。青山さん、神社まで行って父を呼んできてもらえる?それまで、もたせる、から。」
ぽたりと、初の髪がら汗が落ちている。呼びに行くほど長くもたないことは一目瞭然だった。
「だめだよ!涼宮くんここに置いていけない!」
「だけどここまで暴れたら調伏しないと…!僕にはそれはできない…!」
『凛、そいつの声、聞こえるか?』
「ううん、さっきまでは聞こえてたけど、もう空中にいるみたいだから。」
『一旦そいつを解放して物の中に逃げ込ませてみな、何か訴えてる!凛なら話せるだろう?』
「えっ!?訴える?人が嫌いとかそういうこと?」
『それだけじゃなくて…さっきの最後の言葉、凛も聞こえただろう?』
――さっき。色々聞こえたけれど。なんだっけ。
「涼宮くん、この教室から逃げられないようにして、一旦解放できる?もっくんがそうしろって。」
「そんなこと…!」
「お願い、もっくんを信じてあげて。もっくん、こういうの…えーっと。プロだから、多分。」
初はちらりと凛の掌のネズミの置物を見て、素早く動くと左手を部屋の四隅にあてて何かつぶやいてから右手の人差し指と中指を離した。
その瞬間に再度暴風が吹き荒れ、教室の備品たちの悲鳴が一瞬盛り上がり、そして静かになった。同時にどさり、と初がその場で腰を下ろし、はぁ、はぁ、と荒い息を付いている。
「涼宮くん!」
「へ、いき…。ごめんもうあんまりもたないから、この部屋にとどめておけるのも、あと少しだと思う…。なるべく、急いで…。」
「う、うん。えっと。どうしよう…。」
『凛、あいつの声、聞こえるか?どこにいるか分かるか?』
「うん、えっとね…。」
『痛かったー!なんだよー!』
『破けちゃったわ、ほら!』
『勘弁してくれよ、教室でなんて。』
『おっかあ…。』
「ここ!」
凛がかけよったのは、葵のバックだった。葵のバックについたオコジョのストラップ。そこから声は出ていた。
「あの、あなたなんでしょ?さっきのやったの。」
『おっかあ…人間、キライ。おっかあ…会いたい…。』
「お母さんに会いたいの?」
『人間、オレに話しかけてる?お前、話せる?』
「あなたの声が聞こえるわ。ねぇ、あなた誰?お母さんに会いたいの?」
『人間、キライ!オレを殺して閉じ込めた!オレ、おっかあに会えずにずっと閉じ込められてた。おっかあに会いたい。』
「ごめん、ごめんね。あなたのお母さんってどこにいるの?」
『お山…。お山の方からおっかあの匂いがする…。』
『凛、神社だ。こいつ、キツネなんだ。だから涼宮神社の御神体に連れていくのが一番いい。』
「神社ね。分かった。ね、キツネさん。あなたのこと、私がお母さんのところに連れて行ってあげる。だからここから出てきて、私の持ち物の中に入ってくれない?」
『やだ、人間、信用できない。人間、キライ。オレ、人間に殺された。』
凜は激しい拒絶の意思にめげそうになる自分の心を叱咤する。
「ごめんね。あなたのこと、ちゃんと祀るね。今度はそんな酷いことしない。…お母さんに会いたいでしょう?」
『…おっかあに会いたい。でもここから出るのは嫌だ。』
「…分かった。じゃあ葵ちゃんにお願いしてこれ、しばらく借りる。あなたはここにいていいから、私と一緒に来て?」
『人間の女。キライ。でも、変なやつ近くにいる。オレと同じ?そいつに縛られてる?』
『変なやつとはなんだ!おいらはえらーい神様だぞ!縛られるもんか!凛はいい子だ!おいらのこと、ずっと大事にしてくれてる!周りのやつもそう言ってるだろう?お前に聞こえるだろう?』
オコジョのストラップはしばし黙ってそれから言った。
『…それでも、信用、できない。』
「だめ…?」
『裏切ったら、お前呪い殺す。早く連れてけ。』
「…!ありがとう!」
凛は慎重に丁寧に葵のバックについたストラップを外して手で優しく包み込む。
「涼宮くん、終わった。もう大丈夫。」
初はその言葉に、糸が切れたみたいにぐったり倒れ込んだ。
「涼宮くん!!涼宮くん!!」
「だい…じょうぶ…。ちょっと力使い過ぎちゃっただけ…。それで、そいつは…?」
「なんかね多分だけど、昔人間に殺されて封じ込められた子ぎつねみたいなんだ…。それでお母さんに会いたがってて。だから、涼宮くんの神社のご神体に会わせてもらいたいの。」
「分かった。僕が預かる。」
「あ、だめ!」
初が手を伸ばそうとした瞬間に風がひゅっと吹いて、初の手に赤い筋が浮かぶ。
『人間、触るな。オレが触るの許したの、この女だけ。触ったらお前殺す。』
「涼宮くん、持ち運びが許されたのはわたしだけみたい。だからわたしが行く。涼宮くんは早く休まないと。」
「僕の家だから…一緒に行く。」
「でもそんな状態だよ!?涼宮くん、もう限界…。」
「ご神体のところの鍵は神主家しか、持ってないよ…。それにきっと、僕が行った方が話、早いから…。」
そう言って初が無理に体を起こしたので、凛はただ怪我した手に持っていた絆創膏を渡すことしかできない。
「ありがとう、青山さん。」
にこりと笑った顔はいつも通り涼やかで、炭酸水がないのに凛の不快感がなかった。
――やっぱり、涼宮くんが近くにいてくれると気分が悪くならない。
『凛、こいつの心配より早く行った方がいいぞ。そいつはもう人間が嫌いで仕方なくて、気が短くなってる。』
「もっくん…。分かった。じゃあ行くね。」
二人並んで豪雨の吹き付ける道を神社まで歩く。歩く途中何度も傘が飛ばされそうになる。
それはさながら激しい感情をぶつけてくる子ぎつねのようで、だからこそめげずにすすまなければ、と凛と初は歯を食いしばってその中を進んだ。
教室を出てきた葵に凛はさっきの霊がこのストラップの中にいるからお清めのために借りるね、と告げると、葵はショックを受けたようだったが頷いた。
声を張り上げないと聞こえないくらいの暴風だけど、黙って暗い中あるくのは心もとなくてなんとなく二人とも話す。
「涼宮くん、怪我大丈夫?明日は休んだ方がいいよ。」
「平気。この程度で休んでたら父さんにどやられちゃうよ。僕の修行が足りないだけだから。」
「涼宮くんはすごいね。あんなこともできるんだね。」
「…すごくないよ。僕は結局ほとんどもたせられなかった。僕は非力だから。」
「そんなことない。涼宮くんがいてくれなかったら、この子を説得できなかった。涼宮くんすごいよ。」
凛の掌にはネズミの置物とオコジョのストラップの二つが握られており、さっきから
『お前、ネズミか。なんだ。』
『おいらはネズミの置物にいるだけでえらーい神様なんだぞ!お前なんかよりよっぽどな!』
『ネズミは、オレ、食ってた。』
『それは生き物の話だろー!?おいらは、か・み・さ・ま!分かるかー?』
などと会話している。
「青山さん、さっきまではあんなにその体質嫌いって言ってたのにだったのに、別人みたいに積極的だね。どうしたの?」
「別人…そうだとしたら、涼宮くんのおかげだよ。」
「僕?」
「うん、涼宮くんが自分の能力のいいところを見ろって言ってくれたから。微力だけど、わたしに出来ることをしたいって思ったの。それにね、わたし、この子の声を聴いたことがあるの。」
「その子ぎつね?」
「うん。学校の中に溢れてる声の中に、この子の声あったの。多分塚とかがあって、その石からなんじゃないかなと思うんだけど、いつも悲しそうで、おっかあおっかあ、って泣いてる声。聞こえてたのに、わたし、ずっと聞こえないふりしてたんだよ。あんなに悲しそうな声、わたし以外には聞こえてなかったのに、放置してたの。みんなに変な子って言われるのが怖かったから。…でも、後悔してる。だから、今はわたし、できることはちゃんとしたいって思ったの。」
前をまっすぐに向いて、凛が話す姿を初は目を細めてみる。
「強いんだね、青山さんは。」
「強い?まさか!わたし、臆病者だよ?」
凛がきょとん、として問い返すと初がにこりと微笑んだ。
「臆病な人って、強いんだ。決して無茶はしないから。僕はよく父さんに出来もしないくせに無茶するやつは死ぬって言われている。臆病者こそ一番強いんだぞって。だから、青山さんは強い人だよ。」
「そうかな…。そんなの言われたの、初めてだよ…。」
「うん。そうだよ。」
初めて褒められた凛はわずかに頬を染めて照れくさそうに手の中の置物とストラップを濡れないようにバックの中に大切に入れた。
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神社についた二人は手水で手早く手を洗うと、すぐに本堂に向かった。
初が本堂の鍵を開けて、どうぞ、と言ったのだが、凛は雨で濡れた自分の制服で床を汚してしまわないかを気にして困ってしまう。
「僕が後でちゃんと掃除するよ。」
『早くしろお前。』
『あ、凛、見ろ!』
「いいのですよ、入って。」
最後の声音は、初めて聞いたものだった。声は初のものなのに、暖かくて優しい女性のような響きを感じさせる。さっきまで普通だった初がその場に座って恍惚とした表情をしている。心ここにあらずな表情に、凛もなんとなく分かった。
「あの、あなたは大主様…大神様、ですよね…?」
「ええ。はじめまして。青山凛さん。うちの子が迷惑をかけたみたいで、申し訳なかったわ。」
『おっかあ!!!!』
手に持ったストラップがすっと軽くなり、なんとなく感じていた熱がなくなる。
「もっくん、今、大神様って、涼宮くんの中にいる?」
『そうそう。憑依してるっぽい。』
「さっきの子ぎつねのお母さん、で合ってたの、かな?」
『大神様は、ここいら一体の神様なのさ。だからあの子ぎつねの実の母親でなくても、その母親の魂は大神様のところに集まってる。あの子ぎつねの母親の魂も一体化してるから、母親も同然なのさ。』
凛に子ぎつねの声が聞こえなくなり、もっくんも話しかけても反応しなくなったので、大神様に挨拶に行っているのかもしれないなと考えながら、凛は蔵の中から掃除道具を取り出して床を拭き始める。
『私を選ぶとは目が高いじゃないの。』
「ありがとう、雑巾さん。」
凛が床を拭き終わった頃に、初がどた、と床に倒れた。
凛は慌てて倒れた初を抱き起したが、初はぐったりしたまま起きなかった。
「え、涼宮くん!!どうしたの!?涼宮くん!!」
『大丈夫さ、憑依が抜けて体力尽きただけだよ。』
「もっくん、」
『そうだ、人間!』
さっきまで物に戻っていたストラップの尻尾がピン!と立った。
「子ぎつねさん。ストラップに戻ったの?」
『ふん、おっかあに言われたから言いに来た。人間、物の中にいないとオレと話せない。』
「あ、そうなの。」
『礼、言う。オレ、殺した人間憎い。けど、お前、オレ、おっかあに会わせてくれた。感謝。』
「そんないいよお礼なんて。」
『代わりに訊きたいこと、訊け。気になってること、あるんだろ?』
「…あの、どうしてあのストラップを選んだのかなって…。大きさが同じもの、他にもあったのになーって…。大したことじゃないんだけど…。」
『あれ、居心地、いい。』
「居心地がいい?」
『そう。あれ、贈られたもの。贈ったやつ、贈られたやつ、どっちも想いを籠めて一番大事にしてた。だから入ってて、自分が誰か分からなくなりそうになった時、救われた。自分、誰か忘れなかった。おっかあに会いたいって気持ち、なくさずに済んだ。めちゃめちゃに壊してやるって気持ち、薄れた。オレ、人間嫌いだけど、でも人の気持ち、あったかいと思ったことは、ある。』
――あれ、確か…。葵ちゃんが、卓斗くんにお土産でもらったって言って、大事にしてたもの…。
「…そうなんだ。ありがとう、教えてくれて。…あなたはこれからここにいるの?お母さんと一緒に。」
『さぁ。わからん。おっかあに任せる。』
「そっか。ここにいるなら、また会いに来ていいかな?御参りしにくるから。」
『好きに、しろ。すとらっぷ、ありがと。』
オコジョの尻尾がふりふり、と二回ほど振られて、そしてぱたり、と何かが抜けたかのように地に落ちる。
そうして、オコジョのストラップはそれ以来動かなくなったのだった。
次の日。
2組の教室が大荒れてガラスが割れたのは、前日の激しい雷雨のせいで飛ばされた石が原因だったということになり、空き教室が2組の生徒にはあてがわれていた。
凛は自分のいる1組の教室から出て、葵の姿を探すが、どこにも見当たらない。
「どこだろう、葵ちゃん…。」
『お嬢さんお嬢さん、お嬢さんは茶色い長い髪の美人をお探し?』
「ええ。そうなんです。」
『それなら、屋上に行ったよ!』
廊下にかかった掲示板たちが教えてくれたので、凜はお礼を言って屋上に向かう。
屋上のドアを開けかけたところで、葵の声が聞こえた。
「あの…卓斗、ごめん。もらったストラップ、…その…なくしちゃって…。」
「ああいいよ。そんなん。それより昨日大丈夫だったか?」
「平気。…あれ、私たちのせいなんだ。」
「は?雷雨だったんだろ?」
「…こっくりさん、やっちゃってね。霊に怒られちゃったの。凛がいなかったら…きっと…。」
「青山?本当に霊感あったんだ…。…そうだ間宮。青山にさ、伝えてほしいことがあるんだ。」
「!…何…?」
「俺さ、あいつに不躾に霊感あんのか?って訊いちゃって。あいつ、それ気にしてるっぽかったのにさ。無神経だったなーって。探してもいなかったから、一応伝えといてくれる?俺が探してたって。」
「え?謝る?それだけ?」
「それ以外に何が?」
「卓斗…。凛のこと…好き、なんじゃないの?」
「はぁ!?なんでそうなるんだよ!?」
「昨日、凜を屋上に呼び出したって…。」
「あー…。やっぱ俺って考えなしなんだなー。」
「ど、どういう意味?」
「…あ、あれはっ。訊こうと思ったんだっ。青山は、間宮の親友だから。知ってると思って…その、間宮の、好きなもの…。」
「私の?」
――あ、これ盗み聞きしちゃいけないやつだ。
「葵ちゃん!」
「凛!」
「これ、返そうと思ったんだ。ほら、わたしがひっかけてストラップの上のとこ、壊しちゃったでしょ?」
「え、違」
「直しておいたよ。」
凜は葵の言葉を遮って、にこりと笑った。
「ごめんね、それ、葵ちゃん、すっごく大事にしてたのに。わたしが壊しちゃったとき、はじめて泣きそうな顔してたよね。申し訳なくてなかなか謝れなかったんだけど、許してね。じゃあ邪魔してごめんね。」
「凛!」
「待てよ間宮、それ、俺があげたやつ…!それ、大事にしてたって…?泣きそうってどういうこと?」
凜は卓斗が葵の肩を持ったその様子を見て、誤解も解けただろうと思いそっと踵を返す。
屋上のドアをぱたん、と閉めたところでもっくんが話しかけてきた。
『凛、いっぱしにお節介するようになったんだなー。』
「だって、誤解、わたしのせいもあるもん。葵ちゃん、あんなに両想いだったのに、すれ違うってもったいない。それより、わぁわぁと声がすごかった…。」
『ああ、あの少年と葵の持ち物な。ブラボー!!って叫んでたな。』
「うん、もう、ちょっとくらくらしちゃったよ。」
常備している炭酸水をくいっとあおるけれど、昨日の嵐が嘘のように晴れた今日、ペットボトルの中身はすっかりぬるくなっていて、いまいち爽快感はなかった。
「あー…買いに行かないと。ちょっと気持ち悪い。甘い物食べ過ぎちゃった気分だー。」
とぼとぼと自動販売機のある1階まで降りようとしたところで声がかかった。
「ちょうどよかった。はい、どうぞ。」
「え?」
急に胸やけがとれる心地がして凛が顔を上げると、にこやかに笑う初が凜に冷たい炭酸水を差し出していた。
「炭酸水、好きなんでしょう?昨日のお礼。」
「涼宮くん!もう、体大丈夫なの!?」
「うん、父さんには無理しすぎだって怒られたけど、もう平気だよ。青山さんのおかげで助かった。ありがとう。」
「そっか…。」
それから炭酸水を持て余すように、その冷たいペットボトルを握ってしばらく黙る。
周りについた水滴が凜の手のひらを濡らして、日を浴びて光った。
「そうだ、昨日羨ましいって言ったでしょう?」
「え?あ、うん。」
「訂正するね。僕、本当は青山さんのこと、羨ましいよりも尊敬してる。」
「えぇ?なんで?」
「昨日の子ぎつねも、間宮さんと吉田くんのことも。青山さんはただ物の声を聴けるだけじゃなくて、それで人と物も繋いだでしょう?それは単に青山さんの体質だけじゃなくて、青山さんだから出来たことなんじゃないかって気がしたんだ。縁を結ぶって素敵な能力だよね。」
にこにこと笑う初の顔を見て、屋上からの階段を下りながら、凜はどきどきと緊張する。
――言いたい、でも、言っていいかな。あんなに迷惑かけたんだもの。
「青山さん?」
階段途中で止まった凛を初が不思議そうに見上げている。
「あのさっ、涼宮くん!」
「どうしたの?気分悪いの?」
「ううん!…あのっ、もしよければ、わたしとお、お、お…」
必死で顔を上げて、きょとんとする初を見て、凜は言った。
「お友達になってもらえませんか!?」
――言った!言えたよ、わたし!…なのにもっくん、なんで、えーって言ってるの?
凛の一世一代の勇気を振り絞ったお願いに、初はとんとん、と階段を昇って凜の隣に立つと、にこりと笑った。
「青山さんは、僕との縁も結んでくれたよ。」
「私の二人目の人間のお友達……なってくれる?」
「喜んで。」
凛の胸に、炭酸水を飲んだ時のような、しゅわっと爽快な感覚が広がって、凜はにっこりと満面の笑顔を浮かべた。
「ありがとう!」
不思議な体質の少女は今日も人や物の縁を結びながら炭酸水を飲んで過ごしていくのであった。
おしまい