8、本田の想い
次の日から、俺は本田を入部させようと、しつこくアタックを開始した。
「なあ、テニス部入ろう」
男子トイレのドアを開けた本田を待ち伏せて声を掛けたら、勢い良くドアを閉められた。
ドアの大きな音に、他の生徒が驚いて本田を見ている。
本田は既に意地になって聞く耳を持って居ない。
こりゃあなかなか手強いぞ。
でも、熱意は伝わるもんだって。報われない努力なんて無いと島の中学で教えられて来た。だから、きっと本田も……
そう信じて何度も勧誘にチャレンジする。
「なあなあ、テニス……」
「!」
通路の柱の陰に隠れて驚かしたり、果ては火の気の無い焼却炉の中から、ゴミ捨て当番になっていた本田へ声を掛けたが、流石に焼却炉は拙かった。アイツ扉を閉めて俺を閉じ込めやがったし。
挙句にそこから脱出に手間取っていたら、先生に俺ごと焼却されそうになって叱られた。
連日の猛アタックを続けて、俺は借金取りに返済を待って貰うよう頼み込むオジサンみたいになって来ていた。
気が付けば、俺は無愛想なアイツと休憩中に顔を突き合わせる時間がクラスメイトよりも長くなっていた。ほんの僅かだったけど、取り着く島も無かった本田の態度が徐々に軟化して来たように感じられた。
よおっしゃあああ! 堕とすまであと少し!
「テニス部どうっすか~」
何度目かの無視が続き、とうとう俺の心が挫けそうになった頃だった。
その日、机の下へ潜り込んで『変なおじさん』みたいにのっそりと現れた俺に向かって、本田は大きな溜め息を吐いた。
「しつこいな。何度声を掛けて来ても同じだ」
「そこをなんとか~~~」
御代官さま~~~
「泣き落としなんか効くか。ウザイから消えろ」
「お?」
「んな、なんだよ?」
余裕をこいてフフンと鼻で笑うと、本田はムキになって顔を赤らめる。
「今日は長い間喋ったな。初めてじゃないのか? こんなに話すの」
「はああ? ば、馬鹿な事言うな」
咄嗟に俺から顔を逸らせる。
必死で顔を強張らせて、笑ってるのだか泣いてるのだか見当が付かなかった。だけど、幾重にも厳重に張っていた拒絶アンド警戒モードが若干緩んだように見えた。
「なあ、聞きたい事があるんだけど」
「なんだよ」
おお、上から目線の態度だが、一応話は聞いて遣ろうって姿勢だな。
「お前、本気でテニス諦めたのか?」
「またその話か。事故の事は誰かから聞いて知っているだろう? 後遺症で試合が出来なくなったんだ。もう一度コートに立ちたいと願っても……怖えーんだよ。負ける試合しか出来なくなった自分が。誰だってそうだろう? 負けると判っている試合なんかするもんか」
本田は無意識に左手で自分の左目を覆った。
『もう一度勝ちたい』そんな本田の切なくも辛い想いが伝わって来る。
「完全に視力を失くしたわけじゃないんだろう?」
「もういい! みんなお前みたいに屁理屈捏ねて止めるなとか続けろだとか無理難題言って……理想論なんだよ。何とでも言えるんだ。けど、誰だって俺みたいになれば、同じ様になっちまうさ」
「そうか?」
「はああ?『そうか?』って、なにをあっさりと軽く否定してるんだよ」
軽く受け流してしまった俺に不満を覚えたのか、本田は派手に椅子から立ち上がり、肩を怒らせて自分の教室から出て行った。
『眼』に囚われてしまえば、物事の本当と言うか本質が見えて来なくなる時がある。『視力』を失っても、訓練次第でその分『記憶力』や音を捉える『耳』の感度が普通の人よりも長けて来る。
って言うか、それ以前に本田は『シングルス』じゃなくて『ダブルス』で試合に出るって言う選択肢は無いのかよ?
高校のすぐ傍には国道が通っていて、その道沿いに幅五十メートル以上は優に超える大きな河が流れている。今は河の大半が干上がっていて、河底を這う様にして緩やかに流れを湛えている程度だ。河の両側には緑地帯や公園があり、部活や趣味でランニングをする学生や、子供連れや犬の散歩をする人の姿を良く見掛ける。
部活のテニスコートはこの河の三キロ下流の緑地帯にあり、大半の部員が自転車を利用して通っている。
俺も寮で借りた自転車を交通手段にしているが、新入部員と集団で正門を出て河沿いの国道を走っていると、土手の芝生に座り込んでいる、アイツらしい小柄な後ろ姿が眼に留って、思わず自転車を停めた。
「おい明神、どうした?」
「悪い。先に行っててくれないか? すぐ行くから」
「おー、早く来いよ」
「大丈夫か? 集合時間に遅れるなよ」
「おうっ」
返事もそこそこに、俺の意識は既に河原の小さな背中へと向けられていた。
道端の俺の方へ背中を向けるようにして、じっと流れの少ない河を眺めているように見える。
不審に思って様子を伺っていると、暫くしてゆっくりとした動作で立ち上がった。右手にはあの時買ったガットの張っていないラケットを持っている。
まだガットを張っていないのか。それにしても、一体こんな所でアイツは何をしているんだ?
そう思った刹那、アイツはラケット中央のスロート部分を鷲掴みにして、大きく頭上に振り上げたかと思うと、ラケットを河へ向かって勢い良く投げ飛ばす。
「げっ! アイツは何をしてンだよ!」
五万近くもした高価な新品ラケットを……正気か?
ニューモデルの赤いラケットは、アイツの手から離れて夕暮の日差しを反射させながら大きく弧を描いて水面へと飛んで行く。
俺は慌てて自転車を放り出し、本田の手から離れたラケットに向かって獣の如く猛然と追い掛けた。