4、入学式
「え?」
俺はさっきバイクと擦れ違った時、瞬時に奴のカゴから彼女のバッグを取り返していた。こんな事、じっちゃんが俺のおかずをくすねる事の攻防戦に比べれば『屁』でもねーよ。
ベージュの膝上スプリングコートを粋に着こなしている彼女。よく見るとテレビに出て来そうな超美人。俺的には直球ドストライクだが、OLっぽいから年上なんだろうな。
状況が未だに把握出来ていないらしく、鳩が豆鉄砲を喰らったみたいに凄く驚いている彼女をガン見した。肩までの柔らかそうな栗色のふんわり髪に、黒目がちなパッチリ瞳で、瞬きすればバサバサと音を立てそうな長い睫毛。ほんのり桜色の白い頬で化粧ッ気は殆ど無い。もしかしたら、スッピンなのかも。
ってーか、近いっ☆
中学の時の女子とだって、こんなに大接近した事なんて無い。でも、なんだか良い匂い……
「うわあ、俺何やって……ああああの、け、怪我はありませんでした?」
俺はもう一度声を掛けてみた。
だけど、声が上擦ってカッコ悪ィ~~~
「は? あ……ああ、だ、大丈夫……です」
「?」
「こ、怖かったあああ~~~」
彼女は俺の首へ両腕を廻して引き寄せたと思ったら、俺の頭を抱えて急にわんわん泣き出した。
うわ、なんか顔に柔らかいモノが……
突然泣き出した彼女に飛び上がるほど驚いたけど……あの、他にも人が歩いていて俺達を見ている。これじゃあ公衆の面前で、俺が泣かせたみたいじゃないか。
そう思ったら、顔どころか耳朶まで熱くなった。妙にこっ恥ずかしくなって、全身汗だくだ。
彼女が一頻り泣いた後、少し落ち着いたのを見計らって先に立ち上がると、その場にへたり込んでまだしゃくり上げている彼女へ手を差し出して、立つように促した。
「も、もう大丈夫ですか?」
「ええ。ありがとう」
泣いて赤くなった顔を気にしてはにかみながら、彼女はにこりと微笑む。
「じゃ、じゃあ俺はこれで」
言い終わらないうちに踵を返し、そそくさと早足で歩き出した。
なんだか良く判らなかったけど、本能的に今はとにかく彼女との距離を取って置きたいと思った。
なんでこんなにどもっているんだ? ……なんなんだ? この妙な気持ち……しかも、心臓がバクバクしてて……俺、この歳でもう動悸・息切れ・眩暈なのか?
「入学おめでとう! 君、空手部へ入部して一緒に精進しないか?」
「いや、是非バレー部に! 君の身長なら一年でもスタメン夢じゃないよ」
「あ、いや、俺は……」
もうテニス部へ入部しようと決めているし……
「バスケに入部しよう!」
「来たれボクシング部!」
「おい、先に声を掛けたのはコッチだぞ?」
「部活を決めるのは本人だろ? 何言ってるんだ」
入学式で高校の正門を過ぎた途端に、華々しい運動部からの勧誘洗礼に遭ってしまった。
老けて見られていても、流石に制服姿だから社会人だとは思わないだろう。いや、待てよ? もしかしたら定時制の生徒と間違えられているのかも知れないな。
「よう、輝」
聞き慣れた声を耳にし、驚いて振り返ると、同じ島の中学出身だった松岡が笑顔で手を振っていた。
せっかく俺の争奪戦に他の部と争ってくれていた先輩方だが、俺がその場から居なくなると、何も無かったかのようにそれぞれが散って他の新入生を勧誘し始める。
「松っちゃん。二神だったのか?」
「ああ。輝とは学科が違うけど。お前、デカイからすぐ見付けられるよ」
「灯台じゃないんだけど」
……ああ、目印な。
喜んで良いんだか何だかな~。複雑。
俺の名前は輝と書いて「コウ」と読むが、仲の良い人からは何故か普通に音読みされてしまう。いちいち訂正するのも面倒臭いから、好きな様に呼ばせている。
「松ちゃんも『ひまわり寮』?」
「いいや。俺は伯父んとこで世話になってんだ。でもよー、あの島からよくお前のじーさん出してくれたよな。寮に入るのだって結構金が掛っているのに」
「それもそうだな」
島じゃ俺のじっちゃんは、超が付くほどのドケチで有名だった。確かに、いつ倒壊してもおかしくないボロ家に電気もガスも引かずに俺と二人で暮らしをしていたからな。あ、でも貧乏って言ったって、他人様の物を盗んだり、ゴミを引いて来たりは一切無かったな。
「まあ、何にせよお前は学校に行けるんだし。ケチに見えていても本当は大金を隠し持っていたのかもだよな」
「うーん」
そうかぁ?
「悪ィ。俺、変なこと言った。あんまり悩むなよ」
「え? あ、ああ……」
松っちゃんは軽く片手を上げて、顔の前で拝む様にして謝った。
今一つ松っちゃんの推測に同感出来ないが、まあ……良いか。
「ところでさ、部活はもう決まった?」
「ウン。硬式」
「へぇ。硬式って、野球?」
「違うよ。テニス。庭球だよ」
「言い換えなくっても『テニス』つったら判るだろよ。なんだ~そっかぁ。もう決めて居たのかぁ」
残念がっている松っちゃんの様子から、コイツも既に勧誘部隊だと思った。
「松っちゃんは? やっぱバスケか?」
「おう。モチのロンだ。さっき受付で輝を見付けた時は嬉しかったぜ。でな、部活の事だが今からでも考え直さないか?」
「『考え直さないか』って、バスケ部に?」
「おうよ。輝が来てくれれば心強いんだけどな。それにな、マネージャーの先輩がかなりイケテル美人なんだよ」
「は? 部活決めるのはそこか?」
「あったり前だ! ムサイ野郎ばっかの部活に、可憐な花が無いと辛いだけじゃねーか」
松っちゃんは俺の突っ込みにも動じず、俺の知らない美人マネを思い出しているのかうっとりとした表情を浮かべて顔を緩める。
「イヤらしい妄想すんなよな」
「ばっっかヤロ。っだ、誰が……」
松っちゃんの顔は言葉とは真逆で真っ赤だ。ホント、顔は正直なんだよな。
「俺の事は良いとして、輝はなんでテニス? お前ほどのタッパがあれば、バスケやバレーの方が有利だろ? さっきもバレー部からスタメンも夢じゃないって言われてたじゃないか」
俺がテニス部へ入部希望だと聞いた松っちゃんは意外だと言う様子だった。
入学する前から憧れていた部活だし、それに、ついこの間どこの高校かは知らないが、本田プロの弟が俺の眼の前でラケットを奪い取って買って行ったんだ。中学の時に大怪我をしたそうだけど、ラケットを買って行ったって事は、あのクソ生意気な小学生もどきがテニスへ復帰したと考えてもおかしくは無い。本田プロの弟だと言うだけで興味をそそられるけど、アイツが先輩を差し置いて県の代表選手になった実績があるのなら、是非ゲームをしてみたい。
ここの硬式テニス部で部活をしていれば、何れ情報が入って来る。運が良ければゲームだって出来る。
今思い出せば、ラケットを奪われた時にアイツから素人扱いされて、結構失礼な事を言われていたし。
だんだん腹が立って来た。
「おい、そこで立ち止まるな。邪魔だ」
「へ?」
偉そうな上から目線の声に聞き覚えがあった。