3、同級生?
「ああ、そうか……あの子は……」
ムカつく小学生が姿を消した後、俺が買った靴をレジ打ちしていた店主は、さっきの人物が誰なのかを思い出したみたいだった。
「え? 今の小学生?」
「ああ、あの子は『小学生』じゃありませんよ。小柄だし女の子みたいな綺麗な顔立ちだから今でもよく間違えられているみたいですけどね」
「小学生じゃないんですか? じゃあ、中学生?」
俺の言葉に店主はいいやと首を横に振って否定した。
「あの子、確か今年高校一年生のはずですよ」
「はああ?」
おっ、俺とまさかの同級生っっ???
ポカンと口を開けて呆けた俺の顔を見るなり、店主はさも仕方がないなと頷き苦笑した。
「一年半くらい前までは、あの子結構この店に通ってくれていたんですよ。見掛けが小柄で可愛い顔立ちだから、他のお客さんや店のバイトからよく小学生に間違えられて、いつも不機嫌そうでしたけどね。髪型が前と変わっていたし、印象が少し違っていたからすぐには思い出せませんでしたよ」
「はあ……」
「でもああ見えて、中学二年の時に県の代表で全国へ行くはずだった子なんですよ」
「県の代表って……三年生を差し置いて?」
「そう。本田プロの弟ですよ」
「げっ。ほっ、本田プロの弟っ? だからあの上級者ラケットを購入したのか」
納得。
本田プロは、この地元出身のプロだ。テレビが無い僻地の俺の島でも、噂くらいは耳にする。
兄が有名プロなんだから、幾ら弟の見た目が小学生の童顔でも、やっぱ上手いんだろうな……あ、でも、全国大会には出場しなかったって言ってたな。なんでだ?
店主の言い方が気になって、レジ袋に入った靴を受け取りながら、俺は店主へ聞き返す。
「なんかあったんですか?」
「代表予選の選考試合で優勝した帰り道に、交通事故に遭ったそうです。何でも自転車ごと車道へ飛び出してしまったそうで……嬉しいのは判るけど、なにもそこまではしゃがなくてもねぇ……」
「自転車ごと?」
「助かったから言い様な物ですがね。自転車は大破。本人も重傷だったそうです。車道に飛び出すだなんて……一歩間違えれば確実に死んでいますよ。確か新聞に大きく載っていましたね。それ以来ウチの店には来ていなかったから、すっかり忘れていましたよ」
って、なんか俺には丁寧な言葉遣いだけど、それって俺も歳相応に見られていないって事かも……
他人から「小学生」と言われて、一瞬だけ顔を強張らせたアイツの顔が頭に浮かぶ。俺だって、身体がデカイし老け顔だから、中学生で既に社会人とよく間違えられ、不愉快になる事がよくあった。
アイツは俺の逆なのかぁ……
「ね、ね、ね。ちなみに俺は幾つに見えます?」
「う~ん。そうだねぇ。二十二か三歳くらいですかねぇ」
「……」
俺、既に成人……聞くのじゃなかった。
「ラケットはどうされますか? 同じ物を注文されるのでしたら二、三カ月待ちになりますが……」
「そんなに掛るもんなんですか?」
「ええ。最近は大手の量販店に買い占められてしまって、ウチみたいな小さな田舎の店には注文枠がなかなか廻って来ないんですよ」
驚いて聞き返しただけなのに、店主はすなまそうに軽く頭を下げる。
ってか、『田舎の店』って謙り過ぎるだろ。国道バイパスに面した俺にとってはかなり大きなスポーツショップなのに。
けど二、三カ月待ちだなんて待って居られるかってーの。それに、アイツとお揃いだなんて判っているのに買うってーのは超キモイ。ペアだなんて絶対に断る。つーか、そもそも金が無いから買えねーって。
正直、横取りされたのは気に入らなかったが、買うのを渋る余計な心配が無くなって良かったし。
「いえ良いです。また今度出直します」
店主に見送られて、俺は店を後にした。
市内を東西に走る路面電車が集まる『市駅』の裏道を歩いて、俺がこれから三年間お世話になる『ひまわり寮』へと向かっていると、背後で女の人の悲鳴と原付バイクの空吹かし騒音が響いた。
振り返ると、原付に乗った、フルフェイスの黒いヘルメットに黒いジャンパーと黒い手袋と言う全身黒ずくめの男が、一人で歩いて居たらしい女の人の白っぽいショルダーバッグを奪い取り、突き飛ばす場面が視界に飛び込んで来る。
咄嗟の出来事だったが、身体が勝手に動いた。
買ったばかりのテニスシューズを小脇に挟むと、路上へ投げ出される寸前の女性の身体をしっかりと両手で抱き止めて、そのままそっと座らせる。
突き飛ばされた拍子に黒いハイヒールが片一方脱げて、道の端にある側溝へ転がり落ちたのが視界の隅に見えた。
「大丈夫ですか?」
「ど、泥棒! 引っ手繰りよ捕まえて!」
女性の甲高い声が狭い路地に響いたが、その声を逃げるバイクの排気音が敢え無く掻き消す。
「イテテ……」
興奮して思わず俺の二の腕を強く掴むものだから、爪が喰い込んで痛い。
「ちょっとぉ、なにしているのよ。早く捕まえてよ!」
「はあ……」
切羽詰まった時には、自分の身体の安全の方が大切だろうよと思ったが、どうやら彼女にとって、俺から助けて貰った時点で身の安全は確保出来たと判断したみたいだ。
「ああん。逃げちゃう……」
「ハイ。これですか?」
まんまと盗まれてしまったと思っていた彼女の眼の前へ、俺は本人のバッグを差し出した。