24、希望
本田はそのラケットを見るなり強張らせた表情を浮かべた。
「なんだよ」
俺に対してなのか、このラケットに対してなのか判らなかったが、本田は後ろめたそうにラケットをチラ見して、ぶっきらぼうに呟いた。
「預かっていたラケット。少し傷が付いたけど、これお前ンだろ? 返すよ」
「はあ? 遣るって言っただろ? そんなもの、幾らだって買える……」
「ああ、お前なら何本だって買えるよな!」
高慢ちきな本田の言動にカッと頭に血が昇った。
俺が、まだ途中だった本田の言葉を遮るように声を張り上げると、本田はハッと息を飲んで怯む。
「嫌みを言ってるのか?」
「どうとでも。小学校の頃、物を大切にしろと先生から教わらなかったのか?」
『嫌み』として捉えるのは本田次第だし、俺は間違った事は言っちゃあいないぞ。
だがしかし、俺はじっちゃんからコイツの『御庭番』としての義務があるとか何とか言われていたようだったよな? で、この状況ってまさかの『謀反』になるのかな?
うわあああ~~~。だとしたら、今の言葉をさっきの運転手に聞かれて……
俺はさっき俺を車で送って来た運転手が居ただろう引き戸の方へ視線を送ったが、引き戸は既に硬く閉ざされていて、そこには誰も居なかった。でも、それで安心なんか出来ねー。じっちゃんは俺が本田の処へ行ったのを承知しているハズだから。
「……」
言い負かされたと思ったのか、本田は俯いて黙り込んでしまった。
気に入らなければ『金』でコトが解決出来るとでも思っているのかよ? 今まではその態度で十分通用していたのかも知らねーが、俺はそうは行かない。でも、じっちゃんの視線が何処かにあるかも知れないと思うと、それはそれで気持ちが悪い~~~ってええい。面倒臭せぇ。
「そのう……ゲームで傷が付いたから要らないって言うんなら、俺が買い取るよ。そもそも俺が傷付けたんだし」
一度もガットを張って居ねーんだから、素振りとかも全くしていないだろうし、それを傷付けられたんじゃあ、素直には受け取れねーかもなと思った。
「?」
俺の言葉に本田が軽く反応した。
「まぁ……ぶ、分割にしてくれねーと……一括じゃあ、は、払えねーんだけど……」
かぁあああ~~~こっ恥かしい~~~。大の大人が小学生に分割ローンで支払いを待って貰うのを頼んでいるみたいじゃねーかよ。
「お前、今凄く無理しているだろう」
「あったり前だろ? 俺は金持ちのお前とは生まれも育ちも違うんだ。まあ、取り敢えず今日は本田に返しておくよ。どの道そのつもりで持って来たんだ。買い取れと言うんならそうするから、考えておけよ」
なかなかラケットへ手を伸ばして受け取ろうとはしない本田に痺れを切らした俺は、足元のレジカゴへヘッドを逆様にして立て掛ける。
本田は俺がコイツの『御庭番』で立場上も全く違うってコトを知っているんだろうか? や、そんな事を考えても仕方が無いし、まあ良いや。本題に入らねーと。
俺は頭を切り替える。
「ところでさ、なんで俺が此処に呼ばれたんだ?」
「それは……その……」
「はあ?」
急に言い辛くなったのか、本田はモジモジとして口籠る。
「明日も学校だし、宿題もまだなんだ。本田だってそうだろう? 特別な用が無いなら俺は帰るぞ」
変なヤツ。俺を呼び出しておいて、何がしたかったんだ? 意味が判らん。
「待て!」
帰ろうと本田へ背を向けた途端、アイツは慌てて俺を引き留めた。
「なんだよ?」
「……えて……」
結構響く練習場だが、本田の声は余りにも自信が無さ過ぎて聞き取れなかった。
「ああ? なんだって?」
声が小さ過ぎて聞こえねーよ。
本田とは対照的に、少しだけ声を張り上げた俺にビクッたのか、大きく眼を見開いてアイツは俺を真正面から見上げて来た。
余りにも思い詰めた表情に、今度は俺がドン引きする。なんか雰囲気が違うぞー。アッチ系に俺は免疫が全くだから『お兄さんになって』とかそう言うのは勘弁だぞー。
「お前が……お前が遣った眼隠しの技を……教えろ!」
はああ? ンなにその上から目線。大体それが人に頼みゴトをする態度かよ?
「……」
「教え……教えて……く、くださ……」
語尾は震えて殆ど聞き取れなかった。
コートの一点を見詰めて顔を真っ赤にさせながら、今にも泣き出しそうな本田を見ていたら、俺が何か悪い事でもしているみたいで、何とも居心地が悪い。
俺が部活に何度誘っても無視し続けていた癖に。本当はやっぱりテニスを続けたかったんじゃねーかよ。素直じゃねーな。ったくよ。
『意地っ張り』な所は、少し俺と似ているかなと思った。ひと昔前ならば、本田が『御館様』であって、俺と主従関係になる予定だったものが、今はその真逆になっている。この状況がなぜか面白く思えて来るから不思議だ。
「本田、お前こそ、今もの凄ぉ~く無理して言っているだろう?」
今度は俺がその言葉を口にした。
「あ、当たり前だ」
早っつ。コイツもう元の目線に戻りやがった。
「ならテニス部へ入部しろよ」
「そ、それが条件なのか?」
いや、別に『条件』とかって言われても……
俺が遣った眼隠しは、そう簡単には会得出来やしないと思うんだが?
「先ずはその鈍った身体のリハビリだろう? お前なら一年のメニューくらいすぐにこなせるようになるだろう。とにかく今はボールのコントロール云々よりも体力の改善が先だよ。俺が教えられるのはそれからだ」
「判った」
それまで思い詰めて曇っていた本田の眼差しが、俺の言葉で生き々として輝き始めた。




