21、無茶ぶり
俺はずっと眼隠しの下で眼を閉じて、耳へ全神経を研ぎ澄ませて集中させている。
アイツがサービスを打って居ないのは、ボールの当たる音が微妙に違っていた事で既に判っていた。
「危ない!」
俺たちの対戦を他のコートから見ていたらしい数人が、俺への危険を察知して悲鳴交じりの声を上げるが、もうその時には左足を一歩引いて、本田の居るコートへ返球していた。
「リターンエース!」
誰かが叫んだ。
周囲から『おお!』と言う感嘆の声と拍手が沸く。
まさかの俺のリターンに驚いた本田は、どうやら俺への返球に遅れを取ってしまったようだ。
「なんで……なんで判った?」
俺を凹ませて遣ろうとしたのに、本田は俺から見事にリターンを決められて呆然と立ち尽くして居るようだった。
「もうお終いか? さ、もっと続けろよ」
「ぐ、偶然……だろう?」
本田は眼の前で起こった事が事実として受け止められていないみたいだった。
「さあね。さ、来~い!」
「なんでそんな事が出来るんだよ」
「教えな~い」
俺は笑いながら適当に返事をする。
もっとも、さっきのリターンは、本田が俺に向かってワンバウンドなしで直接打って来たから可能だったと言える。本田の殺気とボールを打つ音を頼りに俺は反応しただけだ。
それよりも前のサービスは、一旦コートへワンバウンドした為に最初の本田が打った情報が微妙に変化してしまい読み取る事が出来なかった。だから全く反応さえ出来ず、微動だに出来なかったんだ。
「ば、馬鹿にしやがって!」
「うん。そう」
「くっ……」
ギリギリと本田が悔しさの余り歯噛みしている様子が見て取れた。
まあ、普通の人ならこんな芸当は不可能だろうからな。
眼隠しを利用しての修行は既に経験済みだった。こんなテニスボールなんかまだ可愛い方で、じっちゃんとの修行では木刀でフルボッコだったもんな。
眼が見えなければ、音や体感へ集中して神経を研ぎ澄ませば、ある程度の情報は入って来る。俺はその応用を試してみただけだ。
「良いぞ! デカイの!」
「そっちの可愛い子も頑張れ!」
俺と本田はいつの間にか他のコートに居た人達に、コートの外から取り囲まれていた。四方を囲まれてしまい、逃げ出そうにもこれじゃあ逃げ出せない。
「み、見世物じゃないぞ!」
本田は周囲の人に向かって声を張り上げるが、多勢に無勢の状態で、独りで凄んで見せても誰も本田の言葉に従う者は居ない。
「なあ本田」
「何だよっ!」
突っ掛かるなよな。
追い詰められた手追いの獣みたいに、本田は周囲から圧倒されて焦っているのが丸判りだ。
「もう少し落ち着け。お前なら出来るだろう? 集中してみろよ」
「お前なんかに言われなくても判ってるさ!」
穏やかに話し掛けたが咬みつかれた。
本田が本気を出せば、俺よりも高い集中力を保てるハズだ。まあ、アイツにとってスペックの低い俺からの助言なんか不要なんだろうけどな。
「……ん?」
本田が数回深呼吸をして余計な力みを取っ払っているな~と思ったら……アイツの居るコートから空気がガラリと一転した。
おーお。ハンパ無い集中力は流石だ。
神経を尖らせた本田が、本気のサービスを打ち込んで来た。
モーションはゆっくりだったが、アイツが放ったボールは、さっきのサービスとは速さも威力も違っている。
俺の足元を狙ったサービスは、強いスピンを掛けていて着地と同時にキックするように高く跳ね上がった。
「サーティ・フィフティーン」
本田のサービスが決まったと思った誰かがカウントする声が聞こえた。
だがな、まだ終わっちゃいねーんだよ。
強いスピンを掛けた事が俺にとってはラッキーだった。高く跳ね上がったボールはまだ俺のコートへ落ちてはいない。
素早く落下地点を推測して廻り込み、バックハンドの両手打ちでフルスイングした。
空を切る音と強い当たりが、ガットを通して俺の身体へ伝わる。
俺としてはネットの上スレスレを通過する予定だったが、ボールはネットの上部に引っ掛かって落ちる音がした。
同時に周囲から溜め息が漏れるのが聞こえる。
「惜っしい!」
「うっひょ~今のサービス、俺でも返せねーよ」
無駄の無いフォームから繰り出された鋭いスピンサーブに、周囲から感嘆の声が漏れる。
「ねぇ、あの子……似ているわよね?」
「ひょっとして、本田プロの弟じゃない?」
女の子の会話に周囲が俄かに色めいた。
周囲から騒がれて、本田がこのゲームを嫌がって拒否るかもと思ったが、今の本田には周囲の声はまるで聞こえていないようだった。
「あっちゃ~~~失敗。よっしゃあ、もう一本!」
「……」
俺のお気楽な言葉に、本田が鼻白んで息を飲む気配がした。
当然、眼隠しをしている俺に周囲の状況は見えてはいない。だけど、『眼で見る』だけが総てじゃあない。
視力以外の身体の全神経を駆使して、本気になっているアイツと対戦している……そう思うと、堪らなく嬉しくなった。




