2、謎の小学生?
「シューズはオールコート用の方が良いかね?」
「ええ。あ、でもあんまり高くて良いヤツじゃなくて……あ、その端っこの青いラインのやつ見せてください」
「はいよ」
じっちゃんから『大切に使えよ』と言われて渡された生活費だが、おれはそれを片手にスポーツショップのハシゴをしていた。
島には中学校が無かった。だから、いつもは漁船の片隅に乗せて貰って船酔いと格闘しながら隣島の市立中学に通っていた。
隣島の中学校と言っても、全校生徒が本島の一クラス……四十人にも満たない人数だった。部活はいろいろ体験して……っていうか、人数不足の部活ばかりで、他人よりも少しばかり体力と運動神経に恵まれていた俺は、頭数合わせだとは言え運動系サークルから引っ張りだこだった。
俺が硬式テニスに憧れたのは、学校に本物のプロテニス選手が遣って来たからだ。その人は女性だったけれど、テニスに対するモチベーションやクオリティの高さがハンパ無かった。プロだから当然ゲームの腕も凄かったけど、人間としても尊敬出来る立派な人だと思ったし、何よりも彼女を取り巻くオーラみたいなものに俺は打ちのめされたんだ。それに、当時丁度日本人選手が全米オープンで準優勝した事もあり、部活をするのなら是非硬式テニスへ入部したいと憧れていた。
だけど、中学校には軟式テニスはあっても、硬式テニスは無かった。だから、これから通う事になる二神高校で始めてみたいと思ったんだ。
「それ、まけて貰えます?」
「ああこれなら去年の売れ残りだからね。良いよ」
ラッキー!
俺が値引き交渉したのはこれが初めてだった。中学校卒業したての学生相手に値引きなんてしてくれるものかとは思っていたけど、駄目もとでも言ってみるものだな。
「後、ラケットも……展示している右から五番目の物を見せて貰えますか?」
「え? これかい? 君、なかなかの目利きだねぇ。これはついさっきの便で入荷したばかりの新製品だよ」
「そうなんですか?」
店主のおじさんから褒められたような気がしてなんだか照れる。だけど、入荷したばかりの新製品ってコトは……
そっとラケットに付いているタグを見てがっかりと肩を落とした。
駄目だぁ~~~小遣い全然足りてねーし。
その有名ブランドの赤いラケットにはまだガットは張っていなかったが、俺の手にしっくりと来る重さとグリップ感。そして申し分の無い存在感だった。店主さんからのアドバイスを貰わなくっても、モノが良いのは直ぐに判った。
だけど、金額がなぁ~~~。じっちゃんにばれたら半殺しじゃあ済まないだろうなぁ。これ、分割払いにして貰えるかなぁ。
「ン?」
新作のラケットを手にして支払いをどうするかで悩んでいた時、誰かの強い視線を感じて俺はふと面を上げた。
視線の相手の気配が唐突に消えたが、俺にそんな誤魔化しは効かない。たちまち視線の相手が店の外のガラス越しに覗いて居た、身長百六十くらいの小学生男子……かな? それらしい子供と判って眼が合った。
でも、小学生があんな強い視線を送って来るものなのか? そもそも、俺は身長があってガタイがデカイせいか、今までに喧嘩を売られた事も無ければもちろん買った事も無い。それとも、ここが県庁所在地の本島だから、本島の人間は小学生でもあんなに強い視線を送れるものなのかな?
小学生の視線に気を取られていたら、そいつが眉間を寄せた険しい表情を浮かべて店内へずんずんと入って来る。
「いらっしゃい」
店主の声を無視して、その小学生は真っ直ぐに俺に向かって遣って来るなり、いきなり手にしていた赤いラケットを指差した。
「それ、俺が買うんだから返せよ」
「はああ?」
「返せって」
突然の出来事に戸惑っている俺に向かって、小学生は容赦なく言い放つ。
「ちょ、ちょ、ちょい待て。『返せ』ってなんだ? 予約でもしていたのか?」
「確か予約は貰っていませんよ」
慌てて店主を見て眼で確認すると、店主は眼を丸くしながら首を横に振りきっぱりと否定した。
「大体それ、上級者用のラケットだけど、良いの?」
「え? じょうきゅうしゃ?」
「ラケットだけスペックが高くても、それに見合う腕が無きゃだけど、あんたにそれがあるの?」
はああ?
なにこのムカ付く挑戦的な言動はぁ。だけど、小学生相手にムキになるのもなんだかなと思い、必死になって理性で感情を抑え込む。
つか、俺よりも購入出来る可能性がずっと低いはずじゃあねーのかよ? それともどこぞの坊っちゃんかぁ?
「小学生に言われる程お粗末じゃないんだけどな……」
気圧されてしまい、たじろく俺。
俺達の遣り取りを見ていた店主は、客の手前だからか、気持ち遠慮気味に吹き出した。その店主へ小学生が鋭い一瞥を遣して一瞬で黙らせる。
「じゃあ、言い方変えるよ。そのラケット買えるの?」
「え? あ、ああ……そこはまだ……」
返事に困ってしまった俺を、小学生が鼻でフンと笑った。
「買えないんでしょ? じゃあ俺が買うから。現金で。なら文句無いだろ?」
「あ、はい」
手にした四、五枚の一万円札をこれ見よがしに見せびらかすと、店主は気後れしつつ頷いた。
店主の許可を貰った小学生は、堂々として俺から強引にラケットを奪い取る。
「じゃあこれ買うから」
「ガットのテンションはどうしますか?」
「ガットは要らない」
「……」
店主や高校生のこの俺に対して、全く物怖じしないどころか堂々としている憎たらしいこの態度!
腹が立つよりも先に呆れてしまい、怒る気力も消え失せる。
つーか、ガットを張らないってどういう事だ?
勢いにのまれて呆然と立ち尽くしている眼の前を、俺からラケットを奪い取り購入した小学生が意気揚々として帰って行く。
「ありがとうございましたー」
店主の明るい声にハッと我に返った。
「今の……一体なんだったんだ???」