19、かりん参上
翌朝、じっちゃんと俺は、寮の一階にある食堂で向かい合わせに座って朝食を摂っていた。
じっちゃんは、離れ小島からの定時制生徒として入学した『現役高校生』。干からびた感満載だが、この設定なら変装もしなくても大丈夫なのだそうだ。
「言っておくが、俺と本田には絶対に化けたりするなよ」
周囲には他にも朝食を摂っている寮生が居る。
俺は彼等に聞こえないように、真顔になって声を潜め、必死になって訴えた。
つか、マジで釘を刺しておかないと、じっちゃんは何をしでかすか判らねー。タダでさえ面倒臭い本田のキャラが余計にややこしくなっちまいそうだから、これ以上状況を拗らされるのは御免だ。
お? 今日の味噌汁の具には、油揚げとワカメにジャガイモが入っているのか。寮母さんの食事はいつも旨いな。
「ウンいけずぅ。『化ける』じゃなくて、限り無く本人に近い『変装』と言って欲しいのう。せっかくワシがお近づきにと御膳立てしておったに……」
「ぶ―――っ!」
咄嗟に含んでいた味噌汁を思いっ切り噴いた。
必然的に、正面に座って茶碗を片手に白米を掻き込んでいたじっちゃんの顔へまともに掛る。
「コウよ……わしゃあお前との間接キスは勘弁じゃあ」
「じっちゃん! 真面目に聞けえええ~~~!」
やっぱり俺たちに化けて混ぜ返す魂胆だったのか。
「ふーん。アイツが事故った場所がそこか……」
俺は掌に納まる程度の石ころを左手に持ち、軽く空中へ投げてはキャッチを繰り返しながら、高い石垣状に作られた頑丈な塀の上に立って、坂になって右手方向から下って来る片道二車線の道路を見廻した。そしてその先にある、交差点の一角を見詰める。
俺が背にしている方向には小高い丘があり、そこには市が運営している総合競技場がある。大小二つの野球場や武道館。多目的体育館や屋内温水プール。十六面あるテニスコートや会議室等有料ではあるが、たくさんの施設が整っている。そのテニスコートで、毎年数多くの試合が行われている。
一年半前の本田は、ここのコートで全国大会への切符を獲得した。
そして、その帰り道に……
左右二・○の視力を誇る俺は、本田が事故に遭った現場より少し手前の自転車道に、不自然なスリップ痕が残っているのを見付け出していた。一年半以上も経過しているから、もしかしたらもう残ってはいないだろうと諦めていたんだが……調べ直してみるもんだな。
俺が上がっている塀は、石垣を積み上げているから足場は幾らでもある。登ろうと思えば誰にでも登れる高さだ。もし、ここから坂道を下っている自転車に乗っている人物へ、手にしているこの程度の大きさの石が命中すれば、殆どの確率で車道へ自転車ごと飛び出してしまうだろう。
って事は、『誰か』が故意に本田に怪我をさせた……って言う可能性もあるわけだ。
本田が俺とのゲームを途中棄権してから三日が経って居た。
あれからずっと本田の姿を捜してみたが、アイツはクラスにも体育館にもテニス部のコートにも何処にも居なかった。じっちゃんから本田の御庭番として勤めるように言われて、俺は本気にはしていなかったものの、それでもヤツの事が気になっていた。
本田の幼馴染みだったらしい『みのり』から、昔のアイツの置かれていた事情を聞いたり、たった今、事故の原因の可能性を見付け出した俺は……益々アイツに部活復帰をさせてやりたいと思った。
=「因果だねぇ……御庭番の血かねぇ」
「うわ? なにこの短足胴長犬!」
俺の足元には、足の短い柴犬……いや、耳が柴犬よりもひと回りもふた回りも大きい犬が、きちんとお座りをしていた。
=「失礼な! アタシゃ『コーギー犬』だわよ」
こっつ……コーギー? 犬種か? なんだそれ?
「って、うわ、犬がしゃ、喋った!」
=「アタシだってばさ」
「は? 『アタシ』? って誰? まさか……『かりん』か?」
=「大当たりぃ~」
「なんだよ。じっちゃんに続いてとうとうかりんも島を出て来たのか?」
=「アタシゃじいさんとコウのお目付け役だからね」
「『お目付け役』を自負するなら、じっちゃんが島を脱走する前に捕まえておいてくれよ~」
=「諦めな。もう時効さね」
「……都合が悪くなるとバックれるよな。もう……」
=「コウ、アンタのその顔……先代にそっくりだよ」
口を尖らせて膨れっ面になると、かりんは両の口端をつり上げて笑った。
この老け顔の膨れっ面がねぇ。
=「本当の姿だとどうしても目立っちゃうからさぁ。ここへ来た時、最初に見た犬の姿に化けたのさ。これならコウやじいさんと居てもおかしくは無いだろう?」
「いや、十分不自然だし」
「なあ、かりんの『過去見』で犯人が判らないか?」
=「残念ながら、アタシが見る『眼』は犯人からの視点だからねぇ。原因が判ったとしても、その人物までは判らない。だけど、怨恨絡みだと言う事は判るね。まっ、あの子がもう一度大会で優勝でもすれば、また同じ様に危害を加えてくるかも知れないね」
かりんの能力である『過去見』は、事件等現場で最も『思念』が強い者へ憑依と言うか、共鳴して見る事が出来るらしい。犯行者からの視線からしか見る事が出来ない。だから、犯行者の年齢や性別等詳細の特定が困難だと言う欠点がある。
「別に俺は本田の家系の怨恨問題には興味が無いし、ぶっちゃけ関わりたくはねーんだ」
=「またぁ。コウはいっつも面倒臭がるねぇ。御庭番としての自覚が足りないよ」
「俺は御庭番なんか遠慮するっ。つーか、出来るか!」
腕組みをして塀の上で仁王立ちになった俺は、きっぱりと言い切った。
そもそも、そんなに訓練しちゃ居ねーンだし、現役バリバリのかりんやじっちゃんに比べれば、俺の桁違いに低い能力値で、本田をサポート出来るかどうかも怪しい。
「その事とは別の理由で、俺は本田をテニス部へ入部させたいだけなんだ。つーか、正直同じ一年で俺とゲームしてタメ張れるヤツが居ない事が一番重要なんだよな」
=「出たね自己中。まあ、コウらしいけどね」
『自己中』……その言葉の響きに打ちのめされてしまった。しかもかりんは俺らしいと言う。それって普段でも俺は自己中だと言っているのか?
俺はその場にしゃがみ込み、膝を抱えて拗ねる。
=「どうしたんだよ?」
「かりんが落ち込む事を言うから」
そう言ったら、かりんは俺から視線を外して小声で『面倒臭せぇ』と呟いた。




