10、ゲーム
幾らハイスペックのラケットだと言っても、ガットを張らずにどうやって試合をするんだよ?
俺だけでなく、部員全員がそう思っただろう。本田もそれは十分承知しているし、何より完全に嫌がらせだと承知して口元を緩めている。
「ほら。受け取れよ」
「あ? ……ああ、でも俺は自分のラケットが……」
「受け取れ!」
「……」
有無を言わせない強い口調の本田から、仕方なく片手を伸ばして本田の赤いラケットを握る。
顧問の先生が居ればこんな事すぐに止めさせてくれるだろうが、生憎、今日はまだここへは来ていない。
=「うわぁ~~~出たぞインケン王子。遣り方が汚ったねーな。あんなのでゲームなんか出来るわけねーじゃん。でもアイツいつ部員になったんだ?」
=「嫌がらせだろ」
=「明神、早速ヤな奴に眼を付けられたなー」
部員誰もが俺に同情してヒソヒソと囁いた。
「一年はアップ取れ。五分後にゲームだ」
主将は本田の企みに簡単に乗ってしまったのか、それとも何か思う事があるのか判らないけど、とにかく今日は一年で簡単な実力テストをするらしい。
いや、普通のゲームなら俺だって異存はないさ。だけど、なんで俺だけがガット無しのラケットでゲームをさせられるんだよ? しかも相手が『アイツ』だと?
「おい大地、まさか本気で……こんなのって……」
副主将の徳永先輩が、慌てて主将の肩を掴んで引き寄せる。
「うん。ちょっとみんなも聞いてくれ。俺も本田の遣り方には反対だ。でも、毎年個人のレベルを確認する為のゲームは遣るんだし、たまたまそれが今日になっても問題は無い」
「そうじゃなくて、明神の『アレ』はどーすんだよ? ハンデか? どう見ても罰ゲームだろ」
「アレ? ……ああ、明神とのゲームか? これが単なるゲームなら俺は本田の我儘を見過ごすつもりは無い。でもな、あのラケットで一球でもまともにリターンが出来れば、本田が入部をすると言い出したんだ。事故で誰からも忘れられていた逸材が、俺達の眼の前に居るんだぞ?」
「本田、ゲームはもう出来ないんじゃなかったけか?」
「毎年松南校に優勝を持って行かれるが……ウチはそんなに弱くはない。毎年ベストエイトに入っている実績がある。本田が入部したと仮定して、スタメンでなくても……コーチでもマネでも良い。居てくれさえすればそれで良いんだ。本田が今まで獲得して来たスキルを、少しでも部員全員に教えてくれれば……ウチは更に強くなるとは思わないか?」
「仮に入部したとして、本田がそんな事をしますかね?」
主将の言葉に他のみんなは悲観的だ。
「おい、聞いたか明神。とにかく一球でも良いから打ち返せ!」
否定的な意見が出る中、徳永先輩は声を張り上げる。
さっきまで主将に反対していたのに、急に真逆の事言ってら。まあでも、部活をしないと決めていたあの本田が俺達……いや、俺に一縷の望みを与えて来たんだ。
けど……なんで俺?
「はあ……」
気乗りしない返事をしたら『しっかりしろ!』と主将からドヤサれる。
そりゃあ、遣って遣れない事も無いんだけど……
ラケットに慣れるために、ボールを落とさない様に空へ向けてドリブルをすると言う練習がある。更に難易度を上げれば、ラケットを立ててフレームだけでドリブルが可能だ。だがしかし、それは自分自身でボールの落下速度を微調整するからであって……
「うわぁ……明神、いきなり責任重大だよ」
「んな、無茶ぶり……ナシだろう」
「一年、ごちゃごちゃ煩い。時間だ。二人ともコートへ入って。四ゲーム先取マッチな」
寝癖頭の合田先輩が大柄な身体をアンパイアチェアに沈めながらそう言った。
トスアップを行い、先に本田がサーブ権を獲得する。
センターマーク寄りに立った本田と対角線上のベースライン付近に膝を曲げて構え、腰を落として踵を浮かせる。ガットの張られていないラケットを左手で握り、右手でスロート部分に下から指を添えた。
「本田、サービングプレイ」
アナウンスされても、本田は借りたらしい他人のラケットでボールを手毬のように何度も地面へついて、一向にサービスモーションに入らなかった。
久し振りにコートへ立ったんだ。ラケットやボール自体ずっと触れていなかったとしたら、トスアップするのにも勇気が要るだろう……って思ったら、決心したみたいに青空へボールを高くトスアップした。
小柄な身体が大きくしなり、全身をバネのようにして力強く打つ。
ボールは矢のようにほぼ一直線にセンターサービスラインのぎりぎりを狙って来た。ワンバウンドして俺の左側へ滑るように低く弾むスライスサーブだ。
右利きの相手なら、左側を狙うのがセオリーだが、残念ながら俺は左利きなんだ。
こんなの……
簡単だと思っていた俺が甘かった。ガットがあればスイートスポットへ大当たりでリターン出来たが、見事ボールはラケットフレームのド真ん中を通過してスッポ抜けて行った。
「フィフティーンラブ」
合田先輩のカウントに、ギャラリーから溜め息が漏れた。
「あっちゃ……」
「あっほ~~~! 何普通にラケット空振ってんだよ」
息を詰めて俺達を見守ってくれていた一年が悔しがる。
ああ、ラケットを普通に振って『エアガット』に頼っても駄目だったんだよな。
『臨機応変』――『面』で捉えられないのなら、『線』、若しくは『点』で捉えるべし。
俺はラケットのグリップを両手で握り、剣道の竹刀に見立てて中段の構えを取った。
「なんの冗談だよ? ふざけているのか?」
俺の奇妙な構えを警戒して、本田が顔を顰める。
「ふざけてなんかいねーよ!」
ふざけたゲームを持ち掛けて来た張本人の癖に。
「そんなやり方じゃ一球だって返せないぞ」
ああそうですか。じゃあ、どうすれば良いってンだよ?
俺の構えを見て馬鹿にされたと思ったのか、本田は素早くセンターマークを越えると、続けてサービスモーションに入った。
もう一度センターサービスライン寄りに打って来ると思ったら、今度はシングルスのサイドライン際を狙って来た。
サウスポーの俺への当てつけか?
利き手側を狙ってなお且つポイントを稼ごうって魂胆がイヤらしい。性格悪いぞっ。
舐めるなっ!
正面に構えていたラケットをサービスの落下地点へ走りながら左下段に構え直し、バウンドして軌道を大きく変化させるより先の、ボールの上がり際をフレームで捉えた。縦に構えたラケットを右上方向へ薙ぎ払う。
やった!
そう思った次の瞬間、受けたボールの重さに耐えられず、ラケットは俺の手から離れ、クルクルと回転しながら順番を待つ一年ギャラリーの傍へ飛んで行った。




