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船長と私。  作者: 御影 優一
誇り高き緑の騎士
43/50

揺蕩う夢

『揺蕩う夢』


黒の色彩ばかりが視覚に広がる。

身体の感触もあるのかどうかさえ、おぼろげでわからない。

瞳を開いているのか、瞑っているのか。

真っ黒に塗りつぶされる、無音と言う名の静寂にただ心地よさを覚える。

ゆるゆると意識だけが、ただ漠然とあり、声も聞こえない。

果たして私は声をだしているのか、それさえわからない。

ただ“わたし”という個の意識だけは、はっきりしていた。


ゆっくり、ゆっくり、ただ意識だけが下降する。

この状況を喩えるならば、なんだろう。

真っ黒な底なしの水に、ゆるゆると沈んでゆく感覚とでも言った方がいいのだろうか。

かと言って、身体が沈む感触はないのだが。

意識だけは、下降するかの如く遠のいて。

“わたし”という個さえも、だんだん薄らいでゆく。堕ちる。ただ堕ちる。堕ちてゆく。

何もかも奪われて、闇の黒が意識を覆い尽くす。

あぁ、このまま、何もかも・・・

なくなって、溶けていければ、なにもかも・・・心地いい。

自ら手放して、抗うことさえ、出来ないほどの。

心地いい、何も無い、闇が。


手放しかけた意識が、ぐらりと揺さぶられた。

眼の前に白い腕が伸びてくる。

白い、白い頼りなさげな、細い腕。


その白を知覚すれば、意識が煮えたぎり、焼き斬れるような炎が燃え盛る。


許さない、許さない、許さない、許サナイ、ユルサナイ、ユルサない、ユルさない、ユるさないっゆるさない、ゆるさない、ゆるさない―――――っ

お前さえ居なければ、オマエさえ存在しなければ、オマエさえ、いなければ、

おまえさえいなければ、おまえさえ、おまえさえイナケレバ・・・


それでも白い腕は伸びて、“私を抱きしめる”

まるでこのまま、沈んでしまったままなど、できないように。

母が子にする抱擁の様に。

姿は視えない、けれど痛切にたぎるこの想いだけが、その存在を認識させる。


許さない、許さない、許さない、許サナイ、ユルサナイ、ユルサない、ユルさない、ユるさないっゆるさない、

オマエさえイナケレバ、“わたし”はこんな形で生まれてはこなかった。

こんな形で生まれる原因を造ったオマエを、私は許さない。許せない。


いっそ、全部、終わらせたい。

私を含めて。この苦しみを。全て終わらせて。


それでも白い腕は私を掴んで離さない。

細い腕の持ち主は、何も言わずに、ただ微笑んでいる。

穏やかで凪いだ、大切な何かを見守るような、その眼差しが。


この憎しみを溶かすから、なおさら。

私を“わたし”として生かすから、なおさら。

愛おしいと、手を伸ばしてしまうから、なおさら。―――ゆるせない。


『――それでもいいよ――。』


どこかで懐かしい声がした。

私の意識は、腕に連れられる。

真っ白な強い光に、その瞬間、鮮烈なる赤が――――私の視界に広がった。



眼を開けば、いつもの船内の天井だった。

だが見慣れた自室の風景とは少し異なる雰囲気に、クロウは眉を寄せる。微かに消毒薬の匂いが漂って来ていることから、『あぁ。保健室か。』と息を吐く。首を巡らせば、仕切りされた薄白乳色のカーテンが見える。

どうして己はここで寝ているのか。いつからだ・・・?

確か。地下墓地から脱出し教団が生み出した魔物と戦って、それから毒もセシルの引き起こした大津波で浄化されて。マライトの役人が来るから、面倒だと将校に全部押し付けるとして。ペルソナとセシルと一緒に影法師を使って港に・・・。

そこまで思いだしてクロウは溜息を吐いた。

(あぁ。そうか。俺は倒れたのか。)

思えばガンダルシアで持ち帰ったあのコイン。

あれを証拠として持っていた辺りから、ずっと調子が悪かった。

刻まれた神魔文字のチカラが残っているのだろう。

微々たるものだが、ずっとそれがクロウの本質を逆なでし、ざわざわと煩かった。喉が渇いて水を欲するが如く、魂が渇いて人間の命が欲しい。その欲望がクロウに常にあるものの、理性で押さえられていたのだが・・・あのコインでそれが常に刺激される。

そこに教団の根城。あの場所の至る所にあった、魔の本性を煽る神魔文字数々が刻まれた壁、杯、檻の端・・・扉のノブ。

それらから発せられる強い波動に晒されて、クロウは本能を押さえる事に実は必死だった。

あの動く死体を殺す事に集中して、人を襲いそうなる殺戮衝動を紛らわせていたのだが・・・。

抑え込むたびに、心臓や肺、胃の腑に、熱く爛れた鉛が流しこまれるような鈍痛が襲う。

こんなもの幼少期から慣れた痛みだったはず、そうクロウにとっては。

だが己が思っていた程、身体の方は大丈夫ではなかったらしい。

(―――クソッ。忌々しい程どうしようもないな俺は。)

おかげで嫌な遠い昔の夢を視た。

悪態をつきながら起きようとすれば、胸部に生暖かい重みを感じて、視線を下げる。

(ん・・・?)

顎を引いて見れば、黒みがかった灰色が覗いて、上下にゆるやかに動く藍色の道衣。続いて静かな寝息が聞こえた。すぅすぅ・・・と、安らかなセシルの息が胸に掛る。

「セシル?」

なんでいるんだ?と疑問に思うと同時。ずっと鉛を詰めた様に重たかった心臓や肺が、いつの間にか軽くなっている事に気が付いた。

「そうか。やはりオマエが・・・。」

その後に続く言葉を飲み込む。

唯一自由に動く右腕を布団から上げて、クロウはセシルの髪を撫でた。

何故。と脳に浮かぶ。

少し癖のある灰色の髪が、さらりと揺れて視界から落ちてゆく。

セシルの髪を梳きながら、クロウの中で、いくつも『何故』という単語が順列する。

遠い遠い大昔の記憶と、己のまだ“人”であった頃の願い。

何もかも失い無くなる寸前、この世を俯瞰し得た―――創造神の真実。

宿ったのは焼けつくような激しい憎悪のはずだった。

それなのに何故。

コイツは・・・この存在は、さも幸せだと言わんばかりに、笑顔で逝くのだろう。

己に殺さる瞬間だって、憶えている、あの赤ん坊を包むような眼差しを。

北の魔王、ネルシャとして生きた頃もそうだった。

何故―――。

オマエは、いつも最期は自分自身の事で泣かないんだ。


その応えは、伏せた睫毛の影が隠したまま。

いつも訊けずにいる。


顔がよく見えるように、前髪をもう一度梳いてみる。

黒灰の睫毛に、薄緑の色は隠されて窺えない。

仄温い布団越しに伝わる、セシルの体温と寝息がこの上なく尊いものに思え、クロウは髪を梳く手を止められなかった。







何故、自分はこんなところにいるのか?

ふと疑問が過ぎって、セシルは真っ白な雪原にいることを不自然に思った。

緩慢に首を巡らせば、高く聳える雪に覆われた山々と、足元には底の見えない崖。

降り注ぐは猛吹雪に、獣の雄叫びにも似た音が耳に残る。

フルブライト山脈の麓とは違った場所だ。

どうして・・・僕、こんなところに?

見た事も、言った事も無い場所、セシルはぼんやりと首を傾げる。

おかしいな、今日はたしか朝起きてから、外出禁止令を出されていたから、モーリスさんの手伝いをしていた筈なんだけど。セシルはつらつらと、朝から今の現状にかけての出来事を思い出そうと宙を睨む。


昼食の後方付けをして、洗濯物を取り込んで、それからリオン君と遊んだんだっけ?

それから、それから、あれからまだ目の覚めない船長の様子を見ようと思って。

そうだ・・・! 

僕あれからお見舞いついでに、モーリスさんに氷塊とか貰って、船長の部屋に入って船長の様子を見たら、すごい熱が出てたんだ。

それでタオル搾って汗を拭おうと首元を寛げたんだ、そしたら、船長の胸にまた赤黒い靄がいっぱい広がっていて。重たそうで、苦しそうで、熱の基はもしかしたら、これが原因だと思って思わず手を伸ばしたんだっけ・・・。

セシルが胸元、ちょうど心臓辺りを撫でれば、赤黒い靄は霧散していったのを憶えている。

それで、なんだろうと、この靄と思ってから、僕、すごく眠くなって。


そこまで思い出せば途端、セシルの視界はぐらりと傾いだ。


今度は体が真っ逆さまに堕ちてゆく浮遊感。

それなのに不思議と焦りも不安も恐怖も湧いてこない。

まるで他人事のようだ。

どうして・・・・・?

セシルは堕ちてゆく中で疑問に思う。

視界の先は重い雲が覗く雪の白。

いつの間にか、自分の腕が、赤ん坊の腕になっている事に気が付いた。


―――あぁ、これは夢だ。

唐突に理解する。

そうすれば視点が反転して、今度は堕ちてゆく赤子を目で追ってゆく。

白い、雪にも負けない白い、産着はまるで死に装束のよう。

暗い闇の底まで堕ちる、赤子に手を伸ばす。

ぼく、ぼくは、この先に起こる事を知ってる。

この先にある、あの恐ろしいものを。

あの、かなしい出来事を。


どうしてだろう、僕はその子供を知っている様な気がするのだけれど。

無意識に腕を伸ばして、赤子を抱え込む。


どうか全て終わらせて。


小さな悲鳴を聴いた。

赤子を抱きしめて、セシルの意識もそのまま堕ちていった。





頬に掛った髪が流れて、誰かの指が触れる感触がした。

妙に体が仄温いから、余計にまた意識を手放してしまいそうになる。そのまま米神あたりの前髪を梳かれて、誰かに撫でられる。髪を撫でるように梳いて、また髪に指を入れる。そのまま髪を少し引っ張られる感覚に、誰かが自分の髪で遊んでいるようだ。

ん、遊ばれてる?・・・だれに?ふと浮かんだ疑問。

「う、うぅん?」

くぐもった声が喉からで、セシルは首を動かす。

浮上する意識に、瞼が上がるのは一緒だった。

「あ。起きたか。」

緩慢な思考に、ふいに聴き慣れてしまった低い声が降りる。セシルはその声を耳に入れるなり、がばっと起き上った。

「うぎゃっ!いつの間にか寝てた!!ってうわぁ~涎がっ」

よくもまぁ人の体を下敷きに、涎を垂らす程に熟睡出来たものである。

「おぉう。俺のシャツに垂涎の痕がっ?!何してくれてんだ。」

ずいぶん熟睡してしまっていたらしい。勢いよく起き上がれば、セシルの口端から白い糸がひいて、下敷きよろしく寝ていたクロウのシャツに出来た、小さな水溜りと繋がっていた。クロウも飛び起きたセシルの口元から、垂れた涎に思わず驚いた。

「だって、だって、船長の心臓に黒い靄があって、なんだか苦しそうだったから、ついっそしたら眠ったくなって」

もそもそと起き上るセシルにクロウも上体を起こす。

「あ~・・・それは。心配かけた。」

フイッとクロウは顔を背ける。バツが悪そうに頬を指で掻き、なんとも居心地悪そうだ。

セシルは眉を寄せて、そんなクロウを窺う様に覗き込んだ。

「皆さん、すごく心配してましたよ。ルーヴィッヒさんが特に青くなって、ルシュカさん達も血相変えて」

「・・・そうか。」

抑揚の無い応えと平素のクロウ様子に、このヒト、本当に体が危なかったって分かっているんだろうか。薄緑の眼を半眼に、半ば憤慨してセシルはクロウを見上げる。

それでも顔色が幾分ましになっている辺り、良しとしておこう。熱も下がって今は落ち着いているようだ。後で副船長も僕等と同じように、たっぷりバルナバスさんやミゲルさんに、怒られればいいんだ。そこまで内心一人ごちて、セシルはある事を思い出した。

「あ、眼が覚めたならミゲルさんを呼びに・・・あ、それより先に水とか」

セシルがベッドの脇に腰かけて、サイドボードに置かれた水差しに手を伸ばそうとする。

それをクロウが手で制した。

「いや。いい。あ~頭痛ぇ。」

「いいって・・・駄目ですよ、あれからずっと寝たままだったのに、何か胃の中に含まないと」

額を押さえる副船長に、セシルは眉を寄せた。制する手も無視して、水差しの脇に置かれたグラスに水を注ぐ。

透明なグラスに少し冷えた水が注がれる音だけが、クロウの耳に届いた。

「どれぐらい寝てたんだ。」

まだ思考が上手く働かない。緩慢な動作でクロウは時計を見上げた。

「え~っと、帰って来たのがもう夕日が落ちている時間帯だったし、翌日は丸一日寝てたから、今日で一日半ぐらいでしょうか?」

セシルはそう言いながら、クロウにグラスを差し出す。そうすれば、やはり喉が渇いていたのか、クロウは素直に受け取るとグラスに口付けた。

「あー。しくじったな。俺が寝ている間、何かなかったか?」

コクコクと水を飲みながら、クロウはセシルへ黒曜石の瞳だけ寄せる。

「いいえ、マライトの国のお偉いさんが関わったから、てっきり僕、今回の事件で難癖付けて騎士団がこっちに殴り込みに来るかと思ってたんですけど、今の所なにもないですね」

パチパチと瞳を瞬いてセシルは、ここ二日間の事をお思い返した。思わず腕を組んで唸る。

考えれば船に帰った後、セシル達はこってり料理用及び水夫長達大人組に怒られて、反省文と三日間の外出禁止令を言い渡され、それぞれ船の雑用などに追われていて気が付かなかったが、あれだけの派手な事件の後に何もないのはちょっと不気味だと正直思っていた。

「おそらく。将校が何かしら手を裏から廻して、口八丁手八丁でこっちに来ないようにしたんだろ。大方、何故か神魔教団を追っている海賊に出くわして、フルブライト魔物出現は己の管轄だしで。不本意だが共に行動せざるをえなかったとか。」

飲み終えて空になったグラスを、クロウは再びサイドボードに置いた。

状況を聞いて、緩慢にも脳内を働かせる。

「確かに、ニコラスさんなら言いそうな内容・・・」

さすが若い身で少将までの地位に上り詰めた、珍しい金眼を持つ軍人である。

あの温厚そうで、天の使いのような甘い柔らかな顔で、するりと他人の懐まで忍び込んで、巻き込むのだ。あのニコラス・コルベリーという男は。

セシルはニコラスの纏う、颯爽とした要領の良さを頭に描いて、遠くへ意識を飛ばした。

犠牲者に彼の友人だとかいう、眼つきの悪い騎士団長を一番に思い出したからだ。

「んでもって。見事今回の件が大当たりだったから、魔術協会にでも連絡をしてるんだろう。今日で無ければ明日。じき派遣執行員の誰かが、こっちを訪ねて来るだろうな。」

クロウも遠い眼で保健室の壁を見詰めた。心なしか盛大な溜息が漏れる。

双方、妙な一体感を感じた後。

セシルはある事を思い出して、ポンと手を打った。

「ふぅん・・・あ、そういえば。今日の昼頃、こっちの町でも新聞がばら撒かれていましたよ。『マライトの陸軍将校お手柄!悪しき邪神教信者の隠れ家を発見!!』って見出しに大きく取り上げられて~・・・」

「ほぉ。」

無関心そうに応えるクロウを余所に、セシルは甲板掃除をしている際、風に飛ばされてきた号外新聞を思い出して探し始めた。

「あ、そうだミゲルさんの机に、あ、あった」

ベッドから退いて、保健室に置かれた事務机に脚を伸ばす。

クロウの眼が覚めたら見せようと、セシルが見舞いの際に机に置いた物だった。

セシルから受け取ったよれた新聞を見れば、大きく一面を飾っている文字が目に入り込む。

「ふん。『ニコラス少将とアルバ管轄騎士団長、それとマライト国で崇高な魔導師ニーズヘルグ様が、教会から這い出てきた魔物を退治。しかし、彼等の他にも謎の協力者がいたらしいとの目撃情報多数存在、一体彼等は何者なのか・・・?!』とは。カストリ誌じゃあるまいし。下品な文面だな。」

眉間に皺を寄せたクロウは、新聞を丸めて屑籠に放り投げる。

丸められた紙屑は、華麗に弧を描いて、コンッと屑籠に姿を消してしまった。

ん~、やっぱり船長はこんなの興味ないよね。哀れな新聞紙の末路にセシルは肩を竦めた。

「ルシュカさん達、一部の人達は、大はしゃぎして船で騒いでましたけどね。」

やったぜ、俺達にも取材が来るかも!!って言ってましたもん。

セシルがそう付け加えれば、クロウの眉間に倍の皺ができた。

「うっかり外で余計な事を喋れんよう。術でも掛けとくか。」

特にあの金髪碧眼と尻尾髪に、クロウは本気で考える。

どうでもいいけど、船長その眉間の皺、絶対に取れなくなるよ?

内心思って苦笑すると、セシルはふと表情を固めた。

「それより、船長」

「なんだ。」

ソプラノの声が少し落ちた事に、クロウはセシルの視線受け止める。

「これから今後一切、証拠品で神魔文字が刻まれている物は、僕が預かりますからね」

「・・・バレたか。」

薄緑の瞳を窺えば、何処か怒っているらしい、やや眼が据わっている。

無意識なのか、両手も腰に添えて、『怒ってるんですからね!』と、セシルが大体怒っているときの仕草、お決まりのポーズを取っていた。

「当たり前でしょうっ!!こんなの常日頃持って、あんな所構わず無意識下に作用する魔術が置かれたキチガイな場所。それに加えて本能抑えこんでいればそうなるよ!!船長の魂の本質を考慮すれば、すぐに分かりましたよ。えぇ、こんな初歩的なこと、こうなる前に気が付かない僕にも腹が立ってますがっ僕はお馬鹿な船長が一番腹ただし・い・よ・!!」

一気に捲くし立てるとクロウは一つ息を吐いて、

「おぉ~。セシル。初対面時より言う様になって。俺は嬉しいぞ。」

無表情に気のない拍手を送られた。その無表情にまったく反省の色は窺えない。

「ちょっとはマジメに聞きなよっ!この真っ黒くろ助~~~ッ」

「ぐぇぇ・・・。」

ホントに腹立つこのヒトっ!!首を絞める勢いでシャツの襟首を両手で握りしめた。

「この船は、誰一人欠けたら終りなんでしょぉ~がっ!!こんな事で、野望を砕くような無様な真似、船長もお爺ちゃんも望んでないでしょ!」

「ばんぜいじているっで。止めろ。首がおじるぅ~。」

セシルは前後に怒りに任せ揺り動かす。すると日焼けしても白いクロウの喉元から、蟇蛙の呻き声が上がってセシルは、『もうっ』と息巻いて手を放した。

「ホントにもうっ反省してるんだか・・・」

心配してたんですからね! わかってるんだか、そうでないんだか・・・

今迄の心配を怒りから、今度は愚痴に変換させてセシルはプイッと顔を逸らす。

実際膨らんではいないが、逸らされて視界に入る頬は、プリプリ怒って膨らんだように見える。そんなふうに見えるセシルに、クロウは密かにプッと噴いて笑った。


初対面時と違って、セシルの纏う雰囲気は本当に変わってきている。クロウは思う。

どんな感情にも、それを発するには力がいる。それが喜びであり、怒りであり、心配であっても。出逢った頃、セシルにはそれがかなり欠如していた・・・ように思う。

少なくともクロウはそのように感じていた。

初め海で拾った当初、セシルはどこか疲れて切羽詰まった危うい雰囲気と、放っておけば消えてしまいそうな感じだった。そんな気配を察して、世話焼きな連中が多いこの海賊団に何かと構われていても、生立ちの所為かセシルは親しくは接するが何処か他人行儀で、相手の心に何かあっても踏み込んだ事は言わない。そんな奴だった。


されど、いま。

己の前で素直に心配して怒るセシルの姿は、顔色は件での力の使い過ぎで、やや隈が目立って疲れた様子が窺えるが、どこか生き生きとしていて・・・。

なんと言うか、セシルらしさが自然に出ていた。

なによりセシルが自然に、感情をぶつけられるようになったのと、それが己だという事が嬉しかった。セシル本人まったくもって、気が付いてはいないっぽいが。


クロウがそんな事を想っていれば、喉で笑う声が漏れていたらしい。

セシルは振り向くと、キュッと眉を寄せて、ジト眼でクロウを睨んできた。

あ・・・ヤベェ。

これ以上、下手なこと言うともっと怒られる。

野生の直観力で察知したクロウは、セシルを怒らせないよう、別の行動を取る事にした。

「セシルもっとこっち来い。」

そう言うか、言わないかの早さ。

クロウはベッドの端に乗って座り込んでいる、セシルの腕を取って抱き込んだ。

うぎゃ!?と、セシルの声が上がって、華奢な存在が一緒に倒れ込んでくる。

「な、なななななにするんですかっ!!!」

突然のことに、思わず声が上擦った。

完全に油断してた!?

そう言えばこのヒトから、交際を申し込まれてたんだった・・・っ!!

「やだっ」

半ば混乱する中、相手の胸を叩いて、突っぱねる。

それでも体格の差もあり、ビクともしないのは当たり前で。

「離してよぅ~~~~~~~っ」

恐怖にセシルの体と表情が引き攣る。

―――まぁ。拒否られるのは仕方ないか。

セシルの様子を窺っていたクロウは、少し残念に思いながらも、小さな背に腕を廻して抱きしめる。恐怖心を取り除こうと、ゆるく背を撫でた。その行為が、余計にセシルの警戒心と恐怖心を煽る事はクロウは分からない。

「変なことしたら術でぶっ倒すよっ」

脅えに上擦った声でセシルが眼を白黒させながら抗議すれば、聞いたこと無いほど沈んだ声音がセシルの耳に飛び込んでくる。

「すまん。もうちょい。もう少しだけ・・・このまま。このままでいてくれないか。」

飛び散った赤がまだ、鮮明に残っている。

また瞼が重くなって、先ほど視た悪夢が甦ってきそうになって・・・。

ただ今は、眼の前の存在を大切に、大事にしたかった。

「・・・船長?」

あれ?いつもと雰囲気が違う? 腕の中で怪訝にセシルは首を傾げた。

「頼む。」

縋り付くような、迷子の子みたいな。どうしたんだろう・・・

そんな気配を察してセシルは瞬き一つ、そして考える。船長の表情が見えない。

けれど何故か放っておけない。副船長に変なコトしようとかそんな雰囲気は今の所無い。

結局セシルは根負けして、もごもごと口を開いた。

「・・・もうっ仕方ないですね、ちょっとだけですよ」

「あぁ。」

言った途端、セシルのすぐ頭上でくぐもった、やや嬉しそうな声が聞える。

同時に背に回されたクロウの手が頭を撫でて、眠気がまた襲ってきた。


セシルはぼんやりと考える。

いつも自信に満ちて迷いのなさそうな、堂々とした態度。

黙っていれば美人で、口を開けば辛辣、おまけに何処かその思考は変だったりする。

他人なんぞ気にしない、そんな態度はいっそ、ふてぶてしいけれど、清々しくもある。傍若無人っぷり。背筋もいつもピンっと張って、姿勢がいいのは性格からか。

自分は本も読むのも好きなのもあるが、人目を気にしていた部分もあってか、背はけっこう猫背だ。別段、綺麗な顔もしてもない、体だって貧弱。髪色も鼠色の癖毛でまぁ、こんな真直ぐの癖のない艶のある黒髪ではない。羨ましくもあるが、ぶっちゃけ苦手でもある。この眼の前の人で無いヒトが。とにかくセシルとは正反対なこの御人の、初めて見た弱った態度。普段の彼は親しい間柄でも、弱音を吐かない、頼らない、そんな暗黒副船長。

そんなヒトが、どうして自分にはこうなのか・・・・・・。

構われる分だけ、苦手意識も相まって煩わしさが増す。

正直、なんのとり得もない自分に、関わったって百害あって一利なしだろう。

セシルはそんな事を想う。

つらつら想いを連ねて並べていると、いつの間にかセシルの瞼は完全に降りてきた。

クロウの手もすでに止まっていて、穏やかな寝息が届く。

あ、でも・・・こんな静かな時間は嫌いじゃないかな。

内心呟いて、セシルも緩やかに意識を手放すことにした。




「おや?」

自分の根城である保健室の扉を開けて、ミゲルは眼を見開いた。

珍しいものを見た、とばかりに口も無意識に半開きになる。目に飛び込んでくる微笑ましい光景にしばし佇んでいると、横からパタパタと忙しない足音が近寄ってきた。

「ねぇミゲルちゃん、セシルちゃん知らないかしら?今日の夕飯当番あの子なのだけど、姿が見えないから」

軽い足取りで、頬に手を当てて尋ねてくる料理長に、ミゲルはにっこり微笑んだ。

し~っと人差し指を口元に宛て、ミゲルはゆっくり手招きしながら料理長を部屋に招く。

「ふふふっセシルさんなら、ほら、ここにいますよ」

声を潜めて布団を指せば、モーリスの心配そうな表情もぱっと綻んだ。

「あら!ふふっヤダン、二人とも可愛いぃ~」

こちらも声を抑え、その場で悶える。

航海医師と料理長の視線の先には、クロウとセシルが共にベッドでスヤスヤと眠っている姿。親子や兄弟のように、服を着たまま二人転がって寝ている状態に、セシルは布団が熱いのか、掛布団の端が脚で少し捲れている。クロウはというと、顔色が幾分か回復し、頬に少し赤みがさして寝顔が安心しきっている。あどけない寝顔に、ミゲルにしてみればこんな副船長、珍しい以上に貴重だった。

「夕飯当番は私が変わりましょう、だからもう少し二人をこのままで、ね?」

「そうね、そうしましょう」

眼鏡の奥でウインクをすれば、モーリスも口元に手を当てて微笑む。

今度呼びに来るときは夕食の時間に・・・。

仲の良い雰囲気をもう少し壊さないで置いておこう。

こっそり保健室から抜け出して、二人は静かに扉を閉めた。



「それよりミゲルちゃん?アナタお料理できたかしら」

部屋を後にしてミゲルと共に廊下を歩く内に、ふとモーリスは思い出した様に顔を上げた。

その視線を受け止めた蒼く深い瞳は、パチパチとワザとらしく瞬く。

「何を言うんですぅモーリスさん、私は“肉を捌くことだけ”は正確にできるんですよぅ?」

「・・・・・・。」

敢えて強調された部分を反芻して、瞬く間に理解する。これは駄目だわ。

クロウちゃんとセシルちゃん安心して、今日のお夕飯はすごく時間がかりそうだから。

貴方達を呼ぶのは、だいぶ先になりそうよ。

廊下を歩きながら、モーリスは遠い眼で、今日の献立メニュー変更を考え始めた。


鶯黄石月 二十二日 曇


昨日はハヤシライスで、今日はカレーライス。

しかもなんだか、野菜と肉のぶつ切りぐあいが、半端なく雑~~~~っ!!

なんでそんな、何入れてもハヤシ、何入れてもカレーになるような献立?!


とかなんとか愚痴ってたら、カウンターからミゲルが胡散臭い笑い顔で、激辛チリソースぶっ掛けてきやがった!しかも、俺のカレーの乗った器にっ!!

しかもその激辛チリソースは何故か紫色してる。なんで?

食べ物でそんな毒々しい紫ってなかなか無いよ、な?


あと、刺激臭がして目が霞んでくるんだけど。あれ、これ、幻覚かな?

ハ、ハハハ・・・


                                狙撃手 ルシュカ

                            ブラックパール号航海日誌


その後、クロウとセシルが夕食に呼ばれ保健室を出るのと入れ替わりに、尻尾髪の青年が水夫達によって担架に運ばれていったのだった・・・。合掌。




クロウが眼を覚ました次の日。

ブッラクパール海賊団の青年組には、あの忌まわしい地下での事件が無かったかのように、穏やかな日常に戻っていた。

資金集めに駆けずり回る大道芸組と、漁師組、出張雑貨店組に分かれて、それは、それはアルバの港町に馴染んで地元民に近い。

昼前にはサボリに来た航海士が、副船長の眼を盗んで、副船長部屋に忍び込んで置いてあった薬品をいじくり花火を作り出して、甲板で色とりどりの爆炎が舞った事件が勃発、アルバの住民を驚かせ、副船長の雷が落ちていたが。これも彼等にとっては日常であった。


航海資金に精を出すそんな中、セシルはというと一人、メモを片手に以前クロウに連れられて来たことのある『星屑の壺』店を目指して、職人通りを歩いている途中である。

「え~っと、ここを右に曲がって・・・???」

ペルソナに書いて貰った地図を見比べて、セシルは首を捻る。

地図と現在位置を睨めっこしても、一向に此処がどのへんなのか分からない。

ん~・・・どうしようか、引き返すのもお遣いを頼まれている分、申し訳ない気がする。周囲を見渡してみれば、見覚えのない通りと店先ばかりで心細い。

前回、副船長に連れられてこっちに来たときに、眼に着いた時計屋さんとかあれば、なんとか思い出していけそうな気がするんだけど・・・。セシルは腕を組んで、う~んと唸る。

ふと首を巡らした先の角に、お目当ての見知った時計屋の看板が目に入った。

「あった!」

父親の生業が時計職人だったために、懐かしさに此処の時計屋の事はよく覚えている。

確かこの時計屋の店の通り入って、左の路地に曲がると『星屑の壺』だった筈・・・。

セシルは前回の記憶を基に、意気揚々と歩き出す。

記憶通りの見覚えのある路地に入り、見た事がある壺が店先まで置かれた店が目に入る。

あ、無事に辿り着いた!と安心して、セシルは店の扉の前に立った。

窓から様子を窺えば、店の中は薄暗いが照明が付いている所を見ると、留守ではなさそうだ。セシルはゆっくりと息を吸って、扉に手をかけた。

「すみませーん、お邪魔しますぅ~ローグルさん?」

キィ・・・と扉の軋む音と共に、控えめな声が店内に響く。

セシルは扉からひょっこりと顔をだして、辺りを見渡した。すると奥の方から、白髪の髪を一纏めに、気難しそうな老いた店主が出てきた。

「おや?古代人の子じゃないか、今日は一人でどうしたね」

本を読んでいたのか、手には緑の革表紙の立派な物が握られていて、セシルの前にゆっくり現われた。

「え~っと、今日はお遣いと、あと僕、ローグルさんにお尋ねしたい事があって」

ペルソナにお遣いを頼まれていたメモを渡しつつ、もごもごとセシルは用件を伝えると、店主は何か察したようで、

「ふむ。なにやら訳ありのようだ・・・、奥にいらっしゃい」

薄い若緑の瞳を瞬かせ、腰の曲がった店主はセシルを手招いた。


無造作に所狭しと置かれた壺避けて、奥の間に通される。

「すみません、お茶まで頂いて」

「なに、いいさ、お前さんなら」

出された香草茶を受け取りながら、セシルはぺこりと頭を下げる。

簡素な椅子に腰かけた二人は向かい合った。

「さて、さて、古代人の子。君は私に何が訊きたい」

ローグルは細い手でカップを持つと、ヒヒヒ!と笑ってセシルを見る。

どこから話をしたらいいのだろう、セシルは少し悩みながらも、始めから事の経緯を話し出す事にした。

「それが・・・この間、ちょっと里帰りをして、あの、魔術師リースト様をご存知でしょうか?」

「あぁ、知っとるとも!ヒヒヒ!リーストは私とルビーズ・・・極道ババアと同じで、若い頃の修行時代を過ごした仲でな。」

おずおずと話し出すセシルに、ローグルは朗らかに肩を揺らして笑う。

「あのその、それで、僕が正式に魔術師になる際に、リースト様の御実家に寄せて貰う事になって・・・それで、ミーティア様にもお会いして」

「ほう。君もとうとう正式に魔術師になったか、それはめでたい、おめでとう」

ローグルは手をたたいて喜び、セシルに握手を求めて来た。差し出された手をセシルは、弱弱しく握って握手に応じる。

「あ、ありがとうございます・・・。」

喜んでもらって、嬉しいが本題はそこじゃない。セシルは話を続ける為に、口を開いた。

「えーっと、それで、僕がお尋ねしたいのは、ミーティア様が、ローグルさんから見繕って貰ったピアスや指輪が、ガンダルシアの王様や法王様が身に着ける物だと。それで、あの、僕・・・ホントに、こんな大層な物頂いちゃっていいのかなって」

「何か不満か?」

なんだか申し訳なくて、最後の方は尻すぼみに声が小さくなったが、はっきり聞こえていたらしい。ローグルは眉を寄せ優しい声音で問いかけた。

アーモンドの若葉の様な瞳の色に、セシルは少し戸惑って正直に打ち明けた。

「いえ、不満じゃないんです。寧ろ、ちょっと驚いたっていうか・・・。けれど、僕、僕は、ガンダルシアの王様やエルハラ教の法王様みたいに、立派でもないし、チカラもそんな、皆が敬愛する崇高なものじゃないくて、もっとこう狂暴なんです!!ローグルさんの最高傑作だって聞いて、こんな僕じゃ見合わないって」

自国の王や徳の高い聖職者と、同列に並ぶなんて・・・自分の事は一番よく知っているから不相応だと思う。多くの人に何かを施せるほど大きな器でもないのだ。

そんなの身に染みて分かっている。

「ふむ・・・話は大体わかった。じゃが、私にはそんな君にこそ、この指輪とピアスを着けてもらいたいと思うな。」

「な、なんで?!」

思わず前のめりに疑問の声を上げる。

心の内を語れば隠者の返事は、セシルの思う返事とは反対に意外な応えだった。

「君は分相応と言う言葉を知っているかな?己を見つめる事は、実は簡単なようで一番難しい。“己のチカラを冷静に見極める”そういう力が君は良く備わっておる。古代人の子よ、君は己の身に余る力を駆使する恐怖をよく心得ておるだろう。」

隠者の手がセシルの柔らかな頭に乗せられる。ローグルはセシルの不安を解消するよう、穏やかに声を紡いだ。

「己を律するのは、並大抵の事ではない。そう言う意味では、君の意志は“たとえ魔王の魂を持つ者”でも高潔で、賢者の称号を冠るに相応しいのだ。」

「えっ」

僕、北の魔王の事は言ってないのにどうして?

セシルは驚いて眼を見開いた。すると、パチっと薄い緑の瞳同士がかち合った。

「古代人の子、よく私の瞳を覗いてごらん」

隠者の声が耳に届いて、セシルは瞳の奥を言われるまま探る。

アーモンドの若葉に似た緑の瞳は、硝子細工で作り物めいて美しいが、何も捉えていない。

そう、その瞳は何も映してはいなかったのだ。

「あ・・・」

ポツリと漏れる声に、隠者は満足そうに微笑む。

「わかっただろう?私は君の名前と同じ、『盲目』なのだよ。けれどこれもガンダルシア・スピノザ族の血筋なのか、盲目にも拘らず、私の瞳はよく視え過ぎる。」

スピノザ族は精霊召喚や隠れた真実を視る事に長けた一族、現在は純潔の一族は少ない。島では混血種の者が多いが、その血を強く受け継ぐ者は皆、眼の視力が弱く先祖の特徴が顕著に出る。それはセシルもよく知っていた。

「ごめんなさい、僕、見えているものだと」

まさかローグルがスピノザ族の血筋とも思いもよらない。慌ててセシルは頭を下げた。

眉根を八の字にして申し訳なさそうなセシルに、ローグルは明るく笑う。

「ヒヒヒ!まぁ、気にするな。これでも不自由した事はない。逆に視え過ぎて難儀する事が多いもんだ」

「そうなんですか?」

「だから私は一人が好きさ。視え過ぎる眼は、酷く疲れるもんだ。君もそうだろ?」

思い当たる節があったので、素直にセシルはコックリと頷いた。

見るのと視えるのは、同じであって違う。

術者の体質がそうさせるのか、セシルも他者の見たくない部分まで、視えてしまうことは常にあって嫌だった。副船長クロウの魂の本質だってそうだ。

本人は隠したかったのだろうが、セシルが不本意だが暴いたために、船に拾われて初めて対面した際、物凄い殺意を向けられたのをセシルは覚えている。

そんな事を内心に思い出しているとローグルは、ふと感慨深げにセシルの手を取った。

「あとそのピアスと指輪を、君に見繕った理由を上げるならば、その二つの装飾具は私が若い修行時代からずっと手がけた思い出の品だからだな」

セシルの左中指に嵌められた指輪。

その青い石が嵌った指輪をなぞって、ローグルはまだ魔術師を目指していたあの修行時代、若い自分に思いを馳せていた。

「北の神山の麓にあるソアレの町をずっと行った谷の奥にある洞窟でしか取れぬ、ある特殊な鉱物。何が特殊化と言えば、この鉱物は同じ石なのだが、その年の気候や温度などによって、色や固さ輝きも異なる物でな。同じ色をしていても、微妙に違ったりする。中でも一番、その石の中で美しいとされている物は、『星の涙』と言われていてな、君が身に着けているのはまさにソレだよ。洞窟の中に集まる山の水、流水に晒されて、自然に磨かれ、色は洞窟に唯一光指す場所にあって、月と太陽、星の光に照らされ続けた過程の中で奇跡の一品。」

ローグルの言葉に、セシルは眼を瞬かせて指輪の青を凝視する。

「石には命の波動を溜めこむ性質がある。これは大自然の密やかな力を溜めこんだ霊石、それを私が修行時代からずっと手塩にかけ長い年月、店を構えてからも、試行錯誤してようやっと作った装飾具だ。云わば青春の思い出の品でもある」

撫でる手に、時の経過が滲みでいるようで、それが老人の職人の証だと窺える。

ともにこの老人の命が宿っているようにも思えて、セシルは増々持っているのが悪い気がした。

「そんな大事な物・・・ぼく」

ぎゅっと両手を握っって、セシルは顔を上げられないでいると、合わさっていた隠者の手が頬に触れた。

「そう大事な、大切な品だ。だから、君が現われるまで、私は誰にも渡したくはないと思っていた。」

「えっ・・・?」

思わぬ応えにキョトンと、セシルは首を傾げて顔を上げる。

ローグルの表情を見れば、老人の表情とは打って変わって、自分によく似た青年の顔があった。

「それがたとえガンダルシアの王だとしても、大切で愛しいリーストでも、これだけは渡したいとも思った事などなかった。」

よく似た青年の口から洩れる声はやはり、ローグルのもので。

セシルはこの装飾職人も、紅蓮の魔女と同じで、“老い難い”体質になるまで、魔術を極めた先輩だと痛感する。探究者である高位の魔術師は、自然の力を常に操り内包する為か、酷く老い難い。

「ならば自分が着けるのか、と思いもしたが・・・それも違った。物というもは、使って貰って初めて価値が出るもんなのさ。不完全な作品を完成した時を待って、私はこれを仕舞いこんでいた。私自身もコレの事は、正直に忘れていたよ」

青年の姿に戻ったローグルは、嬉しそうに微笑む。

その眼はまるで、遠い旅をして、離れていた家族にやっと会えた者の眼だった。

「でもクロウに伴われた君を一目視て。盲目な瞳に浮かんだのは忘れていた、私の最高傑作にして不完全なコレだったのさ。」

「・・・・・・。」

一体、この人は魔女と同じで何歳なんだろう・・・。

忘れていた時間にセシルは一本の新芽が大樹になるまでの、どっしりと成熟し尽くされた時の重さを感じた。

「物だって、基は自然の産物、造り手の想いも重なって“意志”も宿る。君はこの不完全な最高傑作に選ばれたんじゃよ。君こそ、最も相応しき己が『主』だと、な。」

「え、じゃぁ・・・僕が、相応しくないって思って、外そうと思った時があって、外れなくなったのって」

「ふふっ、要するに嫌がったんだろさ。滅多に出会えぬ相応しき主の傍を離れたくないってな。これは頑固者。気難しいんじゃよ、よっぽど君に懸想しているのだな」

逡巡して訊けば、ローグルは可笑しそうに口元に手を当て笑った。

「はぁ・・・懸想ですか」

魔物だけじゃなく、霊石までも好かれる体質ってなんだろ?密かにセシルは内心で思う。

その様子を察したのか、ローグルは笑うの止めて屈みこんだ。弟にでも接するように、ローグルはセシルの頭を撫でる。

「君に着けて貰って、その指輪とピアスは以前よりずっと輝きを増し、もっと生き生きして嬉しそうじゃ。大丈夫、自分の心にもっと自信を持ちなさい。」

「でも、僕」

諭すような静かな声音で語られても、セシルはまだ心の奥で自身が無かった。

自分の持つチカラに、押しつぶされる時が来るかもしれない。

そんな事を想って、もしセシルが押し潰された時を考えると、最終的に辿り着く答えは、真っ先に“大切な誰かが傷つく”場面だった。

「古代人の子よ。君が魔王の生まれ変わりでも、命の本質は変わらんのだよ。君は自然のあやうる力を操る素質がある、それは言い換えると自然に愛されている証。君のチカラが狂暴なものなら、魔物や精霊はきっと君を好きになりはしないだろう。君は・・・魔物も精霊も、本当は人も好きだ。そうだろう?」

「はい・・・。」

確信を持って窺う隠者に、また瞳を覗き込まれる。

自分とよく似た瞳に、嘘偽りは吐けなかった。それよりなにより、この同郷の先輩の言葉には、親近感と素直に受け入れられる雰囲気があった。

それは人生に於いての経験だろう。

セシルにとって、それは憧れで、自分が欲するものだった。

「好きで愛しく想う君の求めに、彼等が応えぬ筈は無い。それだけで十分、君は志が高い者だ胸を張りなさい。何も恥じ入る事はないよ。」

「はい」

トンっと背を押された感触が、セシルの心の中で広がった。

「うん、いい返事。」

ハッキリとしたセシルの声に、ローグルは瞼を閉じて額同士をそっと合わせる。

ローグルは静かに微笑んだ。

焦らず、ゆっくりでいい、悩んで悩み抜いて、自分が良しとした応えを出そう。

このチカラがあって、良かったのか、探してみよう。

セシルは心の中でローグルの言葉を刻み込んだ。



「さて、商品を見繕ってあるからもう帰りなさい。日が暮れるとこの辺も物騒だから」

すっかり老人の姿に化けた、ローグルがお遣いの品を袋に包んで手渡してくれた。

「ありがとうございます、ローグルさん!」

セシルはお礼を言って、ローグルに代金を渡す。

その心持は店を訪れる時より軽くなっていた。狭い壺に埋もれそうなカウンターで、代金に間違えが無いか確認しているローグルを見つめて、セシルは息を吸い込む。

「あのっあの、また此処によってもいいですかっ!?ローグルさんが良ければ、もっと魔術道具とかについて勉強したいし、意見も訊きたいし、知りたいんです!!」

もっと自分の器を広げようと、魔術師として幅広い分野で勉強をなんでもしたかった。

勢いよく言った故か、ローグルは少し驚いたように眼を瞬かせたが、

「あぁ、遠慮なくおいで古代人の子よ。クロウなら蹴っ飛ばすが、君ならば歓迎するよ」

そう言うと、やがてにっこり微笑んで小指を差し出した。

「やった!約束ですからね!!」

ローグルに了承が得られて嬉しくて、セシルもニコッと笑って小指を出す。

小指同士を交わして約束すると、セシルの心に春の陽射しが温かく沁み込んだ。




セシルが『星屑の壺』で約束を交わしている一方―――。

「おい。セシルを見なかったか?」

魔術協会から派遣された執行員が、予想通りにクロウに会いに来て報告していった後。

出張雑貨店のテントからひょっこり顔をだした幼馴染に、店先で明日の公演のビラ配り中のペルソナは首を傾げた。

(アレ?クロウに私、伝えなかったケ?セシルなら偏屈お爺ちゃんに訊きたい事がるからッテ、ワタシの買い出しツイデニ、出てイッテモラッタケド)

昼のお騒がせ航海長の花火騒ぎと昼からの仕事準備に追われて、みんなバタバタと慌ただしかったから、言い忘れていたか、クロウが聞いていたのに忘れたか。

にしてもセシル一人お遣いに行っても、何ら支障は出ない筈なんだけど・・・。

「・・・仮面(ペルソナ)。忘れてないか。」

(ん~何ヲ?)

怪訝にペルソナがピエロの仮面越しにクロウを見れば、眉間に皺を寄せまくった幼馴染が口を重く開いた。

「アイツは重度の方向音痴なんだぞ。」

そりゃもう、地図をまわすぐらいに。クロウがそう付け加えると、

「ア。」

仮面の楽士も思い当たったのか珍しく声が口から洩れる。

そうだ、あの子は“迷子常習犯”だった。

ペルソナはセシルが海賊船に来た頃を思い出す。

セシルが拾われてから一ヶ月、彼の少年は船内で迷子になるのは常であったのだ。

迷子になっている様子を度々見かける仲間達は、セシルの悲壮な雰囲気から案を講じて、

船内案内図を渡すも、セシルは仲間達の予想を大きく裏切った。

迷った時に案内図を広げるも睨めっこの末、案内図を回し、目的の場所と正反対の場所にいってしまう結果に辿り着いてしまったからだ。

『何故、案内図をまわしちゃうの?!』

こっそりセシルを見守っていたペルソナやモーリスは、これにはズッコケた。

その記憶がまだ生々しい。

しばしの沈黙の後に、ペルソナが無言で手を合わせ、頭を下げた。

暗にゴメンと言う事だろう・・・クロウが察するに。

「・・・迎いに行って来る。」

ものすごく嫌な予感しかしない!!

そう言って踵を返したクロウは、速足に店先から姿を消す。

イッテラッシャ~イ、と心の中でエールを送りながら。

迷子常習犯を迎いに行く幼馴染の背に、ヒラヒラと白いハンカチを振ってペルソナは幼馴染を見送ったのだった。



そうしてクロウが迷子常習犯を回収しに走り出した間、とうのセシルはというと・・・。


ヒュルルル~~ッと寒い秋風が吹き抜ける。

「・・・・・・ここ、どこ?」

私はだぁれ?なんて言葉が続きそうになって、セシルは見た事も無い路地で途方に暮れていた。クロウの予感が大当たりして、案の定、セシルは迷子になっている真っ最中だった。


ふぁあああ~っ!!

僕ってばなんで、ローグルさんの店を出た直後に地図みなかったんだ!!

つい嬉しくて、さっきも通った道だからとか、軽く思ってた十分前の自分を、今すぐ戻れるならば叩きたいぃぃい~~~~~っ!!!!

なんで地図見なかったかなぁっなんで大丈夫だって思ったかなぁっ!?

あぁ~もう、この方向音痴をなんとかしたいよぅうう―――――――――っつ。

僕のバカバカバカ・・・馬鹿ぁああああっ~~~~~~!!!


『星屑の壺』の店まで戻るにしても、もう道がわ・か・ら・な・い。

たとえ道を覚えていて、引き返す事が出来ても、恥ずかし過ぎる。


どうしよう・・・。

セシルは薄暗い路地の真ん中で頭を抱えた。

薄っすら、涙が込み上げてきて、自分の重度の方向音痴加減に情けなくて泣けてくる。

とりあえず、まだ夕暮れではあるが太陽はある。太陽のある方向をたよりに、いま自分が居る方角を割り出そう。港は西に在る筈で、太陽は西に沈むから・・・太陽の沈んでいる方角をなんとか目指せば、あとはあの海賊船の黒い帆を探し出せば大丈夫な筈。

ブツブツそんな事を言いながら、セシルは自身に言い聞かせるように、必死に建物の屋根と屋根の間から夕日に眼を走らせる。

(あ、あった・・・よし!)

セシルは夕日に向かって狭い路地を駆けた。

・・・なんだか、此処はあまり長居しちゃ駄目な所だ。

襷にかけた鞄を揺れて、腰にあたって痛いのも気にしない。ぜぇはぁ、と息を切らせて、脚を動かしながら周囲を見渡す。

細い路地が入り組んだ道は、なんだか怪しげに薄汚れていて寂しげで、場末な雑踏の波止場とはまた違う雰囲気を纏っていた。

見慣れない道に一人からという不安と、もうすぐすれば太陽が沈みきってしまう理由からか、セシルの胸はざわざわと落ち着きない。

だからだろうか、また細い路地に入った途端、セシルの前方に二人の男が行く先を塞ぐように現れたのに対して反応が遅れたのは。

「あ・・・っ」

目と鼻の先の距離に、思わず足が止まる。振り仰いだ男達の表情は、怪しげなニタニタとした笑顔を張り付けており、一目でよくない連中だと分かる。

「なァ、ちょっと急いでいるようだけどぉ~もしかして迷子ちゃんかぁ?」

「俺等が町、案内してやるけど」

「・・・結構です。」

セシルはうっと唸った。宿屋に奉公に出ていた頃に、何度かこういう薄暗い路地を通らなければならない事があり、こういう手合いの人間には、まず脚を止めず身を翻して一目散に逃げるようにしてきたのだが。気が急いていたのもあり油断していた。

「まぁまぁ、そんなつれないこと言いなさんな~なぁ?」

「一人で帰れますから。」

キッパリ断って後ろに下がろうとすれば、もう一人の男に背後に回られ阻まれた。

「おんやぁ~?お嬢ちゃん、珍しい毛色してんねぇ・・・」

酒臭い男に顔を覗き込まれて、厄介だなとセシルは内心毒吐く。

さて、金品目的だけならいいのだが・・・、セシルは変に冴えた思考の隅で思った。

ガンダルシア人だとバレてはいないようだが、珍しい容姿の者はこういう者達にとって格好のカネだ、という事をセシルは知っている。

「おっかさんのトコ、送ってやるから、いっしょにいこうよ~ヒヒッ!」

「・・・お金なら、財布ごと持っていけばいい。」

「あらまー、そんな睨まなくてもいいのになぁ~」

「そうそう、俺達は善意で言ってるだけだぜ?」

「・・・。」

ジリジリと詰められる間合いに、睨みつけて身構える。やっぱり、身体が目的か。

拘束されて人買いにでも売られる前に、人相手には嫌だが、最悪、術を放ってでも何とかここを切り抜けなければ・・・。

そう思案するセシルの耳に、突然に聴きいた事のある声が掛った。

「おい、何してんだァ?オメェ等」

セシルの背後に回り込んでいた男の肩に手を置いて、色つき眼鏡越しに鋭い眼光が男を突き刺す。セシルが見上げれば。口の端に煙草を咥え、買い物袋を片手に持つ、騎士の制服を着たエドワードが立っていた。

「なんでもねぇよっ!」

男達はエドワードを見れば、慌てて顔色を青くした。

きっと警備騎士の制服が眼に留まったからだろう。あきらかに動揺した男の上擦った声が上がり、セシルから離れる。

「ッチ」

男達は小さく舌打ちした後、走り去っていた。

バタバタと駆ける男達の後ろ姿を、呆気にとられてポカンと眺める。すると不意に視線に気が付いて、顔をもう一度上げる。

「あ、あれ?エドワードさ、ん???」

思わぬ助け人に、セシルはしばらく思考が回らなかった。自然と疑問形にして首を傾げた。

当のエドワードといえば、ぐっと眉を寄せて、呆れたとばかりに煙草を口から離す。

その姿がもはや堅気に見えないのは、触れないでおこう。

「やっぱ、あン時の小僧じゃねぇーか、なんでこんな下町でも最下層の寂れたトコにいやがんだァ?」

オメーさんのようないい身なりしたモンだと、いいカモだって目ぇつけられンぞ?と続けて言われて、セシルはモゴモゴと言い難くそうに口を開いた。

「そ、それが・・・」

「ンだよ?」

キュッと眉間に皺を寄せ、色つき眼鏡から訝しな視線が突き刺さる。

あぁ、セシルの眼前に居るのは、れっきとした町の治安を守る、騎士団の団長である筈なのに・・・。なんだろう、ヤクザに睨まれて絡まれている様な錯覚がするのは。

なんでだろう、さっきの男達に囲まれていた時より、怖いなぁっと思ってしまうのは。

苛々と煙草を斜に咥えて立っている騎士団長へ、セシルは死んだ魚の様な眼で、正直に事のあらましを白状した。



「ハァ?!道に迷ったァ~?!」

呆れの混じった声が降って来て、セシルは項垂れる。

やっぱり言われるよねぇー・・・。

死んだ眼をして明後日へ意識を飛ばすと、エドワードの半ば唸りが混じった『おぉ~、仕事終えて来たばっかりだっツゥーに。』という独り言が耳に入って来た。

「だァーもォ~、送ってってやるから、そんな顔すんな」

余程、情けない顔をしていたに違いない。

エドワードの無骨な手がセシルの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「さっきの事も含めて、すみません・・・ありがとうございます」

改めてセシルが頭を下げてお礼を言うと、

「まァ、俺にゃ、オメーに貸し一つあるからな」

ぼそぼそ、聞き取り辛い声が降りた。

「?」

「んー、わかってねぇなら、いい。」

聞えなくて首を傾げれば、エドワード騎士団長には頬を掻いてそっぽを向かれた。

「そっれにしても、地図持ってんのにそれが役に立たねぇーって、どうなんだ?」

「えーっと、あはは・・・すみません」

呆れた声音が、もうすっかり薄暗くなった夕闇通りに落ちる。

セシルはエドワード騎士団長に伴われて、保護者の所まで連行・・・じゃない、送ってもらう事になった。

「もしかして、仲間内でも迷子だからあんま一人になるなって言われてるクチだったりしてなァ、あァほら、手を繋がれて買いモンとかかァ?」

「・・・ハイ、そうですね、すみません」

「マジかよ。」

ア、いまコレ。俺、言っちゃいけねぇコト言っちまった。

思わずズッコケた瞬間、エドワードの眼鏡がずれて煙草の灰が地面に落ちた。

「それより、エドワードさんはどうしてここに?」

背の高い為に必然的に見上げる形になって、セシルは顔を上げる。運よく助けられて安心はしたけれど、そうそうこんな薄暗い裏路地に、騎士が来る筈も無い。

「あ~俺の家この近くにあるんだよ」

「へ、そうだったんですか?」

面倒そうに買い物袋を掲げる騎士団長。そう言えば・・・仕事終りだって唸ってたっけ?

「ンまァ、アレだ。本当はお袋と職人通りの明るいトコで住んでたンだけどなァ、ジェーダイトとマライトのなげぇ戦争で、家財が燃えちまって。お袋も亡くなって、こっち移り住んだんだわァ。」

エドワードにそう言われれば、うっとセシルは喉を詰まらせる。

「そうだったんですか・・・すみません、嫌なこと訊きました」

申し訳なさそうにするセシルに、エドワードは明るくカラカラと笑った。

案外、この男は面倒見がいいようだった。

「気にすんな、どうてっことねぇ事だからなァ~。この辺は今じゃ下町の最下層って感じだが、俺が子供ン頃はここも職人通りになっていて、そりゃァ、色んな手に技持った奴等が集まって住んで賑やかだったモンだ」

眼を細めて懐かしそうに話す騎士団長に、セシルはエドワードが辿って潜り抜けて来た、終戦後の生活の()を見た気がした。

一言にいって、その影とは“貧困”だ。

現在の活気に満ち溢れたアルバの港町になるまで、きっと此処に住む人々は耐え忍んで、その貧困と闘って来たのだろう。

実際、港町のおおよそ表通りに住む人々は、逞しく朗らかだった。

だが当然、戦争で全てを失って、影に囚われている人間も多い。

どの国でもそうなのだが、セシルの故郷は島国で、尚且つ魔術国家であるガンダルシアだ。

術者が少ない他国との戦争など、ほぼないに等しく国は静かで、戦争とは無縁だった。

「そっか、それで、通り一つ違えば雰囲気も違うんですね」

納得してセシルは頷く。思慮深げに伏し目がちになったセシルに、エドワードは少し意外そうに眼を見はった。

幼い顔立ちに似合わず、酷く、大人びた表情をするなと、密かに思ったのだ。

しかし、見慣れた路地に差し掛かり、思考は中断されエドワードは意識をそちらへ向ける。

「まァな・・・っと、この筋道まっすぐ行きゃァ大通りにでる」

軽く言って買い物袋を抱え直した。狭い路地には家々のゴミや木材が、所せましと散らばっていて汚い。セシルもエドワードに先を施され、共に並んで狭い路地に脚を踏み入れる。

「!」

すると不気味な気配が、建物の暗がりから静かに立ちはだかった。

「――っ」

「・・・なんだァ」

セシルは驚いて喉が引き攣ったが、エドワードは立ちはだかる相手に身構えた。

二人の前に、暗がりから滑るように出てきた男は、すっぽり黒いフードマントを身に着けていて、不気味だった。唯一、見えるのは青白い肌の口元だけ。

それがゆっくり、動いて言葉を投げかける。

「貴様がエドワード・グリモスか?」

「・・・。」

重い感情の無い問いかけに、エドワードは押し黙る。

さっきのセシルに絡んでいた男達の雰囲気とは違い、こちらはかなり危なそうだ。

横に居たセシルを背に隠した。只事じゃない不穏な雰囲気に、セシルも体が強張る。

「エドワードさん・・・後ろ」

思わずぐっとエドワードの制服を掴む。

エドワードを後ろに下がらせようと、セシルがそろりと後ろを見れば、同じような服装の男がいつの間にか佇んでいた。エドワードも察して、買い物袋をセシルに預け、腰に下げていた剣の柄に手をやる。

「オイ、なんだテメー等はァ、俺に何か用事かァ」

警戒の色を剥きだしに、エドワードが大声を張り上げた。

その途端、エドワードの前に立つ男の気配が変わった。

「死んでもらうぞっ」

言うや否や、男が走り込んで向かって来る。鈍く光る刃がマントの奥に垣間見て、エドワードも剣を鞘から抜いた。ガチッと刃と刃が交わり、火花が散る。

突然始まった戦闘に、セシルの肩が恐怖で上がる。

「―――、!!」

もう一人居たフードの男が、何事か叫ぶ声がエドワードの耳に入った。

すると眼の前に居た男の口元がニヤリと笑う。

込める力が急に弱まったのに、変に思いながらエドワードは男の剣を振り払った。

男は黒いマントを翻すと、その場を飛び退く。

「エドワードさん伏せて!!守護(バリ)()

セシルが叫びながら、エドワードの服を思いっきり引っ張る。

「おおっ?!」

引っ張られた反動で、エドワードの体が傾ぐと同時に、虹色の光が二人を包み込んだ。

虹色に光る水膜が爆炎を弾き返して、空に爆炎が舞う。

「ほう・・・魔術師も一緒か」

エドワードの前に立っていた男が感心した声を零した。

フードの奥から、セシルの姿を興味深く見つめ顎に手をやる。

余裕綽々な雰囲気に、セシルとエドワードは、これは裏の仕事を生業にしている者達だと直感が告げる。しかも暗殺者で、それでもう厄介なのに、この男達は魔術を行使できる。

とりあえず、エドワードさんが狙われているから、何とか僕に惹き付けて逃がさないと!セシルが心の中で一人ごちる、その刹那。

「オイっ小僧!俺が逃げられる道作るまで離れんなよっ」

「えっちょっと、エドワードさん?!」

エドワードがセシルの腕を持ち、再び前に踏み込んだ。強く引っ張られて、セシルの体制が揺らぐ。その僅かな隙に、もうエドワードは暗殺者の刃を受け止めていた。

「アイツ等の狙いは俺だっオメーは大通りの人混みに紛れて逃げろ!ンでもって、仲間のトコまで走れ・・・大通りに出れりゃァ、港の場所なんてすぐだろ」

苦々しくそう言い放った騎士団長は、男の腹に蹴りを入れる。体勢が崩れたところを狙い、追打ちとばかりに、長剣を突き刺そうとした。

しかし男の脚から、

暗黒(ダーク)の(・)(ウェ)波動(イブ)

黒い影の波が一直線に地面から這い上がり、エドワードは眼を見開いた。

「うぉっ~~~~~~~こなクソ!」

寸でのところで背後にいたセシルを担ぎ、飛び退いて剣を握り直す。

「うわぁっ」

グラグラ揺れる視界にセシルが思わず叫んでしまった。エドワードの背と汚い地面が見える視界の端に、セシルはもう一人の暗殺者が、早口に術の詠唱に入っている姿が入り込む。

やばいっ―――エドワードさん!!

「屈んで!」

「炎よ・・・我が意志と闘気となれ。火炎球(ファイアボール)

セシルが叫ぶのと、それ(・・)はほぼ同時だった。

赤い火炎の球体が三弾放たれ、物凄い速さで目の前に迫る。

殺されるっ―――脳裏にそんな言葉が過ぎる。

その反面、やらせるか!!と、セシルの中で何かがカッと弾けた。

重力圧(グラビティ)!打ち砕け!氷塊刃(ダイヤダストブレイド)

ドンッ、ドブンッ、ドッ。

吼えたセシルの意志に従って、火炎の球は重力によって地に撃ち落される。

そして続けざまに放たれた、無数の氷の刃が火を操る暗殺者を襲う。

「ぐあっ」

容赦のない反撃に、予想もしていなかった男は、氷の刃に体を斬り付けられ崩れ落ちた。

まさかこんな少年が、詠唱も無しに掛け声だけで、魔術を連発するなんて思いもよらない。

しかも放たれる術の練成の早さに加え、幾つもの属性を、だ。

内心、連れのもう一人の男は、ヒヤリと冷たいものが身体に走る。

(オイオイ、オイ・・・。この小僧、賢者つぅーのも嘘じゃないってか)

エドワードも眼の前にまだいる暗殺者を警戒しながらも、顔を引き攣らせた。

「おい、後はオメェだけだぜ・・・どうする?」

エドワードは剣を構え、静かにセシルを降ろす。狭く薄暗い建物の上空から、黒い烏が音も無く地に降りるのを視界に納めて、エドワードはニヒルな笑みを向けた。

「フンっならば・・・・・・っつ!」

懐にある快刀に手を伸ばそうと動いた男。

そのフード越しの首筋に、背後から鈍く光る薄い刃が添えられる。

「おっと。動かない方がいい。首がすっぱり体から離れる事になるぞ。」

低い冷たい声が男の耳、すぐ傍で響く。

音も気配も無く背後に立った者は、クツクツと喉の奥で暗い音を転がした。

「あ、船長!?」

セシルの素っ頓狂な声が上がる。

黒いフードマントを着こんだ暗殺者の背後に、より暗く闇に溶け込む、漆黒を纏った副船長クロウが現われたからだ。

「おー、おー、怖い保護者の登場で。つか、オメーの登場の仕方も、そっちのお仲間っぽくて、逆に海賊は隠れ蓑なんじゃねーかァ?本職は暗殺だったりしてなァ」

剣を男に構えたまま、エドワードの皮肉がクロウに向けられるが。

当の本人は気にするふうでもなく鼻で笑う。

「フッ。言い得て妙だな、それは。―――さて、オマエはどこの雇われ犬だ?」

薄く開かれた口端に冷笑を湛え、クロウは男に囁く。

「・・・言うと思うか?」

グッとくぐもった男の応えに、クロウは暗い声音と共に肩を竦めた。

「まさか。だが・・・体にその首輪を嵌めた証拠がある筈だろ?焼印や刺青とかな。」

言いながら、背後から空いた右手に短剣をとり出して、クロウは男の服をなぞった。

首筋に当てた刀をそのまま喉に宛がう。

ビクリと喉を引き攣る男の気配で、これは当たりだとクロウは直感する。

「別に。オマエの命なぞ。証言も。」

マントの留め具ごと服の前を斬り裂いて、男の胸から腹に縦一直線に薄く赤が走る。

男のくぐもった声が上がって、クロウの残忍な気配が漂った。

服に仕込んでいた針とナイフを見せつけるように地面に放ってやる。

「証拠さえ、肉片(ブツ)にあればな。」

ゆっくりワザとに含めて言ってやれば、男は焦ったのか。明らかに男の肌から、じんわりと汗が滲んでいる。薄い冷酷な笑みを浮かべて、クロウは短剣を翳す。

「どうだっていい。」

そのまま男の利き腕の健に突き刺した。

う、ぐ、ぐぁあああぁ―――っ!!途端、男の悲痛な断末魔が上がった。

喉に当てられた刃に、喉が喰い込んで血飛沫が飛ぶ。

クロウはその様子を見降ろしながら、刀を退きいて男を引き倒す。そして転げ倒れた男の腹に、容赦なくその長い片脚を降ろし踏みつけた。

「いい眺めだな。」

と、呟いてクロウは悠然と微笑む。

そして刃を振り降ろすと、また断末魔が響き渡った。


あぁ、その流れるような無駄のない動き。

観る者にとっては、彼の容姿も相まって一種の絵画芸術にも昇華されそうだが、如何せん、実際に眼の前に飛び散っているのは、生温かい血なのだ。作り物の絵の具じゃない、悲鳴も上がっている現実に眼を背けたくなる。衝動まかせてセシルは、騎士団長の服を掴んで無意識に隠れた。

「なァ、助けて貰った俺が言うのも何だが、アイツの方が殺し屋っぽくないか?」

「そうですね、あの黒ずくめの人達より、船長が一番殺し屋っぽくて恐いや・・・。」

コソコソと様子を見守っていたエドワードとセシルは、内心眼を逸らしたくなる光景に眼を遠くにさせた。海賊の頭ってだけでも堅気じゃないのに、繰り広げられる彼の残虐性あふれる振る舞いに、これでは堅気じゃないオーラの二乗だと、二人は胸に刻む。

そんなやり取りをして、二人はすっかり忘れていた。

もう一人、遠くで氷の刃に倒れ伏していた男が居た事に。


「―――さて。俺は今日、気分がいいんだ。オマエ、派遣執行員に刑を執行されるのと。俺に此処で嬲り殺されるのと。どっちがいい。」

選ばせてやる。と両手両足の健をすっかり斬られ、満身創痍の暗殺者を、クロウは見据え言い放った。その一連の流れを聞き逃さなかった、エドワードがクロウの間に入る。

「おいおい、貴重な証人を殺してもらっちゃ困る。そりゃ、騎士団の方に引き渡してからだ」

なんせ狙われたのが騎士の自分だと、クロウが刀を持つ腕を掴んだ。

だが大事な証人をみすみす魔術協会にも、お尋ね者であるクロウに引き渡せるはずもない。

クロウは黒曜石の瞳を細め、エドワードを強く射る。

その視線の強さに一瞬だけ、腹の底が冷えた。

「その騎士団内部にどれだけ裏切り者がいると思うんだ。ヤクザ騎士団長。逃げられるぞ。」

その声音にどこか自嘲めいたものがあり、エドワードは眉を寄せた。

だが、安全を守る為に立ち上った騎士団だ。戦後の荒れた治安を正す市井の集団に、裏切り者などエドワードには考えられない。

「あぁ?ンなコトある訳・・・うおっ」

大声を張り上げてクロウに食って掛かろうとした、その時だった。

エドワードとクロウの足元が、地面に沈みこんだのは。

「エドワードさん!!」

今迄、副船長と騎士団長を、ハラハラしながら見守っていたセシルが、慌ててエドワードの腕を掴む。地面が砂と化し蟻地獄のように、引きずり込まれるエドワードとクロウ。

見る間に二人は腰ほどまでも地へ沈んでいた。それを阻止しようと、セシルがエドワードの腕を必死に引っ張っている。

―――ッチ。面倒なっ。

クロウは内心、毒吐くと地術の使い手を気配で追う。

砂塵を化した地面は、よく観察すればエドワードを中心としていた。

・・・・・・見つけた!

クロウは直ぐに刀を構えると、刀にザワザワと蠢く闇が募った。

「退けっ。―――影切り」

クロウはエドワードの足元へ迷いなく突き刺した。

闇を纏った黒き刃が、砂塵を吹き飛ばし深く底へ走る。

すると――――、砂塵はゆっくりと止まり蟻地獄は治まった。

どうやら、大地の使い手と危機は去ったようだ。

「ぐっ・・・何だッてンだ!」

「大丈夫ですか、エドワードさん、船長」

腰まで埋まったエドワードがセシルの手を貸りて、無事に這い出てきた。

最近この海賊と会ってから、エドワードには碌なことはない。

(今日も厄日かァ・・・?)

じゃりじゃりとする制服のズボンを、派手に音を発てて払い落とす。

「チッ。逃げられたな。」

忌々しく眉間に皺寄せるクロウ。

一人で難なく地面に立ったクロウが見つめる先には、件の満身創痍で倒れていた、暗殺者の姿はどこにも無い。

セシルとエドワード、クロウが立つ路地には、ただ血痕がやや残った砂場と化した地面が無音にあるだけであった・・・。


「ふぇええ~・・・怖かった」

セシルは突然の殺し屋登場の恐怖から、どっと解き放たれてその場に座り込んだ。

「まったく。迷子常習犯が一人で嫌味爺の所に行ったと聞いて、迎いに来てみれば・・・嫌味爺は、オマエはとっくに店を出たと言うし。屋根を伝って探してみれば、また厄介なコトに巻き込まれてるとは。・・・セシル、オマエはトラブルホイホイなのか。」

キュッと眉間に皺を寄せクロウはセシルの前に立った。

「う、すみません・・・」

呆れた声で説教するクロウにセシルは素直に謝った。

心配させてしまった事に悪いと思って、しゅんと顔が上げられない。

「あ~、それは確かに。つか、お前ぇ保護者なら、小僧から眼を放すなよ。俺がこの道、通りがからなかったら、この町で人攫いにあってんぞ?」

緊張からか、煙草を取り出して火を着ける。

ふぃ~と紫煙を吐いてエドワードは肩を竦めた。

「どういうことだ?」

エドワードの言葉に、クロウは聞いてないぞ。とさらに眉間を寄せた。

あぁ眉間の皺がこれで三本になっちゃた・・・。

何処かでセシルはそんな事を思う。

「う、うう~ごめんなさい船長。僕、帰り道に迷って、ちょっと二人組に絡まれちゃって、エドワードさんが助けてくれたんです、そ、その・・それで・・」

事のあらましを白状するのに、セシルの声はだんだん尻すぼみになってゆく。

その理由はとても簡単で―――。

「・・・・・・。」

非常に険しい顔つきのクロウの、無言の威圧感がセシルに降り注がれていたからだ。

これは誰だって恐い。

子供でも大人でも、こんな怒り方、誰だって逃げたくなるだろう。

畏縮して涙目で反省しているセシルを目にして、エドワードは可哀想に思ったぐらいだ。

「ま、まァ、そんな怒ってやんなよ。ほ、ほら、小僧もこんなに反省してるんだから、なァ?!」

「う、うん」

思わず助け舟を出して、エドワードがセシルの頭をグチャグチャと撫でる。

セシルも天の助けとばかりに、コクコクと頷く。

「はぁ。まぁいい・・・。誰だって一人になりたい事もある。」

そんな様子を見て盛大に溜息を吐いたクロウは、セシルの行動を想って、反省もしている以上怒ることを止めた。

今はそれより、“こちら”の方が大事だ。

黒曜石の鋭利な視線がエドワードを一瞥する。

クロウは意識を素早く切り替え、うまそうに煙草を吹かすエドワードに向き直った。

「それより騎士団長。今日はもう家に帰らない方がいい。」

「はァ?!なんでオメェに指図されなきゃならねぇって―――グッ」

言い終わらない内に、エドワードの鳩尾にクロウの刀の柄が衝く。

不意をつかれて、ぐらりと視界が歪む。

前のめりになると首後ろに衝撃が入り、今度こそエドワードの目の前が真っ暗になった。

―――ドサリ。

大きな鈍い音がしてエドワード騎士団長が地面に沈む。

「・・・よし。」

そう言いながら満足げに頷いたクロウに、セシルの表情は引き攣った。

さきの涙目も相まってより一層、その表情は酷いものだったろう。

「・・・よし。じゃないよ!!船長、エドワードさんに何するんですか!」

「何って。言っても聞かなさそうだから、気絶させた。」

淡々と言う副船長に、セシルは眩暈を覚える。

「いや、だからって、気絶させるのはちょっと・・・もう少し穏便に説得とか」

「狙われてるんだったら。ここで愚だ愚だ言ってる間に、次が来る可能性だってあるぞ。ほら、セシル、ヤクザ騎士団長の荷物持ってくれ。」

誰か・・・この御人の物騒な思考を取払って欲しい。

そう願わずにはいられないセシルを余所に、いそいそとクロウは、自身と同じ位の身長の騎士団長を肩に担ぎあげる。セシルも散らばってしまった物を、エドワードの買い物袋に戻して抱える。

喧騒が去った路地をクロウは大通りに向けて歩き出す。

エドワードを抱えた黒衣の後ろ姿に、セシルは思いを馳せる。

鳩尾一発、尽かさず首後ろに手刀、流れる様な副船長の、無駄のない一連の動作・・・。

どう見ったてこれは人攫いの図だ。


もっと、もっと他に、ほら方法とか!

なんでそう物騒な行動にでるかなぁ?!

さっきのフードの危ない人達より、船長の方が本職さんみたいに思えるのは僕の気のせいかなぁ?!だってあきらかに船長の方がそれっぽいよぉ?!

あきらか裏の仕事人みたいだよぉ?!

いや船長も僕も、海賊で人様に誇れる身分じゃないけども!

危ない人達よりなにより、僕は船長の方が裏の玄人っぽくて恐いんですけどぉっ?!


喉まで出掛かる文句を、なんとか押さえ込んで、セシルはクロウについて行く。

「でも船長、エドワードさんを何処に連れて行く気なんですか?」

「ン。まぁ宛てはある、ついて来てみればオマエだって分かるぞ。」

大通りに出れば、人通りはめっきり減って、もう辺りはすっかり日が沈んで藍紫のカーテンが降りていた。その反面、料亭や酒場に煌々と灯りが灯り、中からなんとも賑やかな人々の声が響いて来ている。ひんやりとした穏やかな風が、セシルの頬をなぶった。

「それで・・・セシル。」

ポツリと不意に名を呼ばる。

「はい?」

黙々と歩いていれば、隣から唐突にクロウの声が降りて顔を上げた。

歩きながら見上げると、クロウは前を見据えながら言葉を続ける。

「あの嫌味爺の所に一人で行って。オマエにとって、収穫はあったのか。」

一瞬、言葉の意味の理解に遅れて、パチパチ瞬きを繰り返す。

黒い黒曜石の視線だけが、セシルとかち合う。

オマエにとってって、ことは、つまり―――・・・。

「はいっありましたよ!」

それでもクロウの意図が瞬時に伝わって、セシルは元気よく答えた。

にっこりとした自然な笑顔に、いつも不安定な影がない。そんなセシルの様子に、今度はクロウの方が瞳を瞬かせた。

「僕、もっと術の事を勉強して頑張ります!そして、皆さんを守れるようになるよ」

息巻くセシルにクロウは心の中で、本当にセシルにとって大収穫があったのだと悟る。

何より淡い緑の瞳が、何かを振り払った、生々としたものに変わっていた。

これはあの嫌味爺さんのおかげ・・・だろうな。

「それは頼もしい。まぁ、ほどほどに期待していよう。」

肩を竦めるようにして、クロウはエドワードを担ぎ直す。何気にぞんざいな物言いに、セシルは不満に眉を寄せる。

「ほどほどって・・・も~う、なんですかそれ!」

人がやる気を持って言ってるというのに!

むくれるセシルに、クロウは今度こそセシルに顔を向けると、

「ン~?いやだってな。俺等は誰か一人が全部抱え込まなきゃならんほど弱くはないからな。セシル、オマエは『守る』んじゃなく『助ける』でいいんだ。」

無表情にそう言いきった。

「!」

ハッと言われた意味に、セシルは瞠目する。

あんに仲間を信頼しろ、と言われているのだと気が付く。

「あの地下でのことでも、妙にオマエ・・・。切羽詰まった感じがしていたし、あの失敗して引き起こした聖水の大津波も・・・いや、失敗にしては見事だったが。大方、過去世での変な責任感じて、無茶やったんだろ。」

「うぅ、そうです、ね・・・そっか、助けるでいいんだ。」

セシルのどこかで、何か重いものが落ちた。心がどこかで、ホッと息をする。

この黒衣の副船長は変な所で聡い。

的確にあの時、地下牢に入ってからの、セシルの心情を見抜かれていた。

「ハハッ。オマエらしくていいけどな。それに今回は俺も馬鹿やったからな。オマエ曰く。」

「うっ、船長それって遠まわしに僕に嫌味言ってるよね?」

怪訝に眉を寄せ、セシルが首を傾げて見せると、

「そんな事はないぞ~。オマエが体質の事で、俺にベッドの上で説教かましたとかー。んな事言っている割に、迷子になって。俺が走り回って探されていたとかー。嫌味だなんてとんでもないぞー。」

棒読みなクロウの返しに、セシルは絶対嫌味だ!と確信する。

「うわぁあああ~っもう嫌味でしょ!?ぜったい嫌味だよねそれって!!迷子とか恥ずかしいから言うのやめてよぅ!」

いっきに熱が顔に集中する。恥ずかしいのか、顔を真っ赤にして叫ぶセシル。

その反応にクロウはニヤリと意地悪そうな笑顔を向けて、

「あ、違った。初めてのお遣いだったな。迷子常習犯の。」

愉快だと言わんばかりに言い直した。

「みぎゃああああっやめてよ!気にしてるのにっ!!それに、は、初めてじゃないモン!」

膨れて睨むセシルが、クロウの背を叩こうとするが、クロウは器用にひょっと避ける。

重い騎士団長を担いでいるにもかかわらず、クロウは早足にセシルから逃げた。

「アハッハハハ~。」

実に楽しそうな声音が大通りを通り過ぎる。

「もぉ~うぅ船長!!」

その後を不満たっぷりな少年の声が追って、行き交う人の視線を集めた。

「迷子の迷子のセシルや~。ほらほら、見失うなよ~。また迷子になるぞ~。ハハッ。」

「もうっ!やめてって言ってるのに~っ!!!わ、わらわないでよぅ!船長こそ、人攫いの癖にぃ~っ」

「はいはい。ちゃんとついて来てるかー。セシル~?いや迷子~。迷子常習犯~。」

「いぎゃー!!だから迷子迷子って連呼しないでよぅっ!!!」

ぎゃぁぎゃぁ言い合いながらも、クロウとセシルは職人街へ足を運び、ローグルの店の扉に再び手を駆けたのだった。


「おや、こりゃまた、一匹増えとるな。今日は客が多い事で」

扉を開けた店の主は、クロウとエドワードを見るなり眉を潜めた。

「ローグルさん、またお邪魔します」

「嫌味爺。手をかせ。」

「古代人の子は歓迎するが、烏と草臥れたハリネズミは遠慮願いたいね」

アルバ町で一番安全と信頼がおける場所は、クロウにとっても『星屑の壺』だった。

クロウとセシルが夕刻過ぎた時刻に再び訪れたことに、店主は半ば呆れながらも、セシルを温かく(クロウだけは嫌味を散々浴びせつつ)迎えてくれた。

ひとしきり二人がエドワードの事情を話すと、ローグルは何も言わず、暫くエドワードを匿ってくれるらしい。一つしかない寝台を提供してくれた。

「まったく、極道息子が厄介事を持って来よって・・・しかも神魔教団か、滅んだと聞いておったが、やはり残党がいたのか」

「いつの時代も。馬鹿な連中は絶えんモンだ。」

「エドワードさん、怪我なくてよかった」

まだ気を失っているエドワードを、ローグルとクロウは寝室に運んで、セシルはある程度癒しの術をかけ、この襲撃事件は一息ついた。

「安心するがいい、古代人の子。この店には強固な結界も張っておる、奴等も気配を探ろうにも探れはしないさ。」

「それより嫌味爺。ギルドの方から依頼が入った。明日、ニコラス・コルベリーという金眼の男が、この騎士団長を迎えにくる。それまで、コイツを外に出すな。」

「ふむ、睡眠香でも焚いておいてやるか、眼が覚めて儂の店で暴れられてもこまるわい」

クロウは何かセシルの知らない所で、将校とやり取りがあったのだろう。

エドワードが目覚めれば、明日にニコラス将校がこちらに尋ねてくる旨をクロウはローグルに伝え。ごそごそと、奥の大量に敷き詰められた壺をあさっている、老いたローグルの姿をセシルは視界の端に映す。

「さて。帰るぞセシル。俺達まであの強烈な睡眠香を嗅がされては堪らん。体が動かんようにされるぞ。」

「えぇ・・・、ローグルさん夜分遅くお邪魔しました」

ぺこりと頭を下げる。店主は手を振るだけで挨拶しながら、難しそうに埃の被った箱に息を吹きかけている。どうやら、香を探すのに夢中らしい。

海賊に乗っていた商船を襲われて、海に放りだされて拾われてからこっち、セシルの世界はガラリと変わった。

セシルは体質も相まって、あまり他人とは深く関わろうとは思わなかったし、周囲の環境は貧しく奉公生活でも、毎日ほぼ同じ仕事の繰り返しの日常は、静かに穏やかだった。

それがここ数ヶ月で、ハチャメチャな仲間達に、見た事も無い魔物に襲われるところから始まって、多くの合成(キメ)()や神魔教団、地下牢での出来事に、つい先ほどは暗殺者達が襲われる現場に居合わせた。

思いもよらなかった外の世界。危険を承知で、一歩、踏み出したのはセシル自身の意志だが、関係のないエドワードがこんな事になるなんて思わなかった。

正直、怖いと感じる。

自分の知らない所で、じわじわと何かが動いている様な気がして。

(神魔教団・・・北の魔王を崇拝する邪教集団。)

セシルはこれからエドワードがどうなるのか、気がかりにもなりながらも、副船長クロウに伴われ、その日は影法師を使って船に帰った。


鶯黄石月 二十三日 晴れ


今日は、セシルがおでかけしちゃって、つまんなかったです。

さいきん、おじちゃんとセシルがお仕事で、いないので、ぼく、がまん・・・。


でも、がまんしてお留守番してるのに、ルシュカ兄とルーヴィッヒ兄は、いつも抜け駆けするので、ぼく、ぼく、くやしい~~~~~~~っ


なので、二人が出かけている間に、二人の部屋に入って、いろいろしてやりました。

ふふん、ざまぁみろ!


                                雑用係り リオン

                            ブラックパール号航海日誌


鶯黄石月 二十三日 晴れ


不思議な事が起こってた☆

部屋に戻ったら、いつの間にか部屋がめちゃくちゃ綺麗になってた!!

なにこれ!スゲー神秘☆

読み散らかしてた本とか服も方付けられてて、これって妖精さんが来たのかも!

ルシュカも驚いてたぜ☆


あ、でも、なんだろ?

この部屋の壁、こんなタピストリーあったけ?

なーんか、見覚えのある柄のタピストリーがあるんだけど・・・う~ん☆

ま、いっか♪


                              航海士 ルーヴィッヒ

                            ブラックパール号航海日誌


鶯黄石月 二十三日 晴れ


アラ、ヤダン?

今日のお洗濯で気が付いたのだけど、ダーリンとあの尻尾のパンツだけ、

お尻の部分、誰かに切り取られた跡があるわん・・・(汗)


なんで、こんな事・・・。

しかも器用に星形とクマさん形に・・・。


っていうか、ダーリン達、今日一日これ着けてたの?

はぁ~なんで気が付かないのかしら。

また後で縫っとかないと!


                                料理長 モーリス

                            ブラックパール号航海日誌


鶯黄石月 二十三日 晴れ


おお、何故じゃろう


夜中に廊下を歩いていたら、ルシュカの悲鳴が・・・

なんじゃろうか、なにやら

『俺のエロ本がいつの間にか移動してるう・うぎゃぁ~~~~』と騒いでおったのぅ。

最近の若者は、ようわからん。

いったい、何があったのやら・・・

それにしても、ふぅ、『生脚タイツスペシャル』は儂の好みではないのぅ。

『ムチムチ・ハニー』に変えて置いて良い事したわい♪


                                 船長 ユージン

                            ブラックパール号航海日誌

























『揺蕩う夢』終


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