脱出
『脱出』
カラ―ン、カラ―ン、カラ―ンカラ―ン、カラー・・・・ン。
夕刻を告げる教会の鐘が鳴った。
鐘の音の数へ耳を傾ければもう五時。
ステンドグラス越しに漏れる光も、赤みがかった橙色をしてまた違った色合いを聖堂内に映し出している。
「それで、貴方は襲った者の表情は分からなかったと?」
落ち着いた品のある導師の声に、鐘の音色から意識を惹き戻される。
もうかれこれ聖堂に来て三時間は経っていた。
「えぇ、暗すぎて顔はあまり見えませんでしたね、ただ肌がやけにこう白粉でも塗ったみたいに白いって事と、赤い紅引いた口元。瞳の色が青く光っていたのは印象に残ってるんですが・・・それ以上はちょっと」
頷いて暗くぼやけた視界でのあの対面では、似顔絵を描こうにも、実質エドワードには分からなかった。なんとか男の顔を、と思い出そうとしても能面のような白い表情と赤い紅、道化の様なその作り物の印象しか残らず、苛々した感情を持て余す。
無意識に煙草を取り出していて、火をつけるも、ここが神の家だと言う事に気が付いて、ぐしゃりと煙草を潰した。エドワードの様子に苦笑いを浮かべながら、
「そうですか・・・、では最後に、その・・・守護を授けた人とは、どういう方なのでしょうか?事前に守りを授けるなど、上級魔術師でも中々できますまい、私でも至難ですから」
息を吐いて胸に手を当てる。金縁の睫毛が青の瞳を遮った。
「え、そうなんですか?」
導師の言葉に驚いたエドワードは、手元から再び顔を上げる。
「えぇ、そうなんですよ。お話を聞く限りでは、その紙に守護方陣を描いた方は、貴男と相当親しい間柄でもないと、そんな事前に危機を察して渡すなど一般の魔術師ならば、まぁ難しいでしょう。私でもできません」
敬虔な信者のように手を組む導師の姿に、エドワードは首を傾げた。
小国と言えども一国の宮廷魔導師に、そこまで言わせるあの少年は、本当に賢者なんだろうか。そんな疑問まで湧いてくる。
「私も四大自然を操る魔導師、ぜひともその方に興味があります。その方にお会いして、よければなのですが、このマライトの宮廷魔術師として仕えていただければ、もっと魔術面でも国は発展する筈でしょう」
きっぱりと言い切る、自国の稀となる四大自然を操れる導師の言葉に疑うようがない。
ないのだが・・・エドワードにとって、守護を授けてくれたのは間違いなく、あの内気そうでいて、気の弱そうなガンダルシアの少年だ。ニコラスや魔のクロウからも話は聞いてはいたが、どうもあのセシルという少年の姿に、“賢者”という称号はエドワードの脳で噛合わない。
「はぁ、いやでも、しかしですね導師様、そのソイツとは地元の食堂と一緒になった酒場に行きずりで出会っただけの小僧で、あまり私も素性は知らないのです。ただ、あのですね」
「なんです?なんでも教えていただけませんか?エドワード殿」
言いよどむ説明に、導師が眼を瞬く。別にやましい事があった訳じゃないが、あの少年が海賊だと言う事だけは伏せていた。
何故だろう、ただここで本当の事を言わない方が良い様な気がしたのだ。
「ソイツってそんなに凄い魔術師には見えないぐらい、なんて言うんですか、何処にでも居そうな成人もして無い、ガンダルシアの小僧ですよ。それに旅行者のようだったんで。俺でも会える事はもうないかと」
導師の青い瞳は覗き込んでエドワードを真直ぐに見ている。
(なんだ・・・?)
その瞳に淀んだ水底を想わせて、エドワードは僅かに既視感を覚えた。
先ほどから何か、そうエドワードの勘が、イガイガと針を出し、脳に、腹に、腕に、脚に、全てに信号を送ってくる。
くらりと、少し眩暈がした。
「あぁ、それは、それは、誠に残念です」
眉を八の字に、至極残念そうに導師が微笑む。そっとその瞳も閉じられた。
「お力になれず、申し訳ないです」
ふと我に返って慌てて言うと、相手は穏やかに手を振って応える。
「いいえ、いいえ、十分ですエドワード殿。寧ろこんなにお時間を取らせて、こちらこそ申し訳ありません。事件の詳しい全容を把握したいだけでしたから」
「いえ、滅相もございません!こちらこそ、ありがとうございました!」
腰の低い柔らかな雰囲気に、エドワードは深々と頭を下げた。
「では、これでお開きにしましょうか。」
エドワードの様子にクスリと微笑むと、導師は長椅子から立ち上がる。
同じくしてエドワードも立ち上った。コツコツと硬質な足音が石床から二人分漏れて、聖堂に設えられた出入り口の扉を目指す。
「また何か、無い事を祈るばかりですが・・・あればまた私宛てに連絡してください。力になりましょう」
導師がにっこり微笑を浮かべると、
「私のような身分の男に勿体ないお言葉、誠に感謝いたします!」
エドワードが頭下げて聖堂から出て行こうと背中を向けた。
「では・・・これにて失礼いたします」
そう言って、若い騎士団長が身の丈高い扉を開ける。後ろ姿に違和感も与えず歩み寄って、魔導師ニーズヘルグはゆっくり腕を伸ばす。
その騎士団長の首に。
訊きだしたい事はこれで全て。
後はこれ以上何も思い出せぬよう―――。
口に出来ぬよう、すっぱりと首を斬り落として。
(此、処、で、殺、す、だ、け)
蛇が獲物を喰らう、丸飲みすればもう、―――この男の姿形は誰にも見つけられはしない。
蛇の牙には、蛇の毒―――この男に体の自由も無い実験材料にしよう。
神の聖なる家こそ、邪なる魔の隠れ家よ。
蛇が鎌首を持ち揚げて、そ知らぬ獲物に、喰らいつこうとした。
しかし、―――――ゴゴゴトンッゴゴゴ・・・
「な、なんだ??地震かァ!」
「っ!?」
縦に揺れる足元に、重い振動が伝わって、体勢が乱れる。
「導師様、中はあぶねぇ!ひとまず外にっ・・・・ぐっなんて揺れだ」
エドワードは扉にしがみ付きながら手を差すも、揺れで壁に肩を打ちつけてしまい、動きが取れない。
「いったい、なぜこんな急に、地震などっ」
折角、良い狩場だったのに!!
この男、一度ならず二度までも邪魔が入るかっ―――!
密かに憤慨する魔導師ニーズヘルグも、地震には敵わず床に這いつくばった。
長椅子達が、グラグラと小刻みに動く。カチャンカチャン、と祭壇の方からも杯が転がり、活けてあった花瓶が割れる音が何処かでした。
それでも祭壇にある創造神を象った像だけは倒れず、こちらの悪事を視透かすよう堂々と位置を譲らない。その忌々しさに導師の表情が歪む。
早く地震よ、治まってしまえっ、と悪態を吐きつつ導師は教会の祭壇を睨んだ。
すると導師の想いに応じたかのように、徐々に地震の揺れが激しさを失くしだした。
グラグラと揺れる床は、次第に治まり、忽ち辺りに静寂が戻る。
「お、おさまった・・・?」
エドワードがほっと息を吐いた声が、導師の耳に届く。
「大丈夫ですか、導師様」
「え、えぇ・・・大事ありません」
怪訝な声音と共に差し出された騎士団長の手に、導師が手を伸ばし立ち上がる。
「いったい、なんだってんだ?この辺は地震なんて滅多にねぇ地のはずだが・・・」
ガシガシと音を発てて、頭を掻くエドワード。
「なんだったのでしょう、私にもよくわかりませんが・・・。何か良くない事の前触れかも知れませんね」
運のいい奴だ・・・。心の中で冷たく舌打ちを打つ。
些か、表情が引き攣りそうになったがすぐに戻して、導師は苦笑いを浮かべる。
予定が狂いっぱなしだ。
さて、今後この男をどうしようか。
今日はさすがに仕留めるのは止めておいた方がいい。
蛇がそうやって、腹に黒い炎を沸き立たせていれば――――・・・
「それにしてもこんな酷ぇ揺れ、町の連中は大丈夫かぁ・・・って今度は、な、なんだァ?!」
素っ頓狂な声を上げる騎士団長の視線の先。
「なんと言う事でしょう・・・」
思わず感嘆の音が漏れる。
二人が視線を集めるは、祭壇に設けられた燭台の炎。
その炎が、明滅を繰り返し、創造神の像を神聖に照らし出した。
ぼおっと音を発てて火柱が突如として上がる。
火柱は太く、どれも細い蝋燭からなど到底思えない、しかしどの燭台も赤々と燃え盛り、騎士団長と魔導師の前に灼熱の炎を晒し出している。
蛇さえ予期せぬ天敵が、その時、確かに舞い降りたのだった。
燃え盛る火柱が、見る見るうちに祭壇より頭上に集束してゆく。
「我に立ちはだかる愚者を焼き滅ぼせ!火炎龍」
心の底からありったけの声で吠えた。
集束した赤く煌めく炎は、宙を縦横無尽に聖堂内で旋回し、エドワード達が呆然と立ち尽くす前で一匹の雄々しい火龍に変わった。
「こ、このチカラは・・・どこからっ」
導師ニーズヘルグが、その巨大なチカラに愕然と瞳を見開いた。
セシルは扉越しにチカラをぶつける。
「いっけぇ―――――――――っつ!!」
ゴオオオオオォォォオオオ―――――――――――ッ
火龍がセシルと共鳴し吼える。
永い巨体を唸らせ首をもたげる。
火炎龍が目指す場所は大聖堂の中心、創造神の祭壇の御前だった。古い大理石の石床に、迷いなく紅蓮の龍が突撃する。
その瞬間、エドワードの目前で、正方形に象った大理石のタイルが轟音を発てて粉砕。
炎による爆風と巻き起こる砂塵が、神聖なる空間を覆った。
扉の前を見据えるセシルの頭上からは、赤紫色の文字が剥がれ落ちて来る。
「やった!」
今度こそ扉の解呪に成功したのだ。セシルは杖を掲げ思わずガッツポーズを取る。
思えばここの罠を仕掛けた魔術師には、卑猥な言葉を言わされたり、悩んだり、命の危機にさらされたりと散々だった。その魔術師の罠を今、自分が看破した。
「ふっ・・・ふふふ」
不穏な笑い声が自然と漏れる。
セシルの脳内でプツっと何かの糸が切れた。
大事な仲間を貴様の毒牙に掛らせるかボケェッ。こんな汚れきった扉なんぞ触らせるか、塵芥に還してやる!!セシル大変ご立腹により心の中で罵詈雑言。
誰とも知らぬ相手に、だいぶ鬱憤が溜まっていたらしい。
「今度はその扉、徹底的に壊してやる!!」
怒りに任せて体内のチカラを振り絞った。
「重力よ!彼の者達の足枷となれ!重力圧――――――!!」
詠唱を破棄した途端。
カァ~~~~ッとセシルの腹に急激に熱い何かが滾った。
重力の暗い球体が聖堂の宙に浮かび、―――ズドンッ。
垂直に落ちれば、どんどん扉はひしゃげ耳に痛い金属音が響く。
その不快な金属音にセシルは階段からすぐさま通路まで退却する。
ミシミシミシギギギギギギギ~~~~~~~~~~ッ
両開きの頑丈だった筈の扉が、見事に形を歪め本来なら“開く筈ない方向”に扉を開けた。
「皆さん、やりましたよ!これで外にでられます!!」
見事に扉へどでかい風穴を開けたセシルが、歓喜の声音で叫んだ。
「相変わらず、すげぇー」
地響きに壁に手を当てて、蹲っていたルシュカが呻きながら剣を掲げる。
「おっしゃぁ~~~~~~~☆☆☆」
そのすぐ傍ではルーヴィッヒがガッツポーズを取った。
そこへ骨の軋む音や、腐肉の蠢く音と腐臭が漂う。セシルの本人無自覚による引き起こした、地震に動きを止めていた亡者達が徐々にまた動き始める。
「セシルとお騒がせ二人は先に行けっ。退却しながら迎え撃つぞ。仮面!」
退路を確保できたなら、後はこちらのものだ。
クロウは背後に立つ幼馴染を振り返る。
「ハイよ~」
それを合図に、傀儡の糸をペルソナは手繰り寄せた。四肢に張り巡らされた無数の糸が、またクロウに刀を振るわせる。
「あは~ホント、セシル君様様ですねー♪あとで拝んでおかないと」
双剣を構えニコラス将校も勝機の兆しに、一息呼吸。
前方へ踏み込むと同時、錆びた宝冠を乗せた頭が壁に吹き飛んだ。
副船長の命令にセシルは、中衛にて援護射撃をしていたルーヴィッヒ達を伴い、階段を駆け上がる。すると明るい蝋燭の灯に照らされた、高く広い天井がセシル達を出迎える。外に出た様相に、此処が教会だと認識し豪奢な祭壇から流れるように視線を移せば、
「えっ?」
エドワードさん?どうしてここに???薄緑の瞳を見開く。
つい最近見知った、騎士団の制服を着こんだ男の顔が目に入った。
「あ!お前ぇは小僧っ」
セシルと眼が合った途端、エドワードもどうしてここに?!驚愕に眼を向いた。
思いもよらぬ再会に言葉が出ない。
そんなセシルの背後でゾロゾロとお調子者達が階段から這い出てきた。
「うおおおっなんだなんだ?!ここ教会なのか?!」
外の風景に驚くルシュカに、
「あっエドワードじゃん?!奇遇だな~☆」
目聡く見つけたルーヴィッヒがエドワードに軽~く手を振る。
「奇遇も何も、そんな床下から出て来るなんざァ誰も思いやしねぇーよ!!海賊がなにしてやがる!」
埃と泥と切り傷をこさえて床穴から現れる海賊達に、エドワードがビシッと指さして律儀にツッコミを入れた。まったく緊張感も何も無かった。
続けて派手な爆発音、ぎょっとして眼を見張る。
すると今度は床穴から煙と共に親友の姿が飛び出し宙を舞って、
「あ~、それが話せば長いんだよね~エドワード」
優男の笑みを見せながら、ひらりと華麗に跳躍から降り立った。
「ええぇっニコラス、テメェまでもなんで・・・」
最早ツッコミが追いつかない。
口をパクパクさせ、眼を白黒させるしかないエドワードだ。
(コヤツ等っ、私が手を入れたあの地下のごみ箱から―――!!)
だがしかし約一名、驚きと殺意を滲ませた導師が悔しげに唇をかみしめていた。
邪魔な騎士団長と始末した後、地下に設けた廃棄処分達の餌にでもしようと思っていたのだが。とんだ誤算である。
まさか、あの地下牢を見つけ、ここまで来る者が存在するとは。予想もしなかった。
そうこう思考を巡らせている内に、自ら廃棄処分達とした者達が床穴から這い出てきた。
「オイ。ヤクザ騎士団長。手伝え。ちょっとした旅行者のピンチだ。」
ニコラスに続いて飛び出してきた、黒を纏う二人組。
その内のクロウが、刀に付着した血肉を払いエドワードの前に立った。
「オイオイおいおい、ちょっちょっと、待てぇえええ~~~なんだァこの化け物共はっ」
見る間に神聖な神の家にも拘らず、不死者が這い出し押し寄せてくる光景。
エドワードの背中に冷汗が流れる。訳は分からないが、尋常じゃない事が起こっている事は確かだと。即座に状況を見極めエドワードは腰の剣を抜いた。
「ごめんってエドワードっ君のお説教はまた今度聞くから、今は助太刀頼むよ~私と君は親友でしょう」
一息も掴む間にニコラス将校が踏み込んだ。その刹那、三体もの亡者が倒れる。
「ニコラス、オメェって奴はホント『親友』って単語を辞書で調べろや!しょうがねェー奴だな!」
今はこの頭が豆腐な親友と問答している暇はなさそうだ。
間延びした口調の親友に苛々しながらも、エドワードも迷わず向かって来る化物に剣を横に払った。びちゃっと黒い血が、エドワードの眼鏡に少し飛び散る。
「教会に不死者ですか――、これは神に対する冒涜でしょうか」
口とは真逆の心を持って、エドワードの背後に進み出る。この状況化で加勢しないのはいささか、まずい。蛇も牙を引っ込め、導師ニーズヘルグとして風術を放った。
「とにかくもう一回、眠っとけって☆」
ルーヴィッヒが亡者達に振りかぶって横薙ぎに剣を振るう。
そのすぐ傍で亜麻色の尻尾髪が翻り、銀色の狼達が死肉喰い(ール)に喰らいつき凍りつかせた。
「これだけ。広い場なら存分に暴れられるな。」
地震で乱れた長椅子達を足場に、黒衣が跳び舞う。自分の意志で無い体の動きに、息を整える。クロウもペルソナの操り糸を纏い、首を狩っていった。
そんな中、セシルはと言うと、キョロキョロと周囲を見渡しある物を探していた。
如何せん、もう自分にはチカラが殆ど残っていない状態だ。
光術もあと数発しか撃てない。
今の状況をざっと見て考えるに、残り少ないチカラを数体に使いきってしまうと、人数的に騎士団長も加わってくれているが、この魔物を全滅させるには不安は残る。
ならば的確に、大人数に大ダメージを与える方法を取った方がいい。
這い出る死肉喰い(ール)達の合間を、その小柄な体躯でなんとか躱しながら、セシルは祭壇近くまで身を寄せる。
都合の良い事に、ここは教会。エルハラ教の派遣された司祭が日々、祈りを捧げる場であり、不死者が最も苦手とする神聖な光のチカラが集う場である。
「う~っと、え~っと、教会、教会なら絶対あるはずなんだけど」
セシルが探している物。それは司祭が日々祈りを捧げ、純粋な光のチカラを注ぎ込んだ聖別された物、――――そう聖水だった。
「聖水さえあれば、僕の水術で霧状にして降らせればなんとかダメージになる・・・て、あった!奥の小部屋!」
独り唸りつつ、神聖なチカラの波動を探す。
するとセシルの耳に、さらさらと流れる水の音が微かに届いた。
音のする方へ振り向けば祭壇の脇に、扉の無い入り口が見える。急いで走り寄れば、ステンドグラスの光が集まった小部屋に入る。その中心には、湧水の様に地下から汲み取られて溢れる、小ぶりの噴水があった。
「すごいっ大きい教会の聖水って噴水並みなの?!」
故郷の教会は桶だったのに?!ちょっと故郷の教会とマライトの教会の差に驚きながら、セシルは眼を見張る。噴水の中には、神聖な文字が刻まれ中にある水は、きちんとした聖別された聖水であることが窺えた。これが経済格差というものなの・・・と半ば思考が違う方向へ飛びかけ、違う、違うっ今はそんな事言ってる場合じゃなくて!と頭を振ってセシルは目的を思い出す。
「よぉ~しっ」
・・・こんなに在るなら好都合だ。息を吸って水面に手を翳す。
これならば、出てきた死肉喰い(ール)全部に、大ダメージを食らわせられるだろう。
セシルは意識を集中し、残る全てのチカラを聖水に全て注ぎ込んだ。
「聖なる御霊、集いし精霊の涙、汝らが零した慈悲の心、救済を求む哀れなる魂を救いたまえ・・・・安息に眠れ暗き魂っ」
手を翳した水面から、セシルと呼応するように波紋が広がる。
波紋が虹色に輝いて光り出した。
「紫煙の(・)霧―――!」
轟音と一緒に噴水から、勢いよく聖水が溢れ、太い水柱が立ち上った。
ステンドグラスから差し込む夕日に、キラキラと金粉が混じる。
呼びかけに応えてくれた精霊達だろう。
水面から巻き上がる聖水は、みるみる内にセシルの背を越して・・・・・・。
背を通り越して・・・あ、あれ?
「え・・・っ?!」
ぎょっと杖を握り身構えた頃には、時すでに遅く。
ドバザァアアア―――――――――――――ンッ!!
物凄い水爆発が小部屋を包み込む。
顔面から水の礫が放たれて、身体も水圧に地を離れた。
「ひ、ひょぉおおおぇええ~~~~~~~~~~~~~~~~っ」
瞬く間にセシルは、虹色に輝く大洪水に飲み込まれていったのだった。
教会内にいきなり集まりだした、なにか大きな力の気配に、魔術師達は竦み上がった。
(―――っ!)
頭部を切断しても動き回る死者に疲れが押し寄せていたクロウが、不意にある気配に気が付いて眉を潜めた。ペルソナも驚いて肩を震わせる。
「おや?」
同じくして自ら生み出した失敗作を、嫌々ながらも駆除しにかかっていた導師も声を上げる。肌を刺すような冷たい、それでいて清涼な水の気配を感じに、
(なんだ・・・この圧倒的な逆らえぬ畏縮する存在は?)
魔導師はその場に居る人物へ一瞥するが、高位魔術師らしい黒を纏った二人組からは、そんな波動を感じ取る事はできない。
なんだ、なんなのだ・・・っ!?
先の己の強固な罠さえ突破したあのチカラといい、この私すら畏れさせる存在は――!!
いったい誰だ?!今この場にさえ気配さえ探らせない者は―――っ!!
心の中で唸りながら、眼の前に迫る失敗作に、魔導師は忌々しげに真空の刃を放った。
眼球の無い頭部が宙に舞った、その瞬間である。
ドッドッドッ・ドドォオオォォオオオ――――――――――――ッ
轟音と共に祭壇脇にあった小部屋から、鉄砲水の様な大洪水が押し寄せて来たのは。
「なっ」
何故大洪水がっ?!
魔導師が驚愕に口を開けるが言葉が出なかった。
すぐ目前に大量の水が迫ってきたからだ。
「ぎゃァ!!」
「なんだなんだ――――って、ブッ」
導師の傍で戦っていたニコラス将校と、エドワード騎士団長が飲み込まれる。
軍人と言えど自然災害には、すぐには対応できなかったらしい。
「ブフゥ~~~ッ☆」
ルーヴィッヒも二人に続いて、押し寄せる大津波に攫われ、姿が掻き消えた。
「津波だ・・・。」
(ワォ、津波だネ~・・・)
背より遙かに高い大津波に、唖然と佇み魔術二人は一言零した。
死肉喰い(ール)達と教会にあるもの全て巻き込んで、もう水の影は迫って来ている。
「バッキャローっここは教会だっっつうの~~っ!!」
最後にルシュカの無残な叫びが響き、逃げようとしていた体を水か攫っていく。
教会に居た筈のクロウ達は、透明度の高くいやに輝く水中に熱烈歓迎されたのだった。
そして―――、
この手の自然災害に慣れてしまっている海賊団達は、息が出来ない水中に流される中で、
『セシルゥ~~~っ!!』
皆一様にある人物の名を心中で叫んだそうだ。
始めは何かが軋む音から、そしてすぐにそれは硝子の割れた音に変わった。
ドゴゴゴゴゴ・・・・ッと物凄い音を発す聖堂に、教会の司祭や修道女達が不審に思い集まり出すと、彼等の目の前でそれは起った。
信じられない異常な光景に、司祭達は眼が点になった。修道女の何人かはその異常な光景に、『神のお怒りがこんなところでっ』と気を失って倒れ伏した者まで居たほどに。
ステンドグラスが水圧で耐えきれなくなり割れる。
大聖堂の頑丈な扉も物凄い勢いで開け放たれ、それに伴って燭台やら長椅子、杯など装飾品、溢れ出す銀色の大量の水・水・水・・・。
聖堂にあった物を全て邪魔だと言う様に、何もかも外へ押し流した不自然な大洪水。
ガランと装飾が何もなくなった、殺風景な大聖堂の床には、死屍累々と化した死肉喰い(ール)達と一緒に、マライトの宮廷魔導師と陸軍将校、騎士団長。マライトの脅威と呼ばれるクロウ副船長、その一味のご陽気航海士、狙撃手、仮面の楽士、少年魔術師が倒れ伏していた。
「う、うぉ~い・・・みんな、生きてっか~ぁ」
暫くして意識が戻った。ヨレヨレになりつつ、四つん這いにルシュカが皆に声をかける。
聖堂の壁際まで流されたらしい、エドワードが意志消沈に眼を開けたまま、大の字に寝そべっている。
「ごほっぐぇっう、ごほごほっ~~~めっちゃ鼻に水入った」
そのすぐ傍では、涙声にニコラス将校が起き上っていた。
「ぐぇぇ~」
同じく鼻に水が入ったらしいルーヴィッヒも、水を吐きだしながら立ち上る。
フルフルっと顔を振って、頭部の水滴を払う。聖堂の扉前まで吹っ飛び流されたクロウも、咽ながら壁伝いに起き上った。
「オイ。大丈夫か。」
一緒に巻き込まれた仮面の幼馴染を助け起こせば、
(ウ、ウン、ナントカ・・・)
びしょ濡れのカエル人形がクロウの鼻先に翳される。
クロウは黒曜石の瞳をスッと窄めた。
「・・・・・・・・・・・・そうか?」
いつ換えたのか仮面がいつの間にか骸骨になっている。
この幼馴染、案外余裕なのかもしれない。クロウの中で一瞬だけ、手を貸さなければよかったと、そんな思いがよぎった。
「セシルゥ~っお前、ちょっと加減しろよ!!危うく窒息死しそうになったんだぞ」
「ルシュカ違うって、この場合は溺死☆」
将校達とは反対方向の壁際に、セシルは横たわっていた。
「うう・・・なんで初級魔術なのに、こんなことに」
薄緑の眼が、いつもの死んだ魚の様な眼になっているので意識はあるのだろう。血相を変えながらも、お説教交じりにお調子者達がセシルを抱き起した。
「ずみまぜん、もう僕のチカラが少ししかなかったから、聖水のチカラを貸してもらって、霧を発生させる筈だったんですけど・・・失敗しちゃいました~・・・」
虚ろな瞳と青褪めた、あきらか顔色の悪い表情のセシルに、ルシュカが毛を逆立てる。
「霧~?!なんで霧発生させるのに、失敗で命一杯の洪水が起きちゃうわけ?!それでお前と俺等が死んだら本末転倒だぜ?!」
心配故に怒るルシュカにルーヴィッヒが宥めに入る。
「まぁまぁルシュカ~☆セシルも俺等も無事だったんだから、いいじゃん☆そんな怒んなよ、セシルだって思ってもみなかったんだろ~?」
「うん、でもなんで失敗して、こんな事になったんだろう。普通、術の失敗は暴発か何も起こらない筈なのに」
と、いうか・・・残り少ないチカラで、こんな大洪水を呼べる筈はないのに。
水滴が至る所から落ちてくる高い天井を見上げ、セシルは不思議に首を傾げた。
「はぁ~、ま、無事ならいいけどよぅ、ぐっゲホゲホッ・・・あぁ~まだ鼻痛ぇ。」
溜息交じりにルシュカが鼻をかむ。セシルが周囲を見渡せば、死肉喰い(ール)は倒れ伏し、みんな全身が濡れ鼠になり酷い有様だった。
そこにエドワードがよれよれになって近寄って来る。
「エドワードさん、だ、大丈夫?」
セシルが申し訳なさそうに首を傾ぐ。
「小僧・・・オメェーか、この大洪水起したのは」
「あ、あはは、ゴメンナサイです。」
案の定、不機嫌そうな声音にギロリと睨まれる。
セシルは杖を握り縮こまって小さく謝った。
するとセシルの背に、ふいに聴いたことの無い声が掛る。
「大丈夫ですか、エドワード殿。・・・っと貴方は、服装からして私と同じく魔術に通ずる者ですね」
振り返って見ればセシルよりも背の高い、赤いローブを体に張り付けたやや線の細そうな、見知らぬ妙齢な男がそこに立っていた。
「えっはい・・・どうも、ご、ごめんさい。こんなつもり無かったんですけど、ずぶ濡れにしてしまって、加勢していただいたのに」
見知った人でもないに、僕ってば何てことを!!
言葉と服装からすぐにセシルは同業なのだと知り、相手をよく見ずにぺこりと頭を下げる。
未だ年端もいかない少年に、男は努めて安心させるようセシルの肩を叩く。
「いえいえ、気にしておりませんよ。助かりました。それより、あの火炎龍や先ほどの大津波は貴方が?」
柔らかい声で言われて、セシルは顔を上げる。今度はしっかりとセシルは男の顔を見た。
男の顔は色白で東地方の少し混じっているのか、面長の彫りの深い顔だった。
ただ・・・セシルにとって男の表情は優しげなのに。
(この人すごく、なんだか、怖い人だ。なに・・・あの蛇みたいな眼)
全身の毛が泡立つぐらい、ゾッとした悪寒が走る。副船長クロウとはまた違う、底冷えする怖さだった。ジリジリと胸が焼けるような、危険だと本能が脳に伝える。
「大丈夫ですか・・・?」
顔を上げた途端、表情を強張らせたセシルに魔導師は怪訝に覗き込む。
「え、ああ、すみませんっ大丈夫です!」
覗き込まれた蛇の眼に、セシルは慌て首を振って応えた。
「あわわ・・・僕ったらホントは津波じゃなくて、聖水の加護を受けた霧を発生させる筈だったんですけど、失敗してしまって」
「失敗・・・?」
わたわた、と手を振り早口に捲くし立てられる。
そのセシルの言葉に、魔導師の眼はハタと瞬いた。青い蛇の眼がキュッと窄まる。
セシルはその瞳の様子に、嫌な予感が拭えない。
視線をセシルから傍のエドワードに移し、男は考え深げに細い顎に指を添える。
「私は魔導師ニーズヘルグと申します。エドワード殿、もしやこのガンダルシアの少年が、エドワード殿を守護した魔術師でしょうか?」
意識を逸らされた瞬間、セシルは何故だか分からないが、エドワードを庇う様にエドワードの前に背を預け移動した。
「えっえーっと、はぁ、はい・・・そうです」
急に話を振られたエドワードは、突然の事にしどろもどろに頷く。
なんとも歯切れの悪い応えだったが、エドワードも心中、穏やかではなかった。
何故なら、セシルの身元は海賊だからだ。騎士に身を置いている自分が、王の側近に海賊と交流があると疑われれば、それこそエドワードがお縄に着くだろう。
しかし魔導師はエドワードの応えを聞き終えると、興味を失ったようにエドワードから、またも視線をセシルの方へ向けた。
「それならば、ぜひともお名前をお伺いしたいものです。先ほどの津波は失敗などではなく、きっと聖水に込められたチカラと光の精霊が、貴方の呼びかけに応え、このような大きなチカラを示したものでしょうから」
(ひぃ・・・!!)
その直後セシルに鳥肌が立った。水に濡れた長い指がセシルの頬をなぞったからだ。
「え、そうなんですか?」
落ち着いた声音が諭すように、エドワードの質問に頷いてセシルを見詰める。
魔導師は内心ほくそ笑む。まさか、お目当ての人物がこんなにも早く自ら姿を見せるとは思っていなかった。
「えぇ、そうですよ。津波が押し寄せる前に、感じた事の無い光の波動を感じましたから」
魔導師は穏やかに、できるだけ優しく、己を見詰めるガンダルシアの少年へ微笑みかけた。
「ぁ、やばい。マライトのお偉いサンっぽいぜ」
その様子を眺めていたルシュカが、隣に立つ相方へ肘で突く。
声を潜めてルーヴィッヒは、クロウへ視線を向ける。
「マライトでニーズヘルグ様って言われんの、たしか国王の側近魔導師じゃなかったけ☆」
「どうやらそのようだな。」
その割にはこの魔導師、血の匂いが異常なほど染みつき過ぎているがな。
敢えて口に出さずにクロウは、未だにセシルの頬に手を添えている魔導師を凝視する。
(なんだ・・・?)
クロウはある違和感に眉間を寄せる。
蛇に睨まれた蛙の如く、ガチゴチに固まって動かないセシルの様子は少し異様だった。
セシルが一国の偉人に、恐縮するのはいつもの事なので分かるが・・・。
今回ばかりはどうやら違う。
セシル自身。恐がっているが・・・なんだ?あの何かを庇うような目は。
黒曜石の瞳を半眼によくよく観察すれば、セシルはエドワードを背に守り、魔導師の前に出させないよう立ち竦んでいる雰囲気だ。
国王の側近魔導師が、セシルの素質に眼を止めるのはおかしい事ではない。
すると背後から、クイッとロングコートを引かれて、思わず意識がそちらに向いた。
気配だけ背後に集中させると、ペルソナが魔導師から隠れるように、クロウの背後に身を寄せていた。体は若干震えているのか、背中に振動によって伝わってくる。
加えて気配は完全に脅えを含んでいた。
「・・・・・・。」
魔導師を前に只ならぬセシルとペルソナの気配。身に沁みつけた血生臭い匂い。
警戒心を懐に仕舞い込みクロウは鞘を握りしめた。
「貴男はきっともっと磨けば賢者になれるでしょう。どうです、マライトの宮廷で働きませんか?」
ニコリと善良な笑顔を向けられる。その笑顔にセシルは戸惑いながらも、
「魔導師様、気高い魔導師様にそう言っていただけるのは大変嬉しく思いますが・・・すみません、僕はもう師も居る身ですから、マライトで働く気はなれませんので、お断りします。」
頭を下げてもう一度、魔導師を見上げる。しかと合わせた視線には、やはりセシルにとって獲物を見定めする蛇の眼が合った。表情は穏やかな笑顔だと言うのに。
導師は笑顔から少し驚いた表情にさせ眉を上げると、
「そうですか・・・残念ですが、ならば仕方ありませんね」
残念そうに眉を八の字に寄せ微笑む。その微笑みにセシルは内心、ゾッとする。
目の前で一連の表情を見詰めるも、蛇の眼は冷たく妖しくセシルをしげしげと見つめ探っているようだった。
「ニーズヘルグ様、大丈夫ですか・・・?」
「えぇ、大丈夫です、コルベリー少将」
不意にニコラス将校の声がかかり、魔導師はゆっくりセシルから顔を上げた。
セシルはホッと胸を撫で、魔導師から距離を取って一歩下がる。
「ニーズヘルグ様、いやぁ~エドワードもだけど奇遇ですね。何故ここに?」
愛想笑いもそこそこに、将校がセシル達の下へ駆け寄る。
「それはこちらが窺いたいのですがね、コルベリー少将。」
全身ずぶ濡れの制服からは、まだ雫が滴り落ちていた。魔導師は困ったように肩を竦めると、自身の濡れた前髪を払う。
「私は今回の騎士団内で起った件で、邪教信者の関与を危惧して自ら調査に乗り出したまでです。あまり私も陛下の身元を離れ難く、この神聖な神の場でマライト管轄の騎士団長に詳細を窺っていた所なのですが・・・。いきなり地震が来たと思えば、何者かの大いなる力によって床石が砕かれ、その中から貴殿と海の(・)黒真珠に加え、不死者までもが這い出て来たものですから・・・」
敢えて黒真珠の名を強調して、説明する魔導師の冴えた青い瞳は雄弁に物語っている。
どうして軍人が賊と一緒なのかと。
隙のない口調に、ニコラスの額に冷汗が流れる。あ~非常にマズイな~・・・。
「あ~・・・それは、話せば長く色々と事情がありまして、アハ♪」
そう言って嫌味の無い笑顔で誤魔化した。
「ふむ、事情ですか・・・まぁ、いいでしょう。この事の顛末は帰ってから、陛下の御前でしっかりと説明してもらいましょう。そんなことより、まずは人を呼んだほうが良さそうですね。」
魔導師は一度軽く頷くと、ちらりと外の方へ視線を向ける。セシルもその視線に気が付いて眼を向けると、聖堂の外から騒ぎを聞きつけたのだろう、ザワザワと人が集まって来ていた。将校も騎士団長もすぐに気が付き、
「すぐに魔術協会の者と憲兵をお呼びいたします」
「あっおい!ニコラスっ俺にも説明しろ!!って、スミマセン導師様失礼いたします」
深く一礼すると共に、バタバタと外へ将校と騎士団長が走って行った。
「もうこの辺りが潮時だな・・・。」
今まで様子をただ黙って窺っていたクロウは、自然と集まっていた部下の腕を取った。
傾いだ体に一歩、たたらを踏む。
するとガクンッとルシュカの足が不安定に引きずり込まれた。
クロウとペルソナの足元に出来た影が、一際濃く意志を持って水溜りの如く広がり始める。
闇や影術を得意とする二人の放った初級魔術、影法師だ。
「おい。オマエ等。憲兵共が来る前に引き上げるぞ。こいっ尻尾髪。」
「お、おおう」
「ルーヴィッヒ君、こっちシッカリ掴まってテテ!」
「え☆何々?!」
驚く航海士にはペルソナが腕を引いて影に引寄せる。黒い闇の水溜りが蠢き、四人の体が半分ほど見る間に浸かり始めた。
魔導師の傍に立っていたセシルは、まだジッと魔導師を呆けたように眺めていた。
妙な沈黙が流れる中、当の魔導師もセシルを興味深そうにニコニコと見つめている・・・。
この人、笑顔だけど・・・眼が笑ってない。
この眼、僕、知ってる。
これは人間が誰かを人と見なしていない、あの嗤った時の眼だ。
なんで皆、エドワードさんもニコラスさんも気が付かないの?
故郷の村に居た、村人や親戚にセシルが送られていた眼線。
セシルはよく覚えている。
否と言うほど味わったから尚更だ。
この魔導師の瞳は、その村人達の蔑む眼に酷似していた。
「セシル!オマエも早く来いっ」
「は、はいっ」
クロウの呼び声にセシルもハッとして、仲間達の下へ一目散に走る。
影に脚を踏み入れる寸前、セシルは何げなしに一度振り返る。
さすれば魔導師が、優雅に手を振って見送っているのが見えた。
(今回は見逃してあげます、またお会いましょう―――。)
ゆっくり相手の口元だけが動いた。
「・・・っ」
その声なき言葉に背筋に悪寒が走る。
急いて首を前に戻して、セシルは影だけを目指す。もう振り返りたくなかった。
蠢く黒い泉に脚を踏み入れれば、あっという間に視界が暗闇に飲み込まれる。
お調子者達の驚く声を耳にしながら、セシルは影を渡り聖堂を後にした。
仮面の楽士と副船長先導のもと、闇影に紛れセシルが渡った先はアルバ港の波止場だった。
景色はもうすっかり夕闇に染まり、建物と建物の間、細い路地の地面からセシル達は姿を現わした。
「ぶはぁっ☆」
「おっ」
「ひょえ!」
まるで水中から飛び出す様に、暗い地面から体を放り出す。セシルは杖を握りしめながら、転がる様に地面に脚を付けた。そのすぐ横でストンと身軽な靴音。
「ハイ、到着~ゥ♪」
ペルソナがデビルマスクを被り、ウサギの人形を持って着地のポーズを取って立っていた。
その背後ではもう毒は抜けきったのか、クロウが無言で佇んでいる。
「おえぇっ気持ち悪ぃ」
視界が歪み胃の中がムカムカする。
術で編み出される特殊な空間は、普通の人間には少し抵抗があるらしい。尻尾髪は乗り物酔いの感覚にも似た心地に、ふらふらと立ち上がった。
陽気な航海士も壁に手をついて、眼が虚ろである。
「皆さん、大丈夫ですか?」
そう言いながらセシルが仲間達を見渡す。みんな掠傷をこさえて加え、地下に居た所為とセシルの大津波のおかげで全身泥とびしょ濡れ状態だった。全員、酷い有様である。
これは船で専ら家事を担っているモーリスに、『アンタ達ぃ~いったい何して来たのよ!こんなに汚してきて!!』と、怒られそうな雰囲気だ。
どうしてマライト王都にある魔術協会へ向かう目的で二日間、こんな泥まみれのびしょ濡れで帰ってくるのか。これは絶対、怒られてこってり絞られるよ。
セシルは内心、料理長とその他、水夫長が心配して怒るさまと、説教される自分達が目に浮かんで、明日明後日へ意識を飛ばしかけた。
「ハニーに怒られるなぁこりゃ・・・アッハハ~ン・・・・・・★」
同じ事を思っていたらしい、ルーヴィッヒも口調は軽いが、なんだか暗い声で虚ろに笑っている。目線が夜空に向いている辺り、恋人が怒ったさまを思い出しているようだ。
いつもあっ軽い航海士の哀愁漂う雰囲気は、正直ちょっと気持悪いと思うセシルだった。
「マ・怒られるノ覚悟で今は船に帰ロウ、この路地カラ出ればモウ、船は直ぐソコなんだカラ」
肩を竦めてペルソナがそう言えば、暗い路地の先から見慣れた、夜空に棚引くブラックパールの海賊旗が見える。
「そうですね、リオン君やみんなが待ってるよ」
やれやれやっと人心地つけそう、ホッと息を吐いてセシルが苦笑い。
海賊旗越しに、船で帰りを待っていてくれている、温かな仲間達の顔が浮かんだ。
「あー・・・ハニーに怒られるぅ・・・★」
「腹減ったぁ~」
「ホラホラ、二人共さっさと歩ク!」
ゾロゾロと怠そうに歩き出すお調子者に、ペルソナが二人の背に人形アタックをポカポカ食らわせながら歩き出し始める。危険な地から無事生還し、いつも通りの日常が戻ってセシルは、前方に進む三人を眺めつつ微笑んだ。
みんな無事で良かった。
セシルは星が輝く夜空を見上げれば、冷たい風が吹き抜ける。
「船長~、セシルゥ~、置いてくぞぉ~早く来いよう」
ぼうっとしていたセシルの前に、先を行くルシュカが手を振って気怠げに呼びかける。
「あ、は~い」
我に返って皆に追いつこうと、脚を一歩踏み出す。
・・・と、同時ドサッっと背後で何か鈍く重い物が倒れた音がした。
「!?」
なんだろう、と自然にセシルが背後を振り返れば、
「せ、船長っ!!」
暗闇に紛れるように倒れた、漆黒の副船長クロウの姿が眼に留まった。
「船長っ船長っしっかりして!」
俯せに倒れているクロウに、セシルは飛びついて反応を確かめる声を上げた。体をゆすって息があるかどうか顔に手を宛がえば、浅い吐息がかかるので息はしている。だが顔色は暗い路地でも解るほど、真っ白で精気がない。
「どうしたっ?!」
セシル達の様子を目撃し驚いて、またルシュカ達が走って戻って来た。
「それが、急にさっき倒れて」
不安にセシルがオロオロしながら話し出すと、
「クロウッ―――!そういえば毒ガっ」
ペルソナがハッとしてクロウの首元を確かめるために手を置く。
裂かれた肩口のロングコートの部分を白いシャツと共にずらし、肌蹴させればくっきり噛み傷があるも、熱は持っていない。セシルの呼びだした聖水の大津波に毒は浄化されたのだろう、神経に異常はみられないが・・・。
(スゴイ熱・・・)
ペルソナが体を仰向けにさせる時点で気が付いた、体に相当の負担がかかって発熱している。これは早く休ませないと・・・!!
「セシルは一足先に、ミゲちゃんを甲板に呼んできテおいて!」
「うんっ」
ペルソナに言われてセシルは、素早く行動に移った。
治癒を施す力も今は残っていない。
それに・・・さっきまで気にならなかったけど、船長の体がまたあの“黒い靄”に囲まれていてなんだか、すごく危険な気がする。
杖を持ってセシルは船に向かって走り出す。
その小さな背を見ながらルシュカがクロウの腕を取って、
「俺が船長をおぶってくよ、ルーヴィッヒは船長の荷物頼む」
「おうっ!」
ペルソナに助けられながらもクロウを背に担いだ。ルーヴィッヒは頷いて、クロウの腰に差していた刀や荷物を持って後に続く。
「ワタシも手伝うヨ。・・・・・・・クロウ、もう少しだから頑張ッテ」
意識を失っている幼馴染に語りかけ、ペルソナはクロウの背を撫でながらついて行く。
「船長、大丈夫だよなっ大丈夫だよなっ」
「ンなの、大丈夫にきまってんだろう!!馬鹿!」
ルーヴィッヒの不安と涙声の入り混じった声が上がり、ルシュカは脚を速めた。
尻尾髪の青年は自身の身長より高い、副船長を引きずる様に背負いながら、焦燥感を抱いて船を目指す。
そうして不安が襲う中。
オレンジ色の灯りが灯る船の甲板に、セシルと航海医師ミゲル、ユージン船長など仲間達が血相変えてルシュカ達四人を出迎えた。
『脱出』終




