そんな彼らの攻防戦
『そんな彼らの攻防戦』
抜き足、差し足、忍び足。
船内の廊下。
早朝、朝日が水平緯線から顔を出し始める頃、
見張り番以外、それぞれ部屋でまだ眠っている時間帯。
一人の男が今まさに、それをぶち壊そうとしていた。
目的の部屋まで、あと一メートル。
気配を完全に殺して、息もそぞろに、一歩、また一歩目標に近く。
ごくりと生唾を飲み込んで、また一歩前進。
目的の部屋まで、あと数センチ。
ここで物音を立てればアウト。
目的の部屋の主は、すぐさま気配を察知し、起きだすだろう。
起きたら最後、自分は叩きのめされ、
今日一日まともに相手もしてくれないだろう。
それでも、こればっかりは止められない。
見つかった時のスリルとか、どちらが今日勝ったとか、
どおぉぉしても、楽しくてやめられないのだ。
目的の部屋にやっと到着。
恐る恐る、いかに慎重に、扉のノブを回して、静かに扉を押し開いて中に潜入。
よし!今日、目標は疲れ切って眠っている!!
イケる!!今日は俺の勝ち☆
船長、副船長といる船のメンツで、航海士なんて今さらいらんだろう、
と言われるが何故か副船長の命令で航海士としている。
航海長、通称ご陽気航海士のルーヴィッヒが、にやりと静かに笑った。
彼が最後の目的を達成するための目標は、
眼の前に、あらゆる研究資料や、実験器具の試験管など、陳列された机や棚が並ぶ中、
簡素に置かれた寝台だった。
彼はうれしそうに笑顔で、その寝台に熟睡しきっている人物を見つけると、
その場から、駆け足で寝台に近寄ると、ダンッと大きくジャンプした。
そして寝台で眠っている人物、この部屋の主にして副船長のクロウの腹の上に、
ドスンッ!!と盛大な音をたてて着地した。
「・・・っぐ。」
腹と胸の強烈な重みに一瞬息が詰まって、クロウは呻く事しかできない。
そんな事はお構いなしに、布団越しにのかっるルーヴィッヒは、実に楽しそうだ。
「グッツモニーン☆、船長♪おはようさーん♪つーか、おはよう!おはよう!おはよう!おはよぉおおおぉう!!おとうさぁ~ん☆」
朝から元気が有り余っているせいなのか、それとも、同い歳の成人男性は自分以外、皆こうも落ち着きがないものなんだろうか。
低血圧で朝には弱いクロウは、頭痛と戦いながらそんな事を思った。
「朝ですよ~起きてー!!」
「うるせえっ!」
キャーっと黄色い悲鳴が上がるが無視して、布団と共に金髪ご陽気航海士を、蹴り上げて引っぺがし、クロウは寝台からなんとか起き上がる。
「うう・・・おとうさんが、かまってくれない・・・ぐすん。」
「気色悪い嘘泣きはやめろ。まったく、毎回、毎回、思うが・・・お前、俺の事たまーに、お父さん呼びするよな、何でだ?」
「ほえ?なんでって、センチョーには、あの子がいるっしょ。そんじゃ、嫁さんポジションは無いから、息子ならいけるかなーって」
床に胡坐かいて、ん~・・・と唸る。珍しく真面目に、首を傾げて話す航海士に、クロウは普段の数倍に眉間に皺寄せて押し黙る。
「・・・・・・。」
内心聞かなきゃ良かった、とクロウは後悔する。
嫁さん?嫁さんポジション??って言ったよな・・・コイツ。
軍に居た頃からの付き合いだが、・・・え?軍抜け出して付いてきたのは、そういう事なのか!?
つーか、息子ならいけるかなーってなんだよっ?!
あと一つ、言えることは・・・。
「・・・お前なんで、そんな無駄なことだけ真面目なんだ。」
「え!だって大事なことっしょ。」
一体全体、本当にコイツの思考回路はどうなってんだ?と、クロウが探る様に眼を細める。
「どの辺がだ。」
「全部☆」
ルーヴィッヒは人好きのする顔でへらりと、微笑む。
「・・・。」
もはや、ツッコミの気力さえ湧かない。
「あ!船長が考えてる事、勘違いだから!俺そっちのケ(・)はナイから~☆」
「そりゃよかった。・・・しかし、俺は同じ歳の養子なんぞ御免こうむる。よって、息子の件も却下。」
「えーケチ~」
ゴンッ・・・!!
「イタ―!!!」
その日、一番に航海士の頭に副船長の、拳が降ろされた。
早朝、ジェーダイト国、王宮ジェッドリア。
少し肌寒い風が吹き抜ける。王宮の広い庭と隣接している廊下を、薄い色素の金髪をなびかせながら、国王親衛隊隊長エリオット・ユーインは勤務の為、王の補佐にして王室魔術師のリーンハルト・アーベントロートのもとへ歩いていた。
この国王親衛隊隊長エリオット・ユーインは、ファミリーネームで察するであろうが、海賊ブラックパールの副船長クロウの実の弟である。性格はいたって真面目で、兄とは違い社交性にも溢れ、人付き合いも多い、色素の薄い金髪に菫色の瞳と言う、まったくもって長男とは違う毛色の弟は、傍から見れば養子と間違えられがちだが、彼は専ら母親似で、血の繋がった兄弟だ。似ているのは顔つきが少しだけ似ているが、弟の方が表情豊かなので、あまり周りには意識されてないようだった。
そんな彼が、書類を持って、王室魔術師リーンハルト・アーベントロート。通称・豪傑の魔術師リーストの私室を訪ねる為、象牙でできた広い廊下を歩いていると、前方から海軍大佐のアーネストが、何やら疲れた顔でこちらに向かって来た。
思わずエリオットは無視もできず、アーネストに声をかける。
「あれ?おはようございます。アーネストさん」
エリオットの声に気が付いて、ふと顔を上げてアーネストが、エリオットの方へ駆けよる。
「おぉ、おはよう、エリオット・・・」
ま近かで見たアーネストの顔にはくっきり隈が出来ており、顔色も悪くゲッソリしていた。
茶色の癖のある髪も、所どころボサボサだった。
「どうかしたんですか、お顔が青いですけど・・・」
「あぁ・・・ちょっと、海で国賊共とやりあってな。」
蒼い吐息まじりに言われて、エリオットはまた胃の痛む思いをする。
言葉を濁して、国賊と言われればエリオットにも察しがついた。ここ三年間ぐらい、エリオットの心配と、アーネストに申し訳ない想いの原因。父親に気性も容姿も、全て受け継いだ兄のクロウの事だ。
エリオットは兄がまた大方、海軍の戦艦を沈ませたのだろうと、深い、深いため息を出して、アーネストに兄に変わり謝罪する。
「・・・申し訳ない、私の兄が・・・また、大佐に迷惑かけて掛けてしまって」
「いや、いいのだ。そなたが謝る事ではない。」
アーネストもそこで、はっと気が付いて、慌てて首を振って否定する。
アーネストは、年下のエリオットとは何かと話が合い、同期のクロウより、仲も良好であった。話し上手で、きっちりした弟エリオットの華やかさや、きめ細やかな、気ずかいに惹かれて、何度もお茶や、夕食を共にした事がある間柄だった。
「しかし・・・。」
エリオットも、この年上のアーネストに対しては、家柄や地位を超えて、人柄に惹かれて仲良くなった。アーネストは礼儀を重んじ、忠誠心も厚く、部下の失敗も、さり気なくフォローするなど、部下想い良い上司である。そして国の事を、一番に思っている人物だった。それ故に、自分が一番大事、唯我独尊の長男のクロウとの衝突は絶えないのだが。
「それでは、またお茶でもご一緒しようエリオット、私は報告書を仕上げねばならんのでな。」
アーネストは穏やかに微笑んで、そう言うと、ヨロヨロとエリオットが来た道を、行ってしまった。
「はぁ・・・お体お大事に・・・。」
エリオットは、本当に大丈夫だろうかと、心で案じながら、アーネストを見送る事にした。
アーネストの背中を見ていると、哀愁が何処となく漂い。春だと言うのに、北風が吹きそうな悲壮感が表れて見える。エリオットは、その背中を見つめ、はぁーっと溜息を吐いた。
胃の腑に、どっと鉛を流し込んだ気分になる。
兄の家を出た事情を知る、エリオットは心配と、周囲の者達への申し訳なさで、板挟みに合い頭痛が絶えなかった。
「兄上、今度は何を仕出かしたんですか」
ピピイ・・小鳥のさえずりが響く廊下。
一人、そう呟いてエリオットは、魔術師リーストのもとに急いだ。
しかし、エリオットの呟きの問いは、魔術師リーストの私室に着くと、あっさり答えを突き付けられる事になった。
「あんの、アホ息子共があぁ―――――――――――――――――――!!!」
エリオットがノックをする前に、魔術師リーストの扉が開き、とんでもない怒号と共に、初老の部屋の主が息を切らして飛び出してきた。
手には手紙が握られており、その手も怒りに震えている。
「尊師・・・おはようございます。ど、どうされました?!」
エリオットが、狼狽して尋ねる。
すると、はたと気が付いて我に返り、魔術師リーストはエリオットに向き直った。王の補佐にして王室魔術師のリーンハルト・アーベントロート、またの名を豪傑の魔術師は、ジェーダイト、ガンダルシア、マライトの三国の術者の中で一番と言われるほどの、強力な力を持った魔術師である。
薄金の長い髪を、後ろに編み込んで束ねる髪が揺れ、濃い紫の瞳を瞬かせる。
「ああエリオット君か、朝から取り乱して、すまないね。ちょっと、あのアホ息子共がね、海軍戦艦ガルーダを木端微塵に海の藻屑へしてしまってね・・・ははは・・・。」
そう告げる穏やかに、乾いた笑いが廊下に響いた。
この初老の魔術師が言うアホ息子達は、クロウと、仮面の楽士と名乗るペルソナの事だ。
兄のクロウとペルソナは幼い頃から、この三国一と謳われる魔術師に術の指導を受け、師弟関係にあった。仮面を被った兄の幼馴染ペルソナは、山で死にそうになっていた所を、兄クロウが見つけ、この魔術師リーストが自ら養子にしているので、親子関係でもあるのだ。
「え!?なんですとぉ!!尊師それ本当ですかっ?!!」
エリオットはその魔術師リーストの言葉に、心底驚いた。
「本当です・・・」
鎮痛な面持ちで、額に手を添えて魔術師リーストが応えた。
「あの戦艦にはたしか・・・」
「えぇ、言わなくても解っていますが、国税で何万金貨も注いだ戦艦ですよ。あぁ、胃が痛い。」
青ざめてエリオットが、話を切り出すと、同じく不健康な顔をして、豪傑の魔術師は頷く。
先日、クロウが、と言うか実際はセシルが術で沈没させた戦艦ガルーダは、このジェーダイト国が大量の国税を注いで、改良を重ねて完成させた戦艦だったのだ。
「あ、兄上。本当にアンタ、何してくれてんだっ!!もうっ」
先ほどの、アーネストの気の落ちみようの原因が解り、さらにエリオットの胃は重くなった。ただ船の上で喧嘩し合うならまだしも、戦艦を木端微塵に沈めるとは・・・。兄の破天荒ぶりを、今更だが少し恨んだ。
「私はこれから、陛下に報告に行くから・・・君は書類をそこに置いておいてくれないか・・・。」
豪傑の魔術師はその二つ名に似つかわしくない程、やつれた様子でフラフラと、王の私室へ歩いて行った。
「はい・・・。後から私も行きます。」
「悪いねぇ・・・では、頼みましたよ。エリオット君」
エリオットも、鎮痛な面持ちで、魔術師リーストを見送って、廊下の壁に背を預けた。
空の青さが目に染みる、エリオット・ユーインのそんな朝の出来事だった。
エリオットが朝の公務を最速で終わらせて、魔術師リーストとの約束を果たすべく、身なりを整え、国王の執務室にノックをする。
しかし、当の国王であるヨーゼフ・ウル・ジェーダイト四世からの返事はなく。
「いい加減にしてください!!陛下!」
・・・・・・代わりに、悲痛な魔術師の叫び声が、執務室から上がっていた。
「嫌じゃい!嫌じゃい!儂もクロウみたいに冒険するじゃぁー!はぁーなぁーせぇー!!」
幼い子供が駄々をこねる様なこと言って、騒いでいるのその声は、皺がれている中年男性の声だった。それはエリオットもよく知った声で、慌てて王の執務室へ押し入った。
「失礼します、陛下って、何してるんですかっ?!」
重厚な扉を押して入ると、そこには白髪交じりのがっしりした体躯の国王。ヨーゼフ・ウル・ジェーダイト四世が、大きな窓に手をかけ、片足を窓辺に掛け、今にも窓から公務をほったらかし脱走を図ろうとしている。その国王の腰に手を廻して、必死に脱走を阻止するべく踏ん張っている、豪傑の魔術師の姿があった。
「やほ!エリオット!助けてくれぃ」
穏やかな挨拶も、そこそこに、国王はエリオットに笑みを向ける。
「おぉ、エリオット良い所に!!陛下をっ、陛下を止めてくださいっ」
お互いがお互い、踏ん張って動けないでいる状態に、天の助けとばかりに、二人が同時にエリオットを呼ぶ。
エリオット・ユーインは、額を抑えて眩暈と戦う。
ああ、創造神エルハラーン様・・・どうか私に、御力を与えたもう。
創造神に祈りを、心の奥で唱えたエリオットは、スッと姿勢を正して、二人を澄んだ瞳で見つめる。その眼光の鋭さは、かの父と兄にもよく似ていた。
「尊師!・・・・・・・加勢します。」
ぴしゃりと言い放って、エリオットが、魔術師リーストの加勢に加わる。
「う、裏切り者~~~~~~~!!」
国王の執務室から、情けないヨーゼフ・ウル・ジェーダイト四世の声が、廊下まで響き渡った。だが、いつもの事なので、使用人も、他の親衛隊も、そ知らぬふりで仕事に精を出していた。
「まったく!一国の主たる王が、何してるんですかっ!!」
「その通りです、陛下。あの歩く迷惑な兄と、国の恥を晒す気ですかっ!!」
普段物静かで、穏やかな二人が、怒涛の如く仕えている国王に、説教をしていた。
「恥じゃないもん。夢と冒険のロマンだもん・・・。」
お説教を年上と年下二人にされている、国王陛下は、絨毯が敷かれた上で、小さくなって正座する。さながら、母親に叱られているいたずら少年だ。実際は、四十半ばの一人娘を持つ中年親父だが。
「何が、夢と冒険のロマンですかっ!この度の騒動で、国税200万金貨も、水泡に消えたのですよ!!」
青筋を米神に立てて、豪傑の魔術師は腰に手を当て、静かに怒る。
「いい歳して冒険って陛下、うちの父上と若い頃、散々冒険したでしょう!これ以上、国の恥を晒さないでください!」
同じく口角をヒクつかせて、怒りを抑えつつ冷静に言い放つエリオット。
ジェーダイト国、国王ヨーゼフ・ウル・ジェーダイト四世は、エリオットの父と幼馴染で、海軍訓練生同期でもあり。よく二人して各国を巡る冒険し、破天荒な事をして青春を謳歌していた。いつまでも、子供心を忘れない国王を、慕う者は多いが、公務をほったらかして、城下の町へ遊びに行ってしまうので、実質補佐官である魔術師リーストは、仕事に追われる毎日だった。
「二人とも、酷い。儂これでも国王なのに・・・。」
ぐすん、と嘘泣きをして、反省をしている様に見せかける国王に、
『国王だから言ってるんです!』
二人は逸早く、見抜き声を同じくして抗議する。
息ぴったりな二人に、良く通る低い声が、苦笑いと共に落ちた。
「まあ、まあ、尊師リースト、エリオット、陛下をあまり怒ってやるな。」
背後から聞こえた良く知る声に、二人の金髪は振り向く。
そこには扉越しに背を預けて、クロウと同じ容姿、だがその瞳は菫色で、黒い真直ぐな髪を肩の後ろで束ねた、細身の中年男性が立っていた。
「父上!」
「コンラッド!」
エリオットと魔術師リーストが、思わぬ人物の登場に、声を上げてしまう。
片手を挙げて、にこやかに微笑むコンラッド・ユーイン。
エリオットと豪傑の魔術師にとって、国王に続く一番厄介な人物だった。
もれなく二人に、頭痛や眩暈が、同時にやってきて額を抑える。
「我が朋友コンラッドォ~!二人が儂を、いじめるんじゃぁ~」
絨毯の上で泣きじゃくる(嘘泣き)、ヨーゼフ陛下が腕を差し出して、コンラッドを迎える。
「ははは!陛下。いじめも愛の証しさっ!」
その出迎えを受けて、実に爽やかに親指を立てて、微笑むコンラッド。彼はどんな状況でも前向きで、嫌味さえ通じない事もある。嫌味と理解していても、前向きにとらえ、自分の調子に巻き込むのが、コンラッドの性質だ。そんな彼の性質は、兄のクロウにしっかり受け継がれていた。実に嫌な所を、受け継いだ兄である。
「エリオット君、私は胃が痛いよ・・・。」
遠い眼をして、初老の魔術師が腹を押さえて、金髪の青年に同意を求める。
「同感です。尊師・・・。」
同じく遠い眼をして、自分の父を見つめ、溜息を吐いたエリオットであった。
悪ガキ二人組がそろって、友情の抱擁をひとしきりし合った後。
そうだと、コンラッド・ユーインは本来の目的を思い出して、三人に向き直った。
「それより、尊師リースト。うちの愚息の致した、今回の一件なのだが・・・。先ほど、愚息から手紙で、金貨250万金を仕送ると届いてね。あと、尊師リースト。貴男の専門分野と思われる内容もいくつかあるのだが・・・お聞き頂けるか。」
顎を擦って、ニヤリと悪い笑みを向ける。
勘当して家を飛び出した、長男からの手紙には、戦艦ガルーダ沈没の件が事細かに記されていた。そして修理費として、金貨250万の送金の契約書が入っていた。
「ぁ、兄上・・・どこからそんな大金を」
それをエリオットと、魔術師リーストに見せる。国王は椅子に座って、ニヤリと微笑む。
「私に・・・?」
クロウからの手紙を渡されて、リーストは濃い紫の瞳を細めて読む。
「えぇ、なんでも戦艦を沈めたのは、うちの愚息ではなく、あるガンダルシア出身の、成人したばかりの青年だそうですよ。彼は詠唱破棄で、強固な守護盾や巨大な雷電撃を呼び、大砲なんぞでは沈まない戦艦を、見事葬った。と愚息の手紙の内容と朝の軍事会議でアーネスト大佐が、蒼い顔をして報告するのを聞いて、私が此方に赴いた次第です。」
魔術師リーストが神経質そうに、読んでいる横でコンラッドは実に面白そうに、説明を加えていく。それを読みながら聞いていたリーストも、瞳を見開いて顔を上げる。
「それは・・・すごい。私でもその歳では、そこまで自然を操れなかった・・。」
掠れる声で、どんな青年だろう会ってみたいと呟く、魔術師リーストの横で、
「ほほっ!さっすが!クロウじゃ~い♪あ奴の周りにゃ、面白い者が集まるな!」
それを聞いて、嬉しそうに手を叩いて、はしゃぐヨーゼフ国王。まるで自分の事のように、喜んでいる。
「いやはや。私の若い頃を思い出しますな~」
コンラッドも顎をさすって、ヨーゼフ国王の肩を叩く。いつの間にか、二人は立ち上がって、肩を並べて笑い合っていた。若い頃、訓練をさぼり、町のごろつき共を相手に、喧嘩していた時のようだった。
「そうじゃな!コンラッド!!」
蒼い眼を輝かせてヨーゼフ国王が、コンラッドを見上げる。
「ですな!ヨーゼフ!!」
同じく、菫色の瞳を輝かせて国王親衛隊大将が、国の主を見下ろす。
お互い肩を抱き、コンラッドが良く通る声で、窓の外の太陽を指さす。
「あの青春の若き日々!」
「おうとも!朋友!」
それに、手を上げて太陽を仰ぐ、ヨーゼフ国王。
二人の悪ガキ中年親父組は、手に手を取り合って、執務室の大きな窓へ闊歩していく。
堂々と、高貴に、なんの悪びれることなく。
二人の中年親父は、窓を開け放つ。外には自由に蒼い小鳥が、飛び回っていた。
そして―――――――――――――――――――――――。
『いざ行かん!夢と冒険とロマンへ!!』
悪友中年親父が同時にそう叫んで、窓から外へ脚をかけて、俊足の速さで脱走を図る。
「させるかぁあ―――――――――――――――――――――!!!!!」
「断固阻止します!父上――――――――――――――――――!!!!」
魔術師リーストと、国王親衛隊隊長エリオットが同時に吠えた。
ガシィッツ!!
そうはさせるか、と百分の一の確率の神業で、生真面目苦労性金髪二人組が、中年親父組の胴に腕を廻して、脱走を断固阻止した。
魔術師リーストはヨーゼフ陛下を。
親衛隊隊長エリオットは、親衛隊大将コンラッドを。
「エリオットォー父に逆らう気か!!」
「嫌じゃい!嫌じゃい!リーストのケチ!!」
「誰がケチですか!!いい加減にしてください!」
「逆らうも何も!父上が悪いんでしょぉーがぁっ!!」
四人の罵詈雑言が飛び交う、扉が開け放たれた王の執務室。
時刻はもう昼。
国王の昼食を運んできた侍女が、奮闘する四人組を唖然と見つめるしかなかった。
そこに通りがかった、アーネスト大佐が律儀に、四人に割って入り、みっちり四人は永い、永い、説教を受けた。実にお粗末さまである。
一方、同時刻、海上に浮かぶ黒い船の城。
ブラックパール号では、セシルは悩んでいた。
あの戦艦を沈ませた事件から、一週間経って、セシルが海賊の船から、逃げ出せる術はなく。戦艦を沈ませた罪悪感と、このまま本当に仲間入りを、させられそうになっている自分に少し嫌気がさしていた。あの恐い副船長から許可は下りなくとも、町に船が停泊する際、何とか眼をくらませて逃げる算段を考えねば・・・じゃないと、一生病気の母と会えない事になるかもしれない。
別にここの海賊団の人々が、海賊と言う割には残虐非道、人間味がない訳ではないし、むしろその逆で、実に懐の広い、人情に厚い、温かな人々だった。嫌っている訳じゃない、むしろ皆の人柄は好きな方だ。
ただ・・・自分一人の身なら、そのまま海賊にでもなっただろうけど、自分には病気の母親と妹も居る。何かあったら・・・そう思うと、海賊なんていつ死ぬか分からない職業、着くわけにいかないのだ。
今日は、マライト国の港町アルバの港に、昼ごろ停泊すると、水夫長のバルナバスが言っていた。マライト国ならガンダルシアに帰るまで、路銀もないし町で煙突掃除などして、路銀を稼ぐしかないだろう。そうするには、何とかして海賊の皆から姿をくらませて、逃げなくては・・・。はぁ、どうしてこうも自分は運が無いのだろう
セシルは食堂で、朝から何度目か、わからぬ溜息を吐いた。
そして広げていた、分厚い航海日誌と睨んでいた。
深翠石月 十七日 晴れ
初めて航海日誌を書きます。セシルです。
今日は、早朝から航海長ルーヴィッヒさんの悲鳴が響いて、飛び起きました。
リオン君が扉に鍵を掛けて、ルーヴィッヒさんが助ける声を無視して、二度寝しました。
扉開けてはダメだと言われて、心配になって扉越しに様子を窺うだけにしたんですけど・・・
何故かはわからないけど、今度は凄まじい殺気と悪寒が扉越しに伝わって、
思わずベッドに逃げ込んでしまいました。
その時、ルーヴィッヒさんの断末魔が・・・。
すいません、ルーヴィッヒさん。でも、何があったんですか・・・後で見たらマストの見張り台に、吊るされてましたけど・・・・?
後、副船長さん、ルシュカさんに、無茶な修行させないでください。
セシル
ブラックパール号航海日誌
羽ペンを拭って、航海日誌を閉じた。
これは先日の昼、副船長のクロウから、食堂のカウンターの隅に、航海日誌は置かれているから、自由に書くようにと説明に受けた物だった。
「羽ペンとインクは、カウンターの隅に一緒に置いてる。今日の出来事を何でもいい。ここに記しておくように。」
臙脂の分厚い皮の航海日誌を手渡されて、セシルは首を傾げる。
「え?でも普通、航海日誌って船の船長が一人で書き記すもので・・・、僕が書いてもいいんですか。」
商船に何度も乗っていたセシルは、一度だけ年老いた船長に航海日誌を書けるのは、船の主だけだと、聞いたことがあったので、疑問に思っていた。セシルの、言わんとしている事が分かったのか、クロウは淡々と説明をする。
「問題ない。ここではじいさんから、水夫見習いの下っ端の者まで、皆が書くようにしている。開けて、読んでみると良い。」
手渡された、航海日誌の表紙をトントン・・・とクロウに指で叩かれ、セシルは航海日誌を開いた。そこには日付けと起こった事の報告、誰が書いたが記されていたのだが。
連絡のと取り合いや、独特の文体、落書き、絵を描いて表現されているものもあり、何と言うか・・・これは。
「・・・すごいですね。日誌って言うより交換日記みたいで。」
死んだ魚の様な眼で、航海日誌を見つめるセシル。
海の男が書く航海日誌が、所帯じみた交換日記という、ロマンもない現実に崩れ去り塵になる。悪名名高い海賊の航海日誌が、交換日記だと世間が知れば、悪名も可愛く思える。
「・・・爺さんが、家族の営みを感じたいと言っていたからな。後、文字が書けない奴の練習にもなるし。便利な交換にっ・・・航海日誌だ。」
実に面倒くさそうに、頭を掻きながら、クロウは説明と言う名の、言い訳を述べる。
最後の方は、セシルから目線だけを反らし、食堂のカウンターに注がれていた。
「ふーん、そうですか・・・。それより副船長さん」
「なんだ。」
厨房の方から、カチャカチャと食器の音や、おいしそうな匂いが漂う中。
セシルと副船長に緊張が走っていた。
恐る恐る黒曜の瞳を見つめて、セシルは静かに言う。
「今、交換日記って言いませんでした」
たっぷり沈黙・・・両者一歩も動かない。
「・・・・・さて。モーリス。Aランチ二つ。」
クルリとセシルから背を向けて、クロウはそ知らぬ顔で、カウンターに今日のランチのAランチ。魚のムニエル定食を自分とセシルの分、二つ頼んだ。
この人絶対航海日誌のこと、本当は交換日記だと思ってるよ!!というか、さらっと面倒だからって、僕の質問流された!!セシルは言いたい事を飲み込んで、その場に立ち尽くす。この副船長の調子は、はっきり言ってセシルは苦手だった。副船長が、砂糖をこれは塩だと言えば、塩だと言わざる得ないぐらい。クロウという御人は、逆らえない何かがあった。
結局セシルはその日の昼食を、副船長の無言の威圧感に押されて、共にする事になった。
他の船員が見守る中、セシルとクロウは、両者一言も発せず黙々と食事をとった。
その光景は、他の船員達から見れば、ある意味異様であったと言われている。
セシルは小刻みに震えながら、青い顔で食事をとり。向いに相対する我らが副船長は、気持ち悪いぐらいに、上機嫌で見た事も無い、優しい眼でセシルを見つめて食事している。
その場に居た二人を除く全員が、全員、食事をとりながら叫んだ。
『船長!・・・気持ち悪い。』
海賊ブラックパール団の一致団結とも言える、心の意見だった。
悪寒と戦いながら、食事をしていた者達は、セシルにある意味、同情して見つめていた。
そんな事は露知らず、セシルはその日は、なんとか副船長の恐怖をやり過ごし、一日を生き抜いた。
セシルはその日の食事。地獄の耐久時間を思い出して、閉じた航海日誌を、溜息を吐きながらカウンターに戻した。
すると通路から、セシル~と、自分を呼ぶ声がして、セシルは慌ててその場を後にした。
深翠石月 十七日 晴れ
マライト国の港町アルバで、今日は買い物する事になりました。
僕は、モーリスお姉さんとお買いもの!
セシルと一緒に買い物したかったけど、おじちゃんが、今日はダメなんだって・・・。
つまんない。
ルシュカ兄が、あぁいうのは、あとから尾行するのが一番なんだって言ってた。
ルシュカ兄とルーヴィッヒ兄が、何か相談しているようでした。
僕には分からないけど・・・みんなズルい・・・・。
あとでモーリスお姉さんに、僕も仲間に入れてってお願いしようかな。
雑用係り リオン
ブラックパール号航海日誌
マライト国・港町アルバ
青い空、雲一つない空。
橙色のレンガの屋根が印象的な、小さな建物がずらりと並び、町の背には大きな山脈がそびえる。町は極めて穏やかであるが、大通りに出れば、そこそこ賑わっている。エルラドの西地方の民族特有の、金髪に青い瞳の地元の人々が、旅人を目当てにそれぞれ店を出し、迎えている。そんな、人々が行きかう大通り。
「こっちだ。お前の術に、必要なモノを取りそろえるぞ。」
「・・・・・・はい。」
人々が行きかう大通り、そう人が多くて、雑多な場所。それが大通り。
人の集中力も散漫になり、隙も生じやすい場所・・・それが大通り。
しかし、セシルは未だ副船長クロウから、姿を眩ませないでいた・・・。船が港に停泊し、海賊団は各々散らばって、久方ぶりの陸地を楽しんでいた。ある者は、アルバの町、名産の山菜料理を食べに。ある者は食料や、日用品、飲み水の確保。また、ある者は、女性がいない船での飢えで、娼館に走る者もいた。そして、セシルはと言うと、副船長クロウ直々のお呼び出しにより、二人っきりでの個人的(地獄)な(の)買い物中(耐久時間)だった・・・。
「副船長さん、あの・・・荷物それ全部。僕の服とか買っていただいたものだし、自分で持ちます。だから、えぇっと全部持っていただかなくとも」
フードの付いた緑の羽織に、白い寄れたシャツを、春風になびかせる幸薄青年。
セシルは非常に、しどろもどろに言葉を紡ぐ。
道行く人々の、視線が非常に痛い。
「重くはないし。大丈夫だ。」
人々の視線を物ともせず、自分は関係ないと、堂々と歩く。
黒い春用ロングコートを身に纏って、人目を引きながら、淡々と言う暗黒青年。
紙袋に包まれた荷物を片手で持ち、クロウはセシルの歩調に合わせて、術道具屋を目指し歩いていた。
隙あらば逃げだし、祖国へ帰る。というセシルの算段は、悉くクロウには通用しなかった。
露店にある商品を二人で観ていれば、クロウは店の主に声をかけられ、説明を聞いて商品に集中していた。チャンスだと思い、セシルは気配を押し殺し、その場から離れ、人混みに紛れようとすると、決まって腕を掴まれ、『迷子になる。』と、クロウの傍に寄せられる。
いっそ迷子にさせて欲しい。と内心セシルは叫んだが、クロウが恐いので必死に悲鳴を胃の腑に押し込めた。
そんな事を、先ほど被服屋を出るまで、計五回繰り返し、道行く人々の注目を集めていた。
「船長ってやっぱり、目立つよなぁ~ルシュカ」
「そうだなー。俺さ昔に本で、海水をどかせて道を作って、奴隷を助けた賢者の話読んだことあるけど、ちょうどあんな感じなんだなーって今思った。」
副船長とセシルを、こっそり尾行していた、お調子者ルーヴィッヒ、尻尾髪のルシュカ、二人組が、遠く離れた大通りで、実にのんびり感想を漏らしていた。
二人の言葉から、察せられるだろうが、大通りの旅人や商人がごった返す人の海は、クロウとセシルを中心に、引潮の如く引いていた。道行く人々が、クロウの姿を認識した途端、ザザッと道を開ける。昔の偉い賢者もびっくりするであろう、なんせこっちは人の海が、道を開けるのである。
「まぁ、船長自身の雰囲気もあるんだろうけど・・・」
ぽつりとルシュカが、悠々と闊歩する、黒と灰色の二人を観て、苦笑いしながら言った。
北と西の海を制する海賊ブラックパールは、マライト国、ジェーダイト国、ガンダルシア国の三国では有名だ。そして、その船長のクロウ(本当は副船長だが)は、もっと有名だった。
なんせ、最強最悪と謳われる海賊共の頭である。船長クロウは、同じ海賊も海軍も商船も容赦なく襲い。恨まれることも多く、何かと喧嘩を吹っかけられるが、それさえも一網打尽に容赦なく潰してきた、冷酷無慈悲な人物と名を連ねていたからだ。(実はとんでもなく、家事スキルがある船長、と言う仲間の認識はともかく)
それに加えて、容姿も珍しい漆黒の髪と瞳に白い肌。金髪、銀髪が多い西の地方では、この容姿が人目を惹く要因にもなっていた。眼光も鋭く、無表情、無愛想、そして、葬儀を連想させる黒衣の出で立ち。そこに冷酷無慈悲だという噂が付けば、人々にとってクロウは、死を司る魔物そのものだった。分かりやすくと言うと、恐怖の対象そのものだ。
しかし今日は少し、恐怖に道を開ける町の人間も、勝手が違うらしい。
咄嗟にクロウの恐怖心から道を開けるものの、その隣の存在が気になる様子だった。
いつものお気楽二人組は、町の人々を観察しながら、副船長と色素の薄い術者の事を話していた。
「やっぱ、セシルって恐い存在に好かれるんだなぁ~、船長が自分から誰か誘って、買い物って、リオン以外無かったのにな~あははっ☆」
「そーだよな。セシルも可哀想に・・・。逃げようとしてるみたいだけど・・・船長に完全に見抜かれて、囲われてるよ。気の毒」
二人が露店に出されている、ガラス細工を観ている様子を、気配を殺して、二人は眺め、それぞれ感想を漏らす。何やら凝ったガラス瓶を、店の店主はクロウに、若干引き攣りながら説明している。クロウが説明に聞き入っている間、セシルがそーっと距離を開け、店から踵を返そうとしていた。
「んー、まぁ、いいじゃね?船長珍しく嬉しそうだし♪機嫌がいいと平和じゃん!俺ら!!」
人好きがする笑みを向けて、ルーヴィッヒは頭の後ろで腕を組んで、口笛を吹いた。
その場を立ち去ろうとしている、セシルは手首を掴まれて、またもや、クロウの傍に引き寄せられていた。
「それはそうだけどよー。あ、これで六回目。」
「あ!ホントだな☆」
二人が一体どこに向かっているのかは、知らないが、副船長の後をつけて、計六回目になるセシル逃亡失敗を眺めていた。
当然、そのクロウの行動を観ていたのは、金髪と尻尾髪二人組だけではあらず、道行くアルバの町の人々も、物珍しくクロウとセシルを見ていた。
何故ならば、冷酷無比と畏れられるクロウが、他人に気を遣い、あまつさえ、自分から隣に居る人物の荷物を持つ始末。そんな恐怖の対象、クロウ船長の隣に居る、色素の薄い少年とも少女とも見える子供に、皆が皆、興味を持って盗み見ていた。いったい、この貧相な子供はクロウ船長の何なのだろうか。隠し子、奴隷商への商品、小姓・・・?人々の邪推も混じった憶測が、大通りを飛び交っていた。
そんな町の人々の噂もとい憶測を、当の本人たちは露知らず、所どころ寄り道しながら、術道具屋を目指し歩く。
「ここを曲がった。通りにある。」
淡々と言って、指をさし、大きな宿屋を横切る。
「は、はぁ・・・。」
意志消沈するセシルは、隙がないクロウに、もう、どうにでもなれ!と流されそうになっていた。雑多な大通りの大きな宿屋の角を横切って、細い入り組んだ路地に入る。
薄暗い道を少し歩くと、古びた苔の茂るレンガ造りに、木板扉の前に大きな壺が、無作法に陳列されている、いかにも怪しげな術道具屋の前に着いた。
「店主。いるか・・・」
クロウは古びた木板の扉を押して中に入る。
薄暗い、あらゆる壺が並ぶ店内の奥にツカツカとクロウは入る。それに続くセシルは、奥を見つめると、店の奥のテーブルを挟んで、白髪交じりの神経質そうな、眼鏡をかけた老人が立っていた。
「おや?珍しいお客さんが来たもんだねぇ。水晶の魔女はお元気かね」
店の主は、読んでいたらしい本をパタンと閉じて、本棚に戻し、眼鏡を押しクロウを見つめる。
「さぁな。俺もココしばらく会ってねぇーからな。」
「へへっ!極道ババアに極道息子!相変わらずだね、クロウ。」
慇懃無礼なクロウの物言いに、臆することなく、店の主の老人は愉快そうに笑って、客を迎えた。眉間に皺を寄せて、クロウは自分の後ろの存在、セシルを肩に手を置いて誘導させ、店の主の前に出し、用件を述べた。
「ウルセーヨ。嫌味ジジイ。それより、今日はコイツの術道具一式揃えたい。まだ、属性の相性も、何もかも分からねェから、その眼で視て欲しい。」
「こ、こんにちは・・・。」
クロウに両肩に手を置かれて、非常に脅えるセシルは、なんとか悲鳴を踏み留めて、店の主に挨拶をする。老人は物珍しそうに、眼鏡を上げるとセシルの目線まで、背をかがめ、
「おや・・・。珍しい、ガンダルシアの者だね。私は魔術道具を取り扱う、『星屑の壺』店主、ローグルだ。よろしく。」
そう言って握手を求める。セシルは右手を出して、握手に応えた。
「よろしく、お願いします・・・セシルです。」
セシルは何故自分が、ガンダルシア生まれなのを知っているのか、この店の店主、ローグルを不思議に思った。しかし、町の人々の民族を思えば、その答えはあっさり出た。
ガンダルシアでは銀や灰色の髪の民族が大陸では有名であったのだ。
「ふむ、ではこちらに座って、落ち着いて何もしなくともいい。ただ目の前にある物を、なんとなしに観ているだけでもいいからの。」
クロウの要件を聞いて、顎を擦ったローグルは、さっそくセシルを、奥の部屋に連れて入る。埃っぽい窓も開けられていない部屋には、円机と椅子だけしかなかった。
「は、はい・・・。」
セシルは、ローグルに椅子に座るよう促され、おとなしく座り、茶色の埃っぽい床板を見つめていた。いったい自分は何をされるのだろうか・・・と、セシルが思っていると。ローグルはまじまじと、顎を擦って、セシルを見つめているだけだった。
「うーむ、君は大変、難しい子じゃのう。」
四方八方から覗きこまれて、微妙な居心地のセシルなど、お構いなしにローグルは唸った。
「どうだ。嫌味ジジイ。」
扉に背を預けて、クロウが眉間に皺を押せて、ローグルに問いかける。
ローグルは非常に難しい顔をして、その問いに唸りつつ応える。
「んーむ・・・この世界の全ての属性が、この子の中に宿っておるよ。こんな者は、儂でも初めてさ。いったい何処で、こんな古代人見つけて来たんだい。」
眼鏡の奥の青い瞳がキラリと光らせ、クロウを振り還る。
『星屑の壺』店主、ローグルは、術者の相性を見極める術者でもあり、二つ名を『緑眼鏡の隠者』と、魔術師達の界隈ではそう呼ばれている。この店主の瞳には、どんな術者の魂の属性、術の相性に応えて、道具を揃えるベテランであり、クロウもペルソナも幼い頃に、尊師リーストに連れてこられて、すっかり馴染客になっていた。
「海の上で。」
ローグルの言葉を、不思議に思いながら聞いていた、セシルはクロウの言葉に、ガックリと項垂れる。もっと他に言いかたがあるだろう、間違ってはいないが、違う様な気がすると、セシルは遠い眼で意識を、少し飛ばしてそう思った。
「僕の術の相性って・・・どうなったんですか?」
気を取り直して、術の相性など全く知らないセシルは、ローグルに控えめに聞いてみる。
「術者の術を操る大まかな相性として、光、闇、水、火、木、地、風、雷。これがあるのじゃが・・・君にはそれ全部を操るチカラがあるという事じゃな。しかも、大まかな相性先の八つのチカラより複雑な、相性も中にはあっての。儂が視たところによると、それすらも君には操れるらしいの。この世界の属性全てが操れる、まさしく君は古代人と言ったところか。」
術を操る大まかな相性として、光、闇、水、火、木、地、風、雷。この八つの他には、重力や、鉱物、魔など色々な属性がある。古代エルラド大陸に住まう人々は、それを全て操る事が出来たと古い文献でも知られているが、現代では術を使える者など殆どいない。そのため、今では機械文明が主流になりつつある。そんな世の中で、術の相性が全て備わっている者は奇跡に近いだろう。古代人が現代に、生まれたようなものだった。
「え、それって普通じゃないって事?」
セシルがいまいち、理解していない様子で、首を傾げる。
ローグルは、眼の前に居る色素の薄いガンダルシアの術者を、面白そうに見詰めて、背後に居る黒衣の青年に声をかける。
「そうじゃな。珍しい事じゃな・・・クロウ。」
「なんだ。」
とんでもない可能性を、秘めている術者の道具を、一式揃えるのは、何年ぶりだろうか。沸々と職人魂が湧いて、ローグルは口角を上げる。
「この子に見合う道具一式、任せてくれんか。」
「いい。任せる。」
淡々と言い切ったクロウ。
ローグルの本気の声に、クロウはニヤリと笑って、セシルをローグルに任せた。
「術を操る者には、チカラを増幅させる杖が必要な時もある、君にはコレがよかろう。」
背中の曲がった老人、ローグルが店の二階から、何やら古びた長い箱を持ち出し、大量の壺が置かれた一階に降りてきた。円机の上に、どさりと長箱を置いて、セシル達の前で、嬉々として箱の中身を取り出す。
セシルは今から何が起こるのかと、内心緊張しながら、様子を見守っていた。
箱の中身のそれは細長い、セシルと背の高さが同じ位の、頭に丸い水晶が飾られた杖だった。
ローグルに手渡されて、セシルが杖を受け取ると、杖の感触が吸い付くようにピッタリと手になじんで、冷たくて気持ちがよかった。
「あ、これ、触った感じが気持ちいい」
セシルの感想に、満足そうに頷く、店主のローグルは次に、店先の壺の中から、小さな箱を二つ取り出す。どうやら、部屋に置かれている壺には、店主しか知らない道具が仕舞い込まれているようだった。
「後は・・・他の術者の干渉を防ぐ、ピアスと、指輪に、君にはこの石が似合うの。」
そう言いながら、ずいぶん眠っていたらしい、埃を被った紺色の箱を二つとも開けると、
藍色の濃淡の澄んだ、雫型の石の付いたピアスと、同じく藍色の濃淡がある、澄んだ丸い石を嵌め込んだ、銀の指輪を手渡された。
セシルは店主に進められるが儘に、指輪を中指に嵌めると、こちらもサイズはぴったりと合っていて、冷たいが妙に心地よかった。
「ピアスはすでにしておる様じゃから、また自分で着け替えるが良かろう。」
ローグルは指輪を嵌めたセシルに、埃を払って、紺色のピアスの入った箱を手渡す。
そして、店の奥で何やら商品を漁っていた、クロウに向き直る。
「さ、これでおしまいじゃ。クロウ出来たぞ。」
「ああ。嫌味ジジイ、あとこの魔術書と、石とこの短剣もつけてくれ。」
セシルもクロウの方へ視線を向けると、クロウは何やら両手いっぱいに、箱や短剣や本を持ち抱えていた。机にそれらの商品を置くと、ローグルはひひひ!と笑って、麻の袋に詰め込んで紐でくくり、クロウに手渡した。
「へいへい。すべて見繕って、1500銀貨だ。」
眼鏡越しに、悪そうな笑みを向けるローグルに、クロウは言われ通りの金額を、懐から財布を取り出し、躊躇なく支払った。セシルはその金額に、目が点になって途方に暮れる。
銀貨1500は、セシルが下働きをしていた給料、五ヶ月分だ・・・。
西の海を制する海賊の頭の懐は、どこまでデカいのだろうか。セシルは軽く眩暈がした。
「世話になったな。」
呆然とするセシルの腕を取って、クロウは店の扉に手をかけて、ローグルに別れを告げる。
「ふん、極道息子、生きてたらまた御贔屓にな。ひひひ!それから、そこの古代人の子も、またのぅ。」
実に愉快そうに、怪しい笑い声を上げて、ローグルはその場で二人を見送った。
「ありがとうございます・・・。」
「は!嫌味ジジイが生きてたら来てやるよ。」
ぺこりとお辞儀をし、杖を持って、嫌味には嫌味を返して、クロウとセシルは店を出て行った。
『星屑の壺』店主ローグルは、埃っぽい店の奥の窓から、二人の事を実に愉快そうに笑って見送った。
路地の陰から、こっそり二人の後を尾行していた、航海長と狙撃手のお調子者二人が、待ってました!とばかりに、クロウ達の後を追って小走りに駆け出した。
全くもって暇な二人である。
再び大通りに出たクロウがセシルに向って、眼の前の食事処を見ながら言った。
「少し何か食べるか。昼、食べてないだろう。」
「え、あ、はい・・・そうですね。」
それにセシルは、意志消沈気味に応えた。
逃げ出す機会もまったくなく、先ほど『星屑の壺』で術者として道具を、みんな取り揃えて貰い、幼い頃夢見た術者になれて嬉しいやら、申し訳ないやら。此処までしてもらって、逃走するのも、良心が疼くと言うか、なんというか・・・。
セシルは悩んでいた。大いに悩んでいた。とてもとても、悩んでいたのだ。
そうこうセシルが悩んでいる間に、クロウはセシルを連れて、料亭の中に入ってしまった。
昼過ぎという事もあって、他の客も少なく、奥のテーブルが空いていたので、クロウはそこに座る事にした。店にはこの町の伝統工芸品のガラス細工が、所どころ置かれて飾られてあり、実に雰囲気のいい店だった。セシルにとってマライト国は、初めてだったので、この異国の見事な薄い、玻璃のガラス細工が美しく瞳を惹いた。
店の客の視線を一身に浴びながら、二人は奥のテーブルで、向いどうしに座ってメニューを見ている。
「決まったか。」
店のメニューを広げていたセシルにクロウが、淡々と無表情に聞く。
「え、あー・・・はい。このオレンジ紅茶で。」
「食べなくてもいいのか。」
思いもよらない飲み物だけの、セシルの注文に、黒曜石の瞳が瞬いた。
「今、僕食欲がないです。それに奢ってばっかりだと悪いし・・・」
しどろもどろに、セシルがそう応える。
内心、セシルは逃亡し難いこの状況に、心底悩んで上の空だったので、食欲も出なかったのだ。そうとは思わずに、眼の前に座る、副船長は無表情に他のモノを進める。
「遠慮する事はない。俺がそうしたいから、そうしてるだけだ。」
「いや、でも・・・。」
セシルは困って、無難なブレッドを頼むことにし。それに満足した副船長は、給仕を呼んで、メニューを見ながら注文をしていた。
「どうよ、あれ。」
クロウの後をつけて、自分たちも店のカウンターの隅に陣取って座る。
見つからない様に、酒を飲みながら細々とルシュカが、航海士に声をかけた。
「なんか、セシルの方、顔色悪くね?」
軽い物言いの航海士も、普段の声のトーンを落として、クロウとセシルを見る。
完全にデガバメ状態の二人。何度も言うが、実に暇な二人であった。
「セシルは、一日に一回は船長の顔見て、青ざめてるよ」
茶色い酒を一口含んで、ルシュカがルーヴィッヒに応えると、ふと思う所があった。
「しかし、なんで船長はセシルがよかったんだろうかねェー・・・」
可愛い子、美人な子、副船長なら選び放題だろうに。しかも、女の子じゃなく、男ときたもんだよ・・・。尻尾髪の青年がそう付け加えると、
「バッカ☆そんなの決まってんじゃん!船長はセシルしかいないんだよ」
あっ軽く能天気な答えが返ってきた。しかも、実にいい笑顔、眩しいぐらいの笑みで航海士は酒を飲む。
「そんなもんかねェー・・・」
何が決まっているのか、よくわからないが・・・と、遠い眼をしながらルシュカは、セシルを見ていた。青ざめてパンを、モソモソ食べている。
「それに俺にも、可愛いハニーが居るし☆」
エヘ☆とにっこり微笑む航海士。
彼の言うハニーとは、ルーヴィッヒが一年ほど前から付き合い始めた、料理長モーリスの事だった。ルーヴィッヒには、実家の家柄との間で、許嫁の女性もいるし、料理長とも清い恋愛を楽しんでいる。ルシュカにとって、理解し難い、とんでもない恋愛観を持つ男だった。
「へぇへぇ・・・そうでした、おまえには、彼女も居るし彼氏もいたね。聞いた俺が悪ぅございました。」
半ば彼女も居ない自分に嫌気がさして、自暴自棄に隣の明るい航海士を見て、ルシュカはグラスを煽る。そんな、亜麻色の髪の青年の心境をまったくもって、気にせず金髪碧眼の航海士は、奥のテーブルにいるクロウ達を見ながら。
「なーんか、二人とも静かだよなー、あは☆嵐の前の静けさ見てェーだな!」
と呑気に構えていた。
しかし、この航海士の発言は、あながち間違いではなかった。
的を射た出来事が、二人に十分後、待ち構えていたからなのである。
一方、クロウとセシルの二人はと言うと。
注文したブレッドと、サラダを二人で食べ、紅茶を堪能して一息ついていた。
紅茶を優雅に飲みながら、クロウがセシルに静かに話しかけた。
「それより。嫌味ジジイから買った。ピアスここで、着けて見たらどうだ。」
何の脈絡も無く言われ、キョトンとして、首を傾げる。
すぐにピアスの事を思い出して、セシルも素直に頷いた。
「あ、そうですね。」
買い物袋から、紺色の箱を取り出して、クロウはセシルに着けてみるよう促した。
箱を開けると、そこには雫型の石の付いたピアスが、納まっていた。
こんな綺麗な物、自分には勿体ないなと、思いつつ、着けていた赤い丸石ピアスを外して、藍色の濃淡のあるピアスを着けようとした。
「・・・大丈夫か。」
クロウが見かねて、声をかける。
外すのは簡単なのだが、着けるときは鏡がないと、なかなかピアス穴に金具が通り難く、
着けれないでいた。
「ええっと、鏡がないからうまく着けられなくて、ちょっと待ってください・・・」
もう少しで、何とか着けられそうだと、悪戦苦闘するセシルに、クロウの手が伸びて、箱に置かれていたピアスを、片方持って立ち上がる。
「俺が着けてやる。」
そう無表情に告げられて、セシルは唖然とする。
セシルが、着けようとしていた耳とは反対の耳に、クロウが器用に手早くピアスを着ける。
「へ?!」
気が付いたセシルが、驚きの声を上げる中。一行も気にせずに、クロウはセシルが持っていたピアスも、取って手早く着ける。クロウの顔が近くに迫って、ピアスを着けて貰う、普通の女性なら、胸を高鳴らせるところだし、男性でも変な気を起しそうな端正な顔だが。しかし、世間一般を基準にしてはいけない、セシルはこの副船長には度々恐怖心を抱いているのである。恐怖で悲鳴を上げそうな程、セシルは心の中が恐怖感で一杯だった。
ここは外で、公共の場だ・・・踏ん張れ、恐怖心に負けるな、セシルはなんとか悲鳴を喉に押し込めた。
チャリ・・・と金具を止めて、両方のピアスを嵌め終える。
それを見て、クロウは満足そうに瞳を細めた。
「やっぱり、その色はお前に良く似合うな。」
そう言いながら、クロウはセシルの、黒灰色の髪を耳にかけて、雫型のピアスを覗き込む。
クロウの顔が迫って、恐怖心で顔を引き攣らせながら、セシルが礼を述べようとする。
「えーっと・・・ありがとうございまっ」
しどろもどろに、そう言い終わらない内に、セシルの耳たぶに、生暖かい感触が走った。
あ、わーわーわー!!噛まれた!噛まれたっ!!
突然の事に固まり、セシルの頭の中で噛まれたと、警報音が鳴り響く。
耳元に、喉の奥でクク・・・と笑うクロウの声。
その瞬間を一部始終見ていた二人も、思わず声を上げた。
「ん?!」
「おっ☆」
お調子者二人組は、カウンターから身を乗り出した。
給仕の店の者も、周りに居た他の客も、冷酷無慈悲な黒い船長と、色素の薄い少年の成り行きを盗み見ていたため、一瞬店内にどよめきが走った。
カチリと金具の音が耳元で鳴り、黒衣の副船長がセシルから離れた。
一瞬何が起こったかセシルは解らなかったが、耳たぶをクロウに甘噛みされたと認識し、キイィヤァ―――――――――と心の内で悲鳴を上げ続ける。
そして、セシルの恐怖心は限界を超えた・・・。
「うぎあああああああああ!!恐いおおおおおおおおうぅ―――――――――――っ!」
店内にセシルの、絶好調な恐怖の叫び声が響き渡った。
『えぇ――?!ときめくトコじゃないのかァ?!!』
予想外なセシルの反応に驚いて。
店に居た外野が一同、心を一つにして、あらん限りツッコんだ。
そんな一同のツッコミなんぞ聞いていない、絶賛混乱状態のセシルは、テーブルにあった、ナイフとフォークを素早く掴み、そして―――――――――――――――。
ザシュッ!ザッシュ!ドッツ!カカカッ・・・!!!
眼にも留まらぬ早業で、その場にあったナイフとフォークが、凶器と化しクロウに容赦なく投げつけられる。黒衣の副船長は涼しい顔で、それをひらりと避けた。
カカカッ・・・!!!
長い漆黒の髪が少し斬れて散る。
どこのナイフ投げの達人だと、ばかりにセシルは泣きながら、的確にクロウの首筋を狙って、ナイフとフォークを投げつけた。
ザッシュ!ドッツ!
しかし、それを寸での所で全て避けるクロウ。
避けたナイフとフォークは全て、壁に深く刺さって、落ちる様子も無い。
両者一歩も引けを取らない、鮮やかな戦いぶりだった。
素人の筈のセシルに、暗殺者の様な特技を見せつけられた、ルシュカと航海士は、改めて息をのんだ。
他の客とルーヴィッヒ達も、これには唖然して動けずにいる。
「うわぁ―――――――――――――――――――――ん!!!」
カッ・・・!!!
最後ナイフを音速の速さでクロウめがけて投げ、セシルは泣きながら、店を脱兎の如く走り去って出て行った。
滅茶苦茶になっている店内で、独り立ち尽くすクロウ。
残された黒衣の暗黒船長は、自分の頬に手を当てると、赤い血が着いていた。
寸での所で避けたが、ナイフが掠っていたらしい、白い頬に赤い線がスーっと付けられていた。
それを見ていた、航海士と狙撃手の二人は、体を引き攣らせた。
あの副船長に、傷を付けた?!あの副船長に?!!
とセシルのナイフ投げの技に、畏れいって冷汗を掻く二人だった。
そんな二人に、地の底を這う重低音の声が。
「おい。そこの頭が軽い金髪と尻尾髪。」
殺気と不機嫌の最高潮な波動を、身に放ちながら暗黒副船長が、ギロリと二人を見据える。
それには、他の定員も客もひぃっと竦み上がった。
「いっ!ばれてた☆!!」
「あはは~船長・・・ご機嫌麗しく・・・ないですね。ハイ。」
すぐさま、椅子から立ち上がり、姿勢を正す二人組。
「俺はセシルを追う。お前らは、ここ片せ。食事代は・・・お前ら持ちだ。」
怒気を含んだ声音。
その場で一切動かず、鋭い殺気の籠った瞳で二人に視線だけくれると、
副船長は、金髪航海士と尻尾髪狙撃手にそう言い放つ。
「ええ!船長~そりゃないっ・・・・ハイ、俺ら持ちです。」
ルーヴィッヒの反抗とも取れる発言に、クロウは帯刀していた、剣の柄に手を駆ける。
「綺麗に方付けます・・・」
引き攣った笑みで、ルシュカが早口にそう応える。
ヤバイ!とすぐに本能で悟った二人は、素直にクロウの言う事を聞くことにする。
クロウは二人を睨み付けて、荷物を持ち、セシルを追いかけるべく店を後にした。
こうして、料亭『三日月亭』から、恐ろしい嵐が去ったのである。
「あ、見て!セシルだ~」
幼い声でモーリスのシャツを引っ張り、リオンが嬉しそう叫んだ。
同じく大通りで、日用品を揃えるべく買い物をしていた。リオンとモーリスが、丁度雑貨店から出てきた所だった。
リオンが指をさした方向をモーリスは、荷物を持って首を向けると。
そこには、俊足の速さで大通りの人混みを、するりと走り抜ける、セシルの姿があった。
「あらま、ホントだわ。いやぁねぇ~どうしたのかしら・・・あの子、泣いてるみたいだったけど」
モーリスが首を傾げ、怪訝な顔でシナを作りながら、セシルの走り去った大通りを見る。
一瞬だけ、セシルの眼から光る雫が見えた。ブラックパール号の中で、一番女性的で聡い彼女(?)なら、セシルが泣きながら走り去った事により、普段のクロウとの、やりとりを見守っていたので、また、副船長が恐がらせてしまったのだろうと、安易に想像できた。
「うまく・・・いかなかったのかしらねぇ。」
モーリスがポツリと、溜息交じりにそう呟く。
実は今朝に副船長のクロウから、セシルとの買い物で、仲良くなる術を相談されて、嬉々としてアドバイスしたのがモーリスだった。セシルの好きそうな物や、珍しい物を露店で一緒に観て、欲しそうにしていたら、男の器量でプレゼントし、食事に連れてって、いい雰囲気になったら、後は押して、押して、押しまくれ!と教えたのだけれど・・・。モーリスは朝のクロウとの、やりとりを回想する。まったくもって、セシルにとっては、恐怖を増幅させるアドバイスしかされてない、肉食(積極)系(的)女史(?)のある意味、迷惑なアドバイスだった。
そんな事情も知らないリオンは、不思議そうにモーリスを、クリクリの丸い瞳で見つめていた。
そして、大通りの外れでは―――――――――――――。
「船長、これでチェックメイト。」
黒のキングを取った!と、白のナイトを突き付ける。
「ふお!ミゲル、ちょ、ちょっと待て!」
大通りの外れにある、酒場のテラスでチェスをしていた、航海医師と老人船長の姿がった。
白いテーブルで、チェス盤を広げる・・・なんとも平和な光景が広がっていた。
「待ったなしです。はい、これで終わりです。」
青い髪を風なびかせて、ミゲルは白のナイトで黒のキングを容赦なく退かし、チェックメイト。
「ふおおおお!!」
黒のキングを取られて、ユージン船長が、雄叫びを上げつつ、頭を抱えて立ち上がる。
その悔しそうな老人船長の様子に、フフフ・・・と不敵に笑みを向けるミゲル。
そんな彼の視界の端に、見知った人物の影が掠った。
「ん?」
とっさに気になって、テラスの外に視線を向ける。
一瞬だけ、緑の羽織をなびかせて、走って行くセシルの後ろ姿が、人混みに消えていった。
「どうしたんじゃ?」
不意に外に視線を向けた、ミゲルに老人船長は問いかける。
「いえ、今セシル君が見えた様な・・・おかしいですね。消えてしまいました。」
黒青い髪と同じ、深みのある青い瞳を窄めて、ミゲルは人が混雑する道を、首を傾げながら見送った。
船の飲み水を大量に買い込んで、船に詰め込んだバルナバスは、遅い昼食を取ろうと、狭い見知った路地から、肩を廻しながら歩いていた。
薄暗い狭い路地にでれば、大通りに出られる。やっと飯にありつけると、空腹の腹を撫でながら、日の当たる大通りに差し掛かったその時。
バルナバスの前方から、見知った子供が物凄い速さで、走ってくる。
「お!セシル――――――――――?!!」
バルナバスは、その姿に気が付き、陽気に声をかけた。
「うわぁぁ――――――――――――――――――――――――――――――んっ!!!」
にこやかに声をかけるバルナバスの横を、セシルは眼もくれず、悲鳴と共にすり抜けていった。物凄い速さで、走っていくセシルを、見送ってバルナバスは、目が点になる。
「・・・一体、どうしたんだ・・坊主?」
ぽりぽりと頬を掻いて、首を傾げ棒立ちになる水夫長だった。
大通りを未だ爆走し続けるセシル。
副船長の恐怖心に耐えられなくなり、彼は何も考えなしに、重度の混乱状態に陥りながら、杖を持って走っていた。
恐い、恐い、怖い、こわい、こわいよぉ――――――――――――!!
このままじゃ、僕掴まって、噛まれて殺されちゃうんだ!全身の血を抜き取られて!!
死んじゃうんだ!!殺される。殺さる。殺される。殺される。
僕、殺されちゃうよぉおおおおおおおおおお――――――――――――――――!!
助けて、助けて!母さん!父さん!!
そして、クロウの想いなど露知らず、絶賛勘違い、色恋沙汰など一切思っていない、セシルはぶっ飛んだ思考のもと、走り続ける。
「うわぁぁ――――――――――――――――――――――――――――――んっ!!!」
バルナバスの横をすり抜けながら、悲鳴を上げる。
行方をくらませて、逃亡するセシルの当初の企みなど、彼の頭の中には吹っ飛んでなくなっていた。このまま、気配を消して行方をくらますチャンスを、セシルは自分で潰して行ったのである。ある意味、自分の幸福を自分で断ち切る、なんとも不毛な事をしていたセシルであった。
セシルはそのまま大通りを、走り抜けて噴水のある広場に差し掛かった。
急に通路が広がりセシルは、はたっと、急ブレーキをかける。
「・・・ここ、どこ?!」
杖を握りしめて、キョロキョロ辺りを見回し、立ち竦む。
クロウが『迷子になる。』発言は、的得ていたようだった。
一方、副船長クロウは――――――――――――。
セシルが物凄い速さで、人混みをすり抜けていくので、さっそく見失った彼は、どうしたかと言うと・・・。
橙色のレンガの家屋根に上がり、黒衣のロングコートを風になびかせて、建物の屋根を走り抜けていた。海の上でしか戦わない海賊には、珍しいぐらい、こちらもセシルと同じ位、俊足の持ち主だった。屋根と屋根を跳梁し、走り抜けるその姿は、誰が見ても、暗黒の化身、魔物そのものだった。
「どこ行った・・・。」
セシルが走り去った方向へ、屋根を飛び走り抜けながら、クロウは黒い瞳を細めて、大通りの先を見据える。多くの人が行き交う、大通りの突き当りの噴水のある広場に、何か人が集まっている。
目を凝らしてそちらに集中すると、町の人の悲鳴やざわめきが聞こえ。そこには数人の堅気で無い者達が、小さな子供を連れ去ろうとしている様子が見えた。
「・・・チッ」
軽く舌打ちをすると、クロウは面倒な事になったと、脚を人だかりが出来た広場へ、再び屋根と屋根を跳梁し進めた。
明るい金髪をなびかせて、料亭『三日月亭』から、航海士と狙撃手の二人が出てきた。
「はぁー終わった、終わった。」
「げっ俺のカネ、もう半分しか残ってねぇー・・・」
自分の財布を確かめて、ルシュカはガックリと項垂れる。
二人は、副船長の命令通り、店主に謝り倒しながら、テーブルや、壁に突き刺さったナイフやフォークを抜いて、元通り綺麗に方付けて、会計を済ませたところだった。
「まぁ、そんな日もあるって☆」
「・・・おまえねェー」
カラカラ笑ってそう言うルーヴィッヒに、ルシュカは恨みジトーっと睨む。
そんな二人に、大通りの向こう側から、人々の悲鳴が聞こえる。
「?!」
二人は眉を寄せて、顔を見合わせる。
「なんだ?・・・喧嘩か?!」
目を凝らして、人混みの先を観ようと、ルーヴィッヒが訝しげに大通りに出る。
すると、同じくルシュカが、何げなく見た屋根に、物凄い勢いで屋根を走り抜ける、黒い人影を見つけた。
「おい!見ろよ、ルーヴィッヒ!!」
思わず叫んで、隣いた航海士に、屋根の上を指さす。
それは、自分たちが良く知る、副船長クロウの姿だった。
「えぇ!船長~どうしたんだ・・・つーか、カッコイイー☆」
遠目で見ていた航海士は、クロウの並みならぬ、素早い走りに、彼の直感が働く。
あの尋常じゃない素早さ、向かう先は悲鳴が上がる、大通りの先・・・。
「何かあったんだ!」
ルシュカも同じ推測に至ったらしい、航海士に向き直る。
「行くぞ!ルシュカっ」
「ああ!」
金髪碧眼の航海士は、臨戦態勢を瞬時にとり、ダッと走り出した。
同じく頷いて、狙撃手のルシュカも尻尾髪を風になびかせ、大通りの先へ目指し走り出す。
セシルは噴水の広場前で、オロオロ・・・と辺りを見渡しながら、どこまで来てしまったんだろうかと、町の方角を太陽の位置を観ながら、確かめていた。今まで走り続けていたため、乱れる息を整えながら、空を見上げる。
このまま、逃げられるかも、と今さら気が付いたセシル。港の方には出ない様に、何とかして一度町を出る必要があるかな・・・と、逃亡経路を頭の中で組み立て、薄暗い路地の方へまわろうとしたその時。
「おい!お前っ、クロウと一緒に居たガキだな!!」
野太い声に、背後から声を駆けられる。セシルが慌てて振り向くと、そこには大柄な、男たちが六人、セシルを取り囲む様に立っていた。
「えっ・・・」
突然の事に、まったく理解できず呆然とするセシル。
よくよく見れば、男たちは顔や腕に、蜥蜴の入れ墨を入れており、素行が如何にも悪そうな者達だった。
その者達の服装から察するに、この町を縄張りにしているヤクザ者だ。
瞬時にそれを、理解したセシルは、逃げなければ、何をされるかわかったものではない!!と踵を返し逃げようとした。
だがしかし、中央に居た人一倍でかい、熊のような大男が、目をギラギラさせて、セシルの腕を掴んだ。
「クロウにはカシ(・・)があってな、悪いが一緒に来てもらう!」
強い力で、あっという間に腕を取られ、セシルは驚いて、必死に抵抗して叫んだ。
「ひぃ!嫌だ!!・・・離してっ痛つ。」
ギリギリと腕を締め上げられる。
思いっきり暴れて、持っていた杖を振り回し、自分を掴んでいる男の腕に当てる。
「暴れんな!オイッお前ら、このガキ押さえつけろ!」
熊のようにでかい、大きな男が、連れていた部下にそう叫ぶと、舎弟とみられる男たちも、セシルの体を抑え込みにかかる。
「コラ!大人しくしていろ!」
セシルはがむしゃらに暴れるが、抵抗もむなしく、男達から背後から羽交い絞めにされて、そのまま肩に担がれてしまった。
「わあ!離して!!嫌だ!」
セシルの悲惨な叫び声と、騒動に町の者達も気が付いたのか、ざわざわと人が注目する。
ならず者の組頭、ルドンだ・・・!
あんな子供に一体何をするんだ、物騒だな、などと皆口々に、巨漢の男を見て細々と呟き集まる最中。
「セシルに何するの!放せっ!!この山男!」
セシルの姿を追ってモーリスと様子を見に来た、リオンが弾丸のように、人混みの中から飛び出してきた。
近くにあった石を持って、セシルを担いでいる男の腕に飛びついて、石を叩き付ける。
「ぎゃあ」
思わぬ容赦のない、石の痛みに男が叫ぶ。小さなリオンが腕に張り付いて、礫攻撃を容赦なく続行する。
「うぁ!リオン君っ」
セシルは、リオンが男に飛びついたので、びっくりして叫んだ。さすが、海賊少年、勇気と度胸は立派に育っていた。
「こんの、ガキめ!」
男は目障りな、リオンがへばり付いた腕を振りまわし、引き離した。
「きゃあ!」
遠くの地面に放り投げられて、幼いリオンが転げ落ちる。
それを見ていた、町の人々も幼い子供に対して、無残な仕打ちに悲鳴を上げる。
「リオン君!」
「リオンちゃん!」
セシルと同時にモーリスが叫んで、リオンに駆け寄る。
モーリスはすぐに、リオンの様子を見るため抱き起すと、腕や膝小僧を擦り剝き、血が滲んでいた。殆ど、軽傷で済んでいたため、モーリスは、ほっと胸を撫で下ろした。
「リオン君に何するんだ!!」
セシルも幼いリオンが放り投げられた、衝撃により怒髪天を突いた。男の髪をわし掴み、左右に引っ張り必死に抵抗する。周りのルドンの舎弟達も、慌ててセシルを抑え込もうとする。
「いででででででええええ!!!!何しやがるっ!・・・コノっ」
涙目になり、相当痛い思いをしている、この不運な男は、耐えきれなくなって、セシルを思いっきり足元の地面に叩き付けた。
「うわぁ・・・っつ」
強かに背中から地面に強打して、セシルの息が詰まる。
ルドンの前に、叩き付けられたセシルは、軽く眩暈がして意識が朦朧とする中、青い空の視界に黒い影の存在を見つけた。
「くっそ・・・手こずらせやがって。」
足元で倒れるセシルの腕を強引に引っ張り、この町を仕切っている組頭ルドンが、セシルを起そうとする。アジトに連れて帰り、船長クロウに一泡吹かせる魂胆だった。
半年ほど前、酒場でクロウにコテンパンにのされた意趣返しに、このガキを人質に使って、クロウをズタボロにし、名声を勝ち取ってやる・・・。
「このガキ連れて、引き上げるぞ!」
ルドンがそう筋書を頭の中で書いて、いざアジトへ帰ろうとしていた。
―――――――――――まさに、その時である。
ズドッツ!
鈍い音が、セシルの直ぐ耳元で聞こえ。朱色が飛び散る。
「ひっぎゃああああああああああああ」
ルドンがセシルを掴んでいた、二の腕を抑えて、汚い叫び声を上げる。
吃驚して、セシルが淡い瞳を瞬かせると、ルドンの太い二の腕には、短剣が深く突き刺さっていた。
眼を白黒させるセシルに、噴水前の建物の屋根から、黒い人影がザッと降り立った。
「その汚い手をどけろ。三下野郎。」
その場の大気を振るわせる、殺気を含んだ低い声が響きわたった。
その凄まじい殺気に、町の野次馬達も、怯んでその場が静かになる。
「あ!おじちゃん」
「船長~ナイスタイミングね!!」
猫のようにしなやかに、地面に降り立つクロウに、リオンとモーリスが駆け寄る。
「リオン大丈夫か。」
クロウは眉間に皺を寄せて、幼いリオンの体に着いた土埃を払う。
「うん!」
元気よくリオンが、それに応え、不安そうに眉を寄せる。
「それより、セシルが・・・。」
「わかっている。モーリス、これとリオンを頼む。」
クロウは静かに、抱えていた荷物を、モーリスに手早く手渡す。
「任せといて」
それに力強く、料理長は頷き、リオンの手を取って引き寄せる。
クロウが一息、誰にも聞こえない程の溜息を吐く。
噴水を前にして子分どもと、セシルを人質にとった、未だ踏反りかえっているルドンに向き直った。
「ちくっしょうめ!・・・クロウ、お前らっ殺ッてしまえぇ―――ッ!!」
自ら、腕に深く刺さった短剣を抜いて、ルドンが汚い声で、舎弟の者達に命令する。
五人のルドンの手下達は、屈強な男ばかりで、いくつも修羅場をくぐって来た者達ばかりであるが、クロウの殺気に押され、足が震えている。
しかし、ボスであるルドンの命令に、従わない訳にもいかず、ここで逃げては、自分より下の子分たちへ示しがつかない。
「どうした・・・来い。」
すらり、と帯刀していた刀を抜いて、クロウが静かに構えた。
「う、うおおおおおおおお~~!」
雄叫びを上げて、五人のうち三人の手下が、皆それぞれナイフやこん棒、長剣を手に、クロウに襲いかかった。
「遅い。」
クロウは踏み込んで、向かって来るナイフを持った、男の腹を掻っ捌く。辺りに血しぶきが散る、こん棒をクロウの頭に振りかぶった、男の背後に俊足の速さで廻り、その太い腕を斬る。
「ひぎぃいいいいいいいっやあああああああああ!!」
男の悲鳴が上がり、ボトリと太い右腕が地面に落ちた。男はその場に蹲り、あまりの痛さに気を失った。
その有様を見せつけられた、長剣を持った男が、ガクガクに震えている。クロウはそのまま走り抜き、袈裟懸けに斬り付けた。
男がバッタリ倒れて、クロウだけがその場に立っている。
スバッ・・・・刀の血を払い、クロウは黒曜石の瞳を射抜くようルドンに向ける。
「さぁ・・・次、誰だ。」
黒衣をなびかせ、重い威圧感と殺気を全身に放つ。蒼黒い炎が、彼の背後に揺らめいている。その鋭利な立ち姿に、ルドンとその舎弟二人、セシルでさえも腹の底からゾッとするほど、恐ろしく冷汗が流れた。
「っち役に立たない奴らだ・・・オイっガキ!こっち来い」
圧倒的な強さに、誰もがルドンの負けを認める。しかし、ルドンは諦め悪く、セシルの腕を持って、セシルの首に腕を宛てナイフを向ける。
「うわっ」
「コイツの命が惜しかったら、大人しくするんだな!」
冷汗を掻き、乾いた舌で、虚勢を張るルドン。
そのルドンの行動に、クロウは黒曜石の瞳を半眼にし、睨み付け刀を鞘に戻す。
「・・・・・・。」
クロウが刀を鞘に戻した事にルドンは、顎をしゃくって、残りの二人に殺れと命じた。
二人の手下も、クロウが動けないと解り、嫌な笑いを浮かべて、ルドンから離れクロウの方へ脚を向ける。
セシルは首に、きつく宛てられる毛深い腕越しから、息も絶え絶えの状態で、この状態から脱する術を必死に考えた。自分を助けるために、リオンも怪我をし、恐怖の対象であるクロウさえも、自分の為に動きを止めたのだ。このままでは、クロウは本当に抵抗せず、惨たらしく、殺されてしまうだろう。
何かないかっ・・・何か!!セシルが、必死に策を巡らせると、背後から噴水の流れる水のせせらぎが耳に入った。水・・・そうだ!!
男の一人がクロウの胸倉を掴んだ。
その時、セシルはルドンの腕に深く噛みつく。
「痛てぇ!」
もともと、短剣が刺さっていた腕だ、傷口に歯は沁みるだろう。
あまりの痛さに、ルドンの力が緩み、セシルは蹴りを入れて、その場から離れる。
突然の出来事に、手下の二人も唖然とする。その一瞬だけの時間、それでセシルは十分だった。
落ちていた杖を拾い、意識を噴水の水へと、一気に集中さる。
「もう、怒ったっ・・・これでも喰らえ!」
噴水の水が虹色に淡く光った。杖をルドンに構えて、素早くクロウ達に伝える。
「船長!リオン君!モーリスさん!そこから退いてくださいっ」
セシルの言葉を聞いて、クロウが胸倉を掴んでいる男の顔面に拳を喰らわせ、その場から駆け離れる。
それと同時に、セシルが吠えた。
「水よ・・・彼の者達を押し流せ!水龍波動」
ゴオォォ――――――――――――――――――――――――――――――――!!
噴水の水が、意志を持ったかのように水柱を上げると、雄々しい水龍に変形し、獰猛な水の牙をのぞかせる。
「うわあああああぁ――――――――――――――――――――――――――」
ルドンと二人の手下を、轟音と共に飲み込んだ。
ズシャア――――・・・・・・。
ルドンと彼の手下は水浸しになりながら、大通りに押し流された。
町の野次馬達も、水柱が上がった直後、慌てて左右に散って避難していたので、誰も巻き添えをくう者は居なかった。野次馬達は、ルドンのありさまを見て、ほぉうと息を吐いた。
クロウは静かにルドンに近寄ると、
「きっちり。苦痛を味あわせてやる。」
水浸しの中、ルドンの胸倉を掴み、刀の刃をその首に這わせた。
「ひぃいいいいいいい!!」
凍てつく鋭利な黒い瞳に凄まれ、ルドンは情けなく悲鳴を上げる。
その悲鳴に、他の手下二人も眼を覚まし、わぁああああっと悲鳴を上げて、一目散に大通りに走り出した。
手下二人の逃亡に、チッと舌打ちをするクロウのもと、手下二人組のもっと先の、大通りから陽気な声が響いた。
お気楽航海士と狙撃手の二人が広場に向けて、駆けてきた。
「おい!ルーヴィッヒ、あれ船長じゃね?!」
「あ、ホントだ!」
二人は、悲鳴と怒号響き渡る人混みが、左右に割れたやけに広く感じる大通りに、尋常で無い事が起こっていると悟り、臨戦態勢を崩さぬまま向かっていのだ。
「おーい☆センチョ――――――――!!」
あっ軽い航海士は、手を振ってクロウのもとへ駆ける。すると前方からなにやら、びしょ濡れになり悲鳴を上げる、如何にも、ごろつき男二人が、此方に向かって来る。
巨漢の胸倉を掴んで、ドスの効いた低い声でクロウが、ルーヴィッヒに叫ぶ。
「ルーヴィッヒ!ソイツ等を捕まえろッ」
クロウの号令を聞いて、ルーヴィッヒはすぐさま、行動に出る。
「ガッテン、承知☆」
ルーヴィッヒが、駆けながら敬礼して、素早く走り込み、逃げる残党の二人めがけ。
ズザザザザザ―――――――、見事なスライディングをし、足払いを掛ける。
「ルシュカ!」
足払いをかけ、すっころんだ一人を、地面に押さえつけながら、航海士が声を上げる。
残りの一人がルーヴィッヒの足払いで、バランスを崩し、よろけ前のめりになった。
「オウ!」
その声に応えて、ルシュカは、よろけた男に腹一発、拳を添える。
「ぐおっ」
そのまま、後ろに仰向けに倒れた男に馬乗りになり。
ルシュカが銀の剣を、男の喉元に宛て動きを封じ込めた。
『捕縛!!』
航海士と狙撃手はニッと不敵に笑う。
同時に叫び、二人の残党をそれぞれ押さえつけた。
練習したかのような、彼等の連携技に、町の人々の歓声が上がる。
海賊ブラックパール団の、見事なまでの勝利であった。
ルシュカの横でバルナバスが声を上げる。
「おおっ!!なんだ?!なんだ?!!」
途中、航海士と狙撃手二人が、駆けていくのを目撃し、跡をつけていたのだ。
「さぁ。きっちり、落とし前はつけて貰うぞ。」
クロウは黒曜石の瞳をギラつかせ、再び彼の身から、蒼黒い炎が上がった。
刀をカチリと、握り返しクロウは、汚く悲鳴を上げるルドンに、容赦なく片腕の関節を貫いた。これで一生、彼の片腕は使い物にならないだろう。
ひぎゃあああああっと肩を押さえつけて、逃げるルドンは、町の広場から姿を消した。
「次は、オマエ達だ。」
他のルーヴィッヒに取り押さえられた、手下の二人は、クロウにボコボコに殴られ、
断末魔が轟きわたった。
気が済んだのか、バルナバスに命令し、噴水に縄で括りつけ、晒し者にしたのだった。
町の野次馬達は、このクロウの仕打ちに青ざめて、この光景に眼をそむけた者もいた。
そして、船長クロウは、やはり冷酷無慈悲の男だと、人々はそう認識を改めて強めたのだった。
そのクロウの残虐性あふれる落とし前、真っただ中の横では。
血まみれになって広場に倒れ伏している、三人の男達を震えながら踏み越えて、セシルはリオン達の方へ駆けて来た。
「リオン君!」
リオンに呼びかけ、杖を持って大通りの端に走り寄る。
「あ、セシル!!」
セシルの声に気が付いたのか、リオンが愛くるしく振り向き、セシルめがけて走り出した。
「リオンく~ん!!」
「セシルぅ~~~!!」
感動のご対面。
両腕を広げて二人は、広場前でひしっと抱きしめ合った。すぐ横で断末魔の叫びが響いているが、二人の眼中にもなく、その場だけが、ほのぼのとした空間になっている。
「セシルちゃん、やったわね!それと大丈夫?」
モーリスが、心配してセシルの顔色を窺う。
「僕は大丈夫です。それより、リオン君が怪我させちゃって・・・ごめんね、リオン君」
モーリスにも心配をかけてしまい、セシルは申し訳なさそうに言うと、リオンの方に向き直り傷を確かめる。膝や腕が所どころ、擦り剝いて血が滲んでいる。幼い子供が、自分の為に、勇気を振り絞って助けようとしてくれたのだ。セシルは、胸が苦しくなった。
「うぅん、平気!大丈夫だよ」
にっこり、朱色の瞳を窄めて、元気な笑みを見せるリオン。
「怖い思いさせて、本当にごめんね」
セシルはぎゅっと、小さなリオンを抱きしめた。
「よかった、二人とも無事で・・・」
モーリスも、横でひっそりと感動の涙を流す。
「大丈夫か。」
ひとしきり、落とし前をつけて来た、黒衣の副船長が、リオンとセシル達の方へ歩いて来た。その抑揚のない声に、気が付いてクリンと、リオンが嬉しそうに振り向く。
「あ、おじちゃん!」
きゃっきゃっと嬉しそうにリオン、手を振って応える。セシルはすっと、その場から立って、クロウに向き直る。
「すいませんっ!僕が、僕が、また気が動転して逃げちゃって、・・・あと、それで捕まってしまったから・・・えーと、あの、ごめんなさいっ」
ガバリと頭を勢いよく下げて、しどろもどろに謝った。
そのセシルの様子に、黒い瞳が瞬いた。
「いや。お前が謝る事ではないだろう。それに、悪いのはアイツ等だ。気にすることは無い・・・。」
不思議そうに珍しく、キョトンとした副船長の顔。
モーリスは、この副船長の顔を傍から見ていて、こんな顔もできたのねぇ・・・と妙に関していた。なにしろモーリスは、不機嫌が普段、服を着てるかのようなクロウしか、知らないでいたからだ。
「え、えぇー・・・でも」
そう言われても、申し訳なさがいっぱいで、気にするもの気にするわけで。困ってセシルは言葉を濁す。そんなセシルに、クロウは気にせず、先の水術の事を思い出していた。
もともと、無詠唱で術を総べるセシルには、期待していたが、咄嗟の判断でここまで、集中しあんな大技を出せる者は少ない。クロウは、セシルのあの時の眼差しを思い出して、既視感を感じていた。
「それに、あの水龍の術は見事だった。」
「でも、あれ無我夢中だったし・・・、リオン君も怪我させちゃったし」
クロウが、感慨深そうにそう言葉を述べると、セシルはリオンに怪我をさせて、巻き込んでしまったと告げる。
いつの間にか、二人で自然に話している事へモーリスが、よかったわぁ~仲良くなって!と内心、胸を撫で下ろした。バルナバスも、心配いらなかったなぁ、などと暖かい眼で二人を観ていた。ブッラクパール海賊団の、良き母、良き父代表の二人組が、それぞれ満足げに微笑む。
そこへクロウが、セシルの口の端の血痕に気が付いた。
「お前も、怪我してるぞ。口の端。」
きゅっと眉根を寄せるクロウ。白い肌に付着する赤。そのコントラストに、ぐっと惹き寄せられる麻薬のような感覚。だが淡々とセシルにそう言って、セシルの口の端を親指の腹でなぞる。口の端をなぞられて、セシルは首を傾げた。口の端は、傷むわけでもなく、切ってもいなかったからだ。セシルは慌てて、
「え?あぁ、これは捕まった時に、咄嗟に腕を噛んだ相手の血・・・でっ」
そう言い終わらない内に、クロウの顔が真近に迫ると、口の端をペロリと舐められた。
「あら!?」
傍から観ていたモーリスも、思わず黄色い声が上がる。バルナバスも、クロウの背後から観ていたため、丸見えだ。柄にもなく恥ずかしさに、とっさに目線を反らした。
野次馬達とお調子者二人組も、その場で固まる。
クロウの顔が離れて、セシルは顔が瞬時に青ざめ引き攣る。
彼の脳内では、まさに昼過ぎの料亭での出来事が、見事なまでにフラッシュバックし、恐怖が呼び起される。
『甘噛み』=(イコール)噛み殺される。『舐められる』=(イコール)吸血され殺される。
セシルの脳内では、命の危機を絶賛勘違い方向で感じ取り、防衛本能が呼び起された。
顔色の悪くなった、セシルを心配し、クロウが覗き込む。
静かに、声を掛けようとした、その時――――――――――――。
セシルの恐怖心が爆発した。
「キィイヤァ――――――――――――――!風よっ・・・空圧弾!!」
叫び声を上げて、セシルは杖をクロウの胴に向けて、風圧の弾を一気に放出する。
「ぐっつ・・・・・・・。」
至近距離での、思わぬセシルの反撃に、クロウも避けきれなかった。
鈍い音が体内から聞こえ、息が一瞬つまった。
彼は、バルナバスの居る一メートル後ろへ、吹っ飛ばされる。
『えぇ――――――――――――――――――っ?!』
その場に居た誰もが心の内で叫んだ。
その後、セシルはリオンに抱きついて、うわぁ―――ん!と泣き始める。
リオンは、よしよし、怖かったねと、どっちが年下なのか分からない程、落ち着いてセシルを慰めていた。
綺麗に吹っ飛ばされ、仰向けに倒れるクロウ。
あの冷酷で残虐な、向かう所敵なしの船長が、遙かに貧弱そうな少年に簡単に伸された。
クロウのお気に入りらしい、この少年が一番、強者なのだと誰もが思った。
「ひぃ!クロウ、大丈夫かぁ~~~~~~~?!」
すぐ目の前まで飛んできて、倒れるクロウバルナバスが、若干青ざめて駆け寄る。
「バルナバス・・・。」
倒れ伏したまま、黒曜石の瞳が薄ら開いて、バルナバスを捉える。
「おいぃ――――――――――っしっかりしろ!」
思わずクロウの手首を取って、体を擦って意識をこちらに向けるよう、必死になってバルナバスは呼びかけた。そんな、バルナバスにクロウは、
「たった今。白い花畑でな。爺さんとセシルが、俺に笑顔で手を振っているのを視たぞ。はは・・・。」
乾いた笑い声を上げて、バルナバスが見た事ない程、穏やかに微笑んだ。
「ちょっ待て待て待て!じいさんもセシルも、まだ生きてるぞっ!こんな事で、その先逝くなぁあ!!それは幻覚だ!!オイぃ――――――――!!」
バルナバスが、クロウの背中に腕を廻して上体だけを起し、必死にクロウに呼びかける。
クロウは静かに、黒曜石の瞳を閉じた。
「いやいやいや、いやっ!静かに瞳を閉じるなよっ!!ちょぉ、待て!唯一のツッコミ役がここでボケて逝くなんて、この先船で誰がツッコミやるんだぁ?!!つーか、俺どうやって、この場を纏めんだよっ?!!ちょ、クロ――――――――ウッ!!!うぇええええええええええええええええ!!!!!」
満足そうに瞳を閉じる、クロウに必死になってバルナバスは起しにかかるが、一向に目覚めないし、体は力なく横たえている。
そこへ、先ほどから町の女性たちに声を掛けられていた、お調子者二人が、すっとクロウの傍に寄る。
「船長・・・俺、船長の事忘れないからっ☆」
「短い付き合いだったな・・・。」
地面に正座して、クロウの手をとり、ルーヴィッヒが涙ぐむ。
その横で、目頭を押さえたルシュカも、航海士の肩を叩いた。
二人がクロウを起すのを、手伝ってくれるのかと思いきや、バルナバスの想いは大いに予想を外れ、一人慌てる。
「お前らも乗っかんなっ!!あーもぉっ誰かぁあああああああああああ!!!」
バルナバスの野太いダミ声が、大通りに木霊した頃、辺りはすっかり夕焼けに染まっていた。
キラリ、星が流れる夕空。
「あ、流れ星ですね。」
酒場で今まで平和に、チェスを楽しんでいたミゲルが、テラスから夕焼けの空に、青く流れる星を見つけ、優雅にワインを飲んでいた。
「綺麗じゃの~」
ユージン船長もワインを飲み上機嫌で、空を眺めた。
ブラックパール海賊団の、実に有意義な、アルバの港町での一日だった。
『そんな彼らの攻防戦』終