風見鶏が指し示す関係
『風見鶏が指し示す関係』
思えば、私は運が良かったように思う。
物心つくころの寒い冬。
両親が私を置き去りにして、私は見知らぬ町や村を転々として、残飯を漁り、時には盗みをして、その日を生きながら両親を探し歩いていた。
記憶がもう朧で、母親の顔さえまともに思い出せなくても探していたのは、どうしてだったか。野良犬にも追われて、酒臭い大人にも蹴られ、安心して眠れる場所を捜し、脚もあかぎれで血が滲んでいたけれども。疲れていても歩き続けた。どうしてだったか。
もう思い出せないけれども・・・確かに私は運が良かったと断言できる。
運に全て身を任せる事が得策ではないのは、もうこの歳になって重々承知の事だけれども。
あの時、あの場所で。私がもう疲れ果てて、行き倒れ同然になって倒れた場所で。
戦争で嫡男を失ったばかりのコルベリー夫婦に拾われた事が、今のニコラス・コルベリーとして私が存在するか、しないか、死か生かの分かれ道だったからだ。
死んでいるか生きているか、分からない年頃に。
私は一度死んで、運よく(・・)生まれ変わったと言えよう。
いまになって、私は強くそう思う。
鶯黄石月も、もう中旬に入って風が凍てつくように冷たい。耳に吹き込む冷気と共に、すっかり朱色に染まった葉がニコラスの耳に掠れて足元に落ちた。
蜂蜜色の短髪に、珍しい金眼を細めニコラス将校は、アルバの町の景観を眺めつつ、ひっそりとした街道を歩いていた。コルベリー夫妻に拾われて、それはもう、私は大切に育てられた。失った一人息子の変わりだと、思う自己もあったのだけれども。それだけでない事も、私は知っていた。夫妻はニコラスは『ニコラス』だからと、ある程度の貴族の教養は教えられたが、下町の子供達と変わりなく、どれだけニコラスが泥にまみれて帰ってこようと、怒られやしなかったし、逆に嬉しそうにされたものだった。失った嫡男と比較される事も無かった。コルベリー家は王を守る騎士の家系だったが、ニコラスには両親は岸に成れとも言わず、『お前の好きなように生きなさい』と選択する自由まで貰った。
結果、私は騎士にはならず自分は軍に入る事を選択した。何故ならば、マライト国では王を守る騎士は従事、切羽詰まった時だけの存在。民を守るのではない、王を守る事に重点を置いているからだ。王は民を導く国の主で、民を守る者だという事も理解しているが。私にとって緊急時にしか動けない、主を守る騎士になるより、民を守るが為、動き回れる軍兵の方が性分に合っていた。それなりに、手柄を上げ若くで将校にまで上った私には、まぁ妬まれ、やっかみ、嫌味も言われるが、そんな事はどうでも良いと思えるほど。
私は好きな親友がいて、最愛の妻がいて、両親がいてくれて。
私はニコラスであって、十分幸せであると感じるから。
私は本当に運が良い。
街道を歩いて見知った市場まで出れば、幼い頃と変わりないアルバの下町風情が迎えてくれる。潮の匂いが風に交じって、下町で同じ年頃の者達と遊んだ思い出が呼び起された。
昔の幼い気持ちが甦って、少し赤くなった鼻を啜る。
恥ずかしさを咄嗟に紛らわせるためだ。そこへ今日会う約束をしていた、ニコラスにとっての幸福の一部である親友の声が聞えた。
「よぉ~う、ニコラス」
低く良く通るいい声が、手を振ってニコラスの傍までゆっくり歩いて来た。
「やぁエドワード、相変わらず着崩れしたみたいな髪の毛だね!」
夜勤で少ししか睡眠がとれなかただろう、寝癖のややついた金の髪に、鋭い眼の警備騎士団長が金眼に映り込む。
ニコラスは幼馴染兼親友に、にっこり笑みを向けて手を振った。
「あって早々、嫌味かっ!」
「いやぁ~はっはははははは」
眉を寄せカッと口を開ける親友に、ニコラスは大層愉快に笑い声を上げた。
私の運が良い証人の一人、エドワード・グリモス。
恰幅の良い体に、警備騎士の制服を着こんだ騎士団長で、庶民出身ニコラスの幼馴染にして気心の知れた親友。
騎士は騎士でも、王を守る騎士でもなく、町の治安を守る下級貴族騎士から、庶民出身者で結成された警備騎士団。その警備騎士団を纏める団長が下町育ちのはねっ返りガキ大将、仕事に関しては几帳面真面目のエドワードだ。思えばニコラスはよく、このエドワードと喧嘩や悪さをしたものである。拾われ子でも貴族の坊ちゃんにニコラスに、ガキ大将であったエドワードは、何をどうしたのかもう覚えて無いが、ウマが合って、意気投合。剣の鍛錬もすれば、下町の子供達を集めて大人達をからかって遊んでいた。他人には言えない、お互い恥ずかしい思い出の一つや二つ・・・ある訳で。永い付き合いである。
「それより、こないだお前さんが耳にした情報、見事にビンゴだった」
ゆっくりと広場までの道のりを、二人で歩く。空が茜色に染まる中、エドワードが青く鋭い瞳を向け、懐から煙草を取り出した。ニヒルな笑顔を張り付けて、タバコに火をつけニコラスを見やる。
「この港における商会にガサ入れかい?どうだった」
声を潜めて返せば、エドワードはふぅーっと紫煙を吐きながら応えてくれた。
「ん~なんつーか、お前さんが言っていた、ゴーゴン家云々とは違ったが、薬の取引現場に丁度居合わせて、ここでシマ張ってたルドンの野郎共と、中層貴族の坊ちゃん数名を現行犯でしょっ引いた」
くたびれた物言いに、口の端に煙草を咥えて吹かす。
「中層貴族の坊ちゃんて、どこの?」
「名家ではないが、ヨークシャー家の三男とバーンズ家、次男。それとクーパー家の四男だ。まぁ、どいつも金払ってすぐに牢から出て来るだろーけど。ったく」
茜の空に細い支援が昇るのをエドワードは見つめながら、ハッと笑った。放蕩ボケボケ息子共がっ!と毒吐いて、苦々しい気持ちを押さえ込むんでいるようだ。この親友は昔かっら、貴族が嫌いなのだ。戦争続きで貧困に耐えていた、税の無茶な貴族の取り立てにより、過酷な生活していた幼少期があったからだろう。とにかく貴族嫌いではある。
しかしニコラスに対してだけは認められているのか、エドワードはその見解にニコラスを当てはめない。
(ま、エドワードだって、貴族王族誰もが、そうじゃないって分かってるからね)
ニコラスは苦笑いしながら、意識を話に戻す。ふと、その家の名に引っ掛かりを覚えた。
顎に手を当て、先ほど聞いた名に、記憶の引き出しを引っ張り出す。
「ふぅ~ん、ヨークシャー家にクーパー家はたしか・・・よくゴーゴン家主催の陶器の商談会やサロンにも顔をだしてたなぁ、まぁ繋がりある線は高いかなぁ」
「あ?ニコラスお前さん、それは初耳」
口の端に煙草を咥えながら、眉を潜めるエドワード。
「あ~ごめんごめん、付き合いでさぁ、私もいろんなとこに顔出してるんだよ。でも、ゴーゴン家主催のサロンでは、そのヨークシャー家とクーパー家の当主には一、二回ほどあった事ある程度だしね」
ゴーゴン家当主、ユリウスに何度か会った事もあるニコラスは、主催のパーティーやら商談会などにも顔を出していた。興味は無かったが、その当時はアリッサと結婚したてで、ちょうどいい食器は無いかと、仕入れの行商人を目当てに出席して、まぁ当たり障りなく他の貴族とも社交を広めようと挨拶もして回っていた時期だ。よく顔も誰と誰が懇意なのかも、頭の中に置いてはある。
そう言ってニコラスが説明すれば、エドワードは伸びをして、
「へぇ・・・御貴族様っていうのは、かたっ苦しいやねぇ・・・しかし、あ~もう、ルドン一味を一掃できたのは爽快だったな!これで町の治安がまぁマシになるしな」
普段の何処か斜に構えた笑顔が引っ込み、カラリと笑った。
「そうだね~」
ニコラスも穏やかに頷く。港町はもう、茜色からだんだん夜色に移ろいで、一日の疲れを癒す雰囲気に様変わりしてきている。どこかの店先で、笑い合う陽気な声が聞えてきた。
平和だなぁ・・・とニコラスが感じ入ってる横で、エドワードは溜息交じりに、口から紫煙を吐く。
「あとはこの港によく停泊するっていう、ブッラクパールぐらいかねぇ~、騎士団の憂鬱の種は」
そう言ってガリガリと、寝癖の付いた頭を掻く親友。
「ぶふッ」
その一言にニコラスは思わず吹き出した。
「アン?どうしたよ急に噴きだして?気持悪りぃな」
「いやっ・・・べつに~ぃ~」
彼の親友は知らないのだ。その憂鬱の種と言わしめる彼等の本当の姿を。偶然出会った彼等との何日間の思い出を脳内で浮かべて、ニコラスは声を立てて笑い出しそうになるのを必死に堪えた。
「なんだよ、そのにやけ顔は、ったく。知ってるか?今日もアイツ等がこの港に入ってきそうなんで、海軍は一戦交えたらしんだが」
その様子に訝しげに眉を潜めるエドワードに、ニコラスは笑みを浮かべる。
「知ってるよ、見事に海軍の方が負けたんだろう」
悪戯を思いついた少年のような笑みだ。エドワードは密かに思って、嫌な予感に襲われるが、見当もつかないのでそのまま話をする事に集中する。
「そうだ・・・、二隻ともマストおられて、手も足も出せなかったらしい。」
最近は凄腕の魔術師も新しく加わって、船のマストがいとも簡単に折られ、攻撃も不思議な膜で包まれて阻まれたらしい。それはもう、可哀想なぐらいコテンパンにのされた。
エドワードはその報告を聞いて、軍事国家としての誇りを傷つけられっぱなしだと、手も足も出なかった自国の海軍にも腹が立ち、自分達も何もできない事にも腹が立ってヤキモキしていた。
憎々しげに話せばニコラスは肩を竦め、
「まぁ、彼等、領海侵犯はすれど、麻薬密売や町を襲わないからね、停泊したってそう気を張ることはないよ」
のほほんと、どこか食えない笑みで応えた。
「そこがムカつくんだよ!あの黒い魔物同然の連中が、町で問題おこさねぇーから、警備騎士団は動くに動けねぇんだっつーの!ウチの国の海を我が物顔で通ってる連中なんだぜ、俺は気にくわねぇっ」
そう、そこなのだ問題は!と、拳を握りしめ、エドワードはつい道端で大声を上げた。
領海を我が物顔で通り、商船も襲う事も多い、あの海の魔物と称される海賊は。
どぉ~いう理由か、義賊でも気取ってるのか、エドワードの与り知らぬところであるが、港町アルバを襲った事はない。しかも問題もさして起さない。問題が起きなければ、動けない。町を守る警備騎士団は、一向にブッラクパールに手が出せなかったのだ。
それが増々エドワードの気に障る理由で。
「だいたいクロウつったら、マライト国の脅威!ジェーダイトの魔の大佐だぞっ俺等の町を攻めてボロボロにしたのは彼奴だろーがっ!!町の奴等もそれ忘れてんじゃねぇよ!!!俺は忘れてねぇぞ!!!!どんちくしょう!」
鼻息荒く、大股に歩きだした親友に、ニコラスはポリポリ・・・頬を掻いて跡に続く。
「う~ん、エドワードの気持ちもわかるんだけどな~、あの戦の時、大佐が攻めて町をボロボロになったのは確かだけど・・・あの人が指揮してたから、兵は町の皆に手を出さなかったんだと思うよ?略奪もされなかったのも事実。死んだのは皆、海兵だけだっただしね。だから町の人から、あの人には何も言わないんだと思うよ」
普通なら・・・町の人々は殺されてるか、女性に乱暴を働くか、だよ?ニコラスがそう付け加えれば、
「ぐっ・・・」
息を詰めた声が響き。エドワードは言葉をつぐんで唸る。
「それに彼等が来れば町が潤うというメリットであるからねぇ・・・下手に彼等に手を出すと、警備騎士団が町の人に恨みかっちゃうかも」
「かぁ―――――っ!!世の中理不尽だ!!!!」
唸る親友にニコラスは顎を擦り、宙を見上げてそう畳みかければ、エドワードの咆哮が上がった。この町が好きな彼は、治安が悪化する事が許せないのであろう、海賊がいればそれなりに、町の安全を危惧しての事だ。でも相手が町で賊なのに、英雄視されている人気者である。町の人々を想うジレンマで頭がいっぱいなのだろう。エドワードは、ぜぇぜぇと肩で息をして、世の理不尽を嘆いて天を仰ぎだしている。吹かしていた煙草も、地に叩き付けて、忌々しげに踏みつけていた。周囲の人々の訝しげな視線を気にもしないで。
あぁ、根が真面目で、正義感の強いエドワード。私は君が親友で本当に良かったと思うよ。ニコラスは胸中、静かに十字を切った。
「まぁまぁエドワード落ち着こう、そんな君に今日は会わせたい美人がいるんだから」
嘆くエドワードの肩を軽く叩いて、ニコラスは穏やかに微笑む。
「美人?」
疲れ果てた青い眼が、ニコラスを捕えて疑問符を浮かべる。美人には弱い親友は、生まれて、このかた恋人がいない歴二十六年。恋人募集中。美人と聞いて食付かない筈は無い。
「そう、エドワードが思わず言葉も出ない程の、とびっきりの美人さん」
そう言うと、親友は見る見るうちに表情が、晴れやかになって行く。いや~、まったく分かり易い。ニコラスはにっこり満面の笑みを向けた。
(ごめんねエドワード、でも君には協力して欲しいんだよ。だって君は小回りが利くんだもの。それに君は僕の親友だし・・・黙っとくのも、それは親友じゃないよね?)
などと内心でエドワードに謝罪を先にしておいて、ニコラスは悪戯を仕掛ける少年に戻っていった。『なぁ、どんな綺麗な人紹介してくれるんだ?』と、こちらの悪巧みに全く気が付かないエドワードの横を歩く。それはもう、ウキウキ気分で、スキップしたいほど。
二人の幼馴染は、アルバの通りを少年に戻った時のように歩いてゆく。
『名前は?何処の出身?』などの質問をのらりくらりかわして、ニコラス達は、すっかり夜の色に染まった広場に着いた。星空が輝く中、どこの店も明かりが灯って、人々の営みが映り出される。
「たぶん、ここだね」
広場の近く、もうすっかり賑やかになった酒場の前に辿り着いて、ニコラスは脚を留めた。
「お、おい、ニコラス・・・ここに本当に美人さんなんているのかよ?ここ『アルバの楽園』だろ?ここならよく俺も来てるから給仕の姐ちゃんなら顔見知り」
アルバの町に住むエドワードなら、当然見知っている酒場だ。仕事の帰りに寄る事もしょっちゅうだったりするのだ。知らない筈がない。
ニコラスの肩越しに、ひょっこり顔をだして、エドワードは酒場の扉を不思議そうに見つめる。そんなエドワードを置いて、ニコラスは扉に手をかける。そして、ニコラスは食えない笑みで言い放った。
「いや~違うよ、エドワード言ったじゃない、とびっきりの美人だって。」
肩越しに振り返りつつ断言するニコラス。金の眼が悪戯っこの様に細められた。
「んン~?」
親友の読めない笑みに、エドワードは難しく眉を寄せ唸る。ニコラスが手招きし、中に入ろうと誘えば。どうにも・・・『悪い予感がする、とびっきりの美人なんて、この町に居たか。』と顔に書いて、脚を動かそうともしない。勘がいい親友である。
さっすが~若き警備騎士団長!町のお巡りさん!と内心褒め讃えるニコラスであった。
しかし、このままだと、今日はやっぱりやめると言いだしそうだ。
ニコラスはエドワードが誘いに乗らないと、言い出す前に強引に切り出す事にした。
渋るエドワードの腕を引いて、『アルバの楽園』の扉を押し開ける。
「ほらほら、着いてきなって」
そう言って、緑の騎士団の制服に包まれた腕を掴んだ。
鼻歌交じりにニコラスは、エドワードを上手く、手中に引きずり込んだのだった。
「雷よ!我が意志の鉄槌となれ!雷電撃」
杖に意識を向け集中する。
第一マストを見据え狙えば、空気が意志を持つかのようにがうねった。そのまま青い稲光が亀裂の様に第一マストに落ち、ぼっと炎が共に上がる。それと同時に、マストはゆっくり横倒しに海面に乗った。そこへ尽かさず、冷たい指令が甲板を走った。
「砲撃隊。後退。前列は遊撃に切り替え、援護射撃。素早く横付けにしろ。いっきに攻め入って乗り移れ」
小回りの利く、海軍の小艦一隻が横倒れにひっくり返る。
船から蜘蛛の子を散らす様に、マライト海軍兵が浮き輪や、小舟に避難し始めた。
「アイ・サー」
仲間達が号令を上げる中。舵を航海士がクロウの指令に沿って、四十五度に面舵を取った。横腹に備え付けた大砲が鳴りやみ、素早く甲板にて控えていた前列―――、ルシュカ達、射的を得意とする遊撃隊が弓矢やボウガンを構え、もう一隻の艦へ向けて射撃。こちらへ向けて、大砲を放つもう一隻に構える兵へ、攻撃の手を止めさせる為、矢は一直線に飛んでゆく。セシルは大きく揺れる船の甲板で、踏ん張って杖片手にもう一隻前方に対峙する海軍隻を見据える。若干腰が引けているのは、眼を瞑ってもらいたい。はっきり言って、こういう戦闘に、僕は慣れていないのだ。
「迎撃より突撃に変更。構え――――――――」
向こう側の砲撃が、足並み乱れて来た事を見逃さず。クロウが刀に手をかけ、静かに伝える。前方に面したはずの海軍隻は、いつのまにかブッラクパール号の真横に面してあった。移乗攻撃に移ったのだ。先ほど後退した砲撃部隊は、掩護射撃が続く中、綱で結んだ碇を投げ、相手の船の縁に引っ掛け、それぞれ身軽に乗り移る。
「かかれっ―――――――――」
低い号令が響き渡ると同時。
乗り移った海賊達は、それぞれ獲物を手に持ち、マライト海軍兵に斬りかかっていった。
眼と鼻の先まで近くなった船同士に、クロウも乗り移り、刀を抜いて相手の司令官に瞬く間に迫った。
「・・・守護盾!!」
水が海面からせり上がり、薄い壁となって船全体を包む。
セシルは皆が乗り移ると、これ以上こちらの船が攻撃されぬよう。何物も通さぬ水の障壁をブラックパール号全体に張り巡らせた。これで海軍の大砲や矢は届いたとしても、水の薄膜に弾き返される。
ワー!ワー!ガキッン!ドカ!
飛び交う怒号と悲鳴じみた声。潮の匂いに、鮮血が宙に舞う。
今回は略奪が目的でもないんだ・・・だから、この戦いも不本意で。
お、おちつけ・・・僕。
セシルはその戦独特の雰囲気に、血の気が引きつつも、倒れない様に息を吐いて自身を落着けさせる。よくよく、観察すれば仲間の海賊は、海兵達の急所を外しながら、ちゃんと手加減して戦っているのがわかる。その証拠にさっきセシルの上司、クロウが司令官らしき、少佐の剣を弾き飛ばし、蹴りを入れて、気絶させているのを目撃した。
バルナバスが太い棍棒を振り回し、相手の甲板で海兵を弾き飛ばして行くのが、セシルには見える。その他、数十名の水夫達が、船から海に海兵を投げ入れている。
「た、退却だぁ――――っ!!」
少佐を引きずりながら、彼の部下が叫ぶ。
司令官が戦闘不能な状態では分が悪いと、潔く決断したのだろう。鶴の一声で、戦意喪失。他の海兵も続々と備え付けの救護用の小舟に乗り移り、またある者はそのまま、海へ飛び降りる者もいた。
海軍船に乗り込んでいたセシルの仲間達は、それぞれ放り出されたままのマライト海兵の、武器を拾い集めている。きっと何処かの港で売るか、それかクロウが武器の性能を見て、所持している武器の改良面をまた熟考するのだろうな、とセシルは色々思いを巡らせた。セシルの里帰りからマライトへ到着するまで、ガンダルシアの海軍とも一悶着あった際、副船長はちゃっかりガンダルシア兵の武器を集め、性能を確かめていた。
魔術作用のある物には、セシルとペルソナにもしっかり、「これはどういう属性で、どんな効果があるのか」など、生真面目に訊きセシル自身も応えられるだけ話して、三人で魔術武器に対して話し合う事があるほど。
このブラックパール海賊団の副船長は、それはもう色々な事に追求心が絶えない。
まぁ、それがこの海賊ブラックパールが、恐怖の海賊だと言わしめる一つの所以だと、セシルは海賊団に入ってからそう思っている。
「ふぅ・・・、緊張したぁ」
故郷で狂った魔物と戦ったが、対人間となるとどうしても、腰が引けてしまう。
未だ慣れない海軍との戦闘に、セシルは息を吐き、杖に縋り付いてへたり込んだ。
それと同時に、船全体を囲む水膜がパシャンと弾けて空に溶けた。
「セシル~☆お疲れ!」
ダカダカッ派手な足音を響かせ、船尾で舵を取っていた航海士が向かって来る。
甲高い声と共に陽気な様子で。
「ぁ、ルーヴィッヒさん、お疲れ様、怪我は・・・無いみたいですね」
「うん!俺は今日、舵取ってたからな~ひと暴れは出来なかったぜ☆でも、お腹すいたんだぜ☆うひゃひゃひゃひゃひゃ~☆」
少し伸びた灰色の前髪を払って、セシルはその陽気な航海士を見上げれば、あっけらかんと馬鹿笑い付きで応えられた。船尾にある船躁室の窓から、他の水夫から「ゴラァ~航海長っいきなり居なくなるなァ~」と怒鳴り声が聞えてくるのは幻聴ではないだろうか。
「ルーヴィッヒさん、何も言わずに、持ち場を離れちゃだめでしょう」
「だって~つまんないんだモン☆」
ぁ、僕の幻聴なんかじゃなかった。セシルは今舵を取っている水夫に軽く同情する。
言われた張本人。気にしないでいる航海士ルーヴィッヒは、子供の如く口笛を吹いてどこ吹く風。
「ぴぴゅ~☆ブッラクパールは、強いぞ、凄いぞ、どこまでもォ~♪船長は恐いけど、目つき悪いだけ~、尻尾髪はきっと頑張り屋さん~、保健室の先生も笑顔で怖い~♪」
など、セシルの言葉など気にせず、即興で歌う金髪碧眼。まるで反省の色が無い。
赤いスカーフを靡かせ、キャプテン帽を被ったり脱いだりしながら、セシルの周囲を小躍りしながら周って・・・意味不明な行動を取っていた。
(いや、だから・・・何故に僕の周りを、歌いながら踊るの?)
セシルは辟易しながら、内心ツッコむ。言葉に出して、わざわざ言うのは疲れた。
そうこうしている内、セシルの横から低い声が掛けられる。
「おら。ルーヴィッヒ。まだやる事残ってんだろーが。仕事に戻りやがれ。」
海軍船から戻って来た、掠り傷さえない漆黒の副船長クロウだった。
「ぎゃほ―――いっ☆ラジャ~」
上司の声に跳び上がりつつ、キャプテンハットを片手で掲げ、航海士は元気よくお返事。
バタバタとこれはまた、派手に持ち場に戻って行った。
「・・・なんでアイツは。あんなやたら元気なんだ。」
そのあっ軽い航海士の背を見つめ。げんなり、米神に手を当てクロウが呟く。
「そんな船長、ルーヴィッヒさんに限っては、今に始まった事じゃないんでしょう?僕より付き合い永いのに・・・そんなゲンナリ言わなくても余計疲れますよ」
「解りきったことほど。げんなりするモンはねぇよ。・・・あー午前中には港に着く予定が、
あのあっ軽い金髪碧眼のおかげで、狂っちまったぞ。ッチ。」
軽く舌打ちするクロウに、苦笑いを浮かべたセシル。
どことなく哀愁が漂うクロウに、セシルはあのトラブルメイカーである航海士のお守りの大変さに、ひっそり哀憫の情を寄せた。
「まぁ、気持ちは解るけど・・・うん、もう終わった事だし、ね?諦めることが先決だと僕は思います」
次々と撤収して船に戻って来た仲間達が、なるべく、そうなるべく、クロウが項垂れている姿から視線を外して、手を動かし持ち場に戻る。自分達じゃ、船長なぐさめられないからっセシル頼んだぜっ・・・心の声援が聞こえてきそう。否、セシルには聴こえてきていた。
(みんな、やっぱり船長の事、恐いんだ・・・だからって、僕だけ慰め係ってどうなの?)
今回はマライトの港には居る際、海軍と一戦交える事の無い様に、海賊旗を下げて港に入る予定だったのだ。これなら、海軍にも町や商船を襲う意志無し、と見られた。予定通りに一戦交える事もなければ、アルバ港にもう午前中には着いていた筈。
そう、着いていた筈なのだ・・・だが現在、太陽は空に垂直に座って輝いている。
それにはクロウが言う、あっ軽い航海士が海賊旗を下げ忘れた事が、関係してくる。
忘れた理由が、これまた航海士曰く。
ルシュカとカードゲームしてて忘れていた!なのだから・・・クロウが激怒したのは、言うまでもない。現在、彼のクロウは怒りにより、疲れ果てていた、主に精神が。
「あのアホ垂れ。海賊旗は下げとけとあれほど・・・はぁ~ぁ・・・。」
深く溜息を吐くクロウ。セシルは苦笑いでその背を、よしよしと撫でる。幾ら苦手な上司と言えど、セシルは彼の苦労を日々、目の当たりにしているのだ。
思わず慰めたくもなる。
「クロウよぅ、まぁそう言うなや~セシルの言う通り、あの馬鹿のトラブルは今に始まったことじゃねぇーし」
セシルが慰めていた所に、クロウの肩を大雑把に叩く、大きな手が降りる。
ガハハハッと豪快な笑声と共に、浅黒い巨体が揺れるのは、水夫長のバルナバスだ。
「あ、バルナバスさん、お帰りなさい」
「おぅ、ただいまセシル」
セシルが帰って来た水夫長に挨拶すれば、水夫長の大きな手でセシルの頭をぐちゃぐちゃと撫でてくれた。セシルはその繊細さはないが、どこか父親が我が子を撫でるような、大雑把な手の心地が好きで、どこか胸がほっとする。
「ふふっこそばい」
思わず眼を細めて、セシルは頬を緩めてしまう。
そんなセシルを、眩しい者でも見るように、バルナバスはフッと笑い。そして、傍に居る年下の上司へ視線を移す。案の定、漆黒の副船長はセシルを眺めて、無表情だが、眼元が和らかいのが見て分かった。水夫長の視線に気が付いたのか、クロウの黒い視線が、すいっとバルナバスに移って眼が合った。
「おー、そうだクロウ!おめぇさんも、だ」
バルナバスはニカッリと笑って、誤魔化す様にクロウへ手を伸ばす。
「バルナバス・・・。俺は別に何とも思ってないのだが。」
如何にも不服と。眉間に皺寄せる副船長は、その太い腕から逃れようと、頭を動かすが・・・。
「ま~そんな遠慮するなって、只の挨拶、挨拶だァ」
ガシッ!―――ガシガシガシ・・・肩を片手で掴んで、押さえつけるようにクロウの頭を強制的に撫でた。
「ちょ、待て。バルナバス。俺は結構だ。ちょ、おいぃっ!!?」
力ずくなので、クロウの黒い真直ぐな長髪が、所どころ跳ねている。必死に抵抗するクロウを余所に、その傍でセシルは、バルナバスに撫でられ乱れた髪を、必死に整えていた途中だ。誰もブラックパール海賊団の良き父親である、水夫長のスキンシップに水を差す者はいない。バルナバスはその現状に、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべる。
「よぉ~し、よぉ~し、クロウお疲れだったなァ」
セシルが傍に居るおかげか、クロウも本気になれない。それを知った上で、バルナバスはここぞとクロウに構いたくった。ぐしゃぐしゃと頭を乱暴に撫でて、
「それに・・・」
「それに。なんだバルナバス。~~~っか、手ぇ離せっ」
こそっと耳打ちする。ぐりぐりガシガシ、クロウの頭を撫でつつバルナバスは、ボソッとクロウだけに聞える声で話しかけた。
「いやなぁ、港に着きゃ俺があのお調子モン共の首根っこ捕まえとくから、お前ぇさんはセシルとリオンで、どっか楽しんで来いよ。そんな顰めっ面しねぇでな」
そう意図を伝えれば、クロウはピタッと抵抗の腕を止めた。
分かり易い男である。バルナバスは胸の内で、少しクロウの事を可愛く思った。
「バルナバス・・・。」
途端に無表情に戻ったクロウ。彼はただ呆然とバルナバスを見ている。
「おう!」
何だ?感謝の言葉か?いいぜそんな水臭いと、バルナバスは明るく応えれば、
「・・・・・・その気持ちだけで涙が出てきそうだ。」
搾るような、震えるような声音でそんな返事が返ってきた。そして、付け加えるなら、クロウの瞳が潤んでバルナバスではない、遠くを見ているよう。
予想もしない返事に、水夫長。これにはちょっと慌てた。
「おいおい、だいぶ疲れてんのか。それとも案に俺が前回失敗したので、お前ぇそんなの無理だと思ってんのか。どっちだぁ・・・」
「どっちも。」
「・・・・・・。」
思わず二の句が告げない。とりあえず、無表情に瞳を潤ませるクロウは、物凄く精神的に疲れていると、理解した水夫長。自分の先ほどの発言が、彼の疲れた上司には効果てきめんだったようだ。
若いのに苦労してるぜ・・・バルナバスまでもが、咄嗟に眼から涙が出てきそうだった。
バルナバスまでもが、思わず明後日に意識を飛ばしかける。
そこへ今迄、成り行きを見守って(正しくは観察して)いた、セシルが口を開いた。
「なに二人して話してるんです?船長、さっきからおじいちゃん船長が呼んでますよ」
訝しむ様に、覗き込む薄い緑。
意識を向けると、クロウとバルナバスの耳にも、老人船長ユージンが呼ぶ声が響いて入ってくる。
「あぁ。分かった。」
「じゃ、俺も持ち場に着きますかぁ~あらよっと♪」
クロウはコクリと頷き。セシルと共に船室に脚を向ける。バルナバスはその背を見送り、掛け声を一つ、あと一時間程で停泊するアルバ港へ思いを馳せる。
さァ・てぇ・とぉ~どうやってあのお調子モン共を、縛り付けてやろうかなぁ~
こりゃ、モーリスやミゲルに相談した方が良さそうだ・・・と。
バルナバスは網縄を肩にしょって、真昼の太陽を睨んだ。
鶯黄石月十八日 曇
今日、俺は港に着く前に、緊急会議を密かに開いた。
集まってくれたのは、モーリス、ミゲル、それにじいさんだ・・・。
議題は他でもない、『あのお調子馬鹿二人をどうやって捕まえておくか。』
これだけだぁ
クロウがもう精神的に参ってるので、見てらねぇのがそもそもの要因つーわけで。
たぶん、おそらくだがなぁ・・・俺が推測するに、
今日は特に朝から、クロウがセシルをデートに誘ったのはいいが、悲鳴と泣きが入った全拒否されて。付け加えて、セシルがパニック症状に陥って甲板から身投げ。
そのひと騒動から、クロウの奴ぁ相当ショック受けてたんだと思うぜぇ、表情にはでねぇけど。(なんせ眼の前で身投げするほど拒否されれば、俺だって・・・いやぁ誰だって精神的にキツイぜぇ)
その小一時間後で、ほら、あれだろ?
ルーヴィッヒの馬鹿がミスったろ?朝までに港に着けなかった事と、あの馬鹿どもを怒る気力で、もうクロウの奴ぁ精神が、ぼろぼろに疲れ果ててた・・・正直、泣けてくる。
(まぁ、馬鹿のおかげでセシルが少しだけ、クロウに同情してたけど)
あのままじゃ、本当に過労死するんじゃねぇか?
なぁ・・・モーリス、ミゲル、じいさん・・・どうしてくれようか。
あの『ル』が付く二人の馬鹿共をよぉ?
これ以上、クロウに追打ちをかけんように、いっそ鎖で繋いどくかぁ?
水夫長 バルナバス
ブラックパール号航海日誌
航海日誌をバタンと音と共に閉めたバルナバス。
はぁ~と溜息を吐きつつ、広い食堂を背後に振り返える。
そこには、もうすっかり、港に降りる準備は整っている船員達。
「ふふふふふ、では・・・作戦Aを開始しますよ~」
不穏な笑い声が食堂に響く。
普段着に着替えたミゲルが、キラリ、眼鏡を光らせブリッジを押し上げた。
「りょ~かいっ任せといて♪」
モーリスが息巻いて手を上げる。
それと共にバルナバス達は静かに、頷き合い意を決した。
そうして、男達はほぼ全員。未だ港に降りる準備をして船室にいる、何も知らない『ル』が付く、二人の馬鹿共の部屋に突撃したのだった・・・。
その瞬間、ブッラクパール号の航海士と狙撃手の相部屋に、驚愕に染まった断末魔の叫び声が轟いた――――――――――――。
幼く小さな手がセシルの手を引き、ショーウインドウ越しに飾られた、ガラス細工のような美しい菓子を指さす。なだらかな下り坂、下町と言うより、中流階層が多いアルバの職人通り。
「セシル!セシル!お菓子屋さんのアレ!きれい!見て見て!」
「リオン君、待ってよ~」
「ほらね!きれいでしょ!」
セシルはリオンにつられながら、他の仲間達より少し先に、アルバ港町をゆっくり見ていた。
「わぁ~ほんとだ、綺麗だねぇ~、飴細工なのに・・・本物のガラスの食器みたい」
思わず出た、息を吐くほどの繊細な飴細工菓子。
リオンが上品な煉瓦造りの店先で、ぴょこぴょこ跳ねる。その横でセシルは、ガラス越しに飾られている、全て砂糖を溶かした飴で作られた、グラスや皿を純粋に感心して見入っていた。
「そうでしょ!夕日に当ってキラキラして、僕の宝物のビー玉みたい♪」
「ほんとだね・・・本当に綺麗なカッティングされた硝子みたいに綺麗」
アメリアや母さんが見たら喜びそう・・・そうぼんやり思う。
窓辺に飾られた、飴細工はどれも、硬質な硝子をカッティングしたようなほど。それは静かな水面に光を反射させたように、輝いてとても美しい。
「港町アルバって、一度来たことあったけど、こんな店がたくさんあったんだ・・・僕、余裕がなかったもんねぇ、観光なんて頭になかったや」
ぽつりと呟いて、セシルは前回訪れたところまで、記憶を脳内で戻す。
逃げるのに大変だったなぁ、あの時は。
あの時セシルはなんとかして、海賊団から逃げる事だけを模索していて。それなのに何故か、性質の悪そうな人たちに絡まれて。副船長クロウが助けに入って、自分も術でなんとか蹴散らせて・・・結局・・・、結局、逃げられなかったんだよねー・・・。
なので、こうやってゆっくり観光する余裕も無かったのは確かで。
(あ、あははは~・・・今では立派に海賊だよ、僕。)
どうしてこうなった?!
セシルは半ば自暴自棄に乾いた笑い声を、心の内で上げ続ける。
癖のあり過ぎる仲間達とは、ぎこちなくだが慣れて、海賊生活を送っている。
今日も今日とて、朝から魔術を駆使して援護にまわって、立派に魔術師として立っていたのだから。もう、本当にブッラクパール海賊団の家族の一員である。
紆余曲折あって、現在セシルはあの悪名高いブッラクパールの正式な仲間なったのだ。
(まぁ、でも海賊って言っても、普通の海賊じゃないんだろうけど・・・)
自分自身の魔物を惹きつける体質と、爆発的で突飛なチカラが宿るセシル。
普通なら気味悪がられるが、セシルが魔物と仲の良い事を、あっさり自然に受け入れてしまう彼等は癖があり過ぎた。トラブルメイカー航海士やいつも気怠い狙撃手の青年。いつも人形越しに話す、副船長と幼馴染の仮面の楽士。大らかでどっしりとした大人の風格が漂う水夫長、その水夫長を慕う、船の修繕は随一双子の水夫達。飄々とした航海医師、それとオカマ・・・じゃない、お姐料理長。そして優しそうなやや呆けた船長。その他水夫達。
こうやって色々な彼等の事情を省けば、まぁ・・・それはそれは、普通だと思うだろう。
セシルだってそう思う。
(だけど絶対そうじゃないよっあの人達!!他人に説明するのも面倒くさい、難しいぐらい、クセというか、アクが強すぎて、煮て焼いて食べても食中毒起すよっ!それぐらいぶっ飛んだ人達だよぅっ~~~~~~~~~!!!)
回想と共に仲間達の人物像を掘り起こして、内心セシルは精一杯に悶えた。
もうその瞳には、美しい飴細工から、仲間達との今迄の騒動が駆け巡って、それどころじゃない。美術的な菓子を目の前にしてでさえ霞むのだ。ここブッラクパール海賊団は!!!
「うっ・・・胸焼けしそう。」
思わず唸ってしまった。駆け巡る仲間達の普段の様子に、正直な感想が漏れる。
死んだ魚の眼になっているセシルの足元で、幼い声が不思議そうに上がった。銀髪を揺らして、幼い朱い瞳がセシルを見上げている。
「セシル?どうしたの」
「あ、リオン君・・・なんでもないよ」
ぶるぶると首を振って、セシルは苦笑いで応える。
「そう?」
ふにゃふにゃの頬を緩ませ、リオンは無邪気に首を傾げた。歳の頃は九つだろう、拾い子なので確証はないが、ガンダルシア人特有の色素の薄い幼児。
セシルにとって、弟のような存在。
海賊団の中でも、とびきり心置きなく、むしろ癖のあり過ぎる仲間故に、精神的な浄化作用を欲している所為なのか・・・いつも一緒に行動するのが最年少海賊のリオンだった。
(リオン君はとってもいい子で、可愛いな~)
セシルはリオンの笑顔で、最高に癒されていた。だが・・・それも刹那。
次のリオンの一言によって、現実に引き戻されるのである。
「おじちゃんも見て!きれいでしょ!」
くるり、セシルより反対にリオンは顔を向ける。その先、すぐ傍では漆黒のロングコートに身を包んだ、無表情にして、どこか感心した声音、黒長髪に黒い瞳の――――――・・・。
「おー。ホントだな。名産のガラス細工をモチーフにした飴細工・・・。匠の技だな。」
顎を擦ってセシル達と同じく、飴細工菓子を見ている、ブッラクパール海賊最恐の大元締め、副船長クロウ。西海最恐、恐怖の海賊頭が堂々と立っていた。
(なんで・・・一緒なんだろ。)
その存在を視界に入れた、心の中でのセシルの一言。
この西海最恐と言わしめる副船長クロウは、もしかしたら、前世は極悪人の北の魔王かも知れない僕に、『そんなこたぁ関係ない。』とセシルを海賊団に引き込んだ、とんでも副船長である。
だがセシルについてのこの事は他の仲間には、内緒にしてもらっているが・・・。
「どうした。顔色悪いぞ。どこかで休もうか。」
クロウが首を傾げ、声をかける。
「いや・・・大丈夫ですよ。気のせいじゃないですか?」
首を振って、漆黒の上司を視界から外す。すると、茜色に染まりつつある、澄んだ空が見える。心なしか眼が虚ろなセシルは、無理やりに明日の天気を考えた。
「?セシルどこか悪いの?」
そんなセシルの様子に、リオンも表情を窺うように眉を寄せて、心配そうに見上げてくる。
「あ、ううん、大丈夫だよ!?リオン君」
いけない、いけない、子供に余計な心配させるなんて・・・。
ちょっと声を強めてセシルは、笑って応えた。
そう言って、セシルは心配そうなリオンの頭を撫でる。
ただ・・・『苦手な相手が一緒で、血の気が引く。』とは―――とうてい言えない、セシルだった。そう、セシルはこの副船長クロウがとても苦手だったのだ。
何故ならこのクロウ副船長、押しが強く、加えて雰囲気が恐い、常に堅気でないオーラを纏っていて・・・。尚且つ、そんな恐い人に限って、セシルにとってもうどうすればいいのか悩むほど、交際を申し込まれているからだ。
(なんだって男である僕が、男に口説かれる状況に陥るの?おかしいよコレ???どうなってるの世間。)
今日の早朝は、その交際云々で一悶着があり、海にうっかり落ちたセシルである。
気まずいのは当り前。
「おじちゃん!どっか休もう、僕もお腹すいたの・・・」
「そうだな。もう夕刻だし・・・食べに行くか。」
「わーい♪ごはん!ごはん!」
育ての親の一言で、嬉しそうに跳ねる幼子。
心、ここに非ず、なセシルの目の前で、もう話が海賊親子により、纏められてしまっていた。幼い手が、颯爽とセシルの手を握る。
「さ、行こうセシルゥ~ごはん!」
タッと駈け出す反動に、セシルが前のめりになった。
こけそうになったところで、開いた片手が握られて、上体がもとに戻る。
「ほら。行くぞ。」
「え、えぇ・・・、は、は~い」
ゆるゆる視線を繋がれた手の先を辿ると、黒曜石の瞳と眼が合った。
そのままクロウは手を繋ぎながら、セシルの前を行く。
「セシル!セシル!早く~ごはんごはん♪」
「・・・・・・リオン君、ごはんは逃げないよ。」
「アルバの楽園にしよう。あそこは食堂もやってた。」
右手に可愛いリオン、左手に恐怖のクロウ。
セシルは二人の親子に、がっちり挟まれて夕日に染まる坂を下って行った。
あぁ、僕って、どうしてNOが言えないんだろうっ
そしてどうして、僕はこの暗黒副船長と一緒なんだろう。
あ、なんか・・・涙が出てきた。
茜色の自然な色彩を眺めつつ、セシルは己の押しの弱さに、ちょっぴり泣けた。
静かに肌寒い風が吹き込む外とは、対照的に『アルバの楽園』はガヤガヤと賑やかに、温かな雰囲気に満ち溢れていた。セシル達は窓辺のある、ゆったりとした四人掛けのテーブル席に腰かけて、あれから夕食を取っていた。時間帯のためか、広い食堂のカウンターに近い場所には、ちらほら仕事終りの男達が酒を煽っていた。セシルがふと、窓に目をやるともう茜色に染まっていた景色は、すっかり群青に様変わりしている。
その横では、リオンが南瓜スープをスプーンですくって、勢いよく美味しそうに飲んでいる。おかげで、その口周りは黄色いスープまみれで、ベタベタだ。
「リオン君、お口のまわりスープが付いてベタベタだよ、ほら」
「むぅ~~~~~」
セシルは備え付けの紙ナプキンで、リオンの口元を拭う。そうすれば、リオンはされるがままに口元を拭われ、また南瓜フープを嬉々として飲み始めた。その二人の様子を眺め、パンを千切っていた向かいに座るクロウも、諭すように口を開く。
「リオン。南瓜スープが気に入ったのか?スープは逃げんぞ。ゆっくり食べなさい。でないと消化に悪い。」
「アイ!」
クロウの言葉に納得したのか、元気よくスプーンを握り片手を挙げるリオン。その頬と口元には、セシルがさっき拭いたばかりなのにも拘らず、もう南瓜スープがベトベトに付着していた。あはは、もう口元がベタベタだよ、セシルは苦笑いしながら、
「あぁほら、お口がまた・・・スープばっかりじゃなくて、パンもあるから、あとでハンバーグも来るんだし、ゆっくり食べようね」
そう言って、またリオンの口元を拭う。
「~~~~っ!ハンバーグ!!」
大好きなハンバーグと聞いて、一際リオンの瞳が輝いた。今日は外食が出来て、ことさら嬉しいらしい。船に普段いる元気なリオンは、より今は輪をかけて元気だとセシルは思った。まぁ、ほぼ毎日海の上で限られた船の中でしか、遊ぶ場所も無いリオン君にとっては、外は嬉しいんだろうなぁ。
リオンがパンにかぶりついている姿を横目で見て、セシルはひっそり呟いた。
その時である、セシルとクロウの耳に、聞いたことのある声が響いたのは。
「あ、いたいた!クロウさーん♪」
ぶんぶん手を振って、こちらに向かって来る蜂蜜色。その色を映した金髪と共に珍しい金眼、温和な面構えの優男とも見える―――――――クロウより二つ三つ歳上であろう男。
「っ!?」
そしてクロウとセシル二人が、見つめる男の傍で、警備騎士団の制服を着た男がグッと眼を開け、破顔している男が一人。訝しげにセシル達が見ていると、その表情が、苦虫を潰すように表情へ変わり、金眼の男に騎士の男が連れられて、こちらへ向かって来るのが見えた。
「・・・・・・あ。将校。」
「ニコラスさん?」
金眼の男を目に留め、二人が同時に口を開いた。
なんだって、マライト将校(国の偉い人)が、こんな町の食堂にいるんだ?
そしてどうして、海賊である自分達にそう親しく近くに寄って来るんだ?
次に遭う時は敵同士って言っていた筈なんだが、どうしたんだよ?!この陸軍将校。
『何故ここに居る?!』
クロウとセシルの心が、思わず一つになった瞬間であった。
そんな二人の思いも知っているのか、知らないのか・・・。ニコラス将校は実に、爽やか~にクロウ達のいるテーブル席まで笑顔で来ていた。
「いやぁ~お久しぶりです、クロウさん、セシル君、あ!それとリオン君」
「お、お久しぶりです・・・ニコラスさん」
「なんで将校本人がここに来るんだ。」
爽やか笑顔に挨拶なんかされて、とりあえず無難な挨拶をするセシルと、直球で疑問を口にするクロウ。
「やだな~その方が面白そうだからに決まってるじゃないですか~♪」
リオンは、こんにちは!と手を上げている。子供はいつだって、無邪気である。
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
二人は将校爽やかスマイルに、引き攣った笑みと、眉間に皺寄せた表情で、顔を見合わせた。面白そうだからって・・・それでいいのか陸軍将校。
二人は、そんな思いを喉の奥に引っ込めた。
言ったって無駄であろうことは、この際なんとなくだが解りきっている。
何故って?
もうその陸軍将校は、さっさとクロウの隣の席へ、腰を降ろしていたからだ。
さすが突風夫婦の夫。行動が嫌味なく早い。
「あ、こっちは幼馴染のエドワードです、警備騎士団長の」
颯爽と家族の輪に入った、ニコラス将校。彼はその傍で立ち尽くしていた、緑の制服を来た幼馴染をクロウ達に軽~く紹介する。その紹介された本人、エドワード警備騎士団長はというと――――。
「ちょっと待て、ニコラス」
ブルブルと肩を震わせ、怒りをにじませた声と、表情を以て立ち尽くしていた。
「なに?」
ニコラス将校が、不思議そうに首を傾げる。
「俺に会わせたい美人って男じゃねぇかっ!!」
カッと大口を開け、盛大に怒鳴る。ズビシっとエドワードが指差した先には、奥に座るクロウの姿があった。セシルはなんとなくだが、このエドワード騎士団長が、どう言い含められて、ニコラス将校にここに連れてこられたか予想できてしまい、可哀想にエドワードさん・・・と十字を切ってしまった。
「やだなぁ、エドワード、私は一言も女性だなんて言ってないよ?」
エドワードに怒りもなんのその。ニコラス将校は、穏やかにメニューを開きながら応える。
「しかも、コイツはさっき俺が話してた、海の魔物、海賊ブッラクパールの頭だろーがっもっと言えば、マライト国の脅威クロウ大佐だろ!そんな奴連れてくるなんざ、どういう了見だっ!えぇっ?!!」
「違うよエドワード、クロウさんは海賊の副船長で、船長じゃないよ。後、連れて来たんじゃなくて、私が昼に彼がここに居るって嗅ぎつけただけだもん!」
怒鳴る幼馴染に、子供に帰った将校は、悪ガキ同然の屁理屈で返す。メニューから上げた顔は、もう悪戯に真剣な子供そのものである。
「だけだもん!じゃぁ・ね・ぇ・よっ!?屁理屈こきやがって!副船長も、船長もそんな変わらんだろーがよ!!」
周囲の客そっちのけで怒鳴る騎士団長は、人目も憚らず、そのままニコラス将校の頭をゲンコツでグリグリ・・・テーブルに押さえつける。
その姿をリオンは、すご~い!と呑気に手を叩いて観察している始末。
「それも・・・そうだな。」
そして最後。将校と騎士団長のやり取りを、黙って観察していた副船長のこの言葉。
「船長さん、納得するところなのソレ?もっと焦るとか・・・まぁ、うん、もういいや」
セシルは溜息を吐きながらも、もう何も言わなかった。
クロウがマライトの将校や海賊に厄介な存在の警備騎士を、眼の前にしても焦るとか、最早考えられない。焦るよりクロウの場合なら、迎え撃つ方が、すぐさま予想できる。
それでも、もう少し慌てるとか、動揺とか・・・してもいいんじゃないの?なんでそう冷静なの???セシルは自分の事を棚に上げて、そう思いつつ水に手を伸ばす。
こちらも、傍から観れば、余裕綽々であった。
「もう、エドワードは昔から沸点が低いんだから~っと、お姐さーんこっちも、ビール二つくださ~い」
そして自由を謳歌する将校、ついに彼はビールを頼みだした。
「ゴラァっニコラスッなに一緒の席座ってんだぁ」
いやはや、ごもっともな意見。顔を真っ赤にして怒鳴る、騎士団長。
「こっちは同席しろなんて。一言も言ってはいないがな。」
尽かさず、クロウも口を挟む。
「あ~も~、エドワード。君って本当に空気読めないなぁ・・・私は今日、大事な話をしようとクロウさんに会いに来たんだよ?もちろん君にもね」
空気が読めないのは将校の方だと、そう思うのはクロウとセシル。だがソコは幼馴染騎士団長、エドワードにはニコラスの空気の読めないスキルには、免疫が付いていて気が付かない。よってツッコミさえ出さずに、こう訊き返したのだった。
「あぁん?大事な話???」
「そ!大事な話」
訝しげな声に、ニコラス将校は片目の金を瞑り、白歯を見せ爽やかに笑う。
その笑みにクロウはこの騎士団長の男が、将校の策に嵌ったなと、静かに思ったのは言うまでもなかった・・・。
「ンで。わざわざ将校閣下まで直々に来ると言う事は。フルブライト山脈付近下での魔物の件は黒だったんだな。」
「えぇ、そうです。」
頼んだ肉を切り分けるクロウ。クロウはすみやかに本題に入った。そして四人掛けテーブル席に、一人だけ椅子を持って来て座っているのは、不機嫌なエドワード。ニコラス将校は、ビールを一口含み頷く。先ほどまでの悪戯少年の笑顔からすっと、冷たい大人の顔に戻る。
「まず・・・これを見てください。」
すっと、懐から将校が取り出したのは、ガラスケースだ。その中には、錆びたコインが一つ。白い布の上に鎮座している。とても嫌な感じだと、セシルは思わず眉を寄せる。
その見覚えのあるコインとコインの気配に、セシルは瞳を険しく窄めた。
「ある魔物の死骸から、検出されたコインです。貴方が言っていた可能性通りでしたよ、魔術協会の派遣執行員に調査を依頼すれば、魔王信仰・・・神魔教団に関わりがあると断言されました。」
そう言って、ニコラス将校が周囲を見渡す。
今迄、そんな情報を知らされていなかったエドワードも、セシル、リオンも思わず身を乗り出しす。そのガラスケースに眼が釘つけになっている周囲に反して、クロウはフッと暗く嗤う。
「奇遇だな。」
自身のコートから小さな包みを取り出した。クロウが黙って包みを開けば、同じく何やら禍々しい文字が刻まれたコインが一つ。思わず静かに、息を呑む将校と騎士団長。
「このコインは・・・同じ物ですね」
これをどこで?と将校は、金の瞳だけでクロウに問いただす。
「貴殿が調査を依頼している間。こっちガンダルシア本島、セシルの故郷であるカルセドニア村も、ジャパリアやそちらの件と同じように、魔物に襲撃された。しかも。ご丁寧に大量に魔物が出て来るよう村に結界を張って、だ。」
クロウが将校の視線に応える様、薄い口を開く。ニコラスが自国に戻っていた時、同じくして、セシル達クロウが出くわした魔物達の襲撃事件を簡潔に話す。
このコインは、その時に殺した魔物の体内から、クロウが失敬した物である。
「セシルがその文字を読むに。案の定。魔物に強制的に人間を襲わせるよう。呪文が刻み込まれているそうだ。」
禍々しい気配が漂うテーブルに、なるべく意識を逸らした。クロウは窓の外へ視線をよこし、息を放つ。セシルも嫌そうに、顔を顰め二つのコインを睨む。
「はい、しかも神魔文字なので・・・魔物にとって、精神における猛毒そのものです。」
「加えて。カルセドニア村を襲った魔物達。それは人間の一部を使った、合成獣だった。」
セシルの言葉に続けて、クロウがニコラス将校へ口を紡ぐ。
「その人間の一部。その殆どは、生後間もない赤子や、子供のものだったらしい。協会からの資料を読めば、そうだった。ざっとその数。二十人分。」
クロウが話す事実に、ニコラスは言葉が出なかった。思考が一瞬、止まる。
彼はなんと言った・・・人間の一部だと?それも、生後間もない赤子の―――――――。
「合成獣の生成はいくつか魔術協会からも規定があるが。その最も最重要禁忌は、人間と魔物の合成。発見されれば即、禁忌を犯した者は死刑に課せられる。」
ニコラスが周囲を見渡せば、当のクロウはいたって無表情だが、眼には鋭い刃のようなモノが備わっていて、本気の眼だ。嘘だとは思えない。
セシルはいつの間にか、そっとリオンの耳を塞いでいて、物憂げに顔を伏せていた。
「え・・・おい、そりゃ何の御冗談だ」
静まりかえるテーブル。始め言葉を発したのは、表情を失ったエドワード騎士団長だった。
「ここ最近、魔物達の不自然な動きの裏には。人間の愚かな作意があると言う事だ。『我ら、地を這う魔に寄りて、天を制する者なり。』だと、どうだ?魔王信仰のおおもと神魔教団・・・嗤える宣言文句だろ。」
結界の媒体にされていた、タイルに記された朱文字には、確かにそう記されていた。
魔物を侍らせ大陸を恐怖に落とした魔王を模し、自ら生み出した出来損ないの魔物で、この地の天下を取ろうなど・・・。己の首を自身で絞める事と同じ。とんだ嗤い話だ。クロウはそう一人ごちる。
「ガンダルシアの事件で、魔術協会は本格的にエルラド大陸全土に渡って、派遣執行員をだすそうだ。」
ハッと乾いた嗤いをクロウは浮かべる。そして、懐から一枚の紙切れを取り出す。
「これは・・・」
五芒星を背景に、髑髏に剣を突き立てた印。それを囲む神魔文字。
ニコラスとエドワードが覗き込む、白い紙には見た事も無い紋章が広がっていた。
「神魔教団の残していった紋章だ。見ろ。コインの裏にも描かれているだろう。」
クロウが二人へ神妙に眺める中、細長い指が包みの中にあるコインを裏返す。さすれば、同じ紋章がコインに刻まれていた。
ニコラスが、恐る恐る自分もガラスケースから、ハンカチ越しにコインを取った。確認のためだ。そして裏返す、錆びて見えにくいが、同じ紋章がある。
ごくりと、ニコラスは生唾を飲んだ。同じくセシルも、眼を瞬かせる。
これではっきりした、ここ近くフルブライト山脈地帯で起っていた、人を襲う魔物の活発な動きも。ジャパリアで居合わせた、異常な泥人間や巨大食人木。
そしてセシルの故郷である、カルセドニアの事件―――合成獣。
ニコラスが自国の事件を、魔王信仰が関係していると見ていた読みは、間違いではなかったのだ。
(だが・・・それを知ったとして、これからどう動く―――?)
追うと言っても手掛りが無い。魔術協会から派遣執行員が全土に派遣されるらしいが、おそらく後手に回る事が多いだろう事は予想できる。
ニコラスが内心、思いを巡らせ腕を組む。
「あっ」
その時、突然声が上がった。ニコラスの隣、四人掛けテーブル席に、一人だけ椅子を持って来て座っているエドワードの声だ。
「どうしたんだいエドワード?」
ニコラスが幼馴染へ顔を向ければ、
「この文様・・・俺、つい最近だっ・・・見た事がある」
渇いた声が漏れる、エドワードが険しい表情でそう断言した。
「えぇっど、どこで?!!」
「ほんとうですか?!」
思わず身を乗り出し驚くニコラスとセシル。その奥でクロウが冷たい視線で、エドワードを射抜いている。
ちょっと待て、焦らすなよ、お前ぇら思い出すから。っと詰め寄る二人に、エドワードは思い出しているのか、
「たしか・・・本当に、つい最近・・・牢の方へ寄った時に」
しどろもどろに応える。
何処で?いつ?と記憶を掘り探れば、昨日、牢の不衛生な臭いが脳を掠めて――――・・・。
俺はたしか、尋問で吐かそうと・・・それで、男の腕に、鮮やかな見た事ない刺青が。
髑髏に剣が刺さった刺青・・・。
「あぁ!そうだっ・・・ほら、ニコラス!お前が言ってた、ゴーゴン家云々。麻薬の件でのガサ入れで、取引現場にいてしょっ引いた!ルドン一味の子飼い!彼奴等の中にいた一人が、それと同じ刺青を腕にしてたんだよ」
思い出したと、エドワードが声を上げニコラスを見張る。
「あー!!さっき言ってた!あの話っ」
合点がいったニコラスも、つい声を上げて、ぽんっと手を打った。
まるで話について行けないのは、クロウとセシル。セシルはまるで分からないと、首を傾げた。二人の海賊は顔を黙って見合わせた。
「・・・どういう事だ。」
そう口を開いたのは、クロウの方だった。
「あ~、クロウさんがおっしゃていた、ゴーゴン家縁の私船や小舟による情報を貰ったんで、こっちに戻るなり、一度このエドワードにマライト全土の港をガサ入れさせたんですよ・・・そしたら」
「このアルバの港で、ルドン一味とヨークシャー家の三男とバーンズ家、次男。それとクーパー家の四男の中層貴族の坊ちゃん。それと、ルドンの子飼い。まぁバイヤーだな・・・俺が乗り込んで、現行犯で牢に強制連行した」
肩を竦ませ苦笑いのニコラス、それとエドワードが苦々しく煙草に火をつけ応えた。
チッと舌打ちした後、エドワードはマッチの火を消す。
「そうか。やはりな・・・。裏の業界人や貴族のパトロンが背後にいるのは、こちらも予想済みだった。」
クロウは溜息交じりに、言って目を伏せた。
「その貴族のお坊ちゃんは、まぁ、私が知る限り、ゴーゴン家と面識がありますよ」
ニコラスが笑顔で、クロウにそう言いやれば、黒曜石が片目だけ開く。
思わぬ接点に、セシルもニコラスを見やった。
「じゃあ。俺等にとっては好都合だな。」
口角を上げて呟けば、もうクロウは興味を失くしたらしい。
切り分けた肉を、口に運んで食事を再開し始めた。
あ・・・船長、お話終わったみたいだ。
セシルには少なくともそう見えて、自分もモソモソとパンを千切る。貴族階級、軍事の事まで、一般市民であったセシルには解らない事ばかりだが、副船長の様子を窺えば、もう情報は十分らしい。食事を再開している雰囲気は、もうどこにも鋭い気配がない。
船長はなんだかんだ言って、ニコラスさん達を巻き込みたくないんだろうな、余計な事を口に出さないよう、僕も黙って食べておこう。食べられるときに食べときゃなきゃ!
セシルがそう思って、もう一つブレッドに手を伸ばした。
丁度その時、先ほどまでの非人道的な話に、頭を痛めていたエドワードだが、クロウお言葉に、はた、と気が付いたらしい。
「つーか、薬の取引情報はお前かよっ!!この町をボロボロにしたくせして、何考えてやがんだっあぁん?!この黒い魔物野郎っ」
彼は根っからの真面目君。マライトの脅威に対して、腸煮えくり返る思いをぶつけだした。
「ちょ、ちょっと待った!エドワードっ!!!それとこれとは関係ないだろうっクロウさんにも事情があるんだよっ」
ぎろり、エドワードが睨み付ける。それに待ったをかけるニコラス将校。
が・・・、クロウは気にする様子も無く、いたって無表情に食事を進めていた。
「別に。何も考えてないが?町を滅ぼす必要も無い。ジェーダイトとは平和条約を結んだんだ。国同士の争いなんぞ、しばらく起らんだろ。それに俺はもうどちら側でもねぇーよ。」
そう言って、ステーキ肉をリオンの口に放り込んでいる。
「船長・・・ほんとに何も考えてない顔してますね。何で、この状況下でそんな表情できるの?」
無表情に言いきる上司の表情を窺っていたセシル。その瞳には、親しい者でしかわからない、クロウの微々たる表情の変化を的確に見抜いていた。
「・・・それに。俺はもう軍も家も出た身だ。こうやって、親子で食事しているどこにでもいる観光者だぞ。」
あ・・・僕の指摘、無視した船長。図星だ、図星だよね?!この無表情がっ!と、セシルが声に出さずにクロウに猜疑の眼で見つめていると、ガタンと椅子が退かれる音がした。それと共にエドワードが立ち上がる。椅子とエドワードの剣幕に、セシルはビクッと体を震わせ前を見る。
「どこにでもいる観光者は、領海侵犯なんざしねぇんだよ!!いいかっこのフワフワ脳みそ豆腐のニコラスを垂らしこんで、町に何をするつもりだ!神魔教団か何だか知らんが、言っとくが俺は海賊なんざと手は組まねぇからな!」
ビシッと指をさし、捲くし立てるエドワード。
その騎士団長を冷やかに黒い視線は、微動だにせず静観していた。その様子に、店に居た他の客たちが、いっきに身構え、口を紡ぐ。店内に重苦しい静けさが降りる。それもその筈クロウは海賊の頭、たてつく騎士団長に、クロウの気が変わって、ここで斬りかかってもおかしくはない。店内の客同様、セシル達にも緊張が走った。
「・・・・・・・・・・・。三つ良いか。」
いやに重たい沈黙の中、すっと意中の人物から、三本指を騎士団長の前に翳された。
「なっ・・・なんだよっ・・・」
緊迫した空気に、エドワードは身構えた。
クロウの予想せぬ言葉に、やや上擦った声で訊き返す。クロウは騎士団長を射抜くように見つめた。
「一つ。海賊が港襲って何が楽しいんだ。普通。海賊なら海で勝負だろ。町を襲うならそれは山賊だろ?海賊が陸を襲うだと?それこそナンセンスだ。だからアルバには手を出してない。」
三本立てた指を一度引っ込め、クロウは一つ目と人差し指だけを立てる。
「うっ・・・」
クロウの言葉に、エドワードも返す言葉も無く息を詰めた。それもその筈、ブラックパール副船長クロウとして、彼がこの町を襲った事は一度も無いのだ。
エドワードを見詰めたまま、二つ目と二本の指を立てる。そして、少し溜息交じりにクロウはこう言った。
「二つ。俺はニコラス将校を垂らしこんだ覚えはねぇ。寧ろ。そっちが俺等の船に乗り込んで来ただけだ。しかもアリッサ夫人と二人で。」
「はぁ?ニコラスっ・・・」
呆れたとも取れるクロウの言葉に、エドワードは驚いて勢いよく、鎖縁の幼馴染を振り向いた。
「アハ♪ごめんエドワード、それ本当」
悪びれも無く、ニコラスは実に爽やかな笑顔で肯定。蜂蜜色の髪を掻きつつ、手をヒラヒラと振ってエドワードに応えている。その様子に、開いた口が塞がらないエドワード。
・・・まったく何がごめんなのか、反省の色が見えない。
だんだん、この年上の騎士団長がクロウに押され、幼馴染でさえ後ろ盾ではなかった事実に、セシルは少しだけ、この騎士団長を可哀想に思った。
「三つ。俺は貴殿等と手を組むつもりはない。ただ今回は情報を聞いて、こちらも見合う情報を渡したに過ぎない。後はそっちの好きなようにすればいいだけの事だ。」
三つと三本の指を立てるクロウ。彼はふぅーっと、さも面倒だ。と息を吐いて、手をヒラヒラひらつかせる。案にもう話は終わった。後は各々でなんとかしろ。とでも言う様に。
「ぐっ・・・」
エドワード騎士団長はぐっと、唸る。クロウの仕草に苛立つも、全く反論できない。
余程悔しいのか、セシルが見守る中、彼の肩や腕が震えている。
わかっているのだ、この海賊が町に来ている時は、やたらと人々が明るいのを。
自分達が町を守っても、治安が良くならなかったのを。
だからって・・・認めたら、俺らのやってきたことはなんだったんよっ認められるかっそんなの・・・素直に認めるのは、エドワードの騎士団長としての面子が許さない。
「だって、エドワード?クロウさんはこの町に何もしないと思うよ、それに・・・私だって軍人だ、いつ誰に恨まれて殺されても文句言えない。君は町の警備騎士だから、外の土地へ争いにはいかないけれど・・・戦う者にとって、それは同じようなものでしょう?君のは、八つ当たりにしか聞こえないよ、エドワード」
震える肩を宥めるように叩く。いつも穏やかに微笑んでいる将校だが、この時ばかりは、少し困ったような笑顔で、誠実な金眼が覗いている・・・。
エドワードはニコラスの戦う者と言う単語に、すっと頭の芯が冷えた。
あぁ、そうだった・・・そうだったよ。だから俺は、町の皆を守りたくて、騎士団に入ったんだっけか。エドワードは、じろりとクロウを見やると、深く息を吐いた。
国を守る為、家族を守る為、己を守る為、戦争が起きれば、国同士で戦うには。
――――――どうしても、死人がでる。どうしても、殺さねばならぬ事態に陥る。
誰だって、生きたいと思う。それが罪だって思わない。
理屈でわかっていても、それでも大切な者を失えば、感情が追いつかないのが人間だ。
誰かに恨まれても仕方ない。誰だって、背には十字架を背負っている。
「ふんっ八つ当たりでもいい、俺は海賊とはつるまんからなっ!!!」
町をかつて滅茶苦茶にした男は、どこ吹く風で幼子にステーキを食べさせている。
コイツは・・・気に喰わない、けど――――マライトに蔓延る溝鼠の話はいけすかねぇ!
声高々に言い放つも、エドワードはどっかり座り直した。
「アハハ~、素直じゃないんだから」
すっかり、話を聞く体制に入ったエドワード。
それを見張って、ニコラスはのんびりと笑った。当のクロウは、いつもの如く無表情で。
「別に気にしてない。騎士団長なら、そう言ってもおかしくないだろ。騎士は守る者でもあるから。俺とは違うだろ。つーか。悪りぃのは、己の地位も立場も忘れて、海賊に接触してくる警戒心のないどこぞの将校が悪いと思うぞ。俺は。」
呆れた声音で、頬杖を突きながらマライトの軍人二人を眺めたのだった。
「ん~?誰だろうなぁ?そんな人いるんでしょうかねぇ~いやぁ、ハハハハハハ♪」
「ニコラス・・・お前ぇ」
クロウの呆れた視線もなんのその。
朗らかに笑うニコラスに、エドワードが半眼になり非難の眼を向けた。
そうして場の緊張が解けた空間に、ほっと安心したセシルが胸を撫で下ろしていると、
「お待たせしましたーハンバーグ定食ですぅ」
癖のある黒髪のウエイターが、にこやかにテーブルに向かって来る。やっと、リオンの頼んだハンバーグが来たようだ。
「あ、こっちです」
セシルがウエイターに手を上げて促す。『はい、どうぞ♪』とウエイターが盆から皿を取り出した。すると湯気経つおいしそうなハンバーグが、テーブルに飾られる。
「ハンバーグ!」
ウキウキと、リオンがフォークを握りしめる。
ジューシーなひき肉の匂いと、食べ応えのあるボリュームに、リオンは眼を輝かせた。
先ほどまでの陰惨な話題と変わって、こちらもう常春の空気が漂って微笑ましい光景だ。
待ち望んだハンバーグに、喜び勇んでフォークを立てようとするリオンのそこへ、クロウの声が待ったをかけた。
「お。リオン。ちょっと待て、これをハンバーグに刺したら、お子様用ランチ完成だ。見ろ、世界の国旗シリーズ『マライト国旗』編だ。」
プッスリ。小さな紙と楊枝で作られた、深緑の旗地に、双ふりの剣が交差しているマライトの国旗が肉に刺さる。クロウ特製お子様ランチ用旗だ。
「お子様ランチ!おじちゃんありがとうっ」
にぱっと輝かしい笑顔が応える。その周囲でクロウを除くセシル達は、ここで完全に大海賊の頭と言う、彼の威厳の崩壊の音を確かに聴いた。
ちなみ、緊張感もこれで完全に崩壊してしまっている。
先ほどまでの、緊張もどこへやら。店の中の客もすっかりいつもの調子に、銘々楽しんで酔いが回っているらしい。賑やかだ。いいけどね、ぎすぎすした雰囲気よりは。
「船長、それどうしたの?手作りっぽいけど・・・まさか」
「あぁ。俺が作った。いやな、ペルソナがマジックショーに使う道具を、作ってる合間に手伝っていて、思いついてな。リオンが喜びそうだと・・・あ、ガンダルシアとジェーダイト、あと海賊旗バージョンもあるぞ。コレを刺せば海賊お子様ランチに早変わりだ。」
非情にしょっぱい顔のセシルが問えば、まさか予想を裏切らない応え。
ブラックパールのミニサイズ海賊旗を手に、クルリと旗を回す(無表情)副船長。なぜだろう、その旗を頭にぶっ刺して、眼を覚ませやオラァ・・・と叫びたいセシルだった。
「無駄にそういう所、器用だよね船長」
「なんだ。セシルも羨ましいのか?それなら」
死んだ眼に言葉を返すセシルに、何をどう解釈したのか。クロウがセシルの頼んだパンに、ミニサイズ海賊旗をぶっ刺そうとする。
「いいえ、そんな事一言も言ってませんよ。勝手に僕のパンにお子様旗刺さないでっ」
セシルはなんとか、パンを死守するために、その副船長の手をペシペシ払いのける。
「む。」
「させて堪るかっ」
「なんでだ。これでオマエもリオンとお揃いだぞ?」
「僕はお子様じゃないですぅうううう!!!」
「隙あり。」
「なんの!これしきぃ~~~~いやぁああああ!!!」
が、しかし、なんとしても刺したいのだろう、セシルのパンに。
セシルの手を掻い潜ろうと、クロウも譲らない。
一人ご機嫌に食べるリオンを置いて、二人はおかしな攻防戦を繰り広げていた。
「・・・・・・な、なんなんだ、この海賊は。素なのか?ボケなのか?あれだけ深刻な話してて、ソレ?!マイペースにも程があるだろ」
「あ~、あの人の場合、あれが素なんだと思うよ、エドワード」
やや引き攣った声に、ニコラスはのんびりと言って、自分のグラスを仰いだ。
軍での彼の噂より、真実の彼の方が数百倍面白い。
彼等に出逢えた私はきっと運が良い、そう思って―――。
「ぼ、僕のパン、僕のパンがぁ~・・・うっうっうっ」
色素の薄い、ガンダルシアの少年は顔を両手で覆い。涙声で項垂れている。
顔を覆い嘆くセシルの目の前には、黒い無地の海賊旗がそびえ立つパンが鎮座していた。
「おぉう。セシル。感動で涙するとは。作った俺としては嬉しい限りだぞ。」
右手を胸に当て、クロウは満足そうに言う。
なんでそうなるのっ?!その言葉を聞いてセシルが、わっと、とうとう泣き伏した。
「いや、感動の涙って・・・あきらか違うだろうよ」
色素の薄い少年が可哀想に思った、エドワードが思わずツッコんだ。
セシル達二人にとっては、いたって本気の攻防戦を繰り広げ約十分。
注文した料理が届いた、将校と警備騎士団長、そして幼子が見守る中。
勝敗はクロウに見事上がったのだった。
「僕、お子様じゃないもん、もう十八だもん、何食べても育たないからってひどいッ」
「セシル、よしよし」
泣き伏せ絶賛大洪水を、テーブルに起こしているセシル。その哀れな少年に、リオンの小さな手が慰めるよう擦られる。セシルのコンプレックスは、男にも拘らず、童顔で貧弱な体だった。あぁ・・・筋肉が程よくついた漢の体が恨めしいぃ~。セシルは悔しくてハンカチを噛みそうになる。(噛みそうになるだけで、実際はしないが。)
悲壮感漂う少年を見てられなくなって、エドワードが話しを戻すよう口を開く。
「それで、イカレタ信者野郎の集団から町を守る為、これからこっちは対策を練るとして・・・今後の参考に訊きたい。おめーらが出くわした合成獣とやらか?魔物の特徴とかあんのかぁ」
「あ、そうそう。私もそれをクロウさん達に訊きたかったんですよ、カルセドニアの事は、私も居ませんでしたし、コインも持ってるんですし、クロウさん達の腕ですから魔物と戦ったんでしょう? 」
やや呆れた口調に続いて、ニコラス将校も注文したパスタに手を付けながら首を傾げる。
「あぁ。まぁな。その時は本当にセシルの里帰り中で、休暇をとっていたからな。突然の事で緊急事態だった。俺とあっ軽い金髪碧眼と、尻尾髪馬鹿、それとセシル。あとは民間人の風使い牛乳配達員と共に村に居た魔物を討った。もちろん。ガンダルシアの魔術警備兵とも一時、一緒だった。」
肉を一口含み、クロウが応える。そして、ごそごそとポケットから、手製のガンダルシアの国旗を、ブツリ。残りの肉に刺してニコラスの、パスタの盛られた皿に乗っけた。
「あの時は・・・もう、酷い状態でしたよ。村の子たちが襲われかけて、安全な場所まで無事誘導できましたけど。僕達、村に居る妹やお爺ちゃん船長、リオン君、モーリスさん達とも離れ離れで気が気じゃなかったです。」
泪ながらにセシルは、注文していたラザニアをフォークでつつく。
「合成獣のタイプとして。今回は犬と鳥類だな。動きは極めて単調。知恵はそれほどない。だが犬に関しては、三・四匹程度に固まって、連携して襲ってきていたな。」
「それに普通の魔犬や怪鳥より、どの魔物も少し大ぶりだったね・・・僕が話しかけても、理性なんてないから言葉も聞き取り辛かったです」
ぐずっと鼻を鳴らすセシル。話の内容に故郷での事件を思い出しているのか、もうその瞳には水膜は無く、真剣な眼差ししかない。
なんせ、二週間ちょっと前の出来事だ。クロウとセシルにも記憶に真新しい。
「そうだな。あれは一種異様な気配がしていた。純粋な魔物は、深い夜闇に似た気配を纏って自然の気に近いが・・・」
その時の情景や異様な空気に、思いを馳せクロウは唸る。
純粋な夜の気や、深い海や森に沈む闇とも違う気配。
執拗な、張り付くほどの。激情とも似て非なる。よく見知った感情。
喉が焼けるような、思考が鈍る高揚感にも似た、あれは――――。
「―――あれは。どちらかと言うと・・・」
「人間の憎悪、殺意、悲嘆、狂気。濁った感情の塊でしょうか」
そこへセシルが同じく、ボソリと言葉を紡ぐ。
「そう。それだ。セシル。」
言い得て妙だと、クロウは深く頷いた。
「あの時、友達の人面鳥さんや首なし騎士さん達が助けてくれて、本当助かったけど」
ラザニアを頬張りながら、あの時の事を振り返る。
襲ってきた合成獣達の眼は、みな虚ろで殺意だけが宿っていた。それも数が多く、空からも襲いかかって来られていたのだから・・・。
(よく僕達、戦って生き残ってこれたよね)
今更ながらに、セシルはあの怪鳥や魔犬の爪や牙を思い出して、背筋が寒くなる。
そしてぶるりと震えた。
「しかし。俺が結界壊す際に。細工されていた通路には、純粋な魔物は近寄れない様子だったな。自然の気に近い生物が嫌がるなら。これは俺の推測だから正確とはいえんが・・・結界の依り代に使われたあのタイルは、人間にも多少なりとも影響がでる代物なのかもな。」
結界を壊す際、狭い路地での異様な気配を思い出し、クロウは眉を寄せる。
魔術は精神にも作用する物が多い。
今迄、気が付かなかったが、可能性の事を考えれば、ありえる事だった。
クロウの言葉に、セシルもハッと顔を上げる。
「あ、そうか!人も自然の中で生きている者ですんもね、それなら心、感情に作用する効果もありえる・・・例えば、魔術的要素で考えると、精神に干渉するものだから、妙にイライラしたりとか、体の不調とか?」
気弱げな瞳と違い、完全に魔術師としての鋭い淡い瞳が、くりっとクロウに向く。
「かもしれんな。そこは魔術協会にも調査依頼を出す手もいいかもしれん。」
何処か満足そうにクロウは頷いて、相打ちをとる。
「それもいいですけど、心術ならペルソナさんにも視て貰った方がよさそうですよね。船長、結界の依り代となったタイルの魔術文字覚えてます?」
「大丈夫だ。自室に書き写したモンがある。」
「それ、チカラ込めてないですよね?」
「そんなヘマするかよ。」
「船長、毎日イライラしてるでしょ」
「それはあの馬鹿共の所為だろ。」
二人がそう真剣に、会話をしている最中。
「おぉおおいっ?!ちょっストップ!!」
エドワード騎士団長の制止の声があがり、
「ははは、私達が理解できませーん♪クロウさん、セシル君、お手上げです♪」
のほほん、と苦笑いのニコラス将校。魔術師でない彼等は、知らない単語が多すぎ、とばかりに両手を上げて二人を見ている。
「あ。すまん。」
「ごめんなさい、つい」
説明をするはずが、つい相手の術について盛り上がってしまって、完全に二人の話の内容は、脱線し魔術師同士の魔術談義となっていた。
ささっと、クロウとセシルは顔を見合わせ座り直す。
「ふぅ、掻い摘んで質問してくぜ?まぁ、その合成獣っつー魔物の形状はなんとなくだがわかったわ、けどな。そこのなんだ・・・ガンダルシアの小僧」
椅子の背もたれに、どっかりと身を預け、エドワードがセシルへ顎をしゃくった。
「僕ですか?」
セシルは何を言われるんだろうと、自身を指さして首を傾げる。
「声が聞えないとか、人面鳥や首なし(ュラ)騎士を友達ってどーいうことだぁ?!」
魔物を友達と呼ぶなんて、異常だ。まして、魔物と話せるなど前代未聞である。
思わず険しく色素の薄い少年を睨む。
エドワードは今までクロウとの会話を聴いていて、一番引っ掛かりを感じる部分を突いた。セシルは騎士団長の訝しげな視線に、うっと息を詰める。
「あ、そ、それは・・・僕には生まれつき、魔物と話す事もできて・・・お友達なんです」
そして、少しどもりながら、自身の体質に着いて正直に話した。心なしか、言葉の最後の方は消え入りそうな声だ。その発せられた言葉に、増々エドワードは鋭く眼を細める。
「え~っと、エドワード、言い忘れてたけど。この小僧じゃない、セシル君は君が言っていた噂、ブッラクパールの凄腕、稀代の魔術師なんだよ。この神魔文字っていうのも、普通の魔術師でも読めない代物なんだけど、セシル君には読めるほどなんだって」
そこへ、頬を掻きつつニコラス将校が、尽かさずフォローへ回る。
そして冷やかな声が続く、
「そうだ。セシルはそんじゃそこらの魔術師ではない。聖魔・・・あらゆる自然を操り、精霊や魔物達に慕われる特異体質の持ち主だ。魔術師としているが、簡潔に言わば。賢者。魔物達もセシルに甘く。本当に友達としている。」
クロウが静かに言いきった。もう食べ終わったようだ、皿に盛られた肉は一欠片もない。
「その証拠に。襲撃事件の時に俺等は、セシルの友に助けられてもいるからな。」
ツイっとクロウは、冷えたグラスに手を伸ばす。
「ま、マジか・・・こんな小僧がぁ?」
二人の説明に、破顔した騎士団長が、セシルをまじまじ観察し始める。
親友の言葉もあってか、すんなり信じたようだ。
「あ、あは・・でも、大したことしてないから」
理由は『北の魔王の魂をもっているかもしれないから』とは、言えなくて。
自分が賢者だなんて器じゃないので、それ以上は言わないでほしい。
セシルは引き吊った声で、ぶんぶんと首を振る。
そんな謙虚な姿勢と取れるセシルに、
「ほぉ。セシル。リースト尊師。法王だけが使う事が出来る。重力最上級魔術。空術最上級光術を行使したのは何処のドイツなんだ。」
クロウはしれっと一般人が聴けば、耳を疑う様な爆弾発言を投下する。
『はぁい?!』
素っ頓狂な声が見事に重なる。声の主は案の定、マライト軍人二人だ。
そこでセシルは、『神様!!この船長一回でいいから殴っていいですか?!』と、両手で顔を覆い悶絶。僕はちょっとチカラが強いだけで、普通に魔術が使えるだけなんだってば!!!
「えーっと・・・大したことなんですか、それ?僕、わ、わからなーい。」
だって、あの時はお婆ちゃんに教わったの、ただ必死に唱えただけなのに。
(あれって、法王様が使えるものだなんて知らなかったし・・・)
驚愕の顔のまま固まって、こっちを見ている二人に、セシルは冷汗だらだら。
空笑いと共に、視線を背けた。魔王の魂を持ってるかもだなんて、気取られたくも無いし、正直、目立ちたくない。
「セシルはいっつもスゴイよ!光の矢をね!ちゅどーんって降らせれるんだよ!化け物もイチコロなの~♪」
セシルの気も知らないで、リオンが嬉々として、フォークを振りかざし、声を上げる。
「リ、リオン君っ」
慌ててセシルはリオンの名を呼ぶ。ああ幼子よ!!その身内自慢は嬉しいけども!
オロオロとするセシル余所に、
「へぇ、こんなガキが指折り数える程に入る、賢者さまとはねぇ」
「人は見かけによらないよ~エドワード。」
あ、良かった、杞憂だった!!セーフ・・・セシルはそっと額の汗を拭う。
対照的に、鳩が豆鉄砲をくらったような表情の騎士団長。隣では意識を軽く飛ばし気味に、将校がビールに口を付けている。
セシルの話を聞いても、エドワードはピンとこないらしい。
将校に関しては、呑気に構えてセシルが気にする事も無さそうであった。
「それと、結界がなんとかと言っていたな?それはどういうモンだ」
気を取り直して・・・エドワードが咳払いの後、再び質問をする。
「結界とは。つまり魔術師にとって、チカラを蓄える力場を造る物と。外界、そうある一定の空間を区切り、独自の空間を作り出す物を言う。」
「種類はいろいろあるんですけど・・・代表的にいって、防御の面が強いです。」
魔術に疎いマライトの騎士団長に、クロウとセシルが、分かりやすく解説する。
「分かり易く言えば、自身を外界の攻撃から守る“空間の盾”でしょうか。依り代となる道具を使う事もあるし、特殊な魔術文字を用いた魔法陣を描いてってのがあります。」
セシルは備え付けの紙ナプキンを取り、グラスに付着していた水滴を掬う。そして、分かり易いように、指先で簡単な魔法陣を描いて見せる。
スッと魔法陣を一撫ですると、一瞬だけ淡い光が魔法陣の腺から放たれた。
エドワードとニコラスは、興味津々に魅入った。
「カルセドニアに張られた結界は、独自の空間を造りだし、違う場所と繋ぐという高度な代物だったな。依り代には東西南北にタイルを置いて、使われていたらしいが・・・」
クロウも紙ナプキンを、四つに切りそれぞれ簡潔に魔法陣を印し、東西南北と円を描くように置いた。手前にある紙ナプキンをクロウが、ぐしゃりと潰す。
「一つを崩せばその結界はあっけなく壊れた。魔術師の腕として、中の下と言った所か。」すると呆気なく他の紙ナプキンが、音を発てて独りでに切り裂かれる。
「・・・なんだか、私達にしたら、まず想像できない話だね」
「俺らの国はまず、魔術師も少ねぇしな。一般の人間にゃ、びっくり人間ショーみたいなもんだろーよ」
神妙な顔のニコラスの横で、エドワードが肩を竦めた。
「大昔の大戦なら魔術師は後方に居て、一点集中で援護ぐらいだったんだけどな~、こう、一般の少数人相手で魔術師だと、不利な状況ですよねー」
魔術師が戦場に出るならば、術の詠唱にも時間が掛るし、効力もそれほどでもない。後衛かせいぜい中衛で援護。それか大勢で一点集中し術を行使するのが一般である。
だがこれはあくまで、大勢対大勢の戦争などの戦法であり、戦士として賊やギルドなどに雇われる形式で魔術師と相対すると厄介なものであった。まず相手の魔術師は準備万端でかかってくる。そうなれば術を使えない人間には、まず圧倒的なチカラの差があり、物理的な攻撃が届くことが難しい。または、呪術を行使され水や土を腐らせる者、火をまき散らす者までいるのだ。
「まぁな。しかも奇襲に近いからな。もし、教団の者が表へ出てくるなら。十分準備をしてかかって来るだろ。教信者共にどのぐらいの腕が、揃っているのかは知らんがな。」
現代では魔術協会の派遣執行員が、各地に目を光らせているので、そんな下衆な魔術師は少なくなったが。裏の社会でその道にいる、魔術師が居ないわけではない。
クロウは面倒そうに息を吐いた。
「それってクロウさんのように、魔術と剣術を合わせて来る者もいるって可能性もあるってことですよね?」
ジャパリアでの戦い方を思い出したようだ。
顎を擦ってキョロッと金眼が、確認を取る様にクロウを見やる。
「可能性でいわば、ゼロとは言わん。・・・が。いまどき魔剣士の要素を持っているなら、ガンダルシアの兵ぐらいなモンだろう。他国はごく少ない。」
そうクロウが無表情に言えば、
「げぇっお前ぇ・・・魔術師だったのかよ」
渋そうな表情で、いかにも嫌そうなエドワードの声が漏れた。
「あのねぇ~エドワード、魔術師でもなかったら、こんなに詳しく説明できないでしょう。今頃、気が付いたの?」
呆れるニコラスに、エドワードはダン!!と、
「うるせっニコラス、んなこたぁお前、一言も言わなかっただろうが!!」
飲んでいたジョッキをテーブルに置いて叫ぶ。額に青筋が浮かんで、今にも切れそうだ。
「俺も。軍にいた頃は魔術を使わなかったしな。」
喧嘩が起きそうな様子に、どこ吹く風。そうクロウがポツリと零した。
「そう言えば船長、人には魔術使わないよね」
言われて見ればそうかも・・・セシルも、不思議そうにクロウを見る。
今にも血管が切れそうな騎士団長そっちのけで、クロウはピッと人差し指を立てた。
「ガンダルシアの魔術兵士相手なら使うが・・・。チカラのない人間相手に。それは面白くないだろう。センスに欠ける。」
「あ・要するにポリシーの問題ですね」
「そうだ。」
ポンッと手を打ってセシルが納得すれば、満足そうにクロウが応えた。
そんな魔術師二人のやり取りの傍では、
「ちょ、エドワードぐるじぃ~よぉ~っ」
「こおぉの悪ガキァ!もう我慢の限界じゃぁーっ!ちったぁ苦しめボケぇ」
「H・E・L・P・M・E!!ヘルプミィ~っ!お巡りさぁああああんっ!ヤクザがここにっ」
「うっせぇ!俺がそのお巡りさんじゃぁああボケっ!!美人がいるとか、とんち兼、嘘八百並べてんじゃねーよっ」
「ぐぇええええ」
遂に怒ったエドワードが、ニコラスの胸倉を掴んで宙吊りの刑に処していたが。
敢えて無視する二人と幼子だった。
自業自得である。
「はぁ~あ、しかしだ。」
愉快犯な幼馴染を、ひとしきり宙吊りの刑に処した後。
エドワードの疲れた声に、各々食事を食べ終えたセシル達が、意識を向ける。
「人を襲う事を目的とされた魔物と事を交えるのと、人間相手とは違げぇしなぁ、こっちは魔術なんてからっきしだし・・・ギルドにでも頼むしかないか」
すくねぇ経費が、もっと少なく、だあぁ~・・・エドワードはそう言って頭を抱える。
「あとは、君が捉えた刺青の男にも、追求して根こそぎ吐かせなきゃね」
その横では、やや襟がよれよれになったニコラス将校が、もう回復したのか、懲りてないのか。笑顔を崩さすビールを飲んで言った。
ニコラスさん、一応、真面目に話聞いていたんだ。
セシルは先程から、ニコラス達のやり取りを傍観しつつ、心の中で感想を漏らした。結構、失礼な感想だったが、将校の人柄を少なくとも知ってしまっているので、セシルに罪悪感は無い。セシルの精神も、海賊団と同様、かなり図太くなってきていたようだった。慣れとは恐い。失礼な感想を抱いているセシルを余所に、あーだ、こうだ、と今後の行動を話し合う軍人へ、
「あぁ。そうだ。エドワード騎士団長。貴殿が捕縛した賊の中に、赤鼻で左の頬に大きな黒子のある、黒茶色の髪をした男をみなかったか。」
そう言ってクロウが口を開いた。クロウの問いに、エドワードは首を捻る。
「いや・・・そんな特徴の奴ぁいなかったな」
かなり特徴のある人相だ。すぐに解る。
売人達の顔を思い浮かべるが、該当する者は居なかった。
しかし、何故それを急に訊く?と、エドワードが問い返そうとしたところで、
「そうか。なら話はもう終わったな。」
とクロウが静かに席を立った。
あ、重要な話が終わった・・・と、セシルもリオンを伴って席を離れる。
「やれやれ、つれない人ですね」
「つれて堪るか。だいたい地元だからって身分考えろ。そこ通せ。」
肩を竦める将校を、クロウがぞんざいに席をどかせて、テーブルから離れる。
『いくぞ。』とクロウが声を、セシル達にかければ、セシルも頷いてリオンの手を引いて跡に続く。そして、漆黒の副船長は、さっさとカウンターまで行って店から出てしまった。
何事も無かったように去った、一種独特な海賊。
彼等がいた空間には、綺麗に平らげた食器だけが残っている。
「聖魔あらゆる自然を操る稀代の賢者に、魔剣士にして最恐の海賊・・・それと麻薬組織と神魔教団、ね」
感慨深げに、ニコラスは溜息を吐いた。
彼の将校の皿には、まだガンダルシアの国旗がそびえ立つ、一口ステーキが、ぽつんと残されている。マライトとガンダルシア・・・二つの国で起った事件。そして北東のグラガン島、ジャパリアでの事件。どれも王都から離れた、警備兵の眼がゆるい田舎地方に、どちらも魔物が集中して放たれている。
人を襲い恐怖を叩き付けたいのが目的ならば、もっと人がいる王都など狙いそうなもの。
ニコラスは、小さなガンダルシアの国旗を片手摘まんで、肉を口に放り込んだ。
ある程度の人間がいる場所を狙う必要性、それと話を聞くうちに、造られた魔物がどんどん機能性を増している状況。
(もしかして、これは―――――実験?)
肉を咀嚼すれば、じんわり肉の甘い味が広がる。
ニコラスは甘い肉の味と共に、胸の内で一人首を傾げた。
そこまで一人思考に落ちていたニコラスに、不機嫌そうな声が思考を遮った。
「お前ぇーは結局、俺に情報を探れってことで、ここに連れ来てきたんだな」
じとっと眼を据えるエドワードだった。
「あは♪やだなァ~エドワード、私はただ黒髪の美人さんを紹介しただけだよ?」
悪戯大成功!と一瞬にして脳内を切り替え、ニコラスは微笑む。
お得意の食えない笑みで。
ガクッと首を降ろしたエドワードは、もう降参だと胡乱気にビールを仰いだ。
「まァいい。んで、赤鼻で左の頬に大きな黒子のある、黒茶色の髪をした男の名前は」
「アーチャー、徒名を『ウサギ殺しの赤帽子アーチャー』だそうだよ」
キロっと金の瞳だけが、エドワードへ向いた。
「事情は?」
「敵討ちと、たぶん仕事に対しての誇り・・・かも?」
ルーヴィッヒ達からの事情を思い出し、ニコラスは簡潔に述べられる。
「あ?なんだそりゃ」
一種緊迫した軍人の静かな会話に、拍子抜けの声が上がる。
敵討ちは解るとして、仕事に対しての誇りって?とエドワードは、訝しそうに眉を寄せた。
「詳しい事はここじゃなんだから後で、でもエドワードってば~やっぱり、なんだかんだ言って協力してくれるんだ~さすが私の親友!」
ワザとらしく眼を潤ませ、手を組むニコラス。
もう、悪戯好きの子供に戻っている・・・。
始めからこの悪戯好きに騙された自分を、騎士団長は心の中で恨んだのだった。
「・・・お前ぇは、一度その『親友』って単語、辞書で確かめろよ。」
え~そんなァ~とニコラスの、非難の声が盛大に上がる中。
大きな溜息を吐きだして、エドワードは天井を仰いだ。
「やってられるか、クソっ」
と、ポケットかた煙草を取り出し、火を付けようとした、丁度その時―――。
「あ、まだいらっしゃった良かった」
少しの間、聴き慣れた声が背にかかった。
んん?エドワードが声のする方へ、振り返れば、先ほど一緒にいたガンダルシア人の・・・、
「あれ?セシル君、どうかしたのかい、忘れ物?」
ニコラスの不思議そうな声に、エドワードはその少年の名を思い出した。
ニコラスの問いに、こっくりと少年は頷いている。
藍色のローブ・・・と言うか、スカートに見える服を着ている、色素の薄いひ弱小僧。
そうエドワードが認識する、実は凄腕魔術師は、トトト・・・っと足音立てて、エドワードの方へ近寄って来た。
色素の薄い瞳が、エドワードから逸らされないまま、じっと見つめられる。
なんだか、この小僧の瞳は、どこか怖い。何が?とも言い難いが。
(な、なんだ・・・?)
自分方へ近寄ってこられて、鋭く眼を細めた、エドワードは首を傾げる。
「えっと、エドワードさんでしたっけ?」
「あ、あぁ・・・なんかまだ用か、小僧?」
何処か確認する様なセシルに、エドワードはなんとか、いつもの調子で応えた。
「差し出がましいと、思ったんですけど・・・これ、持てってください」
そう言って、セシルから渡されたのは、折りたたまれた紙ナプキンだった。
無意識に自然と受け取って、エドワードはしげしげと、その白を見つめる。
只の紙ナプキンだ。
「ポケットか何か、身から離れない様にしてください、それお守りです」
どこか透明な少年の声音に、抗えない何かがあった。
「?・お、おう」
エドワードは喉の奥から、掠れた声で応える。
普段なら、『なんだこりゃ、只の紙だろう、賊の言う事なんかきかねぇ』で、決して言う通りにはしないエドワードだったが。
その時は、素直に制服の胸ポケットに、紙ナプキンを入れてしまっていた。
「じゃ、僕はこれで・・・失礼しました、お休みなさい、それでは」
胸ポケットに仕舞ったのを見届けて、セシルはぺこりと頭を下げる。
律儀な小僧だと、エドワードはどこかで思う。
「あ、うん、セシル君それじゃ」
「ニコラスさんも、お休みなさい」
不思議そうな表情のニコラスも、それ以上は訊けずに手を振る。すると、セシルも手を振って、酒場の賑やかな喧騒と人混みから消えていった。
消えるように居なくなった、藍色ローブに、妙な気持ちを抱えた二人。
なんだか狐につままれた気分だ。
「なんだったんだろう?」
「さぁ・・・俺に訊くな」
不思議でたまらないニコラスの問いに、エドワードも応えられない。
酔いも回っていることもあってか、思考が上手く働かなかった。
エドワードが胸に手を当てると、カサリ、・・・・・・掠れた紙の感触。
ただそれだけが、エドワードの思考に届いていた。
酒場と化した店の扉を開けると、ひんやりとした風が頬を撫でた。
むぅっとした、熱気の籠った店内の空気より、澄みきった外気がセシルの肺を満たす。
煌めく銀の星が照らす、船へ帰る夜道を早足で駆ける。
そうすれば、少し行った先に、帰っていてくれと、伝えた筈の副船長と幼子が待っていてくれていた。
「どうだ。用事はもう済んだのか。」
「えぇ、まぁ・・・それより、先に帰っててくれても良かったのに」
ねむそうに欠伸をするリオンを抱きかかえるクロウに、セシルはそう言って走り寄った。
「どうせすぐに済むだろ?それに。迷子になられては困るからな。だから待ってた。」
「それはどうも・・・」
この町で迷子になった事のあるセシルは、痛い所を突かれて、無難な言葉で返すしかない。
ただでさえ、方向音痴な所があるセシルに、反論できないのもあるが。
苦笑いを浮かべて、そのままリオンの様子を見ながら横に並ぶ。
「ふふっリオン君、疲れたのかな?」
瞼が重たそうだ・・・幼子はもう夢心地だった。
「ま。いつも以上に、はしゃいでたからな。」
並んで立てば、クロウはそのままゆっくりと帰路へ歩み出す。
港の方へ向かえば、徐々に潮の匂いが風に交じった。もう繁華街は過ぎて、人通りもない。
あるのは、濃く深みのある夜の気配。
静まりかえった道中に、銀の星空はとても、心を落ち着かせる。
その筈だった―――が、今のセシルには、落ち着かないものとして映っていた。
なにより、胸がざわついて自然の色を楽しめない。
僕の気のせいであれば・・・いいけれど。
なにも無ければ、変な奴扱いだよね?
傍から観れば、ただ僕が紙ナプキン渡しに、わざわざ戻っただけになるし。でも、何かあってからだと、後味も悪いし・・・まぁ、いっか変な奴な方が!
うん、そうだ、そうだよ!と一人納得しウンウン、とセシルは頷いてみせる。
一人でなんだか、得心の頷きを繰り返すセシルを、眺めていたクロウは。
(観察対象としても、これほどあきないのは珍しいな。)
などと・・・思ったが口には出さず。
「それで。セシル。何が視えた。」
代わりに別口での件で、セシルの意識をこちらへ向けさせた。
「目聡いというか察しが良いですね、船長。何って言われても・・・形容しがたいんですけど」
セシルは薄い瞳を瞬かせ、案の定、クロウの疑問に顔を上げる。
「別に良い。俺等は魔術師だ。何が視えようと驚きはしないし、否定もしない。むしろ、セシル。オマエが視えているモノは、現実ではないが“真実の姿”に近い。」
「僕には難しくて、よく分からないですけどそうですね、在りの視たまんまを言うなれば、あの騎士団長、エドワードさんが」
「騎士団長が?」
セシルが言い難そうに応えると、クロウは片眉を上げた。
「えぇそうです、そのエドワードさんの丁度、右肩から左胸辺りに、こう・・・一直線に赤く光る線が一瞬視えて、それからエドワードさんの顔、いいえ、上半身殆どが透けて視えていて。それで僕、それから嫌な予感がして、いてもたっても居られなくて」
そう、確かにあの場にいた、セシルには騎士団長の上半身は透けて視えていたのだ。
それも、セシルが凝視するたびに、透明により近く、消えてしまうように。
だからこそ、二度目酒場に戻った時には、思わず、エドワードに確認を取るぐらいに、エドワードが座っている事さえ、わからなくなっていたのだ。
早口でセシルがそう捲くし立てると、クロウは眉間に皺を寄せて唸った。
「嫌な予感と徐々に透ける上半身か・・・。セシル。何時にその赤い光の線を視た?」
黒曜石の瞳だけが動いて、セシルへと向かう。
セシルは少しだけ、記憶を遡る。
始めはふとした瞬間、赤い光の線が宙に走った。
えっ?と、思うと周囲はそれに気が付いていない・・・なら、見間違いだと思った。
あっという間の、一瞬の出来事だったので、正確な事は言えないが確かあの時は。
「たしか、船長がニコラスさん達に結界のことを説明する前だったから、僕のその、体質の話だと思います。」
「そうか。それでオマエあの時、紙ナプキンに守護方陣を描いたのか。たかが説明するために。少し凝った文字を描くと思ったら・・・そうだったのか。」
おずおずと応えると、今度はクロウが納得したように眼を見開いた。
「まぁ、でも護符として持ってもらいましたから・・・何かあったら、守りの盾になるかもしれないし、気の所為ならそれでいいし。」
分かるのは、ザワザワと落ち着かない胸の内だけ。気の所為なら、それに越したこと無いと思って。
「あははは、バレバレですね。」
セシルは努めて気を抜き、笑って見せた。
「バレないとでも?まぁ。気の所為で済めばいいが・・・あ。そうだ。」
セシルが明るく振舞えば、クロウも息を吐いて、ニヤリと笑う。そうして、空を仰ぐと何を思い出したのか、眉間に皺を寄せ始めた。しかも付け足すなら、不機嫌そうに。
「もう一つ。バレてないとでも思っているのか。とんだ茶番を仕出かしていた奴等が居たな。」
「はい?なんですそれ」
いかにも苦々しい声音に、思わずセシルも怪訝に眉を潜めた。
するとクロウはもっと眉間に皺を寄せ、セシルにこう言い放ったのだ。
「リオンもオマエも・・・いやこの際、将校もか。案外、鈍だな。あの酒場に居た連中。店のマスター以外、客から何まで全員、ウエイトレスに至るまで変装した、ブラックパールの連中だったぞ。」
しばし沈黙。共に脚の歩みも止まって、固まる。
へ、変装?あれが?誰が?
そういえば、食事を持ってきたウエイターさんの、あの飄々とした声と黒蒼い癖毛は。
客層もどこか、見知ったような、聴き慣れた濁声。
勘定した可愛い可憐なウエイトレスさんは・・・金髪と碧眼の・・・
なんだかあっ軽い声が――――・・・
「・・・・・・え、えぇえええ~~~~~~~~~~~~~~っ?!!!」
数秒遅れて、セシルの絶叫が響いた。
「はぁーぁ。大方、俺等の事が気になって。出歯亀したかったんだろう。お調子者共を押さえつけるのは無理だから、全員で掛ればあの二人を押さえつける兼。自分達も楽しめると、な。」
なんで、わからなかったんだよ。と呆れたクロウは一人ボソッとツッコミを零すが。
「※●☆〝∀~◇¶◎£%&#*+@?!!」
そんなの気が付かないよ?!完璧すぎでしょ!あの変装っ?!
胸の内で思っても言葉にならない、胸騒ぎもぶっ飛んで、絶賛混乱中のセシルだった。
まだまだ、仲間を理解するには、十分な時間は必要の様である。
ブラックパール海賊団は、本当に一癖も二癖も。
胸焼けするぐらい、癖があった。
鶯黄石月十八日 星空さえも涙で霞んだ。心は曇模様。
もう、誰も信じられない・・・。
魔術師 セシル
ブラックパール号航海日誌
黴臭くどこか、ツンと、すえた臭いが漂う。暗い夜。
冷たい石造りの、鉄格子がガッチリ嵌められた牢屋。ある男は、その拘束された部屋で縮こまって震える。
ガチガチ歯が鳴る音が鳴りやまない。
そんな男の前には、牢の闇に溶けるような、黒いマントを被った存在が、ゆらりと動いた。
「ひぃっ」
喉が引き攣る小さな悲鳴。マントのフード中には、白い顔がにぃーっと弧を描く。白い顔には血の如き赤い紅がひかれて、道化師のようだ。
「あれほど、“お遊びは止めてください”と、申しましたのに」
その赤い口から落ち着いた、しかし冷徹な声音が漏れる。表情はにこやかだが、眼は人形の様に無機質で冷えていた。マントの中から、スッと白い手が伸びる。
「ひいぃっや、やめてくれっ俺は何も!なにもまだ話しちゃいないっ!」
長い指が、震えて必死に命乞いをする男の頬を撫ぜた。
男は迫りくる死の恐怖に、心から慟哭を上げ喚き散らす。そう、必死に。
「彼奴等だって、麻薬だけだって疑わなかったんだ、信じてくれ!あの薬も、まだ見つかっちゃいないぃぃ―――っがぁああっ」
喚き散らす口を、頬ごと爪を喰い込ませ黙らせる。
「―――五月蠅いですよ。他の者に聞えるでしょう?」
鋭利な猫目が冷えた眼差しで、ニコリと嗤う。
「い、いやだ!た、たすけてくれぇ!!!!」
男はあらん限り、声を張り上げ助けを呼ぶ。笑顔の仮面下に、明らかな殺気があった。
「心配の芽は早めに摘んでおかないと、ねぇ?」
道化の様な男はそう言うと、男の肉が喰い込む手に、チカラを込める。
プスプス・・・焦げた肉の音と爛れ始める肉の匂いが、煙と共に牢を満たす。
痙攣する牢の中の男。
それを見降ろす道化は、高く高く高く、面白そうに嗤う。
「あ、がぁぁアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――っ」
牢の奥―――、男の声にならない悲鳴が響き渡った。
子連れ海賊と別れ、エドワードはニコラスと店の勘定を済ませた後。
古ぼけた狭い自宅には戻らず、非番だと言うのに警備騎士団の留置所へ足を運んだ。
わざわざ疲れていたのにも拘らず、足を運んだのは、言うまでもない。
ただ、気になって仕方がなかったからだ。
コインに刻まれた紋章と、自分が牢で見た、ある刺青が同じものかどうか。
これは職業柄だろうか、性格なのか・・・。
(決っして、あの黒い魔物野郎の話を気にしていたからじゃねぇ!コレを確かめるのは、ニコラスの頼みもあって、マライトの、国を、町の治安を守るためだからなっ)
エドワードは殊更、物事をはっきりさせたい思いに駆られて、苛立ちながらも夜勤を務める宿直室の扉を開く。
時間はもう深夜をまわっていて、外気が凍てつくように寒かったが、宿直室に入れば、暖炉の火が出迎えて、温かな空気がエドワードを歓迎してくれていた。
「ウッス~!お疲れぇ」
いつもの様に扉を開けて入れば、暖炉の傍で酒を煽っていたらしい、部下二人が振り向いた。牢の巡回などを済ませた後らしい。寒そうに手を擦って、酒盛りを始めたばかりらしかった。
「団長ぉ?お疲れ様です」
「お疲れ様っス~って、あれ?団長ぉ、今夜は非番じゃなかったっスか?」
不思議そうに挨拶を交わす部下の疑問に、エドワードは苦笑いで頭を掻いた。
「あぁ、ちょーっとばかしキナ臭い話耳にしてな、気になる事があって。ちょっくら牢の方へいって来るぜ」
そう言って、宿直室の奥壁にかけられた牢の鍵を手にする。
「じゃ、俺もついて行きますよ」
「あ~いいって、いいいて。直ぐ済むから。休んどけって」
慌てて着いて来ようとする部下を、エドワードは手を振って、一人で大丈夫だとやんわり断る。普段なら、何かあるといけない為、二人組で行動するのだが・・・。
その時エドワードは、自分一人の方が良さそうだと、何故だかそう思った。
「はぁ・・・わかりました」
「ほんと、お疲れッス」
気の抜けた声と、その隣でエドワードに頭を下げる。
「おぅ、行ってくるわ~」
なんだか、拍子抜けしたような表情の部下二人。
その二人を見やって、エドワードはランプを持ち、再び宿直室を出て行った。冷たい鉄の感触を手に感じながら、宿直の建物から離れて右へ脚を向ける。こじんまりとした、あまり大きくはない石造りのしっかりとした黒い建物が見えて来る。目的の留置所だ。
留置所の前まで来ると、周囲には高い塀で囲まれて、深い闇の中で一際、暗い印象と閉塞感が漂う。囲まれた高い塀の外側、すぐ隣は教会の敷地内だ。対照的な闇に浮かび上がる、白い建物が聳えて建っている。
「さぁて、ちゃっちゃっと吐かせて、終わらせてやる」
一人そう呟けば、それに応えるように大きく風が吹き込んだ。
耳元でヒュウゥゥ―――、亡霊が唸るような風音が掠め。
教会の屋根に取り付けられた、風見鶏が不気味な金属音を発して回り始める。
エドワードは意を決して、深い闇が漂う留置所の牢へ意識を向け、歩きだした。
暗い夜に灯りを持った男が、暗い建物に呑まれた後。
金属音を発し続け回っていた風見鶏が、――――ピタリ。
留置所の方へ、無機質な眼と共に風見鶏が向いて止まっていた・・・・・・・・・・・・。
コツコツコツコツ・・・。
硬質な足音が反響する。それほど、広くも大きくも無い牢部屋を通り過ぎて、エドワードは廊下の角を曲がる。入り口で見張りの者と挨拶を交わし、中へ踏み入れれば。黴臭い独特の不潔な臭い混じって、自然と不快感に鼻を擦る。
鼻を引くつかせ、異臭の不快感に眉を潜めれば、ふと、異臭に交じって、油が焼け焦げるような臭いがエドワードを掠める。
(なんだ・・・この焦げ臭ぇ匂いは?)
エドワードは首を捻った。牢の中で牢番の眼を盗み、誰かが煙草でも吹かしたか?と、思えば、その焦げ臭さは、廊下を進める程強くなってくる。
(か、火事かっ?!いや・・・牢で、ありえねぇだろ)
エドワードの脳に警鐘が鳴り始め、脚を早やめ目的の牢へ足を速めた。ランプの灯りが揺れる薄暗い廊下。鉄の扉が突き当りに見えて、速足で駆け寄る。
そしてエドワードが躊躇なく扉に手をかけようとした、その時――――。
アアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――っ
絶叫が厚い鉄扉越しに響き、エドワードは眼を見開く。
放たれ部屋に反響する尋常じゃない声に、扉を乱暴に開き声の方へ弾丸のように飛び出した。
牢部屋が密接する廊下を駆ける。咄嗟に、腰に下げた剣を引き抜いていた。
留置所の不気味な雰囲気と尋常じゃない声が、胸を思考を掻き乱し、エドワードの脳に危険と警鐘が鳴る。
「どうしたっ?!」
大声を上げて暗い廊下を走り、飛び出したその先には。
「グアガガがが・・・アアアアアア・・・アアア・アぁぁぁぁアアア・・~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あああああああああああ!!!!!!!!」
鉄格子越しに踊る、火達磨になった人型があった。
ガシャガシャガシャ!!水を捜し必死に、身を包む炎から逃れる様。鉄格子に手をかけ揺らす音が響き渡る。
「っ――――!!」
騎士に当るエドワードも、突然の事に言葉も出ないで、その光景に脚が固まってしまっていた。な、なんだこれは・・・と喉を引き攣らせる。
そこへエドワードのすぐ背後から、耳元へ囁くように降りた音。
冷やかな声。それと首後ろに掴まれた、まるで死人のような手の感触。
「おや?今日はもう誰も来ないと思ったのですが・・・不運ですね。」
心臓が痛いほど跳ね上がった。瞬時に身の危険を察し、背後の何者かの腹へ肘打ちを喰らわせる。
「おっと、フフ」
死人の手はするりと離れ、妖艶に微笑む気配。余裕に満ち溢れる、その気配にエドワードは、ぞくりと、内心震えた。
「っ」
素早く身を捩らせ、本能的に持っていた剣を突き立てようと腕を振る。暗闇に紛れる黒いフードをすっぽり被った人物には、赤い紅が弧を引く青白い顔が闇に浮き出ているようだった。持っていたランプが、手から解放されて、高い音を発てて砕けると同時。
「風斬刃」
スッと、不気味な男の白い指が宙に横一文字に、迫るエドワードに向けて払われた。
空を切る指先から突如、とてつもない真空の刃が飛び出す。
―――やべぇっ!咄嗟の判断で、突きだそうとした剣をエドワードは前に構え直した。
「っ!」
キンッ―――!!と何かが斬れる音が耳に届いた。
エドワードの眼前で剣が真っ二つに斬れ。切先の銀色が、牢の鉄格子に弾けるのを見た。
一瞬の出来事だが、ゆっくりと観える景色と、迫りくる見えぬ風の刃に、
(あぁ、俺はここで死ぬのか・・・ニコラス)
漠然とした意識の中、エドワードは呟いた。ぐっと衝撃を覚悟して眼を閉じた。暗く冷たい死へ惹きこまれるようだった。ゆっくりとした視界に、胸に真空の刃が、エドワードを斬り裂くよう迫る。
バシ―――――――――――ンッ!!!
大きな放電ともいえる音と、青白い光が炸裂して辺り一帯を照らした。
「なっ?!」
「!!」
そして次に、鈍い痛みが男の右腕を襲う。眩い光に眼を眩ませる男は、眼を細めて顔を歪める。瞠目するエドワードの前では、エドワードを守る様に光の守護が描かれた魔法陣が、青白い光を伴い浮かび上がっていた。
「ホホッ守護方陣とはっ・・・予想外」
光りの守護に跳ね除けられ返って来た真空の刃に、抉られた腕の傷口を男は自由のきく手で押さえる。ぽたぽた、ぽた。鮮血が石床に落ち跳ねた。
「しかも、こんなに上質なチカラとは。素晴らしい」
訳が分からず眼を白黒させるエドワードに、男はまた妖艶に微笑む。
ドクドクと心臓の音が、エドワードを緊張から支配し鳴りやまない。
「貴男にその守護を授けた者を、ぜひとも言及したいものですが・・・」
冷たい瞳が興味を示し、狂気の色を覗かせる。ゆらり、陽炎のように影が揺らいだ。
光に照らされた道化の表情。男はそう言うと同時、床下の影へ脚を滑らせる。
エドワードの目の前で、男は池に沈む様に影に沈み、見る間に頭部だけとなった。
「今の所は分が悪い。早々と退場させていただきましょう・・・クフフフフ」
「ま、待って!」
ハッと気が付き、エドワードが脚を動かせば、男はもう消えてしまっていた。
男の愉快そうな笑い声と共に。
・・・・・・・・、
・・・・・・・・・・・・・・・・・。
暫く呆然と佇むエドワードの前には、もう光の魔法陣も消え失せていた。
牢の中はもうすでに、漆黒の闇が広がるばかり。去った命の危機に、エドワードがホッと息を吐く。
緩慢な動作で暗い牢の中へ目を凝らし確認する。
始め目に飛び込ん出来た、火達磨になった牢の人間は、もう消し炭となって床に転がっている。他に牢屋に収容されていた者達も同じだった。全身が焼けただれ、誰とも解らない。
「なにがどうなってやがる」
吐き捨てるよう呟く。
そこにはエドワードが収容した、薬の取引現場にいた全員の骸が、牢の中で焼死していた。
骸が転がる不快感と、死に直面した恐怖。湧き上がる疑問。
動悸が治まらず、壁に手を突いて、エドワードは座り込む。
(助かった・・・)
いっきに緊張から逃れ、巡る血流に眩暈がする。
(あの時、光が跳ね除けた・・・なんで?いや、あの気持ち悪い顔の奴は一体・・・)
巡る思考、混乱し、エドワードの視界を朱く彩る。
脳に手を突っ込まれ、グチャグチャに掻き回される様な不快さだ。
突然の出来事に対応するべく。まず落ち着け、と片手で目元を塞いでいる内、ふとある言葉を回想する。
『貴男にその守護を授けた者を、ぜひとも言及したいものですが・・・』
迫る刃に死を覚悟した直後、胸に感じた熱い何か。
(守護を授けた者――――守護?)
無意識に手をやって、制服の胸ポケットを探る。
カサリ、と紙の感触。指を滑らせポケットから引き抜くと、エドワードの目の前に折りたたまれた紙ナプキンが現われた。
「これは、あの小僧が」
ニコラスと二人で飲んでいた時に、色素の薄い小僧が、わざわざ戻って渡してきたあの紙ナプキン・・・。エドワードは折りたたまれた紙ナプキンを、慎重に広げる。
するとそこには、先ほどの浮かび上がった魔法陣が、淡い光を発して描かれていた。
「俺は、助けられたのか」
渇いた声が響くが、エドワードの声に返事をする者は居ない。
恐る恐る魔法陣の文字に触れれば、がさりと、濡れて乾いた跡があった。浮かぶ文字に覚えがある。あぁこれは、結界がどうとか、小僧の説明を聞いていた時の物だと、一人納得する。
「海賊に助けられるとは・・・情けねぇ」
コツンと石壁に頭を預け、自嘲気味に笑う。冷たい壁が心地よかった。
頭の芯が冷えて、だいぶ気分が落ち着いてくる。
証人が殺された事実と尋常じゃない者の影に、こりゃ相当ヤバイ事に首突っ込んでんな。と自分を嗤った。さて、これからどう上に伝えるか・・・エドワードは、上層部の警備体制がなってないとの非難と、大量の始末書の嵐を思い浮かんで、気が滅入る思いを抱く。
自分の失態に苛立ち、そうしていつもの癖でズボンのポケットから煙草を取り出した。
口に咥えてマッチに手を伸ばそうとすれば―――。
牢に充満する焼け焦げた肉の匂いが、エドワードの鼻腔を掠めた。
「ほんとキナ臭ぇ・・・」
グチャリ。煙草をへし折った音が、無音の牢に落ちた。
流れる赤に、応急処置をしてなんとか血を止める。
宛がわれた自室の寝台に、マントを投げ捨て、男は清潔なローブに袖を通した。
腕の痛みの忌々しさに油断した自身に少し腹を立てつつも、滅多にお目にかかれない上質なチカラを感じ、気分の高揚が攻める。
あの騎士団の男を守ったチカラ、まず並みの魔術師ではない。
エルハラの高僧か、魔術師でも上級の者、四大元素を操る導師か・・・
あの守護のチカラの清浄な気配、そして己の編み出した真空の刃を消滅させるだけなく、完全に跳ね返した力量。
名の知れた魔術師や僧は知っているが、一騎士の何の変哲もない者に、そんな伝手があっただろうか。まず、高名な魔術師ならありえない。
男は水差しにある水を、グラスに注ぎ仰ぐ。
喉を潤しながら、男は夢中で見えない相手へ思案する。
名の知れたものは皆、ガンダルシアの王室へ仕えるか、どこぞの王宮で仕えている筈だ。
高僧ならばもっと、だ。俗世に関りを持たず、エルハラ寺院に籠っている筈。
彼等はまず、俗世には自ら関わらないのが習わし。
ガンダルシアの派遣執行員か?否、彼等はまだ動き出したばかり。
私の事はまだ知らない。
では・・・あの守護を贈った相手は何者か?
備え付けの洗面所で顔を洗って、“道化の顔”を注ぎ落した。
男は独り朝方に差し掛かる部屋に、身支度を整え考える。
「これは、大変興味深いことになりそうです」
まだ微かに残る紅をひいた口元が、引き吊るよう上げられる。
誰も居ない部屋で呟いて、自室から出るべく扉に手を駆けた。
城の使用人達には、入るなと伝えてあるが、万が一と言う事もある。男は誰も入れない様、鍵をかけて置く。
カチャと鍵の金属音が鳴ったその時、
「我が宮廷魔術師達のチカラの発展を目指す研究も良いが、そなたの体調も我は心配しておるぞ?少しは休んではどうか?」
男の背後から老成した声が掛けられた。道化の男は、先ほどの冷たい眼差しを直ぐに変え、振り返った。柔和な微笑みと、慈愛に溢れた表情を浮かべながら。
「お早ようございます陛下。陛下にお心をかけていただき、私めは大変恐悦でございます。大丈夫ございます、これはマライト国の発展の為、私めには当然の仕事。」
深く拝礼すると、にっこりと老いた国王を仰ぎ見る。城の廊下は、取り付けられた広い窓によって、朝日を取り込んで眩い。老いた国王は、その言葉をすっかり真に受けて、溜息交じり深く頷いてみせる。
「おぉ導師ニーズヘグル(・・・・・・)、その言葉嬉しい限りだ」
国王が己に仕える魔導師の名を述べる。
「陛下こそご自愛くださいませ」
つとめて優しげな声音を含ませる口。
そうして朝日に照らされながら、柔和な仮面を取り付けた道化が、また嗤った。
『風見鶏が指し示す関係』終




