藍空が明ける時
『藍空が明ける時』
宴の終り、その朝方。
皆が『メシヤ』を出たのは、もう空が明ける藍色に染まった頃だった。
「まだ、やることがあるからのぅ」と、店先で育ての親である魔女と別れた、クロウは店主であるグラムに代金を払った後。結局全部俺の奢りかよ・・・あのババア、と静かに舌打ちをしていたのを、セシルは見逃さなかった。
他の皆と言えば、陽気に笑い、帰り道を千鳥足で歩いていた。セシルが誰か滑って怪我をしないかと、内心ハラハラしながら一行の最後尾を見守っていた道中。
ようやく村の外れに着き、ロバートとその家族と別れ、かなり酔いが回った皆は、セシルの自宅に着くなり、倒れ込む様に眠ってしまった。アイリスはリオンを伴って、アメリアも自室のある二階へ上り、それぞれ遅い眠りに着いたところだ。
まだ薄暗い部屋の中、皆の寝息がそれぞれ響く。
まだはっきりと意識のあるセシルと、そもそもグラス一杯しか飲んでいないクロウは、リビングの床やソファに眠る仲間達へ毛布を掛けて回っていた。
「皆さん、やっぱり緊張してたんですね・・・ミゲルさんまでぐっすり眠ってるだなんて」
ソファに脚を投げ出して眠る航海医師に、セシルは苦笑いしながら毛布を掛けた。
酒が強いミゲルが、ここまで酔って無防備に眠る姿は珍しかった。そのソファの下では、航海士と料理長が手を繋いで眠っている、大変微笑ましい(見ようによっては目に痛い)光景が広がっている。
「だろうな。今回の件が人為的に行われた計画的犯行なんで、ピリピリしてたんだろう。」床に寝転がる水夫長と老人船長、それに挟まれた狙撃手。
その三人に毛布を掛け、クロウは眉間に皺を寄せ、溜息交じりに応えた。
酒ならザルの仮面の幼馴染も、緊張から解かれたのだろうか。スーツの上着を脱いで、一人がけのソファで、今はぐっすり寝息を立てている。
「表情には出さないが、皆それなりに気を張ってたんだ。真相とこれからの行き先が決まって、気が緩んだって所か。」
やれやれ・・・と肩を廻すクロウ。
セシルはその言葉とクロウを見つめ、眉根を寄せた。
信じたくなかった、けれど似通ったところが多すぎて・・・。
何故自分が生まれて来たのか、セシルは自分自身が、ほとほと嫌になる。
しかも、今回の事件は所教信者達の仕業だった、北の魔王を崇拝する集団―――――。
「神魔教団・・・。」
ぽつり、暗い声が零れた。
「ん?」
クロウも寝ようとしていたのだろう、部屋の隅で毛布を被ろうとした手を止め振り返る。
どうした?と黒曜石の瞳が、セシルに無言で訴える。
セシルはその黒に、畏怖を感じながらも、何処までも深い瞳が美しいと思った。
僕はもしかしたら、神魔教団が出来た切っ掛けとなる、北の魔王です、・・・って。
このまま言わないでおくのも、いいのかもしれない。
けれど隠し事をして、船に一緒に居るのも、この温かい海賊団のみんなに悪いと思った。
なにより“みんな”は村の人から、僕の事を庇ってくれた。嬉しかったのは本当だ。
そんな人たちを、騙すようなことできない。
肺に重い鉛が流れ込むような、息苦しさがセシルを包む。
無言に佇むセシルを不審に思って、クロウが眉を寄せ、セシルの方へ寄って来た。
セシルは持っていた毛布をグッと握り、クロウをまっすぐ見据える。
「すみません、ちょっとお話しいいですか・・・ここじゃなんですから外へ」
若干声が震えたが、セシルは勇気を振り絞って声を出した。
完全に朝日が昇る前、藍色に染まった周囲。
セシルはクロウを伴って、裏口から草原へ脚を降ろした。
伸び放題の草原を歩き、家から少し離れた森の手前でセシルの足は止まる。
「――で。話ってなんだ。」
草木が風に攫われる音しか聞こえぬ中、クロウは腰に片手を宛てセシルの背に声をかけた。
「副船長さん、僕は本当にこの海賊団に必要ですか。」
クロウの声にゆっくりと向き直り、セシルは静かに言葉を紡いだ。
「必要に決まってるだろ。セシルどういう意味だ。」
即応えクロウは、セシルの表情を探るように見つめる。
“本当に必要か”という言葉の意図に、誰にも知られずクロウの片眉が上がった。
「さっき、『メシヤ』で飲んでいた時、北の魔王の話をしましたよね」
透明な気配と鏡のような薄い瞳。表情が無いセシルの声は、やけに落ち着いていて、危機感がクロウを支配する。
「あぁ。それが?」
黒曜石の瞳を凝らし、セシルの言わんとしている事をただ待つ。
己が思っていた以上に、セシルの表情は暗かった。
藍色のローブを纏ったセシルは、悲しそうに薄ら微笑んで言う。
「神魔教団が信仰する北の魔王・・・それは、僕なのかもしれない。」
重たい沈黙が辺りを包んで、冷たい風だけが鳴いた。
セシルはゴクリと、生唾を飲んで、今迄胸の内にあった重い秘密を話し出す。
「ずっと、自分の事だから、おかしいとは思ってたんです。魔物に慕われるのも、桁外れのチカラがあるのも・・・」
物心ついた時から思ってた。僕はどこか、おかしい(・・・・)って。
セシルはただ黙って聞いている、漆黒の存在に言葉を続ける。
「だから、自分で調べてたんです。結構、皆さんに会う、前からですけど・・・それで、図書館とかで記述を調べていて、半信半疑でしたけど、副船長さん達から、賢者だって言われた時に」
ぽつり、ぽつり、零す言葉は最後には、尻すぼみに消えて行った。
「それで自分が北の魔王だと。確信したと。」
クロウは感情を感じさせない声音で、セシルの意図を汲み取り断言する。
「信じたくないけど、似通った点が多いから・・・、記憶はないけれど、僕の前世は北の魔王だと思います」
執行人に自白するように、セシルは答えた。
「僕のチカラは、賢者なんかじゃありません。副船長さんも魔術師なら、知っているでしょう、こういったチカラは本来、術者の心の表れだと言う事を」
クロウにこの事を話すのは恐かったが、今はそれが初めから無かったように、心に何の感情も湧かない。不思議な感覚だった。
「僕の心は、きっと狂暴です。このまま北の魔王の魂を持つ僕と、船に乗って皆さんと一緒に居れば、魔物云々はきっとないにしろ、他の事で・・・きっと何かしら皆さんを傷付けると思います。それに・・・神魔教団が出来た切っ掛けの魔王。その生まれ変わりが居たら・・・それこそ、みんなにとって滑稽な話だと思います。」
セシルはそう言いながら、静かに目を伏せて、自身の心を覗く。体の輪郭も無く、真っ黒な視界。ただ自身の胡乱な、意識だけがあるだけ。
そこには、いつだって―――何も無かった。
「それより、なにより、僕には何もありません。皆さんみたいな、信念みたいな、強い思いも。だから・・・」
再び眼を開けて前を見据えれ言葉を紡げば、
「だから、それがどうした。言っとくが、俺はオマエを手放す気はないぞ。」
険しい顔のクロウが迫り、セシルの左腕を取った。
「へっ?!でも、でも、僕はっ」
狼狽しながら、セシルは腕を引こうとして焦る。しかし、『そうはさせるか。』と、ぎりっと音がする様に、クロウに強く腕を掴まれ引寄せられた。
「オマエが『北の魔王』の転生者だとして、それがどうした。」
黒く強い視線がセシルを射抜く。その瞳と声音は明らかに、静かな怒りを孕んでいた。
三千年前、ネルシャは己が殺した。現在を生きるのは、まぎれもなくただの“セシル”だと言う事を、クロウはずっと認識していた。
「今のオマエは“セシル”だろーが。セシル、オマエは自分自身が、村の者に冷たくされようと、悪ガキ共に虐げられようと、決してそのチカラを振るわなかっただろうっ!?しかも、昨日は俺達の立場を悪くしない様、一人で自己完結して警備兵について行こうとしていたっ!あの胸糞悪ぃ叔母に対してもだ!オマエ言ってただろ『可哀想な人だ』ってな!!」
「そ、それは・・・っ」
クロウの言葉に、セシルは息が詰まった。掴まれた腕が痛いと同時に、クロウの声が胸に刺さって何故か心臓が痛い。
「オマエは解ってるじゃねーかっ!チカラは馬鹿な連中に使うもんじゃないと!あんな叔母にでも、村人にも、憐れむくらい、オマエは志が高いだろ!」
誰も今までそんな事を、言ってくれるヒトは居なかった。
セシルはどこか他人事のように、そう思った。
そこへ―――ガッと空いた手で肩を掴まれ、見透かすような黒い瞳に覗き込まれる。
「それだけで、セシル。オマエには誰にも揺るがせない“信念”があるじゃねーか。」
自分でも知りえなかった他人からの姿に、セシルは薄い瞳を瞬かせる。
「俺達がアーチャーを追うのは、報復が目的だ。オマエは誰かに、“報復したい”とも、思わねぇーだろ、思ったとしてもだ。オマエにとって、よっぽどの事が無ければ、それを実行なんてなかなかしないだろ。違うか・・・?」
噛んで含ませる言い方で以て、クロウはセシルを覗き込む。最後には首を傾げつつ、同意を求める様、クロウは問いかけた。
セシル自身は、たしかに報復なんか果たしたとしても、虚しさばかりが付き纏う事を知っていた。
商店街の意地悪三人組に、チカラを使えば軽く追っ払える、命だって取る事も出来る。
でもそんな事をして、何も変わらない日常は。
村人は自分を捕え、家族を迫害するのも目に見えて予想できる。ただでさえ、家族は自分が存在するせいで、白い眼で見られていると言うのに。
“報復”それに縋って生きるのは、常に生きる事に疲れている自分には、出来ない事で、セシルには解り切った事であった。だがしかし、それは志が高い事は別だと思った。
そして――――、自分は生まれる前から、誰かを殺していて、恨まれてもしかたない。
報復なんて出来るような資格のない、汚い者だ。
目的があって、商船や海軍を襲っている海賊団の皆とは違う。
「そ、それは・・・そうだけど、けど・・・僕は三千年前、人も魔物もいっぱい殺してる。」
そう言って、か細い声でセシルが首を振れば、クロウはギリっと奥歯を噛んだ。
「他人にはそれぐらい“慈しむ”事が出来るのに、何故オマエは“それ”を自分自身へ向けられないっ!!」
クロウの苦痛の入り混じったような、怒りと悲鳴じみた声が放たれる。
「!!」
思わず息を呑み、何も言えない自分が居た。
だって、そんなの。当然じゃないか・・・大切なヒトと、自分の事を秤にかけて。
どっちを取るかだなんて、本当に大切なら、後悔するなら、自分より僕は、・・・・・・大切なヒトを選ぶ。父を殺して、母も妹から父を奪った。自分はどこか遠くで、働いて、家族を養っていければそれで・・・。
そうじゃないと、それは――――ほんとうに大切だと思っていないと一緒じゃないか。
もう、後悔はしたくない、取り返しのつかない事はしたくない。
セシルの深く暗い思いが、重く鎌首をもたげる。
だがそんなセシルとは正反対に、クロウは何処までも前を見据えていた。
「そんな奴が魔王の魂を持っていようが、俺等が傷付けられようが、そんなもん構うかっ!第一俺達はそんな軟でもないっ!!オマエが“セシル”である限り、オマエを世界の敵になんぞにさせるかっ」
「――――っ!!」
腹の底から放つその想いに、思いもよらぬ言葉に、セシルは眼を見開いた。
セシルを“セシル”であると言いきって、真っ直ぐに受け止める。
揺るぎ無い強さが、クロウにはあった。
「それにっオマエを想っている、アイツ等の気持ちはどうなるっ!?御母君や妹君だって、ロバートもだ!セシル、オマエが大切に思う者の気持ちを踏み躙るのかっ!!」
「そ、それは・・・違うっそんな事思ってない!!」
そんな事思ってない、大切だから、取り返しがつかないから。
父親の葬儀でのことを思いだした。だって、もう後悔したくない。失いたくない。
大切なヒトを増やしたくない。
失ったときの喪失感。
自分自身の存在が、大切なヒトを奪うなら。なおさら。なおさら――。
セシルが首を振って、放して欲しいと暴れれば、尚きつく腕は握られる。
「違う!ちがうっちがうっ違う!!!」
「いいや。そうだろーがっ少なくともオマエは、大切な者の気持ちに逃げてるだけの、只の臆病者だ!!」
何とかクロウから逃げようとすれど、逃げられなくて。セシルは子供の駄々のように喚きたてた。
(ソウダヨ、セシル)
そこへ、ふいに声が耳に入る。
「ぁ、ペルソナさん・・・」
セシルが振り返ると、そこには蝶の仮面を被ったペルソナが裏口に立っていた。
いつから起きていたのか。
疑問に思うセシルを余所に、ペルソナは二人の所まで寄ると、すっと息を吸い込み、
「クロウ・・・―――――――この言い過ぎボケカスがッ」
クロウの頬に華麗な右ストレートが入った。
心の声でなく、言葉に出して言い放つと言う事は、この仮面の楽士は相当ご立腹らしい。パッとセシルの腕も、それを気に解放される。
「~~~~~痛ぇなっ!!いきなり何しやがるっ」
クロウは頬を押さえて仮面の幼馴染を睨んだ。
「ァア?」
ドガッ!ドスのきいた声と共に、仮面の楽士の拳がクロウに容赦なく腹に食い込む。
「~~~~~~~っ」
声も出せない。クロウはその場に蹲ってしまった。普段のクロウならば、こんなもの避けれるのだろうが、この仮面の幼馴染には、どこか逆らえぬ何かがあるらしい。
反論は出るが、手は出せないようだ。
「ペ、ペルソナさん・・・」
セシルは突然の出来事に、狼狽えペルソナを見た。セシルの細い声に、ペルソナはセシルの方へ振り向き、自ら仮面を取る。
(ゴメンねセシル・・・クロウは口が悪いカラ、キツイ言い方デ。でも、クロウの言ってる事も、ホントダヨ。)
仮面下の表情は、悲しい微笑を湛えていた。夜明けの微かな光に、ダークブルーの眼を細める。シャーロットはセシルの手を両手で包みこんだ。
そうして優しく諭すように、セシルの心を繋げる。
(北の魔王の魂を持ってテモ、セシルは“セシル”デショ?家族ノコトモ、ワタシ達の事もセシルは大事に想ってイテ・・・船を降ろしてッテ、セシルは思ってタンダロウケド。)
何処までも凪いだような、心の声。
そのシャーロットの声が、セシルの心に沁みわたる。自己を現さないけれど、意志のある美しい水がセシルを映していた。
(そう思ってイル、セシルはモウ、歴史に名を残す悪にはナレナイヨ。)
どうしてそう思うの・・・?セシルはまるで、一人世界に抛り出された様な、幼い子供の様な表情でシャーロットを見上げた。
少女の可憐な笑顔で、シャーロットはセシルの瞳の奥を覗く。
(セシルは私の事、キライ?)
小首を可愛らしく傾げ、シャーロットはセシルに問いかけた。
セシルは一瞬、きょとんと、同じように首を傾げたが、ゆるく首を振る。
「え、ううん・・・嫌いじゃない」
自然と言葉に出した。そもそも、嫌いだったら・・・悩んだりしない。
(デショ?私もそんなセシルが好きナノ、もちろん、他の皆もネ。気持ちはイッショ。)
セシルの言葉に満足そうに微笑んで、シャーロットはセシルの頬を撫でた。
そうして心からの想いを、セシルに伝える。
その想いは祈りににも、似ているかもしれない思いだった。
(だから一緒にイタイと思う、セシルにもソウオモッテ欲しいの。自分は汚いカラとか関係なくテ、イッショニイタイノ。)
「一緒に居てもいいの・・・?何も無い僕が?」
魔王かもしれないのにと、セシルの心の中で、さざめく暗い不安と自己への恐怖。
不安げな視線を向けるセシルには、その感情を眼を逸らさず受け止めて、シャーロットとクロウは傍に立っていた。
(クロウが言った、臆病者ッテいうのもアッテルと思うヨ。セシル、大切なヒトを失うノハ、かなしいシ、後悔したくないッテ思うのもワカルケド・・・。でも、でもねセシル。セシルのそのミンナを守る方法は、哀しいヨ。ほんとうに、ほんとうに悲しい方法なのヨ。)
そのダークブルーの瞳は、本当に悲しそうに目を伏せる。セシルはその表情に、戸惑って言葉が出なかった。
(私達ハ、私は、セシルには傍で、共に笑って泣いて、どんな時デモ。大切だから助けあいたいト思う。時を共有して、思い出を作りたいとオモウよ。)
「・・・・・・。」
繋がれたままの手を、セシルは呆然と見つめた。
握られた手がほの温い。何故か視界から、熱い何かが競り上がって来て、声がひり付いた。
(私は在りのままのセシルが好きよ。)
シャーロットの凪いだ声音が頭上に落ちて、息をするのも難しい。
嗚咽が知らぬ間に出てきて、視界が水で覆われてぐしゃぐしゃだ。
(悩んで、悩み抜いて、理不尽な事も、辛い事も受け止めて、生きてるセシルが好き。)
どうして嬉しいのかわからない。
セシルは嬉しいのか、嫌なのか、慣れないだけのこそばゆい、グチャグチャした感情に、覚えのない感覚に胸を締め付けられる。
(セシルは私の事嫌いじゃないでしょ?セシルはよく私達を視てる。けれど今は自分の所為で傷つけたくないって、想っていて視えていたものが視えなくなっただけ、一時的なモノ・・・だから、ドウカ。ドウカ・・・セシルはセシル自身を捨てるような事シナイで)
そのシャーロットの言葉に、セシルは心臓を突かれた。
誰からもそんな言葉を懸けられた事も。
自分の気持ちに気が付く事も無かった、そしてセシルも気が付かれない様にしてた。
とっくに、誰かから自分が居なくなれば、泣いてくれるヒトなんて居ないと諦めて。
大切に思われることを、いらないと思っているのに。
欲してしまう弱い自分を。
見つけてくれたのが嬉しい。
見つけられたのが悲しい。
相反する感情が渦巻いて、視界も心も、何もかもがぐたぐちゃだった。
「僕は、ぼくは・・・っ・・う、うわぁあああああああああああああああんっ」
セシルは喉の奥から、今迄胸に仕舞い込んだ悲鳴を上げた。
「うわぁあああああああああああああああぁぁぁああん―――――――――――――っ」
無意識に手を伸ばしたセシルに、シャーロットはセシルの背に腕を回し抱きしめる。クロウもセシルが泣き叫ぶまま見守り、泣き止むまで灰色の髪を撫で続けた。
長い間泣き続けて、どれくれい経ったのか。
セシルにとって、時間の感覚が分からない。泣き続けて一時間は経ったと思う。
鼻の奥がツンッとして痛かった。
「本当に、一緒に居てもいいの・・・?何も無い僕だけど・・・」
ひとしきり泣き止んだ後。どこかスッキリしたセシルは、おずおずと二人を見上げた。
藍色に染まった空は、もう白銀に変わり輝かしくセシル達を照らし出す。
「ンなもん。何度も言っているだろう。」
クロウは呆れた声音で、そう言って自身の黒髪を掻き上げた。
「・・・いいに決まってる。」
「いいに決まってるデショ。」
さも当然だ、と言わんばかりに、二人は同時にきっぱり言い切った。
セシルの暗い感情を拭って。途端、反対に言い表せない程の嬉しさが込み上がる。
自分自身を誰かに、曝け出した事なんて無かった。
良い所も悪い所も、ほんとうの“自分”を見てくれている、ヒトは居なくて、ずっと息苦しかった。
せり上がる嬉しさと、今迄の自分が霧散した事による悲しさが、嗚咽と一緒になって口から溢れ止まらない。
けれど―――、この人達は“僕”を見てくれるから、信じてくれるから。
ずっと、欲しかった言葉をくれたから。
その気持ちに応えたい。
「うん、ありが、と、う、・・・ありがと、ありがとう・・・僕は、ぼくは、まだ皆と一緒にいたい」
涙交じりの声が草原に響く。
はっきりと声に出し応えるように、セシルは心から微笑む。
その薄い緑の瞳から流れるひと雫が、朝日に照らされ朝露の様に輝いていた・・・・・・。
父さん
僕はあなたを殺してしまって、
魔物に慕われるほどチカラがあって、化け物かもしれません。
それに加えて、北の魔王の魂を持っているかもしれません。
何も無い、空っぽの僕だけど。
それでも、いいと言ってくれる人達に出逢いました。
永く悩んで、人とは距離を取って生きていたけれど、
いつか・・・いつか・・・父さん、
あなたに誇れるようなモノを持って、逝けるように。
僕はまだこの世界を、生きようと思います。
僕を信じてくれる、この海賊団のみんなと一緒に―――。
昼食も過ぎた昼下がり。
森近くに咲いていた白い花を摘み、セシルは父の墓前に花を供える。
手を合わせ、冥福を祈りセシルは、立ち上がった。袖口の広い藍色のローブに着いた、雑草の葉を払えば、黒い染みが見える。これは魔物と戦って倒れた警備兵の人々に、回復術をかけた時に付着した血の跡だった。あの時は無我夢中で止血していた所へ、手をおいて回復術をしたのだ無理も無い。真新しいローブを汚してしまい、クロウとペルソナには申し訳ないなと思ったが、初めて自分が他人に何か出来る事に気が付いた染みだ。
この血の染みは、僕らしく生きていく、忘れないための印・・・。
内心で呟き、セシルは薄く微笑み、袖に沁み込んだ染みをなぞった。そうやって、セシルが袖を眺めていれば、ふと隣から声が降りてきた。
「すまなかった。」
「え?何の事です?」
心当りのない謝罪に、セシルは首を傾げた。
隣で同じく墓参りをしてくれている、クロウはバツが悪そうに、
「腕だ。加減が出来なかった。」
そう言ってセシルの左手首を見ている。
「あぁ、昨日の・・・ほんとだ!?」
クロウの視線の先を見て、セシルは素っ頓狂な声を上げる。今日の早朝に掴まれた所為だろうが、指摘されるまでセシルは全然気にも留めないものだったので、少しだけ驚いた。
藍色の袖から覗く手首には、くっきり痣が出来て蒼かった。
でも、誰かから自分の知らない“僕”を、あんなに真剣に言って貰ったの初めてだ。
だから、ちょっとだけ、嬉しいかな・・・セシルは痣を撫で微笑んだ。
「なんで笑ってんだ。変な奴だな。」
「えへへへ・・・秘密ですよ」
ごくごく自然な笑みに、クロウは意地悪そうに口角を上げ、セシルを覗き込む。
幼さの残る藍色の魔術師は、まっすぐにクロウを見てる。
もうセシルから視線が、クロウを見ない様に、逸らされる事はなかった。
「僕・・・決めました、神魔教団のやってる事、やっぱり見過ごせません。・・・それが、昔の僕が原因なら尚更です。だからこのチカラを存分に使って、必ずその邪教をぶっ潰します。」
薄い緑の瞳は透き通っていて、変わりない。
それでも今迄のように、その瞳には押込めたような暗さは無い。
「そうか」
静かにクロウが頷き応える。
だから・・・と言葉を零しセシルは、
「改めてブッラクパール海賊団の仲間として、よろしくお願いします、副船長クロウ」
そう言ってぱっと手を差し出す。
その薄い緑の眼差しには、確固とした意志があって、クロウの瞼に遠い昔の志が高い彼女がだぶって残像になる。
目前の存在は過去に、何があろうと、本質は同じ・・・か。
残像を振り払いクロウは眼を細めた。
「あぁ、こちらこそ。よろしくな。――――“深藍の魔術師セシル”」
クロウは差し出された手を握り、握手を交わした。
「はい!―――“船長さん”」
嬉しそうにセシルは応える。
墓の傍にそびえ立つ、大樹の木洩れ日にも似て、セシルの笑みには暗い影は差さなかった。
「ところで、セシル。」
「はい?」
白いキク科の野草を摘み、器用に冠を作っているクロウが唐突に話しかける。
同じく腕輪を作るのに集中していたセシルは、突然の声にふと顔を上げた。
セシルの父親の墓から、少し手前。
出航の日が明後日なので、何をする事も無くセシルは海賊団の仲間達と、長い一日を穏やかに過ごしている。
父の墓参りも終わり、現在クロウはセシルの好きな場所で寛いでいる最中だ。
「オマエ。俺がずっと傍に居て欲しいって意味、分かってるか?」
最後に端を野菊で繋ぎながら、クロウはセシルに問いかける。
セシルは手を止めて、不思議そうに眼を瞬けた。ついでに首をコトリと捻る。
「へ?なんです、突然・・・分かってますよ、船の防御に僕の魔術、魔物の研究に僕が必要って事でしょ?」
「・・・・・・予想通りの解答過ぎて泣けてくるな。」
やはり己の想いは伝わってなかったか。クロウは溜息を吐いて、遠い眼で空を仰いだ。
「?」
クロウの言った意味が解らないらしい、セシルはますます不思議そうに首を捻る。
クロウはそんなセシルに、
「あ~セシル。この際言っておく。魔物の研究云々もあるが、俺が言った意味は違うぞ。」
出来上がった花冠を頭に乗せながら、セシルの顔を覗き込む。
「ん?」
意味が違うとはどういう事だろう?と、セシルは脳内で意味の正解を探す。
しかし、それ以外に答えが見つからないので、真剣に悩みだした。
他に、何が必要とされる部分ってあったかな・・・
ざ、雑用とか?そうやってセシルは眉を寄せう~んっと唸った。
そうして唸り悩むセシルの左手を、不意にクロウが取る。
「伴侶として、傍に居て欲しいと言ったんだ。」
「・・・・・・・・えっ?!」
悩む思考の海から、素っ頓狂な声と共に浮上したセシル。いつの間にか、左手甲の薬指に懇願の意を込めたキスが落とされていて―――――全身の血の気が一気に引いた。
「え~~~~~っと、それは、つまり・・・」
ぐらりと、視界が傾いでセシルの思考が混濁する。
生まれてこの方、十八年。
ガンダルシア人はもともと、他国に行けば女性に見られる特徴のある人種だし。
僕はそりゃぁ発育も何故か悪く、村でも女の子に間違われた事は数知れずあった。
だけど、だけど、男から。
しかも、僕の性別知ってて結婚を申し込まれた事は、今迄ではなかったよ?!
むしろ初めてだよ?!
やっぱりこのヒト嫌いだ!!
腹の底から空寒い思いが、セシルを支配して心から絶叫を上げる。
そんなセシルが脳内絶叫を上げる遠くの方では、恋人達のいかにも楽しそうな・・・。
『ダーリンうふふふふ~』、『待てぇ~ハニ~☆』などと、聞きたくない声が響いて来る。
男同士でっていうことはなに?
関係を築くって事だよね?
という事はだよ・・・・・・。
セシルの瞳は輝きを失って、死んだ魚の様な眼に戻り。
その実に楽しそうな恋人達へ顔を向けると、クロウへカッと口を開いた。
「僕にもアレ(・・)をしろとッ!?」
「そこまでは言ってねぇ。」
悲痛に上がるセシルの疑問に、クロウも尽かさず冷静に応えた。
クロウも、航海士と料理長の様に、なりたいとも思わない。思った事などない。
あんな公害。毒素腐臭をまき散らす、危険物質と化す恋人関係はイヤだ。
普通が良い、普通が。クロウがそう思っているのとは露知らず。
当のセシルは、取られた左手をサッと引っ込め。
「ぎょぉぉおおおぇぇええぃい、いや、嫌ですぅううう~~~~~無理無理無理!!」
心の許容範囲を超え、一気にパニックに陥って悲鳴を上げた。
「ンなッ。なんでだ?!俺はオマエが、男でも女でも好きだぞ!!」
悲鳴と拒否の言葉に、クロウも焦って声を上げれば、
「イヤァアア―――ッツ!!彼女も出来た事もないのにぃいい!!先に彼氏が出来て堪るか~~~~~ッ!!!!!!」
涙一杯に引き攣った表情で、悲鳴が上がる。
セシルはクロウの真剣な意見を、全拒否しながら駆け出した。
「ちょっと待て!俺が男で嫌なら、女にもなるって!!聞けぇええええええ」
「そんな問題じゃないよっうわぁあああん~~~~~」
逃げ足だけは人一倍なセシルを、必死に焦って追いかけるクロウ。
必死の逃走、追走を繰り広げる二人は、周囲さえ気にする余裕も無い。
「アハハハ~待てって☆ハニ~~~~~~~~~」
「うふふ~ダーリン、アタシを捕まえて御覧なさ~い~♪」
「こいつゥ~~☆」
「うふふふ~ん、ダーリン♪」
「待て待てぇ~い☆」
「きゃァ~待てないわよ~♪」
それとは対照的に、のんびりと追いかけっこをする恋人達。
「うわぁあ~~~~んっ来ないでぇ~~~~~~~~~~~~!!!!」
「だから待てって!変身の(・)薬でどーにかなるって、聞けぇ――っ」
「聞けるかぁ―――――――っ!!!!」
半べそで走り続けるセシルと、それを変な弁解をしながら追うクロウ。
麗らかな陽気が差し込む、午後。
海賊船に拾われた当初から、何ら変わりなく、セシルとクロウはいつも通り。
悲鳴と共に不毛な、追いかけっこをしていたのだった。
「はぁ~あ、結局あの二人、バカップルと同じ事してるよ・・・セシルが可哀想」
セシルの自宅。その裏口からこっそり覗いていた、ルシュカが溜息を吐いた。その傍にはもう、氷魔の長の姿は無く。すっかり今日は、銀の剣に引っ込んだようだ。
「バルおじちゃん、アレ何?鬼ごっこ???」
ルシュカに抱き上げられていたリオンが、育ての親を指さす。
「リオン、まぁ・・・そんなもんだなぁ」
寧ろ、鬼に追いかけられる、セシル(子供)の地獄図だなぁ、こりゃぁ。
傍に居たバルナバスは、言い難そうに頬を掻いた。
「ふふふっ若いっていいですねぇ」
「ミゲチャンが言うのソレ?」
ミゲルが飄々と眺める中、ペルソナが思わずツッコんだ。
その矢先、待ってましたと、ユージン船長がお決まりの台詞を吐いた。
「ふぉふぉふぉ、なんと素晴らしい恋人達じゃ、青春ばんざ~い!!」
同時に遠くの方で、パシーンッという小気味よい張り手音が通り過ぎ。
セシルが遂にクロウの頬を叩いた、虚しい響きが草原に木霊したのだった・・・。
鶯黄石月十三日 晴れ
船長達がセシルの実家に行ったきり、帰ってこない。
正直、暇でしょうがない。
漁でもして市場で稼いでるけど、
やっぱりみんなが居ねぇと、寂しいぜ・・・。
バルナバスの兄貴も居ないから、組手の訓練も味気ない。
モーリスが居ないから、料理も味気ない。
お騒がせ馬鹿二人が居ないから、賭け事もイマイチ盛り上がらない。
老人船長が居ないから、釣りをしている姿見えなくて寂しい。
ミゲル先生が居ないから、・・・・うん、これは変わりなかった。
船長のいつもの不機嫌な表情がないので、拍子抜けする。
リオンとセシルが、居ないからかな・・・癒しが無い。
みんな・・・ねぇ、いつ帰ってくンのっ?!
もう、そろそろ俺等も限界なんですけど!!!!!!
水夫達代表 アンリ&ジョセフ
ブラックパール号航海日誌
航海ばかりの生活も辟易するが、陸でずっと燻っているのも、そろそろ限界だった。
双子のアンリとジョセフは、交互に航海日誌を書き記し、バタンと力なく日誌を閉じる。
なにより、家族がそろわないと調子が出ない。生活に潤いが無い。心のどこかにぽっかり穴が出来た様な感じだった。アンリとジョセフ以外の、年若い水夫達もそれは同じだった。
甲板から港を見下ろし、双子の水夫は青い溜息を吐いた。
「なぁ、兄さん・・・セシルも戻ってくっかなぁ~」
「さぁな~、っていうか、俺等忘れられてないよな?」
「そんな、まさかぁ~ハハハハハハ。」
「弟よ・・・乾いた笑いは説得力無いぜ」
力なく船の縁に寄かって、兄弟して港町を見渡せば空は澄んで青かった。
(早く帰って来ないかなぁ~みんな)
(早く帰って来ないかなぁ~みんな)
双子が同時に心の中でそう呟いたその時、おぉ~~~いっ!!とあっ軽い声が遠くで聞こえてきた。
その声にアンリとジョセフは、同時に眼を向き、顔を見合わせる。
「お~~~~いっ☆アンリ~ジョセフゥ~!!!!久しぶりだなぁ~~☆☆☆」
「バッカッ!ルーヴィッヒお前はぁ、耳元で急に大声上げんなよ!!」
ご陽気航海士ルーヴィッヒが、手を振って波止場からこちらへ駆けてきた。それと共に尻尾髪を揺らせたルシュカが、その後を追う様に怒鳴ってこちら向かって来る。
そのこちらへ駆けこんでくる、お調子者達の少し後ろには――――。
「おーい!お前等ぁ~~~~元気してっかぁ~~~~っ」
「アンリにジョセフゥ~っ可愛い儂の息子達ぃ~ただいまぁだじょい~~~」
「ミンナ――――っタダイマぁ~♪」
「ルーヴィッヒさん、ルシュカさん、あんまりはしゃぐと転びますよ~」
「アンリさーん!ジョセフさーん!!・・・てルーヴィッヒさんが転んだ」
「もう!ダーリンッ」
「うわぁ、ルーヴィッヒ兄ぃ、お店に突っ込んだよ?大丈夫かなおじちゃん・・・」
「ゴラァ――――――ッルーヴィッヒ!!!!このあっ軽い馬鹿がぁ!!!」
手を振る水夫長と老人船長、それと仮面の楽士。呑気に注意を促す航海医師と、元気に手を振ってくれるセシル。そしていつも通りの料理長と、幼いリオンが副船長に手を繋がれて歩いて来る。
副船長に限っては、お決まりとも言える、あっ軽い馬鹿一名へ怒鳴りながら。
「せ、船長っみんなっ・・・バルナバス兄貴ぃ~~~~~~~~!!!!」
「おかえり!おかえりい~~~~!!皆ぁ~船長達が帰って来たぜぇ~~~」
アンリとジョセフは瞳を輝かせ、懐かしい家族の帰りに精一杯に手を振って声を上げた。
ワッと双子の声を聞いた、船員達も表情を明るくさせる。そうして次々と手を振りながら、クロウ達を出迎えたのだった。
セシルはロバートの手を握り、旅立ちの挨拶を交わした。
「じゃぁ、あんちゃん・・・僕、行って来るね!」
藍色の普段着用のローブに、襷がけの鞄、そして杖を持つセシルの立ち姿は、紛れも無く立派な魔術師そのものだった。
「うん、いってらしゃいセシル!くれぐれも命は大事にね」
「いってらっしゃいお兄ちゃん」
セシルの頭を撫でるロバートと、続けて背の低い兄を抱きしめるアメリア。二人の表情は晴れやかでも、あり同時にセシルへ少し心配そうに見つめている。
航海では陸よりもずっと、安全は保障されないのだ。
でも・・・僕はもう決めたもの。神魔教団を追うって。海軍とか、他にも、危ない事は一杯あるかもしれないけれど。
出来る限りの事はしたいって決めた。
それがあんちゃんや母さん、アメリアが悲しんだり、心配させることになっても・・・。
それでもセシルの見送りにと、ロバートとアメリアは港町まで着いてくれていた。
「うん、ありがとう・・・二人とも元気でね、行ってきます!」
何も言わず送ってくれた家族の気持ちに、セシルは深く感謝をして頷く。
その表情は今までのセシルでは、見れなかった程、晴れた笑顔だった。
ロバートとアメリアは、そのセシルの様子に安心して、目を丸くして少し笑い合った。
クスクスと笑い合う、ロバートの肩をルーヴィッヒが叩いて、二カッと笑う。
「ロバートも元気でな☆」
俺等の事も忘れんなよぉ~と、陽気な航海士が握手を求める。
「あぁ!ルーヴィッヒさんもね!皆さんも元気で!」
がっしりと手を握り、ロバートは握手に応えた。航海士の傍に居たルシュカも、そばかす君も達者でなぁ、と気怠い物言いで別れの挨拶を交し合う。何だかんだで、ロバートは一緒に戦った仲だ、村での平穏な暮らしで得られなかった、男の友情も得られたらしい。
海賊だろうが、もう偏見は無く、気安く笑って肩を叩き合った。
「ロバート。コレ渡して置く。」
そこへクロウが、ロバートに重そうな袋を放り投げた。
ジャリっと重そうな音をした袋を、ロバートは咄嗟に振り向いて受け取った。手に少し重い袋の開け口から、銀貨が覗いてバッと驚いて顔を上げる。
「えっ?どうして」
ロバートからしてみれば、この銀貨の量はざっと見て、一年は食うに困らない額だ。
かなりの量のある銀貨に、ロバートが怪訝な表情をクロウへ向ける。怪訝な表情のロバートにクロウは無表情に、
「大事な商売道具壊した詫びだ。」
そう言って、受け取っておけ。とヒラヒラ手を振った。
リヤカーが大破したロバートは、生活が苦しいがこれから中古でいいから見つくろうと、思っていたからこれは渡りに船だった。
クロウの言葉に、ロバートはパッと表情を輝かせた。
「え、あ、いいの!ありがとう!やった、これで新しいリヤカーを買うよ!!」
『え、また人力車・・・?もっと、作業用馬車とか買えるよ?』
傍に居たセシルとクロウは、喉まで出掛かる疑問を飲み込む。
眼の前ではアメリアとロバートが、やった~新しいリヤカー♪と歌いながら、こ踊りしていたので・・・とてもじゃないがそんな疑問、言えやしない。セシル達であった。
賑やかに笑い、別れを惜しむ最中。
水夫長バルナバス達は、もう船に乗り込んだらしい、遠くの方で船長~セシル~っと自分達を呼ぶ声が響く。
もう出航の時間が、迫って来たらしい。水夫達がそれぞれ、甲板から手を振っている。
「じゃぁ、もう行くね!」
「またね!バイバイ~アメちゃん」
「まったなぁ~ロバート☆」
「元気でな、そばかす君、アメリアちゃん!」
ロバートとアメリアの二人にそれぞれ手を振って、せわしなく足早に桟橋を渡る。
セシルはリオンの手と繋いで、ブラックパール号へ乗り込んだ。
もっと静かにできないものだろうか・・・あのお調子者達は。
クロウが眉間に皺を寄せつつ桟橋を渡ろうとしたその時。
くいっと袖を引かれて振り返れば、
「クロウさん、お兄ちゃんをよろしくね」
そう言って微笑む顔に、少しだけ寂しそうなアメリアが佇んでいた。
クロウは黙って頷いて応えると、満面の笑みでアメリアはクロウの傍へ寄った。
そして、あのね・・・と耳打ちをするように小さな声で伝える。
「お兄ちゃんは知らないだろうけど・・・その柘榴石のピアス、大事にしてね。」
私も応援してるから・・・と付け加えて、アメリアはそっと離れる。
女性の勘と鋭い目の付け所に、クロウは驚いて眼を瞬かせた。だが、応援してもらえるなら頼もしい限りで、クロウは穏やかに口角を上げた。
「あぁ。大事にする。アメリア嬢も母君と壮健で・・・」
「えぇ!」
クロウの応える言葉に、アメリアは満足そうに頷いて微笑で返事をする。
ガダルシアで過ごした日々を振り返り、セシルの父親、ルシオの手記に記された言葉を思い出す。
『この手帳をもし読むとしたら、
私の家族の誰かだと思うから、
私の息子、セシルが北の魔王の様にならないよう見守っていてほしい。』
命の期限を悟り、遺されたルシオの言葉を、心にひっそりと刻みつける。
―――世界の敵にはさせない。クロウは一人呟いて港町を振り返らず歩く。
そうして渡り切った桟橋の先、一ヶ月も留守にしていた船へ乗り込んだ。
「~ウスッ!ただいま~☆」
「チーッス!」
「船長おかぇんなさぁーい~」
「なんだ。オマエ等・・・。なんでそんな無駄に元気なんだ。」
皆が戻れば水夫達に、ワッとその場に活気が戻る。
次々とおかえりと嬉々として迎えられて、老人船長及び、いつもの幹部達はただいま~と挨拶を交し合った。約一名、副船長クロウだけは、額に手を当て、うんざりした表情していたが。
「まぁまぁ・・・副船長、いいじゃありませんか、セシルさんのご家族へ、首尾よくお付き合い応援されたんでしょう?」
そこへ―――ある程度挨拶を終えたミゲルが、飄々と宥めるようにクロウの肩を叩いた。
その表情は胡散臭い笑みで一杯で。
「ミゲルゥ~オマエなぁ~・・・。初めから、ガンダルシアのピアスの風習知ってただろう!?おかげで丸わかりだったぞ?!」
不機嫌に眉間に皺を寄せて、クロウがミゲルを睨んだ。その睨みは誰もが、恐れを成して尻込みするだろう事確かな、殺人級の睨みなのだが・・・。
「アハ♪実は船長がそれセシルさんから、ソレ貰った時から知ってました~」
臆する事も無く、いい笑顔でさらりと受け流すミゲルだった。
その笑顔にクロウも、今回は精神的に折れたらしい。
「知ってたんなら・・・」
どうして教えなかったんだ。と、クロウは脱力した表情で、溜息交じり言葉を吐いた。
セシルの母親アイリスやアメリアが、かなり許容範囲が広い(広すぎるようにも思う)人格で、助かったが・・・もしそうでなかったら。
限りなく反対されていただろう、己の想いは。
そんな事を胸中抱く副船長を見越してなのか、ミゲルは胡散臭い笑みで断言したのだった。
「いやですよぅ~、ふふふ、そんな(副船長がセシルさんの家族に白い眼で見られるかもしれない)面白おかしい事、言う訳ないでしょう?」
「おい。・・・全部ダダ漏れてんぞ。ワザとか。ワザとなのか。あぁ?!」
全てはこの胡散臭い男に、クロウは遊ばれてたのだと、すぐに理解して頭が痛くなった。
傍で全ての会話を聴いていた、ペルソナも然り。
(ミゲチャン、グッジョブ!!)
静かにクロウに見つからない様に、ミゲルに親指を立て仮面の下でニヤリと微笑んでいた。
ペルソナのグッジョブ指立てに、ミゲルはクロウの憤りをのらりくらりと躱し、薄ら暗い笑みで返す。
そうやって、やや不穏な空気が漂う一方。
「うひゃひゃひゃひゃ~~~☆」
「爺さん、さみしかったぜー」
「おひょい!皆の者~今夜は宴じゃ~」
「じゃぁ、お料理奮発しなくちゃね~うふふふ♪腕がなるわ~」
「なぁなぁ!セシルの実家どうだった?!」
「俺も行きたかったなぁ~」
「ちょ~~~っとした事件に巻き込まれてよぅ、これが大変だったぜぇ」
・・・こちらは正反対に、明るく非常に穏やかだった。
特に老人船長は、水夫達“家族”に囲まれて幸せそうだった。ふにゃふにゃ・・・口元を綻ばせて、髭を水夫の一人に擦りつけている。
少し距離を取って、セシルはその楽しそうな様子を眺めていた。
そんなセシルへ屈託なく、
『セシル~おかえり!』
二重に響く双子の挨拶が降りる。顔を上げれば、同じ笑顔をした水夫が立っていた。
「アンリさんジョセフさん、ただいま!」
これからよろしくお願いします!セシルは振り返り元気よく挨拶すれば、双子は少し驚いて二カッと笑い合った。
『よろしくな!』
パンっとハイタッチをし、セシルも屈託なく笑う。
ごくごく自然に漏れた笑い声に、海賊達もつられて大声を上げて、明るく笑い合った。
自身の未来はとっくに放り投げ、諦めてどうでもいいと思っていた。
けれど家の者以外に、「ただいま」と言える場所が増えた、大切なモノが増えた。
まだ慣れない、むず痒い気持ちを胸に秘めて、今迄の自分とさよならを告げる。
初めて得た、仲間と言える人々に出逢えた事へ、感謝を――――。
魔物憑きの少年でなく、セシルを見てくれる仲間に、感謝を――――。
感謝の祈りを込め、青く澄みきった空へ向けてセシルは明るく微笑んだ。
鶯黄石月 十三日 晴れ
皆が陽気に笑い合う、海賊船ブラックパール号。
日の光が海を銀色に染めて、空の青が際立つ世界。
まだ見えぬ未来へ、深藍の魔術師セシルは一歩足を踏み出した。
言葉にならない程の輝かしい気持ちを抱いて・・・。
『藍空が明ける時』終




