満天の星空を映す水、千の星が照らす暗闇。
空に浮かぶ星の輝きを映す、ただ静かな湖畔――――――。
それはとても透明度の高い水面・・・
自己を現さないけれど、意志のある美しい水。
『満天の星空を映す水、千の星が照らす暗闇。』
ソプラノの鈴を転がすような声が、唄う様に一人呟く。
「空に浮かぶ星の輝きを映す、ただ静かな湖畔。それはとても透明度の高い水面・・・
自己を現さないけれど、意志のある美しい水。」
星空が輝く夜、仮面の楽士は夜番の者達が居ない、船尾楼甲板へまわり夜風を楽しんでいた。
「なんだ。珍しいな。オマエが本当の声で話すとは。」
対照的に、低いテノールの声。仮面の楽士が振り向くと、気配を消して、縄梯子を登って来た、長髪を風になびかせた副船長の姿があった。
「私だって、ちゃんと話す時は話すよ。」
少し、不機嫌そうにペルソナはクロウに言う。
仮面の横に並んで、クロウは夜空を見上げる。幼い頃から一緒に育ったペルソナが、こうやって言葉を人形なしに、口に出して話すなど滅多になかった。そういう時は、大抵何か重大なことがある時や、ペルソナにとって本心を語る時だった。
「で。わざわざ、皆に聞こえぬ心の声で、俺を呼び出した理由は何だ。」
クロウは顔を夜空に向いたまま、瞳だけペルソナに向けて、単問直入に本題に入る。
皆が寝静まる頃、クロウは、今日の魔物の生態を用紙にまとめて、研究資料など整理していた所だった。そんな時、頭の隅でペルソナの声が響いて、ここに来る様に呼び出された。
わざわざ夕食時に、直接言うでもなく、心の声で呼び出しを受ければ、皆には聞かれたくない話なのだろうと、クロウは残りの作業の手を止めて、ここまで来たのだった。
夜風がさらりと二人の頬を撫でる。
仮面の楽士は、ふぅっと溜息を吐く。今まで着けていた、蒼い鳥の仮面を、自ら外し素顔をクロウに見せた。青みがかった肩まで伸びた黒髪を揺らして、白い肌の少女の様な顔が、クロウを見つめていた。
「あの子の事だよ。」
少女の顔からダークブルーの瞳を向けて、クロウに詰め寄った。
「・・・・・・。何の事だ。」
クロウは酷く、面倒な顔をして夜空を見上げる。
「あの子は、何者なの?」
「さぁな。」
ペルソナの視線を逸らしたまま、そっけないクロウの言葉に、ペルソナはムッとして眉間を寄せる。
「嘘だね。クロウの事を初見で視抜いてたし、私の魂の本質も視抜いた。」
ダークブルーの瞳を半眼して、自分が視えていた真実をクロウにぶつける。
クロウはペルソナの言葉を聞いて、心の底から溜息が出た。
「他人の心に敏感なお前は、昔から厄介だな。」
「そうだよ、だから嘘はダメ。私にはわかるよ。言いたくないなら、それでいいけど、そうでもないんでしょ。だったら教えて。」
「・・・・・・。」
ペルソナの他人の心を反映するチカラは、本当に厄介なものだなと感じて、クロウは幼馴染の顔を見つめる。こうと決めたら、この仮面の幼馴染は頑として譲らない。それはクロウが一番よく知っている事だった。
「あの子は最初からずっと、私と心で会話していたよ。殆ど無意識だろうけど、あんな事できるのは、君と尊師と君を育てた魔女ぐらいだよ。並みの魔術師じゃ、あんなことできない。まだあるよ、術者としてちゃんと修行してない、あの子が詠唱破棄で術が使える事、尊師以上に、大きくて強固な守護盾、それにあの雷電撃の命中率。あれだけのモノを呼ぶには、詠唱破棄なんて中々できないよ。」
「・・・・・・。」
普段そんなに喋らない、と言うか無口に近いこの幼馴染は、次々とクロウに言葉を浴びせてくる。クロウは黙って言い分を聞いていた。
クロウの結っていない、長い黒髪が風に流される。
何も言わないクロウに対して、ペルソナは、さらに口を尖らせて続ける。
ペルソナは心の声で、クロウが逃げられない様に、話してやろうかと思ったが、クロウはいち早く、自分の心にも沈黙を持って心を閉ざしている。
「いいよ。だんまりでも・・・続けて言うから、あの子は魔物に好かれるし、魔物の言葉も理解してる。私は心の声がよく聞こえるけど、魔物達はあの子には、よく心を開いてる、私でも少しだけしか聞こえない声も、あの子には届いてる。それに、銀の剣に眠っていた魔物の長は、あの子を誰か(・)と(・)間違えてた(・・・・・)。そもそも、私達は永い間、ルシュカ君の剣を視ていて、そんな事微塵も感知できなかったよ。」
ペルソナの話す内容で決定的な事を言われて、クロウは深く溜息を吐いた。コイツは何故こうも、聡いのかと内心クロウは舌打ちする。
「本当に。オマエはその名の通り、鮮明に映し出すのだな。」
「クロウは、隠しすぎ。」
「・・・。」
ペルソナの本質を抑揚のない声で告げると、クロウに人差し指を当てて、ペルソナはそっけなく言葉を返す。
それを聞いて、クロウは眉間に皺寄せて押し黙る。
「あのね、邪推かも知れないけどね、君の心に傷つけて、杭を打ってる夢。その夢に居るのは、あの子で、あの子じゃない者だよね。あの子、本当は・・・」
尚だんまりを決め込むクロウに、ペルソナはクロウが逃げられないように、核心を突く言葉を選んで告げる。自分が思っている本当の事を、言わせるまで、クロウの痛い所を敢えて言葉にする。
「シャーロット。アイツはもう、世界の敵じゃない。」
クロウは噛み締める様に言う。
そこには、それ以上は言わせないと、力強い瞳でペルソナを捕えていた。
ペルソナは眼を瞬かせて、コテンと首を傾げて嬉しそうに問う。
「・・・本名で呼ぶって事は、やっと話す気になった?」
ペルソナと言う名は、本当の名ではない。だからクロウは仮面と呼んでいた。
本当の名前はシャーロット・スペンサー。幼い彼女が山奥で息倒れていた所、クロウがそれを見つけて保護した時、唯一彼女が覚えていたのがシャーロットと言う名前だった。
彼女の過去に、何があったのかは知らないが、悲惨な過去だった事は、クロウには理解できた。彼女には複数の人体実験の痕と、極めつけには性別も無かった。ただ単に、名前と顔から元は女だったんだろうと、自分の師と育ての魔女がそう推測した。
彼女は自分お顔を何が何でも、隠して自分でも見ようともしなかった。それでは不便だろうと、クロウが持っていた面を着けさせたのが、きっかけで、それからずっと仮面を、被る様になった。そして、仮面を着けた彼女は自ら、ペルソナと名乗る様になったのだ。
時が経ち、自分の本心を語る時や、心を許した者にだけ、仮面を取り素顔を見せる。
なので、そういう時は、決まってクロウは、ペルソナの本名で呼ぶ事にしていた。
当然、本当の名で呼ぶときは、クロウも本当の事を語った。
これは幼い頃からの、二人のスタンスだった。
「それにあの頃のアイツには、ちゃんとした名前もあった。」
古い自分の記憶と夢の内容を、手繰り寄せてクロウは、ダークブルーの瞳に語る。
「へぇー知らなかった。どの文献や歴史にも、本当の名前載ってないから、無いのかと思ったよ。」
肩をすくめて、瞳を半眼にし、おどけた口調で言うが、声には少し険があった。
「オマエ。怒ってるのか。」
「そんな事・・・あるよ。」
たっぷり沈黙の後、肯定の意を述べられる。
「・・・あるのかよ。」
ガックリと、クロウは首を落とす。
コイツを怒らせると、恐いのは昔から知っているので、面倒だなとクロウは思った。
「それで、お名前なんて言うの?」
首を傾げて、シャーロットが問う。
クロウは観念して、全てを話し出した。
「・・・ネルシャ・ガルディア・ダレーシャ。数千年も前、東北の国ダレーシャ王国、国王の隠し子。貧民層の生まれ。性別女性。天性の術の天才。傾きかけていた国を、持ち直す為、宮廷魔術師として王に仕え、大いに国を助ける。別名若き魔術師。その姿は、どんな術を使っているのか知れないが、幼い子供のままだった。国王が死去する際、国を去り北の山脈で自ら、術をかけ眠る。」
それは三千年も前の、誰も知らない、どの文献にも載っていない。『北の魔王』と呼ばれる前の、人物の歴史だった。
「ふーん・・・。その子と、かなり親しかったんだね。」
意味深に合打ちをして、シャーロットはクロウを視る。
「オマエが思っているような。アイツは、皆に危害を加えるヤツではない。」
間違いがないように、クロウがそう釘を刺すと、シャーロットから、思いもよらない返事が返ってきた。
「そんなの、あの子を観てればわかるよ。」
「じゃあ。なんで、わざわざ俺に話させようとした。」
クロウは眉間に皺寄せ、シャーロットの瞳を睨み付ける。
「言ったでしょ。クロウは隠しすぎって。私はクロウのそういう所、良い所だと思うけど、何も言わなさすぎるのは、良くないと思うよ。お互いに」
クロウの睨みにも臆せず。シャーロットは何処から出したのか、カエル人形を手にはめて、カエル人形の口をパクパクさせ、おどける。
シャーロットの言わんとしている事に、思い当たって額に手を当て、クロウは溜息を吐いた。
夜風が、また二人を吹き抜ける。
「・・・おっせかいめ。」
ボソリと呟いて、クロウは夜空を見上げる。
「ふふん♪それは尊師に似たの。んで、夢にまで出てきた、逢いたい人に、逢えてなんでそんなに、悲しんでるの?」
カエル人形の口を開け閉めさせながら、実に楽しそうに、シャーロットはクロウを視る。
「・・・知ってる癖に。話させるのか。」
「言ったでしょ、言わないと良くない事もあるって。」
頑としてシャーロットは、クロウに引き下がらない。そこまで、ばれてしまっているなら、
仕方ないと思い、シャーロットにばれない様に、硬く閉ざしていたモノを吐きだした。
「・・・・・・アイツは、性別は違うが。ちっとも変ってなくてな。」
夢の記憶と今の現実を比べながら、クロウは抑揚のない声で話す。
「うん・・・。」
それに、シャーロットは、静かに耳を傾けた。
「また。同じようになったら、そう思うと。・・・アイツは。あの時、俺に殺されて、幸せそうだった。」
「うん。」
「それは、アイツが生きてる間。酷く辛かったのかと思うと。俺は、やりきれない何かがあった。今度も。今も。そうなったら・・・またアイツは辛いのかと思うと。」
クロウの始めこそ抑揚の無い声だったが、だんだん震えて絞り出した声音になる。
「そっか。」
少し寒く感じる夜の風が、その声を攫っていった。
「純粋に逢えて嬉しいと思う。その反面、それを考えると、アイツが悲しかった。」
クロウのその言葉を聞いて、シャーロットは首を傾げて、目を細める。
「それは、合ってるけど、違うよ。クロウ。」
「・・・何がだ。」
何が違うのか。とクロウは不思議に思い、黒曜石の瞳をシャーロットに向ける。
理解していないクロウに、シャーロットは、自分でも理解していない真実を、おせっかいだと思いつつ告げる。クロウの性格上、これだけは言っておかないと、ずっと間違いを抱いたまま、悲しい想いを持ち続けるだろう。
「アイツが悲しかった。じゃナイよ、それは、クロウが悲しかっただけ。私の言ってる事、わかるよね。」
噛んで含む様に言って、クロウに胸元に指をさして、強調する。
その言葉に、クロウは一瞬、瞳を見開いて、言われている事に気が付いた。
「・・・そうだな。俺は悲しかった。」
深く頷いて、クロウは今度こそ、自分の真実を吐きだした。
「よくできましたー♪」
「お前には恐れ入る。」
にっこり笑って、シャーロットはクロウの前で、カエル人形持って一回転する。
クロウは、口の端を上げて笑った。
「んじゃ・・・私は用も済んだし、自分の部屋に帰るよ。」
「あぁ。余計なおせっかい、ありがとう、シャーロット。」
蒼い鳥の仮面を、ダークスーツの懐から取り出して、クロウにお休みを告げる。
「ふふふん♪精々これから頑張ってねー。何しろ、君かなり、恐がられてるもんね。」
「・・・。」
不器用な幼馴染に、応援とも嫌味とも取れる言葉を投げかける。
シャーロットは仮面を着け、いつものペルソナに戻った。
満天の星空を映す水、千の星が照らす暗闇
甲板から、その景色を見てペルソナは一人呟く。
「忘れがたき声に、涙する時もある。さすれば、かなしみ消えゆく。」
それを聞いていた、クロウはペルソナに低い声で応える。
「それでも、俺は消したくねェよ。」
あの焼けつくような―――アイツの生き様を。俺の業と後悔を。
まるで誓いの様に言い放つ彼に、ペルソナは苦笑いしながら空を見上げる。
「満天の星空が悲しいね。」
今度こそ、ペルソナは踵を返してクロウと離れた。
『満天の星空を映す水、千の星が照らす暗闇。』終