満月の下で―墓標―
『満月の下で―墓標―』
カルセドルニア村に起った、合成獣の襲撃事件。
怒涛の激戦の後、その日の夜。
返り血でドロドロになった者は、風呂をごちそうになり、戦闘で負った掠り傷など(とは言っても、銀の雨を浴びて殆ど傷は無かったが)を、ミゲルやアメリアによりそれぞれ治療してもらう者など、皆はその一日の疲れを癒した。
皆疲弊しきっているから、今日の事はひとまず、明日にでも話し合おうと、水夫長の提案により。村を襲った事件による今後の話し合いは明日へ持ち越しになった。
夕食はアイリスや隣家ロバートの家族から、持ち寄った食事を賑やかに食べ、明日に備え今夜は早めに寝る支度を整えた。もちろん、部屋数も無いので、クロウを除く皆は、一階の客間を借り転寝状態だ。
ロバートも、また明日来るからと、セシル達へ笑顔を見せ、両親と共に自宅へ帰っている。
燭台の炎が揺らめく机上、クロウは独り大きな溜息を吐いた。
「何故・・・俺だけ、セシルの父親の部屋に通されたんだ。」
独りごちる部屋には、返事をする者は居ない。
皆と同じく、(リオンは別だが)客間で転寝をしようとしていた所、アイリスに呼ばれ、この父親ルシオの部屋にクロウはまたしても案内された。
扉を背に凭れ、ずるずると、クロウはその場に座り込む。
この場所は己にはふさわしくない。昼間の騒動もあり、疲弊したの身体より精神だ。まっすぐ伸びた、己の黒く長い髪を、掻き上げて、無意識にも本棚へ視線を向けてしまう。小さな燭台に照らされた、薄暗い本棚。その一番上の段には、セシルの父親であるルシオの手記がある。
最期までセシルを案じ、守っていた父親の部屋。
まさか約三千年前、北の魔王を殺した転生者、そしてその一族である者が、部屋に泊まる事になるとは思いもしなかっただろう。セシルの父親である、ルシオは良い父親で、実の子を愛していた。それが、世間的に悪の権化だと歴史に、名だたる北の魔王の魂を持つ者だと直感していても。
クロウの黒い瞳は、本棚から逸らす事無く見つめ続ける。
この世の歴史に、北の魔王として、“アイツ”の心臓に刃を突き刺し殺したのは、間違いなく己だ。それが“アイツ”との約束で、“願い”だとしても。
「私が―――アイツを世界の敵にして殺した。私がアイツを『北の魔王』にしてしまった。」
三千年前より遙か遠い前から、人の身にして魔の魂を持つ己。
アイツと何度も転生し巡り逢う度、アイツは己の憎むべき対象で、色々とあった。
いろいろ・・・何度も殺し合う仲だった。けれど。アイツを殺すたび、己の中にある殺戮衝動が薄れてゆく事に、ある時気が付いた。永い転生の過程。徐々にアイツに救われていると知って、己はアイツの生きる様を見て生きたくなった・・・。
どんな想いで、どんなふうに、アイツには世界が映っているのだろうか。
命を無暗に刈り取る己には、想像もつかない。だからあの三千年前は、黙ってアイツの“願い”と己の“欲”を叶える為、共に在り続ける道をとった。それが最善の方法だと、その当時は思っていた。
されど――――同時に己の中では、激しい後悔が渦巻いていた。
三千年前の“わたし”の記憶に残った、アイツを『北の魔王』として殺した事実。
誰よりも、世界を愛しく想い、平和を願い、人々を欺き魔王として殺された――――。
魔からも好かれ、自然にも好かれた、幼心の魔術師。
過去世を持つ者は、この世では数少ない。
古代の人々の中には、過去世を識る者は当り前だったようだが、永い年月の果て近年では稀である。前世の記憶を蘇らせる者は、クロウの様にある特殊な魂や、精神修行を積んだチカラの大きな術者だけである。
だが、ふとした瞬間に蘇る者はいる。それはミゲルやペルソナのような者達だろう、己とセシルの魂が持つチカラに感化されて、夢として彼等は過去世を思い出した。
しかし肝心のセシルは、途方もないチカラを秘めているにもかかわらず、過去世の記憶を思い出している雰囲気は皆無だ。おそらく、思い出したくないのだろう。
ネルシャとして生きた記憶は、きっと辛い事ばかりではないが、それでも哀しい事が多かったのだろうと思う。
クロウにとって、セシルを想えばそれは喜ばしいことであり、反対に哀しさを伴っていた。
心の奥にまだ残る、ワダカマリ。
前世の記憶を持つ理由、それは単に“執着”だろうとクロウは確信している。
そう、彼女には“執着”は薄かった・・・。俺にでさえも。
非難や危険視される世界の敵。
その真実の姿は己が見て来た中で、大切な者へ自身を捨てられる様な、一途で、自身を愛せない心の醜い。
十分生きたと言っていた。潔い気持ちで。
誰より一生懸命に生き、志が高かった奴だ。
だからこそ。だからこそ。
「だからこそ。魔王として殺した俺に、この部屋は最も相応しくない。」
誰にでもなく呟いて、クロウは後頭部を扉へ預け、しばし思考を停めた。瞼の作り出す闇に、心地よさを感じ、燻る本能を沈ませる。
――――この部屋にはいられない。
思考を停め、冷えた頭がどんどん鮮明になる。そうして、過去世の感情を仕舞い込み、冷静に今すべき最善の事を、クロウは脳の中で素早く弾き出す。
今夜は外で・・・。森にでも行って、休もう。
皆が起きだす前頃に、帰ってくればいいだけの話だ。野宿は慣れている。
座り込んだ脚を動かし、クロウは扉のドアノブを握る。
静かに誰も起さぬよう、握り開けたドアノブは、ひんやりと冷たい。替えのコートを羽織り、クロウは寝静まった暗闇の階下へ降りた。
闇に親しみを覚え、夜目が利き過ぎる瞳は、薄暗い闇の中でどこに何があるか解った。
階下へりれば、クロウのまず目に入ったのが、己の部下と義祖父が寝相悪く就寝している姿だった。老人船長の豪快な鼾、航海士と水夫長に間に挟まれ、脚やら腕の下敷きになっている尻尾髪が、苦しそうに唸っているが、疲れているのだろう、それでも瞼は閉じられたままだ。モーリスはソファに眠り、他の者達は床に敷いた布団に、横になっている。
ミゲルはリビングの椅子を器用に並べて、こちらも熟睡しているようだ。気配に聡いこのやぶ医者なら、起きるかと思ったが・・・寝息が不規則過ぎて、本当に眠っている事が分かる。疲れているのは、顔色を見れば一目瞭然だ。これは好都合だ。
クロウはそのまま、脚を玄関へ向けた。そして誰にも気が疲れる事無く外へ出て行った。
秋風の少し肌寒い風が頬と髪を撫でる。玄関から降りて、道なき雑草が茂る草原へ足を踏み入れる。茂る草は伸び放題、膝下程まで伸びて風に靡く。
満月の月明りと星の輝きが、草原を照らし十分明るい。夏の様なぬるい風でなく、さわやかな風が心地よい。秋の心地よさにクロウは眼を細め、森の入り口を目指し、セシルの家の裏手に回った。視線を青緑の草から、森の入り口へ向け歩けば、すぐに辿り着くほど距離。昼間とは違い、鬱蒼とした木々の闇が入り口を覆う。
何処か手頃な樹にでも登って一夜を過そう。そう思ういつつ、入り口付近で、森の樹木を物色していれば、入り口付近よりやや離れた場所に、一番大きな樹が聳えたっていた。
幹が太い、どっしりとした大樹。枝葉も幾つもあり、立派な様相だ。
あれが一番手頃か・・・。クロウはその大樹に脚を向け近寄る。脚で茂る草を掻き分け、大樹の根元まで辿り着けば――――。
「これは・・・墓」
思わず言葉が漏れる、瞠目する視線の先。大樹の根元、草が茂る中、埋もれる様に白い小ぶりな墓石が鎮座していた。月明かりに照らされた、木漏れ日の下、墓石は白くひっそりと佇んでいるようにも見える。
こんな所に誰の墓か・・・など、安易に解る。そこまで鈍い思考は持ち合わせてはない。セシルの父親、ルシオの墓だ。よくよく見れば、墓石の前には、摘まれた野花が手ごろな石で押さえつけられ、置かれている。
あぁ、何故こうも。この家族を愛した故人の基から、離れようとすれば、尚さら引寄せられるのか。クロウは自身に呆れ、目頭を押さえた。
・・・・・・とにかく。他の場所を探すとしよう。
墓同然の樹で、一夜を過すのは、あまりにセシルの父親に失礼だろ。クロウは静かに、夜分にお邪魔しましたと、十字を切って、その場を離れる為に身を翻した。
くるり、と方向転換。クロウが樹を背にしたその途端。
「あら、クロウさん、ルシオのお墓詣りに来てくれたの?」
嫋やかな聞き覚えのある、婦人の声が掛けられた。聞き覚えがある筈である、この声はセシルの母親であるアイリスの声だ。
「あ・・・。いえ。眠れなくて散歩していたら偶然。お見かけしたので・・・挨拶を。」
クロウにしてみれば珍しく、しどろもどろに話し、言葉を詰まらせた。表情はもちろん、いつも如く無表情だが、内心アイリスが居る事に驚き、大変焦っていた。墓石に気を取られていて、周囲の気配にまったく気が付かなかった。まさか、部屋に居られなくて、森で野宿をしようと思っていたなど、正直な所言える筈もない。逡巡するクロウに、毛糸で編まれた上着とショールを羽織った姿で、
「あら~・・・、クロウさん。ルシオの事なら気にしなくてもいいのよ、あの手帳に書いてあったでしょう?この手帳をもし読むとしたら、私の家族の誰かだと思うから、あの子が魔王にならないよう、見守っていてほしいって。あの人、ルシオが残した手帳が読むとすれば、家族の誰かだけなのだし・・・手帳を見つけて読んでいて、あの子の傍に居る貴男はもう立派な家族だわ、だから気にしなくてもいいの」
クロウさえも驚く程、アイリスは的を得た言葉を放った。
「・・・・・・母君には、恐れ入ります。いつから。私が手帳を読んだと気が付かれました?」
さわり、と秋風が吹き、草波が揺らぐ。クロウがアイリスを見れば、その先に裏口の戸が開いているが視界に入った。
「貴男が初めて家に来たとき、お風呂に入る前、あの子にあの部屋で寝泊まりする訳にはいかない、とおっしゃっていた時かしら?それに私は、あの人の部屋は毎日、欠かさず掃除しているの、ベッドの乱れも無ければ、手帳に埃が積もってない事ぐらい気が付きますよ」
クロウの問いに、アイリスはにこやかに応え、裏口の戸口を指さす。とにかく立ち話もなんなので、座りませんか?と言われ、クロウはアイリスに言われるまま、戸口前に敷かれた石の階段まで歩いてゆく。
「・・・すみません、私が見る権利がない物を勝手に読んでしまって。」
二人そろって座れど、幾分か余裕がある石階段。アイリスが静かに裏口を閉めた。
並んで石階段に座ったクロウは開口一番、謝罪を口にする。
「謝らないでくださいな、きっとルシオも貴男なら、読んでも何も言わないと思います。だからルシオ、あの人の部屋で貴男が過ごすのも、きっとルシオは快く思うでしょう。それに・・・お墓まで貴男を呼んだのだから、気に入られているわ」
アイリスは頬に手を置いて、優しく微笑む。クロウの一連の行動を見ていたのだろうか・・・アイリスの言葉には、好感も含まれているよだが、隙が無かった。
クロウはその婦人の言葉に、内心唸り、墓を見詰めながら、絞り出すように口を開く。
「いいえ。たとえ・・・たとえ、父君に許されていても、私にはそんな資格ありません。」
誰に許されようと、己が許せない。内心呟いて押込める。苦い物を飲んだ様なクロウの表情。それは微々たるものだが、アイリスにはそれを捉える事が出来た。
「何故?貴男が海賊だから?それとも、北の民族で、魔王を倒した一族の末裔だから?」
クロウの表情を覗き込む様に、アイリスが穏やかに問いかける。
「―――っ!?」
バッとクロウがアイリスの翠の瞳を見つめ、瞠目する。一瞬にして、思考が白紙になった。
咄嗟の事で言葉が出ない。
「あらあら、私ったら、推測だったのに大当たりね~」
アイリスは無邪気にそう言って、ゆるくガッツポーズをとる。クロウの表情で図星だと、図ったのだ。
「・・・・・・さすが母君です。」
クロウは大きく溜息を吐きながら、全てを曝け出す。このご婦人は、さすがセシルの母親である。一筋縄に行かないらしい。それこそ、何でも見透かされているようだ。
「ふふ~私、推理小説が大好きなのよ」
胸の前で手を組んで、得意げに言ってのける婦人は顔色がいい。病人だった影も無い。その雰囲気は、無邪気な、いたずら好きの子供の様であった。
「クロウさんは、真面目だから、結構顔にでるのね・・・北の民族で船に乗って指揮を執っている人なんて、この西海には、海賊ブラックパールしか思い当たりませんもの。初め貴男から息子の事で手紙が届いた時は、まぁ驚きましたけど」
「すみません・・・。」
すまなさそうに謝罪するクロウへ、アイリスは我が子にするように前髪を梳く。細い少し荒れた手が、慰めるように黒髪を梳いては頭を撫でる。
「でも、それだけで、ルシオの部屋に居ずらいと思うのも、不可解だと思ってたの。それに、手紙は丁寧だし、会ってみて、賊には見えるけど、単に暴れたくて略奪する様な野蛮さもない。誠実さがある。あの子に対しては・・・特にね。あと貴男のお仲間だってそういう風に見えるわ」
翠の瞳は何処までも凪いで、穏やかに月明りを映す。
「だからね、貴男には何か背負ってるモノがあるじゃないかって思ったの」
クロウはされるがまま、アイリスの話をに耳を傾ける。その翠の瞳は、色は違えど、眼元がセシルと同じだと、密かに一つ親子の接点を見つける。
「あの子が『北の魔王』の魂を持つなら、貴男の姿は御伽話に登場する、英雄『黒き翼』の記述にそっくりそのまま。沢山の歴史書に、魔王を倒した英雄は、北の民族で流れの戦士だったと残っていますし、その英雄は戦争が終わった後、北の里へ向かって詳細はわからないままだと語られているでしょう?だから、もしかして、里で英雄は暮していたのかしらって思って、そしたらその子孫もいるのかしらって思えてね?」
あってるかしら?とアイリスは微笑み首を傾げ、クロウを見上げた。
静かだった草原に、虫の音が何処かで鳴り、秋風が舞う。二人の髪が緩やかに靡いた。
暫く間をおいて、クロウは静かに話し始めた。
「たしかに。私は。ユーイン家はその末裔ですが・・・。魔王を殺した傭兵には、子はいません。中央戦争が終わった、一年後には死んでいます。私の一族は、その傭兵の異母弟の血筋にあたるです。」
それは三千年前、中央戦争で語られた、されど誰も知らぬ傭兵の最期だった。
「まぁ、じゃぁ私の推理は少しだけ、外れていたのね」
アイリスは眼をぱちくりさせ、クロウを見詰めた。誰も知らぬ英雄の最期の話に、好奇心の混じった驚きを見せる。
「でも、それなら遠慮なく寛いでもいいのに・・・直系でもなければ、貴男にはかつて、北の魔王を倒した者の血は流れていないでしょう?昔の事なんて、気にもしないと思うわ」
クロウの長い黒髪を梳き、耳にかけてやりながら、アイリスは首を傾げ不思議そうに覗き込む。
「いいえ。いいえ。私には・・・直系でなくても。それ以前の問題があります。」
クロウは目を伏せ、心から搾るように応えた。
その言葉は、クロウ自身にも言い含めるようでもあった。
「そうなの?なら尚更訊かせてほしいわ、貴男の背負うモノは、セシルにも関係してそうだもの」
アイリスは微笑み、ショールを羽織直す。我が子が関わる事だから、重々承知だと言う態度を取って。
「母君になら。私と僧兵だけが知っている、三千年前の御伽話をお話ししましょう。」
クロウは静かに口を開き、アイリスを見詰めた。それは記憶が戻っているミゲルにも、話した事も無い、北の魔王の真実の話だった。
「御伽話・・・ふふっ私、推理小説の次に好なものだわ」
真摯に見詰めるクロウの視線を受けて、アイリスは穏やかに聞き耳を立てた。
心地よい風がまた髪を拾って、緩やかに靡かせる。
虫の音が止んで途端静かになった。
「それは。三千年前よりもっと遙か昔。東の大国ダレーシャ国がまだ存在した時まで遡ります。」
静まる満月の下、仄明るい草原を前にクロウは語り出した。
「その国には、国王の隠し子、ネルシャ・ガルディア・ダレーシャという宮廷魔術師がおりました。彼女は貧民層の出身で、その身に沈む天才的な魔術の才を活かし、出自を隠し宮廷に上がった。そして父王のもと傾きかけた国と助ける為、内政に尽力と注ぎ異母兄妹達と仲良く国に貢献しました。しかし、彼女の身に沈むチカラは巨大なモノで、その姿は老いる事無く、若く幼いままでした。」
成長するたびに、鮮明になって行く夢の内容。
藍色の道衣を着た幼さの残る魔術師。
それはクロウにとって、只の夢ではなかった。はっきりとした己の過去だった。
「彼女の家族は、彼女を大切にしていたのでしょう。気持悪がられることなく、王宮に住まわせ、王宮(政治)の表舞台から彼女は消えましたが、彼女は異母兄妹達と何不自由なく暮らしていました。やがて父王が倒れ、彼女の異母兄が王位に着きました。父王が亡くなったことにより、元よりあった仕えてきた臣下達の亀裂が激しくなり、遂には民衆までも巻き込んだ革命にまで発展しました。口が達者な貴族達がその革命の発端、矛先としたのが、老いぬ体を持つネルシャでした。魔物とも仲が良かった彼女は化け物だと罵られ、朋友にして父王の側近だった人狼の者と、国を追われ大陸を流離いました。国を出て行く最後、異母兄妹達に、もし子孫に助けが必要になったら、力になろうと誓いの刻印を右手に刻んで。」
満月が照らす、戸口に二人分の影が落ちる。
「しかし、王国の追手はしつこく。二人は行方を眩ませるため、人狼は西へ、彼女は北へ、それぞれ別れ我が道を決めました。それから彼女は、北の神山近くに居を構え、何十年、何百年と人の目に触れぬよう生きてきました。」
滔々と語る人物は、まだ魔王と畏れられる事の無かった彼女の姿。
クロウはその当時、彼女から話し聞いていたネルシャの軌跡を辿って語る。
「あらまぁ、それじゃネルシャって言う人は、ずっと独りで暮らしていたの?」
アイリスは眉を潜め問いかけた。
その問いにクロウはコックリ頷き、夜空を見上げる。
「えぇ。そのようです。私達、北のユーインの里には、何十年かに一度降りて来ていたようですが・・・一度。ユーイン家その当時、族長が神山付近で吹雪により遭難し、彼女に宿を求めたそうです。彼女は族長を助け、吹雪が止めば村へ返しました。若い族長は、彼女を気に入り、その存在を里の者へ知らせました。だが彼女は自身が老いぬ身である事が露見する事を恐れ、神山付近に結界を張り、彼女は住まいを凍りに閉ざし、その身を封印しました。彼女自身の血筋の者以外が、彼女の眠りを解く事が無いようにと・・・。」
その当時の族長も、現在のクロウの先祖にあたる誰かだろう。
永く生きる彼女にとって、またその族長の縁者に遭うとは予想しなかったのだろう。
当時の己の出自を知って、彼女はとても驚いていたのを思い出す。
「それから、彼女は約千年半も眠り続けました。永い眠りを覚まさせたのは、大国ダーレシャが滅亡し、命かながら逃げ延びた、王であった一人の男でした。一人の男を導いたのは、彼女が誓った右手にある刻印でした。彼女の家族へ対する想いが強かったのか、チカラが強かったのか、その刻印は彼女の意志関係なく、彼女の子孫である男の命令に逆らえない様になっていました。男がどんなに残忍な事を命令すれば、喩え彼女が望まずとも、彼女の意志に関係なくその命令に背く事は出来きず、命令に忠実に体は動きました。自ら命を絶つこともできません。そうして男は彼女の魔術を利用して、故郷の国を取り戻し、新たに『ダリル』と名を変え、帝国を建国しました。」
史実や単なる御伽話に隠された、本当に起った出来事。
「ダリル帝国。初代皇帝ダリウスは、彼女の魔物に好かれる素質さえ利用し、周辺諸国へ魔物を従え彼女に攻め滅ぼす事を命令しました。彼女は命令されるまま、逆らう事も出来ず周辺諸国を、魔物軍勢を従え攻め滅ぼし、帝国を半年で大帝国に導きました。それにより、彼女はいつかしか、『北の魔王』と人々に呼ばれ、恐怖の対象になりました。」
それは―――、チカラある者の純粋な家族愛を利用した、愚かな男の話だった。
「御伽話の魔王は、女性でお姫様だったのね・・・意外だわ」
風が止み、アイリスの憂いを含んだ声が零れた。
「その帝国の暴挙に名を募り大陸中の国々が結束しました。中央小国アマダイン、東北大国ガイアを主流に、連合国軍ガイアとして帝国に宣戦布告。中央戦争が勃発しました。・・・・・・そんな中、ある連合国から依頼で、帝国内を探る影の者が居ました。」
クロウはただ、淡々と感情のない声で語り続ける。
「その間者は要人暗殺や傭兵など・・・殺しを生業とする北の民族の男でした。男は城の内部を探る為忍び込み、そこで彼女。ネルシャと出会いました。彼女は暗殺者である男に、何度も会う内。男に一つ依頼をしました。それは・・・男の腕を見込んで、『この戦争が決着がつく頃、連合軍が帝国を追いこむ最期の時、己を魔王として殺してほしい。』というものでした。」
夕暮れの闇に染まりつつある、彼女の質素な家の中で。
たしかに、ネルシャはそう己に言っていた。
「まぁ、それじゃぁ・・・北の魔王は自ら望んで・・・」
アイリスは眼を見開き、口元に手を当てた。哀しそうに眉が寄せられ、この話が本当に“誰と誰の話”なのか、察しがついているようだった。
「彼女はわかっていたんです。帝国が現われる前、大陸中は人間のつまらない欲により、戦争が絶えなかった事。帝国が出現し、魔王が存在して、大陸中が手を取り合い、結束しつつある事を。彼女ネルシャは男に言ったのです。『君ら連合国軍が、北の魔王を倒し帝国を滅ぼせば、大陸はまぁ、少しはマシになるでしょ。』と。彼女は平和を望んでいました。彼女は愚かではありません、自分が魔物を従え、殺してきた者達から眼を逸らさず。皇帝から解放され、安らかな日々に暮す自身の未来を望みませんでした。男はその依頼を受け、報酬に彼女の命を貰いました。」
それは――――二人の約束だった。
見上げれば、蒼さが滲む満月が、夜空に冴えていた。
「二人は血の婚約を交わしました。お互いの血を混ぜたインクで、伴侶どちらかが死ねば、後追う様に一年後には死ぬ契約です。男は・・・その後、連合国軍へ傭兵として入り、ダン将軍のもと、傭兵達と帝国の植民地や砦を討ちました。あとは史実に残っている通り、男は帝国最後の時、平原にて彼女と一騎打ちを果たし、ネルシャを『北の魔王』として殺しました。」
歴史に名を残す大戦争。大陸中を巻き込んだ、中央戦争。
どの歴史書にも、『北の魔王』の名は悪しき魔術師として、克明に記されている。
クロウは最後の、馬鹿な過去の己の最期を、懺悔するかのように話した。
「男はその場で、彼女の遺体を連れ戦線離脱。北の里へ戻り、父である老いた族長に頼み込み、今も残る北ソアルの町の外れに住みました。彼女の遺体は、後から追い掛けてきた、傭兵仲間である僧兵と共に手厚く葬りました。男もその里で一年を過し、血の契約通り、僧兵に看取られ逝きました。戦争が終わった大陸は、内部紛争などありましたが、大よそ二百年は平和を保ちました。」
実質、戦争が終わり、歴史書を読めば誰もが知れる。
大陸の大きな国同士の争いは、二百年もなかった。
「男は僧兵には手紙を残し真実を伝えました。この話を知る者は、その男と僧兵である、アルジャン・ウル・ジェーダイト。そしてその一族であるジェーダイト国、僧兵の末裔である国王しか知りえません。」
オレンジがかった金の髪に、童の様な碧の瞳。いつでも明るく陽気な破戒僧は、己を看取って里へ住み着いた。それからその破戒僧の孫が、西の地内部での争いを沈めジェーダイト国を建国し王になった。それを知ったのは、クロウが記憶を全て取り戻した、丁度成人した日だった。理由を知る尊師リーストを伴い、現在のジェーダイト国王ヨーゼフ四世に、当時の話を申し開きに行けば、過去の己が記した手紙を見せられたのは、まだクロウの記憶に新しい。ふと、そう思いに耽っていると、アイリスの哀しげな瞳とかち合った。
クロウはその瞳を逸らさず、
「母君。私はネルシャを、世界の敵『北の魔王』にさせてしまいました。現在セシルにはその記憶はありません。大切なご子息の事を想う、父君の部屋など・・・私には最も相応しくない。」
己の中にある“真実”を静かに打ち明けた。
「・・・・・・そう、そう言う事だったの、貴男が・・・あの英雄」
全ての御伽話を訊き終えたアイリスが、静かに目を伏せる。
三千前の真実に、アイリスの頬には一筋の涙が零れ落ちた。
クロウはコートに入れてある、ハンカチを取り出しアイリスに手渡す。
「昔の私は英雄ではありません。昔も現在もそうです。真実。英雄などは何処にもいない。強いて存在すると言うなら、世界を相手どって平和を望んだ詐欺師ぐらいです。」
静かに微笑むクロウは、そう言って肩を竦めた。
「ふふふっクロウさんは、本当に面白い人ね。―――そっか、それでセシルは貴男だけには、感情豊かなのねぇ・・・母さん、謎が解けてすっきり~」
借りたハンカチで涙を拭き、アイリスは涙交じりの声で笑った。息子に付き纏う、魔王の魂の話を訊いて、得心したらしい。少し安心したと、すっきりした表情だ。
アイリスは父親ルシオが亡くなっていてからの、セシルの表情がどこか感情を置いて来た雰囲気になる事を危惧していた。それが、ひょっこり黒衣の海賊の頭と帰ってくれば、面白いように表情が変わるのを見て、内心ほっとしたのを覚えている。母親や妹では動かす事の出来なかった、息子の心を、動かす事ができる存在が居てくれた事に、アイリスはとても感謝していた。
「・・・ですから。私は父君の部屋を借りるわけには―――」
クロウは申し訳なさそうに、先の件での事を断わろうとすれば、
「そうねぇ、母さん的には尚更問題ないのだけど。クロウさんがそこまで言うなら・・・でも、貴男も私の大事な息子だもの、外で野宿だなんてねぇ、どうしましょう」
微笑むアイリスは、真剣に考え込むよう頬に手を当てた。
「え。いやいやいや。私は外で十分・・・」
クロウは慌てて手を振り十分だと、態度で示そうとする。・・・・・・が。
「あぁそうだわ!セシルのベッドで眠ればいいのよ!今ならリオン君は私の部屋だし!!ちょっと子供用で寝苦しいかもしれないけど、夜這い駆ければ問題ないわよね!?」
「大いに問題ありますよ?!増々嫌われるじゃないですかっなに消し掛けてんですかっ!!」
ガシッと両手を掴まれ、なかなかの問題発言をクロウに提示したのだった。
クロウがそんな事をすれば、間違いなくその直後、セシルが発狂。
もしくは喉を掻きむしり自殺を図るだろう、事は安易に想像できる。アイリスの眼が本気なので、クロウも内心肝を冷やした。
「むぅ・・・残念ねぇ、あの子は押しには弱いから、いけると思うのにぃ~」
即、却下の声が上がったので、むくれるアイリス。
いいのか、大事な一人息子に彼女より、先に彼氏が出来てしまっても。クロウは複雑な心境で、心の内でツッコミ叫んだ。
「セシルの心の(ウ)傷を増やすような真似。俺はしたくないです。・・・・・・って。あとずっと気になっていたんですが、その息子呼びは・・・・・・」
クロウは眉間に皺を寄せ、言い辛そうにそう訊き返す。
前々から気になっていたのだ、何故自分だけが息子呼びで、航海士や狙撃手、歳の頃を同じとする者達が、名前呼びなのかを。
今迄のアイリスの会話から、薄々は感じていたがクロウは、確かめずにいられなかった。
「あら?義息子に決まってるじゃなーい、女の感は鋭いのよ?」
そんなクロウに、アイリスは嬉々と笑って、クロウの肩を叩いた。案に初対面から、己の気持ちは筒抜けだったようだ。
「いいのですか。大事な一人息子でしょう・・・。」
無表情に首を少し捻り、アイリスに伺いを立てる。
「あの子の、一番の幸せを考えるなら、そんなの気にしないわ」
黒曜石の瞳が覗き込む、その視線を受け取って、ふっとアイリスは目元を和らげる。
その表情は、我が子を想う、母親特有の慈愛の滲む笑みだった。
クロウは慈愛の微笑に、あぁ、母上もこんなふうに笑う人だったな、と自身の母親の影を少し見た。
「それにクロウさんが着けているピアス。それは、あの子のでしょう?ルシオが生きていた頃、あの子がルシオとの思い出にって、お祭りの夜店で買った物だもの。あの子が誰かに、物をあげるだなんて、なかなか無いもの。一番に分かったわ」
「そうですか・・・礼に貰ったものでしたが。やはり大切な物だったのか・・・。」
ついっと右耳へ手を伸ばし、指の腹で赤い石をなぞる。
「あの子が渡したのだから、いいのよ遠慮しないで。」
渋い顔をするクロウに、アイリスは慌ててクロウを励ます。
しかし・・・とクロウが難しそうに顔にすれば、
「知っていますか?古くからガンダルシアでは、女性が意中の人に、柘榴石のピアスを贈るんですよ、男性が受け取って着けて貰えば婚約成立なの。柘榴石には深い絆、一族の血の結束、という意味合いがあって、深い愛情を示す石と伝承があるのよ。あの子はそんな事おそらく知りもしないのだろうけど・・・」
古い言い伝えでは、家庭円満のまじないなの?アイリスは慰めるように、クロウの髪を梳いた。思いも寄らぬ話に、クロウは言葉も出なかった。
まっすぐ伸びた黒髪を、撫でる様梳いて、にっこり微笑む。
「だから、だから、ね?今夜あたり既成事実を作ってもいいかな~なんて?」
「それは俺が嫌われますってば。」
不意打ちに二度の爆弾発言を投下され、きっぱりとクロウは返した。
眼前に座る母親は、冗談なのか本気なのか・・・・・・。
見極めることができないクロウだった。
「クロウさんは、セシルの事を大事になさってくれるのね」
さわり、さわり、秋風が吹いて、満月が雲に隠れた。
ほぅっと息を吐く、アイリスの視線が亡き夫の墓へ注がれる。
「さぁ。どうでしょう・・・私は己の欲に忠実ですので。ただセシルの意志なくして、そこまで強く出れません。」
大事にしていたら、この暗い本能なんて無くなるだろう。セシルに煽られる本能が、身の内にあるのだから、これは理性で押さえ込んでいるに過ぎない。
他人に言われ、考えれば、考えるほど。突き詰めれば、己は欲でしか動いていないと思った。命を喰らう強い本能と、反比例する様に強く想う、セシルの幸せ、今度こそ普通の人としての生活での幸せ。自然と“死”に幸せを見出すような思考を、振り払ってやりたい。
これは自己満足な感情で―――、セシルにとっては望まぬ想いだろう。
クロウの応えにそれでもアイリスは、のんびりとした声音で、
「あらま~そうなの?―――でも、・・・そうね、貴男なら本当にあの子を預けられます。貴男が付いていれば、信頼できて安心だわ。此処はあの子、セシルにはちっぽけな世界ですもの、あの子にはもっと広い世界がお似合いだと思うわ」
隣にいるクロウへ振り返り、眼を見開き言い放った。
その濃い翠の瞳には、真直ぐにクロウを見据える。グッと白い細い手で、クロウの両手を握りしめる。
「それに―――クロウさんなら、私のセシルを“世界の敵”にしないでしょう」
力強く断言する。隠れていた満月が顔を出し始めた。
アイリスの表情は、どこまでも凪いでいて、それでいて強い母親の表情だった。
そのアイリスの言葉に、クロウはハッと目を見開く。
「俺は。いえ。私は、どうなろうと、それだけはさせません。もうアイツはセシルです。世界の敵となった『北の魔王』ではありません。」
その手を握り返しクロウは咄嗟に、そう口に出した。
やっぱり・・・クロウさんなら大丈夫ね。心の中で呟いてその咄嗟に出たらしい、嘘のない言葉に、アイリスは顔を綻ばせる。セシルは“セシル”だと言いきった、漆黒の青年の頬を撫でた。
「ふふっ本当に良い事聞いたわ、でもねぇ、やっぱりそのまま野宿だなんて見過ごせないのよ。と言う訳で、はいこれ」
アイリスは手を放すと、羽織っていたショールをクロウへ手渡した。
「あ・・・え、っと・・・。」
困惑するクロウへ、アイリスはスッと立ち上がり裏口の戸へ手を駆ける。
そうして、にっこり、いつもの笑顔でアイリスはクロウへお願いをする。
「一階にもまだ一人分くらい眠れるスペースはあるわ、ちょっと狭いのが難点ですけど。それならいいでしょ?お義母さん(・・)のお願いも聞いてほしいわ」
「は、はぁ・・・分かりました。」
しっかり、お義母さん、と言う言葉を強調されれば、クロウも否とは言えなかった。また、何気にアイリスの背後に、黒い霧の幻覚が視えた様な気がするので、また逆らえない。
苦笑いでクロウも、その場に立ち上がる。
「じゃぁね・・・おやすみなさい」
「お休みなさい。」
裏口から入った階段の前。
アイリスは音も立てず、リビングの隅に腰を下ろしたクロウを見届ける。
薄暗い闇の中、座って眼を閉じた青年を背を向け、アイリスは自室へ階段を上った。
登り切った先に広がる光景は、亡き夫の部屋と突き当りにある息子の部屋。内装も綺麗にした壁やドアに、昔の面影は残っていないが、家族そろっての思い出はしっかりと残されている。アイリスは夫の部屋のドアノブに手をかけ、そっとその扉を押した。
部屋の中には当然誰も居ない。
けれど、アイリスにとってこの部屋には、確かにルシオの気配が残っていた。
「ルシオ・・・、あなたが心配していた、セシルの事は、もうきっと、きっと、大丈夫よ・・・。さっきの“三千年前の御伽話”を訊いたでしょ?驚いたわねぇ」
本棚を手探りで探して、手を伸ばせば、手帳に手が届く。
「私達の子は、化け物なんかじゃない、魔王にもならない」
臙脂色の革の表紙を撫で、アイリスは窓へ翳した。
月明りに照らされた、手帳に夫の名前が鮮明に晒される。
「だって心強い仲間が傍に居るんですもの、何も心配いらないわ」
アイリスはその筆跡を撫で、眼を細める。
「これから、寂しくなるけれど、きっともっと良い事がたくさんある・・・」
セシルは遠くへ、世界へ旅立つだろう、アメリアはそのうち、お嫁に行ってしまうだろう。
ルシオの手帳を撫で胸に抱く。月明かりが射す部屋に、そっと瞼を閉じた。
これからの未来へ思いを馳せて、アイリスは密やかに呟く。
「だから、ずっと見守っていてねルシオ・・・・・・それじゃぁ、お休みなさい」
『満月の下で―墓標―』終




