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船長と私。  作者: 御影 優一
魔術師の島国ガンダルシア
18/50

懐かしきカルセドニア村へ

『懐かしきカルセドニア村へ』


琥珀石月 二十日、早朝、雲一つない晴れ模様。

セシルが焦がれるほど待ち望んでいた、祖国ガンダルシアの港に、ブッラクパール号は停泊している。普段は威嚇とのために、掲げられたままの海賊旗や黒い帆も、形を潜めるように下げ、水夫達により白い帆に移し替えられ、商船のフリをして港に入る事になった。

ガンダルシアには、代々王家が賢者ともなる者が治めている為、ジェーダイト国とは違い、警備兵もとい王兵もすべて、多少なりとも魔術を扱える者である。海賊と言えど、魔術兵士と面と向かい喧嘩する事は避けたかった。これがガンダルシア領の離島などなら、堂々と入れるのだが、セシルの故郷はガンダルシア本島なので、万が一セシルの家族にいらぬ嫌疑を向けられるよう、手間だがこれが最善の策だった。もし、海賊だと知れても、袖の下を多少握らせ、港町を襲う気も無いと、海賊旗を常に下げて意思表示をしていればいい話だ。なんせ、ブラックパール海賊団は、今まで港町を襲った事などないのだから。

「・・・と言う訳だ。いいか。オマエ等。俺が居ない間、無駄な争いを起すような真似はするなよ。もし、魔術兵が来たら袖の下握らせとけ。俺は三日間、もどらねぇからな。ここの町で自由にするのはイイが、ここの(ふね)は護れよ。」

甲板にて、黒衣のクロウ副船長が周りを観渡し、そう鋭い眼光で言い放つ。

『アイ・サー!!!』

すると甲板に出ていた航海長を始めとする、彼の部下が敬礼し、そう声を上げた。

セシルの生まれ故郷は、このガンダルシア本島、ガーネクロイツの港町を出た、山を背に沿う様にある森林に囲まれた村、港町から歩いて半日ほどかかる場所にるカルセドニア村と言う、小さな田舎の村だ。クロウも港町は知れど、カルセドニア村には行ったことも無く、土地勘がないため、とりあえず三日間という期日を設けた。セシルの精神不安定が、長引くようなら、クロウだけ船に一旦戻り、その旨を仲間に伝えるだけである。まだまだ情報は少ないのである、今更急いでアーチャーの影を追う必要もクロウには無かった。

「クロウや~お土産を頼んだぞぃ♪」

のんびりと土産物を頼む、老人船長ユージン。その青色の瞳は、茶目っ気たっぷりに微笑んでいる。

「じいさん。土産は酒か。あんまり飲みすぎると、体に良くないぞ。」

クロウは、眉を寄せそう言うも、老人船長のお土産を買う事にしているのが恒例。結局のところ、彼はこの老人船長に良くも悪くも甘いのである。孫は爺さんが可愛い。そんな所である。

そんな副船長の今日の出で立ちは、いつものラフな黒衣のロングコート姿とは違い、仕立ての良い、シンプルな黒を基調とした礼服を着た姿だった。真直ぐな長髪も、今は首後ろで上質な臙脂の髪紐で纏められ、セシルがどっからどう見ても、その出で立ちは凛とした生粋の貴族そのものだった。けっして、他人から見ても、普段の野性的なおっそろしい海賊だとは、微塵とも気取られない。見事な変身っぷりである。

セシルは、この副船長の変わり身っぷりに、始め見た時、空いた口が塞がらなかった。

アンタ、誰だよ?!ホントにあの副船長さん?!!思わず内心、そんな言葉しか出なかったのである。

すっかり知恵熱も引いたセシルが、死んだ魚の眼をしながら、立ち尽くす横では、

「船長、リオン君は私達に任せていってらしゃい。」

置いて行かれることに、不満一杯ふて腐れた幼いリオン。その幼子を抱えたミゲルが苦笑いを零しながら、クロウに挨拶をしていた。

「明後日には帰って来るからな。リオン。いい子にしてろよ。」

リオンの銀髪の髪を撫でてクロウが宥めるも、当のお子様は・・・。

「むぅ~。」

睨んでいる・・・ものすごーく睨んでいる。主にクロウを。

仲良しのセシル、育ての親クロウが船から居なくなるに、ついて行きたがっていたリオンは、朝からご機嫌斜め。珍しく眉を八の字に下げ、頬を膨らませて睨んでいる。

「リオン君、ごめんね・・・僕の持ってる飴ちゃん、あげるから機嫌なおして、ね?」

セシルが見かねて、自分の鞄から飴を取り出すと、リオンの瞳は一瞬だけ輝いた。

「飴ちゃん!・・・むぅむぅ・・・」

そう言って、嬉々として受け取るも、やはり不満が勝るのか、再び頬を膨らませ始めた。

大好きな飴を貰うのは嬉しいが、二人から離れるのは、嫌でどうしようもないらしい。

「ホラ!もうっリオンちゃん!!男の子なんだから~我慢よ!!」

「そうだぞぉ~坊主。我慢して男の株は上がる時だってあるんだぜぇ!!」

痺れを切らして、傍に居たモーリスもバルナバスも、苦笑いをしつつリオンをなんとか宥めにかかった。しかし、リオンには逆効果の様だ。朱色に瞳にだんだん、涙が滲んできている。その三人の大人組に囲まれたリオンに、セシルも困ったように微笑んだ。

「あははは・・・・見事に膨れてる」

「ミゲル、バルナバス、モーリス。すまん。リオンを頼むな。」

リオンの様子に、かなり申し訳なさそうに、クロウも三人に軽く頭を下げた。そんな副船長に、三人は顔を見合わせ、優しい微笑みを向けた。

「えぇ、船長気にしないで、ゆっくりしていってください。」

「そだぞぉクロウ、遠慮すんなァよ、俺らは家族みたいなモンだろ?」

「そうよ~船長!心配しないで行ってらっしゃい♪お爺ちゃんの事も、ま・か・せ・て♪」

んちゅっとモーリスが投げキッスをし、全力に二人で避けたクロウとセシル。

アンタ達っそんな全力で避けなくてもいいじゃない!!とモーリスが抗議の声を上げ、バルナバスとミゲル、リオン、ユージン船長が声を上げて笑った。

温かい三人の頼れる保護者、その優しい眼差しにクロウは息を吐く。

「本当にすまんな。三人とも。それじゃ行くか。」

隣に立っているセシルに視線を落とせば、灰色の髪を青のリボンで纏めた頭が目に入った。

ふいに、呼びかけられ、セシルは慌てて顔を上げる。その顔にまだ、晴れない影が射している事にクロウは、目聡く見てとり、何も言わず目を細めた。

「あ、えぇ。それでは、すみません皆さん。リオン君の事お願いします。」

こんなに、お別れを嫌がられるのも、慕われているって分かるから、逆に嬉しいけど・・・なんだか、申し訳ないよ。リオンの事を思ってそう三人に、セシルはぺこりと頭を下げた。

さて挨拶も済み、いざ陸へ降りようと、クロウとセシルが渡し橋に、脚を駆けようとしていたその時。

「クロウさん、ここでお別れですねぇ~いやはや、楽しい船旅でしたよ」

「皆さん、ありがとうございますぅ~♪」

忘れていた・・・実にのどかな夫婦の声が、クロウにかけられた。

「ニコラス将校・・・できれば。もう会いたくないがな。」

グギギギと言う表現が似合いそうな程、首だけ振り向いた副船長の背後には。

「そんな~冷たい事おっしゃらずにぃ~、こっちはこっちで、アーチャーとかの情報集めときますから、マライトに寄る際は、絶対会いに来ますからね♪」

「私も!『海鳥』さんが市を出された時は、買い付けに行きますわ♪」

眉間に皺を寄せた凶悪顔のクロウを、ものともせず、清々しい微笑みを向けるバッカプル。

ニコラス将校とその妻アリッサが、瞳を輝かせ立っていた。

「・・・・・・。」

その物怖じしない将校夫婦に、うっと顔を引き攣らせ、クロウが押し黙ってしまった。

(すごい、この夫婦。あの副船長さんが、かなり微妙な顔して、しかも反論できないなんて・・・。)

横に立っていたセシルは、冷静にその様子を眺め、この将校夫婦の持つ雰囲気を別の意味で恐ろしく思った。一方、押し黙ったクロウはと言うと、喉まで出かかっている言葉を飲み込むのに必死だった。

というか、ジャパリアの町で、今度会ったら敵同士って宣言してたよな?宣言してたよな?!あの言葉をどうしたんだよ、マライト陸軍将校。どっかの小石にでも、躓いて落として来たのか。どっちにしても、あんま会いたくなぞ。俺はっ!!!!

「できれば、店の品物買いに来るだけで、その後は遠慮したいのだが。」

喉につっかえる言葉を、胃の腑に納め、クロウがそう言えば、将校はさらりと言葉をかわす。

「え~それじゃ、僕の出番が無いじゃないですか~?アーチャーの事も、貴方の境遇もみんな訊いて、面白うそうだと思ったんですよ?絶対、会いに来ますよ♪」

何気に、絶対と言う言葉に力を込めて宣言されれば、クロウもニコラス将校の意気込みに押され、折れるしかなかった。

「・・・。もういい。好きにしろ。」

クロウがそう言いきれば、ニコラス将校はご満悦の笑みで、はい♪と微笑んだ。

そこで、クロウはニコラスの言葉に、脳裏にふと疑問が持ち上がった。

「つーか、俺の事とアーチャーの事、言った馬鹿は奴誰だァ?!アァ?!!!」

自分はニコラス将校には、ゴーゴン家の事は話したはずだが、将校の立場上、アーチャーの事まで詳しく話していない筈であった。クロウは思い当たるどっかの馬鹿者に、舌打ちを打った。

思い当たる、どっかの馬鹿は、うわッやべ!!と体を強張らせる。

クロウは、その気配を直感で感じ取った。

そして鋭い眼光を持って、今まで副船長達を見守っていた周囲に視線を向ける。

じっとクロウが見渡せば、冷たい黒の視線を、とっさに外す二人の馬鹿が居た。

「伍。」

重低音に腹の底から、怒りを含んだ声音と一歩踏み出す脚。

ああ、やばいよ。とルシュカは嫌な汗を、たらりと流す。

「四。」

それは、確実に視線を逸らした、ルシュカとルーヴィッヒの二人に迫っていた。

狙撃手と航海士の二人は、青褪めて血の気が引き、その場に硬直する。

「参・・・弐・・・」

怒気を孕んだ低い声、その声が無情にカウントを読む。

そのクロウの表情は、薄く口角を上げ、確実に二人の獲物を残忍に見据えている。彼の周囲には、青黒い炎がちろちろ燃えて視えるのは、この際気のせいではないだろう。

「うわァあああああ!!すんませんッ船長!!!俺らが言いました!!!」

「うぎゃあああああ!センチョー☆タンマ!タンマ!!!短気は損気!!」

壱と言いかけたクロウに、このままでは俺ら半殺しに合う!と恐怖に耐えかねて、ルシュカとルーヴィッヒは、正直に名乗り出た。尻尾髪、金髪碧眼は半泣き状態で、クロウに待ったをかけるが。

「やっぱりか!うっせぇ―――――!反省しろッ!こぉんのお調子モン共がっ!!!!!」

低い怒鳴り声を上げて、恐れ戦く二人の馬鹿に頭を捉えた。

ガイィィンン!

クロウは容赦なく、二人の馬鹿の頭を引っ掴み、いい音を出してその馬鹿の頭同士をぶつける。

ひぎゃああああ―――――――!!!

イッテェエ~~~~~☆それぞれ情けない悲鳴があり、そこへクロウの説教モードの雷が落ちる。いつもの如くな光景に仲間達はその様子を、呆れた様子で見守り、ニコラス将校夫婦も苦笑いを湛えていた。

「いったい、いつ出発するノ?」

仮面の楽士ペルソナが、熊人形を掲げ首を傾げる。かれこれ出発の挨拶に、ペルソナが懐中時計を見れば、三十分は経過していた。

「んーっと、とりあえず、アレが終わってから・・・かな?」

セシルは正座をしいる二人の馬鹿に、クロウの説教が終わるに後もう三十分はかかりそうだ。そう予想しながら、真近に在る筈なのに、遠くに感じる故郷へ意識を飛ばした。

三日間クロウ達が、船から離れるにこの状況。自由に空を旋回する海鳥の、クワァ~と言う鳴き声がセシルの耳に切なげに聞えたのだった。




「手土産なしって言うのも、悪いしな。なんか買ってから行くか?」

いつもより上質な黒衣のロングコートを、翻しセシルを振り返るクロウ。

「え、えぇ・・・。」

セシルが慣れ親しんだ港町。

ガーネクロイツの港には、ガンダルシアの国旗がはためいていた。ガンダルシア名産の柘榴石を表す深紅の布地に、守護精霊獣である黄金に輝く不死鳥が描かれ、青い空に映えている。

馬鹿二人による騒動は、ニコラス将校が穏やかな笑みを向けて収まった。厳密に言えば、『立場上の事を心配しなくても、そんな軟じゃないです~』と、クロウの間に入ってなんとか、クロウの怒りを納める事で収拾したのだが。

そうしてニコラス将校夫婦と共に、セシルはやっとブッラクパール号から下りる事が出来たのだった。

「しかしだ。あの馬鹿共と離れると、こうも解放感があるものか。」

そして今、先ほどニコラス将校夫婦に、セシルとクロウは解放され、否、別れた後だ。

「あはは・・・ずっと一緒ですもんね」

余程、うんざりしていたのだろう。クロウが首後ろを片手で揉んで、伸びをする。セシルは、少しこの副船長に同情しつつ、乾いた笑いを持ってそう応えた。何しろ、セシルでもあの日常を目の当たりにすれば、頷くしかない程、彼の部下(特にお調子者二人)はかなり、手がかかる者達だったからだ。年下のリオンの方が、いっそ大人に見える。

「俺は。本来はあんな騒がしい連中とは、共にいない性質なんだがな。じいさんが、家族が欲しいって頼みは、聞き入れたいからな。・・・っと、何にするか。」

「ふーん・・・。」

クロウは革の鞄を持ってそんな会話をして、町の大通りへ歩いていれば、市場が見えてきた。ガーネクロイツの港町は、ジェーダイト、マライト、南の国シェルハとも交易が盛んで、市場は異国文化の宝庫だ。それによって、多くの観光客や南国の行商人でごったがえしている。セシルは懐かしい市場の風景に、ぼんやりと息を吐くが、これからの事をクロウに正直に話すという目的を思い出して我に返る。

さあ、がんばれ僕。負けるな僕、怖い事なんてないんだ僕、うんそう、そうだよ。相手はちゃんと事情を話せば、聞いてくれるんだから不服従で殺されるなんて事ないし!

正直に話せ僕!勇気、ゆうきっ!強気で話せっ!!

呪文にも似た、応援を自分の心に呼びかけて、セシルがクロウを見据える。

当の暗黒副船長。本人はセシルの前に建っている露店で、眼を細め売り物を物色していた。

「ご婦人だ。ハンカチもいいしな。一応、ジャムの詰め合わせは持ってきているが・・・花束も。」

顎に手を添え、そう何気なしに独り言を言っているクロウ。店には鮮やかな薄桃色のハンカチや、織物の上品そうなショール、染め物で出来た羽織などが広がっている。

「え、あ、ちょっとっ副船長さん!そんなに悪いです!手ぶらでいいんですよっ気を遣わないで」

クロウの傍まで来て、独り言を聞いたセシルは慌てて、クロウの袖を引っ張った。

ここで別れの交渉をするのに、お金を使わせるのは申し訳ない。

「あ。こんなもの当たり前だろ。オマエの親御さんに挨拶に行くんだから。」

セシルに袖を引っ張られて、驚いたのか、クロウは眼を瞬かせセシルに視線を落とす。

やっぱり・・・母さんに挨拶する気満々なんだ。このまま、副船長さんの調子に流されたら、船にまた逆戻りだよ・・・なんとか事情を話さないと!セシルは黒曜石の視線を受けて、しどろもどろに口を開いた。

「え~っと、それについても、僕からお話があるんですが・・・」

言いにくそうにセシルが話を切り出せば、

「またオマエの事だ。船から降りて元の生活にもどっせって言うんだろ。却下だ。却下。」

あっさり、淡々と言うクロウに話を、切り捨てられてしまった。

「ひょえっ!なんで?!!」

「セシル。オマエの顔色みてたら、そんなの一目瞭然だぞ。」

驚愕の色を隠せないセシルに、クロウは普段見せない、(本人、無自覚による)純粋な笑顔でそう応えた。

「えぇええええ・・・・・・」

そう言いきられてしまうと、ぐぅの音も出ない。あと、悪意のない笑顔が逆に恐すぎて、血の気が引いた。

「いや、でも本当に、それもあるけど!大事な話なんですってばっ」

ここで負けるもんかっと、再びセシルは心が折れそうになるのを踏ん張って、クロウの袖を引っ張る。

が。しかし・・・。

「店の親父。このハンカチとショールいくらだ。」

「お!お兄さん、お目が高いね~十銅貨だよ」

クロウは真顔で白いレースのハンカチと、淡い水色のショールを選んで、財布を取り出した。セシルの言葉など、耳に入っていない様に・・・。

「ちょっとぉ~聞いてる?!!!」

クロウの様子に、セシルが慌てて袖を引っ張り、意識をこちらへ向かそうとするも、クロウは銅貨を取り出し財布を懐に仕舞う。そして、セシルの頭を撫でつつ応えた。

「はいはい。聞いてる。聞いてる。十銅貨だ。」

チャリ、銅貨を店の親父の手に乗せる音。そして手渡される品物。

そう・・・副船長クロウは、セシルの言葉を、本当に聞いているだけだった。

「ちっとも聞いてなぁああ―――――――ぁいぃっ!!!!」

悲壮なセシルの声が上がるが、クロウはしれっとした顔でセシルの手を取り歩き出した。

ひぃぃょえぇえええ―!!!この人、ホントに聞いてるだけだよ!内容を聞いてよ!内容をっ!!半泣きになりながら、手を引かれるセシル。

「さぁ。次行くぞ。次は・・・花屋だ。」

ズルズル・・・クロウは嬉しそうに、セシルの手を取って(引きずって)、市場を歩き出した。普段、共にいるお調子者達の解放感からか、ニコラス将校夫婦と別れられたからか、はたまた、セシルと二人っきりでの買い物の為か。

ここにクロウをよく知る、大人組の仲間から見れば、どれも当て嵌まると頷くだろう。

副船長クロウは、現在かなり、いや、物凄く、上機嫌だった。

逆にセシルは、現在かなり、いや、物凄く、気持ちが落ち込んでいるが。


な、なんでこうなるのぉ~~~~~~~~~~~~~~?!!!


セシルはクロウに手を引かれ、心の雄叫びを上げた。


琥珀石月 二十日 雲一つない晴れ。だが心は土砂降りの雨模様。


あぁあああああ・・・

どうしよう。どうしよう。

このままじゃ、家に着いちゃうよ・・・。

副船長さんは、ちっとも話聞いてくれないし、ホントにどうしよう。


そして、周りの人達の視線が痛い。

あーやっぱり、この中身はどうあれ、賊と言えど、御貴族様は違うんだぁ・・・。


                                    セシル

                               セシル心の日記より


モーリスに見立てて貰った、紺を基調とした羽織にズボン、それに白いシャツ、革のブーツ。灰色の髪を青のリボンで一括り、耳元で覗く深い藍の雫型の宝石と中指の指輪。

白い杖を握り、襷に鞄を駆けた様は、セシルに良く似合っていた。

「で。セシル。セシルの母君や妹君は、どんな花が好きなんだ。」

「いやいや・・・いや。それより僕は、僕の話を聞いてほしいですけどぉ・・・」

「ん?だから。聞いてるだろ。どんな花がいいか。」

「えーっと、僕が言いたいのはそうじゃなくってですね?」

どこまでも噛み合わない会話。

クロウに連れられるまま、市場一角に花売りが荷馬車を置いて、店を開いている前に立ち尽くす。花売りの荷馬車には、素晴らしい深みのある色合いの秋薔薇や、コスモス、優しい色調のベゴニアが可憐に咲いている。どれも女性に喜ばれそうな、赤、オレンジ、白、桃色と華やかだ。

「秋薔薇のオレンジローズに、コスモス・・・ベゴニアか。」

ふむ。と考える様に手を口に寄せ、花を見つめるクロウ。立ち振る舞いは、もともと貴族だったのも要因だが、綺麗に完璧だ。雰囲気在り過ぎる黒衣の青年は、言動さえ聞かなければ、女性は放っておかないだろう。現に市場、花屋の一角にはクロウとセシルを避けて、道行く人々、特に女性の視線の的になっている。ああ・・・視線の針が痛い。

「うん、だからね?聞いてる?!」

さっさと事情を話して、クロウから離れたい衝動に駆られるセシル。

すでに、花屋の売り子であるお姉さんは、頬を染めて放心状態だ。その周囲の状態を感じているセシルは、これほど居心地が悪い、祖国での買い物は初めてだと思った。

しかし横で、花を一身に見つめ考えるクロウは、周囲の視線には、いっそ清々しいほど無関心だった。まるで『他人には関心がない。』とその背中に書いてあるよう。

「セシル。オマエの母君と妹君の、瞳の色は何色なんだ。」

唐突にそう聞かれて、一瞬不意を突かれる。何故ここで、母と妹の瞳の色が出てくるのか。

「え、母さんは僕より濃い翠色で、アメリアも同じだけど・・・ってなんですか突然」

不思議そうにセシルがそう応えれば、

「んー・・・。では決まりだな。オレンジローズとベゴニアにしよう。」

こ、この人、聞いちゃいねぇ!!!

一応セシルの声は、クロウの耳に届いているものの。その内容は本当に聞いて貰えてない。

当のクロウは満足そうに頷いて、淡い紅茶オレンジ色の薔薇と、桃色のベゴニアの花を指す。そしてセシルを余所に、売り子に注文し始めた。

「なんだ。怪訝な顔して。あぁ、女性に花を贈るのに、瞳の色に合わせるのは嗜みだ。本当は同じ色の方が良いんだが、似合う色にした。その方が花も女性も映えるだろ。」

クロウがセシルへ振り返り、首を傾げながら、的外れな答えを返してくる。

そんな事聞きたい訳じゃねぇよっ!!!

しかも、なんだその嗜みは。そりゃぁ、男が女性を口説くときの嗜みだ。この人タラシかっ!生真面目に言う辺り天然っぽいが、これでは、天然タラシだ。どんどん気持ちが急降下していくセシル。

「あ。ちなみに、年齢を考えてだな。花束のリボンの色も、母君には落ち着きのある深みのある色で。妹君には若々しい明るめの色にしてもらった。」

・・・違った。ド天然タラシだ。何が、ちなみにだよ?そんなこたぁ、訊いてないよ?!

ピッと人差し指を立て、的外れな説明するクロウ。

そんな黒衣の青年に、セシルは喉まで出かかっている言葉を飲み込むのに必死だ。

先ほどからセシル本人は気が付いていないが、その口調が若干乱暴なのは、話を聞いて貰えない苛立ち故だろう。

この二人のやり取りを、クロウを知る弟が観たなら、きっと言ったに違いない。

ユーイン家長男クロウは、父コンラッド・ユーインそっくりだと。

言葉使いは違えど、強引にして己の良いように解釈し、行動するのは一緒だった。

特に己が気に入った者、惚れ込んだ者には別格。そういう存在には、他の誰がどう言おうと、素晴らしい行動力を見せる。良くも悪くも。

そんな事、露ほどにも知らないセシルは、目が死んだ魚の眼で、この副船長をどう説得しようか。心が折れる寸前だが、なんとか踏みとどまって、策を巡らせていた。

「ほら。セシル。花束出来たから行くぞ?」

が。完全にクロウに主導権を握られている・・・この現状。

鞄を持ち尚、二人分の花束を抱えて首を傾げているクロウ。そんな彼を見て、咄嗟に花束を持つと言ってしまった自分。


だから、なんでこうなるの?!何でこのお人には、会話が成立しないの?そして何で僕ってば、花束持つっていっちゃったの?!!あ~~~~~~~僕のバカバカバカ!!!!!

天国にいる父さん!僕は馬鹿な子ですぅぅうう~~~~~~~~~~~~~!!!!!!


セシル現状打破、打倒クロウ・・・・・は、海より深く山より高そうだった。


「うっうっうっ・・・、なんでこうなっちゃうの」

桃色の可愛いベゴニアの花束を抱え、セシルは死んだ眼でクロウの隣を歩きだす。

相変わらず、人混みであるはずの市場は、クロウの足を向ける方向だけ、道を開けられる。

「ん?どうした。腹でも減ったか。それとも、ベゴニアの花束より、こっちの方を持ちたかったのか。」

温かみのあるオレンジローズの花束を持つ姿が妙に合っている。どっからどう見ても、裕福な出のお坊ちゃんだ。ただ、この漆黒の存在に、お坊ちゃんなんて可愛らしい言葉は、似合わない。

「違いますぅ・・・」

怪訝に眉を潜めるクロウに、セシルは泣きそうな声で応えた。可憐な花の匂いが甘くて落ち着く。今はベゴニアの花だけが、セシルの慰めどころである。

「あぁ。そうだ。さっき花屋から貰ったんだが。」

「ほへ?」

何か思い出したらしい、クロウが薔薇の花束の隙間から、赤いリボンで小ぶりコサージュにされたベゴニアの花を取り出した。すると、ポカンとするセシルの右耳元に、ごく自然に差し入れ飾った。控えめな淡い薄桃色の花と、それをはっきり際立たせる赤のリボンが、灰色の髪に良く映えていた。

「ん。満足。」

一人、コックリ頷くクロウ。要領を得ないセシルは、呆然としてしまった。

「へ?ってちょっと!!僕は女の子じゃないんだから!恥ずかしいんですけどっ」

だが、一瞬にして我に返り、クロウを睨んだ。だが、身長がもとより、クロウより遙かに小さい為、迫力も怖くもなんともない。

「大丈夫だ。黙ってればばれないぞ。」

そして、恐怖の権化のクロウは、他人の睨みなんぞ、彼の心に響く筈なかった。

彼はセシルへの髪飾りが似合っていて、無表情で分かり難いがご満悦である。

「いや、そう言う問題じゃなくて、ってこのコサージュどうしたんですか!!」

「それか。花屋の売り子が、俺にオマケだと言っていた。なので、タダだ。」

それは、花屋のお姉さんが、副船長さんに向ける好意の上でのサービスでしょ。何で気が付かないの?お姉さんと、もう顔合わせられないよ僕。て言うか、ここの市場の一角はもう来れないよ僕。なんで、コサージュ髪に飾られるてるの僕。

しれっと応えるクロウを余所に、もうセシルは呆れて空いた口が塞がらなかった。

「ほら。セシル馬車が見えて来たぞ。隣町まで歩いて半日かかるなら、馬車に乗るぞ。その方が早い。もう昼だしな。」

セシルが事情を話そうとか、クロウに対して呆れている内に、そうこうして市場を一緒に歩いていれば、町馬車の停泊所に着いてしまった。

「昼飯はモーリスが、簡単に食べられるものを作って、持たせてくれた。馬車ン中で食べれるぞ。」

ここに。とクロウに革の鞄を掲げられ、セシルはガックリと首を落とす。

「なんで・・・そんなに用意周到」

「まぁ。俺は何回もこの町には来てるしな。」

そ、そんな事を聞いてるんじゃない・・・と言いたいが、もう言う気力も無い。

何だかんだ言いつつ、結局クロウがセシルの親に挨拶に行く故、手土産も全てクロウが買い。もう、後戻りできない所まで差し掛かっている。

このまま、母親に会って、海賊になりましたなんて事になったら。母親は卒倒するんじゃないか。それに、海賊を続けれてもいいのだけれど、自分の体質であの気のいい人達を、巻き込みたくはない。とにかく話を・・・・・・・・・・・・・・。

「なにしてるんだ。セシル。早く乗るぞ。」


あああああああああ~~~~・・・・・・なんでこうなるのぉ~~~~~~~~~?!!!


クロウの言葉に、セシル玉砕。燃え尽きた。視界が涙でぼやけてくる。

カルセドニア村までの料金を払い終えたのだろう。セシルの想いとは全く反対に、馬車の扉を開けて副船長クロウが立っている。

「ほら。荷物持ってやるから。乗るぞ。」

そう言いながらも、もうセシルから花束と杖を持ち馬車に入れる。そして、クロウは半泣き状態顔のセシルの手を取って、馬車に足を踏み入れた。

「うっうっうっ・・・」

「なんだ。馬車は初めてか?そんな泣く程怖いモンじゃねぇぞ?」

「違うぅよぅ・・・」

何故馬車ごときで泣くと思うのか。この副船長、普段は聡いくせに、こういう時は鈍感である。

すっかり、クロウに先導され馬車に乗り込んだセシル。パタンと扉を閉められて、もう逃げられないと、セシルはどこかでそう思った。

カタカタ・・・車輪の音がする。どうやら馬車が動き出したらしい。窓の風景もゆっくり変わって移ろいで行く。

売られてゆく子牛の気持ち、今ならわかるかも・・・。

セシルの故郷カルセドニア村へ、轍が跡を残し、ガーネクロイツの町を出て行った。


四人掛けの馬車の中では、セシルはクロウと迎え合わせで座り。二人分の荷物やクロウが買った手土産、それと花束を座席に置けば、座席が埋まってしまった。四人掛けと言えど、豪奢な馬車でもないので、内装は幾分か狭く感じる。

「ほい。モーリス特盛サンドウィッチだ。んで、コレが飲み物だ。」

そんな中、クロウが自分の鞄を開き、小ぶりのバスケット箱と、水筒を取り出す。

「うわぁ・・・本当に(用意周到すぎて)ぬかりない。お昼ご飯だぁ・・・」

セシルがバスケットを受け取り、中を開くと、そこには二人分の沢山具が挟んだ、サンドウィッチが敷き詰められていた。食べやすいよう、ご丁寧にハート型の柄がついた楊枝まで刺してある。目の前ではクロウが水筒を開けてコップに注いでいる。どうやら、中身は紅茶だったようだ、紅茶独特の香りがセシルの鼻を掠った。

どれもおいしそうで、文句のつけようもないお昼ご飯だが、セシルは何だこの釈然としない気持ち、とモーリスの手料理に手を出せずにいた。まるで、こうなる事前提の様な昼食に、セシルは空寒いものを感じる。

「ンで。セシル。オマエは何を話したいんだ。」

脚を組んで、紅茶を無表情に飲みつつ、黒い視線がセシルの方へ向けられる。

「っ!?」

そのクロウの声に、セシルはバッと顔を上げた。知ってて今まで聞き流してたんかいッ!!!さすがクロウ副船長、一筋縄ではいかない。セシルは一瞬殺意が湧いた。

「周りに人間がいりゃぁ、オマエの事だ。あまり聞かれたくない事だろ?」

「そ、それは・・・そうなんですけど」

無表情に首を傾げそう言われれば、セシルとしても否定する事などできない。

もしかして、副船長さん、僕が必死だったから配慮してくれたのかな・・・少し、セシルがそう心の奥で一息つけば。

「それに。ここだと逃げられねーしな。」

コツン、と手の甲で馬車の扉を叩き、クロウがニヤリと笑って言う。

は、謀られたぁ!!!やっぱりかっ!このひと、恐い!!

安心も束の間。セシルはその副船長の不穏な言葉に、恐怖心を再び抱いた。

「まぁ。大方内容は予想がつくがな。さっきまで、聞いてほしいって言っていただろ。ここなら、邪魔もない。俺は存分に聞けるぞ。」

そう言ってクロウは、ふぅと溜息を吐き、外の景色に視線を向けた。

ほんとうに、どうやら真面目に、今度こそ、セシルの話を聞いてくれるらしい。

「あ、じゃぁ言いますけど・・・」

ここで話して置かなければ、もうチャンスはない。黒曜石の瞳が射るように、こちらに向けられている。自分の過去のことまで話すのは、少し怖いが、勇気を出してセシルはクロウにおずおずと、正直に話だした。

「僕は何故か、魔物に引寄せられる体質で、このまま皆さんと居ると、たぶん・・・みなさんに悪影響が出ると思います。」

「ほう。どんなだ。」

クロウは言葉を静かに聞き、目を細めた。

「あのジャパリアの件でもそうだと思うんですけど・・・。それだけじゃなくて、僕の父は、僕の体質によって死んでしまいました。」

セシルはまだ父親ルシオが生きていた頃、病床に臥していた時を思い出して言葉を吐いた。

「僕が病魔と仲良くなって・・・もともと病気だった父は、その毒気にさらにやられて、死に・・・いや、僕が殺してしまいました。村の僕と同じくらいの子も、一度、僕がいじめられて、助けようとした人面(ハルピュ)()さん達が、子供たちを襲った時もあるんです・・・。」

それはセシルが幼く、知識が足りなかった故、配慮が足りなかった故の出来事。

流行り病で倒れた父に、追い打ちをかける原因を作ってしまった自分自身。偶然、森で遊んでいたセシルは、病魔・泣き(バンシー)と仲良くなって、夜には自分の家にも遊びに招き入れていた。そして、二週間後。魔物の毒気に当てられて、父ルシオは死んでしまった。

父の葬儀の場では、母の親戚が、父親を殺した子供と言われて、自分は親を殺してしまったんだと気が付いた。母はそんな親戚に、怒り張り倒していたが、セシルにとってその言葉は真実だった。

もとから、魔物と仲が良かったセシルは、村の同い年の子等に、よくいじめられていた。

それをある程度、魔物が助けるのは常で、そう言われても当たり前だと思った。

「母の親戚が言うには、僕が魔に魅入られるからだと」

そして、常日頃からのセシルの周りを見ていた大人達から、その噂が広まった。でも、セシルにとってそれは、言い逃れもできない事実だった。だから、自分でも納得できた。

「・・・オマエの首の傷。それと背中の火傷。それも、か?」

唐突にクロウが、抑揚の無い声で問いかける。

「こ、これは・・・宿で、宿の客の、男の人に女性だと間違えられて、部屋に無理やり連れて行かれそうになった時、魔犬(バーゲスト)が僕を守ろうとして・・・それで男の人が暴れて受けた傷ですから・・・自業自得です」

魔物せいじゃありません・・・か細い声でそう言ってセシルは俯く。

そのセシルの様子にクロウは、あぁ。なるほど。と頷く。常日頃からセシルの生立ちや生活に置いてクロウや仲間が聞けば、セシルの表情に影が付き纏うのは、この所為かと納得できた。

「僕が船に居ると、きっとまた魔物に襲われるでしょう。リオン君も、僕と一緒に居れば、魔物の影響を受けるかも知れないし、副船長さんのお仲間の皆は、いい人達です、だから・・・僕は、そんな人たちを巻き込みたくありません。」

セシルにとって、純粋な魔物は心優しい者達で大切、ブッラクパール海賊団の皆もセシルにとっては、大切な温かい人々だ。でも基本的に、魔物と人は相容れぬのが世の理。

自分は生まれた時から、魔に惹かれるのだから仕方ないとして、他の人々を危険にさらしたくはなかった。

「それに遠くに出稼ぎに出てたのは、母と妹を守る為です。」

淡い緑の瞳が、力強く前を見据えた。

自分が近くに居れば、かならず母と妹が、父の二の舞になる。だから・・・セシルは海の向こう、ジェーダイト国へ出稼ぎに出て、少ししたら里帰りもして、場所を転々としてきたのだ。

勇気を振り絞って、話を終えたセシル。そのセシルの様子を、静観していたクロウは、しばし沈黙の後、口を開いた。

「船から降りて、元の生活に戻ったとして・・・オマエはまた、出稼ぎに行くのか。」

強い口調でそう言葉を紡がれる。

「え、えぇ・・・そうですけど。父の親戚のおばさんの所でも・・・。」

セシルは思いもよらぬ質問に、しどろもどろに正直に応えた。

「それで。また。危ない目に自分だけ会うと。」

「そ、そんなこと言ってない・です・・・」

セシルの応えが気に入らなかったのか、クロウの眼がすっと細められ、声音も少し不機嫌に言い放たれる。セシルはその声音にビックっと肩を震わせた。言いようも無い恐怖心に、応える言葉も弱弱しい。

「ふん。ならそう言う事にしておこう。だがなセシル。オマエは根本的に間違っている部分が、大よそ三つある。」

脅えたセシル表情を見て、はぁーっと溜息を吐いたクロウは、今度は努めて感情を押込め、セシルの前で指を三本たてた。

「え?」

カタカタと小刻みに揺れる、狭い馬車の中。セシルはクロウの長い三本の指を見て、どういう事?と不思議そうに首を傾げた。

「まず一つ。俺らはそんな軟じゃない。魔物ごときで死ぬようなものはまず居ない。そんな魔物ごとき牙で、志半ばで死ぬような奴は、船にはいらん。」

えぇー・・・ひどい物言い。普通は海軍の刃とかでしょ、ここは。魔物さえも超えろと?

ハードル高いです副船長さん!!一つ目と、人差し指を立てクロウは、セシルにそう宣言する。クロウのかなり酷な発言に、セシルは驚愕に眼を見開いた。そのハードルが高い発言に、セシルは何も言い返す事が出来ない。

「そして二つ。海賊の掟で言うと。海で拾ったものは、“なんでも”拾った者が、その所有権を有する。だから海で拾ったオマエは、俺の所有権の下、生かされている。わかったか。」

見開く淡い緑のセシルを置いて、クロウは続けて二つ目と指を二本突き付ける。

「え、えぇえええええ?!!!!」

セシルは素っ頓狂な声を上げた。

な・なんですとぉおお~~~~~~~~っ?!!今、一番人生最大の、重大な事を聞かされているような気がする。海賊船のお仲間の紹介よりも、大事な話が今まさにやっと聞かされたような気がする。というか、気がするんじゃなくて、重要な話だよね?!

始め会った頃に説明された、船での生活エトセトラよりも、重大な話だよ?!!

「セシル。心の声がダダ漏れだ。まぁ。オマエの自尊心と人権を尊重して、奴隷にもしてないし、こうやって、里帰りもさせてるだろ。」

「あ、え、そ、そう言われれば・・・そうです・ね」

いつの間にか、全部心の声が口に出てしまっていたらしい。クロウが座席から、腰を浮かせ呆れた声で、セシルの頭を落ち着けと撫でる。無意識に拳を作っていた手をセシルは開いた。

「けどな。一応、俺の所有権にあるオマエが。俺の知らない所でだ、死にそうになってるなんざ。俺は我慢ならん。」

今だセシルの頭を撫でつつ、クロウが目を伏せセシルに言い聞かせた。

「いや、だから僕が、死にそうになるなんてこと・・・」

クロウの大げさな物言いに、セシルが困惑気味にそう応えれば、クロウは眉を寄せる。

「首の傷。それはもう少し、深ければ即死だ。」

「え、そうなの?!!」

予想通り。わかってなかったのか・・・。内心クロウは、セシルの危機感意識の低下に辟易する。クロウが撫でていた灰色の髪から視線を落とすと、またもや素っ頓狂な声を上げて、セシルが驚愕の顔をもってクロウを見ていた。

「最後の三つ目。セシル。オマエは魔に魅了されると言ったな。」

再び三本目の指をクロウに立てられ、セシルの口元に近くに突き付けられる。

「え、えぇ」

黒曜石の鋭い闇色に、見つめられ呆然とセシルは頷く。

「それこそ間違いだ。オマエが魔に魅入られるのではない、魔がオマエに魅入られるんだ。」

「え・・・」

クロウの落とされた言葉にセシルは、一瞬何を言われているのか、理解できなかった。

ポカンと、俯き加減だった顔を上げる。

「純粋な魔物達は、セシル、オマエを慕っているだろ。思い出してみろ。何故、魔物達はオマエを守るのか。病魔の件は、詳しくはしらないが。条件が悪かったんだろう。」

いつの間にか、三本指が立てられていた手が、セシルの頬に添えられる。

「ジャパリアでの魔物の件。あれは他の魔術師が仕組んだものだ、根本的にはオマエは関係ない。」

有無を言わさない、強い口調でクロウがそう告げれば、セシルは困惑気味に眼を瞬かせる。

いまいちセシルの反応が薄いので、クロウはここで一気に真実を畳みかけた。

「もし、オマエが魅入られていたなら、魔物達はオマエを傍に寄せ、意思も関係なく隷属させると思うぞ。だが。オマエはそうではない、寧ろ心を奪われている様子も無い。」

本当に、魔物に、魅入られているのならば・・・本能に忠実な魔物だ。迷いなくそうする。

なにせ、己の魂の本質は、“魔”そのもの。人の命を、神が愛した自然を、喰らうが性。

クロウはそのまま、片脚膝を曲げセシルが座る真横にかけて、前のめりにしセシルの真近くに迫った。

「簡単に言ってやろうか。寧ろ心を奪われているのは、“魔物”の方だ。」

淡い緑の瞳を覗き込めば、言葉に驚いたのか、顔が強張ったまま硬直する。

「うそ・・・」

クロウの言葉に、セシルは自分なりに過去を振り返ってみるも、そう言う言葉しか思い浮かばなかった。何て言ったって、セシルは幼い頃からそう思っていたからだ。クロウの突然の言葉に、思考がついて行かない。

だが、このセシルの言葉に、クロウの僅かな本能の琴線に触れたらしい。

眼の前に迫る、黒い瞳に狂気の炎が灯った。

「何故俺が、嘘を吐かなければならない。少なくとも、オマエは俺の本質を言い当てた。“人ではない”と。」

セシルが視えたのは、決して人ではありえない筈の、狂気の闇色。その深い狂気の性を視て、セシルはあの船で拾われ、クロウの本質を暴いた。クロウがひた隠しにしていた、にも拘らず。あの時己の気持ちを表すなら、人生最大の屈辱。

クロウはセシルの細い首に、ゆっくりと両手をかけた。

「・・・・・・あぁ。そうそう。逃げ出そうとしてた時、オマエは俺に言ってたな。殺したいなら殺せと。」

危機意識が乏しいセシルは、その事に気が付かない。

そのまま動けず、クロウを見上げている。

「なっ、あ、やっぱり、逃げ出したって思って」

迷子だと言っていたから、逃げてると思われていると、セシルは半信半疑だった。だけれど、やはり、知っていてそう言っていたのだと分かって、セシルは焦って狼狽する。

そしていつの間にか、近くまでクロウが居る事に、やっと気が付き、恐怖心が湧き出た。

「オマエは魔物が何故、人を喰らい襲うと思う?」

恐怖で冷汗が流れるセシル。そんなセシルにクロウは、やっと気が付いたか、と喉の奥で笑い、セシルの引き攣った顔を覗き込む。

「うぇ?何故って・・・たぶん、それは創造神が」

震える声で、セシルがそう応えれば、クロウの眼が鋭く細められた。

「本当に神話だけの理由だと思うのか?」

セシルの喉を左親指の腹でなぞる。

その昔、神話の時代の話。この世界を生んだ神が、楽園をこの地に作ろうとエルラド大陸を創り、他の地より住まう、数多の生物を全て呼び寄せた。招かれた楽園に住まう生物は神に祝福されて、平和に暮らした、神はそれに満足しその世界から姿を消した。しかし、遅れてエルラドの地に着いた生物がいた、その者達は神の祝福を受けられなかった。祝福を受けられなかった生物は、楽園に住まう生物とは相いれなかった。何故なら、彼らは神から祝福されて光り輝いていたからだった。祝福を受けられなかった生物は、神に祝福された彼らを妬み、その世界に生きることになった。これが、人間と魔物の誕生である。

そして、魔物は人間の命、祝福された命を、創造神を恨んで(・・・)喰らう様になった。

これはエルハラ教の聖典にも、古より伝えられている記述である。ただこの古い、教会の教えや神話は、クロウにしてみれば、人間の都合だけで見た話だと思っていた。セシルが沈黙する中。ジリジリジリ・・・と湧き上がる本能と、古い魔の記憶が、クロウの人として生きる事を、蝕んでゆく。このまま・・・、両手に力を込めれば、すぐに死ぬだろう。

暗い思考に染まってゆく中、透明な言葉が発せられた。

「・・・違うと思う。たぶん、だけど、それは、魔物は人も創造神も好きだったから。だから、許せなかった・・・と思う。」

ぽつり、とセシルが言葉を零した。その言葉にクロウは眼を見開く。

「ほんとう、は、愛してた。けど、故に憎んで・・・自分のモノにしたかったんだと思う」

セシルにとって魔物達と接した時間は、温かなものだった。だから、幼い頃から神話の話を考えると、いつもそう思っていた。

「たぶん、愛してほしいんだと思う・・・」

これは、いつもセシルが思っていた事。首にかけられた手を振り払うでもなく、どこまでも透き通った声と、向けられる透明な緑眼。その言葉はセシルが心から魔物に対して想う、嘘偽りない真実だとクロウは感じた。

クロウが見つめるセシルの視界に、白い花びらの幻影が舞う。それと同時に、クロウの理性を蝕み燻っていた本能が、すぅっと治まった。

「そうだ。だからセシル、オマエには魔物は危害を加えない。魔物の心を理解するそんなオマエの大切な者を、わざわざ傷つけるような事、故意に魔物がすると思うのか。」

クロウはそう静かに言い、セシルの首から手を放した。

「あ・・・。」

今度はセシルの心に、その言葉がストンと降りた。クロウの言う事に納得できたのだ。そうだ、いつも僕の周りにいてくれる魔物達は、故意に僕の大切な人達を傷つけようとはしなかった・・・。クロウに言葉に気が付いたのか、セシルは眼を瞬かせた。

「それに。魂の本質が“人ではない”俺はリオンの育ての親だぞ。他の奴らだってそうだ。影響が出たって今さらだろ、それは。」

はぁーと溜息を吐いて、クロウは呆れ気味にセシルを見る。そのまま、セシルはポンポンと頭を撫でられた。

「そ、それ・・・物凄く説得力ある」

いつもの騒がしい海賊団の皆を思い浮かべて、なんだか可笑しくなって笑った。

そうなのだ、人で無いと言い切る張本人は、セシルが出会うまで、仲間とはずっと長い付き合いなのだ。影響力が出るなら、本当に今更だろう。

「だろう。だから、もっと自信を持ったらいい。俺の魔物研究に大いに活用できるからな。よって逃がさねーよ」

セシルが笑ったのが嬉しかったのか、クロウは悪そうな笑みを向けそう言い放つ。

結局、逃がしてはくれないんだぁ・・・淡くセシルは少し残念に思うが、何故だろうか、なんだか心が軽くなった。

「さぁ、昼飯を無駄にしない様。さっさと食べとけ。」

「・・・う、うん」

向いの席に再び、座り込んで漆黒の青年は、バスケットに手を伸ばした。

もうかれこれ、馬車に乗って三十分は経っているだろう。ずいぶん話し込んでしまった。

おずおず・・・と、セシルもサンドウィッチに手を伸ばす。

クロウが窓の外の景色が、街並みから草原や森林に変わっている事に気が付き、ふと息を吐く。歩いて半日なら、このまま三、四時間程で辿り着けるか。クロウは、のどかな風景に目を細める。視界の端に集中すれば、セシルがネズミの様に、頬を膨らませてサンドウィッチを頬張っている。セシル・・・オマエは野鼠か。髪の色も相まって、ますますそう見える。この存在に、己の本能が煽られ、言葉一つで沈ませられ。心の中から心底、敵わないと思った。

「それにしても。セシル。そこまで魔物の気持ち理解できて、何故俺の事はわからないんだ。」

「どういう事?」

首を傾げる野鼠よろしくなセシル。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・別に。」

そんなセシルから、視線を外に向けて、クロウは溜息を吐いた。

なんで。敵わないんだ・・・。クロウはセシルの故郷に辿り着く心配よりも、これから先の己の気持ちをセシルに伝える事への、前途多難さの方が心配だった。


昼食を馬車の中ですまし、お腹が膨れて緊張の糸が解けたのか、自分の言い分を聞いて貰い安心したのか、セシルはいつの間にか眠ってしまっていた。

座ったままに杖を握り、眠りこけている姿は、器用だなとクロウは思った。セシルは忘れてしまっているからか、灰色の髪にはまだベゴニアのコサージュが飾られていた。クロウは、映り過ぎる景色を眺め、市場の花屋でのことを思いだした。

それは、クロウが代金と引き換えに花束を受け取る際。

「はい、これサービスです~お兄さんはすっごく私のタイプですけど~可愛い彼女さんがいるから、妬けちゃうけどオマケね♪」

そう売り子に、半ば強引に押し付けられた品が、あのコサージュだ。さすが、花屋・・・セシルに似合った小ぶりのコサージュを、即席で作ったにもかかわらず、良くできている。故に、生花にも拘らず一向にしおれる気配も無い。

そして、クロウが思うに、やはりセシルは女の子に間違えられていた。あの時、余計な事を言えば、セシルは憤慨とショックを受けてセシル特有パニック状態を起しかねないので、黙っていて心底よかったと改めて思う。女性に同性だと間違えられるほど、セシルはそう言う風に見えるらしい・・・己には骨格で判断できるから分からないが。

「ほんとうに。食っているのに身が付かない体質なのか・・・。」

馬車中で、眠りネズミと化したセシルを観察して、クロウは独り言を零す。船に居た生活では、モーリスがさり気なく配慮して、セシルには栄養価の高い物や、バランスの良い食事を食べさせていた。そんな食生活三ヶ月も続けていれば、伸び盛りの青年なのだ、体つきもそれなり、しっかりしてきそうなものなのだが。背も伸びなければ、体格も初めて遭ったときと同じく華奢で細いまま。微々たる違いを上げるなら、少し顔色がよくなったぐらいだ。

先ほど本能を煽られ、セシルの首に手を駆けてはいたが、あれは細すぎだ。本当に事故ったら、取り返しのつかない体だと思う。そんなセシルの両親と妹とは、どんなお人なのか、

クロウは疑問に思った。セシル曰く、母親は病気だと言っていたし、父親も病死だ。一族的に、病弱な家系なのだろうか・・・。己の家系は専ら、北方の戦闘騎馬民族なので、体も戦闘に適した者も多い、そうでもなくても、血筋なのか血の毛が多い者が多いのだ。大人しく穏やかなジェーダイト国いる弟エリオットも、普段は社交的で穏やかな、和を好む性格なのだが・・・戦闘や試合になると、豹変したように容赦のない剣技や体術を繰り出してくる。一度、自国での陸軍と海軍の合同試合があった際、狂戦士と化した弟を止められるのはクロウか、父コンラッドしかいなかった。妹であるシェリルもしかり、アレは酒に酔うと破壊の限りを尽くす癖があった。クロウが言うのもなんだが、かなり血の気が荒い戦闘一族だ。なので病弱とはかなり縁遠い。それに加え今まで、他人に興味が湧かなかった為、他の家族とはどういう物なのか、クロウには見当もつかない。

大事な一人息子セシルを預かるのだ、きちんと、こちらと家族との相互理解を、深めて置かなければならない。そう思いを巡らしていたクロウは、やっと人の住む、家々の建造物が窓から観え、肩の力を抜くべく溜息を吐いた。



馬車は無事にカルセドニア村に着き、セシルとクロウはまたそれぞれ荷物と、手に花束を抱えてその大地に降り立った。

「えーっと、僕の家は村の外れにあるんです。あ、こっちです」

セシルが先導する、村の風景は村と言うほど、簡素なものでもなくあらゆる小さな家や、店が密集した町に近い物だった。クロウはセシルに促されて、この村の大通りを歩く。

「村って言うから、結構小規模だと思ったんだが・・・。町ぐらいじゃないか?」

馬車での道のりは、タイルも敷き詰められていない大地だったが、村に入ればガーネクロイツの港町と、同じように石畳の舗装された街道だった。ただカルセドニア村は、交易の場がないためか、人の賑わいもそこそこで、非常にのどかな印象を受ける。

「ガンダルシアは島国ですから、貴族は王都に近い広い土地に住んでたりしますし、市民はかなり密集して住んでるんですよ」

セシルはようやく故郷の地に足を立てたので、どこか安心した顔をして嬉しそうだった。

「なるほど。だから田舎と言っても下町って感じなんだな。」

セシルがそう説明をすれば、なるほどとクロウは頷いた。

王都では貴族が広大な土地を持ち住むことはジェーダイト国でも当たり前であり、一般市民は離れた領土に暮す。ジェーダイト国は西の大国としても、領土が広いため田舎は本当に田畑や農家の静かなイメージしかないが、島国ガンダルシアとなれば領土が離島など、土地がもとから狭い。なので必然的に一般市民が密集して暮らすことになり、ジェーダイト国で言う下町のような風情になるのだ。クロウがよく村の家々を見れば、集合住宅が多く、港町程ではないが賑やかな感じがする。村に住む者、皆が顔見知りも多そうだった。

観光客が珍しいのか、ぶしつけな視線を感じるが、クロウは気にせずセシルの隣を歩くけば、多くの店が並ぶ大通りから外れて、今度は細い路地に入った。家々の裏口や、植木鉢が並んで、空には洗濯物が干してあるのが目に入る。そしてさすが、魔術師の島国と言わしめるほど。この細い路地には魔術師でしか視えない特殊な通路まであった。たぶん、気配からして、魔道具屋や術師専用の交流の場だろう。狭い家と家の間の隙間が、陽炎ががって歪んで視える。セシルにもそれは、当たり前に普通に視えているらしく、ちらっと視線を向けては通り過ぎていった。

「ここ曲がって、えーとほら田畑が見えてきた。田舎でしょ」

セシルがそうっ言って前方を、杖を持って指し示した先。路地を抜け細々と家が建ち並ぶ、道をまっすぐ進み、左右に分かれた草木が茂る野道が見えて来た。そこをセシルと一緒に右に曲がると、いっきに村の様相がガラリと変わっていた。

「ホントだな。半都会で半田舎を折半した感じだ。」

クロウが黒い目を見開いて、そう感想を零した。

歓送の風景は、田畑が広がり、牛の鳴き声や、羊も柵の中で草を食んでいる。その大地には、所どころに一軒家、農家であろうが建っていて、牧歌的な風景が広がっていた。

「すごい喩えですね副船長さん・・・」

苦笑いをしながら、セシルも頬を綻ばせる。

セシルは町の人混みの匂いより、この澄み切った草葉の匂いの方が好きで、思言いきり吸い込んだ。ここ三ヶ月ちょっとは、海での生活で潮の香りがお気に入りだったが、やっぱり、故郷の土地の香りが一番落ち着く。

なにより、ここの土地は精霊の気配も強く、セシルが一歩足を道に踏み入れると、薄く空気に溶けた、小さな風の精霊がお帰りと言って寄って来る。舗装されていない道の端では、草陰から小人コボルト達が顔を覗かせ、控えめに手を振ってくれている。

あぁ・・・帰って来たんだ、ぼく。

嫌なこと、悲しい事の思い出も多い故郷だけど・・・そればかりじゃなかったね。

僕、忘れてたや・・・。

セシルは控えめに、小人たちにも手を振ってただいまと呟いた。

「すごいな。オマエは・・・精霊にも好かれるんだな。」

クロウも口を珍しく開けて、セシルの周囲に呆気にとられていた。なにしろ、密集した町を出て、セシルがこの道に脚を向けた途端、一斉に自然の大地と言わず、空気、周囲全体が意志を持ち反応し、普段人間には姿を現わさない精霊達が、姿を現わし始めたからだ。

「え、でも・・・精霊さん達は、小さい頃からずっと一緒で、こうでしたよ?」

不思議そうに見るセシルに、クロウはうーんと唸った。

「それもすごい。・・・が、オマエの気質を考えると、分からなくもない、か・・・。」

何処から説明しようか。クロウは悩んだが、ある意味それはセシルらしいとも言える。

一般的には、精霊は創造神の恩恵を、忘れつつある人間には姿を現わす事はない。ある程度、自然の力をなんたるか、心得る魔術師には接触する事はあるが、セシルの様に友好的に接してはこない者達だ。召喚して呼び出し、契約を交わし、そのもとで知識やチカラを貸してもらうだけ。現状の様に、手を振って挨拶など、クロウは目撃した事はなかった。だが、魔物でさえ仲良く接する、セシルの気質を考えれば、それは、あり得て当然。

自然体。無知ゆえに自然体なのか・・・クロウは眉を潜めた。

魔術大国ガンダルシアに住んでいたのに、この魔術師のノウハウを知らないセシルの現状。

本当に、誰もこのセシルの才能に、気が付かなかったのが謎だ。賢者でなくとも、高等魔術師はこの島に腐るほど居るだろうに・・・。そして、魔術に関してことさら無知に近いセシルが唱えた、最高魔術の詠唱呪文。これは師が教え、訓練を積まなければできない術だ。とても、ちぐはぐなセシルの姿。クロウは風の精霊たちに、熱烈なお帰りのキスを頬や鼻に受けているセシルを、首を傾げ不思議に見ていた。


だんだん、空に上がる太陽も傾いて来た頃。

一本道をまっすぐに歩き、ある牧場を構える、一軒家の前まで辿り着いた。

「それで、ここの牧場をずっと行くと・・・僕の家、あ、あれ?」

待ち望んでいた我が家を指さし、首を傾げるセシル。

一軒一軒の家が建っている間が、かなり広いが歩いてゆく内に、セシルの実家らしき家が見えた。ただ、らしき、と表現したのはその建っている家が、あまりにもセシルの記憶と違っていたからだった。

その農家から観える家は、真新しく建てられた二階建ての白い立派な家。しかも、レンガの屋根と家の周りには鉄製のお洒落な柵が設けてある。

セシルの住んでいた筈の家は、二階建てで、隙間風が吹くほど、ぼろく壁も塗装が剥げて黒ずんでいたし、扉もあっても意味がないほど、すぐに外れるものだった。

え・・・もしかして、隣の牛乳屋の家と僕の家の間に、引っ越してきた人が居るとかかな?セシルは訝しげに眉を潜め、クロウと伴って自宅への一本道を歩いたが。

「綺麗な家だな。」

そう感想を漏らしたのはクロウ。セシルは隣で呆然と佇んでいる。

「な、なんか・・・家が新築みたいになってる・・・なんで」

「さぁ?」

セシルの実家は村の端。

セシルが真新しい家の前まで来ると、その先の道には何もない草原と森が広がっていた。

そしてセシルの記憶に、覚えのない家の柵に設けられた郵便表札には、セシルの実家の住所が彫られてある。

「え、住所・・・あってるし。隣の家も同じだし!此処僕の家だよね?!」

泣きそうな声を上げて、クロウを見上げるセシル。そして狼狽えながら、表札をまじまじ見ては唸る。記憶の実家を確認しては、隣の家を振り返り確かめる。

「まぁ。仕送りの住所は合ってると思うが。聞かれても・・・俺も初めてだしな・・・」

「ですよねー・・・」

クロウもセシルから聞いて住所を知っているので、間違いないと眉を潜めた。しかも、仕送りついでに、クロウは手紙のやりとりをして、セシルの母親とは事前に連絡を取っているのだ。引っ越したなどと言う情報は、この間の手紙には書かれていなかった。

「とりあえず、呼び鈴を鳴らせばいいのではないか。引っ越したなら、訊きゃいい。」

不思議がるセシルに、クロウも首を傾げ淡々と告げる。

「う、うん・・・。そ、そうですよね・・・よし!」

引き攣った顔をして、セシルは拳を握り、柵を通り茶色い立派な扉の前に立った。

うわぁ・・・綺麗な扉。窓には明かりも灯ってたし、実家かも知れないのに、なんか緊張するな~・・・セシルはすぅっと息を吸って、扉に設置された、これまた高そうな銀の呼び鈴を見る。セシルは意を決して花束を抱え直し、その呼び鈴の鎖を手に取り、鐘を慣らした。

カラン・カラン・カランと鐘を鳴らし、セシルは軽くノックをすれば・・・。

「はぁ~~~~い、どなた?ってあら???セシル?!」

人の動く気配が、扉越しに伝わり、セシルが聴き慣れた懐かしい声が、セシルを迎えた。ガチャンと茶色い綺麗な扉から、顔を覗かせたのは、まぎれもなくセシルの母親。

薄茶色い長い髪を纏め、翠の眼をパッチリさせた、顔色の良いセシルの母アイリス。

「母さんっ!!」

一番セシルが気にかけていて、逢いたかった母の元気な姿。

よかった・・・生きて元気になってる、セシルはそのまま母の胸に飛びついた。

懐かしい母の香りとぬくもりに、セシルは安心して、涙が出そうになった。

だが、セシルの心の安息は、実の母の次の一言から、奪われることになる。

「おかえりなさいセシル~、あなたイイ所に就職したのねぇ~母さん嬉しいわ~」

「ただいまって、はぁあああああいっ?!!!」

心安らかになる親子の抱擁から、セシルはガバリと顔を上げる。

今、何て言ったの母さん?!就職っていった?!イイ所に就職したって言ったよね?!!

え、僕は何処に就職したの!!いつ、何時、何分、何秒???って、なんで母さんそんな事言うの!!そして、この家はどうしちゃったの?!!分からない事だらけなんですけど!!!セシルの心の安息は、刹那の時間だった・・・。

「あら?そちらの方は?」

実の息子が青褪め驚愕の顔になる最中。アイリスは気にせず、セシルから少し離れた背後に立つ、ガンダルシアでは珍しい毛色の黒衣の青年を見つめた。

「えーっと母さんその人は・・・」

どう説明しようか、セシルがもう混乱する頭で必死に言葉を探す中。クロウはセシルの隣に音も無く立った。

「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません、上司のクロウです。無断で息子さんをお預かりしまして、これはほんのお詫びと、私からの心遣いです。たいした品ではございませんが、受け取って下さい。」

「まぁ、まぁ、こちらこそ、ありがとうございます~セシルがお世話になりましてぇ」

完璧な動作に、普段聴き慣れない言葉使いを持って、秋薔薇の花束と手土産を手渡し母と挨拶を交わすクロウ副船長。そして母も深々と頭を下げて挨拶をかわしている。


え・・・、ちょ、ちょっと何コレ。副船長さん・・・?何でそんな礼儀作法完璧?普段、そんな言葉使いでしたっけ???僕は夢でも見てるの?っていうか。上司って何、上司って・・・。僕ハ、誰の部下デ、ドコニ就職シタノ?!思わず、ペルソナさんみたいな言葉使いになっちゃったよ?!!えっ?!母さんもなんでそんな、親しげ?恐くないの?!

僕は今、副船長さんの純粋な笑みに寒気がするんですけどっ?!普段の邪悪な笑みはどうしたの?!!!!


呆然とするセシルを余所に、何故かセシルの母アイリスは、クロウに親しげに、どうぞ~と家に招き入れてしまっている。セシルの目の前で。そうセシルの目の前で。

「なにやってるの?セシル早く入んなさい~疲れたでしょ~」

「は、は、はぁ―――い・・・」

セシルは母にそう言われ、(色んな気持ちで一杯の)涙目を浮かべ懐かしい実家へと、足を踏み入れた。


琥珀石月 二十日 雲一つない晴れ。だが心は疑問の嵐。


うん、だから・・・ね。

な、なんでこうなるのぉ~~~~~~~~~~~~~~?!!!


                                    セシル

                               セシル心の日記より


セシルが最後に玄関へ、両足を踏み入れ扉を閉めた。

その丁度、扉を閉め終えた途端。

「お母さんただいま~ちょっと聞いて!今ねメアリーから聞いたんだけど、村に黒髪の綺麗な人と、男装した可愛い女の子のカップルがね!!!」

華やかで、はつらつとした声と共に、また扉が大きな音を発て開いた。

薄い茶のセシルと同じ位の髪と、翠の瞳、それに似合った、細かな刺繍が入ったロングスカートが揺れる。

「ぁ、アメリア・・・」

久しく合っていなかった妹、アメリアにセシルは驚いて振り返った。

「お兄ちゃんっ?!!!いつ帰って着たの?!」

こちらも、突然の兄の帰省に驚いたのか、目を見開く。セシルよりも濃い翠色の瞳を、真ん丸にして、扉に立ち尽くした。

「たった今だよっ!アメリアまた身長伸びたの?!!」

「お兄ちゃんが小さすぎるのよ!」

「ひどい・・・」

「でも事実よ?!」

挨拶もせずに、セシルより身長が十センチほど高い、妹は兄のセシルの両手を握り、セシルを覗き込む。傍から観れば、姉と弟のようだ。

「これ、アメリア、お客様の前ですよ、ちゃんとご挨拶なさい」

そんな小動物の様に、びっくりし騒ぐ二人に、母のアメリアが窘めた。

「妹?姉ではなくてですか?」

失礼だと思いつつも、口に出てしまう疑問。

顔も母親似で、セシルより背も高いアメリアに、クロウは初め妹と聞いて、首を傾げた。

「ええ、セシルより背が高いですけど、妹のアメリアです、ほほほ」

広い玄関先で、隣の漆黒の客人を見上げて、アイリスは頬を綻ばせた。家族が久しぶりに揃って、母親として嬉しいようだ。

聴き慣れぬ声を聞いて、はっとアメリアは視線を兄から母の隣へ向け、

「はじめまして、妹のアメリアです。お兄ちゃんがお世話になってます!」

にっこり微笑んで、元気よく頭を下げた。その微笑んだ顔が、普段は似ていないのに、セシルとよく似ていたので、やはり兄妹だな・・・と密かに思った。

「こちらこそ。お兄さんをお借りしています。上司のクロウです。ご挨拶が遅れましてアメリア様にお気に召すかわかりませんが、ほんの気持ちです。こちらの花をお受け取りください。」

すでにセシルからベゴニアの花束を、玄関前で受け持っていたクロウは、アメリアにも花束をそつなく手渡した。

「まあ!綺麗~ありがとうございますぅ~♪」

アメリアも花を見て、嬉しそうに声を上げ、満面の笑みを向ける。

その、そつなくこなされたクロウ副船長の挨拶に、セシルはもう何もツッコむ気力がなかった。だから、なんで、そんな恐いヒトに妹は笑顔なの?とか、考えるだけ無駄だった。

「アメリア・・・母さんも元気そうだね」

そんなセシルの、ようやく絞り出された、家族への言葉がこれである。無難な言葉。

自分の精神を保とうとするセシルに、しかし母の息子に対する応えは、かなりの衝撃が伴う事実が織り交ぜられていた。

「そうそう、セシルが『武装商船ブッラクパール号』に就職して、仕送りしてもらってから、薬が買えてねぇ~、病気も治って元気になっちゃった。それで、余ったお金で家をリフォームしたのよ~」

嬉しそうに、頬を染め息子に話すアイリス。

武装商船ブッラクパール?なにそれ・・・武装商船?海賊じゃなくて???

武装商船と海賊の違いって何?それより、そこが僕の就職先ですか?病気治ってよかったけど。リフォーム?あ、だからお家綺麗なんだ。そうか~うん、でも・・・なんだろう、この素直に喜べない気持ちはっ!!!僕の疑問は全て解消されたけど・・・なにこの、この素直に喜べない気持ちは!!

放心するセシルの前では、クロウと母親との会話が弾んでいる。

「本来なら、すぐに御挨拶に伺いする筈でしたが。何分海の上でしたので、手紙で挨拶など・・・無礼な事を致しました。誠に御挨拶が遅くなり申し訳ありません。」

「あらあら~気にしなくていいんですのよ~、こちらこそ、助かりましたもの~」

家にやっと帰って来れたのに、死んだ魚の眼をして呆然自失のセシル。

なんだろう、眼の前が霞んで見える・・・。

母に促されリビングに、クロウも一緒に通されて、セシルは何が何だか分からないままに、テーブルに着いてしまっていた。懐かしい母の淹れてくれた香草茶も、なんだか今は塩味がしそうな勢いだ。茶うけに出された、花の砂糖漬けを口に含んでもしょっぱい。

隣では暗黒上司と母、妹がなんだか、航海中の事や世間話を仲良さそうに話している。だけれど、セシルは現実逃避をしているので、それらの会話は遙か彼方で聞いていなかった。

だが、セシルが聴いていなかったこの会話。

この会話は非情にセシルにとって、聞き捨てならない程、重要な話であった。

母アイリスは、この会話でもうクロウに『セシルをよろしくお願いしますね~』っと、武装商船の就職に母アイリスが確定の判を押していたからだ。


「それよりお兄ちゃん」

セシルの意識が遙か天に昇っている所、アメリアが唐突に声をかけてきた。

「ん、何?アメリア」

香草茶から視線を上げれば、いたずらっ子の笑みを向けられ、セシルは首を捻る。母もかなり、ご満悦の表情でセシルを見ている。何だろうと、よくよく周囲を見渡せば、何故か自分に視線が集まっているので、若干居心地が悪い。

「セシルすまん。」

居心地悪そうに、なに?と辺りを見渡すセシルの横から、低い声で謝罪が降りた。

「なんですか副船長さんまで?」

何が何だか、わからなくて、服装を見るも変な所はない。それに第一、クロウが謝る事など、セシルには見に覚えも無かった。

不思議そうにするセシルに、母と妹は顔を見合わせ笑った。

そしてアメリアは兄に似た笑顔で、

「うふふ~頭に着けてる髪飾りどうしたの?」

と、セシルの頭を示唆した。

あたま・・・?なんで、頭?とセシルが自分の米神辺りを触れれば・・・。

「っ?!!」

右耳あたりに、絹と花びらの感触。

そう、未だセシルの頭には、あのコサージュが着けられたままだったのだ。

セシルは一気にここで血の気が引く。

村にはセシルを知る者もいるのだ、見られている可能性も高い訳で・・・笑い者にされる未来が目に見えてくる。

「あ、わ、忘れてたぁ――――!イギャ~~~副船長さんの馬鹿ぁ~~~~~~~!!!!」

「だから。すまんと言っただろう。」

耳をふさぎ、謝罪するクロウ。

心は遂に限界値を超え、セシルは半狂乱になって泣き叫び、懐かしい家にはセシルの悲鳴が響き渡ったのだった。


琥珀石月 二十日 雲一つない晴れ。だが心は後悔の雷。



あああああああああああああああああ!!!!!!!!!

僕の人生・・・おわっ、終わった!!!!!


明日から、村の皆のいい笑い者だぁ~~~~~~~~~~~~


わぁあおぉあああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!


副船長さんの馬鹿ぁっつ!!!!


                                    セシル

                               セシル心の日記より



夕闇が迫りつつある、茜色の空。

「それでは、私はそろそろお暇します。」

カチャンと御馳走になった、香草茶をテーブルに置き、クロウは席を立った。

あれから、泣きわめきパニックに陥ったセシルを、母、妹が可愛いといじり、それをなだめすかせる側になって、睨まれたりと忙しかった。そんなこんなですっかり、(セシルを置いて)話し込んでしまい、つい長居をしてしまった。観光客の少ない町なので、宿屋は埋まらないだろうが、早くとっておいた方が良い。

「まぁ、宿はもうお取りになったの」

「いえ、これから村の方で宿を取ろうかと。」

アイリスに気遣わしげな声で訊かれ、クロウは何気なく正直に応えれば、

「あら、あら、それでしたら今日はもう遅いですし、大したお食事はできませんが、夕飯を食べて泊まってくださいな。」

嬉々としてセシルにとって、予想外な母の言葉が投げられた。

「母さんっ?!!」

まさか、実家まで来てこの副船長と一緒?!冗談じゃないよっセシルは眼を向いた。

「いえ。それは・・・若い娘さんもいらっしゃるのに、なにかと。都合が悪いです。」

そしてクロウも、アイリスの心遣いは嬉しいが、若い娘がいる家に泊まるなんて事は、さすがに出来ない。珍しく、しどろもどろに丁寧に断りを入れた。

「いいんですのよ~男手でも居ないと不用心だし、私、息子が欲しかったのよ~♪だからぜひ、泊まって行ってくださいなっ」

両手を祈る様に握りしめ、笑顔でアイリスがクロウを引きとめた。

「は、はぁ・・・いや。しかし・・・。」

え?息子ここにいるよな・・・?狼狽しつつクロウが横に視線を移せば、セシルも貴女の息子ここにいますよ、と死んだ眼で呆然と佇んでいる。

「母さん・・・僕は・・・?」

ぽつり。悲痛な実の息子の声。

それを耳に入ってないのか、彼の妹であるアメリアも嬉々として提案する。

「あたしも!背の高いお兄ちゃんが欲しかったから!泊まってって!!それに今からじゃ、宿取るの難しいしね!」

「ぁ、アメリア・・・ぼくはぁ?」

すっかり蚊帳の外のセシル、虚しい声が掻き消える。

「いや。でも。親子水入らずの話も」

これはさすがに、セシルが哀れだ。真横で悲痛な声が聞こえてきて、非常に居た堪れない。親子の積もる話があるだろうにと、クロウも丁寧に断りにかかったが。

「泊まって行ってくださいね!」

「遠慮はいりませんよ!」

女性二人に笑顔でそう強い口調で言われ仕舞えば、クロウは断わる事も出来なかった。

なにより、母と妹の背後には視えざる、黒い靄がズモモモ・・・と広がっているようで、怖い。そして、いつのまにかクロウの荷物まで、二人に手によって二階の空き部屋に運ばれ(荷物質を取られ)ようとしている。

「は、はぁ・・・。」

「・・・・・・・。」

呆気にとられるクロウと、涙目で呆然とするセシル。

病弱な母親と聞いていたクロウは、実際会ってみてかなり、母親アイリスは押しの強い女性であると、この時感じた。セシルの妹も、己の妹シェリルとは少し違うが、同じく精神的に強いのだろう。セシルがかなり心配するほど、弱弱しい雰囲気はあの二人には無いなと、クロウは心の中で頷いた。むしろ、なんというか・・・たくましくないか。

あの背後の黒い靄はなんだよ。とセシルに小一時間ほど、問いただしたくなる。

だがクロウが視線をセシルに落とせば。

「・・・うっ僕、男だもん」

服の裾を握りしめて、必死に泣くのを我慢している。


や、やべぇ―――――――――っ。心が、じゅ、重傷だ!!


もう、何も言ねぇ。この時ばかりは、冷酷無慈悲と謳われた副船長も冷汗だらだら。

セシルにフォローを入れるのに、そもそも自分が原因でもあるので、焦るに焦った。

そこへ、二階に上がっていた妹が、ひょっこり顔を出し、

「もうっお兄ちゃん!なにしてるの、手伝ってよ!!」

「うぅっ、うっ、・・・」

二階から妹アメリアの非情な言葉に、セシルがリビングから、フラフラと階段を登ってゆくのをクロウは呆然と見守ってしまったのだった。


そんな事があって、すっかりセシルの母と妹に押され、あれよあれよと言う間に、夕食を御馳走になったクロウ。その間、家族での食事にセシルは、嬉しそうではあるのだが、時々涙目になって食事をしていて、申し訳なさが募ったクロウである。

そうして彼は今現在、アイリスに通された部屋に居る。

簡素なベッドに文机、何の飾りも無い鏡台。そして部屋の壁をせめる陳列された本棚。

「主人の部屋ですが、どうぞ寛いでお休みになってね」

十分ほど前、部屋に案内されたクロウへのアイリスの言葉。この言葉をっ聞いた時、クロウは本当に無理にでも、断わった方が良かったのではないかと後悔した。

クロウがこの部屋を観察すれば、埃もなく綺麗で、たった今、片付けられたとう感じではない。故人を偲んで、生きていた通りにしてあったことが窺える。

文机の引き出しを開ければ、時計職人特有の片目レンズや、歯車部品、仕事の書類が入ったままであった。

大切にされている家族の部屋に、他人である自分が寝泊まりするには、大変気が引ける。

しかも、一家の大黒柱であった、セシルの父親の部屋だ。そんな一家の主たる部屋に、他人の男が寝るのも都合が悪いと思う。己の実家は部屋数が半端なくあるから、その辺に思考が回らなかったが、激しく悔やまれる。普通、一般家庭の家では、なかなか客室なんて設けられないのが常だ。

あぁ・・・やっちまった。とクロウは部屋の真ん中で頭を抱えた。今からでもセシル達に言って、この部屋には寝泊まりするには、自分には不相応だからと、一階に在ったソファーにでも寝かせて貰おうと、脚を部屋のドアに向けようとしたその時。

ふと、頭を抱え悩む中、本棚の本がクロウの眼に入り瞳を瞬いた。初めは気にならなかった本だったが、その陳列された本のタイトル達に眼が静止する。

『北の魔王と中央戦争の歴史』

『歴代の有名魔術師達』

『神魔文字と魔物の接点』

『魔術百科事典』

『古来のエルラドにおける魔物』

何故かその古めかしい本は、魔術や魔物に対する物だけ、本棚の一番眼に留まり難い高い場所に置いてあった。まるで、目に触れさせない様な、そんな本の配置の感じがする。自身は身長が高い為に眼に留まったが・・・身長の低いセシル達家族なら気にも留めないだろう。

深読みしすぎか・・・?とクロウは首を捻ったが、なにかあるような感じがする。

同じ本棚の本を物色するも、時計の部品に関する物や、あらゆる動植物の事典、またはガンダルシアの土地の歴史など、当たり障りない物だった。

他の本棚を見れば、やはり同じような本が並んで、几帳面に陳列されていた。だが、一番扉に近い本棚の一番上の段、変哲もない植物図鑑が並ぶ本の上に、一冊だけ本とは違う手帳の様なものが隠れるように置いてあった。

「なんだ・・・本とは違うな。手帳か。」

思わず好奇心に負けて、クロウはその本棚の奥に手を伸ばした。手に取ってみると、臙脂の皮手帳だった。奥に隠れていたためか、薄ら埃が膜の様に積もっていた。クロウは白い手でその埃を丁寧に払うと、皮手帳の表の端には、名前が彫られてあった。


『ルシオ・セシル・シルビーア』


この手帳の持ち主であることが分かる名前。おそらくは、セシルの父親の手帳だろうことは分かるが、ファミリーネームにクロウは眼が向く。

セシル・・・?シルビーアは分かるとして・・・第二ネームは、ガンダルシアでは格式ある貴族だけしか、名乗られなかったのではなかったか。それにセシルからは、平民だと聞いているし、そもそもガンダルシアには貴族以外は、ファミリーネームはないと言っていた。クロウはセシルの家族には、悪いと思いつつも、疑問が募って手帳を開いて読む事にした。


相当使い込まれていたらしい手帳は、紙の端が太陽光に焼けて薄茶色い。

一ページ目には、自分の出自に関しての事だった。

幼い頃、ガンダルシアでの二大部族の戦争が終わり、なんの変哲もない時計職人として育ったと記されている。だがルシオの父親が他界する際、誰にも知られてはならないが、かつての王に拝命された姓をセシルの父親ルシオに託した事。彼はその後、終始この事を伝えるつもりなく、穏やかに過ごす事にしたらしい。ただ、長男である息子には、王に拝命された姓を名として付けたとあった。それから、父親として子供たちの成長記録や、妻アイリスとのやり取りが、几帳面に筆を走らせてあった。


クロウはセシルの父親に対する出自に、予想もしなくて驚いた。あとは家族に対して、愛情を込めたであろう事を、筆が克明に物語っている。

その記入された文字を流し読んで、クロウはパラパラ・・・とページを捲って行く。これ以上は自分が読むのも悪い様な気がする。

そうクロウが、手帳を閉じようとしたその時―――――。


――――――セシル、私の息子は魔王の魂を持っているかもしれない。――――――――


一ページ開けてそう記された筆跡に、思わず手帳を落としそうになる。

「っ・・・・・・。」

クロウはそのセシルの父親、ルシオの筆跡に目が釘付けになった。静かな部屋の己以外、誰も居ない沈黙が何故か今は重く感じる。クロウはあの人目を避けるように陳列された、魔術に関しての本へ視線を向けた。

己の深読み・・・ではなかったか。意図してあの場所に本を置いていた?手帳の記されている言葉が、脳裏に焼き付いて離れない。

クロウは眉を寄せて、今度は手帳を持って本棚に近寄り、敢えて人目に触れない様にされた魔術書の一冊へ手を伸ばした。『北の魔王と中央戦争の歴史』一番この中で古そうな本を、クロウは開きページを捲る。

三千年前の記憶を持ったクロウには、触れたくない歴史であるが、今はそんな事を思っている暇はなかった。そこには当たり障りのない、魔王と呼ばれた魔術師に関しての、歴史研究学者達の他愛も無い説がその本には記されてあり。中央戦争の悲惨さや、当時の魔王を倒した者達のその後の記述を克明に研究した詳細が記されていた。そうして、クロウが無心にページを捲れば、北の山脈地方、魔王が眠っていた霊山クンツァイル山の神話や伝承が記されており。創造神エルハラーンが最後に楽園を飛び立った時にできた神聖な山、そこに住む幼いままの魔術師の北部族の長の目撃談、北の町の人々の英雄の伝承、などの話に所どころ、文章の下に線が引いてあった。

「これは。もしかして」

・・・調べていた?セシルの父親ルシオは、生前息子の事に気が付いて、調べていたとしか思えない。クロウは他の本も手に取り開けば、やはりすべての本には、北の魔王にまつわる記述の文章には、線が引かれていたり、丸で囲まれたものがあった。

クロウは持っていた手帳を、恐る恐る見つめる。

あの言葉の先を、まだクロウは読んでいない・・・。見つかり難い高い場所に、あったこの書籍はあきらかに、独自でひっそりと調べていたらしい痕跡が残されていた。ならば、この手帳のあの言葉の先に、セシルの父親の考察が記されているかもしれない。ここまで、知ってしまったクロウには、いまさら引く事はできなかった。


何が記されていようと、最期まで沈黙していればいい――――――――。

意を決っしてクロウは、再び古びた臙脂の手帳を開いた。


『 私の息子、セシルにはよく魔物が付きまとう。

けれど、セシルには害は一向に観られない、むしろ魔物達に大切にされている節がある。


今日、私が仕事で作業していた隣で、セシルが魔犬と話をしていた。

私は魔犬に恐ろしくなって、声を上げそうになったが、五歳のセシルの横で気持ち良さそうに眠っていたり、セシルをあやして遊んでいた。

おんぶ!とセシルが言えば、魔犬はセシルを背に乗せて私の所まで来るほどだった。

私はセシルを抱き上げれば、魔犬は満足そうに一鳴きすると、物置の影に消えて行った。


私が久しぶりにセシルと庭で遊んでいた時、

セシルの周りに精霊が集まっていた。セシルも視えるのか、手を振って嬉しそうだった。

どうやら、この子は精霊にも好かれるらしい。


森に入った折、セシルが人買いどもに連れて行かれそうになった。

私は必死になってセシルを抱えて、町の方へ逃げたが、私共々捕まりそうになった。

けれど、あの子が恐怖に泣き叫べば、闇の使者と言われる魔物、首なし騎士が現われて、人買い共をの首を刎ねて去っていた。森を見渡せば、人面鳥も数羽飛んでいて、セシルを心配そうに見ていた。


このセシルの自然と魔に好かれる素質に、私は不安を覚えた。


私は自分の血筋が原因かと始め思ったが、一族の事を調べるもセシルの様な人は記録にも無かった。そして、セシルの妹である三つ年下アメリアも、私と妻同様、普通に術が操れる程度だった。

そして、セシル。あの子は成長するたびに、全ての属性の自然を操れる事を知った。

私は天才的な魔術の才を、セシルに観てはいたけれど、そのチカラが大きすぎるものだった事に、父である私は素直に喜べなかった。


今迄私はセシルが成長する過程を、視ていたが、大きすぎるチカラ。魔に好かれる性質に、私はある歴史上の魔術師を思い出したからだ。


ガンダルシアの魔術図書館にも、その名と説話が多く記されている。

エルラド大陸を恐怖に陥れた魔術師、北の魔王。


私が独自に調べたところでは、どうもその魔術師は、魔物を従えて、己の主の命のままに動いたとされる凶悪な魔術師だと記されいる。

だが、私が注目したのは、そのチカラと何故、神聖とされる、霊山に眠っていられたかが問題だった。

魔を従えるほど堕ちた魔術師が、創造神が去った神聖な山に、存在できたのかが疑問だった。歴史に残る魔王が振るった魔術で、平原は焼き払われたと記述もあるが、そんな巨大なチカラ、神の恩恵を忘れない魔術師だからこそ、自然が応え術を執行されるものである。ほんとうにこの北の魔王と言われる者は、魔物と同類の堕ちた魔術師だったのか・・・。私の推測でみれば、北の魔王は、聖なるモノも、魔なるモノも自然に受け入れていた魔術師であったと思える。でも、これは確証のない事だ。


しかし、私の息子セシルの体質に、この魔王の話は、当て嵌まるモノが多かった。


創造神エルハラーンに愛された者は死後、このエルラドの地に生まれ蘇るとされている。


もし北の魔王が創造神に愛されていたなら、その生まれ変わりはあの子ではないだろうか。

あの子の周りはあまりにも、不思議な事が多い。

この間は、神魔文字が読めるとはしゃいでいた・・・。


あの子が道を踏み外さぬよう、見守っていきたいが。

私にはもう、時間がなくなってきている。


この手帳は私の戯言。

私のセシルは魔王ではない。

北の魔王の魂をほんとうに持っていたとしても、あの子はセシルである。


この手帳をもし読むとしたら、

私の家族の誰かだと思うから、

私の息子、セシルが北の魔王の様にならないよう見守っていてほしい。


アイリスへ、隠し事をしてしまってごめんよ。


ルシオ・セシル・シルビーア』


セシルの父親、ルシオの独白の手記をクロウは息を吐いて閉じた。

やはり。セシルの父君は、なにかしら気が付いていたのだな。クロウはそのまま手帳を、もとの場所に戻し部屋を見渡す。

この手帳の事は、他人の己が教える物ではない。ごく自然に、セシルの家族が目に触れるべき真実だ。この手帳に記された事柄は、胸に誰にも知らせず留めておこう。

そしてこの部屋はやはり、己には相応しくはない。いまからでも遅くはない、階下にはまだ人の気配もする、この部屋での寝泊りを断ってこよう。

クロウは再び脚をドアに向けて、今度こそドアノブを握った。


クロウが階下へ降り立ったリビングには、タイミングが良いのか、悪いのか、タオルを持ったセシルと鉢合わせした。セシルの事を想って残された手帳を、今たった読んだところなので、クロウは若干罪悪感を抱えた。

「あ、よかった副船長さん、今呼び行くところだったんです。お風呂どうぞ」

「あぁ・・・悪い。」

何も知らないセシルは、クロウにバスタオルを手渡した。燭台が灯る明るいリビングの奥、夕食の方付けをしているのだろう、台所から嬉しそうな母と娘の声が聞こえてくる。いつも表情が無表情に近いクロウの、僅かに言い難くそうな表情を、セシルは怪訝に思い首を傾げる。

「どうかしました?お風呂はあっちです、なんかドラム缶のお風呂じゃなくなって、バスタブのお風呂になっていて・・・僕はなんだか新築になった家が、慣れなくて複雑なんですが、とりあえずお客様だから、お風呂どうぞ」

風呂の場所を死んだ眼のセシルは、心情を織り交ぜ説明する。

「おーい、なんかセシル。オマエ。今の言葉おかしくないか。」

「気のせいですよ、あはは~ははは・・・」

「いや。いや。目と声が笑ってないぞ。」

全くもって気のせいではないだろう。それは。なんせ眼がいつにも増して精気が無い、クロウは思わずセシルに指摘した。

「あー。それよりも、セシル。俺の部屋なんだが」

眼を虚ろにカラ笑いするセシルに、クロウは本来の話を持ち出すべく、珍しく歯切れ悪く斬り出した。

「なんですか?」

少し困ったという感じに眉を寄せる相手に、セシルも眉を潜め、話を聞こうとする。

普段、無表情に近い副船長に初めセシルは、感情が読み取れなくて得体が知れないと思っていたのだが。最近になってセシルは、その微かな表情を分かる様になってしまっていた。

「あの部屋はオマエの父君の部屋だろ。俺が泊まるのは、なんというか。分相応と言うか。他人である俺などが寝ていい部屋ではないだろ?大事にされてあったようだしな。」

俺が寝るのは悪いと思う。という副船長に、セシルも困ったように腕を組んで考える。

「うーん、それはそうなんですけど・・・それだと、副船長さんの寝る場所がないし」

変な所で律儀な副船長クロウなら、故人の部屋と知って気を遣うのは予想がつく。

「一晩だけだ、あのソファーで俺は構わないのだが。」

眉寄せたクロウが広間に置かれた、簡素な長ソファーを指さす。

「いやでも、お客様ですから、それもちょっと・・・礼にも欠けますし、母さんがどういうかな」

冬も近い頃、あの簡素なソファーで寝泊まりは、客人にあまりにも失礼だ。かといって、セシルが使っている部屋を使って貰うにはいいが。隠していたのだが、セシルは未だ自分のベッドは子供サイズなのだ。身長が低いセシルは、今までそのベッドを使用していて、クロウと変わるとなると・・・かなり、無理がある。

セシルもクロウ同じく、うーん、と考えこんだ。

「それも、そうか・・・。ん。だが。大切にされている部屋を使うというのも・・・いっそ。野宿でもするか」

「え?!」

セシルの言葉に一度は頷くも、クロウはセシルの予想の斜めをいって、とんでもない提案をした。思わずセシルは、その言葉に素っ頓狂な声を上げる。

「安心しろ。俺は野宿には慣れてる。皆が起きる頃には、何食わぬ顔で家にいるから。」

そう言いきるクロウは、至極真面目だ。一人で頷いて、もう自己完結してしまっている。

「そ、そこまでしなくともいいですよ!!副船長さん」

ぇ、この人、本気の眼だ!!セシルは、クロウの本気を視て、血相を変えて止めに入った。服装も身振りも貴族様同然なのに、何故そんなに野生的思考なのか。セシルはその極端なクロウの行動と外見のアンバラスさに辟易する。

「いいんです!父さんの部屋使ってくださいっ、あ!そうだ!お風呂っお風呂早く入ちゃってくださいっ~~~~~」

慌てて、セシルがクロウの背中に回り、強引に背中を押して風呂場へ誘導する。

いくらなでも、客人に野宿はさせられない。しかも、この人なら絶対やる。本気だ。

セシルはなんとか、クロウの実行に移しそうな宣言を、阻止するべく意識を風呂へ向けさせた。

「いや、でっ!分かった。分かった。押すな、地味に痛ぇよ。」

ドスッ!トスッ!どすこい~と掛け声が似合いそうな、セシルの容赦のない押し。それに、クロウの息が詰まる。何気にツボに入って、地味にホントに痛い。そしてセシル、この背中のツボは暗殺者が肺を狙う時の急所だぞ。針で突かれれば、呼吸が出来なくてすぐさま死ぬんだが・・・。ワザとか?

クロウは溜息を吐いて、今夜はおとなしく部屋で眠る事にし、風呂へ向かった。


「あらら、セシルとクロウさんは、仲が良くていいわね~」

台所から洗い物を終えたアイリスが、二人を隠れて眺めていた。

「そうね、お母さん♪」

嬉しそう母親の横に、アメリアもよく似た顔で微笑む。

その時、セシルの悲鳴にも似た声が木霊した。

「だから、石鹸はこっちでっ、シャンプーはこっちって聞いてくださいよっ!!!なんで、石鹸で髪を洗おうとするんですかっ?!!!」

「シャンプーなんぞ、高そうなもの使えるかよっ!!」

「なんで、貴族の貴方がそんな事知ってんですかっ」

「悪かったな、こちとら庶民生活がなげぇんだ!」

風呂場から賑やかな声が聞える中、アイリスとアメリアは顔見合わせ、また笑った。


琥珀石月 二十日 月のない夜。心は寝つけない。


僕のベッド。懐かしい子供用サイズのベッド。

でも、今日はいろ色々ありすぎて、ねむれない・・・。どうしよう。

一番の要因は、うん、自分でも解ってる。

家が綺麗になり過ぎて、別の部屋だよね?!コレ!!

僕のいつもの部屋じゃないぃぃぃ~~~~~~~~っ!!!!!!

落ち着か・・・ない。


                                    セシル

                               セシル心の日記より


ああああああああ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・意識が遠のく。

やっと、やっと、これで終る。終れる。

僕にも限界が近い、永かったな・・・一日千秋の思いだった。

もとより、こんな事をして、生きて、安寧の上で死ねるなんて思ってない。


業火に焼きただれた大地。

まどろっこしい、いっそ斬り捨ててしまえばいいものを・・・。

何回、討ち合いをするつもりだよ。

もう、魔物達も撤退し始めている、援軍がこちらに来るのも後ちょっと。


相対していた“黒いひと”彼は意を決したのだろう、黒い刃を振りかざした。


藍色の空、が、きれい・・・。


ブツリ、眼球が取り出された様な音が、頭の中に響き、驚いて覚醒する。

ハッと眼を開けると、セシルは寝返りをうつ。

何だか一瞬、夢を見ていたが、どんなものだったか・・・霧に隠されたように思い出せない。

「なんだろ、変な夢だったような・・・」

左胸の辺りが何処となく痛い気がする。セシルがそう思いつつ置時計を見れば、床についてまだ一時間しかたっていない。今は夜中の十二時ちょっとだ。久方ぶりの実家。久しぶりの自分のベッド。いつもの寝間着。海の波間の音もしない、草の根だけの窓。数少ない大事な本、それに使い込んだ机、ささやかな自分の一人部屋。

やっと、帰って来て心が・・・・・・落ちつ・・・落ち着かない!

セシルは今だ尚、子供サイズの寝台から、むっくりと起き上った。

部屋の壁も隙間風が吹いてなくて、家が揺れる事もない、新しく新調された白の壁紙。

人も寝静む、新月の夜。だが、暗闇の中に眼を慣らせた視界には、それらがあたりまえに鎮座されている。自分が使っていた家具は、変わっていないものの、新築同然の内装に、幼い頃の記憶と目の前にある光景が、いまいち合致しなくて居心地が悪い。

余所余所しく感じる自室、記憶にある自室と違うから、変な夢を見たのだ。セシルは小さな息を吐く。水を飲んで少し落ち着こう・・・喉渇いたし。

もぞもぞと、セシルは布団の中から、脚を出して暗闇に慣れた目を以て扉を開けた。

セシルの部屋から出れば廊下の突き当たりは階段だ、踏み違えないようにしないと暗闇の中だ、階段から落ちたなんて洒落にならない。セシルは慎重に足元を見ながら、壁に手を添えて歩いた。

階段まで後ちょっと、と言う所で薄く灯りが漏れる扉があるのに気が付く。顔を上げると、そこは父親の自室で、今は副船長が泊まっている筈の部屋だった。

「もしかして、まだ起きてる?」

セシルは不思議に思い目を凝らした。人の気配というか、あの副船長の独特の気配があるのは分かる。けれど、その割には部屋の中は静けさが充満していて、本当に起きているのかさえ分からない。寝てる訳ないよね、灯りついてるんだし・・・セシルは少し考えると、クロウが風呂に入る前に言っていた事を、すぐに思い出した。


まさか、父さんのベッドで寝るのが申し訳ないから、起きてる?とか???いやでも、さすがにそれは、そんな事ある訳・・・・・・大いにありえるかも。

野宿すると言ったあのクロウの、本気の眼を思い出して、セシルは心の中で納得する。遠慮をして寝むらないのは、セシルとしてもなんだが悪い。

本当に休んでもらう為に、セシルは控えめにノックをした。

しかし、コンコンと小気味の良い、扉の音に返事はなく、セシルは眉を寄せる。

「副船長さん、起きてます?」

灯りの漏れる部屋に返事ない事へ、不思議に思いセシルが扉に手をかける。


恐る恐るセシルが扉を開ける、するとそこには・・・・・・。

「え、なにやってるの、副船長さん」

そこには、目を伏せ、片手で倒立したまま、微動だに動かない副船長の姿。

セシルの引き攣った声に、気が付いたらしい。クロウは眼を開けると、よっと脚を床に静かに下ろし、苦も無く立ち上がった。セシルがよく見れば、クロウの服装もいつものラフな、白いシャツに黒の長ズボン姿だ。

「あぁ。精神統一の一環。瞑想しつつ、片手で倒立法だ。」

すまん。集中しすぎて返事できなかった。と当のご本人、無表情と顔色変えず、そう律儀にセシルへ謝罪の言葉が降りてくる。

「どうした?」

そして無表情に首を傾げ、クロウが尋ねた。

「いや、それはこっちの台詞なんですが・・・。僕は眼が覚めちゃって、水を飲もうと階段を降りようとしたときに、灯りが漏れてるの見えたから」

まさか、客人が片手で、倒立しているなんて誰も思わないよ。喉まで出かかっている言葉を、グッと奥に飲み込んで、セシルは言い難そうに言葉を続ける。

「もしかして、寝にくいから起きてるんじゃないかって」

「すまんな。やはり悪いと思ってな。今までも、研究や論文をまとめるのに徹夜するのも慣れているし、修行で一夜を明かそうとしていた。」

至極真面目にそう話す副船長の眼は、これも本気の眼だった。

「そ、それは、それですごいですね」

いやもっと他に、本を読むとかあると思うけど・・・。修行って副船長さん。父親の部屋には、本棚が並んでいるのだ。読書と言う手段もとれたはずなのだが。セシルはやはり、この副船長の発想の思考が、どうなっているのか疑問に思った。

「そうか。物心ついた時から、やってたから今更だな。」

「へぇ・・・それもすごい修行ですね」

抑揚も無くそう言われれば、凄いとしか言いようがない。セシルは遠くへ意識を飛ばし、クロウへ応えた。そんなセシルにクロウはというと、

「こんなのはまだ序の口だ。すごいと言うのは育ての親に、ナイフ一本で雪山に放り出された時だ。」

寒い北の山脈地ノーザンドのペール山脈に、僅か五歳のクロウを育ての親にして、魔術の師紅蓮の魔女はナイフ一本で倣り出したのだ。実際、クロウの破壊衝動を抑える為の、精神修行なのだが、それはサバイバル同然で食料も現地調達。ナイフ一本で遭遇した雪男と一戦交え、負けてヘトヘトになってクロウが魔女の下へ帰ると、山小屋から魔女が『狙った獲物は最後まで逃がすな』と言って、クロウを蹴飛ばし雪原へ抛り出す。ほぼ毎日、それの繰り返しだった。他にも修業時代の過酷なサバイバル経験はあるのだが、これはクロウにとって幼少時代の苦い思い出の一つである。

「どんな幼少時代ですかそれ?軽く死ねって言われますよね?!」

セシルはクロウの衝撃過去に目を見開いた。

「今思うとそんな気がする。」

セシルの言葉を、脳内で反芻しクロウは頷く。あの紅蓮の魔女、当時の水晶(クソ)ババァの高笑いを聞いていると、それは否定できない。

「・・・・・・。」

至極本気で頷くクロウに、かける言葉も無いセシル。

ど、どんな幼少時代だよ?!幼い頃からこの眼の前の御人は、死線を乗り越えて生きて来たのっ?!なにその、さながら戦場の申し子みたいな発言は!!しばし沈黙する。

よって、二人の間に妙な間が出来た。

「とりあえず、今僕は色んな感想で胸がいっぱいです、副船長さん。」

死んだ瞳で、そう言うのが精一杯なセシル。

「ん?どういう事だ。セシル。」

いまいち、相手の感情を測れないのか首を捻るクロウ。

「そう言う事ですよ」

何だかもう疲れた・・・。ツッコミたい事がまだ他にもあるが、体力が持たない。セシルは軽く息を吐いて、本来の目的を思い出した。水を飲もうと思ったが、クロウも起きているなら、お茶でも出した方が良いだろう。寒い中、片手で倒立を部屋で続行されても、居た堪れない。

「えーっと、副船長さんも起きてるし、一緒にお茶でも飲みますか?」

「あぁ。頂く。」

ドアノブに手を廻し、セシルは扉にもたれ掛かりながら誘うと、それに無表情に頷かれる。


階下に共に降りて、セシルはリビング横の広間に灯りを燈す。こちらの方が、客人様にある程度、ソファーや簡素な絨毯が敷かれているし暖かい筈だ。父が生きてい時計屋を営んでいた時、いつも客人は此処へ通されていた。セシルはクロウへ座って待ってもらい、台所で香草茶の瓶を漁り、魔術で火を点火し湯を沸かして、茶葉を入れたポットに湯を注ぐ。

お盆にカップとポットを乗せてセシルは、よし!準備万端と広間へ足を向けた。


「ラベンダーか。いい香りだな。」

セシルがカップに注ぐ、香草茶の香りに鼻の良いクロウは、口元だけ笑い言い当てた。

「えぇ、まぁ夜中ですし落ち着くものが良いと思って」

こぽこぽこぽ・・・カップに、昼間とは違った香草茶を入れ、セシルはクロウに差し出す。

ソファーに座ったクロウの横にセシルも腰かけて、香草茶を口に含んだ。

「ラベンダー。あとこれはカモミール、林檎・・・か。」

一口含んだクロウは、その茶葉に使われている薬草の名を、全部言い当てた。

「当りですけど、すごいですねぇ副船長さん」

もう、なんで?とか言わない。純粋に驚きと称賛の言葉だけ述べる。セシルはこの隣の黒いひとには、『副船長クロウだから。』という一言で諦めるのが得策だと悟った。でないと、こちらの精神力が持たない。

「あぁ。俺は麻薬取調べの時、舌が使い物にならないと困るからな。ある程度、刺激物は食べない様にしてんだ。」

抑揚の無い声で、物騒な理由が語られ、

「へ、へぇー・・・」

セシルはそれだけしか声が出なかった。もうそれ以上、物騒な話は聞きたくない。

「・・・・・・・・・。」

「・・・・・・・・・。」

ソファーの前に鎮座するテーブル、その上にある燭台の炎だけが輝かしく揺れている。そこには、沈黙が重たくのしかかっていた。


き、気まずいッ!!何この空間、居心地悪いよ!!つーか、このひと、ずっと無表情で何考えているのか、やっぱりわかんないよっ少し慣れて来たけど、~~~~けど恐いよ!


セシルがその気まずさから、心の中で叫び声を上げていると、ふいに隣に座る黒いひとが、

「セシル。すまん。」

そう言って口を開いた。セシルは突然のクロウの謝罪に、驚いて振り返った。

「は、はい?!なにがですか」

思わず、舌を噛みそうになる。

「俺はあまり話せることが無い。」

そんなセシルに、抑揚の無い声で返すクロウ。

「へ?!は、はいっ?!!」

クロウの言葉に、一瞬呆気にとられるセシルも、話の内容から察して、思っていたことを口に出していたのかっと慌てた。だがクロウの、次の言葉でそれは違ったという事が分かった。

「あと。心の声がダダ漏れだ。心術を使わなくとも、その、普通に聞こえる事がある。」

「えっ・・・あ、うぅ、うそぉ!?うわっすいません」

無表情に語られる真実に、セシルは顔が羞恥に真っ赤になる。持っていたカップまで、取り落としそうな勢いだ。

「もう少し、コントロールする訓練したほうが良さそうだな。」

口元に苦笑いを零し、クロウはセシルを宥めるべく、灰色の頭を撫でた。

「そ、そうですね」

自分の強力過ぎるらしい、チカラを少し恨めしく思う。ああ・・・早く一人前になりたい。

恥ずかし過ぎるよ、穴があったら入りたい。セシルはカップに口を付けて、ソファーで身を縮らせた。

そうやって、恥ずかしさを抑えていると、また部屋に沈黙が降りてきた。

「あ、じゃぁ・・・副船長さんのお師匠様ってどんな方なんですか?あの紅蓮の魔女と豪傑の魔術師ですよね」

今度セシルは、疑問に思っていた事を、クロウに訊いてみることにしてみた。クロウが何を話していいか分からないなら、こちらが話題を作れば、この気まずい空間から脱出できるはずだ。

「どんな方と言われれば。そうだな。あの魔女と尊師は、俺の育ての親だな。」

セシルの質問に、クロウも顎に手を添えて律儀に応えた。実は彼も気まずかったのだ。

「育ての親って、さっきも言ってましたけど・・・副船長さん、家族は・・・」

もしかして、訊いちゃいけない事だったかな、とセシルがばつの悪い顔をしたが。当の本人、クロウはあっさりと応えた。

「あー・・・家族は居るっちゃ居るが。父母、弟、妹の俺を含め五人だ。」

「え、副船長さん、長男?!」

初めて聞く暗黒船長の家族構成に、セシルは驚いたが一番注目したのは、クロウが長男であるという事だった。貴族の長男であれば、必然的に次期家長として育てられる筈だ。

勘当を頼み込み、家を出たとある程度海賊達から、副船長の事を聞いていたが、まさか家長を捨てているとは思わなかった。

「セシル。オマエは俺の本質を知ってるだろ。」

怪訝な顔をするセシルに、クロウは溜息を吐き、脚を組んで頬杖を着いた。

「えぇ・・・まぁ」

その言葉にセシルは頷くと、クロウは無表情に灯りに眼を向けて語り出した。

「俺は人の両親から生まれたが。どうしても破壊衝動、いや。殺人衝動が収まらない子供だった。だから、魔女が見かねて、俺を引き取って育てた。ある程度、“人”として生きられるように、衝動を抑える修行させてな。」

黒曜石に炎の灯りが映し出されて、金粉が舞っている様な瞳だ。頬杖をつく瞳の先には、クロウしか体験した事ない、過去の幼い記憶が視えていた。

「壮絶な過去ですね・・・」

セシルはぽつりと、一言そう落とす。

人の体を器に、魂の本質は魔。セシルとしても、そのクロウの生立ちに疑問が幾つも脳裏をかすめる。しかし、おそらくクロウ本人の事を考えると、並みの精神力以上でないと、人としてここまで生きていけなかっただろう事は安易に想像できた。

しかし、そんなセシルの副船長に対して、苦労したんだねという想いも、次のクロウの発言で覆された。

「まぁ。五歳から九つまではあの紅蓮の魔女。魔女に俺をナイフ一本で、雪山やら砂漠やら火山付近に抛り出すという修行をやらされて、すっかりこの通りだ。あのババァ・・・。」

育ての親の魔女を思い出してか、クロウは顔を歪めて悪態をついた。クロウにとって、魔女との思い出は、あまり、否、全て良い思い出などない。

南の国ノールエンド、シュリハ砂漠に子供用水筒一本、ナイフ一本で抛り出された事。ガンダルシアの神山ガーネ山の火口丘で、生贄よろしく吊るされた事など・・・エトセトラ。

思い出しただけでも、腹立つ修行内容だった。クロウはそれらをセシルに、事詳しく話して訴えた。世間ではガンダルシアの清い気高い魔女だと、もてはやされているが。そんなの幻だ!!とクロウは叫ぶ。

「紅蓮の魔女って、副船長さんより過激な人なんだね」

クロウの訴えに、セシルは正直な感想を述べた。

さっきまでの、クロウの生立ちから察し、苦労したんだねっ、ていう思いも吹っ飛んだ。

案外、この漆黒の副船長はタフだった。

なんせ育ての親に悪態を、吐けるぐらいなのだから。

「ん?どういう意味だソレ?」

意味が分からないのか、クロウは首を傾げる。何故分からないのか、それがもう解らないセシルだ。セシルの心境を知らないクロウは、尚も話を続けだした。

「それで、ある程度は抑える術を覚えたんだが。今度は教養が無くてな。あのババア・・じゃない魔女は、幼馴染のリースト尊師を呼びつけて、俺を尊師に丸投げした。」

「え?・・・それって」

「二年間は三人で魔術の修行を含め、共に居たんだが、魔女は飽きて旅に出た。そう、育児放棄だセシル。」

とんでもない極道ババアだろ。そう続けるクロウに、セシルは同情の意を顔に表した。

なんだか、クロウが魔女に対してババア呼ばわりし、豪傑の魔術師には、尊師と言うのが分かる気がするセシルだった。予想するに、きっと豪傑の魔術師は、クロウに対して付きっきりで、大事に根気強く教えたのだろう。子供なら、それは懐かないはずは無い。

「だから、貴族の振る舞い礼儀作法。それらは尊師からだ。尊師は世話焼きな部分もあるからな。根気強く俺に教えてくれた。」

クロウは目を伏せて、カップの香草茶を飲む。その仕草は、まさしく優雅だった。

「なるほど、だから礼儀作法が完璧なんですね」

セシルはやっぱり、教養って大事だよねと頷く。

「あぁ。俺が間違えるたびに、頭をハリセンと言う武器で、ぶっ叩かれたからな。」

「よ、容赦ないですね」

クロウの話を聞いていると、セシルの中で偉大な魔術師の人物像が、音を発てて崩れる様な気がするのは気のせいだろうか。

「そうだな。まぁ、俺にしては魔女よりマシだったな。ンで。俺が十歳の頃に仮面(ペルソナ)を川で流れてきたので拾って、アイツ孤児だから尊師が養子に迎えた。」

セシルは静かに話を聞けば、仮面の楽士が養父だと言っていたのを思い出した。そして、よく考えてみれば、川で流れてきて、拾ったと言うクロウもある意味凄いと思った。

普通、大人を呼びませんか副船長。

「で。俺ら二人は尊師に魔術や勉学を、十五歳になるまでみっちり教えられた。そう。みっちりな。」

遠い目をして語るクロウ。なにげに、みっちりと言う単語を、強調して二回も言っているあたり、相当しごかれたらしい。セシルはクロウの表情を観て、そう悟った。

「あぁ、だからペルソナさんは、豪傑の魔術師だけが師匠なんですね」

「そう言う事だ。」

なんだか、訊かなきゃ良かったと、後悔する偉大な魔術師の素顔。セシルはまた一口、カップの茶を含んだ。実際、自分にはお目に架かれない人の話だ。今訊いたことは、忘れよう・・・そう思いを込めて。ラベンダーの香りが喉に流し込む。



燭台の炎により、すっかり広間が温まり、過ごしやすくなってきた。室温が高くなったおかげで、カップに注がれた香草茶の香りも増している。おかげで、ラベンダーのいい香りが充満している。

「副船長さんは、その間、家族に会ったりしてたんですか」

ひとしきり、クロウが育ての親との体験談を話し終えると、セシルはふと思い口を開いた。

「そうだな。衝動を抑える術を見つけてから。一年に一度くらいか。」

当時を思い出しているのだろう、眉を寄せつつクロウが応えた。

何せ、クロウにとって二人の魔術師の修行に、手一杯だったからだ。家族の事など、想う暇も無かった。年に一度、二度ぐらいだったような気がする。

「家族が恋しいとは思わないの」

セシルは現に、家族に会いたいと思う想いが強い。なので、クロウの応えに怪訝に思った。

「思わなかったな。なんせ、五歳の俺は弟と母親を殺そうとして、親父が咄嗟に止めに入ったぐらい、俺の本能は酷いモンだったしな。」

当時の事を思い返せば、クロウもあの幼い自分は酷かったと思った。気が付けばクロウは、意識なく母と弟にペーパーナイフで、斬りかかっていたからだ。傍に居たメイドも足を負傷し、弟は母親がなんとか守ったが、クロウは馬乗りになって、母の肩に消えぬ傷を負わせた。書斎に居た父親が、悲鳴を聞き付けて、五歳になるクロウを押さえたが。

父親の利き腕にも残る傷を負わせた、百戦錬磨の軍人である父に。

今、成長した己が本能通りに行動すれば、クロウはそう想像すると、恐ろしく寒気がした。

「あ、すみません・・・」

セシルは、クロウからの話を聞くと、すぐ察し謝罪した。

自分の軽率な言葉に、悪いこと聞いたと俯く。

そんなセシルに、クロウはまた余計な事を言ってしまった、と灰色の髪を撫で言い難そうに話し出した。

「いや。まあ。どうしようも無かった事だ。それに。あの俺の両親は、一般的な人物ではまずないからな。」

クロウの家族は、セシルが気に病むほど、本当はそんな繊細な家族でもない。

「えぇ?どういうこと???」

訳が分からず、セシルは首を傾げた。

「俺の父親は、歩くご迷惑常習犯にして愉快犯。母親は素で天然。弟は真面目だが狂戦士。妹は酒が入ると破壊魔だ。」

「!?え、あ、やっぱり分かりませんよ?!なんですかソレ」

クロウはスッと目を細め、家族を真剣に思い出すと、なんだか疲れる内容しか思い出せなくて、何とも言い難かった。実家に帰れば、必ずどこか家の壁は大穴が開いているし。弟は泣き崩れ縋って来るし。父はここぞばかりに、職務を放棄し出す始末。母は突然、父の惚気を連発するし。妹は・・・会うたびに素手の攻撃力が増しているし。

父親はご迷惑常習犯、愉快犯。母親は天然。弟は真面目狂戦士。妹は酒乱破壊魔。これ以上、説明するのも胃に穴が開きそうだ・・・。クロウはしばし沈黙し、

「会ったら分かる。」

きっぱり、そう言いきった。

「ふ―――ん・・・」

会ってみたいような、みたくないような・・・。セシルも遠い目をして、とりあえず納得しておく事にした。理由は、眼の前のクロウも、珍しく遠い目をして、フッと自嘲気味に笑っていたからだ。これ以上、訊くのも酷な気もする。


「ふ、ふぁわ・・わ・・・」

あ、すみません。思わず出てしまった欠伸に、セシルは手で口元を覆う。なんだか、瞼が重たそうで、クロウは付き合わせて悪いと思った。

「セシル。もう戻ろう。眠いだろ。」

「う、う~ん、でも副船長さん起きてるんでしょ」

「まあ。それも、そうなんだが。」

部屋に戻って、また修行でもするかと思っていたのだが、セシルにすでに先を読まれていたらしい。気持ちはありがたいが。

眼を擦って眠そうなので、引き留めて、セシルがここで眠っては風邪をひく。

どうしたものか。クロウは考えを巡らせると、ふと一つ案が降りた。

「あ。こうすればいいのではないか。俺がオマエの部屋で寝て、セシル、オマエが父君の部屋で寝ればいい。」

ピッと人差し指を立て、クロウが提案をすれば、

「う、そ、それはダメですよっ」

セシルは眠そうな目を、ばっと開けて首を振った。そのセシルの必死な否定に、クロウは何故だと眉を寄せる。

「なんでだ?まさか、いまでも子供用ベッドでも使ってる訳でもあるまい。」

「何で知ってんの?!」

この言葉にセシルは、驚愕の顔色を示し、クロウの袖を引っ張った。

これには、クロウも目を見開いた。

「マジか・・・。当てずっぽうだったんだが。」

呆れた声音でそう言えば、今だ子供用ベッドで寝ているセシルを想像してしまう。十八歳の成人が、子供用ベッドで寝れると言う事実。セシルだからあり得る事だが、なんだかそれも凄い。

「仕方ないでしょ!家は貧乏だったんですからっちょっと!なに笑ってんですか!」

憤慨して怒るセシルに、クロウは体を前かがみにし、震えて笑い声を押し殺していた。

喉の奥で、クツクツという声が漏れている。

「あー。いや。悪い。・・・・・ツボった。」

己でも知らぬうちに、笑いを押さえきれなかったらしい。気が付けば、口を押えて大声で笑うのを、クロウは我慢していた。セシルが見れば目尻に涙の痕も見えて、泣き笑いをされていたようだ。セシルは目聡く、それを見てとり膨れた。

本当の事だけど、他人に笑われると頭に来るのは何故だろう?っていうか、笑いすぎじゃない?いいですよねぇぇぇぇぇええええ!背が高くて、脚も長い御人はっ!!!

「もういいです!僕もココで起きてます」

そう宣言して、ソファーに座り直したセシル。セシルの眼は、完全に眼が据わっている。

「ん。じゃ。謎かけでもして時間つぶすか。」

ひとしきり笑い倒したクロウは、カップに残った茶を全て飲み干した。

空と海より青い物は何か?三本足の生き物は何か?などなど・・・

古今東西、謎かけの問題をかけあいながら、二人の夜は朝方まで続行されたのだった。


早朝、すっかり睡魔に負けたセシルを抱き上げて、クロウはセシルの部屋の扉を開けて、ベッドに寝かせた。やはり、セシルは軽く細いので、少し心配になったが、子供ベッドを目にした時にその思考は霧散した。

「うお・・・。ホントに子供用だ。」

布団を掛けてやれば、身長にあっているのか、すっぽり収まってしまった。

成人男子が、子供ベッドで寝むれている現実。セシル・・・・・・オマエは小人(ホビット)か。

思わず無言でツッコミを入れてしまう。

モーリスがこの場に居れば、可愛いと騒ぐだろうな。と冷静に思う。モーリスに良い土産話が出来たとクロウは密かにほくそ笑んだ。そうして、クロウはまだ階下残したカップを片付けるべく、セシルの部屋から静かに退出した。







『懐かしきカルセドニア村へ』終


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