盲目の少女と漆黒の烏 前編
深い紫紺色の、まだ夜が明ける前の早朝。
セシルは化石の様に静かに寝静る人々の中、一人目を覚ました。今まで下宿暮らしに、下働きの身で、暖かい寝床など実家に帰った時ぐらいである。そんな暮らしぶりだったので、異国の土地での豪勢な部屋にて当然、寝つける筈も無く、あまりよく眠れなかったのだ。
セシルの思考は、先ほどから夢と現実を言ったり来たり、境界のおぼろげな世界をさ迷っていた。母親の病気は良くなったのだろうか、妹は元気だろうか、本当にこのまま家族に会えないのかな・・・セシルは遠い故郷を思い出した。瞼を閉じてれば、残っている記憶。山の付近に切り分けられた自分の町、小高い町からは海も近く、空の色をそのまま零して染まった海が、宝石のように広がっているのが一望できる。同年代の友達と呼べる者は、自分が浮きすぎていないが、ガンダルシアに古くから住む、精霊や魔物達が常に傍にいて、それなりに楽しかったのを憶えている。隣家の年上の兄と呼べる人とも、良くしてもらっていて、嫌な記憶ばかりではない。町のいじめっ子達に、いつも理不尽な嫌がらせは、受けていたけれど、世の中というのは理不尽の塊の様なものだ。それを思えばいじめっ子達の嫌がらせなど、可愛く思えるし、誰かを殺すほどの者でもないので、まだ(・・)いい(・・)方だ(・)とセシルは思った。瞼を開けると、暗闇の中で幼いリオンの健康的な寝息が聞こえる。可愛い小さな寝息に、少しだけ暗闇の思考を振り払われた気分だった。セシルはそっと、布団から体をお越し、静かに手ぬぐいを持って部屋から一人出る。昨日は無茶苦茶な航海士のお蔭で、殆ど体を洗えずそのまま食事をとったのだ。料理長のモーリスが、『朝方なら誰も居ないしゆっくり入れるから、楽しんできなさい』と、寝る前にセシルに気を使って、言ってくれたので、折角なので眠れないし、暗い思考を振り払う気分転換に、セシルは露天風呂に向う事にした。
まだ暗いと言うのに、この宿の館の使用人達は、起きているのだろう、永い廊下や広間には所どころ灯りがともされていた。それでも人とは一切、すれ違う事はないので、館の人々は、奥で作業しているのだろうな・・・とセシルはぼんやりとそんな事を思って、男湯の脱衣場まで、無事迷子にならず辿り着いた。本来、自分は方向音痴で、こんな広い館だったらすぐに迷子決定なのだが、今回はきちんと正確な道を辿って来れたようだ。ほぅと安心してセシルはそんな自分に少し褒める。そのまま脱衣場に入り、籠に浴衣を畳んで入れる。ガラス戸の入り口には、ゆらゆら提灯の明かりが灯っていた。冷やりとする露天風呂の石床が素足に心地よい、誰も居ないので尚ホッとする。大勢で家族の様に、にぎやかにするのも好きだが、セシルは静かに一人でいるのも好きだった。隅に綺麗に積み重ねられた桶を一つ持って、湯を救い洗い場で備え付けの石鹸を手に持つ。手ぬぐいで丸い白石鹸を泡たて、体を擦ると気持ちが良い。先ほどまで思い出してしまった、いじめっ子達の嫌な記憶も、世の理不尽さも、全て流されるようで、セシルは静かに息を吐いた。そのまま、髪にも、石鹸の泡を手にすくって泡立て洗う。
白い湯気が黙々と立ち込める中、空を見上げると星の輝きも静まり、黒い夜色も澄みきった藍色に変わりつつある、虫の音もすっかり無い。
「きれい・・・」
ぽつりと、心の音をそう漏らした。誰に言うでもなく、伝えるでもなく、セシルは呟いた。
夕闇の空の藍も、朝方の空の藍も、セシルにとってこの空の色が、一番のお気に入りで好きな色だ。自然の移ろいゆく、美しい色。誰にも手が出せない自然の色彩、この景色が好きになったのは、どんなきっかけだったか・・・思い出せないが、物心がついた時からだったのは知っている。何故だろうか、その移ろいゆく色彩を眺めて思考を停めると、酷く懐かしく、優しい、けれどもどこか悲しい、幸せと哀切がない交ぜのになった気分になるのだ。そんな事を思いながら、セシルは泡だらけになった、体を湯殿の湯を桶ですくい、頭から被って洗い流す。熱い湯を被ると、石の床にガラス細工の様な細かく薄い泡が流れていった。体の泡が無くなるまで湯で流し落とし、セシルは夕方、航海士に投げ込まれた温殿の中に脚を恐る恐る入れる。広大な溢れるばかりの湯は、乳白色でこんな贅沢な湯は初めてだった。大きく切り取られた大岩に囲まれた天然お湯は、中央はセシルの背丈がすっぽり入るほど深いが、大岩に縁取られている近くは、浅く膝下程だったので、そのまま肩までつかれる場所まで、ゆっくり歩いて移動する。
ちゃぽ、ちゃぽ、ちゃぽ、一足踏み出すごとに水音が響く、足元が見えない綺麗な湯。なんだか、今いる自分の存在が夢の中みたいだと思ってしまう。
地味で冴えない、ドジばかり、親戚の宿屋で下働き兼、路上での靴磨きをしていた自分が、まさか海賊に捕まり、御貴族さながらの生活で、遠い土地で露天風呂に浸かっているとは、人生何が起こるかわからないものである。しかも西海の悪魔と畏れられる、悪名高いブッラクパール海賊団にセシルは自分が捕まるとは、夢にも思わなかった。しかも奴隷として売り飛ばされるか、殺されるかと思いきや、強制的にだが自分も海賊に仲間入りさせられ、今現在この現状の様に至れり尽くせりの待遇を受けている。そしてここの海賊団は、かなりハチャメチャな人達で、良く言えば個性豊か、悪く言えばアクが強い人々でも、皆一様に温かい義理堅い人の好い人達だった。海賊と言っても彼らはもと海軍の軍人で、国から密かに援助され、麻薬密輸組織を根こそぎ捕まえ、老人船長の裏切り者との決着をつける為、航海に出ていたと聞かされている。
そんな事情に、何故自分が必要なのか、まったくもって分からないが、セシルは今、副船長の意向により不本意ながら賊軍の仲間入りだ。
ちゃぽ、ちゃぽ、ちゃぽ、ちゃぽ、ちゃぽ、ちゃぽ。
脚を緩慢に踏み出して、セシルは乳白色の湯に微かに映る自分の顔を眺める。自分が今どんな顔をしているんだろうと、セシルはふと思った。
海賊団の人々にも、こんな不気味な自分でも仲良くしてもらっているし、魔物と一緒に居て恐がられもするが、別段セシル自身を否定する事は決してしない人々だ。正直な心持として、ブッラクパール号の海賊の皆は、たぶん好きなのだと思う。あの副船長は、よくわからないけれど、悪いヒトでもないのも、もう知っている。ただ、自分には大切な母と妹が居る。彼らにだって残してきた家族はいるだろうけれど・・・自分は、己の事で精一杯でしか生きられない、故に麻薬密輸の件に関しても、皆には悪いけれども二の次で。
母と妹の生活が自分の中では最優先なのだ、毎月仕送りの金額明細書を副船長から渡されてはいるし、たぶんもう薬も買えて母は楽なのだろうけども。自分はその姿が見られないし、最悪このまま一生家族に会えないと考えられる。それは、自分にとって今まで生きて(・・・)きた(・・)意味が全部、失われたも同じだった。良くしてもらっている海賊団の皆には、多額の仕送りをしてもらっている身で、悪いとは思っているけれど、家族と一緒に少しでも居られなければ、自分には意味がない。だから、仕送りを打ち切られてでも、自分は海賊の皆とは一緒にはずっといられない。波紋が広がる水面に、歪んだ自分の顔を見ながらセシルは泥に似た思考のもと湯の中を突き進む。
ちゃぽ、ちゃぽん。
肩までに湯が浸かるまであと数センチ。
湯気が立ちこめる湯に、映るのは歪んだよく見えない自分お顔。良くしてもらった事に対して、徒になる事を平気でしようとしている自分の顔は、この湯に映った顔の様に心まで歪んで醜いのだろう。セシルはひとり、そんな事をぼんやりと他人事のごとく思った。
ちゃぽん。
もう後一歩だけ。
この島には今日を入れて、あと三日ほど滞在すると、狙撃手のルシュカに昨日の昼ごろ聞いた。逃げるならこの島の定期便の船は何処へ向かうか、調べる必要もある。なんせ此処はマライトでもジェーダイトでもないのだ。行方を眩ませるなら、情報は多い方が良い。しかし一番の難関は、あの漆黒の副船長の存在だ。どうやって、彼を出し抜けられるかが、逃亡の糸口だ。術を使えば、あちらも術者すぐに術の発動を視付け、捕まること請け合いだ。どうやって見つからず、逃げようか・・・・・。
そんな事をセシルが真剣に考え、最後の一歩を踏み出した。
が、しかし――――――――。
ぽちゃ・・・ズボッ!ズベシャン!!!
一歩踏み出した先に、見事踏み出した足を滑らせて、体の平衡感覚を崩し倒れた。
広い湯中に派手に湯飛沫を上げ、背後から倒れたセシルは、またもや風呂の中で溺れたのである。いやはや、自負するほど地味で冴えないドジっぷり。自分がドジで情けなくて、泣けてくる、ここは湯の中、涙が出たとしても、誰にも分からないだろう。
ゴボゴボと鼻や口から気泡が出てゆき、その代りに白い湯が入ってくる。肩まで浸かれる程深い底だったため、必死になって、乳白色の湯を掻いてもがくが、空気がある上空まで中々たどり着けない。
もしかして、このまま死ぬのかな・・・息が苦しくなってセシルは、ぽつりと心の中で呟いた。あぁ、逃げられないなら・・・いっそ、天に召された父に会いに行こうか。だんだん意識も、薄れてきて力が出ない、苦しかった嫌な思い出も、楽しかった幸せな思い出も、みんな失くして置いて逝って、このまま・・・温かい湯の中で眼を閉じよう。
もがく腕も脚にも、力を入れずそのまま、自暴自棄に湯の底へセシルは堕ちようと思った。
乳白色の世界に瞳を閉じ、セシルは一切の世界と意識を遮断する。
しかしその刹那、その遮断した世界の境界線を、腕を引かれる力によって崩された。
セシルは再び乳白色の世界に引きずり戻された。混乱する中、左腕を湯上に引かれ、肩後ろに腕を回されて、容赦なく現世に引き上げられる。
いきなり酸素のある場所に戻されて、何が何だかわからなく、誰かに抱きかかえられている中、苦しく咳き込んで飲んだ湯を吐く。咳き込んで朦朧とする意識は、脳内で紫煙をくゆらせるが如く、恐ろしく緩慢だった。
何故、どうして、と言う言葉が浮かぶも、喉がひりついて痛く、言葉が出ないセシルはゆっくりと眼を開けた。
ゆるゆると淡緑の瞳、その視界に映るのは。
「大丈夫か。」
低い抑揚の無い声と共に、常闇の深い、深い、深淵のどこまでも果てが無い黒。
漆黒の髪と眼の。何者であっても、ありのままを視透かす。
そのひとは―――――――、セシルにとって恐怖の対象の何者でもなかった。
セシルはこの時、絶望と果てのない恐怖心で、沈黙の絶叫を上げた。
「なん、なんで・・・」
何故、こんなところにいるのか。セシルはそう問いたいが、喉がひりついて、あまりの事に言葉が出ない。これでは、自分が溺れて逃げるのを、待っていたかのようなタイミングだ。
「気が付かなかったのか。俺はオマエが入ってくる前から、ずっとここに居たんだが。」
無表情にそう言うクロウは、よく観れば長い髪を白い手ぬぐいで、綺麗にまとめられていた。普段白い肌も、どこか仄かに赤いので湯につかっていたのだと解る。
「気が付きませんでした・・・」
完全に現実に引き戻されセシルは、半泣きになりそうになって下に俯く。うぅ・・・結局逃げられない、捕まってしまった。完全に。今までの自分の思っていた薄汚い思考も、視透かされていうようで怖い。尚且つ、この副船長はそれを知っていて、とことん地の果て、死の淵までセシルを追いかけてくる様な錯覚に陥りそうだ。現に今も湯につかりつつも、セシルはこの恐怖の対象人物に抱きかかえられている状態なので、逃げ道がない事を知った。
「大丈夫か。」
意志消沈と恐怖心から沈黙してしまったセシルの頭に、クロウがもう一度声をかけた。
「う・・・あ、大丈夫です。ありがとうございます」
その声に内心セシルはビクつくも、助けて貰ったのだから、とりあえずお礼を言う。
「そうか。ならいい。ならちょっと付き合え。」
「え?!うぎゃあぁあああ!!!!」
淡々とそう言うクロウに、軽々とセシルは肩に担ぎ上げられて、思わず悲鳴を上げた。
「おー。おー。大漁、大漁。つーか、落ち着け。別にとって喰いやしねぇよ。」
肩に荷物の様に担ぎあげられ、セシルはバタバタと脚を動かして抵抗するも、細身でも体格がいいクロウ相手では、悲しい事に云とも寸ともビクともしなかった。しかもクロウの大漁と喰うと言う単語に、混乱状態になっているセシルには、斜め上をカッとんだ最悪の予想しか思い浮かべない。
「いぎゃああああ!刺身にされて殺されるぅ!!」
いまの今迄、死のうとしていた意志とは反対に、クロウに殺されるのは拒否反応が出るのか、一際暴れるセシルだった。クロウはその叫び声にぎょっとして、セシルの方へ顔だけ向ける。何故、刺身にされるなどという発想なのか・・・何処からその発想を膨らませたのか、皆目理解できない、クロウは密かに眉間に皺を寄せる。
「いや、だから。殺さねぇよっ?!!聞けよ!!向こうの風呂に行くだけだろーが!!」
じゃぼじゃぼと、湯をかき分けて歩くクロウは、セシルの悲鳴に内心気落ちする。
「じゃっ・・・で・溺死?!」
「何故そうなる!!」
その想像力、かなりたくましい物がある。少し項垂れ、妙に感心してしまうクロウだった。
そして普段から、自分がセシルにどんなふうに、思われているのか、一目瞭然に分かる瞬間である。ガタガタ震えるセシルを担いで、クロウは溜息を吐いた。溺死させるなら、溺れていた・・・否、生きることを放棄したセシルの腕なんぞ、己は取らない。一部始終、セシルを見ていたクロウは、思わずそれを言葉に出しそうになって飲み込んだ。そしてその意味に気付かず、何故それを理解できないのか、セシルオマエはどんなけ鈍感なんだ?!クロウは一人、心の中で呟いた。
クロウは一番広い湯から出て、すぐ横奥の浅い湯へ移動する。何気に肩に担いでいるセシルが、まだブツブツ言いながら、震えているがこの際無視しよう。奥の浅い湯では、腰かければ、セシルならば肩位という程よい水位だ。溺れる事も無いだろうし、それに便乗して悪い思考に絡め取られることも無いだろう。
「おら。こっちなら浅くて座っても溺れねーぞ。」
「うぎゃ!」
セシルは急に浅い湯に降ろされて、悲鳴を上げる。副船長の一挙一動がもう、恐怖なのでなんにでも悲鳴が上がってしまうのだった。そんなセシルに、当のクロウは・・・オマエ、その声は昨日の猿化した、ルーヴィッヒと変わらんぞ。セシルにとってそんな悲鳴を上げるは、クロウの所為だと言うのに、セシルにとっては大変失礼な感想がよぎったのだった。
「うう・・・」
セシルは小さく唸りながらも、どっこいせ、と座り湯につかる副船長に、ゆるゆる腕を引かれその場に座らせられる。何故先ほどから、逃亡するために案を練っていた、一番の難関者と自分はいるんだろうか。セシルは情けなくて、内心泣けてきたのだった。次第に自然と涙腺も緩んでくる。
「ほら。こっちこい。あっち見てみろ。もうすぐ夜明けだ。」
そんなセシルに、あっちだと指をさし、もうすでに薄い白のカーテンがかった空を見る。藍色の空が、完全に明るい青に変化しつつあった。
「うぇ?」
セシルが振り返ると、露天風呂から一望できる、海の水平線から眩い光が小さく浮き出てきていた。セシルはその景色に気がそがれたのか、涙も引っ込み、小さく息を吐いて見入ってしまった。
「俺はもともと、この景色を見る為に浸かってたんだ。眼が覚めるだろ。」
白銀の太陽の光を眺めて、肩を揉みつつクロウがセシルを一瞥する。此処の露天風呂に来るときには必ず、クロウは朝日を拝みに湯につかって待っているのが恒例になっている。
「あ・・・ホントだ、きれい・・・」
セシルは風呂の縁に手を置いて、朝日が顔を出す光景に見入った。
光り輝く日が、海を、空を、冴えた蒼に染めてゆく。セシルは、あぁ、今死んだら幸せかな・・・とぼんやりと思う。美しい景色を見て死ねたならば、どんなにいい思い出だろう。
「綺麗すぎて・・・涙が出そう」
そう思うと、すこしだけ幸せになった。ぽつりと、小さく本音が零れる。
その小さな本音を、横で耳ざとく聞き取って、クロウは横に居るセシルを見る。
ぼんやりと、いつもより表情もどこか抜け落ちていたその横顔を、クロウは見ているとまたもや、溜息を吐きたくなった。これは自分の想像なので、確実には言いきれないが、眼の前に居るセシルは、おそらく短い人生だが、あまり良い事が無かったのだろうと思った。無意識に、死へ、意識が向いてしまっている、そして何かにつけて諦めきっている節がある。諦める事も必要ではある時はあると思うが、これはいささか病的すぎる。ふとその首元を見れば、薄らと傷跡があった。
「セシル。オマエ・・・コレ、どうした・・・。」
「え?」
傷跡を目にしてしまい、クロウは考えるより先に、口が出てしまった。
セシルも突然声をかけられ、きょとん、とクロウを振り返る。
「首の後ろ。肩にかけての傷だ。」
クロウがセシルの方へ身を乗り出して、首元の傷跡を指でたどる。それは鋭利な刃物で、切り付けられた傷跡だった。傷は浅そうなので良かったが、深ければ死は免れなかっただろう。クロウは湯に浸かっているのにも、かかわらず体の芯が寒くなった。
「あぁ、これ・・・、これは宿の下働きで、僕がまたドジって、やらかした時の傷ですよ」
クロウに傷跡を触られ、セシルはビクッと震え、そう言いつつクロウに向き直ると、数歩座りながら背後へ退却する。だが、逃がさんとばかりに、セシルの手首をクロウが掴んだ。
「本当にか。」
黒曜石の視線が、射すくめるかの如くセシルを見る。『嘘だろ。』と、クロウの眼が訴えている。セシルは喉元に、ナイフを突きつけられた感覚に落ち入った。
「うん、そうですよ」
喉から声を絞り出して、セシルはなんとか自然にそう応えた。下働きでドジを踏んだのは、本当だ。嘘は言っていない。しかし、眼の前の黒い瞳は、尚もセシルを見つめ微動だにしない。
「・・・・・・オマエ。本当にただの宿での下働きだったのか。」
「・・・そうですよ」
低い声が、また更に重たい声音を帯び、質問される。軽く尋問を受けている気分で、居心地が悪い。セシルは静かに頷く。
「ほう。」
黒曜石の瞳を半眼にし、クロウがそう呟くと掴んだセシルの右手首を、さらに強く掴んだ。
捕まれた手首に、どくどくと血の巡る音が伝わってくるほど、辺りは静かだ。
「な、なんですか・・・?」
これ以上、何も話す事なんてない・・・。そう心に言い聞かせて、セシルは掴まれて手首を放してほしいと訴えるが、
「別に。言いたくないなら、それでもいいが。俺にはそんなモノ通用しないぞ。」
尚も手首を放そうとはせず、クロウはセシルを自分の方へ引き寄せた。あまりの強さに、セシルの顔も歪ませるが、ただ目の前には黒い瞳が静観している。その黒い視線が、恐ろしくて、只々逃げたくなるセシルは、間合いを開けようと、恐い存在から遠ざかる為、無理に会立ち上がろうと、腰を浮かした。
が、硫黄で底が滑っていて、セシルはまたもや足を滑らせた。
見事なまでのドジ再発である。
「あ・・・うおっ!!」
クロウに手首を掴まれたまま、セシルは背中から後ろへ、体がひっくりかえる。
「えっおいっ!!またかよっ」
ひっくり返りそうな、セシルを庇おうと、クロウは急いで腕をかけるが・・・。
バシャ――――――――――――――――――――ンッ
派手にすっ転び、湯飛沫が黄金の粒の様に、朝日に照らされて上がった。
ザバンッと、音を発てて体を起す。
クロウは湯から上体を起こして、セシルを見れば、セシルは灰色の頭を抱えて唸っている。
「~~~~~っつ痛い」
「頭打ったのか?!大丈夫か・・・」
今度はセシルを助けようと、腕を咄嗟に掴んだ副船長まで巻き込んでの、派手にまたもや湯の中にダイブだった。クロウがタオルで束ねていた黒髪も、セシルの前につんのめって転んで湯の中に入ったために、長い黒髪がクロウの背に張り付いていた。
「うう・・・だいじょ・ってうわっ!!血がっ副船長さん大丈夫ですか?!どこか怪我して」
打った頭部を擦り、セシルが涙眼で眼の前を見ると、クロウの周りの湯が、薄紅色に染まってこちらに流れてくる。セシルは自分を助けるために、副船長まで巻き込んで怪我をさせてしまったのではないかと、血相を変えて謝った。
「いや、俺は何ともない。オマエじゃないのか?!ソレ」
そう言ってクロウは立ち上がり、慌ててセシルの額に障るが、特に血も滲んではいない。
「え、でも打っただけで、どこも怪我してないですよ」
座り込んで頭や腰を触るも、切った感触も無いセシルはキョトンとした。クロウもセシルが、怪我をしていないと分かり首を捻る。二人の周りにはもう、真紅と言っていいほどの湯が漂っている。
「じゃぁ。これは一体誰の・・・ん?」
「ひぃ!!副船長さん、あれ見て!!!!」
薄紅色の湯がなにやら、自分達の周りで無く、もっと奥の方から流れてきているのに、同時に気が付いて、奥の方へ二人は同時に視線を向けると・・・。
「うおっ!爺さん―――――――――――――――――?!!」
「うわああああああああああああああああ!!おじいちゃん船長さん!?どうしたのぉおおおおおおお」
二人の視線の先には、同じ湯に大量の血液を湯に滲ませて、俯せに倒れて浮かんでいる老人船長の姿があった。慌てて駆け寄って、血の湯と化した温泉からクロウとセシルとで、老人船長を引き上げる。ユージン船長を見ると、全身真っ赤に染まり、顔は鼻から出血した大量の鼻血で、もっと紅く染まっているという、なんとも言い難い、ある意味殺人現場並みの怖さを醸し出していた。
体を仰向けに横たえたユージン船長は、『青春・・・青春すとらぁ~いく~』などと譫言を呟いていたが、何の事だかわからない二人だった。
もう二人は、小説に例えるなら、うっかり小旅行で出くわした殺人事件、目撃者の主婦の気分だ。
「とりあえず、セシル。オマエは着替えて大急ぎで、バルナバスとミゲルを連れて来い」
「わかった!」
「じいさんは、俺が脱衣場まで運ぶ!」
横たえた老人船長の首裏に腕を廻し、膝裏にも腕を廻す、いわゆる姫様抱っこ(見た目には介護)でクロウは、静かに脱衣所を目指して歩き出した。
「うん、待てって!!すぐに呼びます」
セシルはそう応えて、クロウが脱衣所に入れるように、ガラス戸を全開にして駆け込む。
そうしてバルナバスの部屋を目指し、タオルで素早く体を拭いて、浴衣を着こんで全速力で走り出したのだった。
全速力で水夫長達への部屋を、迷子にもならず辿り着いたセシル。扉にノックし起きて貰おうとしたが、早朝だ、起きる気配も無いので、激しくノックを繰り返す。
だが、昨日は宴会で二人とも、お酒をたらふく飲んでいたので、熟睡しているのはあたりまえだった。セシルは、どうしたものかと思い、何気なしにドアノブを廻すと、鍵がかかっていなかった。そのまま、セシルは失礼します!と扉を勢いよくあけて、バルナバス達の部屋に駆け込んだ。
しかし、セシルは慌てて駆け込んだものだから、急いで着込んだ浴衣の長い裾に見事、自分の足で踏んで転び、今度はバルナバスの寝ている布団の上へ思いきりダイブしてしまった。
「うー、鼻打った・・・」
セシルは鼻を押さえて、布団の上から起き上ると、水夫長を見るが、それでも、水夫長は熟睡しているらしく起きる様子はない。緊急事態なので、とにかくも、起そうとセシルは必死にその場で叫んだ。
「バルナバスさん!!ミゲルさん!!起きてくださいっ」
布団越しにペシペシと叩いて、何とか振動で起そうと試みると、水夫長の瞼が薄らと眠そうに開いた。うっとバルナバスが瞳を瞬く。そうしてバルナバスが、突然眼を覚ませば、眼の前には半泣き顔で、浴衣も帯は閉めているが羽織っている様な、はだけた姿のセシルが自分の布団の上に乗っかている。
「う・・・おっ!セシルゥ~~~?!!坊主どうしたぁ?!」
ガバリ!!と、勢いよく起き上がる。その姿を見た瞬間、バルナバスの意識は一気に覚醒した。バルナバスは、昨日の何かあったらすぐに助けを呼べと言った、事が現実になったのか?!と激しく頭痛がする。
「うーん、なんですか・・・朝早くから・・・」
横隣りで寝入っていたミゲルも、バルナバスとセシルの声で、眼を擦らせて起き上った。
そしてバルナバス達を見ると、ミゲルも『え?!』と驚いた表情で固まる。
セシルはミゲルの声に申し訳ないと思いながら、それこそ緊急事態なので二人に何とか、風呂場まで来てもらうために、慌てて事情を説明する。
「すみませんっ!でも大変なんですっお爺ちゃん船長が、お風呂場で鼻血どばーっで!副船長さんが、お姫様抱っこで!!!」
・・・が。混乱していたために、うまく説明しきれていなかった。
「おぉう??セシル落ち着けっ、なっ?」
バルナバスは布団から這い出て、セシルの肩に手を置いて、軽く叩き落ち着かせる。先ほどのセシルの言葉から察するに、クロウが何かセシルに嫌がる事でも無理意地したのかと、思ったがどうやら違うらしい。少しほっとするバルナバスだった。
飄々とミゲルも、セシルの言葉に安心したのか、お姫様抱っこの方へ興味を向けた。
「副船長がお姫様抱っこですか~、そこのところ詳しくお願いします」
「いや、オイ。ミゲルよゥ・・・ソコはイイだろ。」
とりあえず、セシルさん浴衣をちゃんと着付けましょうね~と、ミゲルがどす黒い笑みで、セシルのはだけた着物を治した。バルナバスはそれを見て、うっと息を詰まらせる。後でミゲルがクロウに何かしないか大変心配だった。
それから半泣きになるセシルを、何とか落ち着かせて、『さぁ何があったのか』と問いただすと、それは年長者二人にとって意外な話だった。
「副船長さんと二人でお風呂入ってたら、お爺ちゃん船長さんが先に入ってたみたいで・・・のぼせて鼻から尋常じゃない血がどばーって!!」
そう言いながら、尋常じゃない鼻血の量を思い出し、セシルは不安になる。
しかし、バルナバスとミゲルはセシルの話を聞いて、何故老人船長が鼻血を出してのぼせたのか、その原因が、何となく推測できてしまって、軽く溜息が出た。
そしてその後に、年長組二人は顔を見合わせる。
『え・・・、二人で?』
セシルが二人で風呂に入ったという単語を、脳内で後に拾い上げて、水夫長と航海医師は鈍器で頭をぶつけた様な衝撃が走った。『え?!君ら何時の間に、そんな仲になったの!!』と、喉までその言葉が出掛かった。そんな二人の心境も知らずに、セシルはうええ・・・んと、遂に半泣きから本泣き一歩手前で、
「とにかく男湯に来てくださいっ~!!」
お爺ちゃん船長が死んじゃうよ~と、二人に追いすがった。
「お、おう・・・わかったぜ!」
セシルの必死の形相に二人は、頷いたのだった。
「え、ええ、急ぎましょう、セシルさんも一緒に」
「はいっ」
バルナバスとミゲル、セシルは早朝から、風呂場を目指し部屋を去ったのであった。
その頃・・・。
ルシュカは布団から目覚め硬直する。
「な、なんで猿が・・・・」
震える声でそう言うも、誰も答えない宿の一室。
何故ならば、彼、狙撃手ルシュカの泊まった宿部屋は、二人部屋だからだ。
自分の布団には、昨日大暴れた野生の猿が、自分真横で寝ているのと、布団からはみ出て寝ているルーヴィッヒの姿がただそこに在る。
なんで?!俺ってばどうしちゃったの!!いや、まてまて・・・俺はあのまま、気絶してって、ああぁ~~~~夕飯食いっぱぐれたぁ?!!!もう朝じゃん?っていうか、なんで猿も一緒に・・・俺、ルーヴィッヒと寝かされてるんのっ?!誰か答えをくれよ!!つーか、この猿なんでいんの?もう訳わかんないんですけど?!もう訳分からないんですケド!!
あと、なんで猿は俺の布団で一緒なの?ナニ?そういうプレイ???おっぱらったんじゃねーの、ねぇ。誰かぁあああああああああ応えてくれよ!!!!あークソ!誰かぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!こんな俺を助けてくれよぉ――――――――っ、だから、なんで猿が居るんだぁああああああああああ?!!!
ルシュカは頭をガシガシと掻き乱し、現実に打ちひしがれて布団の中で悶える。
頬をつねっても、鼻を摘まんでも、夢から覚めない。
だから、これは現実。そう、現実なのであるという事を知る。
「な、なんでだぁあ―――――――――――――――――――――?!!!!」
早朝、五時。琥珀石月 七日 快晴
キイィヤァ――――――・・・・その日、ルシュカの声なき声が鳴いた。
急いで水夫長と航海医師が、駆けつけた男湯の脱衣所には、すでに老人船長が丁寧に寝かせられていた。しかしまた鼻血の量が半端なく、仰向けに寝かされている老人船長の、髭や顔にこびり付いた血痕、寝かされている周りの床にも、ぼたぼたと血だまりが出来ていて、年長組二人の予想を超えた惨事になっていた。たかが、のぼせただけの鼻血と侮っていた二人は、これには肝を冷やし、セシルが半泣きになるのも分かる様な気がしたのだった。老人船長を運んだクロウ副船長は、運んだ際鼻血が腕や胸にこびり付いて、一仕事終えてきた、暗殺者のごとき状態だった。(この状態を見たセシルは、青褪め恐怖によりまた叫んでいた)それでも加えて、クロウはいつもの冷静さを失っていなかったので、凄いと言えばすごいのだろう。彼は老人船長をミゲルたちに任せて、血を洗い流しに風呂へ無表情のまま行ったのである。航海医師ミゲルが、殺人現場さながらの中で、老人船長を診れば、やはりのぼせて、鼻の毛細血管があちこちで切れただけによる、大量の鼻血が出ただけの事だった。
水夫長が氷水を貰いに行き、セシルとクロウ、ミゲルは団扇で老人船長の体を扇いで、落ち着いたところ。水夫長と副船長が、老人船長を担いで、今現在、老人船長は水夫長と航海医師の部屋に静かに寝かされている。
身体を休める為に宿に泊まっているはずなのに、昨日の猿事件からちっとも体が休まらないバルナバスとミゲルだった。
「はっあぁ~~~~~こう静かに酒を楽しむのもイイねぇ~~~~」
団扇で扇ぎつつ、障子を開けた窓枠に腰を掛け、ワインを飲み干すバルナバス。
「そうですねー、見てください朝陽に浮かぶ、上弦の月が綺麗ですよ」
その横で障子を開き朝日に輝く白い月を、麦焼酎片手に眺めるミゲル。
「・・・・・・ンで。なんで二人は俺の部屋で飲んでるんだ。年長者組はちゃんと部屋あるだろ。」
憮然とその様子を立ち尽くし、壁にもたれ掛かり静観するクロウ。
あの後、あまりに朝が早いため、各自部屋に戻る事になったはずだが・・・。
憂さ晴らしに副船長の一人部屋に上がり込んで、年長者二人は持参の酒を楽しんでいた。
「そんな、水臭い事・・・ねぇ?」
クロウの言葉に、ミゲルは飄々とそう言ってバルナバスに同意を求める。
「そうだぜぇ~クロウ、お前も付き合えや」
プハーっとワインボトルをラッパ飲みして、笑らって懐からスペアの酒瓶を差し出すが、眼が笑っていない。その様子を静観するクロウは、眉間に皺を寄せる。
「・・・何が言いたいんだ。二人とも。」
クロウが見るからに、二人の年長者の背後にどす黒い渦が、渦巻いているように感じた。
その様子から、問題点は自分に合って、おそらくクロウにとって面倒なお説教が来る、と予想が出来てしまい頭痛がする。
「ちぇっ、お前さんには、誤魔化しはきかねぇかったか~」
「ですよね~」
大げさに、肩をすくめる二人。煮え切らない言葉の応酬である。奥歯にモノが挟まった言い方と言うのはこういう事なのかと、一人クロウは思った。
「だから、何が言いたいんだ。オマエ等。」
クロウがそう声音を落として聞けば、
「セシルの坊主の事よぅ」
「セシルさんの事ですよ」
「なんでハモる必要があるんだ?!」
予想した通りの言葉で返された。
しかも・・・ピッタリ息の合った練習したかのような言葉で。
「クロウお前ぇー・・・、本当に朝、何もしてねぇーだろーな?」
バルナバスがクロウに、がっしりと太い腕を廻して詰問する。
「・・・?どういう事だ。」
物凄い眼光で、クロウを問い詰めるバルナバスに、クロウは首を傾げる。何を言っているのか本当に分からない。朝、己はセシルに何もした覚えはない。しいて言えば、浅い湯に連れて行ったぐらいだ。
「バルナバスさん、この副船長の顔では、良くわかっていないようですよ?」
完全に眉を寄せて、何の事を言われているのかわからないと、言った風の副船長に、ミゲルは眼鏡を上げてバルナバスに眼を配らせる。
それを受け取ったバルナバスは、
「お前ぇ、セシルに夜這いなんかかけてないだろーな」
クロウの両肩にバンッと音を発てて手を置くと、ギラギラした怒気を含んだ眼光を向ける。バルナバスの言葉に、さすがに合点がいってクロウは大変焦った。精神的にも、自分自身を追い詰めそうなセシル相手に、そんな事はできないし、そんな事をすれば、ショック死しそうな勢いのセシルだ。それは自分の望むことは違う、それに肉体だけが目当てじゃないのだ。クロウにとって、これはとんだ誤解である。
「ちょ、ちょっと待った。それはバルナバス、かける筈なかろう。オマエ等、俺をどういうふうに見てんだ?!」
思わず声を荒げてそう抗議すれば、ミゲルとバルナバスは顔をゆっくり見合せ。
「どうって・・・ねぇ」
「なぁ」
またクロウを見ると、同時に口を開いた。
『そういう風に見てる。』
肩を同時にすくませて。
「・・・だから、何故ハモるんだ。」
お気楽航海士、狙撃手より、この大人達の方が、よっぽど性質が悪いのではないか?
クロウは、頭の隅でそう思った。しかし、そんな大人達の話はまだ終わらない。
「だいたい、二人で朝風呂って、ねぇ―――――バルナバスさん」
クロウの先ほどの言葉に安心したのか、ミゲルは少し毒気を消して、人差し指をバルナバスに差し出す。
「おう、怪しいよな~ミゲル」
そう応えて、バルナバスも差し出された指に、自分の人差し指を引っ付ける。
「違う。偶然だ。断じて違う。俺が先に入ってて、後からアイツか来ただけだ。」
低い声で噛んで含める様に断言するクロウ。そんなクロウを、面白そうに見やった年長者。
『あやしいぃ~~~~~???』
「聞けよ!!だから、あとなんでハモるンだよ?!」
人差し指を引付け合って、同時に言う水夫長と航海医師。この年長組二人、非常に面倒かつウザイ。完全に珍しく遊ばれるクロウだった。
「えぇ本当に?」
「ミィ~ゲェ~ルゥ~。オマエ、もう酔ったのかよ!!」
にこやかに微笑みを向けるミゲルに、クロウは持っていた酒瓶をひったくった。そんな二人の横で、バルナバスはワインを全て飲み干して豪快に笑う。
「まぁまぁ、からかうのはこの辺りにしてぇ、本題といこうや。なぁクロウ」
「いや。オマエ等。今のでも十分、本題ぽっかったぞ。」
あらぬ疑いが晴れたわけだが。
酔っ払いの大人の相手は大変疲れる、クロウはこの言葉を胸に刻み込んだ瞬間だった。
蒼い月を眺め、窓の縁に腰かけて、バルナバスは声を静める。
遠くの方では、鳥の鳴き声が響いていた。
「なぁ、クロウ。お前さんセシルの右肩の傷みたか」
「・・・見た。」
その傍で畳に座り、浴衣の袖下で、腕を組んだクロウが静かに応える。
「正しくは、右肩から首の付け根、襟足にかけての傷跡ですよね」
そのクロウの正面に、ミゲルが座り眼鏡を上げる。眼鏡の奥の蒼い瞳は、どこか鋭い。
「あの坊主、俺らと出会う前は、本当に下働きだけか。」
「そうとしか聞いていない。」
「あの傷は浅いですけど、下手をしたら死んでいた。しかも傷の痕から見ても、私が見たところ四か月程前でしょうかね。」
憮然と応えるクロウに、ミゲルは飄々とセシルの体にある傷の説明を加える。脱衣場で昨日セシルの体を見て、観察力の鋭い医者でもあるミゲルは的確な情報を二人に伝える。
「俺らと出会う丁度前だなぁ。」
顎を擦りながら、バルナバスは酒を一口含んだ。そしてちらりと、クロウの黒い瞳を見る。
「傷跡から見て、ナイフか何かの鋭利な刃物。後は背中と腰に、もう殆ど見えなくなっていますが火傷の痕。」
飄々と告げるミゲルも、クロウを静かに見ていた。クロウはその二人の視線を受け止めて、軽く溜息を吐いた。この水夫長と航海医師が言いたいのは、自分たちが出会う前、セシルの生活の事である。クロウも先ほど気が付いて、内心かなり気がかりだったのだ。
バルナバスとミゲルは、セシルの首の傷と不自然な火傷に気が付いて、どんな生活をしていれば、こんな傷を受けるのだと驚いた。
「ミゲルがなぁ、あの火傷の仕方は不自然なんだと。お前ぇなら、言われんでも見極められると思ったんだが。敢えて言わせてもらったぜ」
遅かれ早かれ、クロウには相談するべきだろうと、思っていたので今がいい機会だったのだ。ただの宿の下働きでは、到底あんな虐待のような傷、持つはずがないのである。しかも、セシルが言うには親戚の宿で働いていたと聞いているから尚更、クロウもバルナバス、ミゲルも心配だった。それにその親戚の宿はジェーダイトだ、もし虐待で無ければ、よからぬ輩の仕業だ。そう言う輩の溜まり場に、セシルがごく近くに居る環境ならば、セシルに聞き出せれば裏で手配できる。
「傷も火傷も知っていた。だからと言っても、俺にどうしろと。アイツの過去が気になるんだったら、自分で聞くんだな。生憎。俺にもアイツはそこまで自分から話さねーよ。」
あの時セシルは、クロウの眼をしっかり見ていても、頑なにそれについて口を割らなかった。むしろ、平然としていて自分の事の様に思っていない節も、セシルには見てとれた程だった。
「やっぱり、話してもらえてないんですか」
落胆の溜息を吐いて、ミゲルの表情も曇った。クロウの事情を知っているミゲルも、クロウならセシルに何か聞きだせていると踏んだのだ。バルナバスもミゲルの隣で、窓縁に座り眉間を寄せている。
「聞いてみたんだが、うやむやにされた。下手に聞けば、アイツを追い詰めるからな。それ以上、聞けなかったのもある。」
深く溜息を吐きながら、クロウも眉間を寄せる。今はまだ、聞き出すべきではないだろう。
もし下手に聞けば、本当にセシルは追い詰めるだろう。結局のところ、まだ時期をみて、少しずつ聞き出すしかない。
バルナバスもミゲルもそれを聞いて、そうするが得策と頷いた。
やきもきする三人に、冷えた秋風が吹き抜けて行った。
その頃の狙撃手は・・・今。
「う~、寝覚め悪いぃ・・・・風呂入ってサッパリするか」
廊下に出て男湯をめざし歩いていた。
「なんかもう、猿なんてどうでもいいや・・・はは」
そう自暴自棄に一人笑って、ふらふらと、足元がおぼつかない状態で、男湯と書かれた暖簾をくぐる。脱衣場に入り、藍色の浴衣を脱ぐ。そして手ぬぐい片手に、露天風呂に脚を向けかけたその時。
点々と、どす黒い水滴が、脱衣所の床、露天風呂に続いて落ちている。不思議に思って屈み、それに手を這わせると、鉄さびの匂い。
「え・・・ナニコレ?・・・・血だ」
一人、薄暗い脱衣所に血痕。
半ば嫌な気分でルシュカは、立ち上がる。背中には嫌な汗が、だらだらと流れてくる。
だれかが、鼻血を出してのぼせたんだ・・・きっと、そう。だからここで、昔に殺人現場があって、殺された奴が幽霊になって出てくるなんてそんな訳ないよな!!!朝だし!!
などと、半ばその推測は的得つつ、恐怖と戦い自分に言い聞かせていた。
そして意を決して、ガラリと引き戸を開け、露天風呂へ脚を踏み入れると・・・
其処には、大量の夥しい血だまりが広がっていた。
よく見れば、一か所だけ妙に赤い風呂もある・・・。
え、何コレ、もしかして血の池風呂?鼻血でこの量はあり得ない・・・つーことは、幽霊?!!怪奇現象!!ルシュカの恐怖が爆発する。
「きぃいいやぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
狙撃手ルシュカの恐怖の絶叫が、露天風呂に人知れず轟いた。人知れず二次災害勃発。
これぞルシュカにとって、怪談肝試し大会のトラウマの再発だった。
早朝、五時半。琥珀石月 七日 快晴 露天風呂にて、合掌。
早朝に衝撃的な時間を過ごした彼らは、そのまま各部屋で、朝餉の時間まで起きて過ごしていた。セシルは浴衣を脱いで、長ズボンに白いシャツ、濃紺の羽織に袖を通し普段着に戻った。蒼い石の装飾の指輪を中指に嵌め、部屋に立てかけていた杖も取り出す。美しい杖を撫でると、冷やりとする気持ち良さが伝わる。こんな高そうな魔術道具、いつも思っているけれど、自分には釣り合わないんじゃないかな・・・。自分のチカラに、ペルソナさんと、怖い副船長さんの二人組は褒めてくれるけれど、チカラは術者の心の反映でもある。僕にはいつも何も無くて、誰かに優しくされないと、その分だけしか優しくなれない。醜い自分のチカラが、普通の人以上なら、それは・・・僕の心がかなり狂暴であるんじゃないのかな。魔術の講義を受けて、そう理解できたけど、僕にはこのピアスや指輪、杖も不釣り合いだよ。魔術師になるのが夢だったけど、家族に会えないままなんて、意味がないもの。今日はじっくり下調べして、逃げる時にはこれをちゃんと置いて行って逃げよう。それまでは、人生初めての贅沢な物だ、ちょっとだけ名残惜しいから持っていよう・・・こういう時って、貧乏が身に染みているなぁ・・・と思うけど、うん、罰は当たらないよね?
「セシル?どうしたの・・・」
背後から小さな声をかけられて振り向くと、リオンが眼を擦りながら、布団から起き上っていた。
「ううん、ちょっと早起きしちゃったから、荷物整理してたの」
思考の海から這い上がり、セシルはリオンに向き直ると、ごめんね、起した?とリオンの頭を撫でた。白い雪の様な白銀の髪を撫でると、リオンは嬉しそうに、きゃーっと嬉しそうに笑う。よく見れば、来ていた甚平がめくれあがり、お腹が丸見えだ。
「あらら、お腹出してると、風邪ひくよ~、ほらこちょ、こちょ、こちょ~」
「うひゃぁ~あははは~」
藍色の甚平を着たリオンは、無邪気に子犬みたいに布団の上で転げまわっていた。セシルも、つい無邪気なリオンにつられ、追いかけて転げまわる。そうして遊びながら、セシルはふと思う、リオンは拾い子だが、あの温かい人々に囲まれていれば、大丈夫だろう。育ての親である副船長は、怖い印象の強いヒトだが、リオンを気にかけているのは、見ていても分かる。それに無茶苦茶だけど、陽気なお兄さん達や、頼りになる大人も多い。母性は・・・うん、料理長もいらっしゃるし、僕と離れてもすぐに忘れてくれるだろう。あまり、魔物と仲良しな自分が居ては、幼いリオンにも影響が出るかも知れない。そうならないようにしなくなくては・・・でないと、きっと自分の様に・・・・・・・・・・・・・。
セシルは先ほどの露天風呂で、クロウに自分の傷を聞かれた事を、思い出し首を振った。
セシルはリオンから手を放すと、
「う~・・・セシルだけ、ずるい!!」
突然そう言いだすと、リオンはセシルの脇腹をくすぐり始めた。
「うわ~ひゃひゃ!こしょばいよ~」
今度はリオンにくすぐられ、布団の上を転げまわるセシルだった。そうしていると、時間と言う物は早く経つ、じゃれ合っている二人の部屋の扉にノックが響いた。
セシルが扉を開けると、宿の使用人だった。用件を聞くと、朝食の用意が出来ているので、身支度が整い次第、昨日と同じ宴会場に来る様に、丁寧に伝えられた。セシルはそれに、丁寧に礼を言い、部屋の扉を閉めた。その後、部屋のリオンと共に、備え付けの洗面台で顔を洗い、リオンの着替えを手伝い終わると、二人は昨日の朝食の席へ向かったのだった。
琥珀石月 七日 快晴
青春じゃ・・・
青春ストライクなんじゃ・・・
若者とは初々しくていいのぅ。
儂も若い頃は、嫁さんと仲良く愛の大冒険したもんじゃぁ・・・
青春ストライク~
船長 ユージン・クルー
ブラックパール号航海日誌
朝食の場は、いつも通り元気で賑やかだった。
「クロウや~、お醤油とってくれんかのぅ」
もしゃもしゃ、もぐもぐ、口に漬物を、白飯を茶碗に握りしめて、老人船長が息子に卓上にある刺身醤油を催促する。
「へいへ。爺さん。塩分取り過ぎは良くないってつっただろ。あまり、かけるなよ。」
「しょ、しょんな!クロウや~酷いっ!!年寄の楽しみを削るなんて」
「いや。削ってねぇから。むしろ健康にいいからな。」
完全に祖父と孫な会話を繰り広げながら、クロウは近くにあった醤油を渡す。
そのクロウの横では、水夫のアンリとジョセフが、同じ顔で朝食を食べつつ、首を傾げていた。
「バルナバス兄貴~なんで朝からそんな酔ってんだ?」
「うるせぇ~酔ってなくちゃ、やっていけない事があったんだよ!」
アジの開きを口にくわえながらな聞くアンリに、バルナバスは涙目でグビグビ水を飲み酔っている。向いに座るミゲルは事情を知っている為、やんわりと窘めに入る。
「まぁまぁ、アンリさん、そこは触れないでくださいよ~ふふふふ」
「げ。ミゲル先生まで、酔っていらっしゃる・・・」
なにげに、ミゲルも通常より顔色が赤い。ジョセフはそれに、気が付いてこれは、あまり深く聞かない方がいいな、とアンリと顔を見合わせた。そのミゲルの傍では料理長が、ばっちり顔にメイクを施して、味噌汁と言う、スープを飲んでいた。
「うふっ美味しいわ~しあわせ~」
(オイシイ~♪さて今日はお土産メグリするものネ~♪)
相当今日は気分が絶好調なのか、七色の鳥の羽が飾れた派手な仮面を着けた、ペルソナもご機嫌に、煮物に手を伸ばしている。
「セシル、この漬物おいしいね!」
「リオン君、漬物だけ食べたら駄目だよ?塩分濃いんだから、ご飯と一緒にね」
「はーい」
漬物ばかりを食べているリオンに、注意しながらセシルも、温かい豪勢な朝食を味わっていた。こちらも、関係は真逆だがクロウと同じ意見のようだ。そして、お調子者二人はと言うと・・・。
「よーし、よーし、アルキデル☆俺の刺身は、お前と半分個な!」
「キキッ♪」
ルーヴィッヒは寝癖も直さず、畳に座り朝食をとっている。そして隣には、野生の猿も器用にフォークを持って、並べられた朝食を食べている。航海士と猿は、昨日の戦いで、すっかり友情を育んだらしい。アルキデルという名前まで付けているし、己の刺身を、半分個するまでの仲にまでなっていた。
「うっうっ・・・ううう、だからなんで猿が一緒なの?なんで、みんな猿を受け入れてるの?そして何で、猿は俺とルーヴィッヒの間に居るの?昨日の必死に止めに入った俺は、ここの仲間にとってなんなの?ねぇ・・・誰か答えてくれよ」
そしてその猿の横では、航海士の相方であるルシュカは、両手で顔を覆いつくし、もはや鬱状態に入ってしまっている。
「なんだ?ルシュカ~泣いてるのかぁ???おかしな奴だな~飯食うと気分も良くなるぜっ☆」
「キキ~☆」
「・・・・・ううう、ルーヴィッヒのアホ!お前の所為だよ!!馬鹿!」
わっと泣き叫ぶ尻尾髪の青年は、そのまま畳の上で座ったまま、上体が俯きに崩れ落ちた。
なんとも哀れな姿である。
「なんだよ~変な奴だな~☆」
そんな相方を心配するでもなく、呑気に変な奴と一括りにする航海士。彼はもう少し、相方を心配した方がいい。
「な・なんて、不憫な・・・」
その様子を目撃してしまったセシルは、思わずぽつりと声を漏らした。その声を聞いていたのか、リオンは無邪気にセシルに言い放つ。
「セシル、いつもの事だからほっとけばいいんだよ!」
・・・いつもの事なんだ。だからってアレは、酷いと思うんだけど。セシルはそう思いながらも、幼いリオンが、こんな辛辣な言葉言うはずない、と予想して聞いてみた。
「それ、誰が言ってたの?リオン君」
「おじちゃん!」
「あぁ、そ、そう・・・」
ズズズ~と味噌汁を豪快に飲み干すリオンの横で、セシルはやはり・・・親の存在って偉大だなぁ・・・と遠くに意識を飛ばして、熱いお茶を飲み干したのだった。リオンの親であるクロウは、老人船長の食べこぼしが激しいので、ついに自前のハンカチを前掛に、首元に装着させている最中だ。
その様子にお茶を飲みながら、どうしてこんな隙だらけの副船長に、自分は逃げられないんだろう、セシルは自分の情けなさに少し泣けてきたのだった。
琥珀石月 七日 快晴
今日ハ、お土産をいっぱい買う日!
私のお父さんが、好きなミタラシ団子を買っていこうかな?
名産のお面も観ようっト♪
お父さんには、ナニを買っていこうカナ~?
フフフ~ン♪
楽士 ペルソナ
ブラックパール号航海日誌
「え―――――。今日の夕方六時に、当番の者は、船に見張り置いている奴と交代。昼飯は此処の旅館でもとれる。だが各自、外で食べてきてもよし。六時には旅館に戻れ。では自由時間だ。・・・・・・解散。」
『ハ―――――――――――――――――イ』
豪奢なシャンデリアがつられている大広間には、水夫達の野太い声が、副船長へといい返事で響いている。いつもの様に、低い抑揚の無い声で淡々とそう告げ、まっすぐ伸びた長髪に、黒衣のロングコートとズボンにロングブーツと言う姿。その暗黒副船長が片手に持っている、白い紙きれには『旅のしおり』と筆で書かれてある。
格好は恐怖の海賊の頭そのものなのだが、『旅のしおり』により引率の先生感が出ていて、緊張感に欠ける姿だった。説明している副船長の横では、にこやかにユージン船長も並んで立っている。セシルは入った事はないが、学校の校長先生と担任の先生が並ぶ、朝礼と呼ばれるものだろう・・・・・・この状況は。
宿の館に着いての説明を聞いている中、『やっぱり引率の先生じゃないかっ!!』心の声をなんとか喉に、押しとどめるのに必死になったセシルだった。
最後の解散のお言葉により、ぞろぞろと預けていた靴を皆受け取り、湯煙の館『ライラック・アメジェスト』を後にした。
「セシル!セシルも一緒に僕とお店見よ~」
「うん、いいよリオン君。一緒にお菓子のお店見ようか」
「やった!」
広い玄関で靴を履きながら、リオンがトテトテと歩き、セシルの胴に抱きついて来た。
幼いリオンと一緒に、この町を見て回るなら、逃亡経路も難なく見つかりそうだ。セシルはリオンの小さな手を繋いで、ジャパリアの町へ足を踏み出した。
(・・・・・・で、何故こうなるの?)
二人で一緒に・・・と町を見て回る筈だと思っていたのだが、セシルの目の前には予期しない第三者がいる。その第三者は、リオンのお財布係兼保護者として、宝石さながら色とりどりの飴細工屋に入り、リオンに水飴を勧めている。
「リオン。こっちの水あめの方が、うまそうだぞ。イチゴ味だ。」
「イチゴ!」
子供に夢と希望と言う名のお菓子を売っている菓子屋には、似合わない海賊の副船長が、可愛らしい硝子瓶に入った、紅色水あめを手に取って見せている。当のリオンは、イチゴ!と言って喜んでいるが、店内の他のお子様は青ざめ、(一部泣き叫んで)そそくさと出ていった。セシルはその店内の様を身近に感じ、心の中は氷河期に入っている。あぁ、創造神エルハラーン様、どうかこの眼の前の光景、どうにかならないでしょうか・・・。店の店主のおばさんも、笑顔だけども顔色が悪いです。贅沢はいいません、ここに居る暗黒副船長さんを、僕から引き離してください。引き離していただくだけでいいです、他は何も望みません。セシルは無意識に、手を組んで一人静かにひたすら祈っていた。そんなセシルの祈りは、一向に届かず・・・。
「セシルは何味がいいんだ。」
無表情にリオンの育ての親、クロウがイチゴ味とオレンジ味の瓶を両手に持って、佇んでいた。・・・祈りも届かないときはあるようだ。
「あ、じゃぁ僕も、イチゴ味で」
セシルは何時もの死んだ眼をして、イチゴ味の方を指さす。他にも緑色や青色といった、食べ物ではありえない色が、瓶詰めされて棚に陳列されているのが見える。どうせなら、一番ありがちな赤色の方がまだいいかと、セシルは思いイチゴを選んだ。足元では、リオンがおそろい~♪と言ってはしゃいでいる。その時ばかりは、子供って無邪気でホントにいいなぁ~・・・少しだけ、今現在逃亡への挫折感に悩まなくていいなと、セシルはリオンを羨ましく思った。
するとクロウが、水飴瓶を二つ持ち、店の奥の陳列棚を見て、二人にこっち、こっち、と手招きする。リオンが気付いて、セシルの手を引いてそちらへ向かう。
「リンゴ飴もあるぞ。」
数多の菓子が並ぶ店内の狭い通路を、二人で歩き辿り着くと、そこには生の林檎に、木の棒をぶっ刺して、紅い飴をコーティングさせた菓子が大・中・小に並んでいた。
「林檎に飴が絡めてあるんだ・・・へー」
セシルの祖国、ガンダルシアにはない斬新な菓子だ。生の林檎をまるまる飴で包む発想は、この北の地方ならではだろう。リオンはその後、小さいリンゴ飴をクロウに買ってもらい、終始ご機嫌だった。セシルはその様子に、複雑な心境を抱きながらその店を三人で出ると、町の建物の並び、大通りの位置、方角を記憶にとどめておこうと、クロウに悟られない様に、町の外景を眺めていた。ジャパリアの町では、やはりミゲルやクロウの北地方の民族が圧倒的に多いのだろう、セシルの様な灰色の髪や、航海士の明るい金髪碧眼の西地方の者は殆どいない。皆一様に、蒼や黒の癖のない髪に、瞳の色は深い蒼、黒、だ。なので、セシルやリオンが珍しいのか、通りを歩いていると、必ずと言っても人目についてしまうようだった。中でもガンダルシア人が、珍しいのか何件目かの土産物屋では、何故か知らないが、店主に握手を求められた。
セシルがそうしてリオンとクロウと共に、沢山の土産物屋で菓子を買い、大通りへ出た頃。
聴いたことのある声が、通りの曲がり角からセシル達を引きとめた。
「あ!いらっしゃった、いらしゃった~セシルさーん」
ヒラヒラ手を振って、こちらに向かって来たのは、セシルにも見覚えのある人物だった。セシルは眉を寄せて、考えるとクロウ副船長の従弟だとか言っていた・・・
「え?あ・・・旅館の支配人さん?」
セシルは名前がどうにも思い出せないので、旅館の支配人としか呼べなかった。ただセシルは、女性に間違えられたという印象だけは、やたら脳内には残っていたが。
「チェスター・リーフ・オールベインで・す・よ♪」
そう言ってチェスターは、にっこり優雅に会釈する。突然の従弟が普段来ない市井の場所へ、自ら脚を運ぶとは急用か?とクロウは、怪訝に思いチェスターに問いかけた。
「どうした。チェスター何か用事か。」
「クロウには、別に用事はないです」
「きっぱり言い切ったな。オマエ。」
チ・チ・チ!人差し指を振り、あっさり言いきった財産管理人の従弟に、クロウは不機嫌に眉間を寄せた。クロウはこの従弟の要件が別の人物なのに、気が付いて正直に厄介だな。今からでもその耳障りなさえずりを止めてやろうか。と半ば物騒なことを考え出した。
「私はセシルさんに用件があるんですー」
そんなクロウの物騒な考えを露知らず、チェスターはまたセシルの杖を、握っていない手を取って優雅に微笑んだ。
「よ、用件ってなんですか?」
手を取る鮮やかさに内心驚いたセシルだが、用件の方が気になり首を傾げ尋ねた。
「はい!昼食なのですが、ご一緒にいかがです?よい料亭をいくつか知ってますし」
「はぁ?昼食ですか・・・リオン君と今日は一緒にするって約束が・・・」
本来セシルは自分から手をつなぐ事はあれど、あまり手を握られたりするのは、(リオンなど親しい人物はいいが)正直言って気持ち悪く感じ苦手だった。それに、クロウの従弟と言えども、いい人なのだろうけど、会ったばかりでよく知らない人だ。あまり話す話題も無いので、あまり一緒にも居たくない・・・。それに今日はリオンと昼食をとると、約束しているのである。一応、申し訳ないですがと、断わりをセシルは言いかけると、
「では♪リオン君もご一緒で、どうでしょう~?」
チェスターは微笑みを崩さず、小さなリオンにも笑みを向ける。
「どうする?リオン君」
そう言われてしまえば、セシルも断る理由も見つからないので、リオンに聞くことにした。
するとリオンは、クロウのロングコートを握って、無邪気に応えた。
「セシルが良いならいいよ!おじちゃんも一緒にね!」
「でかしたリオン。つー訳だ。よろしくな。」
ズビシ!と小さな人差し指をたてたリオンを、クロウはそう言って抱き上げて、頭を撫でた。そのリオンの頭を撫でるクロウの顔は、かなり凶悪な笑みを浮かべている。セシルはその顔を見てしまい、連続幼児誘拐犯を思い浮かべてしまった。
「・・・・・・わ、わっかりましたよ!もうっ」
その従兄の凶悪な笑みを向けられて、タジタジになりチェスターは、渋々四人で昼食をとる事にしたのだった。何を食べようか~などと、呑気な話をしているリオンとセシルの背後では、上品な微笑みと、凶悪な笑みを無言で向けあった、(町ゆく人々が遠ざかるほど怖い)二人の男の姿があった。その二人の間には、視えない火花が散っていると言っても、過言ではないだろう。
「うわー何だか、火花が散っちゃてますねぇ~」
「ミゲルよぅ~、アイツ等大丈夫かねぇ・・・セシルの(精神)負担にならなきゃいいが」
「青春じゃのう、ほほほほっほっほっほ」
「じいさん、今日は朝からそればっかりだな・・・」
それを偶然出た先の店の前で、目撃してしまった航海医師、水夫長、老人船長。
朝からちっとも休めなかった年長組が、のほほんと生温かく見守っていた。
大量の地元名産の酒瓶を銘々抱えて・・・。
琥珀石月 七日 快晴
今日はダーリンとお買いものよー♪
ダーリンがアタシに、似合う着物を買ってくれるんですってーキャー!!
メイクはばっちりだし!
アタシ、今日も輝いてるわー♪
もちろん、ダーリンが一番輝いてるけど!
いやん、今から楽しみ~
(以下、数ページに及ぶ料理長の報告の為、あえなく省略)ヒドイ!byモーリス
料理長 モーリス
ブラックパール号航海日誌
お昼を過ぎた、日が少し傾いた頃。
「セシルさんは魔術師なんですね」
セシルの杖を見つめ、チェスターは紫水晶の眼を細めた。
「えーと、一応見習いです」
「一応な。」
セシルがそう応えると、後からクロウも一応、と付け加える。クロウからしてみれば、セシルは魔術師も飛び越えた賢者に匹敵する者だったからだ。
枝垂れた枝の木が植えられている、全て木材にて建てられた、北方建築の店構えが素晴しい料亭。その料亭で、もちろんチェスターの奢りの下、昼食を食べたセシル達は、観光地を案内すると言うチェスターに従い、ジャパリアの町を歩いていた。
リオンはお腹いっぱい食べた為か、今はセシルのポケットに常備してある、おぶい紐に括られて、セシルの胸の中で眠っている。本来ならクロウが、抱えて歩くところなのだが、昼前に買った多くの土産物を持っているのと、リオンの要望もあって、セシルがリオンを抱っこしている状態になっていた。石畳の美しく整備された町の道を、チェスターに連れられて三人がついて行けば、ジャパリアの町の観光名所、睡蓮園に一行は辿り着いた。
「こちらがジャパリアの有名観光地、睡蓮園でございます~♪」
他の観光客もちらほら見える中、その睡蓮園には、セシルは見た事も無い、大きな池に緑の円の葉と、可愛らしい白と桃色の花が浮かんでいた。池には彼方此方に、木組みの桟橋も架けられていて、大きな池の景色を楽しめるようになっていた。
「うわ・・・綺麗な花ですね。水の上に花が浮いてる・・・」
セシルはその景色に、思わず魅入ってしまった。ガンダルシアにも花々が咲く島国だが、こんな花は咲かない。物珍しそうに眺めるセシルの横でクロウが、端の上で屈んで、傍に咲く花に触れる。
「睡蓮といって、朝方に花を咲かせる浮草だ。スイレン目、スイレン科、スイレン属、被子植物。主に夏に咲く。まぁ、今もまだ暑いから咲いているんだろう。種類によって今の時間でも、花を咲かせるものもある。花の色は、白、ピンク、紫、赤・・・だったか。」
「へぇー・・・」
まるで生き字引の様な説明だよ・・・セシルは池に架けられている桟橋の上で、白く浮かぶ花を見つめながらそう思った。傍に居たチェスターでさえも、漆黒の従兄を『コイツ、事典かよ!』と横目で、秀麗な眉を難しそうに寄せ見つめている。
そんな微妙な空気の中、睡蓮を眺めるセシル達に、向こう岸の橋からあっ軽い声が呼びかけられた。
「お――――――――――い☆センチョー!セシルー!!」
「もうっダーリン!そんな大声出したら、恥ずかしいわよっ」
大声を出さなくても、十分恥ずかしい。バカップルの航海士と料理長が、来なくてもいいのに腕を組んで、セシル達の下へ歩いて来た。その二人の足元には、航海士の友アルキデルも猿歩きで付いて来ている。
ブンブンと手を振って、クロウに寄る航海士と料理長に来ると、もう目も当てられない程、統一性がなく非常に濃い、怪しい集団が出来上がってしまった。
只でさえ、非常に浮いた存在のクロウと、珍しいガンダルシア人のセシルと、子供のリオンがいる中、加えてゴツイ化粧を施したオネェと、腕を組んで歩く顔はいい金髪碧眼航海士。もっと言えば、+(プラス・)α(アルファ)で、野生の猿付きだ。
観光名所より、他の観光客は、その怪しい集団に眼が釘つけになってしまう。セシルとチェスターの耳には、遠くの方で子供が指をさして、母親に窘められている声も聞こえる。
琥珀石月 七日 快晴、ただし心は曇り空
ああ、創造神エルハラーン様。
僕の逃亡計画はことごとく、崩壊していきます。
何故、ここまで怪しい集団になってしまったんでしょうか?
僕には、分からない事が多すぎて、頭が破裂しそうです。
今腕の中で眠る、リオン君だけが唯一の癒しです。
あ、睡蓮っていう花が綺麗だな・・・(以下現実逃避)
セシル
セシル心の日記より
「なぁなぁ!!ここの池は他に何が咲くんだ☆」
「えェーっと、たしか、初夏には池の端には菖蒲、水芭蕉が見ものです・・・」
馴れ馴れしく、へらりと人好きのする笑顔を見せて、ルーヴィッヒがチェスターに質問攻めをしつつ桟橋を歩いている。質問を受けているチェスターは、これで完全に、セシルと仲良くなれるきっかけが無くなり、げんなりしながらも、商売柄なのか、丁寧に説明して先頭を歩いていた。
その背後では、副船長と料理長がヒソヒソと、セシルに聞かれない様会話していた。
「ねェ・・・ちょっと船長、セシルちゃんにアレ渡したの?」
アレとは、モーリスがクロウの恋愛相談に、今度はセシルの髪を飾るリボンを送ってみてはどうかと、クロウがモーリスと悩みに悩んで、先の町で買ったプレゼントの事である。
「まだだ・・・従弟が邪魔でな。」
ッチと舌打ちをしながら、クロウは前を歩くチェスターを顎でしゃくる。それを聞いて料理長も、あぁと頷き、頬に手を当てちらりっと池を見つめた。
「あらぁ~残念。あのカボチャ坊ちゃん、この池に突き落とそうかしらねェ」
「モーリス。いい案だが、この池は深い。やめておけ。」
やんわり言う料理長に、クロウは意外に止めに入った。
「あら、船長?優しいのねー」
普段の彼なら、いい案だな、と頷くところであるのに・・・モーリスはクロウも大人になったのねェーと感心した。だが、しかし副船長はそうでもなかった。
「違う。やるなら完全犯罪だ。」
此処は人目があるだろう?と、邪悪な薄笑いを浮かべていたのである。
「・・・そ、そう。」
「キキ!」
あらやだ・・・副船長、眼が本気よ。モーリスは一人心の中でそう思った。滲み出る殺気を、見なかったことにするモーリスと、アルキデルであった。
当のセシルはと言うと、ぼんやりと美しい華に見とれて、少し遅れて桟橋を歩いていた。
すやすや眠るリオンの頭を撫でて、セシルは睡蓮の花の匂いを堪能する。
そんな時である、一行が向かう先から、
「きゃぁあ―――――――――――――――――」
甲高い絹を裂くような悲鳴が上がった。睡蓮池の奥にある林の方から、突然あげられた悲鳴に驚いた一同は、何事だと、ぎょっとして立ち尽くした。それと同時に、
「不死者だッ!」
恐れ戦く男の悲鳴や、子供の悲鳴が次々に睡蓮園に響き渡った。
「死肉喰い(ル)がいるぞ!なんでこんな昼間に!!」
「魔物だ!」
よく見れば、五体の赤紫色に腐った死体が、腐臭をまき散らし、昼間だと言うのに、観光客の前に姿を現わしていた。
子供を抱えた女性が、腐りきった動く死体に、腕を噛みつかれていれば、男性客も護身用の銃を片手に、不死者に弾を撃ち込み交戦している者もいる。断末魔の叫びを上げ、逃げ惑う観光客達の姿がセシル達の目に飛び込んできた。
「モーリスさん、リオン君をお願いっ!」
セシルはおぶい紐を素早く解き、眠っているリオンをモーリスの腕に預けると、杖を握って駆けだす。
「ちょっと、セシルちゃん!?」
「ええええ?!セシルさん!?」
駆けだしたセシルの背後では、リオンを抱えたモーリスとチェスターが、危ない!!と制止する声が掛けられたが、セシルの耳には届いていなかった。
セシルの眼には、今にも池に落ちそうになっている、追い詰められ腕を負傷しながらも、子供を庇っている女性の姿が映っていている。
そしてセシルが駈け出したと同時に、クロウも腰に帯刀している刀に手をかけ、航海士を呼ぶ。
「俺らも行くぞ。ルーヴィッヒ!」
「アイ・サー!!」
力強く上司の声に応えると、こちらも腰に携えた剣を抜き、漆黒と共に桟橋を駈け出す。
普段不真面目な航海士も、この緊急事態には、真剣な顔つきで眉を寄せる。
不死者と呼ばれる、魔物は死体に憑りつき、徘徊する姿無き弱い魔物だ。死肉喰い(ル)は、その中でも突出して、生者の生命エネルギーに惹かれ襲い、新しく死んだ者の体に残ったエネルギーを喰らう魔物である。しかしこれらは、太陽の光に弱く昼間に姿を現わす事は無い筈だ。行動するなら、日が落ちた真夜中である。こんな昼過ぎの太陽の下、真っ只中に不死者や死肉喰い(ル)の出現は明らかにおかしい。しかも町の外れといえ、どの町にはエルハラ教による教会の者がしっかり、魔物除けの術を施されている。
クロウもルーヴィッヒも、セシルの背中を追いかけつつ、不可解な魔物の出現に懸念に思う二人だった。クロウは心の中で、魔術を使える幼馴染を、心術をもって言葉を伝える。
『――――――――仮面!!北東の方角、睡蓮池に来いっ―――――緊急事態だ』
自分もセシルも術を使えるが、もしもの時の為に一人でも術者は多い方が良いと、クロウは考えて、遠く離れた幼馴染に応援を頼んだ。仮面の楽士なら、影法師を駆使し、最速にこちらへ来ることも可能だ。
遠く離れた向こうの地を目指し、必死になって走るセシル達だが、セシルの目の前には、死肉喰い(ル)に跳びかかられている初老の男性も、交戦していた若い男性も、弾が切れたのか鋭い爪で引っ掛かれ、断末魔が上がり、鮮血が緑の大地に散っている。このまま走っても間に合わない!!助けるために走っているが、手に届く範囲に辿り着けるまでが、もどかしい。焦るセシルは、必死に走りながらそう思っていると、子供を抱えた女性に、もう二体の死肉喰い(ル)の腕が伸びていた。泣き叫ぶ女性は、子供だけでもと己の背後に隠すが、もう地面はなく深い池が広がっている。母親を泣いて呼ぶ子供、母親である女性は必死になって腕を払い、我が子を庇うが今にも二人とも池に落ちてしまいそうだ。
このままだと、二人とも死肉喰い(ル)に殺される!!セシルは心の中で叫んだ。そう叫ぶと共にもう体は動いていた。そのまま一気に、大気中の風と己の精神を同調させる。
「疾走させよ!」
そう小さく叫ぶと、セシルの視界は急に狭くなった。だが次の瞬間、女性と子供を標的にしている二体の死肉喰い(ル)の背後に、セシルの脚が地面に着いた。
「いっ?!うええええセシルが消えたぁ!!!」
忽然と面皰を走っていたセシルが、消えて向こう側に瞬間移動した事に、ルーヴィッヒが眼を点にして、走りながらも驚きの声を上げる。
「風を詠唱なしで渡った!?」
桟橋の上では影も無い為、影法師を使用できないクロウも、走りながらも声を上げる。クロウには闇、影、魔と言った術の属性にあるが、他の属性術の知識にも長けている。クロウには瞬時に、セシルが風と同調し、風に体を乗せ向こう側に渡ったのだと理解した。
しかしその速さは、一般の魔術師が執行する速さとは異なり、神業級の駿速さだった。
二人が驚きつつ全速力で桟橋を走る中、セシルは二体の死肉喰い(ル)を睨み付ける。
セシルの生ける存在に、反応した死肉喰い(ル)は、緩慢にセシルの方へ脚を向け、腐臭漂う腕を振り上げる。むっとした独特の甘い嫌悪感を催す、肉の腐臭。溶けた体には、白く蠢く蛆が集っている。それをセシルは瞳を半眼にし、すごみ杖を両手に構える。
形無きエネルギーに縋る魔物の姿が、入れ物でしかない死体と二重にセシルには視えた。セシルは素早く、術を発動させる。水晶が嵌め込められた杖頭に、大きな白銀に輝く光の球が浮かぶ。
「光の(・)硬球!!」
そう叫ぶと輝く光の球は二つに分かれ、二体の死肉喰い(ル)の体に激突する。激突した光の球は、死肉喰い(ル)に当ると同時に、白銀に煌めく炎に姿を変え、死肉喰い(ル)を浄化の炎が呑み込んでいった。
バシュウゥッ・・・!!見る間に消し炭にされ、跡には何も残らないほど、滅された死肉喰い(ル)を見届け、セシルは確信を得る。太陽の下で、活発に行動する死肉喰い(ル)に、聖なる太陽光を凝縮させた光の(・)硬球は効果が無いのではないかと、セシルには不安がよぎっていたのだ。だが光の(・)硬球が効く事それは、凝縮した術であれば不死者や死肉喰い(ル)を滅する事が出来るのである、迷う事も恐れる必要は何もない。
「早く桟橋の方へ!!」
呆然と佇む親子に、セシルは桟橋の方へ指をさして誘導する。
「ありがとうっ」
セシルの声に、我に返った女性は我が子を抱きかかえて、桟橋のモーリス達の下へ走り去っていった。親子が桟橋の方へ走り行くのを、セシルは横目に振り返る。
背水の陣のごとく、必死になって剣を振るい、その場に居た他の女性達を守っていた、初老の男性も地面に倒され、肩を不死者に食らいつかれている。交戦していた若い男性も、弾が切れたのか鋭い爪で腕を引っ掛かれ、必死に二体の死肉喰い(ル)から逃げつつ、攻撃をかわしている。その光景を見つめセシルは一人頷くと、目標へ意識集中させる。そして三体もの不死者の方角へ杖を向け、セシルは光の(・)硬球を放った。
ドンッ、ドンッ、ドンッ、光の球が見事三体の魔物に当り、バシュウゥッと音を発てて、灰になり消えた。
辺りの緊張が、一気に解けて静けさがその場に戻る。聞こえるのは、人々の荒い息使いだけだ。
「うおっ☆セシルすげェ――――――――――――!!!」
ようやく桟橋を渡り終えた、ルーヴィッヒ達が子供を抱えた女性の腕に、自分のシャツを裂いて応急処置しつつ、セシルの方へ振り向き嬉しそうに歓声を上げた。
「大丈夫か。」
クロウは静かに、セシルに駆け寄る。
「こっちは大丈夫です、でもあっちの男の人達が、酷い・・・死肉喰い(ル)は爪と牙に毒を持っています・・・早く治療術師か医者に二人を診せないと」
死肉喰い(ル)には、魔物特有の毒があり。多少の傷であれば、体が痺れるなどの毒なのだが、毒を受ける量が大きいほど、傷口は腐り肉が落ちる事もある。女性はともかく、男性二人は傷も深い、一刻も治癒術に長けた術師、医者などに診せる必要がある。
「あぁ。分かった。ルーヴィッヒ」
セシルの言葉に頷いて、クロウは未だ荒い息の初老の男性に近寄り、立てるかと無表情に聞き肩を貸す。そして航海士に声をかけると、
「おう☆わーってるって!」
ルーヴィッヒも腕を負傷しつつ、勇敢に闘ったもう一人の若い男に駆け寄る。
怪我人をそれぞれ伴い、セシル達は桟橋の方へ一旦集まる。極度の緊張から解け、皆くたくただった。そのまま、隠れていた他の女性と子供を連れて、セシル達は桟橋を渡り、モーリス達の所へ戻ろうとしたその時だった。
オォオオオ~ン・・・オォオオオ~ンオォオオオオォオオオオォオオオ・・・・・・・・
背後の林の中から、底冷えする様な唸り声が聞えてきたのだ。
「な、なんだ?!」
ルーヴィッヒがその唸り声に、反射的に振り向く。すると林の影からユラユラと揺れる、腐臭を漂わせる大勢の死肉喰い(ル)の姿が、朱い眼をこちらに向けて迫って来ていた。
それを見た一同は、全身に寒気が伝う。子供達はその恐怖に泣き出してしまい、負傷している男性も、うっと、青ざめ絶望を感じた。
「ルーヴィッヒさん!ルーヴィッヒさんは、皆を向こう側まで先導してください!無事な方は怪我人に手を貸して、彼の指示に従って逃げて!!」
「え?!おおうっまかせとけ☆~ってぇ、セシルは!!!」
セシルの声に応え、男性に肩を貸しながら歩き出す航海士は、セシルの方へ振り向いた。
初老の男性は他の女性に肩を貸され、子供を連れて必死に睡蓮園の入り口を目指して、逃げ出している。
「僕はこっちで、出来うる限りくい止めます。」
セシルはまた杖を握り、大勢の死肉喰い(ル)達に杖を構え、林の奥前を見据える。
「俺もここに残る。ルーヴィッヒ、オマエはモーリスと合流して、教会の僧侶、神官、警備兵すべて呼んで来い。」
刀を抜いてクロウも、航海士に告げると前を見据える。クロウの言葉に、ルーヴィッヒは静かに頷きモーリス達の下へ向かった。
ざっと見たところによると、死肉喰い(ル)の数は五十少し・・・。クロウは意識を辺りに張り巡らせる、仮面の楽士の気配も近い。ペルソナの到着まで、セシルと二人でなんとか、持ち堪えられなければこのまま町に流れ込むだろう。それだけは、避けなければならない。
クロウとセシルが桟橋を下りて、それぞれの獲物を構えた。
林の奥から、ザワザワ・・・ザワザワ・・・人で無い呻き声と、影が揺らめく。
「・・・・・・・チッ。来るぞ!!」
クロウが叫ぶと、その不気味な腐臭の林から、一体の死肉喰い(ル)が飛び出してきた。
クロウは刀を構え走り出し、横一文字に死肉喰い(ル)の頭を一閃する。
「なんでこんなに・・・浄化の煌めきよ!!光の(・)硬球」
クロウに切り離された、腐った頭が宙に舞う中にも、林からぞろぞろと死肉喰い(ル)が、セシル達をめざし迫ってきた。セシルは迫りくる動く死体に光の(・)硬球を喰らわせ、消し炭にする。それでも迫りくる死肉喰い(ル)の群れに、クロウは頭と身動きが取れない様、脚を狙いながら斬り込んで行った。先ほど頭を切り離した死体は、まだ手足を動かし地を這いずりまわっていた。死肉喰い(ル)は通説ならば頭を吹き飛ばせば、憑りついた魔物は活動を維持できなくなり霧散し、動きは止まる筈である。クロウはこの異様な魔物の再生能力に、目聡く気が付いきて、なるべく脚と頭を切り離す戦法をとった。
ブシュッツ!!バシュウゥ・・・ッツ、腐った肉を斬り刻む音が生々しい。濁った肉片に、蛆虫が共に飛び散った。クロウは振り降ろされる、死肉喰い(ル)の爪を踊っているように猫の様なしなやかな動きで避け、そのまま躊躇も無く刀で腕を切り落とし、首を切り払う。
「炎よ!地を這い我に立ちはだかる愚者を焼き滅ぼせ!!火炎龍」
クロウが交戦している背後では、光の(・)硬球では数で太刀打ちできないと思った、セシルが紅蓮の炎が龍に姿を変えて、あらゆる者を焼き尽くす炎の術を放っていた。
大きな火炎の龍は、クロウの背後に迫っていた、数十体もの死肉喰い(ル)を喰らい、火焔が放つ轟音と共に消し炭にしていった。
「よし!火炎魔術は効く・・・うわっ」
セシルは杖を握り、もう一度火炎魔術を放とうとしたその時、セシルの斜め後ろから、鋭い爪が振り降ろされた。いつの間にか、一体の死肉喰い(ル)がセシルに迫っていたのだ。セシルは間一髪で避けたが、そのはずみでセシルの足が地面を滑りセシルの体が倒れた。
「セシルッ!」
クロウは急いでセシルの下へ戻ろうと、刀で立ちふさがる死肉喰い(ル)共を一閃する。
「・・・・・・っつ!このっ」
ガシッ!!!!
セシルは覆いかぶさって来た、死肉喰い(ル)の爪を、持っていた杖でなんとか受け止めた。
しかし、力は断然魔物の方が上である。そのままお圧し掛かられる形となって、今度はセシルの首に牙が迫ってきた。
ガァアアアア・・・腐った臭いを放ち、肉が落ち目玉が無い顔が迫る。
「どけぇええええ――――――――ッ、闇よ走れ!暗黒の(・)闇波動!!!!」
クロウがそう怒気を含ませ刀を、ザクッと切っ先だけ突き立てる。すると群がる死肉喰い(ル)を、一直線に地面から這う暗黒の闇の刃に貫かれ、真っ二つに魔物の体が割れた。クロウは行く手を阻む者を一掃し、林を駆けセシルの下へ急ぐ。
草が多い茂る地では、セシルは必死に堪えていた。
「・・・・・・った!噛まれてたまるかぁ・・・!」
ガチガチ!!歯を鳴らし迫る死肉喰い(ル)の顔が迫るが、セシルは杖を必死に持ち、何とか押し止めていた。ここで自分が倒れれば、桟橋に魔物が町に雪崩れ込む事になる。あの副船長でも一人でこの状況を、くい止められるとは到底考えられない。ここは自分が踏ん張れなければいけないのだ。セシルはグッと腕に力を込めて、死肉喰い(ル)を押し上げる、そして僅かにあいた間を使い、セシルは脚を上げて押しかかっている死体の体を、力の限り蹴り上げた。
「やぁっ!」
蹴り上げ後ろへ倒れた、死肉喰い(ル)からセシルは素早く立ち上がり、杖を振り降ろす。そしてセシルは、死肉喰い(ル)を一瞬にして炎にくべた。ほっと息を吐くも束の間、セシルのすぐ近くの周りには、ぞろぞろと七体の死肉喰い(ル)が迫って来ていた。セシルは荒い息の中、意識を集中し術を放とうするが、それより早く鋭い爪が、セシルの肩に振り降ろされようとしていた。遠くの方で、クロウのセシルを呼ぶ、叫び声が聞こえた。
それを見ていたセシルは、あぁ・・・間に合わない、とぼんやりと思った、そして来るべき痛みに、備えてギュッと眼を瞑る。が、セシルが構えるも痛みは一向にこない、恐る恐る眼を見開けば、そこには腕を振り上げたまま静止する魔物の姿。
(遅れてごめんネ、二人トモ♪)
静止した死肉喰い(ル)の背後には、細糸を長い指に巻き付け握り込んだ、燕尾服姿のペルソナが立っていた。ぐいっと蒼く冴えた糸を、握り込んでペルソナは構えると、この場に残る全ての死肉喰い(ル)が動きを止めた。
「仮面ッ!!」
「ペルソナさん?!!」
突然現れた仮面の楽士の登場に、セシルは大層驚いたが、林を必死の形相で駆け下りて来たクロウは、幼馴染の登場に安心してほっと息を吐いた。
セシルはすくっと、立ち上がりそのまま魔物から離れると、ペルソナの傍に寄り添う。ペルソナが指に巻き付けている、細く青光りする糸を凝視すると、それは林の奥に複数に伸び、眼の前の七体の死肉喰い(ル)にも、よく視れば糸が体のあちこちに巻きついて、動きを封じていたのだ。セシルは目を凝らして、林の奥を見ると、奥に居る魔物全部の動きが止まっている。
(――――――――傀儡の(ネッ)糸・第二楽章、銀死の円舞曲――――――――。)
仮面の下の冴えた青の瞳がカッと見開き、細い腕を自身の胸の前でクロスさせる。すると、死肉喰い(ル)を捉えていた青白い糸が、さらに静かに銀色へ輝いた。グォオオ・・・と、魔物が苦しそうにもがき呻き始める。
(―――――――――――――――――――闇は闇に散れ、さようなら。)
そうペルソナは言い放つと、クロスさせた腕を広げ、張り巡らせた銀色に光る糸を一瞬緩めると、一気に握り込んで締め上げた。
ビィイ―――――――――――――――――――ン!!と糸が張る。
その途端全ての死肉喰い(ル)達から、青白い炎が上がり全て霧散し、跡形も無く消えてしまった。もうどこにも、魔物の気配はない・・・セシルは口を開けて、その鮮やかな瞬間を見届け呆然としたのだった。
呆然唖然とするセシルの横では、遅れて駆け付けたクロウに、熊の人形を掲げて、ペルソナが大層ご立腹していた。
(ふゥ~間一髪だっタ~、もうックロウ~なにやってんノ!!)
「うるせぇっそれより、オメーも来るのが遅ぇぞ!!」
やや息切れ気味にクロウが、セシル達の元へ戻ると、幼馴染に駄目だしをくらう。
セシルは二人の黒の、やり取りを聞いてほーっと息を吐いた。そしてセシルは、実戦での二人の魔術師と、一般の魔術師達の、格の違いを身に染みて感じたのだった。ペルソナの洗練された術、そしてクロウの術力を乗せた刀捌きに、セシルは冷や汗が出た。
そうしてセシルが、ペルソナ達を見つめていると、今度はなにか自分たちの背後、大きな睡蓮園の池の底から、禍々しい魔物独特の気が微々たるものだが、心の隅に感じられた。
セシルは、まだ何かいる?!!と池の方へ振り向いた。
それを余所に、仮面の楽士と副船長は、一息ついたセシルを見て、桟橋に脚を踏み出す。
(とりあえず、モドロ~♪)
「そうだな・・・ひとまず、モーリス達の下へ」
と言いかけセシルの方へ視線を向けるクロウ。しかしそのセシルの、顔色は青ざめていた。
「ふ、副船長さん・・・まだ、何か、何かがこの池の中に居ます!!!」
(えェ?!!!!)
「なんだと?!」
セシルの震える言葉に、バッと睡蓮が浮かぶ池を振り返る。その先には、モーリス達に手を引かれ、やっと桟橋を渡り終えそうな航海士達の姿があった。
「みんなが危ない!!」
「・・・クソッ!走るぞ」
クロウとペルソナ、そしてセシル、三人の魔術師は、急いで桟橋へ脚を向け駆け出した。
「頑張れ、あともう少しで、町に入れるからなっ☆」
「あぁ・・・ありがとう」
人が二人ほど通れる幅、長い桟橋の上をルーヴィッヒは、若い男に肩を貸しながら歩いていた。途中モーリス達と合流し、チェスターは一足先に町の警備隊へ走って行き、応援を読んでもらっている。モーリスはリオンと荷物を抱えたまま、襲われた観光客達の手を取り、怪我人が居る為ゆっくり桟橋を渡っていたのだ。
「さっ早く!!こっちよ!町に入れば安心よ」
ようやく睡蓮園の入り口が見え始め、モーリスは脅えた子供たちを、安心させるために、にっこり微笑みながら先導する。
「うわ~ん、こわいよぅ」
「うぇぇぇん・・・」
しかし、先ほどから子供達の恐怖は消える事無く、すすり泣く声が響いていた。予期せぬ魔物の襲撃に、子供たちの心の傷は浅くはなかったようだ。
「さぁ、泣かないで行きましょう、母さんがいるでしょう?」
子供の母親の一人が、泣いている我が子にそう言い聞かせて、桟橋を渡る足をせかそうとすれば・・・
「このお姉ちゃんが恐いよぅ~~~~!!!」
びえぇええええんと、子供たちはモーリスを指さして泣き出した。案外、その心には余裕があるのかもしれない。
「・・・まっ!失礼しちゃうっ」
指をさされた料理長も、思わぬ子供たちの告白に、乙女心にひびが入る。だが、魔物よりオネェが恐いと言えるなら、まだ子供たちの心は大丈夫か、とモーリスは何処か安心して、苦笑いを零した。
そして、子供たちの言葉を聞いて、緊張していた大人達も少し心根が和らいだのか、クスクス・・・と笑い声が漏れた。
「ほら!みんなあと少しで、こわーいお姉さんから、解放されるからっ☆頑張ろうな~」
「ダーリンッ!!」
へらりと笑うルーヴィッヒに、『は~い』と子供たちの元気な声が返ってくる。普段のご陽気航海士の、この明さはこの状況下では非常に助けになった。完全に元気を取り戻した、子供たちは脅えもせず、桟橋を歩いてくれる。ルーヴィッヒとしては、副船長達が踏ん張っている今、なんとしてもここの観光客達を、安全な場所に届けるのが自分のやるべき事だった。後、五十メートルちょっと・・・。ルーヴィッヒは桟橋を、渡り終える距離を測る。
もう少し・・・ルーヴィッヒが、セシルやクロウの遠くで聞こえる声に、焦りながら後ろを振り向かず、桟橋に一歩踏み出すと、―――――――――――その瞬間。
グラグラ・・・グラ・・ガタッガタタタタッタタタッタ・ガタッ!!!!!!!
タタタタッタタタグラグラグラグラ・・・・グラグラッツ!!!!!!!!!!!!!!!
頑丈な桟橋が小刻みに音を発てて、揺れ動きだしたのである。
「きゃぁあああああ」
「うわっ・・・・」
「な、なんだ?!!!」
桟橋が動く振動に、ルーヴィッヒ達は翻弄されて、悲鳴を上げて蹲る。
「危ないっ!みんな早く、桟橋の端に掴まれ」
ルーヴィッヒが叫ぶと、皆はそのままうずくまりながら、桟橋の端をしっかり掴む。かなりの揺れと振動が襲う池の上。足元がおぼつかなくなり、立ってはいられず、みんなは池に落ちない様、桟橋に必死にしがみついた。ガタガタと揺れ動く桟橋は、少しすると動かなくなり、何事も無かったかのように静まり返った。辺りには美しい睡蓮が咲き誇る池が広がっている、その光景は一見美しいと思えるが、今はその美しさが逆に何処か不気味に感じる。
ルーヴィッヒは肩を貸していた若い男に、眼を配らせる。男もルーヴィッヒと同じ考えのようだ。お互い頷くと、ルーヴィッヒは腰にさげている拳銃を男にゆっくり渡す、そうして自分は左腰から剣をすらりと抜いた。モーリスはそれを見届け、唇に人差し指を宛て、皆にゆっくり桟橋を渡る様にリオンをぎゅっと抱く。そして初老の男性に手を貸していた女性の片腕に、手を伸ばしてそっと橋を渡る。他の女性達も子供達と手を繋ぎ、ゆっくり、静かに音を発てずに歩き出した。
『――――――――池の中に、魔物がいる―――――!!』
橋を慎重に渡るルーヴィッヒ達は、ドクドク高鳴る心臓の音を感じ、その言葉を喉に飲み込んだ。
「弾は・・・」
静かに拳銃を構える男がそう、小さくルーヴィッヒに聞く。
「八つだ」
こちらも静かに剣を構え、ルーヴィッヒは答えた。案に無駄な使いをすると、肉弾戦になると示唆するように顎をしゃくる。
「わかった」
若い男も言いたいことが、分かったのか頷き、未だ引っ掻かれた腕から血が伝う傷口を見る。肉弾戦となれば、桟橋の狭い場、腕一本ではこちらが不利だ。
二人は背中合わせに横歩きで、モーリス達の後を歩く。慎重に、気を周囲に張り巡らせる。
ごくり・・・ルーヴィッヒは、生唾を飲み込んだ。もはや、鳥の声さえ聞こえない、異様な雰囲気が池に立ち込めていた。
「ひゃっ」
すると、ルーヴィッヒ達のすぐ前を歩いていた、小さな子供が悲鳴を上げた。
「いやぁああ!!!!助けて」
ルーヴィッヒが慌てて子供の体を引き寄せれば、グンッと反対に強い力で引っ張られた。力の先に目を向けると、藻が絡んだ泥の大きな手が、がっしり子供の足を掴んでいる。
「こンのっ!放せっ」
ルーヴィッヒは脅える子供を片手で抱き込みながら、子供の足を掴む泥の手首を剣で叩き切った。グチャッと、泥が飛び散り泥の手は桟橋の上で、もとの泥に戻った。
「みんな走るのよ!」
モーリスが素早く、手を引いて陸を目指し走り出した。ドタドタと一目散に陸を目指し走る、その音に気が付いたのか、池に潜む魔物は次々と姿を池の水面に現わした。
子供を片手に抱えたルーヴィッヒと若い男は、走り出したモーリス達と離れてしまい。
その間の桟橋の上に、ベチャベチャと音を発てて池から這い上がって来た、人型を模した泥の魔物が立ちはだかった。
もう陸に着きそうなモーリス達より、魔物はルーヴィッヒ達に狙いを定めたのだろう。
足を止めたルーヴィッヒ達の背後にも、泥の魔物が這い上がってきていた。完全に退路を断たれたルーヴィッヒは、うっと息を呑む。
「泥人間・・・」
若い男が銃を片手に唸った。ジリジリと、距離を詰められルーヴィッヒと若い男は、背中越しに構えた。
「どうする・・?来るぞ。」
ゆっくりと迫りくる、泥人間の頭部に、男は拳銃の標準を合わせる。
「俺があの泥人形をなんとか、あの場から退かす・・・だから、あんたは、そのままこの子抱えて走れ!もし、・・・逃げてる間、池から泥人形が出てきたら、迷わず足を狙って撃って走り続けろ。」
ルーヴィッヒは子供を降ろすと、剣を横向きにすえ前を見据える。鮮やかな緑の眼差しは、強く闘志を孕み輝く。男は頷くと、後ろ手に子供の手を引いた。
「君は・・・君はどうする?!」
男の問いに、ルーヴィッヒはニヤリと笑った。
「俺?俺はさぁ~副船長の頼みがあっから☆ここで・・・・・・踏ん張るんだ!!」
ダンッそう言うや否や、ルーヴィッヒは前方に迫る泥人間の胴へ、横一文字に斬りかかった。
ぐちゃり。藻が絡んだ泥の体が崩れ、桟橋の上で傾いで、池に再び上半身だけ大きな音を発て、落下していった。
「今だ!行っけぇ――――――――――――――――――☆」
あっ軽い声が叫ぶと、男は子供抱えモーリス達を目指し走り出した。そのまま男は、拳銃の引きがねを離さず、逃がすまいと泥の手が伸びる桟橋を駆ける。
「ぐぉおおおおおおおおおおおお―――――――――!!!!!」
若い男が吠え、ダンッダンッと、男は脚を阻む泥の手を正確に撃ち抜く。後、一歩で陸に辿り着く!!その時、子供は脅えて、男の腕の中で泣きじゃくっていた。
ダンッ!これで残り弾数は一つ。男は桟橋から顔を出した、泥人間の頭部を吹き飛ばす。そして若い男は、命かながらモーリス達が居る町の入り口まで走り込んだ。
「さぁて☆・・・船長が来るまで、退路を守りきるぜ!!」
男と子供が無事に桟橋を渡り切ったのを見届けて、ルーヴィッヒは剣に着いた泥を払った。
片袖のないボロボロシャツの、胸元のボタンをはずしながら、右手に剣を縦に構える。白と薄桃色の花が浮かぶ池には、藻や水草が混じる泥の頭が、数体浮き沈みしながら、航海士の周りを取り囲んでいた。
ルーヴィッヒはその様子を、観察しながら泥人間達の弱点を必死に探っていた。どうやら泥人間にも眼があるのか、浮き沈みする頭には、ぽっかりと、骸骨の様に穴が開いてある。
「はは・・・これが、セシルの言ってた、狂った人間の魂のなれの果てか・・・そうだよなぁ、こいつらの雰囲気は、俺が知ってる魔物とは全然違うやなぁ~・・・」
ひしひしとルーヴィッヒの全身をかけめぐる、ルーヴィッヒを冷たい池底に引きずろうとする殺意。魂そのものを喰らおうとする、純粋な渇望と欲望が池の底から感じる。ルーヴィッヒは海に存在する人面鳥の魔物を思い出した、彼女たちは確かにセシルが言う、純粋に海に住まう誇り高い魔物だと痛感できる。何故ならば、この状況下に伝わる魔物の質は明らかに違う。人面鳥はむやみやたらに人間を襲ったりしない、彼女らは魂など眼中にないのである。ルーヴィッヒは人間の本質の一面を、覗き視た気がしたのだった。
べちゃり。くちゃ。ぴちゃべちゃ。
泥人間が桟橋に手をかけて、ゆっくり池から這い上がって来た。ルーヴィッヒにとって、この泥の魔物が力は強いが、素早い動きが出来ないのが救いだった。藻がへばり付いた泥が、汚らしくルーヴィッヒを求め、覚束ない動きで腕がのばされる。ルーヴィッヒは立ちはだかる泥の腕を、剣で打ち払い、回し蹴りを喰らわせ池に落とす。そして背後から、自分を狙って来る、泥の体を振り向きざまに、一文字に斬り体を真っ二つにする。
「へへっどんなもんだ☆」
すんっと、鼻を鳴らして、にやりと笑う。
すると今度は、泥人間達は一斉に、ずるずるずると、桟橋に向い這い上がって来た。
「うおっ・・・これはちょっと・・・ヤバ!」
その光景を見たルーヴィッヒは、素早く桟橋に上がってこようとしている魔物を、叩き切って打ち払う。しかし、泥人間は次から次へと、池の中から腕を、顔を出して蘇ってくる。これでは、きりが無い・・・。冷汗がじんわりと、航海士の米神を伝った、しかしここで己が持ち堪えないと、副船長クロウ達の退路を確保する事が出来ない。この広大な池を避けて池に沿って、草原を走って来たとしても、町に入るにはこの桟橋を渡るより時間がかかる。
何かないか?!何か!この泥人間の弱点は!!!焦るルーヴィッヒは、自分に襲い来る泥の首をふっ飛ばし、その体を足で前倒しにする。すると後ろに構えていた泥人間が、ドミノ状に倒れていった。仲間の重みで動けないのか、泥人間達は桟橋の上でジュウ~・・・と音を発てて、普通の泥に戻り動かなくなった。
「え?!なんだ・・・?」
桟橋の上では、人型を保てなくなって、白い蒸気を上げ普通の泥が、緑藻と共に広がっている。ルーヴィッヒはその状態を見つめ、『泥人間はあまり陸には居られない』と直感だがそう思った。試しに背後に迫る泥人間を、ルーヴィッヒはその両脚を狙い斬り払った。そして先ほどと同じように、桟橋に上に倒れる様に蹴り倒した。
すると物言わぬ泥人間は、後ろへ倒れ身動きもとれず、蒸気を上げ普通の泥に戻っていった。航海士は濃い緑の瞳を窄め、白く上がる蒸気を見てとって、日の光が弱点か・・・と心の中で呟いた。これなら、慎重に闘いさえすれば、こちらに勝算はある。ごくり、生唾を飲み込んで、ルーヴィッヒは喉を鳴らした。
ずるり。ずる。くちゃ。べちゃ、くちゃちゃく・・・。
水滴を滴らせ、また泥人間は、桟橋に上がってこようとしている。ルーヴィッヒは剣を構え攻撃に備えた、その時だった。池から伸びた泥人間の腕が、ルーヴィッヒの左足に襲いかかったのだ。
「!?・・・クソッ!」
脚を掴まれ、瞬時にその泥の腕を斬り捨てるが、いつの間にか、もう一体の泥人間がルーヴィッヒの目の前に迫って来ていた。ルーヴィッヒの剣を持っていた手を、力強く握りしめ、その握力に航海士は、剣を手から池に落としてしまった。
「しまったっ」
ルーヴィッヒはそのまま、腕をギリギリと握られ、宙に持ち上げられる。
「ぐっつ・・・ぐぅあぁっつあああ」
右腕の凄まじい痛みに、骨が軋み、ルーヴィッヒは顔を歪め苦痛に叫んだ。背後でも、ぐちゃり・・・泥人間が、ルーヴィッヒに腕を伸ばしかけている。
・・・・・・駄目だ、殺される!!!ルーヴィッヒは、絶望の淵に立たされた。
「当たれ!―――――――火炎球!!」
だが次の瞬間に、ルーヴィッヒの腕を掴んでいた泥人間の背中に、炎の球が当り見る見るうちに、泥の魔物は燃え盛り崩れ去った。航海士は急に放され、桟橋に尻餅をつく。ルーヴィッヒが桟橋に蹲り正面を仰ぎ見れば、セシルが杖を構え、クロウがこちらへ向かい走り込んでくるのが見えた。
クロウは懐から駆けつつナイフを取り出し、闇の術を執行する。
「深淵の闇に集う業の火炎よ。――――――――――焼き払え、蒼炎波!」
そう唱えると、ナイフは蒼白い炎を見る間に纏い。クロウはそのナイフを、ルーヴィッヒの背後に迫る泥人間の頭めがけ投げつける。ザシュッ!!見事に泥の頭にナイフが突き刺さった瞬間、泥の魔物は蒼い炎に巻かれ灰になった。
そして続けざまに、ペルソナが池から這い上がろうとする、複数の泥人間を全て、魔術の糸で括り付けた。
(――――――――傀儡の(ネッ)糸・第一楽章、線殺の舞踏――――――――)
無数の四方八方に伸びる魔術の糸は、仮面の楽士が片手で糸を弾くと、泡がはじけるかのごとく、破裂し泥が飛び散り粉砕された。
「ルーヴィッヒさん!大丈夫ですか?!」
「おう!セシル~、センチョ~、ペルソナ~すっげぇ~な☆」
セシルが駆け寄ると、ルーヴィッヒはへらりと笑って立ち上がった。どこもかしこも泥だらけで、酷いありさまだが怪我はないようだ。
クロウはルーヴィッヒ達の下へ、辿り着く前にも泥人間に襲撃され、術を各々使いながら、ここまで走って来たのである。なので、かなり時間が掛ってしまった。本当に間一髪という所で、間に合ってセシル達は一同、胸を撫で下ろした。静まり返ったもとの睡蓮園を、見渡してクロウは航海士に振り返る。
「皆はどうした・・・。」
「なんとか無事だぜ☆」
航海士が親指で向かう先を示せば、クロウはその方向を見ると、心配そうにモーリス達が、町の入り口で待機している。無表情に見詰めるクロウに、チェスターが一足先に、教会の神官や、警備兵を呼んでいると、ルーヴィッヒは説明を加えた。
「じゃ、早くコノ橋、渡ったホウがイイネ、まだ何か居る気配スルしネ」
それを聞いていたペルソナは、熊人形を掲げ、鋭く辺りを見渡す。もう、池にはブクブクと、まだ何か居るのだろう・・・どこかしらに気泡が出ていた。水面に禍々しく、泡が浮かんでは弾ける。
「ええ、そうしましょう」
セシルはその光景を見てそう言うと、クロウ達も静かに頷き、桟橋を走り陸地を目指した。
不気味な泡が浮かぶ、睡蓮園を無事に走り渡り切ったクロウ達は、町の入り口で待機しているモーリスの下へ急いだ。後は登りの石階段だけ・・・クロウ達は、魔物の気配を感じつつ草原をひた走る。木々に囲まれた自然の睡蓮園と町の入り口には、あの先に子供抱えて逃げおおせた、若い男がルーヴィッヒ達を待っていたのか、白い石階段を下りて駆け寄ってきた。
「大丈夫かっ!」
腕に包帯を巻いた、若い男がルーヴィッヒの顔を見て、ホッと息を吐いた。石階段の上では、モーリスと、猿のアルキデルが手を振っている。
「おう!でも、まだ池には何か居るみたいだぜ」
ルーヴィッヒはモーリスに手を振りつつ、若い男に向き直ると、池の方に視線を向ける。
睡蓮池には、まだ何か異様な雰囲気が漂っており、魔物が姿を現わさないものの、不気味な静けさだけが残っている。
「死肉喰い(ル)は全滅させたがな。」
若い男はその池のありさまを見ていると、今度はクロウの方へ視線を向ける。
「いま、教会の僧侶と警備兵が着いたところだ・・・だが」
「どうした。何か問題があるのか。」
クロウは若い男の視線を、受けて眼を細めた。
「この町には、教会はあっても、神官がいない・・・僧侶の方も一人しか・・・私が見た限りでは、まだ何か魔物が居るならば圧倒的に、こちらが不利だと」
若い男も集められた警備兵の数と僧侶一人では、魔物を退治するには困難だと、見極めていたらしい。苦しげな声で、クロウ達を見つめ現状を説明する。それを聞いたクロウ達は、微かに眉を寄せる。
「え、マジで・・・」
ルーヴィッヒは唸る様にそう言うと、先ほどの泥の魔物の脅威を思い出した。エルハラ僧侶は、魔物に対抗する術をある程度に兼ね備えているが・・・死肉喰い(ル)や、得体のしれない泥の魔物が、あの場には昼間だと言うのに大勢いたのだ。一人となると、僧侶の実力も分からない、状況としてかなり不安だ。
「警備兵ノ数ハ?」
男の話を聞いた、仮面の楽士もどこか不安げに、警備兵の数を問いただした。
「二十人・・・平和な町だし、ここは極端に魔物も、出現しなかったのだろう、不安がある。」
「二十人、普通の訓練を受けた兵か。やられる・・・かもな。」
顎に手を置いて、無表情にクロウはそう言った。セシルもこの尋常じゃない、魔物の出現に、若干警備兵が二十人という数に、不安の色を隠せない。
「クロウ、どうスル?」
思案しつつ黒曜石の瞳が、静かに池を睨み付ける姿に、コテンと首を傾げペルソナが尋ねた。その仮面の幼馴染の問いに、しばし沈黙した後、クロウはこの場に居る全員に向き直る。
「仮面、セシル、まだ戦えるか。」
いつもの抑揚の無い声で口を開いた。だが、今回はその声には、どこか重い決断が含まれている。まだ戦えるか、という事はこの場に居る魔術師達が、最前線にて魔物を迎え撃つと言う意味を含んでいる。先ほどからの不死者や泥の魔物に、多くの術を行使し体力もかなり消耗している。たて続けての戦いは、この場合得策ではない。術は人の精神と生命力を駆使して使うモノである、なので術の執行をし過ぎると、術者の命にもかかわるからだ。しかし、日が沈めば魔物の行動は活発になる、昼間でこれだけ大暴れをしているのだ、夜になれば町がどうなるか、安易に想像できる。それは魔物脅威をよく見知っている、セシルとペルソナにはよく理解できた。
「私はいつでも、イケルよ」
「僕も大丈夫です」
ペルソナとセシルの二人は、顔を見合わせてから、そう言って微笑んだ。
町にはリオンも、あの陽気で、仲間想いの人々がいるのだ。ここまで来て、引き下がれる事はできない。自分の狂暴なチカラが、そんな事に役に立つならセシルは、どんな最悪な結末がったとしても、喜んで使おうと思った。隣のペルソナは、どこから出したのか、スケッチブックに、『ガンガンいこうぜ!』と筆で書き意思表示をして立っている。
ペルソナとセシルの言葉に、小さく息を吐いてクロウは頷くと、今度は部下の金髪碧眼を呼ぶ。
「ルーヴィッヒ。オマエは警備兵から武器貰ってこい。それと、モーリス達に言って女、子供は安全な場所に避難させるように。僧侶と警備兵は町の入り口付近で万が一に備えて、魔物に臨戦態勢を取れと、よく言って聞かせろ。」
強い視線を航海士に向けて、言い放った。
「アイ・サー☆」
黒い視線を受け止め、ルーヴィッヒは嬉しそうに笑って敬礼する。そして副船長の命令を遂行するべく、航海士は身軽に石階段を上がっていた。その姿を一同見送ると、クロウは先ほどからいる若い男に向き直った。セシルがよくよくその男を観察すると、その若い男は、茶髪に珍しい金眼を持った、クロウより少し年齢が上だと思われる気品のある男であった。左肩から腕にかけで包帯が巻かれている、魔物の毒は治療してもらったのだろう、痺れた様子も無くその長い脚は、地面にしっかり立っている。
「私も共に戦います。」
一同の視線を受け、男は静かにクロウに宣言した。その金の瞳には、揺るぎ無い決意の闘志が宿っていた。クロウは眼を細めて、その瞳を見つめる。
「貴殿は怪我をしている。非難した方が良い。」
「怪我は先ほど、僧侶様に治療してもらいました。それに人数が、一人でも多い方が良いでしょう。私は軍人ですから、多少の事には慣れていますよ。」
淡々としかし、声の調子を幾分か落とし言い放つクロウに、物おじせず男は肩をすくめそう言った。飄々という口調の割には、その瞳は変わらず真剣そのものだ。
「・・・だっテ、クロウ?」
それを聞いたペルソナは、『ガンガンいこうぜ!』のスケッチブックを、クロウに見せて首を傾げる。どうでもいいが、緊張感が半減されるのは、この際気のせいではないだろう。
「わかった。好きにすればいい。ただし助けはしない。」
大きくクロウは溜息を吐いた。軍人であれば、己が怪我していても、市民を捨て置けない性なのだろう。男のその姿勢にクロウは、祖国に居るアーネストを思い出し、眉を不機嫌に寄せる。この手の性格は頑固者が多く、言っても聞かないのだ。クロウはそれをよく身に染みて理解しているので、ひらひらと手を振って好きにしろと、男のいい様にさせた。男はその言葉に、にっこり微笑んでルーヴィッヒと同じく、武器を調達しに階段を上って行った。
セシル達も、少し二人が来るまで休む事にした。なんせたて続けに、魔物と戦っていたのである。石階段にそれぞれ、腰を降ろし座る。セシルは精神集中の瞑想を、ペルソナは鼻歌を、クロウは刀の汚れを拭いて各々準備をしていた。
町の入り口では、警備兵の声や、僧侶が万一に備えて、祈りを込めた聖水を入り口に巻き、魔物防壁の結界を張る準備に取り掛かっている。僧侶と言っても、老いた僧侶でとてもじゃないが、戦えると言う体ではなかったため、クロウ達は僧侶と相談したうえ専ら防御に専念してもらう事にした。緑豊かな池の周りを見つめながらセシルは、ふと青い空を仰いだ。太陽光を凝縮させたエネルギー術が、魔物には効果があるにもかかわらず、この真昼での夜さながらの行動力に、セシルは違和感があって堪らなかった。そんな事をセシルは考えていると、生暖かい妖しい風が吹き抜けた。クロウはその風を受け、すくっと、立ち上がり池を睨み付ける。その時、ルーヴィッヒと男がクロウ達の下へ戻って来た。
「・・・・・・準備はできたか。」
石階段を下り、それぞれクロウは全員に黒い視線を向けた。
「おう☆」
それぞれ武器を携え、戻って来たルーヴィッヒは、へらりと笑い親指を立てる。
「大丈夫です。」
グッとセシルは杖を握りしめ、
「イツデモ♪」
その横ではペルソナが『命を大事に!!』とスケッチブックを掲げて応える。
「できています。」
最後に若い男が、静かにそう言って金眼を伏せた。
みんな戦う準備は整って・・・いる?
「って、ルーヴィッヒさん・・・それ、どうしたの?」
セシルはルーヴィッヒの持っている見た事も無い武器に、思わず眉を潜めた。
「お!コレかぁ~これは、さっき警備のオッチャン達に何かないかって、尋ねてたら武器屋のオバちゃんが居て、『あんちゃん!コレ持っていきなっ!!』って貰って来たんだ☆」
あっけらかんと、槍に似た武器をその場で軽く振り、軽い航海士はそう言い放つ。要するに彼は、野次馬根性丸出しの近所の武器屋のオバちゃんに、押し売りの様に武器を貰ってきたようだった。
『えぇえぇええええええええ~~~~~武器屋のオバちゃん?!!』
セシル、ペルソナ、二人は内心、それを聞いて、ツッコミを入れずにはいられなかった。この緊急事態に、調子が良いにも程がる航海士である。
「これ薙刀って言う武器なんだって☆槍とか拳銃の方がよかったんだけど、こいつ持ってみたら案外、使いやすかったモンでさ~」
あはは~☆と笑う緊張感のない航海士の横では、
「貴殿は・・・。二刀流か。」
ふむ・・・と、どこか感心した様子のクロウが顎に手を当て、男の腰に差している二刀のサーベルを見つめている。
「えぇ、警備兵の方から借りてきました。私も拳銃より、こちらの方がしっくりくる。」
男は腰に下げたサーベルを抜き、両手でクロスさせる。
緊張感があるのか、ないのか、今一つ曖昧な集団を、遠くから応援していた警備兵たちは、この人達で本当に大丈夫なのだろうか・・・・と一抹の不安がよぎった。ただ、魔物と戦える者達といえば、あの集団しか頼れる者が居ないので、警備兵は今、一心に祈るしかない。
「そんじゃ。行くか・・・あちらも俺ら(エ)の(モ)事、待ってるみてぇーだからな。」
クロウはそう言って、刀を抜き睡蓮園の正面に立ち構えた。
一同は頷くと、それぞれ池の正面に、己が武器を持ち構える。人間の気配に敏感なのか、クロウが池の近くによると、池の中にブクブクと泡が、不気味に先ほどより立ち込め始めていた。
それぞれ水面に泡が弾けては浮かぶ、深く美しい華が添えられた池を睨み付ける。
ぶくぷくぶくぶく・・・・・・・・・・・ぶぷくぷかぽちゃぽちゅぶく。
ぽちゃぽちゅぶくぶく・・・ぶくぷく・・・・ぷくぶくぶくぶぷくぷかぽちゃぽちゅぶく。
・・・・ぷくぶくぶくぶぷくぷかぽちゃぽちゅぶく・・・ちゅぶくぶ、ぶぶぶくくぷくぷくぽちゃっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
セシル達が構える中、泡立つ水面が、途端に音も無く静まり返った。
そして、池の辺り一面が、全身総毛立つような、刺すような殺意に襲われた。
緊迫した空気が、セシル達を圧縮するかのように迫ってくる。暗い青緑の水の中・・・底から、とてつもない大きな者影が、動くのをセシルは逃さなかった。
「来たっ!!」
セシルがそう叫んだ、次の瞬間――――――――――。
ドドドド・・・・・・ドバキィ――――――――――――――――ッツ!!!!
派手な水音を発ちつつ、池に架かっていた桟橋が、いとも簡単に真っ二つに破壊されて、空に打ち上げられた。桟橋の残骸がバラバラと雨となって池に降り注ぐ中、魔物が遂にセシル達に、その正体を現したのである。
「うげぇ~~~~~!!なんだ、あれぇ~?!!」
ルーヴィッヒがその見た事も無い、巨大な魔物を見上げ、薙刀を握りしめた。深い水底から姿を現わしたのは、巨大な緑藻の草蔓が幾つもの絡まり人型を模している、その巨大な人型の頭部のてっぺんには、これもまた巨大な桃色の、不気味な睡蓮の花が咲いていた。
セシルが見た事も無い魔物に眼を凝らすと、魔物の体を構成している藻蔓には、所どころ薄い緑の袋があり、その中には人骨が押込められているのが見え、魔物の餌食になっていた人の変わり果てた姿に、セシルは思わず口元を覆う。
「食人木・・・か。」
冷静に観察するクロウは、静かにそう呟く。
「それにしても、これはでかい・・・。」
男はサーベルを両手に持ち、低く唸った。食人木はエルラド大陸に置いて、山岳地方に生息する魔物であり、花や木が主体の文字通り人間を養分に生きる魔物だが、その丈は普通の若木位なモノが殆どだ。しかし、この眼の前に居る食人木は、それ以上に巨大だった。
この巨大な食人木の姿に、圧倒されセシル達も、驚きと動揺を隠しきれない。そんなセシル達の前では、人間の気配に興奮しているのか、大きな睡蓮の花がより一層、花弁を開花させた。すると今度は、うねうねと水の中から動く触手に似た蔓が、素早く獲物を狙いセシル達に襲いかかって来たのだった。
緑藻が幾つも絡まりあった両腕が、セシル達へ延ばされ、無数の藻蔓が水中から、物凄い速さで迫って来る。
(傀儡の(ネッ)糸・第一楽章、線殺の舞踏!!)
蔓が動いたのが戦闘開始の合図のように、仮面の楽士の魔術の糸が、襲い来る蔓を全て絡め取る。糸を張り一瞬にして弾くと、緑藻の触手は内側から膨れ上がり破裂。弾け飛んだ藻が、地面に細切れに崩れ落ちた。
「あ、これ・・・船長、この藻さっきの泥人間と同じ藻?」
「どうやら、そのようだな。」
地面に散らばる藻の残骸を目聡く見たルーヴィッヒは、首を訝しげに傾げ、副船長に問いかけた。クロウもその航海士の言葉に、静かに頷くと、藻を一つ指ですくい上げる。桟橋に這い出ていた泥人間に、付着していた藻と同じだった。どうやらこの藻、否、食人木が泥人間を作り上げて、自分達を襲い池に引きずり込もうとしていたらしい。池に餌が入らなにものだから、業を煮やして自ら姿を現わした・・・と考えれば、何ら不自然な事はないのだが。何か引っかかる感じがする、クロウはそう考えて眉を潜めた。
ペルソナに粉砕された両腕の触手を、また池に沈みこませると、食人木はぶるぶると震え、触手が再生し始めた。
「うげっ☆気持ち悪ぃ~」
みるみる再生していく、藻の触手にルーヴィッヒは、全身鳥肌がたった。
「次来ますよ・・・!火炎球」
水面から飛び出してきた藻に、セシルが炎の球を浴びせ、消し炭にする。蛇の様に無数に伸び襲いかかる藻を、攻撃しつつ避ける。ペルソナは蒼い糸を放ち、触手を斬り放ち、クロウも刀に魔術のチカラを乗せ、走りざまに一閃する。
「はぁ・・・・っつ」
その横では金眼の男が、両手で緑の触手を切り落として行った。眼にも留まらぬ早業と、一切姿勢を崩さない、その身のこなしはまさしく軍人。
「うおりゃ~☆」
そしてこちらは、反対に軽業のように大地を駆けまわる、航海士。
足元に迫った触手を飛び避けると、航海士は薙刀を振り回し、緑藻を鮮やかに斬り捨て、斜めに迫って来た新しい触手もブンッと永い刃を振り払った。その薙刀の動きは、風車にも似ている。
しかし何度斬り付け、術のチカラで触手を焼こうとも、藻はズルズルと池に戻り、綺麗に再生してゆく。これではトカゲのしっぽ、イタチゴッコに他ならない。
「チッ・・・キリがねぇな。」
ザバッツ、新たな触手を斬り捨て、クロウが池の中央に佇む食人木を睨む。迫る触手を漆黒のロングコートを翻して、跳び退き斬り落とした。
「何度かホンタイにも・・・攻撃仕掛けてるんダケドね、すぐに再生しちゃうんだよネ」
(線殺の舞踏!)とペルソナは池に沈む食人木の体に、糸を巻きつけ攻撃するが、破壊された藻の細胞は、すぐに再生されて元に戻るという繰り返しだったのだ。
「何か、弱点があれば・・・っ、いいんですが、さすがにこれは、我々が持ちませんよ」
疲れが出始めたのだろう、そう言いつつ一瞬油断した隙に、金眼の男の片腕に藻が巻き付いて、慌てて右手でその触手を切り離した。この場に居る皆が、刻一刻と疲労の色が顔に、滲み始めていた。
「ふぅ・・・・っでも植物系の魔物は、炎や太陽が苦手なはずなんだけど・・・全然効かないよ!!」
セシルは火炎球を連射させながら、悲鳴交じりにそう叫ぶ。火炎球を魔物の本体に当てるが、表面が黒こげになるだけで、また再生させられる。
「んー弱点・・・弱点かぁっ☆」
バッサリと薙刀を風車のごとく、触手を振り払いながら、ルーヴィッヒは地面に散ってゆく藻を眺めた。セシルの言葉の、太陽と言う単語に、先ほどの泥の魔物との戦いを思い出す。蹴り倒した泥の魔物達は、たしか・・・・桟橋の上で日光に当てられ泥に戻ったのではなかっただろうか。ルーヴィッヒは、その事を思い出して大声を上げた。
「あ☆弱点ってたぶん日光だ!!」
その航海士のあっ軽い声に、クロウが眼を見開き振り返った。襲い来る藻を一文字に斬り、航海士に向き直る。
「どういう事だ?!」
「さっき俺が戦ってた、泥人形の奴!あいつ日の下に長時間いられないんだ!仰向けに倒れた時に、蒸気出して普通の泥に戻ったんだよ!!たぶん藻が一緒だから、日光だと干からびて活動できないんだ!!」
藻を払っては斬り捨て、ルーヴィッヒは藻の残骸を指さしながらそう説明する。
「ええ?!でも日光に当って・・・ああ!!そうか!池の水があるからっ」
「な、ナルホド~」
航海士の思わぬ発言に、セシルは魔物の本体が何故、傷がつかないのか合点がいった。
つまりこの巨大な食人木は、直射日光に弱いため水を含み、細胞を干からびさせない様にしているのだ。
「しかし、池の水はまだたくさんありますよ・・・水が無くなるまで、戦い続けるのは無理がある」
真横にサーベルを払い、触手を切り落としながら、男がルーヴィッヒに言う。たしかに、広大な池の水を全て減らすまで、戦い続けるにはクロウ達には無理がある。そうすれば、易々と体力を削られ、食人木の餌になるのが目に見えている。男は忌々しく、食人木の体に、あちこちぶら下がっている藻袋を睨み付けた。袋の中には養分とされドロドロに溶けた肉が、黒い汁となって沈殿している物、白い頭蓋骨が覗いている物、人間だったものが溶液に溶けかけている物など様々だ。あの触手に捕まれば、自分もいずれそうなる。
目の前に突き付けられた人間の死骸に、男の首筋には冷汗が伝う。
しかしセシルはこの時、それならば池の水を全て失くせばいいと、今まで自分がクロウやペルソナに教えて貰っていた、魔術の全てを記憶から引っ張り出した。自分に出来る事と言えば、抑えて(・・・)いた(・・)チカラ(・・・)を総動員させ、強力な術を使う事・・・そうでもしないと、このままでは町も皆もこの魔物の餌食なるだろう。セシルはグッと杖を握り、今まで抑え込んでいたチカラを解放する事を決意した。
「僕ならこの池の水を、すべて吹っ飛ばせる!」
火炎龍を放ち伸びて来た藻を一掃させ、セシルがそう叫んだ。アルバの町でも、大量の水を龍に変形させられたのだ、それならばこの池の水を吹っ飛ばすぐらいのチカラは、まだ自分の中に残っている。セシルの力強い声に、皆がセシルの方へ一斉に振り向いた。
「いけるか。」
クロウもセシルの、言わんとしている事が分かったのか、セシルの傍によって刀を構えた。
「これぐらいなら、なんとかできます。だけど集中するのに時間が掛るから、副船長さん達になんとか、僕に攻撃が来ない様に、攻撃を防いでいてもらいたいんです!」
セシルが、はしっと睨み付ける先には、焼けただれた触手が、うねうねと藻を水に吸わせ再生させている。普段何事も諦めかけた瞳をしているが、この時たしかにセシルの薄い緑の瞳は、強い光を湛えていた。
「わかった。」
クロウはその強い眼差しを見つめ、静かに頷いた。
「よっしゃ~☆セシル、この俺に任しとけって~!!」
そのクロウの頷きに、お気楽航海士もあっ軽く言ってのけると、クロウと同じくセシルを守る様に、セシルの前に立った。
「・・・・・・ハァッ」
それに従いペルソナと、金眼の男も水面から襲い来る緑藻の触手を、セシルを守る為立ちふさがり斬り伏せる。
(業の炎ヨ―――――蒼炎波!)
闇の炎を呼び出し、ペルソナも触手を焼き払う。そして続けざまに、ルーヴィッヒが薙刀で次に迫りくる藻を、鮮やかに斬り刻んでいく。
「灰になれっ!」
クロウは足元に伸びる触手を、一瞬にして斬り術を以てして灰にくべる。
その背後では、セシルが杖を魔物に掲げ、術の詠唱に入っていた。
「我が望むのは北の風、南の風、東の風、西の風・・・」
大気中の温度がその言葉と紡ぐ声に合わせ、どんどん温度が低下してゆく。そして同時にセシルの周囲には、目に見えない風がまるで意志を持っているかのごとく、仲間を魔の触手から守る様に、地面から強い風が吹き上げていた。
『―――――――――――風の最上位魔術?!――――――――――』
意志を持ったかのような冷風を身に感じ、セシルの詠唱に耳を傾けていた、クロウとペルソナは互いの顔を見合わせる。これは古より伝わる風の属性術の最上位とも言われる、魔術師たちの中で、現代で最上位の魔術を駆使できた者は、賢者の位を授かる者でも、一人しか存在しない。クロウとペルソナはその驚きに、お互い言葉も出なかった。
「万物の心吹き抜ける神の息・・・其は何者にも囚われず」
ルーヴィッヒも金眼の男も、周囲を取り囲む、異質な意志を持つ風を感じるのか、目を白黒させ、動揺しながらも触手を斬り刻んでいた。辺り一帯は、静電気が走り所々に、青い雷光が炸裂しつつもある。
「我の道を阻む暗き魂を吹き飛ばす!!」
空の大気が痛いほど張りつめ、キィイイイ―――――――――――ンと耳鳴りが鳴った。その圧倒的な、目に見えぬ空気の圧迫感に魔物も、周りにいた人々も体の動きが止まった。
重い鉄が身体を押さえつけているかの様な、錯覚がするほど重い空気。ルーヴィッヒの体には魔物以上に、腹の底から自然への完全な畏怖が込み上がった。その痛烈な威圧感と風の存在に、ちっぽけな存在など押しつぶされそうになる。
「来たれ・・・・・神の(・)息吹!!」
必死にセシルは集中し、大気中の風に呼びかけ、最後の術の詠唱を叫んだ。
ドゴゴゴゴゴゴォオオォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!
天高く広がる青空から、恐ろしいほどの強風が集まり、見る間に大きな竜巻となった。そしてドリルの様に、睡蓮の池の中心に突き刺さる。
「うわっすげっ・・・☆」
「さすが・・・最上位風術ダネっ」
池の近くに居たクロウ達は、その強風に煽られつつ目を細め、池を見つめた。
巨大な竜巻は、池の水を全て吸い上げた。池の水は竜巻と共に渦を巻いて、天高くそびえ立っている。天変地異が起これば、おそらくこんなモノだろうと、軽く予測できてしまった若い男は、改めて未だ術を行使しているセシルの存在に、脅威を感じずにはいられなかった。
物凄い暴風に全て巻き上げられた池の水は、空に打ち上げられる。それを呆然と見ていたクロウ達の傍では、チャンスだ!とセシルが一気に魔物に攻め入った。
「天空高く玉座に座る太陽、汝の創りたもう神の光を、この邪なる者へ聖なる礫となりて・・・水よ!光よ!本来の姿を我に表し、降り注げ!!!」
セシルがそう術を唱えると、瞬間に今度は虹色に輝きだした。
「――――――――――光の(・)雨!!」
すると今度は大粒の光る雨となって、空高く巻き上げられた池の水が、睡蓮園全体に降り注いだ。
ドシャァアア――――――――――滝の様に、魔物と共にクロウ達全員に、虹色に輝く雨が叩き付けられた。
「うひゃ~冷たい☆」
「・・・すごいな。光の最上位術を、続けてだすとは。」
光り輝く雨を手で受け止め、クロウは食人木を見つめる。
さすがに水と言えど、光を凝縮させた水では、触手を再生できないのか、水か無くなった池で、紫色に体は変色し小さく萎みだした。一方そのクロウの横では、若い男が自分の腕の包帯へ目をやっていた。
「え、腕の傷が・・・塞がってゆく・・・」
包帯越しに雨が当ると、熱を感じて驚いて包帯を解いてみれば、雨に打たれ傷はどんどん塞がり、痕さえ残らず元の腕に戻っていた。
ザサァ――――――――――――――・・・・・・・雨が小降りになり、次第に止む。
「ふぅ・・・」
すると、完全に集中力が切れてしまったセシルは、その場にガックリと膝を浮いて座り込んでしまった。今まで、自分が抑え込んでいたチカラを一斉に、放出したためその反動はかなりきつい。体に一気に来る虚脱感に、脚が身体を支えきれなくなって、セシルは思わず座り込んでしまったのだ。
しかし、眼の前の食人木の弱点は日光だという事は、ルーヴィッヒの読み通り当っていたらしい。池にはもう再生させる水も一滴も無く、太陽光のエネルギーを凝縮させた雨を浴びた所為か、干からびもう紫色から土気色へと変色し始めている。強大な睡蓮の花も、萎れて朽ちていた。
「みんな!!止めを刺すなら今です!」
止めを刺すなら今しかない、その様子を見てとったセシルは迷わず叫んだ。
そのセシルの声を聞いて、逸早くクロウが大地を蹴った。
そして萎んだ食人木に、ダンッと踏み込み、迷いなく横一文字に斬り払った。
(――――――――――線殺の舞踏!!)
クロウが真っ二つに分けた食人木の体を、ペルソナの蒼い糸が、容赦なく絡め取り、弦を引くと跡形も無く藻の体は内側から破裂した。辺りには、水か無くなった池の跡が残るばかり・・・。平和な静寂が、再びこの地に舞い戻って来たのだった。
粉々に粉砕された食人木を見つめ、ルーヴィッヒの歓声が上がった。
「ウィイヤァ――――!!やったぜ~~~~~~☆」
ご陽気は満面の笑みを浮かべて、薙刀を頭上で回し、その場で勝利の嬉しさのあまり飛び跳ねる。
「ふぅ――――――、やりましたね」
額の汗を拭い、金眼の男がサーベルを納め、大きく息を吐いた。
「あ、危なかったネー♪」
ペルソナはそう言って、座り込んでいるセシルに手を差し出す。
「よかった・・・」
セシルはペルソナの手を貸してもらい、立ち上がるとほぅっと息を吐いた。睡蓮池の跡を見渡すと、その土には沢山の骨が散らばっているのが見えて、改めてゾッとした。初めこそ観光として、この睡蓮池にリオンを連れて訪れていたのだ。池の中にこんな魔物が居るとは知らずに・・・。
あの睡蓮の花が、何故ああも、さも美しく咲いていたのか、セシルはそれを考えると、全身に鳥肌が立った。ペルソナも同じことを考えていたのか、珍しく首筋に汗が伝っていた。
クロウは深い池の跡にそのまま立ちすくんで、辺りをくまなく探る。水を含んでいた底には、動物の骨や人骨がゴロゴロと埋まっている。美しい花の養分には、何が養分にされていたのか、目に見えて分かる。竜巻に吹き飛ばされた多くの普通の睡蓮の花は、池の端には少し残っており、その根の先には白い骨ががっちり絡まっていたからだ。残酷な自然の美しさを思い出しながらクロウは、食人木がその巨大な体が、居座っていた辺りまで足を運ぶ。そこには全て根こそぎ、ペルソナの糸に燃え尽くされた跡があった。クロウは黒曜石の瞳を細め、その場にしゃがんでその跡の土を手で少し掘り始めた。
「なにをしてるんですか・・・?」
クロウの行動に気が付いて、男がクロウの傍まで歩み寄る。
「あぁ。いくら池の水があろうと、こんな真昼間に行動する食人木は奇妙だろ。しかも、今まで姿を隠し、行動していたにもかかわらずだ。それにあの食人木の、再生の速さは異様だ。」
そう感情のない声で説明され、男は首を傾げた。
「そ、そういわれて見れば・・・」
クロウの言葉に、気が付いてセシルもペルソナも辺りを見渡して意識を集中させる。セシルも魔物の活発過ぎる行動力に、疑問を感じていたのだ。その通常より並外れた活発さに、どこか魔物を活発にさせる要因が、あるように感じ、池の跡をくまなく見渡す。するとクロウの足元近くに、何か陽炎のように歪んだ、空間のねじれが一瞬だけセシルには視えた。
「副船長さん、左足の近く!なにかあるよ」
指をクロウの足元を指して、セシルが駆け寄るとペルソナもその辺りを視て叫んだ。
「ホントだ!凄く禍々しいナニかが埋まってるミタイ!」
クロウは二人に言われ、素早く行動に移した。足元の土を手で掘れば、それに続いて男も、クロウを手伝い急いでその辺りを掘っていく。そうすれば、すぐにその禍々しいと言われた物は、セシル達に姿を現わした。先ほどまではしゃいでいた航海士も、仲間が集まっている場所になんだ、なんだと、陽気に駆け寄ってくる。
「これは・・・コインか?」
クロウは手の平に納まる、少し大きめの銅円をハンカチ越しに拾い上げた。泥を拭って銅円の表面をみれば、それはコインではなく。なにやら古い魔術文字がびっしりと彫られた、呪物だという事が分かった。
「これ、古代魔術の神魔文字だ・・・僕この文字祖国の図書館で見た事ある」
「ホントだね~・・・間違いなく神魔文字ダネ」
セシルとペルソナは、その銅円に刻まれた文字を視て、きゅっと眉を潜める。神魔文字とは、古代エルラド大陸に住まう人々が、術を行使する際の用いたとされる、神に等しき力を込めたとされる文字の事だ。この文字は普通の術よりも、魔物に多大な影響力を与える事から、神魔文字と古くから魔術師達が書物に印し後世の人々に伝えた物だった。現代ではその強力な文字を駆使する事も出来ない者が多く、あまりにその文字の持つ力が強いため、滅多にそれを己が物として使用する魔術師はいない。
が、しかし・・・何故そんな文字が彫られた物が、こんな所にしかも、真新しい物でこんな場所にあるのか。
「堕ちし魂を・・・姿形を変え・・喰らう者として・あらゆる浄き魂を集める・・・その身姿の溜めたる渇望を成就させん」
セシルがそのハンカチに乗せられた銅円の文字を、眉を寄せて小さな声で読み上げた。
「セシル・・・?それ、読めるノ」
「えぇっと、ちょっと読めると言うか、その文字視てると昔から、頭にその文字の意味が響いて来ると言うか・・・あははは・・・」
不思議そうに首を傾げるペルソナに、セシルはまじまじと、銅円をみつめ正直に話すと、魔術師であるクロウとペルソナは、ギョッとして顔を見合わせた。
「え?でこれ何なんだセシル☆」
深刻そうな顔の二人を余所に、イマイチ状況がよく分かっていない、航海士がセシルに問いかけた。
「えーっと、分かりやすく言うと酷い代物です。これはココで死んだ人の魂を、無理やり狂わせたり、その土地で静かに眠っていた魔物に、無理くり人を襲わせるように、仕向ける仕掛けが施してあるんです」
「それは、なんとも・・・」
ルーヴィッヒの疑問に、セシルが分かりやすく事情を話すと、横で静かに聞いていた男が神妙な顔で呟いた。
「ええ・・なんとも悪質な代物です」
男の呟きに、コックリと頷いてセシルは唇を噛む。これは人為的に誰かが、魔物に人を襲わせたようなものだったからだ。卑劣な誰とも知れぬ行為に、セシルは怒りが湧いた。
「クロウ大丈夫?」
セシルの言葉を聞いていた、仮面の楽士は幼馴染の顔を見つめた。そのペルソナの声に、クロウは少し息を吐くと、持っている銅円から視線を外し仮面に視線を向ける。クロウの顔は通常より青白くなり、額には汗が噴き出ていた。見るからに、かなり具合が悪そうである。
「ああ。しかしこれは、持ってるのがつらいな。」
「早々に破壊したホウが、良さそうダネ・・・」
「あぁ。」
ペルソナがそう言って、クロウからハンカチごと銅円を受け取ると、そっとそれを地面に置いた。
「下がっていろ。」
クロウは皆をさがらせると、腰の刀を抜き、息を整える。そして自身の影を刀に纏わせ、銅円を真っ二つに叩き斬った。
パキッ・・・と綺麗にすっぱり切り分けられた銅円は、見る見るうちにくすみ、セシル達の目の前で、錆びてボロボロに朽ちてしまった。
「これで一件落着・・・ですかね」
「おそらくな。」
男が溜息交じりにそう言うと、クロウは淡々とそう言い放った。汗を拭いながら空を見上げれば、もう日がかなり傾き西日が強くなっていた。すっかり池が無くなり、観光名所となくなった睡蓮池。その入り口から、聴き慣れた料理長の声が響いて来た。
「ダァ――――――――――――――――――――リィィィン!!!!」
アルキデルもしっかり、モーリスの背にしがみ付いて一人と一匹が走り寄って来る。
「あ☆ハニーだ!!ハニィ―――――――――――――――――☆!!!!」
モーリスの声を聞いて、ルーヴィッヒも薙刀を放り出して駈け出した。
そして―――――――――――――――――――・・・。
「ダァ――――――――――リィィィン!」
「ハニィ―――――――――☆!!」
ガシィ!!池のど真ん中で、お互い呼び合いながら、暑苦しい抱擁を見事に飾ったのだった。それは思わずセシルが、目を背けたくなるほど、暑苦しいバカップルの姿であった。
「ナニ・・・あの茶番」
「ペルソナさん、あまり見ない方が良いよ、眼がただれるよ」
「ふむ。胸焼けがするな。」
「同感です」
一気に魔物を倒した安心感から地獄に急降下した一同は、それぞれ口々に感想を漏らしたのだった。
ひとしきり料理長と航海士の抱擁を見届け、石化していた僧侶と警備兵、そして航海医師のミゲルとバルナバス、ユージン船長がクロウ達のもとへ心配そうに駆け寄って来た。それに遅れてチェスターと、先に避難していた一人の女性も池に降りてくる。
「もう!四人とも心配しましたよっ」
「ごめんなサ~イ♪」
「すまんなミゲル。緊急事態だったモンでな。」
ミゲルがリオンを抱えながら、クロウとペルソナにお説教をし始める横では、
「ル~ヴィッヒィ~!!お前って奴ぁ~俺らも呼べよ!!」
「あだだだ!!バルナバスの親父ぃ~加減!加減して☆」
バルナバスが航海士の首に太い腕を回し、嬉し泣きしながらルーヴィッヒをもみくちゃにしていた。
「ふぉふぉふぉ!クロウよく無事じゃったのぅ~儂はうれしいぞぃ」
無事に自慢の息子が生きている事に、感動して老人船長は説教を聞いているクロウにしがみ付き。モーリスはセシルに素早く向き直って、セシルに怪我がないかかいがいしく窺う。
「セシルちゃん大丈夫?!!」
「えぇ・・・リオン君はって、あれ?まだ寝てる??」
セシルもひとしきり、水夫長とモーリスにもみくちゃにされつつ、一緒に居た筈のリオンを見ると、この騒々しい中でも、幼いリオンはあどけない顔で眠っていた。セシルはリオンのその姿を見ると、ほっとして胸を撫で下ろした。
実に騒がしく濃い集団となったクロウ一行に、若干引き気味の警備兵と僧侶。
それを見つめていた金眼の男は、駆け寄ってきた女性と並ぶと、のどかに微笑みを湛え合った。
「クロウ船長、そのお仲間のみなさん、彼女と私を助けていただき、ありがとうございました。」
「ありがとう」
深々と頭を下げて、金眼の男と女性はクロウ達に感謝の礼を述べた。騒がしい一団がその二人を見ると、
「俺は助けてねぇよ。それに俺は船長じゃねぇ副船長だ。船長はこのじいさん。」
面倒そうに顔を歪めたあと、自身にしがみ付いている老人船長を指さした。
「ひょほいっ!」
指された本人は、片手を挙げて二人に挨拶している。愛すべき、好々爺ぶりであった。その老人船長に挨拶された二人の男女は、柔らかく微笑んだ。
「私はマライト国陸軍将校、ニコラス・コルベリー。次に出会う時は敵同士です。それでは、なるべくお互い出会わない様にしたいものですね・・・では、皆さんさようなら」
「本当にありがとう、皆さん」
西日が眩しく照らす中、二人はそう言ってまた深く頭を下げると、宿に帰るのか町へ戻って行った。その背にあっ軽い航海士が声をかけ手を振った。
「ニコラス!達者でな~☆」
ブッラクパール海賊団が、微笑ましく見送る最中、当の副船長と老人船長は・・・。
「げ。どこかで見た事あると思えば、マライトの軍人だったか。」
「捕まらんでよかったのぅ」
などと、呑気に海賊としての薄暗い話をして、見送っていたのだった。
琥珀石月 七日 快晴
なぁ・・・俺の存在って何?
今日の昼、大通りの方で土産物みに、ぶらぶら歩いてたら、
仮面の奴が走って来て、急に緊急事態だからって、荷物押しつけられた・・・。
しかも、こんなの誰が買うんだよっていうような、オドロオドロオシイ仮面グッズばっか。
とりあえず、荷物どうしようかって迷ってたら・・・
今度は魔物が出たって町は大騒ぎだし。そしたら、すげー竜巻は上がるし、ちょっと見て見ようっと思ったら・・・ミゲルとバルナバスとじいさんが、モーリスに連れられて走ってくると、急に大量の酒ビン押し付けられた・・・。
四人はなんか、慌てて竜巻の方へ走って行ったけどよォ
俺、かなり重たいんですけど?!
仮面の奴の荷物と、三人分の酒ビンの山だぜ?!!
はぁ・・・今日は本当についてないぜ。
それにしても、俺の存在って此処の海賊団にとってなんだろうなぁ・・・ははは。
狙撃手 ルシュカ
ブラックパール号航海日誌
「まぁまぁ・・・そんな気を落とすなよルシュカ!」
宿の離れにある酒場。カウンターに腰かけた狙撃手の左肩へ、アンリがバンバンと叩いて励ます声が響いた。
「そうだぜルシュカ、だからな」
そのルシュカの右肩には、アンリと判を押したように同じのジョセフが励ます。店内にはバーテンの他に、客はこの三人しかいない。完全に貸し切り状態だった。
「飲み過ぎは」
アンリがウインクしながら、
「よくない!」
ジョセフは白い歯を見せ、
「ぜ!」
最後にアンリが親指を立ててビシ!っと決める。
「うるさい!うるさい!ウゼーヨ!!双子の馬鹿!」
ルシュカの横で、アンリとジョセフは交互に、実にリズミカルに尻尾髪の青年を覗き込みながら、全力で励ましにかかる。しかし、この双子の励まし方は、逆に人の神経を逆なでする、雰囲気を持ち合わせているらしい。交互にそれぞれ決めポーズをとりながら、励ましの言葉をかけられると、非常にうざったい。
『俺らの善意をそんなふうに言うなんて~悲しいィ~』
おそらく、双子の水夫はその事を、よーく理解しているのだろう。二人は同じ顔を突き合わせ、ニッと笑うと同時にそう言ってルシュカの肩を軽くたたく。
「うるせぇえええええええ!!!!」
ダン!とブランデーの入ったグラスを置く音。
そしてルシュカの絶叫が、酒場に虚しく響いた。
ルシュカが宿の酒場で自棄酒を飲んで、双子のアンリとジョセフになぐさめ(?)られていたその頃。魔物を無事に退治し、生還を果たせた副船長クロウ達は、警備兵に今度の一件について事情を一通り話した。その結果、警備兵やチェスターの話を聞くと、死肉喰い(ル)達が襲ってきた方向にはこの町の墓地がある事が分かった。念のため警備兵たちとクロウ達は、その墓地へ足を運ぶと、案の定、殆どの墓の土には大穴があいており、亡くなった死体が死肉喰い(ル)となって這い出して来たものだと確証できた。そしてクロウの予想通り、墓場の中心には池でも見つけた銅円があった。セシルが読むと、その文面は同じもので、クロウはすぐさま銅円を斬り、この事件は魔術師の仕業だという事しかわからず、犯人が分からず仕舞いのまま幕を閉じたのだった。
その後、無事にミゲルにお説教を受けながら、湯煙の館『ライラック・アメジェスト』に帰る事になったのだ。決死の思いで戦ったクロウ達の服は、汗や泥、雨によりドロドロになり、すぐさま宿の温泉に浸かり、服を着替えることになった。夜には夕餉の宴はもちろんの事、行われたのだが、セシルは疲れたと言って、リオンの事を料理長等に頼んで、皆から離れ部屋に戻った。セシルは部屋に戻り、杖や指輪、ピアスを、今まで揃えて貰った服と共に部屋の隅に置いて、荷物をもう一度確認する。これから少し仮眠を取って、皆が寝静まる頃合いに、出て行くというのがセシルの算段だった。思わぬ魔物に襲撃はあったものの、その陰で町への抜け道や、行方を暫く眩ませそうな場所を、ある程度を見つけられた。逃げるなら今夜しかない・・・、一晩明かして下働きをする代わり、と言って頼んで商船に乗り込めばいいのである。良くしてもらっておいて、申し訳ない気持ちはあるけれど、今日の魔物の件をきっかけにやはり、自分が傍に居れば、魔を(・)惹き寄せて(・・・・・)しまう(・・・)事を、思い出してしまった。それに自分が己であれるのは、家族と共にあればこその存在。どんなに考えれど、セシルには残した母と妹が大事だった。
用意は一通り整えた、セシルは部屋で一人深呼吸をすると、布団にもぐりこんで瞼を閉じた。




