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真昼の星  作者: たびー
8/11

冬の紅薔薇   エルゼ  2

思ったよりも長くなりそうです。

『おまえを妻に迎えたのは、わたしの本意ではない。バルシュミーデの家訓に従っただけだ』



 薄青い晩秋の空は晴れ、陽ざしが足元の霜を溶かしていく。

 庭の木々はすでに雪囲いがすんでおり、庭丁が温室の入り口の落ち葉を掃いているのが見えた。

 ヘルフリートが窓から見ているかも知れない。庭を抜けるまでは、できるだけゆっくりとエルゼは歩いた。

 今年二十八才のヘルフリートは、エルゼが初めて出会ったころの、領主イグナーツに似ている。

 当時エルゼは四才、イグナーツは三十一才だった。

 両親を亡くし、孤児になったエルゼを引き取りに来たときのことをエルゼはよく覚えている。ぼろ切れのような垢じみた服を着て、寒さに震えていた痩せっぽちのエルゼを軟らかな毛織物で包み、抱き上げてくれた。

「ほう、空の色を写したような瞳だな」

 精悍な顔だちのイグナーツはエルゼを優しく見つめ、額にキスをした。

「おまえはバルシュミーデの宝となるだろう」

 そのころから、親子ほど歳の離れたイグナーツをエルゼは慕っていた。だから婚姻が決まったときの喜びときたら。それまでの学業のすべてを捨てても構わないとまで思った。


 ……けれど、その頃にはイグナーツは以前の彼ではなくなっていた。

 家督を継いでからというもの、気むずかしくなったと周りは戸惑た。

 何かに怯え思い悩むようになって外出が減ったかと思うと、今は館に寄りつかず、もっぱら町に入り浸りだ。そのため、いまや領主の仕事はヘルフリートが代わりに取り仕切っているありさまだ。

「エルゼ奥さま」

 いつのまにか館から遠くはなれ、麦畑の中の道に出ていた。

 足をとめたエルザに農婦が深々とお辞儀をした。

「マローンさん、お体の調子はいかがですか」

「おかげさまで、エルゼ奥さまから教えられた薬草茶を飲んでからはずいぶん楽です」

 頭をあげても農婦の腰は曲がったままだ。まだ四十代半ばだったはず。けれど顔のしわもふかく、白髪頭だ。農婦は第一室のアステーデより年下なのに、はるかに年寄りに見える。

「今年の麦は豊作でしたね。家畜は増えましたか?」

「増えました。毛も肉もたくさんとれました。エルゼ奥さまからの教えを守った畑はどこも豊作です」

 歯の抜けた口元をほころばせて、農婦はしんそこ嬉しげに胸の前で手を合わせた。

 黒ずみ荒れてひび割れた手指、木の靴に押し込んだ足裏は、きっと固くなっているだろう。貧しい食事と過酷な労働で老いるのが早いのだ。エルゼは自分の母が生きていたら、恐らくは目の前の農婦のようであったろうと思った。

「いつもありがとう、お大事にね」

「そんな、奥さま、わたしになんぞもったいない」

 かしこまる農婦にエルゼは微笑み返してあいさつ代わりにし、丘を目指して再び歩き始めた。

 畑には秋まきの小麦の緑色の芽がゆるやかな丘にいく本もの筋になって見えた。

 やはり、従来のようにばらまくよりも、浅く溝を掘って種を埋めたほうがよいのだ。

 エルゼが嫁してきてからの二年間は幸福なことに、天候にも恵まれ作物がよく取れた。

 けれど、そんな幸運が毎年巡ってくるはずもない。備えなければ。自分のような親をなくす子をうみ出してはならない。

 エルゼは強くそう思った。遠くに灰色にくすんで見える集落は、長い冬を過ごすには寒さを防ぎきれず粗末すぎる。バルシュミーデの館だとて、聖都アルマサナスでエルゼが暮らしていた学徒寮にすら見劣りがする。

『バルシュミーデは古い家系だけれど、裕福ではない。わたしは皆が楽に暮らせるようになってほしい』

 イグナーツはいつもそう語っていた。

 豊かとはいえない予算の中から、エルゼの学費を送り続けてくれた。

 だからこそ、バルシュミーデの役にたちたいのだ。

 ……たとえ妻として用をなさなくても。

 エルゼは空を見上げた。

 にじんだ涙がこぼれないように。

 イグナーツは変わってしまった。


『おまえを抱くのは今夜だけだ』

 婚儀を終えた夜、イグナーツはエルゼに告げた。

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