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真昼の星  作者: たびー
6/11

ロティシュ

本編とあまり関係のない、青春ものになってしまいました。一部、保健体育。

 アルマサナスの空はぎざぎざ。大聖堂の複数の尖塔が青を切り裂く。

ロティシュは解放感から大きく伸びをして息をした。

「ご苦労ご苦労。ハーライトの代役、大儀であった」

 後ろから来たエルゼが茶化すように声をかけてきた。

「無事にお勤めを果たしたな」

 くせのある赤毛が小さな顔を縁取り、生来大きな青い目がより際立つ。背はロティシュの肩にも届かないが姿勢がよいせいか大きく感じる。

「いきなりにしても度が過ぎます。おれ今日は出番じゃなかったのに……おまけに教典を持つ係だったから、文字に酔いました」

 ロティシュは切れ長の目を不機嫌に歪めてエルゼを見おろした。

「民衆のための月末式典だ。大聖堂の枢機卿どもとしても、いかな代役とはいえ見映えのよい者に任せたいって思うだろう。ぼくは研修院学徒から適任者を選んだまでさ」

「いやみですか、エルゼ先輩」

「称賛だよ、ロティシュ。それからぼくのことは、エルゼ学士と呼びたまえよ」

 エルゼは学士の称号を持つものが着る、深紅に金の縁取のついた上着を羽織っている。長さは膝より短く襟には仕えている家ーバルシュミーデ家の紋入りだ。体の線をなぞる布地は豊かな胸のあたりがきつそうに見える。細身のズボンに編み上げの長靴(ちょうか)、そのかかとは細く高い。

 アルマサナスに来た当初、ガブリエルとガブリエラたちの寄宿舎で同室だったエルゼには面倒を見てもらった関係上、頭があがらない。 

 ロティシュはため息をつき詰襟の鉤を外した。喉のきつさをゆるめると、教典を持って『酔った』感覚が徐々に引けていく。

 長い黒髪が鉤に絡んで引っ張られる。小さいが不快な痛みに片目をしかめながら絡まった髪を力任せに引きちぎる。エルゼが顔をしかめて見ているが、ロティシュは無視した。

 ほら、とエルゼがロティシュから預かっていた珊瑚のピンを差し出した。

ロティシュは両側の髪の半分くらいをすくいとり、後ろで手早くまとめピンで留めた。腰まである残りの髪は後ろに流す。

 ロティシュは式典用の白袴の上に、足首まであるひとつなぎの上衣をまとっている。裾回りに刺繍を施した水色の裾から腰のあたりまで深く切れ込みが入っており動きやすくなっている。

「髪切ったら? ぼくみたいにさ」

「おじい……祖父が好きなんです。長いほうが」

 その言葉にエルゼは小さく吹き出した。

「相変わらずおじいちゃん子だね。来たときから変わらない」

 ロティシュはむっとした。

「三年も前のこと蒸し返さないでください」

「はいはい、きみがお家が恋しくて毎晩泣いてたなんて誰にも言わない」

 顔を赤くしてにらむロティシュをエルゼは茶店に誘った。


「ハーライトは?」

 ロティシュは小ぶりの器を持ち、冷やされたお茶に口をつけた。

「三日四日は動けないかも知れない。さっきぼくが処方した薬を飲ませた。今は施療院で看てもらっている」

 道に面した外の卓に案内され、二人は腰を落ち着けた。月末式典で正装したものが多い中でも、エルゼとロティシュの組み合わせは人目を惹く。二人は自然と声をひそめた。

「ハーライトはロティシュよりひとつ上か」

「ええ。先月十八になりました」

「そうだよな、ぼくより三歳下だ」

 うーん、とエルゼは腕組みした。

「ぎりぎりな年齢かな」

「ガブリエルからガブリエラになるのでしょうか?」

「それは分からない。さわりが出るのが性別なのか、あるいは(わざ)なのか」

 言葉使いこそ男のようだがエルゼの外見は盛り上がった胸にくびれた腰、声は少し低めだが黙っていれば女性に見えるガブリエラ…女性寄りの両性だ。

「枢機卿たちにすればハーライトの『上昇』の業に磨きがかかって『飛翔』になってくれないか、だろうね。来年の新星暦五百年祭に向けて」

「伝説の"金のガブリエル"並みの?」

 うん、とエルゼはうなずき茶を飲みほした。

「おまえこそ、来年になったらガブリエル・ガブリエラに判じられるんじゃないか?」

 ロティシュは器を置いた。来年の調べを思うと憂鬱になる。

「おれはただ……本が読めれば。ガブリエル・ガブリエラになんかなりたくない。式典や外交に引っ張り出されたくないです」

 ガブリエル・ガブリエラは両性具有の中間点の存在。数は極めて少ない。

「栄誉あることなんだ。面倒がるな。月のものはあるのか?」

 ガブリエルであれガブリエラであれ、体の話はずいぶん明け透けだ。田舎育ちのロティシュはいまだに慣れない。

「今までに数回です」

 エルゼのように一目みて分かるようならばいいが、ロティシュは自分自身がガブリエルなのかガブリエラなのかどっちつかずだと感じている。

 背は高く、すらりとしているが体つきは華奢、胸はわずかに盛り上がっているだけだ。男女どちらとも言いがたい。顔立ちは美しいと評判だった、曾祖母に似ていると祖父は言う。

「自分の体なのに、他人に管理されて自分のじゃないみたいだ」

「仕方ないさ。我らの衣食住は、すべて教会にみてもらっているからな」

 ロティシュは頬杖をついて舌打ちする。

 月に一度、聞き取りがされる。月のものがあったか、誰かと関係を持ったか。たとえ持ったとしても、両性である者たちが子をなすことは稀だが。

 自分の体のはずなのに……。アルマサナスに来た最初の『授業』を苦々しく思い出した。



「皆さんの体は、自分ひとりのものではありません」

 自身をガブリエラだと話した体格のいい年配の教師は教壇のうえでそう切り出した。

「ガブリエルとガブリエラと呼ばれる我々の体はまだ分からないことが多いのです。この学院へ入学した皆さんはそれを解明するため、のちの者たちへの礎となります。まずは自身の体のつくりを知っておくことが必要です」

 そこからの図や模型を使った授業は当時十四才になったばかりのロティシュには刺激的すぎて、めまいがした。

 外性器の大きさや内性器の深さ、初潮に精通……。はては、まぐわうときに用心することなども学術的だが赤裸々に教え込まれた。

 教場に集められたのは同年代の子たちばかりだ。泣き出したり、もどしたりする学徒が続出した。

 具合を悪くしたロティシュを介抱してくれたのはエルゼだった。

「皆さんは西方諸国に産まれたことを神に感謝しなさい。西方では我々の能力を認め、積極的に活用していますが、東方世界ではただ忌み嫌われるだけです。体を売るしか道がないのですよ」

 背中をさすられていたロティシュは、その言葉に具合の悪さも構わず椅子を蹴倒して立ち上がった。

「……!!!」

 ロティシュの口からほとばしった言葉を理解するものはその場に誰もいなかった。正しくはロティシュにさえ当時は何と話しているのか分からなかった。

 ただ胸が喉が、焼けるように熱く苦しく悲しかった。

 涙を流し半狂乱のロティシュの気迫に圧され目を見開く教師、皆がロティシュを気味悪げに見る。まるで時間がのろのろとしか進まないように感じた。ロティシュはそのまま気を失った。

 泣きはらして目が覚めると、宿舎の寝台だった。

「ロティシュ、司書の先生が驚いていたよ。きみ、事前に報告していた業より数段うえに認められるようだよ」

 意味が分からずロティシュは首をふった。むしろ教師に噛みついたことで放校になると思っていたのだが。

「『()む』だけじゃなく『(はな)す』こともできるなんて凄い、ってさ。しかも東方世界の言葉を」

 我がことのように頬を上気させてエルゼはロティシュの手を握った。

 ここでは、業の出来と見栄えの善し悪しがすべてに影響する……それを知るのにさして時間はかからなかった。


「ロティシュ、爪咬まない!」

 言われて口元から指先を離す。思わず背筋が伸びた。いつの間にか咬んだ爪がぼろぼろになっていた。

「それから、靴も脱がない」

 ロティシュは足の甲がわずかに隠れるだけのかかとの低い靴を脱いで素足になっていた。

「式典用の正装しているのに裸足になるなんて……」

 言いとがめられとロティシュは頬をふくらませ、仕方なく靴を履きなおす。

「正装も靴も嫌いです」

「知ってるさ」

 ふう、とエルゼはため息をついてロティシュを見た。

「ほんとにロティシュは見かけを裏切る反骨精神の持ち主だからな。そんなたおやかな『天使のごとく』な外見なのに。講義はさぼる、教授との約束はすっぽかす。こないだは貴族のお嬢様を袖にしたんだって?」

「貴族さまたちから装飾品や愛玩物みたいに扱われても迷惑なだけじゃないですか。それに手紙の文面にも教養が感じられませんでした」

 触ったとたんに流れ込んできた稚拙な文章を思い出してロティシュはため息をついた。

「言うね」

「おれは……ただおれは」

 ロティシュはそれ以上口にできなかった。

 椅子にもたれて空を降りあおぐ。

 かつて東方世界で暮らしていた曾祖母のことを、曾祖母が仕えていた大僧正のことを知りたい。そして不死だという曾祖父のトールを探したい。

 アルマサナスに来れば何かが掴めるかもしれないという期待はみごとに外れた。読みたい本はことごとく書庫の中だ。

「アレキサンドリア図書館の鍵が欲しい」

エルゼはくすりと笑った。

「それはずいぶんな願いだな」

 さて、とエルゼは席を立つと勘定をすませた。

「歩くか。ここは人目が多すぎる」

 今日は月末式典だったから地方からの巡礼者で通りが人で溢れている。

 エルゼやロティシュのような存在は田舎にはほとんどいない。二人はいるだけでひどく目立つ。

 宿舎に向けて二人は人ごみの中を歩いた。

 産まれ育った町とちがい、アルマサナスは湿気を含んだ風が吹く。盆地に造られた聖都は夏は暑く冬は寒い。今はゆるやかに春から夏へ季節が移っている。

 隣を歩くエルゼが不意に話しかけてきた。

「ぼくは秋にはバルシュミーデ家の第三室に入る」

 ロティシュの足が止まり、エルゼは数歩先に進んでから振り返った。

「決まったんだ」

 どこか困ったような、はにかんだ顔でエルゼが言った。

「……あ……」

 おめでとうございますと、とっさには言えなかった。ロティシュは体のどこかを射られたような気がした。

「バルシュミーデ家には立派な薬種園があるんだ。だから薬の研究が続けられる。それにすでにお子さまが五人もいるから出産を無理強いされることもない」

「最高の……『条件』じゃないですか」

 ロティシュは自分の口調に皮肉が混じっていることに自分でうろたえた。嫌味なんか言う気はないのに。

 エルゼはまっすぐな瞳でロティシュを見つめた。

「こうして生きていくんだ」

 ――皆さんの体は、自分ひとりのものではありません――

 だったら、誰のものだよ!? 誰のための人生なんだよ!! 

 突然、理不尽な怒りが体を貫いた。

「おれは……そんなふうに生きたくない」

「だったら!!」

 突然エルゼはロティシュの胸を掴んだ。

「だったら、自分を嫌うな。持てる業もその容姿も全てを使え!! たとえ人になじられても、むこうの世界へ行きたかったら」

 泣きそうな青い瞳がロティシュをきつくにらみ、すぐに視線を外した。

 周囲に騒ぎを聞きつけられる前にエルゼはロティシュから手を離した。

「お前が東方世界へ行きたがっているのは知ってる。お前がもっと努力すれば特使の従者はおろか、特使になれるはずだ」

 エルゼの小さな肩がふるえていた。

「オアシスの利権を巡る百年のいさかいも終息に向かっている。そうすれば往き来がしやすくなる」

 東の世界へ。

「ロティシュ、お前なら出来るよ。東方世界の言葉を操れるお前なら。だから腐るな、諦めるな。反抗するのはもう止めろ」

 エルゼはまた歩き出した。ロティシュはエルゼを追った。

「……ごめんなさい」

「不満はない。ぼくは。ご領主さまはぼくを小さい頃から養育して下さった方だ」

 エルゼは口を閉ざした。エルゼも自分と同じく幼い頃に二親を亡くしたと聞いた。そのせいか、ロティシュに世話を焼いてくれた。

 エルゼの生き方に非難めいた口答えをしたことをロティシュは後悔した。

 大切な人が遠くに、手の届かない遠くに行ってしまう。それが自分には悲しかったのだ……けれどそれはやり場のない悲しみだ。

 ――どうすることもできないじゃないか……

 自分の非力さを思い知らされるだけだ。

 不意にロティシュの眼に涙が盛り上がり頬を滑り落ちた。

 ロティシュはエルゼの手を掴んだ。

 振り返ったエルゼはロティシュの泣き顔にぎくりとして立ち止まった。

 人ごみの中で、幼子のように泣きじゃくるロティシュの涙をエルゼは手布で拭いた。

「手のかかる奴だな。泣くな。祝福しておくれよ……ぼくを」

「お、おめでとう、ございます……エルゼ、せ・先輩」

 道行く人が足を止め振り返る。祖父のもとにいた時にだとて、こんなに泣いたことはない。

「ぼくより小さかったのにな。いつの間にかこんなに大きくなっちゃって」

 エルゼは、今日だけだぞと言うと手をつないで宿舎までの道を歩いた。

「やってみろよ、必死になってさ」

 ロティシュの涙が止まっていく。ただうなずいて応えた。

「その刺繍の花、見たよ」

 エルゼはロティシュの上衣の裾に視線を向けた。そこには蓮の花が繊細な色合いで刺繍されてある。

「バルシュミーデの温室にあった。きれいだな。すっとしたかたちがロティシュそっくりだ。きっと見るたびに思い出すだろうな、泣き虫な後輩を」

 エルゼの笑顔は今までみたことがないくらい、優しかった。

「…………」

 ロティシュから聞きなれない言葉が放たれた。

 エルゼは青い目を丸くして、そしてほほえんだ。

 たぶん伝わった。

 ロティシュのせいいっぱいの素直な気持ち。

 かつて大僧正が曾祖母に送った言葉。


 さいわいなれ


 やわらかな晩春の風が頬をなでる。

 ロティシュはエルゼの幸せを祈った。




 うつくしいひと


以前のアルバイト先でレジをしていた時、美しい人が来店した。

俗に「女のように美しい男」などという表現もあるけれど、その人は

「美しい女のように美しい男」だった。


女にしては高めの背丈、腰までの長い髪。


パンツスーツで、一瞬女性かと思ったが、よく見ると胸は平らだった。そして歩幅が大きい・・・。


その人が来店したとたんに、店内の空気がさっと変わったのを覚えている。


結局お目当てのものがなかったらしく、その人はすぐに店から出て行った。


美しい男、というと、わたしはいつもその彼を思い出す。


ロティシュは彼のイメージをお借りした。

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