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真昼の星  作者: たびー
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さいわい -ヨルダッシュー (中)

大僧正はゆっくりとまばたきをしてヨルダッシュとトールを見た。

 深い皺の奥の瞳にはまだ枯れない命を宿している。

 ヨルダッシュは大僧正の部屋の灯を消し、代わりに窓の板戸を上げて光を入れる。

 よどんだ部屋の空気が乾いた新鮮な風に押し出される。

 いつものように室内を見渡す。壁に描かれた色あざやかな天の者たちの姿が一気に目にとびこむ。

 手に手に楽器や花を持ち、優美に天を舞う。胸に膨らみはないが、女性的な顔だちをしているそれらは大僧正の指揮で描かれたと聞いたことがある。

「トール殿、いらしておいでだったか」

「先ほど着いたばかりです」

 トールは大僧正の枕元に進み出た。

「大僧正さまからお許しをいただきたい、ヨルダッシュを連れていくことを」

 あまりに性急な物言いにヨルダッシュはうろたえたが大僧正は鼻で笑った。

「そなたはいつもそれしか言わぬな」

 いつも? ヨルダッシュはトールを見た。真剣な眼差しのトールは大僧正と対峙している。

「今は何年だ」

 問われてヨルダッシュは答える。

「蒼海暦八百六十四年でございます」

 そうか、と大僧正はつぶやいた。

「永く生きすぎたか……なぁ、トール殿。そなたから薬を買うたばかりに」

「え?」

 ヨルダッシュは驚きの声を発した。トール殿から買った? 高齢を疑うところのない大僧正。ならば、トールは大僧正と同等あるいはそれ以上の……。

 トールの頬がこわばりひきつれた。

「ついに使いましたね、切り札を」

「ああ、使うさ。ヨルダッシュは席を外させようか?」

「いいえ」

 トールは決意を持った眼差しでヨルダッシュを振り返った。

「話を聞け、そして選ぶんだ。おまえが」

「わたくしが? 何を……半儒であるわたくしには選ぶなど大それたことは……」

「選べ、自由になるために。大僧正さま、あなただとてヨルダッシュの幸せを願っているはず、同じ……」

 トールはそこで言葉をいったん切った。そしていい放った。

「同じ体を持つ半儒として」

「!」

 ヨルダッシュは胸の前で組んだ指を強く握った。

 まさか、半儒が僧侶になれるわけがない。

 半儒に許されている生業はただひとつ。

 身を売ることだけ……。

「ヨルダッシュ、西方の国々では両性の者を、ガブリエルまたはガブリエラと呼ぶんだ」

 そしてかすかにほほえんだ。

半儒(はんにんまえ)なんてよばない、おれはガブリエルは天人と訳すにふさわしいと思っている」

 ヨルダッシュは思わず天井を見あげた。

 描かれている、天人と天女……この世のものではない美しい存在。

「西方の国々では特別な才のあるヨルダッシュのような天人たちに役割を与え大切にする」

 金の髪の『あの子』みたいに……? ヨルダッシュの脳裏に『あの子』のようすが浮かんだ。

 大僧正は乾いた笑い声をあげた。

「結局は我らは利用される。この辺りにだとてある。未来見(さきみ)のできるものは宮殿に囲われ篭の鳥……ヨルダッシュはここにいるのがよいのだ。ここには半儒を夜ごと苛む輩はいない」

 ヨルダッシュの体がふるえた。幼いころから繰り返されたおぞましい日常。

「ここにいれば誰からも傷つけらずにすむ」

 確かにそうだ、外に出たら人買いに売り飛ばされる……またあの日々を繰り返す。死ぬまで。

「だからここで共に朽ちていけと!?」

 トールが叫んだ。

「外には別の世界がある。自分が何者かも知らず、ただ安らかに過ごせる、それだけの理由でヨルダッシュをここに縛るのか!!」

「何を言う! ヨルダッシュは充分すぎるほど傷ついたのだ。ここを出て、また苦しみを受けよなどと。そんなことが賛成できるものか」

 二人の言い合いにヨルダッシュは口を挟むことなど元よりできず、ただ棒立ちするしかなかった。

「おまえには分からぬ。この地で半儒として産まれた苦しみを。わしは自分の異能を駆使し周りの目をくらまし欺き、大僧正の地位を手にいれた。けれどその道のりがどれほど過酷だったことか」

 トールはしばし口を閉ざし大僧正を見ていた。

「ヨルダッシュ、ここにいろ。わしがいなくなった後もおまえ一人くらい養える菜園と井戸があるではないか」

 小さいが力を放つ視線がヨルダッシュに向けられた。いすくめられたヨルダッシュはめまいを感じた。

「オアシスの権利を巡って戦が始まります」

「なにを……」

「戦が始まれば、安寧も破られましょう。ここが襲われたとき、どうやって身を守るのですか? ヨルダッシュを守れますか?」

大僧正は唇を噛みしめ沈黙した。

「ヨルダッシュ、遠見で見ていたところへ行かないか」

 いつの間にか床に座り込んでいたヨルダッシュの手はトールのたくましく温かい手に包まれていた。

 あそこへ? 『あの子』がいるあの場所へ……行ってみたい! けれど膨らんだ望みはすぐにしぼんだ。

 ……行けるはずがない。東から西へ行ったところで、数えきれないほどの男たちに踏みにじられた自分と『あの子』が同等なはずがない。

 恥ずかしさより恐怖がまさる。きっと皆に見透かされる、けがれた半儒と。

ヨルダッシュの手はトールから滑り落ちた。

「い、いいえ。トールさま……わたくしはここから離れません」

 トールの顔が困惑に曇り、大僧正は満足げにうなずいた。

「そうだ、そうでなければ、おまえをここに残した意味がない」

 ヨルダッシュは唾を飲み込み、自分に言い聞かせるようにうなずいて続けた。

「大僧正さまは不自由な身をていしてわたくしが人買いの手に渡らぬようにして下さいました。そのご恩に報わなければ……わたくしのような半儒はそれくらいしかできないのです」

 すでに終わっている……、そう思えば大丈夫、悲しくも苦しくもない。

「自分を半儒(はんにんまえ)なんていうな、おまえは人だ!!」

 トールはヨルダッシュの手を再び強く握り一喝した。ヨルダッシュはまるで雷に打たれたように体が痺れた。人、自分は人!

「人なんだ。大切にされてあたりまえの……人の(ことわり)から外れたおれよりはるかに」

 トールは眉間にしわを寄せ苦しげにうつむいた。

「トールさま」

 初めて見る、トールの姿にヨルダッシュは戸惑った。

「おれにはまだ長い時間があります。おれはヨルダッシュを生涯守ります……大僧正さま、この言葉に嘘偽りがないことをあなたならば信じてくださいましょう」

 トールは立ち上がった。そして両腕を胸の前で交差させ大僧正に頭を深く下げた。

 自分のために……ヨルダッシュは信じられない面もちでその光景を見つめた。

 人ならば……望んでもよいのだろうか。

 人ならば、願ってもよいのだろうかーここから出て違う運命を歩むことを。

「大僧正さま、お願いいたします。わたくしはトールさまと一緒に行きとうございます、どうか不義理をお許し下さい」

 ヨルダッシュは床に額をこすり付け、大僧正に許しを乞うた。今まで何一つ己の願いなど口にしたことはなかったのに。

「ヨルダッシュ……」

 トールが小さくささやいた。その声はえもいわれぬほど優しかった。

「もうよい……」

 しわがれた声が聞こえた。ヨルダッシュは涙に濡れた面をあげた。

「もうよい、ヨルダッシュ。トール殿とゆけ」

「大僧正さま」

 ヨルダッシュは泣き崩れた。

「そうだ、我らも人だったのだ。誰が線を引いたというのか? 神か仏か? 我らは自由に生きられるはずだ。天人や天女でなくてよい。ただ人として」

 大僧正は痩せ細った手でヨルダッシュの体にふれた。ヨルダッシュは大僧正の手をとり、涙を流した。

「わしは権力にしがみつき、果ては不死を望んだ。しかし体に合わなかったのだな。年老いた姿のまま、長きを過ごした。トール殿、思えばそなたは以前は十年か二十年に一度くらいしか訪なわかったのに、ヨルダッシュが来てからというもの、毎年といってよいくらい頻ぴんと来るようになったな」

 姿勢を戻したトールがわずかに顔を赤くして横を向いた。

「ヨルダッシュ、おまえの危うい遠見の(わざ)も長く生きてきたトール殿ならば正しく導いてくださるであろう。もう泣くな。食事を用意しておくれ。わしがまた眠りに入る前に」

 ヨルダッシュは、ただうなずき涙をふいた。


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