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真昼の星  作者: たびー
2/11

写本制作室  スクリプトリウム (下)

 以上が師匠より語られた話である。

 師匠はその後、美しい写本をいくつも手がけた。そのきこえは高く、貴族から個人として所蔵したいとの引き合いもあったが、師匠と修道院長の意向により譲渡されることはなかった。

 いつしか貴重な書物を所蔵する修道院には、巡礼者が訪れ始めた。そのための宿や市がたち、やがては領主が学舎を建設した。

「生あるうちに聖都アルマサナスの大聖堂(カテドラル)へ詣でたいものだが」

 書写室のまどから聖都の方角を毎日眺めていたが、ついには叶わなかった。

 聖都には、おおくの天使が神に仕えている。中には、奇蹟の御技である飛翔ができる者もいると聞く。

「けれどディーター殿ほど美しい天使はおるまい」

 それが口癖だった。


 師匠の死からすでに十年以上の時を経たが、いま私があえてこの記録を残すことには理由がある。


 先日、師匠の死去をどこからか聞きつけ、弔問客が修道院を訪れたのだ。

応接室で椅子から立ち上がったその男は、亜麻色の短い髪と、灰色の瞳をしていた。

 わたしは背中に鳥肌がたった。

「生前、室長から本を譲り受ける約束を。わたしはお舘さまの代理でまいりました」

 柔和な笑みを浮かべ、頬を強ばらせているわたしに書状を差し出した。

そこには、師匠の署名いりで、個人で所蔵していた本を死後、生家へ譲渡する旨が書かれてあった。

 師匠はさる貴族の妾腹だと聞いていた。けれど。

「わたくしども修道士には私物などございませぬが」

 わたしはとっさにそう答えた。

「師匠の遺品は身の回りのものがわずか。写本の類いはすべて図書館に帰属しております。それは修道院の財産。どなたへもお渡しすることはできませぬ」

 勇を鼓して偽りの言葉を語った。

 わたしは寝たきりになった師匠から一つの私物を譲られていたのだ。

 わたしの頑なな態度に、つかのま応接室には緊張が走った。

「……小さなイコンがございす。師匠が作務の合間にご自身で作られて大切にされておりました。美しい天使の絵が納められています」

 男が眉間から力を抜いたのがわかった。

「ただいまお持ちいたします」

 わたしは自室へと戻った。回廊をいく間に額に薄く浮いた汗をぬぐった。いまさらながら全身のふるえを意識した。

 おそらくは、ディーターの肖像であるイコンを渡せばおさまるように感じた。

 師匠が作成したイコンは、手のひらに隠れるくらいの大きさで、素朴ながらも細かい木を組み合わせた精巧なものだ。扉部分には連続する蔦の先に小さな青い花がいくつも咲いているように模様が描かれていた。

 手渡されたイコンの肖像画を男性はじっと見つめた。

「ありがとうございます。これならばお舘さまもご納得されましょう」

 満足げにうなずくと、早々に席を立った。

 門まで送るあいだの会話はたわいのないものだった。最後に彼の名前を尋ねたが、ただの使用人である自分など、と教えてはくれなかった。

 そして巡礼者や学徒にまじり、彼は門を出ていた。

 彼の背中を見送りながら、わたしはこの記録を書くことにした。

 一冊の画帳を隠しとおすために。

 それは子ども時代から描き綴った素描が詰まった師匠の画業の歩み。

 その中には憧れてやまなかったディーターの姿や二人目の黒髪の天使、そしてそれを従えていた灰色の瞳の男性が繊細な筆致で克明に残されている。

 そう、つい先ほどまで目の前にいた彼が描かれている画帳をわたしは持っている。

 彼は何者なのだろうか?

 師匠の子ども時代に三十代ならば、すでに百を越えているはず。

 いや、世の中にはまれに百まで生きるものも、あるいはあるかも知れない。

 けれど姿が変わらないのはなぜだ?

 不老不死だとでも?

 あるいは、彼は神が姿を変えて地上に降りてきたのか。

 ならば、天使をつれていたとしても不思議では……ない?


 この画帳と記録は、わたしの寿命が近づいたなら、書庫の奥深くに隠すことにする。

 これを目にする後の世の者よ。解きあかして欲しい。彼が何者なのかを…。


 新星暦三九二年 

実は、「写本制作室」は去年の春頃に手がけて頓挫したものです。

書きたいことは書きたいけれど、どうにも進まず。

それがなんとか書けてよかったです。

連作短編・・・憧れの連作。うわー、書けるのかな。


なお、「真昼の星」は米原万里さんの同タイトルのエッセイより

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