壁
ジェノスロスト帝国――。
人間界の中腹に座する、軍事国家。その袂に、俺達は降り立った。
「いやぁしかし……また異様な光景だな……」
それまでの景色は一変していた。
草木は枯れ、地面はどす黒い。風は渇き、暗雲広がる空を見ていると肌寒さも感じる。
生気がない土地……とでも言えばいいのだろうか。とにかく、他の存在を許さないような、そんな重々しい空気がそこにはあった。
「大志、見えるか?」
サラは遠くを指さす。その方向を俺とグランが見つめると、そこには巨大な壁があった。それは何かを守護するかのようにぐるりと回っており、その中心には立ち並ぶ人工的な建造物と、幾重にも立ち上る煙や蒸気。
重々しく、帝国の威光をそのまま反映したかのような外見に、思わず息を飲んだ。
「あれがジェノスロスト帝国の中枢だ。おそらくあそこに、目的の場所があるはずだ」
目的の場所……帝国書籍保管庫。
そこになら、錆について何か分かるのだろうか。もし分からないとしても、収穫はありそうではあるが。ともあれ、あの壁の内側に入らないことには話にならない。
「とりあえず行ってみるか」
そう言いながら、グランに視線を送る。
グランはいつも以上に険しい顔をしながら、鋭い視線を帝国へと向けていた。
「グラン、分かっているとは思うけど……」
「ああ。お前達の指示に従う。大丈夫だ」
俺の言わんとすることは、いちおう理解しているようだ。
だが今の様子を見る限り、どことなく危険な気もする。それこそ、火薬庫で松明に火を灯すかのような、危なっかしい雰囲気がグランにはあった。
「……大志。もしもの時は……」
どことなく、サラも同じことを感じたのだろう。彼女は小声で俺に声をかける。
もちろん、彼女の言わんとすることも分かっている。
「分かってる。もしもの時は、グランには悪いがしばらく眠ってもらう。それで、躊躇することなく撤退する」
「そうだな……。まったく、世話のやける戦士長だ」
サラは溜め息をこぼしながら、歩き始めた。それに俺とグランも続いた。
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壁の直近まで来た俺達は、剥き出しになっていた岩の影に隠れる。
「大志、見張りの兵はどれくらいいる?」
サラの問いに、電磁フィールドの範囲を広げる。
「……周囲にはけっこういるな。特に集まっている場所があるが、おそらくはそこが門だろうな」
「どうする? 踏み込むか?」
グランは腰の剣に手をかける。血気盛ん過ぎるだろ。
「待て待て待て。今からどんぱち始めたら、保管庫に行くどころの話じゃなくなるだろ」
「最悪、帝国軍と直接ぶつかることになりかねないな。無謀過ぎる」
「そ、そうか……すまん……」
俺とサラに窘められたグランは、落ち込むように柄から手を離した。
「とは言え、正当法で行っても簡単には入れてはくれないだろうな。……ってことで、飛ぶぞ」
「飛ぶ?」
「そうそう。俺がグランとサラを抱えて、壁を飛び越える」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待て!」
サラは慌て始めた。
「待たないって。魔法を使って入れば検知される可能性だってあるし。跳び上がって着地するだけなら、魔力の解放は一瞬だけだしたぶん大丈夫だ。兵に見つからずに俺らが素早く中に入るには、それしかないだろ。他に方法はあるか?」
「い、いや……! きっと何か方法が……!」
「考え付くまでこんなところにいられるわけないだろ。とっとと行くぞ」
つべこべのたまうサラを放置し、右手でグランを、左でサラを抱え込む。
「……グラン。この鎧、外せないか? 重いし持ちにくいしで面倒なんだが……」
「鎧は戦士の証だ。俺に裸になれと言うのか」
「そういうわけじゃないけどさ……まあ、いっか。サラは大丈夫か? 痛くないか?」
「う、うるさい! 早く出発しろ!」
何をそんなに怒っているのか。
ともあれ、四肢に雷を帯びさせ、大地を強く踏み込む。
「じゃあ……行くぞ! ちょっと痺れるかもしれないけど、我慢しろよ!」
そして大地を蹴り、一気に上空へと跳び上がった。
遥か上空から帝国を見下ろす。なるほど、やはり壁は都市を丸ごと囲っているようだ。その中の密度たるや、まさに建物のすし詰め状態。その間を縫うように通路が巡り、小さく動く人の姿も見える。人口数は相当なもののようだ。
「た、大志! 早く降りろ!」
サラに急かされた俺は、着地点を探す。あった。壁際の通路。そこに人の姿はない。
目標ポイントを定めた俺は、今度は一気に滑空する。景色を置き去りにするような超高速で壁の内側へと辿り着くと、静かに着地し二人から手を離した。
「到着。二人とも大丈夫だったか?」
「ああ。問題ない」
冷静に答えるグランとは対照的に、サラは俺に背を向けていた。
「ん? どうかしたのか?」
「う、うるさい! ……あっさりと私を抱えて込んで……なんだと思っているんだ……」
ぶつぶつと不満を口にするサラ。その頬は、どこか赤くなっているように見えるのは気のせいだろうか。
それはさておき、兵達が来る気配もないし、とりあえずは潜入は成功したようだ。問題は帝国書籍保管庫がどこにあるかということだが……その辺りは、足で探すしかないだろう。
「とりあえず出発しようぜ。……グラン、しつこいようで悪いが、勝手な行動は勘弁な」
「分かっていると言ったはずだ。くどいぞ」
くどく言わないと不安で仕方がないんだからしょうがない。ここまで心配するならなぜ連れ来たという話でもあるが。
そして俺達は、街の中へと足を踏み出した。人込みに紛れるように、油と錆の臭いの中を。
帝国書籍保管庫を目指して。




