奴隷の少女
闘技会場は街の中央にあった。
ドーム型の建物で、外壁は石のような材質だった。天井はなく、中からは人の歓声が聞こえてくる。
ちょうど、古代ローマのグラディエーターがいそうな感じの建物だ。
中に入るとその広さに驚いた。土の闘技場を円状に囲む観客席は、闘技場より数メートル高い位置にある。戦いの最中に、戦士が逃げないようにするためなのだろうか……
闘技場では、既に二人の男が剣をぶつけ合っていた。二人とも流血が目立つが、戦うことを止める気配はない。お互いに片手剣を振りかざし、相手の体を狙う。
(……マジかよ)
それは素人の俺でも分かるくらいの、命の削り合いだった。
“命懸け”
命を捨てる覚悟を持つこと。だが、その二人の戦いを見ていて思う。
本当の“命懸け”とは、“何としても生き残る意思”なのかもしれない。
……この世界は、やはり俺の知ってる世界ではなかった。
会場は興奮に包まれ、耳鳴りがするほどの歓声が響いている。命の削り合いを、実に楽しそうに見ている。
一つ、分かったことがある。この世界では、人の死は極身近なことなのだろう。この闘技大会のように、人の死そのものを“娯楽”としているのがその証拠だと思う。
元の世界で俺はゴミのような生活だった。でも、死はどこか遠くの、おとぎ話のような位置にあった。どんだけ蔑まれても、どんだけ惨めでも、あの生活は死とは無縁だった。実に呑気な話だと思う。
元の世界、あれほど消えたかった世界……あの村で、元の世界に帰れないかも知れないと思った時、俺は歓喜した。
……でも、今は少しだけ、元の世界が恋しくなった。
喧騒の中、俺は一人だけ取り残された気分だった。
ひときわ大きな歓声が会場を包む。闘技場を見ると、血飛沫を上げてのたうち回る男と、剣を天にかざし勝鬨を上げる男がいた。
そんな闘技場から目を背け、俺は受付に向かった。
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もう試合は始まっていたが、なぜかまだ受付は可能だった。その辺がアナログのいいところかもしれない。
さっきの試合を見て、少し怖くなった。
でも、金がなけりゃ生きていけない。要するに、殺さず殺されず、相手を“倒せばいい”だけなんだ。
それは、この世界を生きる上で甘い考えなのかもしれない。
だけど………
(俺は、そこまでこの世界に染まりたくない……)
「ん? キミも参加するのか?」
受付のオッサンは、俺の姿を見て不思議そうな顔をしていた。
その気持ちは分かる。何しろ、奥の待合室には歴戦の戦士のような男達が殺気じみた顔で、試合時間を待っていたからだ。
そんな中、俺はどう見ても普通の男。それもそのはず。俺のニート歴はかなりなもんだったからな。およそ戦とは無縁の容貌と言えるだろう。
「……別に、止めはしないけど、命の保証はないよ?」
「分かってますよ」
「なら、いいけどね……」
オッサンは俺に聞こえるくらいの溜め息をつきながら、俺の名前を帳簿に書いた。
「大会は、順調かね?」
そこへ、一人のハゲ面のオッサンが現れた。
「こ、これは、マーキス様!!」
(誰?)
マーキスとかいうハゲは、赤いローブのような服を来ていた。他の奴とは違い、どこか高貴というか、なんか偉そうだ。
「おや?」
マーキスは俺の顔を見て、受付のオッサンと同じ顔を浮かべた。
「キミも参加するのか?」
(またその質問かよ……)
「ああ。悪いか?」
「こ、こらキミ!!」
受付のオッサンは身を乗り出して俺を静止した。
「この人はマーキス卿、この大会の主催者なんだよ!!」
(この人が……へえ……)
「いやいやいいんだよ。若い者は、そのくらい血気盛んじゃないとな」
マーキスは豪快に笑った。
……でも、その笑い方を俺は知っている。本当はムカついている。自分より下の者に舐めた口を利かれ、イライラしてることだろう。だが、他の者の前でそれを出せば、自らの器の小ささを露呈してしまう。だからこそ、笑って誤魔化すんだ。
俺の親父と、同じだ。
「まあ、頑張りたまえ、若者」
「あ、ちょっと……」
思わず声をかけてしまった。
それは、マーキスの後ろにいる“異様な光景”が気になったからだ。
従者とおぼしき人の中に、彼女がいた。
赤い燃えるような髪は大きなオサゲでまとめられている。小顔で大きな黒い瞳。でもその目は虚ろで、焦点が合っていない。特徴的だったのは、その耳だ。上部が尖っていて、他の者とは違う顔立ちに見える。
服はボロボロで所々シミが目立つローブを着ていて、手には木製の手錠が付けられている。更には首には鉄の輪がつけられ、それから伸びる鎖は他の従者がしっかりと握り締めていた。
その姿は、まさに奴隷だった。
「ん? なにかね?」
「その赤毛の子は?」
マーキスは一度冷たい視線を赤毛の子に送る。そして、さも当然のように言い放った。
「……ああ、先日“買った”んだよ。魔族だ」
「魔族……」
(これが? ただの女の子じゃないか)
「何で手錠や首輪を?」
「何を言ってるんだ。せっかく買ったのに、逃げられたら困るだろ……」
「買った?」
「そうだ。80万でな。聞けば、魔族の中でも高貴な輩らしくてな。そこそこの値段だったよ」
マーキスはニタリと笑っていた。その顔は歪んでいた。狂っていた。
(これが……この世界の常識なのか?
……ヘドが出る)
手に力が入る。気を抜いたら、ここで雷が放出されそうだ。
「さて、そろそろ行くぞ。健闘を祈る」
マーキスは歩き出した。従者もそれに付いていく。そして、一人の従者が手に持つ鎖をグイッと引くと、赤毛の子も鎖に引かれ、トボトボと歩き始めた。
(…………クソッ)
「――おい!! ちょっと待てよ!!」
俺は、声を張り上げ立ち去るマーキス一行を呼び止めた。
「……まだ、何か?」
鋭い視線を俺に向けるマーキス。
(これがこの世界の常識なら、おそらく他にも魔族が……)
その子だけではないことは分かる。俺が今足掻いたところで、どうしようもないことも分かる。
……でも、人として扱われないその子を見ていると、何もしないのだけは嫌だった。目の前で女の子がゴミのように扱われるのを、黙って見るのだけは出来なかった。
「……取引をしよう、マーキスさん」
「取引?」
「さっき、その子は80万って言ってたよな?
……だったら、俺がその子を貰う」
「何?」
「この大会で優勝すれば賞金は100万。俺が優勝したら、賞金から80万引いてくれよ。代わりに、その子を俺に譲れ」
赤毛の子は、虚ろな表情のまま体をピクリと動かした。
「……本気か? お前程度が、本当に優勝出来るとでも思ってるのか?」
「マーキス卿、見た目で判断すると、痛い目見るぞ?」
しばらく睨み合った。空気はとても重くピリピリする。受付のオッサンは、ガタガタ震えていた。
「フン、よかろう。優勝出来た場合は、この魔族をくれてやる」
「その言葉、忘れんなよ?」
「まあ、出来れば、だがな……」
マーキスは高笑いしながら立ち去った。赤毛の子は、虚ろな視線を俺に向けたまま、冷たい金属音と共にマーキスと共に消えた。
「き、きき、キミ!! 気は確かか!!??」
マーキスがいなくなった後、受付のオッサンは俺に詰め寄った。
「ああ。確かだ。優勝すればいいんだろ?」
「キミは、何も分かっていない!! キミは、貴族にケンカを売ったようなものなんだよ!!??
たかが奴隷のために、人生を捨てる気か!!??」
「たかが奴隷、ね……ますます負けられねえな」
「狂ってる。狂ってるよ、キミは……」
受付のオッサンは、顔を青くしていた。
この世界では、あんな状態の女の子を、たかが奴隷で終わらせるのが普通なのだろう。俺からすれば、そっちの方が狂ってる。
(やっぱり俺は、この世界には染まらねえ!!)
立ち尽くすオッサンを尻目に待合室に向かう。
さっきまで俺を包んでいた緊張感はもはや感じられない。
俺は、今すぐにでも放たれそうな雷を必死に抑えていた。