囁くように
イフリトスの居城に戻った俺を待っていたのは、手厚すぎる歓迎というか詫びというか、とにかく規模がデカい宴だった。居城全体に煌びやかな火が灯され、ホールには豪華絢爛な装飾と並びまくる料理の数々。これで許してくれと言わんばかりか。
俺が帰った時には既にホルドマンは釈放されていて、今は朗らかに笑いながら酒を飲んでいる。
「……いやしかし、大志殿には恐れ入った。これほど早く賊を見つけ出すとはのぉ」
ホルドマンは頬を赤くしながら呟く。
「いや俺、何もしてないんだけどさ。向こうが勝手に出て来てくれて、勝手に嫌疑が晴れただけだし」
「ほっほっほ。そう謙遜なさるな」
いや謙遜とかじゃなくて、純然たる事実なんだが……。
なんか何もしていないのに自分の手柄のように言われるのはどうにも居心地が悪い。さりげなく、話題を変えることにした。
「……ところで、ソフィアとイフリトスはいないんだな。せっかくこんだけ豪華な食事が用意されているのに」
「……まあ、仕方ないじゃろ。ソフィア様は気分が優れないと申しますし、イフリトスは仮にもこの国の統治者。あれだけの被害が出ている中で、呑気に宴など出席できまい。儂らのためだけにこれだけの宴を用意したところを見ると、あやつもそれなりに申し訳なく思っておるのだろう」
イフリトスはなんとなくわかる。一方、ソフィアは……。
「……まだ、落ち込んでいるのか?」
「そのようじゃ。ソフィア様もお優しい方であるが故、大志殿から聞いた限り、その村の凄惨さにかなりのショックを受けておられるのじゃろうな」
「そうか……」
あとで様子を見に行ってみるかな。
「ところで大志殿」
ホルドマンが口を開く。
「これからどうされるおつもりですか?」
「そうだなぁ……。やっぱ、個人的に気になるのは、“アレ”だからなぁ」
「……錆、ですかな?」
「そうそう。今回の賊の動きがさ、どうにも気になるんだよな。一貫性がないというか、デコイみたいな役割のように見えるというか……。錆を奪いたいだけなら最初の襲撃だけでさっさと引っ込めばよかったわけだし、それ以上の行動は返って錆を奪い返される可能性を高めるだけだろ? それでもまた出て来て、挙句イフリトスに喧嘩を売ってるわけだし。しかも、中途半端に逃げてる……。ってことは、錆以外にも目的があったと思うんだよ。じゃあ、その別の目的ってのが、いったい何なのか……」
「ふむ……」
「やっぱ奴の行動の裏には、“錆”が関係してると思うんだ。そもそも、根本的にその錆ってのが何なのかを俺達は知らない。だから錆のことを調べれば、もしかしたら……」
「賊の行動が読める、と……」
「今のところは、“読めるかもしれない”ってレベルだけどな。特段予定もないし、とりあえずそっちを探ってみようかな」
世界征服という最終目標を掲げてしまってはいるが、それはこの際後回しにするとしようか。
しかし、そうは言っても錆について心当たりなんて一切ない。あるわけがない。ていうか保管責任者であるイフリトスすら知らないことだし、いったい誰なら知っているというのだろうか。
ここは、年の功に期待してみようか。
「……ホルドマン。あんた、錆について何か心当たりはあるか?」
しばらく考え込んだホルドマンは、小さく首を横に振った。
「……すまんが、儂も知らぬ。ただ……」
「ただ?」
「……ジェノスロストには、世界に誇る帝国書籍保管庫があると聞く。そこになら、或いは錆に関する記述があるやもしれん」
「ジェノスロスト帝国……」
ああ、あのゴッツイ髭帝王さんの国か。確か、ダグザが加護してるんだったな。もし会うことになるなら、フェルド平原以来になるんだっけ……。正直、気まずい。
しかしまあ、気にしても仕方がないことなのかもしれん。俺は曲がりなりにも魔王を自称してるわけだし、向こうは勇者だしで、遅かれ早かれどっかで会うことにはなるわけだし。
「……そうだな。行ってみるかな、ジェノスロストに」
「ほほぅ……ならば、生気を養わねばな。ほら大志殿。もっと食べなさい。飲みなさい。食は全ての基本ですぞ」
「いや腹いっぱいだし。もう食えねえよ……」
その後も、渋る俺にホルドマンは飯を薦め続けるのだった……。
~~~~~~~~~~~~~~~~
街がすっかり夜の底に沈み、星が燦然とその存在感を露にし始めた頃、宴は幕を閉じた。
「くっっそぉ……ホルドマンめぇ……」
用意された客室に向かう俺を襲っていたのは、圧倒的な満腹感。むしろ体調不良。むしろ要入院。とにかくまあ色々食べまくった。むしろ食べさせられた。もちろん、ホルドマンに。
あの爺さん完全に酔っぱらいやがって、飯を断る俺に対してどんどん食わせようとしやがったわけで……。怒るわ笑うわ泣き落とすわ、あらゆる手段を用いて「もう食えん!」と叫ぶ俺の胃袋にテト○スばりに飯を積めようとしたのだった。
今はすっかり酔いつぶれて会場で寝入ってしまっているが、今日ほどあの爺さんを恨んだ日はない。とにかく苦しい。気持ち悪い。
「あーダメだ。ちょっと外の風に当たるか……」
このまま寝ろって方が無理だ。今横になったら体内ドミノ倒しどころかドミノ崩壊が起こりかねん。
というわけで、少し体を落ち着かせるべく城の中庭へと向かう。
……と、ここで。
(……おんやぁ? こいつは……)
電磁フィールドに、何やら反応が。
だが、その対象には心当たりが。というより、確信的に誰かが分かった。
特に何か警戒することもなく、中庭へと向かう。
岩に囲まれた居城であるにも関わらず、中庭には緑が生い茂っていた。ていうか規模がデカイ。中庭に林って……。これって中庭って言うのか?
ともあれ、俺は一路“そいつ”のところへ向かう。
しばらく歩いたところで……いた。
彼女――ソフィアは、空を眺めていた。彼らに何かを問いかけるように、ただひたすらに、大きな瞳に小さな光の群小を写していた。
そしてその瞳は、どこか滲むように揺れている。
「……起きていたのか?」
声をかけると、彼女は慌てる素振りもなく俺に顔を向けた。
「大志……」
一言呟いたソフィアは、そのまま視線を落とす。
どこか普段の彼女とは様子が違う。勝ち気で、豪胆で、活発な彼女ではない。弱々しく、壊れそうなほど儚い。
彼女の変化に戸惑ってしまう。
そんな俺とソフィアは、しばらくの間、言葉を交わすことなく立ち尽くしていた。
星が煌めく夜の中で、夜風に靡く木々の音だけが微かに響き渡っていた。
そよそよと、囁くように……。