突然の知らせ
砦に戻った俺は、他には目もくれずイフリトスの元へと向かった。ソフィアは途中で街に残してきた。破壊された街を見てからの落ち込みように、今は一人にした方がいいのかもしれない。それに、ホルドマンのこともあり、イフリトスに会うのにも抵抗があるだろう。そして俺は、一人でイフリトスの元へと向かう。
扉を開け中に入ると、奥の玉座に座するイフリトスは睨みを効かせる。
「……ほう、早かったな。して、賊は捕まえたのか?」
一度周囲を見渡すが、そこにホルドマンの姿は見えなかった。おそらくは別室に幽閉でもされているのだろう。
「いや、まだだ」
俺の言葉に、イフリトスの眼光は更に鋭さを増す。
「では、何故戻ってきた」
「イフリトス。あんたに聞きたいことがあったんだよ」
「儂にか?」
「ああ。――“錆”について、教えてほしい」
「……なんだと?」
錆……予想外の言葉だったのかもしれない。それを聞いたイフリトスは、身を乗り出し表情を曇らせた。
「錆だよ錆。壊された街の長老に預けてたんだろ?」
「……そうか。賊はそれを……」
何かを察したイフリトスは、どかりと背もたれに寄りかかる。
「ああ。街を襲った時に持ち去ったそうだ。……なあ、錆ってなんなんだ?」
「……それを知ってどうする?」
「賊を捕まえるためだよ。賊がわざわざ錆を持ち去ったということは、何かしらの目的があったってことだろ? だったら、それがいったいどんなものなのか、何をするためのものなのかを知る必要があるだろうに」
「……」
イフリトスは思案に耽っていた。言うべきか否か……それを悩んでいるように見えた。俺は何も言わず、彼の言葉を待つ。そして……。
「――正直なところ、儂もよく分からんのだよ」
「おいおい。ここまできてそれはないだろ」
「知らぬものは知らぬ。そもそも、あの錆自体は儂のものではない。ただの、預かりものだ」
「預かりもの?」
イフリトスは、一度息を吸い込む。
「――魔王からの、だ」
「――ッ!」
イフリトスの言葉に、衝撃を受けた。魔王というのは、俺ではない。俺はイフリトスとは先日初めて会ったわけで。となれば、彼が言うところの魔王は、一人しかいない。
つまりは、前魔王。
「……驚いたな。あんた、魔王と親交があったのか?」
「ふん。そんな小綺麗なものではない。儂とアスタロトは、言わば腐れ縁よ。幾度となく戦い、魔界の覇権を競い合った仲だ」
「アスタロト……」
「奴の名前だ。知らぬのか?」
「あ、ああ……」
考えてみれば、前魔王のことを何も知らなかった。唯一知ってることと言えば、雷の魔法を使い、魔界を統一し、勇者と戦い散った程度か。それで“知っている”と言えるのかは微妙なところだが。
「……そんな奴が、ある日この砦を訪れてきてな。預かっていて欲しいと、無理矢理渡してきたんだよ」
「それが、錆……」
室内は沈黙に包まれる。賊の狙いは、おそらくは錆。だがその錆自体は、元々前魔王のもの。それがいったい何なのかは、前魔王がいなくなった今、何も分からない。
(これじゃ、錆から賊を見つけ出すのは難しいな……)
諦めが混じるため息を漏らす。賊の捜索は、また振り出しへと変わる。
「――よもや、思い違いをしていないとは思うが……」
ふと、イフリトスは口を開いた。顔を上げると、彼は俺を睨み付けていた。
「貴様が出した条件は、錆の奪還ではないのだぞ? 賊を捕らえ、儂の前に突き出す……。それが出来ぬ時は、言うまでも分かるであろう」
イフリトスは威圧するように言い放つ。目的を違えるな。彼の目は、そう唸っていた。
「……ああ。分かってるよ」
もちろんそんなつもりはない。錆はあくまでも賊を見つけるための要素の一つ。俺としても、賊をこのまま見逃す気もない。
「イフリトス。破壊された街を見てきたよ。いや、酷いもんだった」
「……」
「もちろんホルドマンも見殺しにするつもりはない。でもな、それとは別に、俺自身も賊を見つけ出したいって思ったんだよ。あそこにあった暖かくて柔らかい日常。それを無慈悲に、理不尽に奪い去った賊を、俺も許せない。だから、必ず見つけだす」
「……ふん。だといいがな……」
少しだけ、イフリトスの表情が柔らかくなった気がした。
――その時だった。
「――イ、イフリトス様!!」
突然入り口のドアが勢いよく開かれ、兵士の一人が飛び込んで来た。
「どうした。騒々しいぞ」
イフリトスは威厳のある声を兵士にかける。兵士は顔を青くしながら、滑り込むようにイフリトスの前に跪く。
「し、至急連絡です! ――件の雷使いが、再び現れました!」
「な、なんだと!?」
「――ッ!?」
場の空気が一変した。イフリトスは信じられないようなことを聞いたと言わんばかりに口を開け、兵士と俺を交互に見る。そして一度口を強く閉ざし、落ち着いた口調で兵士に尋ねた。
「……それは誠か?」
「はい! 現在、南西の街を襲撃しているとの情報です!」
ということは、今まさに暴れているということ。不謹慎な言い方をすれば、俺にとっては好都合だった。俺がこの場にいるにも関わらず現れたもう一人の雷使い。労せずして、俺の無実は証明されたわけだ。
だがそれでも、喜ぶ気にはなれない。困惑が頭の中を駆け巡り、声すら出せない。なぜこのタイミングで? 何か目的があるのか? そんな様々な憶測が、終わることなく湧き出ていた。
その困惑は、イフリトスも同じだったようだ。彼からすれば、自分の疑いが全て間違いないだったと突きつけられたようなもの。後悔の念に苛まれているのだろうか。どこか悔いるような表情のまま、強く瞳を閉じていた。
そして目を開き、俺の方へと正対する。
「……大志、とかいったな……」
「……ああ」
「すまなかった。どうやら全て、儂の思い違いだったようだ。すぐにホルドマンは解放し、十分な謝罪をしよう。――だが、今は……」
「分かってるよ。今は、賊を捕らえる方が先決だ。落とし前、つけさせてやろうや」
「……すまぬ」
そう呟いたイフリトスは、玉座から立ち上がる。その瞳には、既に炎が宿っていた。
「――賊は儂自らが引っ捕らえる。儂の国に手を出したこと……地獄の業火に焼かれ、悔いるがいい……!」




