成すべきこと
戦の知らせを受けたアンネイの家は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
「まさか、こんなに早く仕掛けて来るなんてねぇ……」
アンネイは、未だに信じられないかのように繰り返し呟いていた。
壁にもたれかかれ、爪を噛んでいる。傍から見ても、かなり動揺していることが分かる。
サラは机に座り、肘を立てた手に顔を埋めている。
俺もまた机にもたれ掛り、天井を茫然と見ていた。
戦争……俺には遠い世界の話だった。教科書やテレビ、雑誌では何度も見てきた言葉、写真、話……
それが、今俺がいる世界で、再び起ころうとしている。
正直な話、実感はない。戦場に立つわけじゃないし、衝突するのもジェノスロスト帝国領内。ここからは遠い。
完全に他人事のように思えてしまう。でも、それじゃダメなんだ。
この世界は意外と小さい。その中で、魔界の勢力と人間界を代表する勢力がぶつかろうとしている。それは、もはや国と国との戦争ではない。このエバーグリーンという世界そのものを巻き込むものだ。
それについて、この世界で今を生きてる俺には全然他人事なんかじゃない。もしここで魔界の軍勢が勝利すれば、次はセントモル公国かレギオロス諸国連合を狙うだろう。
世界は、いずれ戦火に包まれる。
「……まだ、その時じゃないと思ってたのよぉ」
アンネイは誰かに話しかけるかのように、言葉を言った。俺に対して、サラに対して、自らの思考を曝け出すかのように言葉を続ける。
「魔界は今、次の魔王を決める睨み合いの最中だからぁ、人間界に手を伸ばすことはないって読んでいたのぉ。2人の実力者も、どちらかが倒れた方が倒しやすいしねぇ」
「おそらく、どちらかの勢力が功を得ようとしたのだろう。人間界を侵略したという事実を魔界に突きつけ、更に勢力を伸ばす。それが、目的だ」
「そして、あわよくばその勢いで人間界を……ってところか」
俺たちは沈んでいた。現実を受け入れ、それでもことの大きさに呑まれていた。
そんな中、アンネイが口を開く。
「私はぁ、ジェノスロスト帝国に行くわぁ。さすがに、手を貸さない訳にはいかないしぃ……」
「姉さん、私も行く。これは、もはや帝国だけの話じゃなくなってる。私も、人間界の一員として戦う」
姉妹は微笑み合っていた。普通なら、姉のアンネイがサラが戦場に行くことを反対でもしそうなのだが……この2人には、2人にしか分からない絆があるのだろう。
「俺も――」
「大志はだめよぉ」
アンネイは手を出し、俺の提案を静止した。
「何でだよ! 俺も一緒に――」
「大志、お前は今、力の制御が出来なくなってるんだぞ? そのまま戦場へ行ったらどうなる? 両軍の兵士の多数が消滅してしまう。
制御出来ない強すぎる力は、返って邪魔なだけだ」
「邪魔――!!」
……カッと来そうになった自分を戒めた。サラが言ってるのは、正しい。今の俺が行ったところで、むやみに戦火を広げるだけだ。下手をすれば、サラ達を消しかねない。
だけど、俺は納得できなかった。理屈じゃない感情が、俺の中に広がっていた。
俺は黙り込むしかなかった。そんな自分が不甲斐なかった。
「……じゃあ、さっそく行こうかしらねぇ」
アンネイとサラは家の外に出た。
俺も見送りに外に出たが、一つ疑問があった。
「行くって……どうやって?」
時間は夜遅い。こんな時間に船なんてない。
しかしサラは、不思議そうな顔をしていた。
「あれ? 大志、姉さんの先天魔法を知らないのか?」
「いや、知らないけど……」
アンネイを見た。アンネイは目を閉じ、全身に力を込めていた。
その時、海風が吹いた。その風は強く、周囲の木々を激しくざわつかせ始めた。
そしてその風は、一カ所に収束される。
「か、風が……!!」
その場所は、アンネイの体だった。風を受けたアンネイは、ふわりと宙に上がる。
「アンネイの先天魔法って……」
「ああ。“風”だ」
そう言って、サラはアンネイの手を掴む。
「大人しく待っていろ大志!! すぐ戻る!!」
「じゃあねえ大志、行ってきまぁす」
2人は、風になって飛び去って行った。残った俺は、振っていた手を降ろし、拳を握り締めることしか出来なかった。
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残った俺は、しばらく茫然と空を見ていた。
空は星々が煌めき、実に綺麗だった。でも、そんな空も、今の俺には空しく思えた。
「………」
言葉を出すことはない。ただただ、空の色を確かめる様に、上を見上げていた。
(……散歩でも、するか)
ジッとしていられなかった。あの2人は戦場へ向かった。だけど、俺はここにいる。この戦場とは程遠い、綺麗な夜空を楽しめる場所にいる。それが、我慢できなかった。
油断すると雷が出そうになる。心を静め、それを必死に抑える。
歩き続けた俺は、気が付けば、昼間に来た教会の近くに来ていた。
外壁にかけられた紋章をボンヤリと見つめる。
(約束、したんだけどな……)
2人を守る。成り行きでした約束だったが、あの子はそれを信じた。でも、今の俺には到底守れそうもない。むしろ傷付けるだけだろう。
何だか笑えてきた。
魔王を名乗りながら、人間界と魔界の戦場にすら行かないなんて……無様。無様すぎて、笑うことしか出来ない。
ふと、教会の外壁に人影が見えた。まるで隠れる様にしながら外壁にへばり付き、周囲を見渡している。
(こんな時間に誰だ? 何をしてるんだ?)
やがて、人影は月明かりに照らされる位置まで移動した。
その人影は、耳が尖っていた。
(―――魔族だと!?)
俺は身を伏せた。そして、ゆっくりとそいつらの様子を伺う。人数は5人。周囲の様子を注意深く窺い、そして、教会の中に入って行った。
(あそこには子供たちが!!)
俺は慌てて走り出す。そして、入り口ドアから中の様子を見た。
中で魔族達は、何かを探しているようだった。
「あったか?」
「いや、ない」
「どこにあるんだよ……」
(何を探してるんだ?)
俺は、奴らの狙いを探った。だが、分からない。薄暗く、よく見えないこともある。
「………誰?」
その時、教会の中で、女の子の声が響いた。
「―――!!!」
魔族達と俺は、その方向に視線をやる。そこには、昼間約束の儀式を交わした、あの女の子がいた。
「チッ―――!!!」
一人の魔族が、ナイフを光らせ、女の子の方に走って行った。
「え? ―――キャアア!!」
(マズイ!!!)
「お前ら待て!!!」
ドアを勢いよく開け、中に向けて叫んだ。
「誰だ!!」
少女を襲おうとした魔族は、ナイフを振りかざしたまま止まっていた。
「その子に手を出すな!!」
「お前、誰だよ!!!」
「……ただの、通りすがりの魔王だよ!!」
「お前が、魔王?」
魔族たちは、声を出して笑い始めた。その不気味な声は、薄暗い教会に響き渡っていた。
「笑わせるな!! 我らが魔王は、“シュバルツ様”ただ一人だ!!」
(シュバルツ? 虚無の絶影の?)
なぜ、その配下がこんなところに来ているのだろう……
こんな教会に、何を探しに……
いや、それは今はどうでもよかった。
「大人しく立ち去れ!! 命までは取ろうとは思わない!!」
「お前、立場分かってるのか?」
そう言うと、ナイフを所持した魔族は、震える少女の体を抱き上げ、喉元にナイフを突きつけた。
「な―――!!??」
「お前こそ動くなよ? 妙なことすると、このガキを殺すぞ?」
「………クソ!!」
今魔法を使えば、女の子もろとも灰にしてしまう。
「お前ら!! その子はまだ子供なんだぞ!!??」
「だから何だ!!」
魔族が叫ぶ。その声に、女の子は小さく悲鳴を上げる。
「薄汚い人間のガキが何人死のうが、知ったことじゃないんだよ!!」
(何だと………クソが!!!)
手に力が入る。少しでも気を抜けば、暴走した雷が全てを吹き飛ばしそうになる。
「ほら、さっさと出ていけ」
ニタニタと笑いながら手を振る魔族。
(どうする!? どうする!?)
俺は必死に打開策を考えていた。暴走した雷を放つとしても、何とか女の子を奴らから引き離さないといけない。しかしその子は奴らの手中。
(クソ!! 制御さえ出来れば!!)
力を制御できない自分に歯ぎしりする。悔しい。憎い。情けない。
あらゆる自分への嫌悪感が五感を支配していく。
「痛ッ――――!!??」
突然、魔族の声が響いた。慌てて顔を上げると、女の子が自分を掴む魔族の腕に噛み付いていた。
魔族の腕から解放された女の子は、一直線に俺の元に駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん!!」
「この――クソガキがあああ!!!」
しかし、すぐに追いつかれ、腕を掴まれる。魔族は女の子を振り向かせ、鈍く光るナイフを振り上げた。
「死ねえええええ!!!」
「止めろおおおおお!!!」
手を伸ばし、女の子の元に走り出す。だが、とても間に合わない。
スローモーションのように時が流れる。鮮明に聞こえる心臓の音。徐々にナイフが女の子の体に近付く。
(クソ!! またか!! また、俺は―――!!)
その女の子が、壊滅した村で見た少女の亡骸と重なる。胸が熱くなる。目が痛いほど開く。
――また、殺すのか?――
そんな自分の声が聞こえた。
(嫌だ!! もう嫌だ!! ――救いたい!! 救いたいんだ!!)
胸に想いが込み上げる。感情が爆発しそうになる。
今なら、俺が成すべきことを、高らかに言える。叫べる。
(俺は、救うんだ!! あの子を!! 世界を!!!)
――今からお前さんにもう一度魔法を教える――
ふいに、最初に出会った村長の言葉が甦った。
――まずは右手をかざせ――
(右手を……)
緩やかに進む時間の中、俺はナイフを振り上げる魔族に右手をかざした。
――イメージするんじゃ。全身を流れるエネルギーを右手に集めるのじゃ――
(全身のエネルギーを、右手に……)
右手が熱くなってきた。少し朧に光り始める。
――体の芯に丸い球体を思い浮かべろ。そしてその球体が光出すイメージだ――
(体の芯に、球体……)
――その光は強大になる。眩く光る――
(強い、光………眩く、光る……!!!)
「うぉおおおあああああ!!!!」
その瞬間、右手から光が放たれた。その光は少女を躱し、正確に魔族だけを狙う。
「ギャアアアアアア!!!」
魔族達は一瞬にして光に包まれ、そして、消えた。
稲光がバチバチと音を立てる教会の中、俺は自分の手を見つめていた。
「はあ……はあ……制御……出来た……!!」
俺は手を握り締め、体で包み込む。
「……お兄ちゃん?」
目の前を見ると、女の子が立っていた。
心配そうに見つめる女の子。俺は、思わず抱きしめた。
「よかった……本当によかった!!」
「お兄ちゃん! 苦しいよ!」
女の子は、俺の腕の中でジタバタと暴れていた。
「ああ、ごめん!」
すぐに女の子を解放する。息を整える女の子を見て、俺の顔にふと笑顔が戻った。
「……なあ、あの約束の儀式、もう一度していいか?」
「え?」
「頼むよ……な?」
「う、うん……」
少し戸惑いながら、少女は手を差し出した。
それに合わせ、俺も手を差し出し、胸に残りの手を当てる。そして、目を閉じる。
「……もう一度約束だ。俺は、あの2人を……いや、この世界を救うんだ。必ず」
ちっぽけだった自分。ゴミだと思っていた自分。卑屈になり、周囲を恨み、自分の弱さや責を棚に上げていた自分。
そんな自分が、初めてやろうと思った。やらなくちゃいけないと思った。
時間がかかるかもしれない。誰かを不幸にするかもしれない。
それでも、俺は前に進む。この世界を照らす、光になる。
(サラ……それが、俺が決めた成すべきこと。世界が、俺の背負うものだ)
俺は静かに目を開け、手を女の子から離す。
「ありがとう。キミのおかげで吹っ切れたよ」
女の子は、首を傾げていた。そんな女の子の頭を撫でる。
奥から、他の子たちの声が聞こえてきた。
「そろそろ行くよ。また、会えるといいな」
教会の入り口を開ける。外の月明かりが俺を照らしていた。
「お兄ちゃん! 行くって、何をしに?」
女の子が不思議そうな顔をしながら聞いてきた。
その質問に、ニッコリと笑顔で答える。
「……世界征服」
「え?」
「じゃあな」
挨拶もそこそこに扉を締め、すぐに足に雷を纏わせる。バリバリと音を出しながら、俺の体は宙を浮く。
「この感覚も、久々だな……」
制御が戻ったことを噛み締める。体が震える。心が震える。
俺は、星空が輝く空を見上げた。
(綺麗だな……)
急上昇し、そんな星の光が降り注ぐ大空へ飛び出す。ほんのり香る潮の匂い。少し肌寒い。
そんな空気を、大きく体の中に入れる。
「――行くか!!」
俺は、アンネイ達が飛び去った方向に向かい、全速力で飛翔した。
目指す場所は、もちろん一つ。
俺は手足に雷を帯びさせ、電磁フィールドを展開する。そして、高鳴る鼓動を抑え、戦場を目指した。