生誕
俺に手を差し出すリヒトは、微笑みを浮かべたままだった。
「……俺を?」
「ああ。キミを、だ」
その視線は、とても強いものだった。優しそうなライトグリーンの瞳。でもその奥には、強く光る意志のようなものが感じられた。
ふとソフィアを見ると、どこか焦りのような表情で俺を見ていた。
そんなソフィアに微笑みを向ける俺。
「いくつか質問なんだが……」
「何だい?」
「なぜ、俺なんだ?」
その質問を聞いたリヒトは、少しだけ間の抜けた表情をした。そして差し出した手を引っ込め、声を出して笑った。
「決まってるじゃないか。闘技場でのキミの戦い、見せてもらったよ。
――伝説上の先天魔法、“雷”をね」
リヒトは、ニコリと笑った。
「彼の者の力は、天の審判。その光は、全てを裁く。暗雲の世の代、現れし彼の者、世を照らす」
「……それは?」
「古い言い伝えさ。古文書レベルで語り継がれるものさ。
天の審判……つまりは雷。キミの力は、天の力なんだよ」
(天の力……)
「もっとも、魔王は僕らが倒したけどね。キミがもっと早く出てきてくれていれば、戦いもかなり楽だったのにな……」
リヒトは溜め息をつきながらぼやいた。
(俺だって間に合いたかったよ!!!)
それでもリヒトは、すぐに真剣な表情に戻した。
「……でも、まだ終わってないんだ。僕らは、乱れた国々を直さなきゃならない。これから国同士のいがみ合いが再開されれば、何のために勝ち取った勝利か分からなくなる。それだけは、何としても阻止したいんだ」
「それで、何で俺が必要なんだ? 魔王は倒したんだろ? 俺の力も不要じゃねえか」
「それは違うよ。キミも気付いたと思うけど、雷の先天魔法の伝承は、既に忘れ去られているんだ。だからこそ、キミが世界の中心に立って、その雷で世界を導くんだよ」
「俺には、そんな大そうな真似は出来ない。俺はそこまで出来た人間じゃないんだ」
「そんなことはないさ。キミが僕たちに協力してくれれば、その伝承をもう一度人々に伝える。人々は、キミを救世主と崇めるだろう。
キミは、この戦いの傷跡が生々しく残る世界に、光を与えるんだよ」
「救世主、ね……」
何か、釈然としなかった。今の説明だと、要するに俺にピエロになれと言われているように思う。
何もせずに、ただ人々の平和の象徴として立ち続ける。
……でも確かに、ニートの俺がそこまでなれれば、大出世だと思う。
だけど、俺はそんなことよりも、三剣勇者に聞きたいことがあった。
「勇者のお三方、一つ質問に答えてほしい」
俺の声に、全員が俺に注目した。
「3人は、“今の世界”について、どう思ってる?」
「今の世界?」
「ああ」
3人は、真剣な表情で考え始めた。
そして、最初に口を開いたのは、以外にも寡黙なダグザだった。
「……この世界は、まだ混沌としている。戦の爪痕は残り、人々の心は晴れないままだ。こんなもの、平和とは言えん」
勇者らしい、力強い回答だった。
次に答えたのは、アンネイだった。
「そうねぇ、たぶん、まだみんな不安なんだと思うなぁ。だからぁ、どうにかして、守ってあげないといけないきがするわぁ」
おっとりと話しつつも、勇者らしい、優しい回答だった。
そして、リヒト。
「……大志が持つ憂いは、理解しているつもりだよ。でもね、僕らならそれを変えられるんだ。いや、変えないといけないんだ。人々が安心して生活できる世界を作ろう。心に残る暗闇を、僕ら全員で払拭するんだよ。
――僕らは、勇者だ」
……勇者らしい、光に包まれるかのような回答だった。
この人達は、紛れもなく勇者だった。
(……やっぱり、カッコいいな。まさしく俺が憧れる姿だ)
自然と笑みが浮かんだ。
そんな俺の表情を見たリヒトもまた笑顔を見せ、再び手を差し出してきた。
「……さあ、大志。手を取ってくれ」
俺は、ゆっくりと手をリヒトに向けて上げた。
(この人達なら、きっと――)
「一緒に、素晴らしい“人間界”にしよう」
「―――――――――」
……伸ばしかけた手を、下げた。
「ん? 大志、どうしたんだ?」
何かが、音を立てて崩れた。心にも、亀裂が入り、一部が欠けた気分だった。
唇が震えていた。それでも、俺はおそるおそる言葉を紡ぐ。
「………魔族、は?」
「え?」
「魔族は、どうなるんだ?」
「魔族? 魔王は、倒したんだよ?」
「………」
リヒトの言葉に、残る2人の勇者も同意するかのような表情をしていた。
「――それより、早く決めてほしいものだな」
言葉を失っていると、アレクサンドロスが口を開いた。
「貴様は、結局どの国に入るんだね?」
「……入る?」
「貴様とて勇者になるのであれば、どこかに居住せねばなるまい。どうだ? 我が国に来ないか? それなりの地位もくれてやろう」
「……抜け駆けは、よくないのう」
アレクサンドロスの言葉に、居眠りしていたと思っていたネリウスが、突然口を開く。
「雷の者よ。わしの国に来い。いいとこじゃぞ?」
「それならば、私の国もよろしくてよ?」
さらにミネルヴァも話に加わった。
「一生、安泰した生活を保障しましょう。そう、希望に満ちた日々を」
ついには、アレクサンドロスが怒りを露わにし出す。
「貴様ら、我を差し置いて何を抜かす!!」
「先に話し出したのはお主であろう、帝国の王」
「ですわ。皆で決めたことを最初に破ったのは、あなたですよ?」
3人は、口論を始めた。
俺は、立ち尽くした。
結局のところ、どの国も力が欲しかっただけのようだ。それは勇者達とは違う考えかもしれない。でも、結局は自国のことしか考えていなかった。
更には勇者も、“人間界の勇者”でしかなかった。彼らの中で、心配なのは“人間”だけだった。俺が勇者を名乗ったところで、終わった先にあるのは、勇者の俺の“取り合い”。俺が人間界を乱す。
それじゃ誰一人救えやしない。どうすればいいのか……
人間も魔族も、両方を救える存在。それは勇者じゃない。
何者にも利用されず、人間も魔族も守れる存在。
そんな存在は、残るは一つしか思い浮かばなかった。
(だったら……)
「………ソフィア、帰るぞ」
ソフィアは驚いた表情をした。それは、ソフィアだけじゃない。部屋の中全ての者が、驚愕の表情で俺を見ていた。
「え? でも、大志……」
「いいんだ。行くぞ……」
俺は踵を返し、部屋を出ようとした。そんな俺の背中に向け、リヒトが大きな声で呼び止める。
「大志! 待つんだ!! どうして急に―――」
「――あ、俺、魔王になるんで」
「!!!????」
「!!!????」
「!!!????」
「!!!????」
「!!!????」
「!!!????」
全員が、更に固まった。誰も言葉を発しない。俺の顔を、信じられないものを見るかのような目で見ている。
「ちょ、ちょっと大志!!!」
「ソフィア、黙ってろ!!」
ソフィアは、その言葉のとおり、口に出かけた言葉を飲み込んだ。
そんな中、リヒトがようやく口を開いた。
「……大志、キミは、自分が何を言ってるのか、分かってるのか?」
俺は背中を向けたまま、言葉を放つ。
「ああ。分かってるよ。――アンタらじゃ、話にならないことも、な」
「……どういうことだ?」
ダグザは、殺気のような重々しいものを感じさせるように俺に問う。
「気に入らない……気に入らないんだよ、アンタらは。
俺は、この世界を見て思ったんだ。歪んでるって。
人間は心に傷を負ったまま、今でも見えない敵に怯え続けている。
――そして、魔族もまた、敗戦の手傷を、未だに抉られてる」
「当然だ!! 魔族が我らに何をしたのか、知らないことはなかろう!!」
アレクサンドロスは叫んだ。でも、俺はそれを流し、話し続けた。
「俺はな、勇者ってのは、世界の全てを救う存在だと思ってたんだよ。それは、人間、魔族に関係なく。
アンタらに言っても分かんないだろうけど、俺がしたゲームの中の主人公は、全てを救おうとしたんだ。
……でも、アンタらは違った。この世界の“勇者”ってのは、あくまでも“人間界の勇者”だった。
人間だけを助け、慈しむ。魔族は、魔王を倒せば終わり。ハッピーエンドだ」
もう誰も、俺の話に横やりを入れなくなっていた。
「仮に俺がピエロの勇者になったところで、残るのは国同士の睨み合い。今、この風景のようにな。
――そんな勇者、願い下げだ。
勇者が全て救えないのなら、俺は残る椅子に賭ける。“魔王”っていう椅子にな」
俺が話し終わったのを確認するかのようにして、リヒトは切り出した。
「……一応、聞いておくよ。魔王になったキミは、何をするんだ?」
(何をする? 魔王って言えば……一つしかねえだろ)
俺は、改めてリヒト達の方を振り返る。そして、はっきりとした口調で答えた。
「世界征服、かな」
「――――!!!」
全員の表情が青ざめた。その顔は、前の戦を思い出してのことだったのかもしれない。
「アンタらが人間界しか救わないなら、俺が全てを救う。世界を一つに――世界を征服し、人間も、魔族も、両方を等しく救いたい。いや、救わなきゃいけない。
――それが、力を持つ者としての義務と責任だ。俺自身の義務と責任だ。
俺は、それをようやく理解した」
(……村長、アンタは怒るかもしれないな。ようやく見つけた俺の道が、よりにもよって世界征服なんて)
それでも、俺はその道を歩くことにした。それは生半可な道ではないことは百も承知だ。でも、この力を得た俺には、それを全うする義務がある。責任がある。世を照らす、光にならなければいけない。
「……分かったよ。そこまで言うなら好きにするがいい」
リヒトは、少し口調を変えていた。威圧するかのような雰囲気を感じる。
「残念だよ。残念で仕方がないよ。キミのその素晴らしい力を、そんなくだらないことに使うなんてね」
リヒトは、目を背けて言った。
「……くだらないかどうかは、これから分かるさ。じゃ、サヨナラ」
「――待て」
ダグザは、俺を静止する。
「……なんだよ」
「魔王を名乗った男を、勇者の俺達がこのまま逃がすと思うのか?」
その言葉に、三剣勇者全員が構えを取り始めた。
ピリピリとした雰囲気が辺りを包む。俺も気圧されそうになる。
一瞬だけ出口に目をやった。石の扉は重く閉まっている。
「……逃げようとしても無駄よぉ? その扉ぁ、公国の限られた人じゃないと開けられないのよぉ」
アンネイは、おっとりとしつつも、殺気を込めながら俺を威嚇する。
ジリジリと迫る勇者3人。このまま戦えば、勝ち目は見えない。仮に引き分け以上に持ち込めたとしても、どれだけ犠牲が出ることか想像も出来ない。
一瞬だけソフィアを見た。ソフィアは顔を青ざめさせながら後退りしていた。
(………このままだとマズいな)
「……終わりだな、魔王!!」
「ハン!! 驕るな!! 勇者!!!」
俺は誰もいない壁に向かって手をかざした。
「俺を、舐めんじゃねえ!!!」
そして、そこに強力な雷撃を解き放つ。解き放たれた雷は光の塊となり、瞬時に壁と衝突する。
「な――――!!??」
雷撃の光は凄まじい音を轟かせ、壁を粉砕し、天を駆けた。
光りが消えた後、壁には巨大な風穴が空いていた。
「そ、そんな……!! 幾重にも魔法結界を施した壁ですよ!!??」
ミネルヴァは、わなわなと震えながら叫んだ。
「……化物め!!!」
アレクサンドロスは、俺を睨み付けながら言い放つ。
「化物でいいさ。じゃ、な……」
俺はソフィアを抱きかかえ、全速力で礼議場を飛び去った。
「ちょっと、大志!! アンタ、自分が何を―――」
「いいから黙ってろ! 舌噛むぞ!!」
空中で叫んだソフィアの言葉を遮る俺。そんな俺にしがみ付くソフィア。
その時気付いた。ソフィアの両手の掌は傷を負い、血が流れていた。




