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序章にすら描かれない日々


 ──昔から、万物には万《よろず》の神が宿るとされた。道端の石ころ一つにさえも、意思が宿っているのだと。


 科学の発達した今でこそ、世界の事象の原因がわかるが、昔は天変地異といったものは、全て見えない何かが起こしていると考えられていたのだ。




 ことだま、という言葉は、読んで字のごとく“言葉”の“霊”だ。言葉には、霊には“形”がない。


 音とは波だ、ということは小学生でも知っている知識だ。そして、世界には物質の最小の単位として原子というものがあるが、音にそれは当てはまらない。


 物質は壊れる。では“物”でない“音”はというと、消えるという表現が妥当だろう。



 ──見えないものは、存在する。人間の目には不可能なほどに曖昧で不確かな、けれどそこに“有る”のだ。


 一昔前にはわからなかった“音の波”が、昨今では当たり前になったように、いつかは解明出来るようになるかもしれない。


 例えば、心。例えば、思想。例えば、──魂。


 身体に宿るとされるこれらが、本当に、石ころに宿っていないとどうして云えるだろう。構成する物質すらわからずに、どうして断言できるだろう。




 ──昔から、万物には万《よろず》の神が宿るとされた。それは、“見えないもの”があることを認めることだ。


 人にも善悪があるように、“見えないもの”にも悪意があり、それは自分たちを簡単に害すると、人々は考えた。


 深淵《しんえん》から生まれた、自分たちとは異なる異形。夜の陰に潜む闇の存在を、人々は確かに感じていた。






 即《すなわ》ち──わざわい、即ち──あやしもの。そしてそれを──あやかし、と。





















 *****





















「よっしゃ、ゴールイン。」


「うっわまた負けた…!」




 軽快な音を立て、向かい合った二機の小型ゲーム機のうち、一つがメロディを奏でた。もう一機は、気の抜けるような沈んだ音を響かせ、沈黙する。


 放課後の教室、茜に染まった太陽の光を受けたブレザー姿の人影が、窓側の後ろの席で動いていた。椅%二人の少年がゲーム機を持っており、その画面を横から少年が覗き込んでいた。



 二人の少年がそのゲーム機を持っており、その画面を横から一人の少年が覗き込んでいた。


 向かい合った少年の一人が、がくりと項垂《うなだ》れる。




「強いなぁ、羅門《らもん》は…。」


「プレイしまくってるからな!」


「進路そんなんで大丈夫か?」


「うっわ、思い出させるなよ…。」




 項垂れ、ぼやいた少年に、向かいに座っていた黒髪黒目の少年が得意げに胸を張る。と、冷静なツッコミが彼を撃沈させた。


 顔面を両手で覆い、天井を仰ぐ少年を見て、二人はどっと笑った。笑われた少年は、大きなため息を吐く。


 少年──山本羅門《やまもとらもん》を含む三人は、来年に受験戦争を控える中学二年生であった。



「あっという間だなー、ほんと。

 つか、なんでこんな早くから決めなくちゃなんないんだよ…。」


「進学どうしようか…オレ、決まってない。」


「オレも…でも、普通に進学だと思う。」


「志郎はもう決まってそうだよな!」


「いや、あいつもまだだったはず…。」



 ゲームをしていた一人が呟くと、羅門達も同調していく。神野志郎《かみのしろう》とは、羅門の親友兼、幼馴染み兼、腐れ縁であった。


 今は部活でいないが、その一人を含めた羅門達四人が、いつも一緒にいるメンバーである。志郎は学年でもトップの学力を誇り、有名進学校も目じゃないと教師陣から期待を、そして女子生徒から熱い視線を独り占めする。


 最近の中学生は約九割が進学で、就職する者は少ない。だからこそ、勉強に力を入れなければあっさり落とされてしまうのだ。少子化とは言っても、有名どころは競争率が高い。


 けれど、わかっていつつも遊びに手を伸ばしてしまうのは、やはりまだ子供だからだった。やらなければ危ないと知りながらも、誘惑に負けてしまうのである。


 受験生特有の悩みを言い合っていると、バタバタと廊下を駆ける音が近付いてきた。




 ガラリッ、




 急に扉が開け放たれる。 三人が一斉に見れば、息を切らせた半袖半ズボンの体操服姿の女子生徒が、扉を開け放ち立っていた。どれくらい急いでいたのだろうか、お団子になっていたはずの髪は、ゴムの束縛から逃れた数本が垂れていた。




「希美、終わったのか?」


「────さと、る。」




 羅門とゲームで対戦していた一人が首を傾げた。

 小原希美《おはらのぞみ》──羅門の友人、山下悟《やましたさとる》の恋人であり、同級生だった。希美は悟の姿を見ると、なんとじわじわと瞳に涙を溜め始める。




「っ、てどうした希美!」




 ついには、ぼろぼろと大粒のそれを零し始めた希美に悟は飛び上がり、入り口まで駆ける。顔を見合わせた羅門ともう一人の友人も、尋常じゃない様子に二人に向き直り、成り行きを見守る体勢に変えた。


 その間にも、悟が必死に希美を慰める。




「部活でなんかあったのか?」




 希美はバレーボール部に所属していた。悟は希美の部活が終わるのを、教室で暇を潰し待っていたのである。


 悟は髪を撫でようとして手を上げ──違和感に気付いた。





「…希美、お前ネックレス…、」


「っひ、うぇええ~ん!」




 更に激しく噎《むせ》び泣き始めた希美に、その場の三人は理解した。


 悟は、基本的に不器用な男だ。女心なんてわからないと自ら豪語する彼が、四苦八苦して選んだ誕生日プレゼントは、可愛らしいネックレスだった。


 希美は、その事を十二分にわかっていた。だからこそ、それを贈られた時は涙目になって照れていたし、その顔を見た悟も当然、満更でもなさそうに笑っていた。


 それ以来、希美は学校に来る時も付け続けていた。流石に部活の時は外しているが、ちゃんと学生鞄のサイドポケットに入れているのだと、悟と話していたのも聞いている。




「ちゃん、と入れてたのにっ、みんなも見てて、なのに、終わって真っ先に見たっ、らなくて…!!」


「…良いって、毎日付けててくれたんだろ?

 そんだけ使ってくれれば、いつかはなくなりもするって…な、また今度違うの贈るから!」




 ぼろぼろと涙を零す希美を、悟は抱き締めた。


 けれど、優しい言葉は逆効果だったのか、しがみつくように泣き出してしまった希美に、悟は再び慌てたように慰める。希美自身も頑張ってはいるようなのだが、彼女は涙腺が弱い…増して、一等大事にしていた物をなくしたのだから、当然だった。


 けれど、その場の全員が気付いていた──『なくなりもする』と言った、悟自身も。ちゃんと保管はしていた、部活仲間の証人も居るようだ…なら、それは?


 羅門は、はあぁと息を吐き出した。




「…悟の彼女、しかもオレ自身のクラスメイトときたもんだ。

 協力しないわけには、いかないよなあ…。」


「羅門?」


「なんでもないよ、晃。」




 首を傾げるもう一人の友人、水友晃《みずともあきら》になんでもない、と返しつつ──羅門は、ゆっくり伸びをした。































 羅門は、下駄箱のある廊下に立っていた。


 既に悟と希美、晃は帰路に就いている。すでに群青が世界を覆い始めた中、羅門は辺りを見渡し誰もいない事を確かめる。


 そして──そっと、二メートルほど横の地面を見つめた。




「良いぞ、お前ら。」




 何もない所に呟いた言葉は、けれど──小さな風を巻き起こした。


 くるくると風が集まり、ぽよんっと柔らかそうな球体が三つ、姿を現した。一つは、桃色。一つは、水色。一つは、黄緑を彩った――三つの玉。


 風に乗ってきたそれらは、ぽてぽて、ぽてんっと気の抜ける音を立て、羅門の足にぶつかり止まると、ぴょこり、と六つの短い突起を出した。次いで、きゅるりとした黒い円が二つ浮かび上がり、瞬きをする。


 ──それは、不可思議な“いきもの”だった。




『羅門っ、呼んだ?』


『おいら達に頼み事だなっ!』


『まかせて~。』


「…ああ、仕事があるんだ。」




 下から懸命に見上げてくるそれらに、羅門は笑みを浮かべた。


 ぴょんぴょんと跳ねるそれらは、手の平に収まってしまいそうな大きさ。桃色──桜《さくら》が可愛らしい声を上げ、水色──空《そら》が小さな突起の一つを天に突き上げ、黄緑──草《そう》がのほほんとした主張をする。


 黒い丸の二つの瞳の真ん中…人間に例えるなら、眉間の所に一本の小さな角と、角の直径に心なしか長めの尻尾を生やし、それで機能するのかと疑いたくなるくらいの短い手足をもつ球体達。


 ──それらは【雑鬼《ざっき》】と呼ばれる、種族を持たない子鬼の姉弟だった。




 山本羅門は、一言で言うなら“視える者”だった。


 物心付いた時には既に、妖と呼ばれる者達が身近に存在した。それは、視える羅門に興味を持った者だったり、あるいは悪意を抱いた者だったり。


 そんな中でこの三匹は、最古参にあたる前者である。幼い羅門には玩具にされていた経験のある三匹だったが、物好きなのか、いつだって羅門の傍に居た。




 それは、子鬼にとってはただの暇つぶしなのかもしれなかった。ただ、視える者が珍しく、遊び相手が欲しかっただけなのかもしれなかった。


 それでも、詳しい理由がわからなくても、幼い羅門は子鬼を慕って大きくなってからも可愛がっていたし、羅門に妖と人間との区別が付くようになれば、三匹は【式】まがいの事もやっていた。




「話は聞いていたろ?」


『悟の彼女のペンダントよね!』


『すっごい泣いてたな…。』


『女の子はないちゃだめら~。』




 そんな三匹の日課は、幼いときから変わらず羅門と主に居ることだった。


 学校であっても、視える者しか視る事は出来ない。邪魔にならないよう数メートルの距離を置いて、三匹は羅門の傍に居るのだった。


 案の定、しっかりと理解しているらしい三匹に、羅門は満足そうに笑い、しゃがみ込んだ。




「志郎と連絡は取れそうか?」


『星とはお話できるけど、もうちょっとあと~…。』




 草がのんびり言うが、要領を得ない。けれど、羅門にはわかっていた。


 志郎は、剣道部の主将であり、二年生ながら生徒会の副会長までも勤め上げる。特に部活時の武道場の管理などは、全て志郎の仕事だ。今はもう終わっているだろうが、新入生の指導や武道場の清掃などがあるだろう。


 それに、もうすぐ修学旅行がある。本当は生徒会は関係ないのだが、先生は確実に志郎にも何か頼むだろう。更に遅くなるかもしれないと、朝の登校時にぼやいていた。


 そして、星《せい》とはこの場にいない雑鬼の一匹で、草の双子の妹である。桜達は、四姉弟なのだ。


 そしてこの双子、実はテレパシーが使える。詳しい原理はわからないが、強く念じると相手に考えが伝わるらしい。


 器に縛られる人間の世界でさえ双子は繋がりの力が強いと言うのだから、妖である子鬼には更に強固なものがあるのだろうと、羅門は見ていた。




 また、星は幼稚園児の頃より志郎に預けっぱなしである。


 けれど、志郎は“視える者”ではなかった。ただ、小さい頃からすぐ傍に居たせいか、ほんの少し意識すれば子鬼達だけは見えるようになっていたのだ。


 星と草は、羅門と志郎の携帯よりも便利な、アンテナを必要としない通話手段であり、羅門の志郎に対する信頼の証でもあった。




「まあ、予想はしてたけど…しょうがない、取り敢えずオレ達だけでなんとかするか。

 草はオレと回って、状況を定期的に星にテレパシってくれ。」


『りょうかいら~!』


「桜、付近の動物たちに話を聞いておいてくれないか?」


『任せなさいっ!』


「空は桜とオレの間を取り持ってくれ。

 風、星は互いにしかテレパシーが伝わらないからな…持久力はお前が一番ある。」


『おいらの出番だな!』




 ぴょこん、と手を挙げたのを見て和みつつ、羅門は草を肩に乗せ立ち上がった。桜、空の視線が羅門を追う。


 それを見つつ、羅門はにぃ、と笑った。




「よっし、んじゃまあ…二人のために頑張るか!」





 ぴょんぴょんぴょん、と三匹が跳ねて同意した。































『羅門!』


「お、空…どうだった?」




 羅門は、草と共に体育館の部室に来ていた。と言っても、誰もいないとしても女子更衣室に入る勇気は羅門ない。


 格子があるからか、鍵の掛けられない窓を外から開き、草に中に入って貰って何か手がかりを探して貰う。本当は自分の目でも確かめたかったが、上記の通り、そんな勇気は羅門にはない。


 大人しく待っていた羅門は、駆けてきた空を抱き上げた。走り続けてくれているのか、いつもより感じる体温は高く、少し息も荒い。




『桜からだ!

 ネズミが、そこの格子から何かが侵入《はい》って行って出て行くのを見たって。

 でも、何か怖いものを感じて凝視は出来なかったから、正体はわからなかったみたいだ。」


「…ふん、やっぱりか。」




 羅門は、この場に来た時点で、“人でない何か”が出入りした気配を感じ取っていた。その裏付けが欲しかった羅門だが、桜の情報でそれが十中八九妖の仕業である事を確信する。


 桜は、動物が大好きだ。それは、動物自身にも伝わる。だからこそ、桜には他の三匹より動物と意思の疎通が可能であり、声なき言葉を受け取る事が出来る。


 頷いていた羅門は、次の空の言葉に首を捻った。




『あと、近くの鳥が不穏な動きをしてるって。』


「…とり?」


『とり。』




 何が不穏なのかはわからなかったが、羅門はそれが繋がるのだろうと頷いた。労るように空を撫でるとくるくると喉を鳴らす。羅門は撫でるのをやめずに、更衣室の方を見つめた。




「…どうだ、草?」


『ぬ~…棚と壁のすきまにこれがあったよぉ。』




 ひょこりと黄緑が見えると、羅門はそれを引きずり出した。きっちり窓も閉めて、腕の中の草を見る。




「…羽根、か。」




 風が持っていたのは、漆黒の鳥の羽根だった。おそらく、普通に見ればただの大きな鳥のもの。けれど、羅門には視えていた。


 煙のように立ち上る、薄らとした妖気──妖の生命力であったり、力の度合いを示すものだが──それが、羽根を覆っているのが。




「…ふん。

 空、もうひとっ走り出来るか?」


『大丈夫だぜ!』




 荒かった空の息は、既に整っていた。伊達に、一番持久力があると羅門が言い放った訳ではないのだ。

 羅門は地面に空を降ろすと、見上げてくる丸い目に笑った。




「桜を呼んで来てくれ。

 そうだな、場所は──…、」































『…やっつ、ここのつ…まだ、まだ足りないぃい…。』




 空が既に闇に包まれ、ネオンの光が灯り始めた。


 その光の海が眺められる場所で、蠢いている影があった。黒く、黒く──どこまでも黒いその影は、影自身が漆黒を纏っている。


 ふと、あたりがほんのり暖かくなったような気がしたが、すぐに冷えた──六月の夜であるため、夏の兆しのようだった。


 気にも留めずに足で何かを数えていた影は、グルルルル…と不満げに喉を鳴らした。




『まだ、まだまだ足りないぃい!』


「そうか、オレは一つで十分なんだがな。」




 と、涼しい声が響き、黒い影は動きを止めた。


 ギョロリと後ろを振り返った影は、開け放たれた扉から出てくる一人の人間を目に留めた。最近、影が良く目にするようになった制服を着ており、背中に黄緑色の丸を張り付かせた少年。


 影は向き直ると、大きくその翼を広げる。それは、少年──羅門の視界から、ネオンの海を奪うほどに強大な翼。




『…実体化していない吾《われ》を視ることが出来るか、人間…。

 何用だぁ?』


「お前の“収集品”に興味があるのさ。」




 けれど、羅門は動じることなく用件を告げた。影の足下には、ガラスや宝石などの装飾品が散らばっている。


 どれも、遠いネオンの光を受け輝き、その美しさを引き立てている。高価そうなものがあれば、例えば、そう──中学生のお小遣いくらいで買えそうなものもあった。




「ったく…犯人がカラスの妖とはね。」




 羅門は、校舎の屋上に来ていた。勘であったが、どうやら間違いではなかったらしい。肩で怪鳥《けちょう》を威嚇している草を撫で、羅門はにっこりと笑った。




「オレは偽善者じゃないからさ、その“一つ”が手に入れば何もしないよ。

 お前がこれから何を盗ろうが、集めようが、知ったこっちゃない。」




 だから、寄越せ──…オレの友人に返せ、と。羅門はそう要求した。


 鳥の妖はギョロ付く眼を下に向け、目当ての物だろう物を足で拾う。器用に持ち上げ、ヒラヒラと振って見せた。




『これかぁ…?

 グルル、悪いがこれもどれも、献上品なのさ…渡せないなぁ。』


「ふむ、まあ…わかっていたが交渉決裂だな。

 じゃあ──実力行使だ。」




 その瞬間──しゅんっ、と。

 怪鳥の傍を横切った小さな影が、素早くネックレスをかっさらった。




『へへっ、おいら取り返したぞ羅門!』


「おー、良くやった空。

 じゃ、ちょっと離れてな。」




 影は、潜んでいた空だった。


 羅門が堂々と声をかけたのは、注意力を散漫にするためだ。もちろん、熟練した者なら簡単に破られるため、一か八かだった。


 けれど──怪鳥は油断したのだ。羅門が子供であった事と、連れている“式”らしきものは大した力を持たぬ子鬼である事に。けれど時に──戦略は戦力を上回る。


 もちろん、戦略と呼ばれるほど大したものではないが…これは一対複数である。そんなもので、十分だった。


 羅門は、ネックレスを持たせたまま空を下がらせる。そして、怪鳥に眼を向けた。毛を逆立て、ギョロ付く眼を羅門に固定している。――怒り心頭のようだ。




『…貴様…吾を愚弄するか…!』


「舐めてかかったのはお前だろ?」




『──死にさらせ。』




 それはまさに、死の宣告。


 グルルルル…と甲高く鳴いた怪鳥の漆黒の翼から、黒い玉が羅門に向かう。──妖気の塊だ。


 羅門はそれを横に飛ぶ事で回避したが、妖気があたった場所はまるで焼け焦げたかのように黒い煤《すす》を残す。


 それを見て羅門は口を引きつらせながら、怪鳥から目を離さない。──わかっていたが、やっぱり強ぇ…。




 普通、体から離れた一部分は、意図して残さぬ限り妖気は消えていく。


 それでもなお、羅門が凝視せずとも見えた立ち上る妖気の残骸。それは、その羽根を所有していた者の強さを明確に現していた。


 へへ、と羅門は笑う。




 ──それでも、譲れないものくらいは、オレも持ってるんだよ…!




「空、巻き込まれんなよ!」


『わわわわかってるよ!!』




 妖気の塊を見て、今更ながら恐怖が湧いたのだろうか。かなりどもりながら空は応える。


 当たってたまるか、という意思を感じ取って羅門は頷いた。




「特攻あるのみ!!」




 叫んだ羅門は怪鳥に向かう。油断を誘うという仕事を果たした草はすでに、背中から降りていた。


 馬鹿正直に向かってきた羅門に、怪鳥はさらに咆哮し、いくつもの玉を繰り出す。――曲線を描きながら。




(くそっ、やっぱ賢いこいつ!)




 最後に吐き出された玉が、真っ直ぐに向かってくる。円と直線で同じ目的地に向かうのであれば、当然円の方が遅くなる。


 ──それを利用した、四方からの攻撃。逃げ場は、ない。




「草っ!」




 叫んだ瞬間、羅門が消えた。直後、羅門の消えた場所に妖気の塊が寸分違わず直撃する。


 ──羅門は、宙に浮かび上がっていた。




 草の力は、厳密にはテレパシーではない。


 大気の力を応用したものである。それは、文字通り気流であり──風である。それに、風であってもかき消されない特殊な声、星にしか届かない音を乗せる。双子だから出来る芸当である。


 羅門は、自身の足下に上昇気流を発生させた。けれど、草のこの力も攻撃向きではないし、持続しない。


 せいぜい、ジャンプの補助として巻き上げるくらいが限度である。




 けれど、羅門にはそれで十分だった。




 飛び上がった羅門はさらに、風の力を一瞬背に受ける。飛び上がる課程で加速した羅門は、そのまま怪鳥の頭上に居た。


 怪鳥が、ギョロ付く目で羅門を見上げる。




「こ、れ、で──…どうだっ!?」




 ダァアアン!


 羅門の足と怪鳥の頭が、上げてはならない音を響かせた。風の加速と、羅門の体重と、上乗せされる重力の全てが合わさった結果であった。──しかし。


 ブオンッ、


 動いた翼に羅門は横に飛ばされる。派手な音を立ててフェンスに激突した羅門の視界には、叫ぶ怪鳥と、発生する黒い塊。しかも、集めに集めているのか胸のあたりでさらに大きくなっていた。


 ──やべぇ。


 慌てて体を起こそうとするが、怪鳥が羅門を睨《ね》め付けた方が早かった。


 そして。





















 瞼を空けた羅門は、自らの体が無事なのに唖然とし──見知った気配が怪鳥の近くに在るのに気付き、体を起こした。


 見えたのは、塵を巻き上げる中倒れている怪鳥と、背筋の伸びた人影。




「──志郎ぉ!!」


「叫ばなくても聞こえているよ…。」




 煙が晴れ、呆れたように羅門を見つめる少年──志郎が、木刀を持って佇《たたず》んでいた。


 色素の薄い、肩まで伸ばした茶色の髪を一括りにするスタイルと、切れ長の濃茶の瞳に整った顔立ちは、贔屓目に見なくともおそろしく女受けが良い…巻き上がる髪を鬱陶しそうに後ろに流す姿すら、様になっていた。


 羅門は安堵したように息を吐き、立ち上がる。近付けば、目を回している怪鳥がいた。──どうやら、妖気の凝縮を邪魔され、暴発したらしい。




「…しかし、よくこいつに当てられたな。

 視えるようになったのか?」


「や、見えてなかったけど…黒い禍々しい丸は見えたから。」




 志郎は、極度に高められた妖気なら視る事ができる。


 星から事を聞いたのは、羅門の予想通り修学旅行についての飛び出しが終わってからだった。遅いから送ろうという教師の言葉には遠慮し、急いで屋上を駆け上がった。


 開け放たれていたままだった扉を抜ければ、体勢を崩した羅門と、明らかに狙っているだろう禍々しい球体と──何もない所に迸《ほとばし》る、同じく暗い妖気。


 瞬時に判断を下した志郎は、持ってきていた木刀を取り出し走った。もちろん、星からの応答で知っていた草も全力で力を使う。


 そして、羅門と同じ原理で飛び上がった志郎は、黒い丸の横、妖気の迸りの中心…“視えない”怪鳥の頭に、全力で木刀を振り下ろしたのである。


 それを聞いた羅門は、軽く目眩を覚えた。──じゃあ何か、それが外れていたらオレはあの世にこんにちはしていた訳か…。




 正直、当てにはしていた。


 何故ならこの少年──全国中学校剣士の中で、三番目に強い男である。木刀や竹刀、そういった物を持たせれば、まず負けることはないだろう。


 そして、志郎が所持している木刀は、神酒で何年も清められ続けられたものだ。これは雑鬼達直伝の、対妖用武器──という名の、妖にも物理的に攻撃が当たるようにしただけの、普通に何処にでも市販されている木刀である。


 その効き目は、倒れ伏している怪鳥をご覧頂きたい。ともあれ、刀の振り方に熟知しきっている志郎だから出来る、乱暴な手段ではあるのだが。




「…にしても、羅門。」


「あ?」


「なんで、僕が来るまで待てなかったの?」




 にっこりと笑った志郎に、羅門は視線を彷徨わせる。それを逃がさない、とでも言うように、いつの間にか近寄ってきていた志郎は肩をがしりと持った。


 志郎と羅門では、羅門の方が背は高い。けれど、姿勢の良い志郎と、猫背気味の羅門では、迫力の違いも相まってあまり生きていない。




「別に、急がなきゃいけなかった理由もないでしょ?

 何、僕ってそんなに弱く見える??」


「いやいやいや、全国クラスの剣士に向かってそれはないって…。


「じゃあ何、とっとと終わらせてやろうとか、また基本考え無しだった?」




 う、と息を呑んだ羅門に、志郎はジト目で睨んだ後、息を吐いた。──全くもう、この幼馴染みは昔っから変わらない!




『…しろうしゃま~、』


「ああ、星…ごめんね?」




 か細い声をしかと聞き届けた志郎は、掴んでいた肩をパッと離し、扉に向かう。解放された羅門は、(ナイス星…!)と心の中で親指を立てていた。


 入り口にいたのは、動く学生鞄…ではなく、それを下から支えていた星である。志郎が鞄を持ち上げると、薄い黄色をした丸い体が下から見つめていた。


 それに微笑み、志郎は星を抱き上げる。




「重かったろう?

 待っていてくれて良かったのに…。」


『しろうしゃま、あたちがんばった!』


「うん、ありがとう。」




 にこりと笑った志郎に、きゃーと言いながら星が抱きつく。それを見つめながら、羅門は桜と空、草を呼ぶ。




「桜、悪い…まだ“保ち”そうか?」


『大丈夫よっ、任せなさい!』




 桜の力は火である。


 もちろん、草と同じように戦闘向きではない──熱すら満足に持てないそれは、主に明かりとしての役割で使われていた。


 しかし、応用はある──幻覚や、蜃気楼である。火は、人の心に容易に入り込む媒体。それは魂が火の姿をとっている事に由来するのだが、まあ、そういう事である。


 普通であるなら、ここまで暴れれば警察沙汰である。けれどそうならないのは、桜がこの屋上を中心に、強大な薄い炎の膜を張っていたからだった。


 周りの人間に、ほんの少し破壊された屋上は目に映る事はない。少年が見えない何かと対峙している事など、網膜に入った時点で書き換えられる。──音に関しては、空の力だ。




 空の力は水である。


 これも同じく戦。闘向きではない。出来る事と言えば、大気から桶一杯分くらいの水を発生させる事であったり、これは空自身にのみだが泳ぎや素潜りが異常に上手であったり。


 だが、応用はもちろんある──桜と同じように、水の膜である。水は、音を通しにくい物質だ。だから、羅門は炎の膜の内側に、空の水の膜を張らせた。


 激しい戦いの音は水の膜で極限まで弱められ、さらに火の膜を通る事により、鼓膜への、人への影響を極限までなくす。


 例え少し力のある者がそれを聞いても、「幻聴か」と思うくらいに小さな衝撃になるように。


 羅門は飛びついてきた三匹を纏めて抱き締めつつ、ふと腕の中の空を見つめる。




「空、あれは?」


『もちろん!』




 空の手の中には、きちんと無事なままのネックレスがあった。それに安堵しつつ、ぎゅうぅっと三匹を抱き締める。





「お前ら最高だ!帰ったら御手洗団子に餡団子、三色団子食って良いぞ!」


『『『わあ!』』』




 御手洗は桜の、餡は空、三色団子は草の好物だった。ちなみに、星の好物は砂糖だけの純粋な団子――つまり、月見団子が好物らしい。


 思わぬご褒美に喜んでいる三匹を更にぎゅうぎゅうと抱き締めつつ、羅門は倒れている怪鳥とほんのり破壊された屋上を見つめた。




(──…屋上に関してはスルーだな。)




 どうしようもない。


 物質の再構築が可能な妖が居たなら話は違うが、今この場にいるメンバーでは…うん、無理だ。


 明日あたり、新しく学校七不思議が増えてるかもなぁと早々に諦めた羅門は、怪鳥だけでもどうにかしようと立ち上がり、未だ反応しないそれに近付いていった。星とじゃれていた志郎も、羅門の様子に首を傾げる。




「大丈夫なの?

 いつもみたいに、とっとと逃げるかと思った。」


「お前は俺をなんだと…いや、学校壊したから見つかる前に逃亡を図りたいのは山々なんだが。」




 振り向き、咄嗟に否定しかけ、実際の心情はあながち間違っていないことに気付き訂正した。事実、今まで何度となく妖に襲われた時は、桜や空の力が消える前に逃げていたのだ──周囲を壊さずに撃退できたことなど、数えるくらいもない。


 それのせいで、羅門たちの住まう街の七不思議や都市伝説の類《たぐ》いのほとんどが羅門たちお手製なのだが、それは割愛させて頂く。


 羅門は志郎に向けていた首を戻し、怪鳥を見下ろした。近付けば更によくわかる、巨体と翼…けれど今、それは脅威ではない。何故なら──妖は実力社会であり、完全な縦社会であるから。




「妖にとっちゃ、相手がどれだけ弱かろうが、自分が負けた相手ならそれは抗いようもない“格上”だ。

 まあ、その分下剋上されやすいとも言えるが…負けて直ぐのボロボロの状態で挑んでくることはないだろ。


 途中でお前が乱入したから、厳密にはお前に負けたんだろうけど…そん時は、お前が聞き出してくれると助かる。」


「…まあ、不意打ちで勝てたようなものだから、それは有り難いけど…。

 というか、聞き出す?」




 頷き、羅門は再度、志郎を振り返った。





















「──主に、“誰へ”の献上品なのか、とかな。」





















 例えば、心。例えば、思考。例えば──魂。


 深淵《しんえん》から生まれた、自分たちとは異なる異形。夜の陰に潜む闇の存在を、人々は確かに感じていた。──信じていた。




 即ち──わざわい、即ち──あやしもの。そしてそれを──あやかし、と。










「…ねぇ、それよりお腹空いた…。

 とっととこいつ起こそうよ。」


「マイペースだなおい。」










 ──これは、妖と関わり生きていく、一人の…否、二人の少年の物語である──






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