学校が始まった…… 1
女になってからの日々は瞬く間に過ぎていった。
男の時には問題の無かった事を、これでもかと駄目出しされた結果、僕は修業で大忙しだったのである。
春休みといえば、食う、寝る、遊ぶ、という自由時間を皆満喫していることだろう
にも係わらず僕ときたら、やれ歩き方が駄目、座った時に足を開かない、何時まで僕とか言ってるの、口を開けて欠伸をしない……等々、ことある事に注意の嵐、気が休まるのが玉ちゃんのもふもふだけという始末だった。
遊びに来た、竜胆と睡蓮も僕を励ましたくれたけど、玉ちゃんの尻尾に比べるとまだまだ甘い気がした。
白くてふわふわなのは素敵だと思う、でも小ぶりなのがイマイチなんだよね。
「はぁ……」
そして、今日僕はその修業の成果を見せることになるのである。
溜息ばかりが出てくるよ。
「嫌だなぁ、行きたくないなぁ……」
「まだ言ってるの。もう準備万端なんだから大人しく行きなさいな」
僕がリビングの出口でくるくる回りながら迷っていると、ソファーに座っていた母さんから呆れた声を出された。
だけど、こればっかりはどうしようもないんだよね。
女の格好、それもチェックのスカートだけでも嫌なのに、濃紺のブレザーにチェックのリボンタイ、この制服を目当てに受験したという娘も多いと言われる可愛い制服を纏っていたのだから。
そして、悔しいことにとても似合っているのである。
「うぅ……足が寒い」
「お姉ちゃんストッキング履きなよ。黒なら大丈夫じゃないかな」
今度は美華がせんべいをぽりぽり頬張りながらアドバイスをしてくれた。
朝食後に、せんべいって太るよね。
「嫌だよ、そんな女の子っぽいの履くの。これでも心は男のままなんだからね」
「はいはい、その見た目で男とか言われてもねぇ。美華より肌白いし、胸だって……お、大きいんだからね」
美華がジーと自分のと見比べて、羨ましそうにしている。
母さんみたいに巨乳じゃないけど、僕の胸は普通ぐらいの大きさだとは思う。
制服の上からでもはっきりと自己主張しているからね。
美華のペチャパイより小さいとか在り得ないし、何て思ったことは僕の心の奥底に大事に閉まっておくことにした。
僕はまだ死にたくないのだ。
現に何か感じたのか、美華が怪訝な表情を僕に向けてきている。
とても恐いです、はい。
「何と言われても嫌なものは嫌なの。もう今日は休む! どうせ始業式なんて授業は無いし、行かなくても変らないよね。これって名案じゃないか!」
「桃香ちゃんはそう言って、明日も明後日も同じことを言うのだから、諦めて行きなさいな。今日なら半日だし、すぐ帰ってこれるでしょ?」
……明日も、明後日も休めばいいじゃないか、なんて画期的なアイデアは口には出さないよ。
母さんに絶対怒られるからね。
僕も伏見家で暮らしているのだからそれぐらいは読めるのだ。
「そうそう、お姉ちゃんはさっさと行く! 美華は今から二度寝するんだからね」
羨ましい……じゃない、
「何処の牛だよ。僕が狐だから、美華は牛になるんじゃないか? どうせなら、美味しい霜降り牛になって僕の胃を満足させてくれ」
「お母さん、お姉ちゃんが美華を襲おうとしてる! 犯されるよ! 助けて~」
「又口調が僕になってるわよ。それと、駄目よ桃香ちゃん。百合はロマンかもしれないけど、どうせなら最初はお母さんにしなさいな」
……冗談だよね?
母さんの顔を見ると、目を細くして、口元だけ見事な半円の形で笑っていた。
か、狩られる! 慌てて母さんから身構えるように防御の態勢を構築してしまった。
母さんは僕の仕草を見て更にクスクスと楽しそうにしている。
「えええ、お母さんに取られるぐらいなら、美華がお姉ちゃんとする!」
何をするんだ何を!
それに襲われるとか言ってたさっきの発言は何処に消えた。
「あら? それなら二人で、桃香ちゃんを頂ましょうか」
「うん!」
二人はイイ笑顔をすると、ネットリした嫌な視線を向けてくる。
助けて、父さん! ――仕事に出かけていたよ。
ならば、助けて玉ちゃん! ――当然此処には居ない。
僕の部屋でネットでもしてるのだろう。
最近、玉ちゃんはインターネットにはまっていて、ニコニ○動画をよく見ているのだ。
ネットをする稲荷神、世間には見せれない姿だね。
つまり、僕を助けてくれるものは存在しない。
いや、待て、僕にはしもべが居るじゃないか。
竜胆と睡蓮という愛すべきワンコ達、あの子達なら――って呼び出せないじゃん!
神力の使い方を習っていなかったのが痛かった。
追い詰められた僕は――
「それじゃ、学校行ってくるよ……」
素早く二人の前から逃げ出し、玄関から外に飛び出すだけだった。
気のせいか、クスクス笑われていたような気もする。
――そして、玄関を出た処で気付く、ひょっとして、上手く追い出されたのでは?
くぅ、やられた。策士だ。後で僕も孫子の兵法書を読み返そう。
敵に勝つには、敵よりも多くの兵力を集めるのが基本と書いてあった筈。
でも、それって――母さんと美華、対、僕……負けてるじゃないか!
全く役に立たない知識だったよ!
僕の通う千代保高校までは、電車で三駅ということもあり、のんびり最寄駅まで歩いていくことにした。
少し早めに出た為に、まだ余裕があるのだ。
そして、これからはこの時間が標準登校時間になるらしい。
女の修業のせいで、朝走って行くの禁止という、僕の唯一の運動時間を削られたのだから、何か新しいものを探す方が良いかもしれない、なんて、ことは心から思っていないよ。
疲れるだけだしね。
駅に近付くにつれて、ずっと続いている目障りな視線が更に多くなってきた。
「もぅ……」
チラっとそちらの方向に視線を向けると、思いっきり目をそらされるのだ。
この体になってから、その手の視線に敏感になった気がする。
特にむき出しになっている太ももとか、お尻の当たりを集中されている。
流石に前から見る勇者は居ないのか、胸とかは無いだけマシだけど、あからさまに、見てましたといってるような態度に苛立ちが募ってくるよ。
まだ堂々としてた方が気持ちが良い気がするね。
これで、耳と尻尾が生えているなら、稲荷神と認識されて敬ってくれるかもしれないけど、現状は金髪碧眼の可愛い女子高生にしか見えないのだから、なんだかなぁという気分になるだけだ。
美華みたいな美少女の気持ちが少しだけ理解出来た気がするよ。
でも、美華の場合はのほほんとしてる部分があるから、案外気付いてないかもしれない。
本当に得な性格だと思うよ。
このだるまさんが転んだ状態は、電車に乗るまで続くことになり、もう諦めるしかないと達観した気分にさせられたのだった。
正直、首が疲れるだけで何の効果も無いからね。
丁度到着した電車の入り口から中に進み、端のポール付近の吊り革を鞄を押さえつつ握ると、前に座っていた大学生ぐらいのお兄さんが、本日発売の漫画雑誌を読んでいることに気付いた。
僕も愛読している雑誌であり、通常ならば購入してくるのだけど、注目された状態で買うのは嫌だったので諦めたのだ。
読みたいな。そう思いながら上から軽く中身を覗いていると、お兄さんは雑誌をパタン閉じた。
そして、軽く笑いながら、
「はい、可愛いから君にあげるよ」
と雑誌を差し出してくれた。
「え、いいんですか?」
凄い嬉しかったけど、そんなに物欲しそうにしていたのだろうか?
ちょっと恥かしいね。
「ああ、見たかったんだよね?」
「ええ、そうなんですが……」
「だったら、遠慮しないでどうぞ、どうせ捨てちゃうしね」
「それなら、ありがとうございます」
少し赤面してるのをゴマしつつ雑誌を受けとると、何故か周りから盛大な舌打ち音が聞こえた。
何? 軽く辺りを見回してみたら、お兄さんに対して、敵意を向けているような感じだった。
ひょっとして、皆は読み終わった本を網棚にでも捨てるのを狙っていたのかな?
それなら、少しズルをしたかもしれない。
でも、なんでズルした僕を睨んでないのだろうか? うーん。良く判らないね。
その後、お兄さんは、
「席を代わろうか?」と訊いてくれたけど、そこまで甘える訳にもいかずお断りした。 僕は三駅で降りるので座る程の距離じゃないしね。
僕が断った後、サラリーマンの人が座りたそうにお兄さんを見ていたけど、お兄さんは疲れていたのか急に目を瞑りだしたので、タイミングって大事なんだなと痛感したよ。
その後、雑誌を読むことに集中した僕は、視線のことを忘れて楽しむことが出来た。
優しいお兄さんに会えたのはラッキーだったよ。
勿論、この短時間では読み終わることは無理な為、電車から降りる時に雑誌は鞄の中にしまいこんだ。
折角貰ったものだし、大事にしないと駄目だよね。
本当はお兄さんにもう一言お礼を言いたかったけど、寝てるから諦めたよ。
学校に到着すると、まず職員室に顔をだした。
担任の最上 義仲、通称モナカから結婚してくれ! なんていう軽いジョーク? を受けた後、僕は新しい教室の前の廊下で担任から呼び出しが掛かるのを待っていた。
いきなり入ると騒ぎになるだろうから、説明してくれると言ってくれたのだ。
この辺りの気配りを出来るのが年配者なのだろう。
先程の台詞を言った時に、他の先生から袋叩きになっていた同一人物とは思えないね。
少し見直したよ。
うちの学校は、一年から二年へは繰り上げとなり、クラス替えは行われない。
一年の時の担任のモナカがそのまま二年も僕達の担任なので、気心が知れている分楽だった。
――それにしても……誰も歩いていない廊下はシーンと静まりかえっており、取り残されたような気持ちにさせて、少し寂しいものがある。
各クラスから話声等が聞こえる中、僕はモナカがどう説明するのかドアに近寄り聞き耳を立てることにした。
決して信用してない訳じゃない。少し手持ち無沙汰だったのだ。
僕は誰に言い訳をしているのだろう?
モナカの低い声が聞こえてくる。
「さて、ホームルームを始める前に大事な話がある。お前達の良く知っている伏見についてだが……」
「え、桃香ちゃんがどうしんだよ!」
いきなりモナカの台詞を遮るように男子の大きな声が響いた。
誰がモモカじゃ! 今の声は八雲だな。後で殴る。
僕は拳を握って力を込めた。
「豊川煩い、話を腰を折るな。そのな……言い辛いのだけど、伏見が――俺の嫁になった! 手出ししないように!」
……あっさり期待を裏切ってくれたよあの三十路の独身教師は!




