野本さんと佐々木君の場合 3
正直、参ってしまう。
連日の彼の盛況ぶりに苛々どころか怒りまで沸いてくる。市橋には一発殴ってしばらく口を利かないという制裁を下し、少しだけさっぱりとする。
確かに無神経なところはあるが、あそこまで酷い事を言ったりするような奴ではないんだが。
よく分からん奴だ。
「あれ、麗。何やってるの?」
「え、あ……」
廊下でばったりと会ったのは、黒いストレートの長髪が印象的な私の友人だった。男らしいとたまに言われる私と違って、彼女はどちらかというとクール系で通っていた。
そのすっとした視線が、とても好ましい。
「月の絵か。こ、個性的な絵だね。好きなの?」
「うん……。絵っていうか満月が好き、かな?」
――暗闇に浮かぶ月は、下界にある木々を優しく照らしている。この絵には魔力が込められているようだ。この光は貴方に届くのだろうか?
絵にはそんな文章が添えられていた。作者の名前は……「早い」に「良」? なんて読むのか分からなかった。下の名前は「力」と書かれている。「ちから」なのか「りょく」なのか。不思議な名前だ。
美術部の人なのだろうか。
「この絵を見てるとすごく不安になるんだよね」
彼女は結構真剣にその絵に魅入っていたらしい。
その絵の満月は青く、空は何故か黄色。これ、普通だったら逆じゃないか? 下は森のようで、不気味にうねった木がその月を取り囲むようにして生えている。
これは確かに不安を煽る絵かもしれない。でも、麗はそういう事を言ったんじゃない気がする。
彼女の不安は、何に起因するものなのか。きっと彼女にしか分からないし、私みたいに複雑なことを考えることが苦手なガサツな人間には、もっと理解できないに違いない。
麗が見ている世界は、どこか自分の存在する世界とは違う気がした。彼女はミステリアスで、やはりちょっと理解しがたい部分がある。
「麗って本当に分からないや」
「いや、私も野本さんのこと良く分からないし」
「まあ、そうだろうね。正反対っぽい感じ……」
お互いがお互いを見れば、どこか鏡を見ているような気分にもなるのだが、ただの気分。
「理解できないから、面白い人だなって思うんだろうね」
麗に言われて、ちょっと頬を膨らませて見せた。
「誰が面白い人だって?」
「ふふっ」
お互いを見て笑う。
「あっ。……野本さん」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには噂の彼が居た。
「……こんにちは」
どうしよう。動揺していつもの元気が出ない! っていうか、中身はいつもの佐々木君なんだから、いつもの通りに接していけば何の問題もないはずなのに!
「こんにちは、野本さん。えっと……」
「こんにちは。お邪魔みたいだから失礼するね」
「え……?」
ふふ、と控えめに微笑むのは可愛いけど、さっと居なくなってしまうのは頂けないんですが麗さん。どうしろと!? 残していった言葉にも平常心ではいられず、彼に怪しまれたくない思いでやはり固まる。
「ごめん。僕の方が邪魔だったよね……?」
「いや。そんなことはないよっ」
ここはしっかり否定する。彼は割と自分を卑下している所があるから、こういう言葉にはしっかり返してあげなければいけないと思う。ただでさえ、最近市橋の馬鹿のお蔭で色々あったわけだし。
私の言葉に幾分納得してくれたらしい。首をさりげなく上下に振っている。
「その絵、興味あるの……?」
「えーと。麗、あ……さっきの女の子ね。麗が真剣に見てたから、なんだろうと思って。作者の名前も、ちょっと分からないんだよね」
「早良力さんだよ。その人、一個上の先輩。僕の従兄弟なんだ。変な人だよ」
本当におかしな人らしい。苦虫を噛み潰したような顔をしている佐々木君は、どこか疲れているようだ。
「珍しいね」
「何が?」
「そんな事を言う佐々木君が、珍しいと思って。よっぽど面白い人なんだね」
私の言葉に、佐々木君は軽く笑った。
「どうだろう。色が足りないとか言って、部屋を真っ赤にペンキで塗りたくったような人だよ」
どうやら佐々木君はその人のことを結構好きみたいだ。口調が柔らかく、でも苦言を述べるのを忘れていない。それはまさしく近しい人に対しての態度だった。
早良先輩、うらやましいです。
しかし、真っ赤はやりすぎだと思います。家に帰って赤い世界が広がってたら、落ち着けないでしょう。うん、普通の人には無理だ。
「あのさ、野本さん」
「うん……?」
「嫌じゃなければ、本当に嫌じゃなければ、僕と一緒に来てもらえませんか?」
いや、君に嫌だとか思う私ではないんだけど。全くもってそんなことを思ったりはしないんだけど。
多分ついていって誰も居ないところで、もし二人っきりにでもなってしまったら告白してしまうよ? 覚悟はできてるかね?
「やっぱ、嫌かな……?」
「ううん。行く!」
私、君にはとことん弱いみたいです。