ある吸血鬼の夢 5
「ゼロ様! ゼロ様!」
真黒な彼は、私の後ろをちまちまついてくる。
丸々していて、目は小さく見えているのかも分からない―正直、メテルフィーユの手によって作られたため、生命を保有しているのかも定かではない―彼は、懸命に私だけを見ている。
それが少し嬉しく、同時に寂しくも思う。
彼女は、いつまでも続く幸せなど無いと私に告げた。
その意味は十二分に理解している。私が通り過ぎていた時間の中で、何千何万……数え切れない命が生まれ消えていったのを知っている。
私は永遠なのか。
それすらも分からなかった。
分からないほど、長く生きながらえていたのだ。
「ゼロ様、そろそろ薬の時間です!」
「そうだね。早く飲まなければ」
私は言われるがままに薬を体内に注入した。身体が拒絶しているのが感じられる。私の身体は、人の血を求め殺戮をしたいと何度も、私に乞い続ける。決して負ける事は無いが、うんざりはしていた。
「そう言えば、彼女はどこにいるんだい?」
私がフィフに問えば、彼はキイキイと頭上を飛び回るだけで返事をしない。
「それをお聞きになったのは329回目です、ゼロ様」
「329回目?」
どうやら、相当ボケてしまっているようだ。
目をしぱしぱさせていると、フィフは一瞬で人間の形に変化した。
まだ表情を覚えていない彼は、無表情のまま私に近づいてくる。
「君にも、表情が生まれるといいのにね」
僕の言葉に、彼は眉を寄せる。
あれ? こんな表情が出来るようになっていたのか。
「ゼロ様、その台詞は111回目です」
おかしくなってしまっているという自覚はあった。しかし、それが何なのかは理解できなかった。
僕は真っ黒な姿の、険しい顔をしているフィフを見つめた。
「薬の副作用だと思います。ゼロ様の記憶が抜け落ちているのは……そのせいです。それと、そろそろ薬が無くなります。そうすれば――」
その続きは分かっていた。
僕は、記憶を失う前の僕も、望むことは一つだ。
「満月の夜に平穏であればいいんだ」
薬が無くても、寝ているだけなら暴走する事は無いだろう。
身体も精神もこの状態に慣れてきた。
それに、僕にはフィフが居る。フィフが居れば、残虐な事をしでかしそうになった時でも、きっと止めてくれると分かっていた。それこそ、命がけで。
彼は僕には逆らえないし、逆らうという思考でさえ、生まれ来ないだろう。
「それでは、望むままに」
「うん。それで、何故薬が無くなってしまったんだい? メテ……彼女に頼めば作ってくれるだろう?」
名前が出てきてくれない。これも薬のせいだろうか。
ああ、意識が混濁している。
次に、痛みが晴れるまでどれくらいかかるのだろう?
僕の思考は闇に落ち、それを支えてくれるのは使い魔の蝙蝠。
彼女が彼を大切にしていたのは、こういう事なんだろうと、理解できた。
それが嬉しいのに、どうしてか悲しい。
フィフも、そんな悲しい顔をしないで。
僕は、満月と君だけ
あれば十分だ。
++
それは、突然の出会いだった。
やはり薬の無い状態に耐えきれなくなった僕は、満月の夜に血を求めてさまよう事になった。
こうしておけば、寝ている間に身体が勝手に起きだして暴走する事も無くなる。フィフをバラバラにしてしまうのは、避けたかった。
死なない程度の血を若い女性から貰う。そして、気づかれない様に去る。
フィフに協力してもらったお陰で、見つかる事も無かったし、吸血鬼が出没すると噂される事もなかった。
しかし、満月に見られながらの食事は、どうにも気まずい気持ちにさせられる。だが、我を失う事を考えると、仕方ないように思えた。
人間たちだって、動物を殺し、血を肉を骨を自らの物にして生きているではないか。それがただ形が近いからと言って同情するのはおかしいだろう。
僕は無理矢理そう結論付けた。
「今晩は、お嬢さん」
月を見上げていたらしい少女に声をかける。
いつもは見られない様にしていた僕も、何故かこの時ばかりは本能に抗えなかった。
きっと、どこかでフィフが苦い顔をしていうんだろうな。
「良い夜ですね」
危ない。悲鳴を上げられそうになった。彼女の口を片手で押さえ、引き寄せる。
恐怖でカタカタと揺れる身体に、不思議な感覚が沸き起こるのを感じた。
「ごめんね」
謝るしかない。
「ごめんね、可愛いお嬢さん」
何故、彼女に対してこんな不可解な感情になるのだろうか。
今日が満月だから?
だったら、他の娘の血を貰った時にも同じ感覚になってもおかしくないだろう。
肩に顔を埋めて、彼女を感じる。もっと知りたい。
何で、こんな気持ちにさせられるんだ?
彼女がもぞもぞ動いて、息を吸い込むのを感じた。
そう思った次の瞬間には、すっと髪の毛に彼女の手の感触が――。
「――!?」
何だろう。本当に何なんだよ!?
僕は言いようのない不安と、少しの苛立ちを抱えていた。同時に、心臓の音がだんだん大きくなっている事を感じた。こんなに早い鼓動を鳴らしたのは初めてで、少しだけ痛い。
そして、気づいた。薬の影響も、残虐性を抑えておかしくなる視界も綺麗に晴れてしまっている事を。いきなりクリアになった視界には、夜が存在した。
薬を使い始めてからかなりの時が経ったが、こんなに肩が軽いのは初めてだった。
なんの兆候なのだろうか。飢えることもなく、暴走する事もない自分。
そして、そこで気がついた。
「君……」
彼女は僕の、僕だけの満月だったのだ。
だからこんな落ち着かない気持ちにさせられる。彼女が居てくれれば、僕は平静でいられる。いや違う。彼女の傍に居る事が僕の存在する意味なんだ。
彼女の匂いを吸い込めば、僕はほろ酔いになる。
満月が隣に居る感覚というのは、こういうものなのか。
悪くない。いや、これはつまり一生こうして居たいと思える程度には、僕はその感覚に酔っていた。
彼女の事をもっと知りたいと思った。いや、違う。知らない事が恐ろしかった。
「君の名前は?」
「れ、麗……」
とても素敵な名前だと思った。
僕はゼロ。彼女はレイ。無の世界に僕と彼女が存在する。
空には満月が浮かんでいる。目の前には僕の満月がある。
両方とも温かい。そして目の前の彼女はそれでいて、柔らかかった。
「麗。君が食べたい」
君が欲しくてしょうがない。君の血も肉も骨も感情も僕の物にしてしまいたい。
君を、僕の君と僕の彼を、僕の世界にください。