ある吸血鬼の夢 2
「ダン、あの薬草取ってきて。痛み止めのお薬を作るから」
「分かりました」
どうやら、ダンという男は彼女に絶対服従の様だった。どんなに苦い顔をしていても、彼女のやる事に否とは言えないらしい。決定的には、とオマケがつくが。
「ゼロはこっちに来て。貴方の部屋へ案内するわ」
彼女の屋敷は薄暗く、しかし女性が過ごすのにふさわしい家具―クマのぬいぐるみやピンクのソファーなど―が揃えてあった。
「貴方の部屋はここ」
地下にある小さな部屋だった。
そこには小さな黒い棺桶が一つだけ置いてある。蓋は厚く、非常に頑丈だ。触ってみると、冷たく無機質である事が分かる。
部屋の隅には、重厚で冷たい鎖があった。正直、私には何の意味も為さないのではあるが、その事はわざわざ口に出さない。
きっとあのダンという男も、この少女も分かっていることだろう。
彼女は魔女だと言った。だが、この部屋から特別な気配は感じなかった。
「メテルフィーユ」
「ありがとう、ダン」
青々した葉を受け取った彼女は楽しげに笑った。
彼は、花瓶に活けられた花も持っている。それを私の部屋の隅にそのまま置いた。情緒も何もあったものじゃない。
「今度は間違えなかったようね」
「はい。申し訳ありません」
一歩間違えると皮肉ともとれるメテルフィーユの言葉に、ダンは静かに頭を下げた。
きっと、この少女は純粋にダンという青年の事を信頼しきっているのだろう。悪意が紛れているのに、全く気付く素振りもない。
「ダンはね、私の使い魔なの」
そうか。それで普通の人間らしからぬ気配がしたのか。
「とっても優秀なのよ」
「お褒めの言葉、嬉しく頂戴します」
そうかもしれない。彼女を守るという点では、彼が一番最適だろう。
私の様な常識外れの怪物に対してはあまり脅威にならないが、他の彼女を害す生物全般に彼はたいそう役に立ちそうだ。
「さあ、始めましょう」
彼女は私を棺桶に入るように促し、その中に座らせた。そして、無色無臭の液体を渡してきた。
これは毒薬ではないのだろうか。
彼女に飲むように言われ、躊躇う事無く口に含む。
口の中に甘酸っぱい、気の遠くなるような――しかし全身を痛みが襲う――味が広がる。それは全身を巡り、私を夢の世界へ落した。
**
夢の中で、夢は見ない。
**
目が開き、周りに赤が舞っていないことを確認する。
この落ち着きから推測するに、今日は満月だ。
身体の節々に痛みが走るが、特に気にもしない。痛みなど、私には苦に感じる物では無いからだ。
コツコツと棺桶を触れば、一瞬で蓋が吹っ飛び、驚きに目を見開く少女と顔があった。どうやら、棺桶の近くで編み物をしていたらしい。椅子に座り、手に編み棒と長く編まれた赤い毛糸を持っている。マフラーでも作る気だろうか?
今度からは、周りに人がいないかきちんと確認しなければいけないな。
いや、今度? 私は次があると思っているのか?
その考えは、いつの間にか私の近くへ来て全身をチェックしている彼女の声に阻まれた。
「とりあえず、成功かしら?」
間違いなく、成功だろう。満月の日にこんなに平静な気分でいられるなんて、初めての事だ。
私は少なからず、わくわくしていた。
「不思議な気持ちだ」
今日は何の穢れも無く、満月を見ることができる。それがどんなに嬉しいことか。
赤い血を水で落とす必要もなかった。
自分でも、身体の確認を行うために棺桶の中から立ち上がる。あの嫌な臭いも、肉体を動かした跡も存在しない。
腕や脚を動かすと、痛みが走った。
「身体が痛むかもしれないけど、そういうお薬なのよね」
「問題無い」
こんな痛みは、まったく問題ではない。今、この場にこのような気持ちでいられる方が大問題だろう。
私は嬉しく思い、彼女に短く礼を言った。
「お礼は金で良いのか? いくら払えばいいんだ?」
「お礼なんていいの」
そういう訳にはいかないだろう。後で、何か彼女にお礼を持って来ようと思う。
何が良いだろうか。彼女の好みなど、全く分からない。
彼女と出会ってから一か月、実質会話をしたのは二回目だ。知りようがないと言ったら、そこまでなのだが。
「何か好きなものは? 用意する」
魔女の好きなものとは一体何だろう。薬草を持って来た所で、彼女の家にはどうやら大量にありそうだからな。困り果てて彼女を見れば、彼女も困ったように笑った。
「もう、いいって。ところで、ゼロ。しばらく私の家に居る気はない? このままここで薬漬けの日々を送ってみない?」
その提案は未だ嘗て無いほど、衝撃的で前衛的で画期的だった。
その時のダンの顔は今でも忘れられない。