あるスムーズな日々 2
「貴様か!? ゼロ様を誑し込もうとしたのは!」
それじゃ、四郎君がゼロに迫ったことになるんじゃ……?
そんな薄ら寒い事を言い出せずにいたら、黒い害ネズミはキイキイ言い出した。
耳が痛いので勘弁して欲しい。
「このあんぽんたんめ!」
悪口を言っているはずなのだが、可愛らしい言い方になってしまっている。良い言葉が思い浮かばなかったのだろうか。語彙の少ないネズミめ。
「ぬきぃ! ぬきぃ!」
もう、五月蠅いなあ。
フィフを睨みつけるものの、あのネズミの視界に私は入っていないようだ。目の前の敵を排除するために、耳を塞ぎたくなるような奇声を上げ続けている。
私はここでもミスを犯した。
全くもって思わなかったのだ。彼が、彼を排除する能力があるなんて――。
「許さんぞっ! ……ゼロ様に。……ゼロ様に仇なす者は排除する」
いつになく真剣な声になったと思った次の瞬間には、四郎君は後ろにぶっ飛んでいた。
「え?」
目が追い付かない。今一瞬で何が起こったのか、私には理解できなかった。ただ、目の前に転げる体が存在して、それが良く見知った友人だということだけは理解していた。
ロッカーに背中をしこたま打ちつけて、彼は動かなくなる。
「四郎君!」
私は声を上げ、すぐに彼のもとへ駆け寄った。
フィフは静かに傍観を決め込んでいる。
「四郎君!?」
すぐに安否を確認する。って言っても、私にはたいした事は出来なかった。
呼吸はしているので、何度も呼び掛ける。
「四郎君っ! 四郎君っ!」
「…………大丈夫……っ」
どこか内臓が痛むのか、彼は咳を繰り返す。
私は涙目になりながら、何度も彼の名前を呼んだ。
この教室は静かすぎて、私と彼の音だけが良く響く。それが怖くて、でもそれを自覚しないようにと彼の名前を呼び続ける。
「四郎君……」
半泣きになりながら彼の名前を呼べば、「ごめん」と謝られた。
「謝らなくていいから。大丈夫? あ、お茶あるよ。飲める?」
首を軽く上下に振ると彼は少し笑った。
私はペットボトルの蓋を開け、彼の口元へと差し出した。喉が動くのが目に入る。
とりあえず、大丈夫そうだ。
そして、私は振り返った。
「いきなり、何するの!? 死んじゃったら、どうする気!?」
私は珍しく、逆上していた。
「確かに、四郎君に薬は貰った。でも、棄てなかったのは私だよ! 彼じゃなく、私にするべきなんだっ!」
彼のためじゃない。私は私のしたことへ罰が欲しかった。だから、これは庇っている訳じゃない!
それに、私は四郎君もフィフも、そして彼も怖いなどとは思いたくなかった。気づきたくなかったのだ。それなのに、それなのに! こんな思いをさせられるなんて思わなかった。
「……本当にっ、君は……お人好しだね」
やはり珍しく切羽詰まった四郎君の声がした。どこか暗くて、嘘のない言葉に動揺した。
四郎君はロッカーに背を預け、痛そうな呼吸をしている。
「大丈夫? 骨とか、折れてない?」
「うん、楽になったよ……」
彼は大分落ち着いていて、自分でお茶を飲んでいる。とにかく、大丈夫そうだった。
「何度も言うけど、レイちんはホントにお人良しだよねー」
「そんなんじゃない」
元にもどった彼に苦い思いをする。
私はお人好しなんかじゃなかった。ただ、訳が分からない恐怖に苛まれて、当たり散らしただけだ。四郎君だって身体に異常はなかったし、フィフの事を止められなかった。
なにより、彼らの事を全く分かっていなかった。
こんなに怖いことも、あの優しい吸血鬼によってすべて隠されていたのだ。詐欺にあったような気持ちだ。
「ねえ、本当に大丈夫なの?」
「ああ、けっこうね、頑丈なんだー。男の子だし―」
「本当に」の部分に力を入れて言うと、彼は口の端を上げた。ここは決してにやつくシーンではない筈なのに、彼が笑うと落ち着いている自分がいる。
いつもの四郎君に戻ったことに安堵するものの、どこか釈然としない。
彼は感情を隠すのが得意だし、だいたい彼は吸血鬼の血が混じっているだけで、普通の人間と大差がないと言っていたじゃないか。
「その者はゼロ様を害した。私はそんな生物を生かしておく気はないっ!」
さらに追い詰めるようなことを言うフィフに、どうしたら止められるのか考える。
たぶん、四郎君はこのままじゃ危険だ。今、この瞬間にフィフの「排除する」気持ちを抑えることができなければ、私が邪魔をしない所で事を為すだろう。そんなの絶対駄目だ。
「じゃあ、私の幸せは?」
「何を言っている……、小娘」
「彼を殺されたら、友人が1人減っちゃう。私は不幸になる。あの吸血鬼の命令に背くことになるけど、いいの?」
思った通り、フィフは怯んだ。
フィフは自分の使命より、ゼロの命令を貴ぶことなど分かりきっていたことだ。だが、迷っている所を見るに余程怒っていたのだろう。
私に対しても、もっと怒ってくれればよかったのに。
そんな自分本位な思考が頭を埋めてきて、吐き気がした。
座り込んで、情けない顔をしている四郎君に、悲しい気持ちになる。
私は誰に味方しているのか、分からなかった。
ゼロを一番に考えなきゃいけなかったんじゃないだろうか。
そうしなければ、彼を守れない。
守る、なんて必要ないくらい強いのかもしれないけど、彼を傷つけるものは、この世界には溢れている気がした。その中に私も居るだろう。
「フィフ、お願いだからやめて」
この使い間が四郎君にこれ以上何かしたら、私はその主を憎まずにいられるだろうか。
四郎君がそんなに大切な存在? ゼロよりも?
比べることではないと私は思った。
ゼロは、私が彼を恐れた瞬間に私を食べてしまうか、どこかに行ってしまうだろう。あんなに優しくて、食べ物に優しい吸血鬼は他にはいない。
「ごめん」
やっと立ち上がった四郎君は、どこか嬉しそうで少し困ったように笑っていた。