ある満月の夜 1
「君が食べたい」
すっと両手を取られ、整った口から切々と述べられる言葉。これが、恋人同士だったら、とてもラブラブな風景だろう。
しかし、私たちは違う。
私は、次の瞬間、超絶美形の変態を殴り倒した。
「い、いたい……」
立ち直りが早いなあ。
こんなに美形なのに、鼻から血が出てますよ。
もったいないなあ……。本当に。いろんな意味で。
「当たり前でしょう。痛くしたんだから」
殴られて痛みを感じないほど、目の前の生物はモンスターに見えない。
頭をかきながら、苦笑する目の前の彼を睨みつける。
「酷くないかい? 麗」
「貴方が非常識過ぎるから、いけないんでしょ」
目の前に転がった綺麗過ぎる青年を見て、今度はため息を吐いた。
彼は、吸血鬼。
血を啜る、人にとって嬉しくは無い存在だ。
確かに黒いマント、その下の黒い服、綺麗すぎる顔は人間より、「そちら側」に近い。
透き通る白い肌は、健康的というよりは作り物めいていて、血のように真っ赤な瞳も、金色に光る髪も、童話から抜け出てきたようだ。
自分とはあまりに違いすぎる存在に、途方にくれる。
「麗、久しぶりだね」
風が吹き、彼の肩まである髪の毛が舞った。素直に、綺麗だと思う。
「うん、久しぶり」
やっと彼に向かって軽く笑うことが出来て、安堵する。
久々の満月の夜だ。いつまでもぷりぷりと怒っていたくはない。
「夜は短いね」
「それって、僕のことを惜しんでくれているのかな? だったら、君をくれないかい?」
「もう一発決められたい?」
「いや、それはいいや」
蝋燭が揺れ、彼を闇の中に照らしている。
来てしまったものは、しょうがない。少なからず、歓迎してあげよう。
吸血鬼を椅子に座らせて、私は紅茶を淹れはじめた。
満月の夜には、秘密のお茶会。
机の上に星の形のクッキーを置いて、私たちはお茶を飲むのだ。
「ねえ、麗。どうしても、ダメかな?」
静かに座っていればいいものを!
うっとりするような美声が、耳から侵入ってくる。
きつく睨みつけてやれば、しゅんとうなだれてしまった吸血鬼。
彼は私の血を、体を請う。
「何度も言ってるけど、貴方だったら、私じゃなくても女性も選り取り見取りでしょ?」
苛立ちながら、紅茶を彼の前に出した。
「麗が良い。麗の血以外、飲みたいと思えないんだ……」
心臓に悪いことを言われて、大変困る。
落ち着くために席に着き、紅茶を一口啜った。
こちらに向けられた優しい目はもちろん無視する。
「なんで私?」
「君が良い匂いがして、僕の……だから」
私は食べ物じゃない! そしてあんたの物でもない!
私の一部が切り取られて、他の生物の物となる。
それが、私にはとても怖い。
「絶対に痛くしない。優しくするから。麗を傷つけない自信があるから……」
何度も、何度もそんなことを言われ続ける。
熱に浮かされたような瞳は、情欲をもっているようにも見えて、教育上全くもってよろしくない。
「私は、い」
「ゼロ様!」
一陣の風が吹き、黒い物体が目の前を通り過ぎた。
ああ、きた……。
げんなりしながら、その物体を目だけで追いかける。
いつものように壁にぶつかり、良い音を立てる。
「フライパン?」
「毎回、あそこにぶつかるから、置いてみたの」
困ったような顔をしている彼に、「貴方も歓迎してあげましょうか」と言ってやる。
「麗が歓迎してくれるの?」
何故!?
嬉しそうなのは何故!?
「小娘! ゼロ様に色目を使うなっ」
色目を使ってるのは、この吸血鬼だ。しかも、私が色目を使おうとも、全く効きそうにないことくらい、分かるだろうに。
「勝手に人の家に入ってくるな」
「ぬきぃ! この小娘め!」
しゃべる黒い物体。
それは、凹んでいる吸血鬼の使い魔だった。