あるネズミとの夜
「今日は災難だったんだよね……」
遠い目をしながら、何故かネズミに愚痴を零す私。
この黒い物体がしゃべれることを知らない人から見たら、夢見がちな乙女か、頭のおかしな人のどちらかに見えるに違いない。
残念ながら、夢見がちな乙女には見られそうにないけれども……。
「災難だと? だから、何だ?」
「ゼロ以外に興味が無さ過ぎて気持ち悪い」
話している内容がこんなだから。
ズバズバと言えるのは、楽で良い。ネズミとの会話は疲れるが、気を使わないで良いのが唯一の利点だろう。癒されることは決してないのだが、たまにはこういう会話も悪くない。
「気持ち悪いだと!? お前はあの方の素晴らしさが分からないから、そんなことを言えるんだっ」
「素晴らしさ……」
どうしよう。追随を許さないような美形の癖に、鼻血を吹いた顔しか思い出せない。ネズミのフィルターのかかり具合が問題だと思う。まともな顔をしているゼロしか思い浮かばなくなってしまった。
何も言えない私に、フィフはキラキラした目で語り続ける。
「あの方には初めて会った瞬間から、私は心奪われているのだ。あの気品と微笑みを私もだなっ! 得たいと思うんだが……」
うんうん。すごく好きなのは分かるよ。っていうか、フィフってゼロに、一目惚れみたいな感じなんだ。
残念ながら、その気持ちも分かってしまう。
あの吸血鬼は、綺麗だから。
しかし、フィフがそういう発言をすると、何か頷きたくなくなってしまう。この心酔しているといっても間違いで無い思考が、どうも苦手だ。
「しかし、ゼロ様の聡明で賢明な判断力は、私の愚かな行為に――」
「……」
「私はあの時、この方に一生お仕えするために生まれたのだと悟ったのだが――」
「…………」
フィフの説明は修飾語が多くて、非常に眠たくなる。それでいて長いし、白熱してきたようだ。全身の動きを使いつつ(しかし、残念ながら、黒いネズミが飛び回っているようにしか見えない)、ゼロの素晴らしさについて語っている。
ここでこっそり寝てしまってもバレない気がしてきた。今だって目は半開きだし。
一度眠いと思ってしまえば、それはだんだんと強くなってしまうものである。
だって、今日は色々あったし、とても疲れているのだ。
フィフの話もだんだんと子守歌のように――は全く聞こえてこないが、眠気を誘う。
「――の瞬間、ゼロ様はおっしゃられたのだ!」
「……」
正直、ゼロの話は聞きたい。聞きたいが、いかんせん眠いのだ。
うつらうつらしながら、フィフがキイキイ言っているのを見る。
「ねむ……しろー君の……あほたれの……せい。かりのせんせーの……ば」
しゃべってる言葉も曖昧で、半分眠りに落ちかけていた。
しかし、やはり目の前のこいつに阻まれる。
「ギャアー!」
「うわっ!?」
一瞬で目が覚めた。
なんか、すごい鳴き声が響いているんですけど。
「ウギャアァァー!」
絶対、隣に聞こえてるな……。いや、この音量は隣だけじゃないだろう。明日、ご近所さん達の噂にならないといいんだけど。
嫌な気持ちのまま、ネズミを見やるものの、宙を飛びまわって半狂乱状態だ。
「見苦しい」
「ギャアーギャアー」
「うるさい」
「ギャアーギャアー」
すぐ近くにあった愛用の枕を掴み、迷わず投げる。私の渾身の一球は、まっすぐに標的に向かっていく。
クリーンヒット。
よくやったな、枕くん。
枕くんと共に地面に落下していった黒い物体は、ここから確認することができない。
……黒光りする例のアレを退治する時の気分に似ている。非常に残念ながら。近づきたくないのだが、生死を確認しなければいけない嫌な気持ちが沸き起こる。
しかし、何があったんだろう。
私が話を聞いていなかったからでは無いと思うんだけど。
「フィフー、大丈夫?」
返事がない。
むくれているのか、はたまた気を失っているのか。
でも、近づいたら、復讐されそうな予感がする。
「フィフーフィフー」
こうなったら、あれだね。
私は声を落として、ぼそりと呟いた。
「ゼロの変態」
「ぬきぃ!」
「あ、やっぱり生きてた」
どうやら、思った通りに寝た振りを決め込んでいたようだ。
しかし、私の呟いた言葉がわかるなんて……。なんて地獄耳なんだろう。
「ゼロ様の悪口を言うんじゃない! この小娘があっ!」
「小娘小娘言うけど、どうあがいてもフィフのが小さいから」
「ふん、ふふん」
私の言葉に少しご機嫌になったフィフに、イラッとした。
「子ネズミめ……」
「何とでも言え、小娘!」
楽しそうにニヤニヤしているネズミに、さらにイラッとした。
「……黒光り虫。一見雑巾。空飛ぶ丸ネズミ。あとは……」
「ぬきぃ! 黙れ、小娘!」
「何とでも言えって言った癖に。自分の発言は責任を持たないと」
ニヤリと笑いながら言うと、フィフはさらにキイキイ騒ぎ始めた。
「悪口を言えなどと言った覚えはないわっ! というか、思っていたのか? 私のことをそんな風に思っていたのか!?」
「うん、そうだね」
「ふざけるな!」
どうでも良くなった私に対し、フィフは怒りに震えている。
「くっ、屈辱……。小娘、よく聞け。私はお前なんかよりずっとずっと大きいのだ!」
はいはい、声の大きさなら誰にも負けませんよねーなどと思いつつ、視線を一瞬反らした。
そして、戻した瞬間に黒いネズミは居なくなっていた。
「へっ、へんしつしゃだ!」
変質者とは、野外で全裸になったり、女の子を求めて徘徊したりする気持ち悪い奴らだと、私は解釈している。
「違うっ! 大体、この姿を見て変質者など初めて言われたぞっ!」
「なっ、なるしすとだ!」
ナルシストとは、自分の容姿や能力を自分自身で過剰なほど評価している人間(その他生物も含む)だと、私は解釈している。
「違うっ! 私は高貴で高尚な蝙蝠。ゼロ様の使い魔、フィフだ、馬鹿娘」
いや、なんかそんな気もしていたんだけどね。認めたくない事実って存在すると思います。
結局、ナルシストは間違っていないし。
っていうか、その姿は蝙蝠じゃないよね。うん、違う。