新たなる出会い
登場人物
元緒…………異国の方士。
如羅…………鮮卑の部族の娘子。
投鹿侯…………鮮卑の部族の大人(部族長)。如羅の夫。
李平…………如羅の父が連れて来た漢人の使用人。
破多羅…………如羅の母。
檀石槐…………如羅が産んだ男児。鮮卑の部族の少年。
陳正…………北の湖畔で暮らす李平の知人。漢からの亡命者。捕虜となった漢人を収容する施設の監督者。
其至鞬…………破多羅の夫。如羅の父。生前は鮮卑の部族の大人。
素利…………鮮卑の部族の少年。
慕容…………鮮卑の部族の少年。
草原が緑豊かな季節だった。
檀石槐は、遠くまで草を食みに往った家畜の牛を、穹廬まで駈けさせようと騎馬で追っていた。
気配を感じたのは、後方だった。ふと、馬上の檀石槐は振り返った。
鷹だった。眼前に大翼を広げた鷹が迫っていた。剥き出した鉤のような爪で、檀石槐の頭を掴もうとしているようだった。
馬の首に掴まるように身を伏せた檀石槐は、背負った滅魂の剣の柄に右手を添えた。左手で馬の鬣を掴んで上体を起こした。
前方では、高度を下げた鷹が飛び去っている。
その奥に、静かに佇む一騎が見えた。乗り手は少年だった。
鷹は、馬上の少年が差し出した右腕に羽を畳んで降り立った。
檀石槐は、心拍数が上がるのを覚えた。その少年から眼を離さずに、ゆっくりと馬を寄せた。
「ごめんごめん。驚かせてしまったね」
檀石槐と同じほどの年端だった。左の耳朶から、小さな翡翠の飾りを垂らしている。真っ直ぐな黒髪は肩まで伸び、理性を感じさせる聡明そうな相貌の少年は、胡服を纏っていた。鷹が佇む右腕には、縄のようなものが巻き付いてある。
「見ない貌だな。何処の部族だ?」
檀石槐は、睨み据えて質した。
「僕は、素利。遼東から来たんだ。君は何処の部族?」
遼東郡は、漢から見て長城の外側にあったが、漢に属する地域だった。
曾て、遼東近隣で跋扈した烏丸の民族に手を焼いた漢の朝廷は、遼東へ烏丸を移住させる懐柔策を採った。それ以来、遼東近隣で遊牧する鮮卑の民族も遼東内へ浸透し、漢人と同居する地域となっていた。
「弾汗山の辺りが本拠だ。俺は、檀石槐」
檀石槐は、素利に眼を据えたまま、緊張を緩めずに応じた。
「巧みな馬術だね。裸馬でそこまで走れるなんて」
素利は、檀石槐に微笑むと、右腕に止まった鷹を放るようにして空へ飛ばした。
「君を襲わせようとした訳じゃないよ、檀石槐。せっかくこの辺まで移動して来たから、鷹を飛ばして遊びながら、他の部族を見て回っていたんだよ」
素利は下馬した。翡翠の耳飾りが輝いた。檀石槐の方が、少し背丈があるようだった。素利の馬には、轡、馬銜、手綱、鞍、鐙、一式の馬具が備わっている。
「こっちの馬に乗ってみなよ。乗り心地が格段に違うよ」
素利は、にこりと微笑んだ。
その笑みに誘われたように、檀石槐も下馬して馬を乗り換えた。乗り易い。腰の納まりだけでなく、重心が安定した。
「ちょっと、駈けても良いか?」
裸馬に跨った素利は、笑顔で頷いた。
檀石槐は勢い良く駈け出した。頬に受ける風が裸馬とは違う。鞍と鐙による安定した重心が速力を生み出していた。意識が手綱に乗り、思ったとおりの方向に馬が駈ける。
「彼奴……速ッ」
素利は裸馬をゆっくりと駈けさせながら、草原を駈け回っている檀石槐を嬉しそうに眺めた。檀石槐が笑っているように見えた。
「全然違うだろ、檀石槐?」
戻ってきた檀石槐に、素利は笑みを向けて尋ねた。
「全然違うな、素利」
鸚鵡返したような返答に、檀石槐と素利は、おかしくなって二人で笑った。
互いに元の馬に乗り換えると、素利は檀石槐の背に視線を遣った。
「剣も使えるのか?」
「少しだけな。まだまだ戦士のように強くはなれないよ」
素利は、檀石槐の両手にある肉刺に気付いていた。剣の手練者にできる肉刺だった。剣術が得手であることを噯気にも出さない檀石槐が、素利は好きになった。
「他の部族でも、僕たちと同じくらいの年頃で、面白そうな奴を見付けたぞ」
素利は、檀石槐が肯んじるまで何度でも誘う気だった。
「明日、一緒にそいつ等を見に往こうよ。きっと、仲良くなれる筈さ」
素利は、檀石槐の貌を覗き見るようにした。
愉しそうに聞こえた。同年代で面白そうな奴。会ってみたいという衝動が檀石槐の胸中に湧くと、自然と笑みが零れた。
「良し。往こう、素利」
「往こう、檀石槐」
そういうことになった。
次の日――。
同じ場所で待ち合わせた二人は、素利の導きで、とある部族の許へと向かった。
「確か、この辺りで見たんだけどな……」
馬を止めた素利が草原を見渡した。遠くに羊の群れが見えた。長い棒のような物を持った乗り手が、駈けながら巧みに棒を繰り出し、羊の往く手を操作しているようだった。
「あれだ、檀石槐」
素利は指差すと、その方向に駈け出した。
檀石槐も遅れじと馬を駈けさせ後続した。
近付くにつれ、長い棒を持ち、羊の群れを誘導していたのは、少年であることが見て取れた。檀石槐や素利と、さほど違わぬ年齢に見えたが、躰は檀石槐より大きく見えた。
頭は短髪だった。勇壮な貌立ちの下に、何本もの狼の牙で作られた首飾りをしている。胡服を纏い、腰には胡禄と、弓を入れる弓嚢を備えていた。裸馬を両膝のみで操っている。
長い棒を持った少年が、駈け寄る檀石槐と素利に気付いた。馬を止めると、訝った様子で接近する二人に質した。
「何処の部族の奴だ? お前らも、俺を馬鹿にしに来たのか?」
馬を止めた檀石槐と素利が貌を見合わせた。二人とも、何のことを云っているのかわからなかった。
気を取り直した調子で、笑みを作った素利が応じた。
「僕は、素利。この前、僕たちと同じ年頃の子が、巧みな棒捌きで羊を追うのを見掛けてね。こっちの檀石槐を誘って見に来たんだよ」
素利が檀石槐を見遣った。
「俺は、檀石槐。棒術は誰人に習った? 俺にも教えてくれないか?」
長い棒を持った少年の動きが、固まった。すると、その少年は、ぶっきら棒に云い返した。
「俺は、慕容。……み、見世物じゃねえ。さっさと帰れよ」
慕容は、何やら照れ臭そうだった。
「その棒、貸してみてくれないか?」
馬を寄せた檀石槐が、慕容に手を差し出した。
「ん? お、応」




