滅魂の剣
登場人物
元緒…………異国の方士。
如羅…………鮮卑の部族の娘子。
投鹿侯…………鮮卑の部族の大人(部族長)。如羅の夫。
李平…………如羅の父が連れて来た漢人の使用人。
破多羅…………如羅の母。
檀石槐…………如羅が産んだ男児。
陳正…………北の湖畔で暮らす李平の知人。漢からの亡命者。捕虜となった漢人を収容する施設の監督者。
其至鞬…………破多羅の夫。如羅の父。生前は鮮卑の部族の大人。
穹廬の奥では、胡床に腰を下ろした破多羅が縫い物をしていた。
反対側にある穹廬の扉の近くには、李平が端座している。
中央に端座した如羅の対面には、同じように端座した檀石槐の姿が在った。
檀石槐は、十歳になった。
「良く聞くのです、檀石槐」
如羅が、厳しい眼差しを檀石槐に据えた。
「貴方に父は居りません。私が天から降った雷獣を飲み込んで身籠った子です。普通の子ではありません」
「…………」
「そのために、貴方は、本来の寿命の半分しか生きることができぬのです」
「…………」
「代わりに、あなたが抱く志は、必ず成し遂げられます。その志が遂げられる代わりに、寿命が半分なのです。良いですか、檀石槐」
如羅の眼に力が籠もったようだった。
「鮮卑のために、大きな志を持ちなさい。鮮卑の偉大な戦士となるのです。それが、貴方の宿命です」
如羅の眼に、薄っすらと涙が浮いた。
「あはは」
檀石槐は、声を出して笑った。
如羅だけではない。破多羅も李平も、怪訝な貌となった。
「寿命が半分ならば、婆さまや李平のように、老いさらばえなくとも良いね」
「フッ」
嬉しげな檀石槐に、如羅は思わず笑みを零した。すると、如羅は、脇に置いていた一本の剣を檀石槐の前へ置いた。
「元緒と云う方士が、貴方に宿る雷獣がこれ以上の悪さをせぬよう、お護りとして置いて往った霊剣、滅魂の剣です」
檀石槐は、古びた黒い鞘を手に取ると、剣を引き抜いた。
「……おお」
感嘆の声を上げたのは、李平だった。
剣の根元には、滅魂と彫られている。抜き放たれた剣身は、光が当る角度で黒く見える。
檀石槐は、滅魂の剣に見入った。見ていると、心が落ち着くような気がした。
「これから、片時もその身から離さぬように」
如羅の声に反応したように、檀石槐は黒い剣を鞘へ収めた。
「孫さんや、こっちへおいで」
誘った破多羅に、腰を上げた檀石槐が歩み寄った。
破多羅は、檀石槐が剣を背負えるよう、牛皮を縫い合わせた肩紐を拵えていた。
「知っておったかい? 短い牛皮でも、このように紡ぐことで長くなる」
「……婆さま、それは当たり前のことではないか」
微笑を浮かべた破多羅は、首をゆっくりと左右に振った。
「孫さんは、まだわかっておらぬ」
「…………?」
「これを広く、大きく、太く紡ぐこともできる。この小さく短い牛皮が、人だったとしたら、どんどん次の人に紡いで往くことになる。いつまでも続いて往く。いつまでも生き続ける」
破多羅は、檀石槐の黒い瞳を見詰めた。
「寿命の短いお前さんが、抱く大志も同じだよ、檀石槐」
「――――⁉」
檀石槐の黒い瞳に、光が宿ったようだった。
破多羅は、破顔した。
「夢に出て来た爺さまが云っておったよ」
「爺さまが⁉ な、何て云っていた?」
嬉しそうにした檀石槐が、破多羅に次の言葉をせがんだ。
破多羅は、薄気味の悪い笑みを浮かべて続けた。
「大笑いしながら、嬉しそうに云っておった。我が孫を大きく補佐する三人の同志が現れる――とな」
「三人か……」
檀石槐は、何やら考え込むと、さっと、貌を上げた。
「婆さまと母さま、それと、李平のことではないのか?」
「ウフフ」
檀石槐の後方で、如羅が口許を手で覆って笑った。
「私のような老いぼれに、孫さまの補佐が務まりましょうか?」
李平が、ふざけるようにして云った。
「さあ? 如何だろうねえ。爺さまが云うことは、当たることもあれば、当たらぬこともあるからねえ」
破多羅は笑顔になると、再び視線を落とし、せっせと縫い物に励んだ。
如羅による騎射の稽古が厳しくなった。
滅魂の剣を背負い、矢が三十本ほど入った筒形の入れ物、胡禄を腰に掛けている。其処から一矢を抜き取り、弓に番え、放つまでの一連の動作を、檀石槐は馬を疾駈させながら繰り返した。
「矢を自分の躰の一部と思って放つのです」
見本を見せる如羅の騎射は、流麗だった。一連の動きに一切の無駄がない。狙った的に放たれた矢が必ず突き立った。
檀石槐も騎射は左右からできたが、弓に矢を番え、放つまでの一連の動作が、何処かぎこちない。如羅のような滑らかな動作には、まだ及ばなかった。
それは、檀石槐もわかっていた。的には収まるが、狙った処より少しずれた処に矢が突き立った。地に足を着けて弓を使う時は、ぎこちなさを感じない。騎射となるとそうではなかった。
「馬と呼吸を合わせ、流れるような動作で矢に己の意思を乗せる。これを意識して繰り返し鍛錬するのです」
如羅は、期待を込めた眼で檀石槐を見遣ると、優しげな微笑みを湛えた。
檀石槐は、額の汗を拭って、騎射の鍛錬に勤しんだ。如羅に褒められたい一心だった。
李平の指南も厳しさを増した。
足元を掬われ宙を返り、地に背を打ち付けることも少なくなった。しかし、李平の烈火の如き打ち込みに、防戦を強いられてばかりだった。
「孫さま、剣の軌道ではありませぬ。剣を振る相手の動きを見るのです」
檀石槐は、李平が薙ぐ棒の動きに注視していた。
打ち込みが続く中、李平の動き全体に意識を送った。すると、次の動きがわかるような気がした。李平の動きがゆっくりに見えた。
「守りながらも攻めを意識せねばなりませぬぞ!」
李平が云った刹那だった。
檀石槐は、李平が放った薙ぎを得物の棒で撥ね上げると、横の一閃を李平の胴へ放った。棒の先端が、李平の胡服を掠めた。
李平の動きが止まった。
檀石槐も驚きの表情を晒して固まった。
「そうです、孫さま! 新たな境地に達しましたな!」
李平が、己のことのように喜んだ。
檀石槐も嬉しく思ったが、李平が喜ぶことの方が嬉しかった。
この辺りを境に、檀石槐の騎射と剣術の腕は、めきめきと上達していった。




