異民族と漢人と
登場人物
元緒…………異国の方士。
如羅…………鮮卑の部族の娘子。
投鹿侯…………鮮卑の部族の大人(部族長)。如羅の夫。
李平…………如羅の父が連れて来た漢人の使用人。
破多羅…………如羅の母。
檀石槐…………如羅が産んだ男児。
陳正…………北の湖畔で暮らす李平の知人。漢からの亡命者。捕虜となった漢人を収容する施設の監督者。
其至鞬…………破多羅の夫。如羅の父。生前は鮮卑の部族の大人。
「さあ、檀石槐どの、大したお持て成しはできませぬが、腹一杯食べられよ」
「これは美味そうだ」
李平は遠慮もなしに、勢い良く骨付き肉にかぶりついた。脂で唇がてらてらしている。
檀石槐も、それを見よう見真似で頬張った。
「……美味い!」
檀石槐から心の声が漏れたようだった。香ばしく焼かれた肉の表面には、少々の塩が振られていた。
「それは良かった。ささ、たくさんあります。たんと召し上がりませ」
陳正は、優しげな笑みを檀石槐に向けた。
「今年の塩の収穫は、如何ほどになりそうか?」
焼き魚を頭の先から頬張りながら、李平が尋ねた。
「昨年よりも量は増えましたが、やはり人手が足りませぬ。捕虜の説得は試みているのですが、あのような国でも、郷里を捨てられぬ者が多いようです」
「そうか……」
酪の汁物を啜りながら、檀石槐は二人の会話に耳を傾けていた。何の話をしているのかよくわからなかった。
夕餉も済み、三人で卓を囲んで白湯を飲みながら談笑していると、檀石槐も少しずつ状況が理解できるようになっていた。
「孫さま、この陳正、漢からの亡命者なのです」
隣に座った檀石槐に、真顔の李平は続けた。
陳正は胡服を纏っていたが、鮮卑の者でないことは、檀石槐も察していた。
「陳正だけではございません。この辺りの集落に住む者は、殆どが漢の亡命者」
陳正は、懐かしそうに眼を細めて檀石槐を見遣った。
「そんな私たちに、衣と食と住、そして、生きる自由を与えてくださったのが、檀石槐どの、貴方の祖父母であられる其至鞬どのと、破多羅どのなのです」
「……爺さまと、婆さまが?」
陳正は、こくりと頷いた。
「漢から逃れて来た我等に、好きに生きて良いと土地をお与えくださり、北の大地での暮らし方をお教えくださった」
「此処での暮らしは、辛くないのか?」
白湯を口に含んでから、李平が陳正に質した。
「何を云われる、李平どの。辛くなどあるものか。例え、厳しい自然の中であろうと、知恵と工夫を凝らし、誰人からも束縛されることなく、自由に生きることができる」
陳正は、対面に座った檀石槐に身を乗り出して続けた。
「私は、鮮卑の部族を羨ましく思う。其至鞬どのと破多羅どのに感謝こそすれ、辛いことなど何もない。漢の中で生き続けることの方がよほど辛い。この集落に居る者、皆、そう思っている筈」
「それほどまでに、漢は腐ったか?」
李平は、冴えた眼差しを陳正に向けた。
「……腐っている。漢は、国にして国に非ず」
陳正は、李平に躰を向けると、低い声でそう云った。
明くる日の空は、雲っていた。
檀石槐は、李平と陳正に誘われるように、更に北の奥地へ騎馬で向かった。
湖畔を右から迂回するように駈けて往くと、粗末な穹廬が幾つも立ち並んでいた。
その側では、漢服の上から毛皮を羽織った者たち五十人ほどが作業をしている。伐採した木々を運ぶ者、板で地に穴を掘る者、綱で結わえた岩を引く者があったが、どれも窶れていた。
周囲では、胡服に毛皮を纏った二十人ほどが、その者たちを監視していた。佩剣し、鞭を手にしている。
馬脚を緩めた李平が、檀石槐に馬を寄せて止めた。
「孫さま、彼処で労働を強いられているのが、戦などで捕らえた漢人の捕虜たちです」
「…………」
「このような場所が、湖畔の周辺に二十箇所ほどあります。冬は半地下の住居を作らせておりますが、暖かくなれば農耕をさせ、湖水から塩も作らせます。収穫は少ないですが、実りは全て、鮮卑族の食糧となっているのです」
捕虜たちに眼を向けながら、陳正が横から馬を寄せていた。
「……捕虜たちは逃げたりしないの、陳正?」
白い息を吐きながら、檀石槐が質した。
「逃げても、鮮卑の民が住まう大地を通らねばなりません。例え、無事に通過できたとしても、北の大地で生き抜く術を知りませぬ。奴らは、漢に辿り着くまでに力尽きることを知っているのです」
「家族に会いたいと云う捕虜は居ないの?」
「懇願し続ける者は居ります。ですが、鮮卑の戦士に容赦なく刃を振り下ろした者ども。戦で世を去った戦士の家族を思えば、温情を施す訳には参りませぬ」
「…………」
「捕虜だった漢人も、説得に応じ、我等鮮卑と共に生きることを選ぶ者も居るのですよ、孫さま。昨晩、我等に挨拶へ来た者らも、半数が捕虜だった者」
李平も捕虜たちの働き振りに眼を凝らしている。
「未開の地を開拓し、農耕による食糧を供給し続けることで、北の大地と云えども食糧難を回避できます。そのためには、人が必要です。捕虜に投降を勧めるのも、私たちの仕事なのです」
「おい、陳正とやら! 異民族に国を売るような真似して恥ずかしくないのか――⁉」
陳正の姿に気付いた痩せ細った捕虜のひとりが、手を止めて罵声を浴びせた。
不敵な笑みを浮かべた陳正は、馬上から大音声で応じた。
「お前もわかっているだろう。漢は、売って恥と思うような、真面な国ではない! お前こそ、如何して投降しない? 投降すれば、温かい衣と食と住が手に入るのだぞ」
その捕虜は、駈け付けた監視の者に鞭打たれた。それでも、吠えることを止めなかった。
「異民族などに媚びるものか! いつか漢へ還り、鮮卑の情報を朝廷に売り込めば、俺は高官になれる。梁冀さまのような大将軍だって夢ではない!」
更に、もうひとりの監視の者が駈け付け、その捕虜は容赦なく鞭打たれた。それでようやく静かになった。
「おわかりになりましたか、檀石槐どの? 頑なに投降しない者は、決まってこうです」
檀石槐に貌を向けた陳正の表情は、少し寂しげだった。
「誇りのために投降しないのではないのです。私利私欲のために投降しないのです。眼の前に本当の自由があるというのに……」
檀石槐は、陳正に罵声を浴びせた捕虜を眼で追っていた。ぐったりとしたその捕虜は、二人の監視役に引き摺られるようにして、何処かへ連れて往かれた。
「私のように捕虜の収容地を監督する者が、他に五人ほど居ります。それを統括しているのが、其方の李平どのと云うことになります」
檀石槐は、李平を見遣った。
李平は、檀石槐に微笑を返した。
「では、次の収容地へ参りましょう、檀石槐どの」
陳正が馬を駈けさせると、檀石槐と李平もそれに倣うように馬を駈った。
それから捕虜の収容地を三箇所ほど巡察したが、どれも同じようなものだった。
雲の隙間から、青空が見えていた。
陳正の住まいがある集落へ還る途中、馬上の李平は檀石槐に馬を並べて云った。
「孫さま、湖畔の地で暮らす漢人には、自らの意思で鮮卑の民となった者、説得に応じて鮮卑の民となることを選んだ者、捕虜であり続ける者、三種ありますな」
檀石槐は首を縦に振ると、正面を向いたまま李平に返した。
「李平や陳正のように、僕たちを援けてくれる漢人がたくさん居るんだね。困り者は捕虜であり続ける人だけど、鮮卑の良さをもっと教えてあげれば如何だろうか?」
檀石槐の言に、李平の貌には笑みが浮かんだ。
先頭を駈ける陳正が、ちらりと後ろを振り返った。微笑していたようだった。
檀石槐が帰路に着く朝、李平は陳正に膨らんだ小さな皮袋を手渡していた。
「春になったら、これを撒いてみてくれ」
「これはこれは。集落の者と大切に育てましょう」
野菜の種だった。何の種かわからなかったが、時間を掛けて如羅と李平が仕分けしていたものだった。
「いつでも力になります。何かあれば云ってくだされ、檀石槐どの」
陳正は、目尻の皺を深くして檀石槐に破顔した。
「さあ、そろそろ参りましょうか、孫さま」
李平が扉を開けると、檀石槐は外へ出た。
青空が眩しかった。




