表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魁の紡ぎ  作者: 熊谷 柿
第4幕 悠久の果て
37/45

新時代の到来

登場人物

〈漢〉

霊帝れいてい…………漢のみかど

竇武とうぶ…………漢の大将軍。宦官かんがんにより自害に追い込まれる。

張奐ちょうかん…………漢の歴戦の将軍。要職から身を引き、故郷の涼州にて隠棲する。

夏育かいく…………涼州北地郡富平県の太守。謀略を得意とし、次代を期待される将軍のひとり。

王衛おうえい…………張奐に仕えていた勇将。張奐の許を去り、夏育に仕える。

鮮卑せんぴ

檀石槐…………鮮卑の部族の大人たいじん。各部族の大人を束ねる鮮卑のかい

李平りへい…………檀石槐に仕える漢人の使用人。老衰にて世を去る。

趙娥ちょうが…………檀石槐の妻。漢人。捕虜の収容地を統括する。

破多羅はたら…………檀石槐の祖母。巫者ふしゃのような特性を持つ。

其至鞬きしけん…………破多羅の夫。生前は鮮卑の部族の大人。

如羅じょら…………檀石槐の母。其至鞬と破多羅の娘。あやかしの雷獣らいじゅうにより檀石槐を身籠みごもる。

和連かれん…………檀石槐と趙娥の子。

投鹿侯とうろくこう…………鮮卑の部族の大人。如羅の元夫。漢の王衛おうえいにより討たれる。

厥機けつき…………鮮卑の部族の大人。素利の兄的存在。諸民族との盟約に奔走する。東部鮮卑に属する。

槐頭かいとう…………鮮卑の部族の大人。成長株の大人。東部鮮卑に属する。

弥加びか…………鮮卑の部族の女大人。剣術の手練者てだれ。東部鮮卑に属する。

南匈奴みなみきょうど

居車児きょしゃじ…………南匈奴の単于ぜんう。鮮卑の部族の大人、闕居を討った過去を持つ。病にて世を去る。

屠特ととく…………居車児の子息。南匈奴の新たな単于となる。

〈独立勢力〉

公孫延こうそんえん…………幽州遼東郡ゆうしゅうりょうとうぐん以東から朝鮮半島北部の楽浪郡らくろうぐんを本拠に漢から独立する。

 南匈奴みなみきょうどの雄、居車児きょしゃじった。五十も半ばを過ぎた頃だったが、病にしていた。日増しにせ細った。そして、あっけなく死んだ。漢に恭順することをしとしない、反乱の人生だった。

「誇りを持て。我等は、生まれながらに遊牧騎馬民族。漢のいぬになってはならぬ」

 病床の居車児が、最後に云った。その言葉は、息子の屠特ととくに向けられていた。

 子羊の髑髏どくろを首に飾っている。子孫繁栄を象徴するものだった。まとっているのは、胡服こふくではなく漢服だった。居車児亡き後の単于ぜんうは、屠特である。

 鋭い眼付きが、狼を髣髴ほうふつとさせる。よわい二十五だった。血気にはやる若い単于にも野心はあった。新たな南匈奴の姿を、その胸中に抱いていた。

「洛陽へ使者を出せ」

 近侍の者たちは、互いに顔を見合わせた。どれも怪訝けげんの色が浮いていた。

「漢に恭順の意を示す」

 父の遺骸いがいを見下ろした屠特の眼が、鈍く光って見えた。

 同じ頃――。

 漢の朝廷では、張奐ちょうかんが要職から身を引いていた。大司農、大常を歴任し、遂には、最高位の官職、三公への就任の声が高まる中、安々と身分を捨てた。

「国家のため、辺境で功を立てたい――」

 若くして立てた張奐の志節は、北方異民族の侵攻を大いに阻んだ。

 しかし、清廉潔白せいれんけっぱく性質たちは、漢朝の汚濁おだくには染まらなかった。誠実に職務を全うしても、朝廷内で繰り返される朝臣と宦官かんがんの紛争に、漢朝の伸展は見る由もなかった。

 不意に、張奐に思い起こされるのは、北方の黒い大きな獣のような姿だった。

 大群を引き連れ、北辺を荒らし、自由奔放じゆうほんぽうに駈け巡る。何者にも捉われない。

 齢七十を目前に控えていた。朝服にも肩が凝った。馬上で頬に受ける風が愛しかった。

「潮時か」

 張奐は、馬上の人となった。数人の弟子を引き連れ、郷里へと向かった。

 馬上の張奐は、涼州りょうしゅうがある北西の空に眼を遣った。鳥が群れを成して飛んでいるのが見えた。何の鳥かわからなかった。

 西暦一七四年――。

 漢の都、洛陽で怪異が起きた。

 宮室の修理などを司る役所、右校うこうと呼ばれる建物の側には、高さ四尺(一・二m)ほどのおうちの木が二本立っている。

 ある日、その内の一本が突然伸び始めると、高さ一丈(約三m)、周囲が一抱えほどに成長した。頭、髪、眼、ひげ、全てが備わっている。それは、明らかに胡人こじん、北方騎馬民族の姿だった。

 そうかと思えば、正殿の側に植わっていた六、七抱えもある巨大なえんじゅの木が、逆様に立っていた。根が上に、枝は下になっている。誰人だれかの仕業しわざなのか、自然の力なのか、わからなかった。

 何かの予兆ではないのか――。

 人々は、噂した。

 その頃、鮮卑せんぴは、漢の北西部にまで侵攻の範囲を拡大していた。この地域に蔓延はびこきょう族との盟約も、厥機けつきが交渉を進めている。

 涼州北地郡富平県りょうしゅうほくちぐんふへいけん――。

 右の頬に大きな傷痕きずあとがある。

 三千の騎馬を率い、侵攻を開始したのは、東部鮮卑の槐頭かいとうだった。以前のような無鉄砲さは、すっかり影を潜めていた。

 長い黒髪をひとつに束ねている。その一群には、見目麗しく、気位の高さが感じられる柳眉りゅうびを備えた弥加びかの姿も在った。

「初めて侵攻する地だ。油断するな、槐頭」

「わかってるよ。お前と一緒の侵攻で、しくじるわけにはいかないからな」

 弥加とくつわを並べ、一群を率いた槐頭は、頬を染めて弥加に微笑んだ。

 槐頭は、弥加に好意を寄せていた。槐頭は、馬腹を蹴った。それに槐頭の部族の戦士たちも付き従った。

「勝手にしろ。だが、へまはするな」

 冷めた視線で送り出すようにした弥加は、槐頭に興味がなかった。弥加の胸中には、常に恋焦がれる者の姿が在ったが、叶わないそれであることも重々承知していた。

 弥加は、槐頭の一群を追うように駈けた。富平の城郭まちが見えてきた。

 歳は四十一を数えた。戦袍せんぽうの上から軽鎧けいがいまとっている。爽やかな微風を受けるに相応しい清雅の気色がある。化粧をしたような白面に朱唇を携えた気品のある太守、夏育かいくだった。

 漢の各地に起こる、内紛、反乱の鎮定で功を上げていた。その手腕を買われ、羌族を初めとした北方異民族が蔓延はびこる、涼州北地郡富平県の太守に任官されたばかりだった。

「自由に動き出す前に、決定打を与えます。では、手筈てはずどおりに」

 夏育は、佇立ちょりつした二人の将を冴えた瞳で見遣みやると、その二将は弾かれたようにその場を去った。

 槐頭の目前には、富平の城郭まちが迫っていた。

 辺りでは、先ほどまで物資を搬送していた漢兵たちが、逃げ惑っている。富平の守兵たちは、何ら手段すべを講じることもなく、嵐が通り過ぎるのをただ、待つようだった。予定していた略奪は、手をわずらわせることもなく成し遂げるやに見えた。

 すると、城門が開いた。出てきたのは、騎馬軍だった。

「――――⁉」

 槐頭は、眼を疑った。

 姿を現した五百騎は、どれも首に子羊の髑髏を飾っている。南匈奴だった。その騎射が、槐頭の一群を襲った。

 盟約を反故ほごにしている。槐頭は、混乱した。南匈奴が放つ矢で、引き連れた戦士たちが馬上から射落とされている。応戦しなければ、被害は甚大なものになる。

 槐頭は、短刀を引き抜いた。南匈奴の群れに身を躍らせ、白光を走らせる。それに後続する戦士たちも騎射で援護した。手応えはない。南匈奴は、騎射をしながら馳せ去ると、後続する弥加の一群に向かっていた。

 その南匈奴を率いていた者は、鋭い眼付きだった。軽鎧を纏い、子羊の髑髏を着けている。鮮卑の一群を前に、どれが大人たいじんか瞬時で見抜いていた。一群と馳せ違うと、振り返り様に槐頭の方へ一矢を放った。矢から甲高かんだかい音が鳴っている。鏑矢かぶらやだった。

 南匈奴に続いて城門から出てきたのは、三百の重騎兵だった。左に旋回したかと思うと、馬首を返した。鏑矢が鳴り飛んだところを目指している。槐頭の一群の横っ腹を食い破るように突入した。鮮卑の戦士たちの首がね飛ぶ。虚空こくうに血の虹が描かれていた。

 眼前に現れた南匈奴の動きを前に、弥加の顔色が変わった。先に進めないように騎射が放たれている。足止めされていた。

「これは、まずい! 逃げろ、槐頭! 急げ!」

 弥加は、南匈奴に騎射で応戦しながら叫んだ。

 重騎の先頭を駈ける将が、截頭せっとう薙刀なぎなたで容赦のない一閃を量産している。その将が率いた重騎兵に、槐頭の一群は両断されていた。

「くっ! こりゃあ、駄目だ。退け、退け! 一度退いて立て直す!」

 重騎兵が退路をふさぐように留まっている。槐頭は、退くに退けなかった。

 城門から新手が出てきた。三百の軽騎兵だった。

 重騎兵と挟撃する形になっている。全身、傷だらけになっていた。既に、槐頭に退路はなかった。

 突如、槐頭の前に現れた一騎が、背から剣を引き抜いた。夏育だった。冷ややかな眼光が、槐頭を貫いている。 

「こりゃあ、しくじった」

 槐頭は、力なく笑った。

 槐頭の横を駈け抜け様、夏育の閃光が走った。

 空が見えた。次の瞬間には、地にたおれた部族の戦士たちの姿が見えた。弥加の声が聞こえた気がした。眼の前が白くなった。何も見えなくなった。

「駄目だ! 退け! 退け!」

 弥加は、馬首を巡らせると、後方に騎射を放ちながら撤退した。寄せた波が、引いていくようだった。追撃は、なかった。

「鮮やかに重騎兵を操るのですね。張奐軍の第一将も伊達だてではないようです。最強の武を求める貴方あなたが、私の許へ来てくれて良かった」

 夏育は、重騎兵を率いていた将へ駒を寄せると、微笑んだ。

 凛凛りりしい顔付きは、無精髭ぶしょうひげで覆われていた。その将は、截頭の薙刀に付着した血を払うようにすると云った。

「造作もないことだ。此方こちらこそ私を拾ってくれたことに感謝している」

 何かにかれたように、以前とは眼付きが別人である。張奐の副官、王衛おうえいだった。

 王衛は、張奐に同道しなかった。鮮卑に己の武が通じない。その一念にとらわれていた。武の頂点を求め、張奐の許を去った矢先、夏育に拾われていた。

「彼も良い働きをする。異民族の動きがわかっている」

 夏育は、引き返してくる南匈奴の一群に視線を送った。王衛もそれに釣られて眼を遣った。先頭を駈ける将には、どこか居車児の面影がある。屠特だった。

 居車児の死後、漢に改めて恭順の意を示した屠特には、犬馬の労もいとわない覚悟があった。南匈奴を、漢の一部として認めてもらいたい一念だった。

 それが夏育の眼に留まった。使い方次第で、剣にも盾にもなる異民族と踏んだ。

「そろそろ漢の北辺も、綺麗に掃除しないといけませんね」

 夏育は、地にたおれた鮮卑の戦士たちの遺骸に視線を落とした。北叟笑ほくそえんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ